<クリスマス・聖なる夜の物語2006>


Wandering Wonder Night 〜聖なる夜の綺想曲〜


 ──もしも、たった一晩でも願いが叶うなら。
“あなた”は、何を願いますか?


「人がいっぱいいるよ、ソーレ、ルーナ」
 二頭のトナカイが引くそりの上から、星を散りばめた絨毯のような地上を見下ろしている少年がいた。
 今宵は聖なる夜。彼の『先輩』達が空を駆け巡り、世界中の子ども達に夢を届ける日。
 ──今日は、『彼ら』が、人と言葉を交わすことが許される、年に一度の特別な日。
 この日だけは何をしても──例えば少しくらい羽目を外してしまっても許される、彼らにとっては、そんな日。
 地上に生きる人々にとっては、さて、どのような日となるだろうか。
「ソーレ、ルーナ。──行こう」
 りん、と、小さな鈴の音が鳴り響く。トナカイ達はその声に応えるように、空を蹴って駆け出した。

 それは聖なる夜に紡がれた、ささやかな奇跡の物語。





 聖獣界ソーンにも、クリスマスという風習はあるらしい。広場に立つ大きなモミの木には、数々のオーナメントが飾られ、見ているだけで溜め息が出そうになる。また、街を彩る無数の光はあたかも空から降ってきた星を散りばめたようでもあって──行き交う人々はみな寄り添うようにして、静かに過ぎて行く夜を楽しんでいた。
 人魚の姿が彫りこまれた竪琴を手に、人の波の間を歩いていたその少女も、また同じように──
「──ストップ。ちょうどいいところに通りかかってくれたね」
 唐突にそう声をかけられて、ミルカは思わず立ち止まった。白い羽の耳を動かしながら視線を巡らせ、噴水の手前のベンチに腰掛けている一人の少年の姿を見つける。
「あたし?」
 それでも確かめるように首を傾げると、少年は大きく頷いた。
「そう、銀の星色の髪に、金の月色の瞳の、綺麗な白い羽の耳を持ってる、歌うたいの君」
 少年の言葉は、少女の姿をある意味的確に表現していたかもしれない。
「あたしが歌い手だって、よくわかったわね」
 ミルカは目を瞬かせて、少年の元へ歩み寄る。銀色の髪に、深い青の瞳の──どこにでもいそうな、十分に幼さの窺える少年だ。
「人を見る目には自信があるんだ。……なんてね、君の格好とその竪琴を見て、まさか歴戦の勇士だと思う人はいないでしょう?」
「ふふっ、確かにそうだわ」
 ミルカはフリルのついたスカートの裾をつまみ、その場でくるりと回って頭を下げた。風を孕んだスカートが、遊ぶようにふわりと舞う。
「それで、あたしにご用? 何かしら」
 少年は立ち上がると、胸に手を当てて頭を下げた。そのまま彼女の手を取ってその甲にくちづけてもおかしくないような、さりげなく気取った仕種を添えながら。
「その言葉を待っていたよ。僕の名前はユークリッド。正しくは──ユークリッド・ノーヴェ・フェルッチオ・グラツィエッラ・ファルコーネ。君の、名前は?」
 少年──ユークリッドは慣れた調子で、淀みなく己の名を紡ぐ。
「ずいぶんと長い名前なのねえ、まるで魔法の呪文みたい。あたしはミルカ。あなたの言うとおり、歌うたいよ」
「ミルカだね。さて、早速だけれど──僕の仕事を手伝ってほしいんだ、ミルカ。君はサンタクロースを知ってるかい?」
「知ってるわ。クリスマスの夜に、子ども達にプレゼントを届ける、赤い服を着たおじいさんでしょう?」
「そうそう。それなら話は早いね。僕はその見習いで、いずれはサンタクロースとして世界を飛び回ることになる……予定」
 歌うように交わされる言葉の節々に、互いの頷きが挟まる。ユークリッドは、さながら顎の下にたくわえられた豊かな髭を撫でるように手を動かしたが、やはりその辺りは『現役』には遠く及ばない。
「あなたが、サンタクロースになるの?」
 ミルカはぱちぱちと、これでもかというくらい大きく目を瞬かせて問いかけた。目の前の少年がいつかそう──白い髭をたくわえ、赤い服を着て、トナカイが引くそりに乗る『おじいさん』になるとは、さすがに想像できないらしい。
「ま、信じる信じないは君次第だし、僕がそうなるのはずっと先の話だけどね。今は、立派なサンタクロースになるための修行中ってところ。そして、今日は僕達がその成果を人の世界で試すことができる、年に一度の特別な日なんだ。で、仕事というわけ。──この一晩だけだけど、君の願いを叶えてあげる」
「……願い?」
 藪の中から槍、あるいはシャンパンのボトルからチェスの駒が出てきそうなほどに唐突だった。
「僕達にとって、『願いを叶える』というのは、願った人の望む物を創り上げることなんだ。サンタクロースからのクリスマスプレゼントは、その最たる物。まあ、僕達見習いが創った物は、まだそんなに力があるわけじゃないから、明日の朝には消えてしまう。だけど、この一晩だけは本物だよ。ちょっと自信、あるよ?」
 そう言って、ユークリッドは得意げに胸を張る。手に入れたばかりの自慢の玩具を、披露したくてたまらない──それこそ、子どものようだとミルカは思った。
「ふうん……ねえ、ほんっとーに、何でもお願い事、叶えてくれるの? 使い切れないくらいのお金が欲しい、とか、願っちゃっても大丈夫なの?」
 例えば金貨の海で泳いでみたいとか、そんな物欲的な願いも叶えてくれるのだろうか。スプーン一杯分くらいの期待を混ぜた問いかけに、しかし、ユークリッドは大事なことを思い出したように慌てて首を横に振った。
「……あ、ごめん、それはだめ。たくさん買い物をしても、明日の朝にはお金そのものが消えてしまうから。あとは、世界の王になるとか、後の世界に大きな影響を及ぼしてしまいそうなのもだめ。未来は見えないからこれもだめ。あくまでも僕は、サンタクロースの卵だもの。もっとこう、夢のあるお願いを期待しているというか」
「綺麗事ばかりじゃあ、世の中は生きていけないのよ。それならねえ……あたし、おいしーいご飯がたくさん食べたいなあ。これは大丈夫?」
「大丈夫だけど、太るんじゃないかな」
「……もう、オトメの言葉は最後まで聞かなきゃだめよう」
 禁句だったらしい。竪琴を抱きしめながら、ミルカは勢い良くユークリッドに詰め寄った。
「そうよ、本当に食べたら太っちゃうでしょう? オトメに、夜食は大敵なんだから。だから、ほんとのご飯じゃなくて、食べたっていう気分が味わえれば良いの」
「なるほどね。……で、本音は?」
 あまりにもあっさりと──あるいは鮮やかに切り返されて、『美味しいご飯』にうっとりと思いを馳せていたミルカの眼差しが現実に返るまでに、少々の時間が必要だった。金色の光を帯びる瞳が何度か瞬いて、心底感心したような頷きがそれに続く。
「あなた、さすが、未来のサンタクロースね。鋭いわ。……ふふ、そう、ほんとのほんとに叶えて欲しいのは、今日もみんなが笑顔でいられますように、ってこと。だってね、あたしの仕事はみんなを笑顔にすることなんだもの」
 ミルカは誇らしげな笑みを浮かべながら、手にしていた竪琴の弦を撫でるように爪弾いた。星がはじけたような旋律が、辺りに零れ落ちた。
「あなたが本当に願いを叶えてくれるなら、あたしの歌を。あたし、一生懸命歌うから──この尊い夜への祝詞を、みんなの元へ届けて欲しいの。あたしのお願いは、それだけよ。……ねえ、あなたはあたしのお願い、叶えてくれるかしら?」
 問い掛けに乗せる笑みは、まるで悪戯を思いついた子どものようで、頷いたユークリッドの顔に浮かぶ笑みもまた、その悪戯に便乗しようとしている子どもそのものだった。
「それじゃあ、ミルカ。君のその綺麗な羽根を一枚と、それから、旋律を少し、わけてもらうよ?」
 ユークリッドの手の中に、ミルカの耳の一部でもある白い羽根が一枚、握られていた。痛みのようなものは全くなく、始めから彼の手の中にあったかのようにさえ見えて──ミルカは思わず己の羽根を探ったが、やはり抜かれたという感覚はない。
「君と言葉を交わしたという、証にね」
 そして、ミルカの見ている目の前で、たった一枚の白い羽根が飴細工のように形を変えて練り上げられていく。白銀の光を纏ったそれは、やがて小さな翼を抱く細い横笛になった。
「さあ、ミルカ──君の歌を聞かせて?」
 スポットライトも幕もない、けれど彼女のステージがそこにあった。
 ──否、どこであっても竪琴の弦を一つ爪弾けば、そこが彼女にとっての歌うべき場所だった。

 聖なる夜に捧げる歌。尊いこの夜への、祝福の歌。
 雪のように静かに、星のように穏やかに。
 やわらかく澄んだ少女の歌声が、翼を手に入れて冬の夜空へと羽ばたいていく。

 ユークリッドは傍らで紡がれる歌に合わせるように、横笛を唇に当て、ふっと息を吹き込んだ。混じり気のない、透き通った高い音が奏でられ、ミルカの歌声と混ざり合う。

 形なき音が瞬くように輝いて、星の欠片が、空へと舞い上がった。

 人々が足を止め、少女の方へと振り返る。誰もがみな、耳朶をくすぐるその声に、そしてほのかな星の光を纏って見える少女の姿に、心の中に湧き上がるあたたかい気持ちをどんな言葉にすればいいのかわからないまま──穏やかな笑みを浮かべて彼女の歌に聞き入り、メロディーが織り成す世界に引き込まれていた。

 祈りを込めて、願いを託して。
 少女はただ、己の想いを言葉に代えて、歌う。歌い続ける。

 永遠にも似た、一瞬が駆け抜けた。
 歌の余韻が、尾を引いて流れていく。それすらもまた、星の欠片となって──

 その時、雪が降ってきたと、誰が空を示しただろう。
 一斉に空を見上げた人々の間に広がる喜びの顔は、はたして誰の仕業だろう。
 舞い始めた雪の花が、即席のステージに静かに幕を下ろす。割れんばかりの拍手は聖夜の歌姫に贈られる花束となり──ミルカはどこか晴れやかな笑顔で、歌を聴いてくれた人々に深く頭を下げた。


 ──その夜、多くの人々が夢の中で、銀の髪に白い羽根の耳を持つ、金色の瞳の歌うたいの少女が紡ぐ調べを聴いた。
 しかし、当の少女だけは、世界中のありとあらゆる『美味しいご飯』をお腹がいっぱいになるほど食べた、そんな夢を見たのだそうだ。

 それは聖なる夜に紡がれた、ささやかな奇跡の物語の一片。
 夢と幻想に満ちた夜を越えた朝、世界は天使の羽根が降り注いだかのように白く、そして星が降り積もったかのような銀色に染まっていたという。



Fin.


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
★   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ★
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

整理番号:3457
ミルカ * 女性 * 17歳(実年齢17歳)* 歌姫/吟遊詩人

NPC
ユークリッド * 男性 * 10歳(実年齢15歳)* サンタクロース見習い

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■         ライター通信          ■
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>ミルカさま
初めまして、この度はご依頼ありがとうございました。
もしかして、もしかしなくとも、ミルカ嬢の初ノベルでしょうかとどきどきしつつ…
実は初めて設定を拝見した瞬間から、ひそかに気になっておりましたというのは、どうぞここだけの話、で(笑)
なので、ご依頼頂けて本当に光栄でした。
イメージ通りに書けておりますでしょうか、そればかりが心配ですが、
それでも、少しでもお気に召して頂けましたら、とても嬉しく思います。

それでは、またお逢いする機会がございましたら、どうぞ宜しくお願い致します。