<東京怪談ノベル(シングル)>
Magic or miracle box.
一言で言うならば、それは白い『箱』だった。寧ろ『箱』以上に相応しい言葉が見つからないくらいの、『箱』だった。
大きさは両手で抱えて持ち上げられるくらいで、見た目よりもかなり重い。ぐるりと数字が並んだダイヤルのようなものがついていて、黒い枠で囲まれた扉の下には、クッキーやケーキやグラタンやパンやミルクなど、色々な絵が描かれたボタンが並んでいて、『強』とか『弱』とか『あたため』とか『グリル』とか書かれたボタンがあって、扉の中は外からでも覗けるようになっていて、扉の中に丸いお皿が置かれた空間があったりもしたけれど──それはどこからどう見ても『箱』だった。
「な、何でしょう、これは……押し花の栞作り機、でしょうか……」
そしてその『箱』の前で、一人難しい顔をしてしゃがみ込んでいる少女こそ、この『箱』を発見したニアル・T・ホープティーである。天気が良いのでお弁当を携えて、近くの森まで散歩に出てきたのだが、ぶらぶらとさ迷っていたら道端に落ちていたのだ。まるで異世界が降ってきたかのように、辺りには他にも割れたお皿やらナイフにフォークなどの食器、蓋にゴムがくっついたもっと大きな箱なども落ちていたのだが、辛うじて動きそうなのはこの『箱』だけのようだった。
「それとも、何かを召喚する道具……? あっ、もしかして、これがスイッチでしょうか? 強いものを呼び出したいのですっ」
ぺたぺたと触ったり、コンコンと叩いたり、そうするだけではぴくりとも動かない。ニアルはあれだろうか、これだろうかと、『箱』の正体について考えながら、試しに伸ばした手で『強』のボタンを押してから、ダイヤルのようなものを適当に捻ってみることにした。準備完了と言わんばかりに『スタート』ボタンに手を伸ばす。
すると──
ぴっ。
「わわ、わあああああっ」
高い音が一つ鳴ったかと思えば、ニアルの目の前で、扉の中がぼうっとオレンジ色に輝き、丸くて白いお皿が奇妙な音を立ててぐるぐると回り始めた──端的に言えば、動いたのである。
「動きました、動きましたっ!」
これは何かが出てくるに違いない。火の精霊だろうか、光の精霊だろうか──そんな確信と期待と共に、ニアルはじっと回るお皿を見つめた。
時間にして、わずか数分。
ちーん。
景気のいい音が鳴り響くと同時に、お皿は止まり、灯りも消えてしまった。
それ以上のことは、何も起こらない。少なくとも表面上は、何も変化が起こっていないように見える。
ニアルはそっと扉を開けてみた。すると中からもわん、と、熱を帯びた風が流れてきたような気がしたのだ。
スイッチを動かす前と後で、明らかに何らかの変化が起こっている。
「しょ、召喚成功でしょうかっ!」
しかし、やはりそれだけで、しばらくすると扉の中の熱も収まったようだった。
「むむ、精霊さんはお腹が空いているから出てきてくれないんですね〜っ。ならば、これでどうです!」
ニアルはお弁当の入ったバスケットを開けると、中からサンドイッチを一つ取り出して、丸皿の真ん中にそっと置いてみた。もちろん、それだけでは何の変化もない。扉を閉めて、今度は『あたため』とかかれたボタンを押してみる。
ぴっ。
先程と同じ、召喚開始を告げる──とニアルは思っている──音が鳴った。扉の中がオレンジ色に輝き、お皿と一緒にサンドイッチもゆっくりと回る。先程と全く同じだ。
何が出てくるのだろうと、ニアルは期待に胸を膨らませながらひたすら待った。
そして──
ちーん。
「あれ〜……?」
音も灯りが消えるのも同じなのに、やはり何かが召喚されたという気配は全くない。顔中に疑問符をくっつけながら、ニアルは扉を開けて、サンドイッチに手を伸ばす。
「──ああっ!」
触ってみればその変化は言葉にするまでもなく明らかで、ニアルは両手で何かとても大きな宝石の原石でも見つけたかのように、サンドイッチをそっと持ち上げた。
「あったかいです、あったかいです〜!」
サンドイッチが、ほかほかになっていたのだ。
「こ、これは……」
ニアルはどきどきしながらサンドイッチを一口食べてみた。外のパンだけでなく中の具までしっかりとあたたまっていて、まるで魔法のスパイスでもかかったかのような美味しさだった。
「これはきっと、火と風の精霊の力が宿っているに違いありませんっ」
ボタン一つで物をあたためてしまうなんて、どんな魔法の力だろう。よほど強力な精霊の力が宿っているのだろうか。これは早速、持ち帰って色々と調べてみなければ──
「うう、でも、少し重いです〜……」
しかし、とにかく重い。ニアルは何とかして持ち帰ろうと試みたが、持ち上げることすら出来なかった。
「これは、本格的に調べてみる必要がありそうですっ!」
そうと決まれば話は早いと言わんばかりに、ニアルは来た道をぱたぱたと走って戻っていく。
※
後日──彼女が持ち帰った『火と風の精霊の力が宿っている箱』は、思いの他好評を博することになった。
寒くなってくるこの時期に、ミルクをすぐにあたためられる不思議な『箱』がやってきたという噂が、エルザードの都に広がったのである。
その噂を聞きつけたらしい、とある酒場の片隅に『箱』は置かれ──もちろん、ニアルがいなければ動かすことができないので、彼女も臨時で雇われることになり──
見た目の珍しさもあってか客足が途絶えることはなく、ニアルは『箱』だけでなく臨時収入というおまけまで手に入れたのであった。
Fin.
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