<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


秋の新酒祭り

 苦虫を噛み潰した顔でエスメラルダの前に現れたのは、タルファス。黒山羊亭に洋酒を卸している親父だ。
「あらタルファス。手ぶら?」
「悪いな。ちょっと手ぇかして貰いてぇんだ」
「新酒の為なら喜んで。よ?」
 この時期、タルファスはぶどう酒の新酒を黒山羊亭に運んでくる。
 収穫祭も終わり、丁度酒として出来る早飲みのぶどう酒である。
 縁起物としての新酒であるから、保存がきかない。年内に飲みきってしまうのが通例。早ければ、その日の内に消費され、酒の泡と消える。たいして美味しいモノでは無い。
 一種のイベントである。
 だが、その新酒から、何年も寝かせるぶどう酒の出来をあれこれ言い合うのが、新酒を毎年飲み続ける常連客や、それを毎年の行事として、代々続けているような家では、無くてはならない、ぶどう酒であった。
「崖崩れがあってな。いつもの道が通れねぇんだ」
 タルファスの言うには、馬車を引いて王都へと向かう一本道に、秋の長雨で脆くなった山肌から、土砂が雪崩れ込み、どうにも通れないというのだ。
「でな。足止め食ってる間に妖精が嗅ぎ付けやがってなぁ」
 頭をぱりぱりと掻くタルファスは、盛大に溜息を吐いた。
「新酒が、古酒になるのは嫌だろ?」
「そうねぇ。今年の新酒が飲みたいわ」
「ひと樽、囮にして、後の四十九樽は一端戻らせた。全部パーには出来ねぇからな」
「了解よ。道の土砂を撤去して、妖精さんに樽を触らせないように、運んでもらう人を捜せば良いのね?」
「頼む。そろそろしびれ切らすお得意さんも居るだろうから、俺ぁそっちに顔出しに行くからよ。後頼むわ」
「聞いた通りよ?何方かお願い出来ないかしら?」
 黒山羊亭を出て行くタルファスの後姿を見ながら、エスメラルダは酒場に座る常連客達に微笑んだ。
 もちろん、ぶどう樽が無事に着いたら、飲み放題をさせてもらうわ。と、付け加えるのも忘れなかった。

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「ごめんなさい。タルファス。まだ、何方もお見えではないの」
「ああ、しょうがない。そういう時もあるさ」
「困ったわね。もう少し遅い時間なら、誰か来るとは思うのだけれど」
「何とか、新酒を運ぶ算段を整えてみるよ。何時もなら、とうに届いている酒が無いんだ。先様は怒りはしないが、苛立ってはいてね」
「お疲れ様ね。無事葡萄酒が届いたら、美味しいモノを沢山ご馳走させていただくわ」
「おう。頼むよ…と、お嬢ちゃん、どうした?」
 葡萄の新酒を運ぶのに手間取っているエスメラルダとタルファスの前に、かわいらしい少女が現れた。
「あたし、ミルカって言うの」
 やわらかそうな羽根の耳に、すっと伸びた尾羽が真っ白な、羽耳族の少女だ。歌を歌う事を生業とする、歌姫であり、吟遊詩人でもあるミルカは、名立たる黒山羊亭で歌を歌う為にやって来たのだ。
まだ陽は高い。酒場が開くのは夕暮れ時であるが、先に下見をしようと覗きに来たのだ。
 そうして、その入り口で、話をしている女主人と、小柄な老人との会話を耳にしたのだ。
「お手伝い。したら、美味しいもの食べさせて貰えるの?」
 ミルカのふうわりと緩く編んだ銀色の三つ編みが、揺れる。
 陽の光を集めたかのような大きな金色の瞳が、楽しげに光って、エスメラルダを見た。可愛らしい少女に、エスメラルダもつられるように微笑んだ。
「もちろんよ。お願い…出来るかしら?」
「重いもの、持てないんだけど、いーい?」
「ああ、そりゃワシがやる。問題は、酒好きの妖精達なんでな」
 ミルカは、人魚が彫り込まれた、純白の竪琴を軽く爪弾いて笑う。彼女が手にしている竪琴は、セイレーンの聖獣装具だ。
「大丈夫」
 少女は、可愛らしくまた頷くと、にこりと微笑んだ。
「ふふ、もしこれが成功したらねえ、美味しいもの、いーっぱい食べたいなあ」
「もちろんよ。何が好きかしら?」
「何でも。山のトカゲさんも美味しいし、蜂の幼虫さんはものすごく甘くて大好き」
 可愛らしい少女が好きというには、何処か斜め上をいく食材ではあった。ミルカが思いついたのは、高タンパクの食材である。野山を駆け巡るサバイバルには、それらがとてもご馳走になる。選べるうちは、きちんと選んで食べる。
 しかし、選べないとなれば、口に入るものならば何でも美味しくいただくのがミルカでもあった。
 うん。と、頷くミルカに、エスメラルダが頷いた。
「ふふ。『何でも』好きなのね。たくさん、いろいろな料理を用意しておくわ。よろしくお願い出来るかしら」
「はーい」
「悪いな。じゃあよろしくな」



 もう秋風の中に、冷たい冬の風も混じる。山間の道。
 タルファス城砦から応援に来た男達が、足場を気にしつつ、土砂をを下の川へと投げ捨てる。
 今年の新酒は、気候も良く、とても甘く爽やかな出来になった。
 その噂は王都へと早々に届く。
 待ち侘びる人々へと、酒の作り手達は山道を急いでいた。
 どうやら、葡萄酒をビネガーに変えてしまう妖精達は、酒を持っていないと、出て来ないようである。麓の村の衆の手助けで、なんとか土砂は片付いていたが、あとひとつ。大きな岩が邪魔をしていた。その岩さえ砕ければ馬車は楽々と王都へと走れるだろう。
「貴腐妖精さんってゆう位だから、触った物は何でも朽ちさせることが出来るのよね、多分。じゃあ…もし、土砂がおいしーい葡萄にみえちゃったら、…妖精さんが近付いていって、道を邪魔する土砂を脆くさせちゃってくれたり、とか。そーゆーのって出来るのかしら?」
 むう。と、大岩を叩くミルカに、タルファスは、やってみるかと笑った。このまま、大岩と睨めっこしている時間がもったいない。急がないと、陽が暮れてしまうのだ。
 ミルカ達は、一か八かの賭けに出た。
 時間的に、そろそろ峠を越えなくては、酷い遅れになってしまうからだ。
 たくさんの葡萄酒を積んだ馬車が、大岩の前で、停止する。
「親父っ!」
 後方から、タルファスに声がかかる。
 その声に引かれるように、山を見たミルカは、小さな手のひらにのるぐらいの光の玉がふたつ、近寄ってくるのを見つけた。
 ちらちらと金色の粉を撒くように光るそれは、よく見ると、透明な昆虫の羽根を四枚持つ妖精達であった。
 ミルカがひとつ頷くと、葡萄職人達は一斉に、ミルカに渡された特殊な鉱物で出来ている耳栓をつけてうずくまる。
 小さく、たおやかな手が、真白き人魚を歌わせ始める。
 ミルカが竪琴の調べに乗せるのは、幻影の歌。
 その小さな体の何処から声が出ているのだろう。流石、歌姫。半端な声量では無かった。
 高く、低く響き渡るその歌声は、魅了を含む。大岩の前で歌う少女は、近寄ってくる貴腐妖精達が触れるか触れないかの寸での位置で、身を屈めた。
 幻影の歌は、大岩を芳香芳しい葡萄として妖精に見せていたのだ。
 金色の粉を撒きながら、妖精達は、岩に触れる。
 こっそりと、馬車まで戻るミルカを、タルファスが御者台に引き上げる。
「ありがとーおじーちゃん」
「おう。上手くいったみたいだな」
 触れられた場所の岩がまるで、砂のようにさらりと崩れた。
 さらさらと崩れていく岩めがけて、馬車は走る。
「いける、かしら?」
 ミルカが、歓声を上げる。
 ざあと、音を立てて崩れ去る岩の砂は、たいした障害にはならず、貴腐妖精は、突進してくる馬車に、はっと我に返ると、道を開ける様に飛び逃げる。
 馬車のいた場所には、五つの樽。
 五つもあれば、大丈夫だろうと、ミルカは、すっかり祖父と孫のようになったタルファスと笑い合う。
 走り去る、流れて行く今の時期の山の姿は、とても紅葉が綺麗だ。
 真っ赤に色をつける葉や、黄色く染まる木々。どちらかといえば、王都の近くは黄色く長い葉の紅葉が多い。場所柄であろうか。
 同じ黄色であっても、その色は様々なグラデーションを見せ、緑の常緑樹の中、所々に点在する僅かな赤い葉を引き立たせる。
「ふわー。綺麗な山だった」
「紅葉は、初めてか?」
「そうじゃないけど、この山のは、また、特別に綺麗」
 貴腐妖精の棲む山である。ミルカやタルファスが知る由も無かったが、それなりの加護のある山なのだ。時無しの土砂崩れが無ければ、妖精達は彷徨い出ては来なかったはずである。この山の結界の処理は、後々王都に委ねられる。
 馬車に揺られながら、ミルカの嬉しげな声がひときわ高く響いた。



 秋の黒山羊亭もメニューは盛り沢山だ。
 通常メニュー以外に、黒板に書かれた季節のメニューは、数種類の茸をふんだんに使い、ゴルゴンゾーラチーズがたっぷりかかった『きのこのリゾット』白葡萄酒の香りがふうわりと香る。ただ単に、ソテーしてあるだけなのだが、そのバターは毎朝農場から届けてもらう、出来立てのバターである。軽く塩胡椒した秋鮭は、バターが皮をぱりぱりに香ばしく焼き上がる。秋から冬にかけての定番であり、外せない『秋鮭のバターソテー』。王都は海が近い。毎朝、厨房の料理人が漁港まで足を運ぶ。何といっても外せないのが『牡蠣アラカルト』である。大きな一皿に盛られるのは、海のミルクたっぷりのふっくらとした生牡蠣。そして、かるく炙り、酢橘が搾られた炙り牡蠣。絞めには牡蠣フライがじゅうじゅうと油をはじいた衣に包まれて現れる。その他にも日替わりでジビエが楽しめる。兎、鴨、雉。エトセトラ。こっくりとした癖のある肉は、様々な野菜と共に焼かれたり、煮られたり。濃厚な特製ソースが肉の野性味を引き立たせる。
 通常メニューだとて、引けは取らない。
 『ソーセージのアラカルト』『季節のサラダ』『濃厚ポテトサラダ』『鳥の香辛料揚げ』『ポトフ』『日替わり魚介類のカルパッチョ』酒場故に、消費される酒の量の方が多いが、そのつまみも黒山羊亭の自慢のひとつではある。
 加えて、新酒に合わせた軽いチーズの盛り合わせに、ぱりぱりの歯ごたえのあるバケットに絡める、熱々のチーズフォンデュ。
「召し上がれ」
「いっただきまーす」
 新酒が振舞われ、乾杯の声が響き、いつもの黒山羊亭の心地よい喧騒が広がって行く。奏でられる音楽に、軽く身体に響く踊り子のステップ。
 後で、歌おうと、ミルカも思う。しかし、今は目の前の料理が先だ。熱々のフォンデュをぱくりと食べる。
「美味しいーっ」
 ミルカは、夜が更けるまで、沢山の皿に興じる事が出来たのだった。

 ここは、楽しくて、美味しい場所なのかもしれない。

















 ++ END ++















+++登場人物(この物語に登場した人物の一覧)+++

 3457:ミルカ(みるか) / 性別:女性 / 年齢:18歳 / 職業:歌姫・吟遊詩人



 NPC:エスメラルダ
 NPC:タルファス




+++ライター通信+++

 ミルカ様。この度は、ご参加下さいましてありがとうございました(^^ノ
 初めてのプレイングとありましたが、思うようなお話に仕上がりましたでしょうか。
 どきどきです。
 可愛らしいミルカ様に、この先、素敵な冒険や出会いがありますよう。
 
 また出会う機会がございましたら、どうぞよろしくお願い致します。
 気に入っていただければ、嬉しいです。