<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


近月包光


 そよそよと吹く風がほんの少しだけ涼しく感じ、シノン・ルースティンはそっと微笑んだ。
「もう、秋なんだな」
 ちょっと前まで、毎日がうだるような暑さに包まれていたというのに、もう半袖で過ごすには肌寒くなってきた。青々としていた木も、色を変えてきている。
 再び、そよ、と吹いてきた風にシノンは小さく「おっと」と呟く。持っていた買い物の袋から、オレンジが飛び出そうになったのだ。小さな声で「危ない危ない」と言いながら、袋を持ち直す。
「日が落ちるのも、随分早くなってきたよね」
 シノンはそう言いながら空を見上げる。ついさっきまで明るかったはずなのに、もう空は暗くなってきている。澄んだ空気で空はどこまでも高く、その高い空に星がちらほらと姿を現し始めている。
「あ」
 その空の中心に明るい円を見つけ、シノンは思わず声を出した。
 完全な円ではないが、ほぼ円になっている。真っ白に光り輝くその光は、真っ暗な空の中で毅然と煌いている。
 月、だ。明日には満月になるだろうか。
「綺麗」
 シノンはじっと空を見上げていた。高く暗い空の中で、ぽつんと美しく光る月に吸い込まれるのではないか、と思うほどに。


 花屋、四阿。色とりどりの花が売られているそこは、リラ・サファトが営んでいる花屋である。そして同時に、シノンの行き着けでもある。
「大分、秋になってきたね」
 リラはそう言い、にこっと笑う。「最近は、シノンが教えてくれたホットチャイを作る機会が増えたんだ」
 二人の目の前には、暖かな湯気を立ち上らせる、アップルティが置いてあった。ほんのりと甘く広がる林檎の味が、紅茶の味を引き立てている。
「リラ、また上達した?」
「どうかな。まだシノンが作る方がおいしそう」
「そう言われると、あたしはホットチャイを失敗できないじゃん」
「うん。シノンはホットチャイを失敗しちゃ駄目」
「じゃあ、リラは目玉焼きを失敗しちゃ駄目だからね」
 二人は顔を見合わせ、くすくすと笑う。互いに互いの得意料理は相手の方が上手いと思っており、また同じように作れるように日々練習しているのだ。
「でも、ホットチャイは確かにおいしくなるよね。こう、だんだん涼しくなってくるとさ」
 シノンはそう言いかけ、思い出す。
 昨晩見た、高い空を。何処までも続いていきそうな高い空に、ぽっかりと浮かぶ白い月。
 毅然として光り輝く月は、満月が近いことを知らせていた。
「シノン?」
 突然黙ったシノンに、リラが話しかける。それにシノンははっと気付き、リラを見て「そうだ」と呟く。
「リラ、お月見しよう!」
「お月見?」
「そう。昨日の晩、あたし見たんだ。ほぼ真ん丸の真っ白い月を。空がすっごく高くてさ、暗いんだけどね。月だけがぽっかりと浮かんでて、ものすごく綺麗だった」
「ほぼ真ん丸って事は、今日当たり満月なのかな?」
「絶対そう。今日が満月に違いないって」
「もしかしたら、昨日よりも欠けてるかもよ?」
 悪戯っぽく言うリラに、シノンは「う」と言葉をつまらせる。月は満ちていった後に、欠けていく。昨日見た月が満月後の月ならば、今日は更にかけている月が空に浮かぶ事となる。
「……大丈夫。今日が満月」
「本当?」
「うん。あたしの勘はよく当たるんだから!」
 力いっぱい言うシノンに、リラはにっこりと笑いながら「そうだね」と頷く。シノンもそれを見て「でしょ?」と言って笑った。
「そうと決まれば、今日はお月見ね。孤児院の庭でいい?」
「勿論。じゃあ、私はお月見団子とか持っていくね」
「あたしはいつも通り、ホットチャイを作って待ってる」
 シノンとリラは顔を見合わせ、にっこりと笑う。
 孤児院にある小さな庭で、シノンの作った極上のホットチャイを飲んで、リラの作った美味しいお月見団子をつまみながら、空にぽっかりと浮かぶ真ん丸の月を見る。
 なんて素敵な計画なのだろうか、と。
 シノンは「それじゃ」と言って立ち上がり、カップに残っていたアップルティを飲み干す。
「今晩、待ってる」
「うん、待ってて」
 再び二人は顔を見合わせ、にっこりと笑い合う。シノンは手を振りながら四阿を後にし、商店街へと向かっていった。ホットチャイの材料を購入する為だ。
 一方、リラも四阿の店番を早々に任せ、お月見の準備に取り掛かるのであった。


 孤児院の小さな庭にある小さなテーブルの上には、山に盛られた月見団子やクッキー、それに湯気が立ち上っているカップに入ったホットチャイが置かれていた。残念ながら空は薄暗く、お月見と言う雰囲気ではない。
 どちらかといえば、夜のお茶会。
 シノンとリラは薄暗い空を見つめた後、顔を見合わせて苦笑する。
「雲がかかってるね」
「その内晴れそうなんだけどね。……それまで、クッキーでも食べて待っていよう」
 リラがそう言ってクッキーの皿を差し出すと、シノンはクッキーを一枚取りながらじっと見つめた。
「クッキー、何味がある?」
「チョコチップと、ジンジャーと、クルミ。涼しいから、ようやくチョコチップ解禁なんだ」
「あ、そっか。夏だったら、チョコって溶けちゃうもんね」
「そうそう。調子に乗って、一杯作っちゃった」
 リラはそう言って、机の上を見る。シノンもつられてそちらを見、量を確認する。山に盛られた月見団子に負けぬくらい、クッキーも積み重ねられていた。
「リラ、作りすぎ」
「うん、作りすぎちゃった」
 失敗失敗、と言いながら笑うリラに、シノンも「実は」と口を開く。
「あたしも、作りすぎちゃったんだよね」
 そう言いながら、どん、と大きなポットを取り出す。中にはホットチャイがたっぷり入っている。
「やだ、シノンも作りすぎ」
「あたしら二人とも、作りすぎ!」
 顔を見合わせ、くすくすと笑い合った。
「あまったら、孤児院の皆にあげればいいよね」
「うん。その為に作ったと思ったら、ばっちりじゃない」
 リラはそう言い「そうだ」と言いながらバスケットを開ける。その中から二枚のショールを取り出し、一枚をシノンに手渡した。
「風邪引いちゃいけないから、使って」
「綺麗」
 シノンは薄暗い光の中、ショールを見つめる。透き通るような若々しい緑色だった。
「私のとおそろいなの」
 リラはそう言い、自らのショールを見せる。穏やかな柔らかい薄いライラック色だ。
「これ、どうしたの?」
「この色を見たとき、シノンと私みたいだなって思ったんだ。だから、ついつい買っちゃった」
「凄い。リラ、有難う!」
 シノンはそう言い、早速ショールをまとう。ふわりと包まると、優しいぬくもりを感じられた。
 リラもそれを見て自らもショールをまとう。
「あたし達、照る照る坊主みたいかな?」
 シノンがそう言うと、リラは自らの格好とシノンの格好を見て笑う。
「うん。丁度いいんじゃないかな?」
 そう、笑い合いながら話していると、不意に空が明るくなってきた。
 今まで雲に包まれていた月が、じわじわとその姿を顕わにしてきたのだ。
「うわぁ」
「わあ」
 高く、黒い空。ぽつぽつと輝く星達。
 そして何より、真ん丸に輝く真っ白な月。
 月は、シノンの言ったとおり満月であった。きらきらと輝く星達に囲まれ、より一層明るく、美しく、真っ白に光り輝いていた。真ん丸の月は毅然と空に浮かび、リラとシノンたちに優しい光を注ぐ。
 二人は言葉を忘れ、ただただ空に見入った。言葉も、時間も、ほんのちょっぴり肌寒い空気も。全てが月光の下に溶けていった。
 しばらくし、シノンはそっと立ち上がる。そうして、ショールを纏ったままふわりと風に乗って宙を浮いた。
「リラ」
 呼ばれたリラがシノンの方を見ると、シノンはそっと手を伸ばした。リラはにこっと笑ってその手を取る。二人は確認するかのように、ぎゅっと手を繋いだ。
 ふわり、と二人の体が宙に浮いた。風に乗り、地上よりも寒さが増す夜空へと歩いていく。ふわふわとショールが風に揺れると顔を見合わせ、くすくすと笑い合った。最初は時折リラがバランスを崩す事もあったが、その度にシノンが支えてやった。だんだん慣れてくると、二人はどちらともなく走り出していた。
 空へ、星へ、月へと向かって翔けていた。
「月までは、届かないかな」
 ぽつりとシノンが漏らす。
「届かないけど、月と同じ気持ちにはなってるかも」
 リラが答えると、シノンが小首を傾げる。リラは微笑みながら、シノンと手を繋いでいない方の手で上下をゆっくりと指差した。
 空の星。広がる星達の光が輝いている。
 地上の光。エルザードの街並みが、光を放っている。空を鏡で映したかのようだ。
 まるで星達の光の中にいるのだと錯覚せんばかりの、光の世界。上も、下も、光で溢れている。
 そんな中、リラとシノンは二人で手を繋いでいる。
 二人ともその美しい風景に見入り、笑い合った。自分達も星の一つになったような、または月と同じ立場になったような、そんな気持ちになった。
 上下の光に包まれ、月へと向かって再び歩き始めた。
「綺麗だね、シノン」
「うん。空中散歩、悪くないでしょ?」
「悪くないなんてもんじゃないよ。最高」
 リラの言葉に、シノンは「良かった」と言って笑う。
「あたし、今まで何度も月を見てきたけど。今日の月はきっと忘れないと思う」
 シノンはそう言い、リラを見て笑う。リラもこっくりと頷き、笑う。
「私も。こんなに素敵な月夜飛行して、忘れるはずがないよ」
「それもそっか」
「そうだよ。忘れるわけないよ」
 二人は顔を見合わせ、くすくすと笑った。光たちに囲まれて翔けた事を、上下の光に包まれた事を、どうして忘れる事ができようか。
 隣に、大事な友達がいるというのに。
「リラと一緒に見れて、良かったな」
「私も。シノンと一緒に見れて、本当に良かった」
 二人で再び顔を見合わせ、今一度月を見た。
 真ん丸で白く、地上と空で輝く星達に囲まれ、毅然と光を放つ月を。
 その光に包まれながら、リラとシノンはぎゅっと手を握り合った。そうする事によって、この素晴らしいお月見を心の中にしっかりと焼き付けられるかのようであった。


<月に近づき光に包まれ・了>