<東京怪談ノベル(シングル)>
『愛は風に乗って‥‥』
作業台の上に並べられた道具達が静かに命を吹き込まれるのを待っている。
材料は全て揃った。
ウォールナットの上級素材。磨かれた純粋無垢な輝きを放つ銀に、無骨だが確かな仕事を約束してくれる鉄の櫛歯。
小さな螺子、針の一本までがやわらかい朝日の中、呼吸しながら自分を見つめているようだ、とスラッシュは思う。
頭の中にイメージは纏まった。
後は、この手でそれを形にするだけ。
「さて、始めようか」
自分以外にその呟きを聞くものはいない。
だが道具達の微かな返事を確かに耳にして、彼は最初の工具を握り締めた。
彼女が依頼に来たのは数日前のことだ。
「私、好きな人がいるんです」
心から幸せそうな笑顔でそう言った。
仕事中の彼も思わず手を止めて魅入ってしまう程のそれは、眩しい笑顔で。
「彼とはお付き合いを始めて、けっこう長くて‥‥そして、この間‥‥あの‥‥プロポーズを‥‥」
「それは‥‥おめでとう」
スラッシュの祝福に、彼女は赤く染まった頬を、さらに朱へと上気させる。
その様子に、思わずスラッシュの頬も緩んだ。
11月だというのに、室温はまるで真夏のようだ。
「ありがとう‥‥ございます。それで‥‥あの、お願いがあって‥‥あの、オルゴールを作ってもらえませんか?」
「オルゴール?」
うちわのようにはためかせていた手が止まる。今までの話との脈絡が続かない気がして。
スラッシュの様子に気付いたのだろう。女性はあっ、という顔をしてから説明に入る。
「私達の住む村には昔から伝わるプロポーズの風習があるんです。『my name,your name‥‥私の名前を貴方に‥‥』って言うんですけど」
自分の名前を貴方に、貴方の名前を私に。そしてずっとお互いに名前を呼び合っていこう。
そんな思いを込めて、自分の名前の刻まれた品と一緒にその言葉を送るのが彼女の村のプロポーズの風習だと言う。
「私も、ずっと‥‥子供の頃からその風習に憧れていました。あの人は村の生まれじゃなかったんですけど、それを知って‥‥覚えてくれて‥‥そして‥‥」
これを贈ってくれたと彼女はそっと差し出す。
女性を掘り込んだメノウのカメオと、銀の指輪。
「それで、私もお返しのプレゼントを贈りたいんです。その為のオルゴールを作って頂けないでしょうか?」
なるほど、とスラッシュは頷いた。頷きはそのまま依頼を引き受ける肯定のものに変わって‥‥
「俺で良ければ喜んでお引き受けしましょう。どのようなデザインで、というリクエストはお在りですか?」
注文書と共に笑顔を彼女に差し出す。
「特にこうして欲しい、というのはありません。私も、楽しみにしたいから、曲目もデザインもお任せします。私の名前を、どこかに刻んでくださる事。条件はそれだけです」
「解りました。‥‥俺の全力を尽くさせてもらいます」
「ありがとうございます。お願いします」
そう言って彼女は帰っていった。
お世辞にも明るいとはいえない11月の機械工房に春のぬくもりを残して‥‥。
テーブルの上には、幾枚ものデッサンが散っている。
知らない者が見たら、恋人に見られたら誤解されるかもしれないほど幾枚もの、女性の笑顔、笑顔、笑顔。
スラッシュは、記憶に残る彼女の微笑を何枚も紙に写し取っていた。
そして、その絵を見ながら自分の中でイメージを作る。
彼女の笑顔が向けられる『あの人』はどんな人物だろうか。
二人はどんな出会いをして、どんな思い出を作ってきたのだろうか?
自分にできるのはあくまで想像する事だけだが、あんなに輝くような笑顔なのだ。
きっと、紛れも無く幸せな時間だった筈だ。
‥‥そしてそれはこれからも続いていくだろう。
チン!
指元で針が弾かれる。高い音が響いた。
ふと思考を指先に戻す。シリンダーが、ゆっくりと周り、音を紡いでいく。
静かに‥‥優しく、包み込むように‥‥。
スラッシュは微笑んだ。
まだ途中だが、材料たちはどうやら自分の気持ちに応えてくれている様だ。
彼女に幸せを贈りたいという自分の気持ちに。
‥‥職人は、人を直接幸せにする事はできない。
あくまで品物と言う形で、幸せになれる人々の背中を押し、幸せにする手助けをするだけだ。
それを虚しいと思うものに職人はできない。
人が喜ぶ事、幸せになる事。
その手伝いができることが、職人の幸せなのだから。
スラッシュはオルゴールを組み立てる。
丁寧に、丁寧に、心からの思いを込めて。
それから、暫くして彼女の元に小さな荷物が届いた。
「どうしたんだい? それ、楽しみにしていたものじゃないのかい?」
「あ‥‥、うん。そう‥‥なんだけど‥‥」
心配そうに声をかける『恋人』に彼女は浮かない顔を隠そうとはしなかった。
表の包装は解いた。白い布に包まれたままテーブルの上に乗っているのは紛れもない『箱』だった。
「ねえ、聞いていいかい? それは‥‥なに?」
彼に問われ、彼女は恥ずかしそうに下を向く。
「あのね‥‥オルゴールなの。貴方にあげる為の」
「僕に?」
「そう‥‥。プロポーズの返事。『my name,your name‥‥』」
彼の顔は嬉しそうに花咲く。
「本当かい? 僕の為に?」
「ええ。でも、これ、普通のボックスオルゴールみたいなの。私は、もっと豪華な彫刻の入ったものとかを想像してたのに。こう‥‥テーブルの上でくるくる回るやつとか」
だから、ちょっとがっかり。特別なものだから、特別なものにしたかった。と声に出さず言う、下を向いてしまった恋人の肩を彼はそっと抱いた。
「君が贈ってくれたものが特別でない訳が無い。一緒に開けてみよう。ね?」
そう励ます彼に頷いて彼女は白い布に手を伸ばす。
二人の手にめくられ、はらり、はがれた布。その下から現れたものに
「まあ!」「ほお、こいつは!」
二人は同時に声を上げた。それはさっきまでの暗いものではない。
輝く喜びの声。
「‥‥ステキ」
「ああ。素晴らしいよ」
思わず出たため息と共に心からの思いでその言葉は紡がれた。
目の前にあるのは確かに、シンプルなボックスタイプオルゴールだった。
箱もシンプルで形に奇をてらったところはない。
ただ、指先ほどの曇りも無く磨き上げられた木目。
そして施された彫刻は表面、側面、裏面まででしゃばらず、だが美しく、箱を飾っていた。
ずっと見つめていたいような安心感が、心安らがせるぬくもりがそこにある。
震える指先を感じながら彼女は箱の蓋に手を伸ばした。
「?」
後ろからそっと手が添えられる。
「一緒に開けよう。そして聞こう‥‥」
「‥‥ん」
頷いて二人でそっと箱の蓋を持ち上げる。
〜〜♪〜♪〜〜〜♪
水晶が鳴るような音が響いた。やわらかい、それでいて眩しい音。
耳元で囁くと同時に部屋中に美しい音楽が木霊するかのように高く、美しく鳴る。
しかも箱を開いて最初に現れたのは銀のプレートに刻まれた彼女の名と、蓋が開かれたと同時に持ち上げられたフレームの中の彼女の笑顔。
楽器や、機械に詳しいものならそのオルゴールの精緻さに驚くだろう。
彫刻の見事さ、仕事の確かさ。蓋の開閉と同時にフレームが飛び出す仕掛けの素晴らしさとか。
72弁3回転一曲のオルゴールなど探そうと思ってもそう有るものではないとか。
彼らは気付いてはいないだろうが、最高の技術で作られたオルゴールは箱を開けられてから一分、二分が過ぎてもまだ調べを奏で続けている。
これだけの精緻な作品はボックスタイプでないと収められないだろうときっと力を込めて解説してくれるに違いない。
だが、そんなことはどうでもいい。
‥‥音楽は止むことなく美しく、風に乗って二人を包んでくれる。
祝福の祈りと共に。
それだけで十分なのだ。
「素敵なプレゼントをありがとう‥‥」
彼の言葉と抱き寄せられたぬくもりに涙する彼女をオルゴールの中から見つめる『彼女』は心から幸せそうに微笑んでいた。
それから暫くの後。
スラッシュの工房に訪れた女性達は
「うわ〜。素敵〜♪」
一人残らずテーブルの上に飾られた『それ』を見つめ憧れの声を上げた。
純白のピローに置かれた純白の小さなブーケ。
花嫁からの贈り物だ。
報酬は受け取った。
だが何よりの報酬は
『ありがとうございました。幸せになります』
そう言ってくれた彼女の笑顔だと思う。
「これなあに?」「誰から貰ったの? 何があったの?」
開いた窓からそよぐ風が、カサ、とブーケを揺らし歌っていく。
スラッシュは答えず空を見て微笑んだ。
彼女の、いや、彼らの幸せを願って。
彼女に贈ったオルゴールの曲名を思い出し口ずさむ。
あの曲のタイトルを彼女は知っているだろうか?
『愛は風に乗って‥‥』
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