<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【俄か猟師の狂騒詩】−還らぬ君の墓標−

 天地に光が満ちていた。
 うっすらと白く薄雲を拭き流した蒼穹より溢れ落ちた光の雫は、色鮮やかに大地を染める恵みに触れてより深くその穏やかな色味を暖める。
 円熟を想わせる暖かな光に照らされて金色に輝く世界の中心に立ち、馨(3009)は鮮やかに最後の装いを凝らす木々を見上げた。
 茜に鬱金、蘇芳、梔子、黄櫨染――
 風にそよぐ光の加減、濃淡を織り交ぜて誇らしげに競い合うかの如く照り映える森の姿は、大地の慈しみを寿ぐ声無き賛歌にも思われて。地脈に心を通わせ、その意志を汲み取ることを生業とする地術師といえども、この僥倖に浴する機会は少ない。

 生まれ育った故郷。
 志を同じくする同胞と共に駆け抜けた、京の都。
 そして、流浪の果てに辿り着いた聖獣界。
 
 思えば、心に何の憂いも抱かず、のんびり紅葉を眺めたのはずいぶん久しぶりのコトであるような気がする。
 幼い頃は、大きくなるのに懸命で。――早く、大人になりたい。大切なものを失さずにすむように、強くあること。国を覆い尽くした動乱の中では、何よりもそれが優先。
 馨も他の子供たちと同様に、物心ついた頃より厳しく仕込まれた。代償を求めず、無心で天地の理を眺める余裕などどこにもなくて。それに疑問を抱く暇さえ与えられずに、戦場に散った朋輩も数多い。
 京の秋は燃え立つような紅葉の緋、ただ一色。
 千年の栄華を謳う古き都は、その栄光と同じ数だけ戦火を潜り、血と怨嗟に塗れた場所でもあった。――戦火、あるいは、血を想わせる赫い紅葉に、散りゆく生命の儚さを重ねてしまうのか、都の秋はどこか切なく禍々しい。
 鮮やかに染まった紅に、生き残った人々は、束の間、その道程を振り返り、志半ばで逝った朋友を想う。

 かさこそ、と。
 乾いた落ち葉をかき回す小さな音に耳をくすぐられ、馨は感傷を打ち切った。
 気配を動かさぬよう細心の注意を払い、ゆっくりと音の方へと視線を配る。馨のすぐ傍、三歩も離れていないところに、それはいた。
 ぽってり、と。いかにも柔らかさそうな銀灰色の毛皮に包まれたネズミにも似た小さな生き物。身の丈よりも大きな尻尾が、思わず笑み零すほど愛らしい。
 リスだと教えられたが、特徴のある尻尾の他は、馨の知っているそれとは少し違う。――こちらのリスはそうなのだろう。と、さほど悩まず、あっさり受け入れてしまうあたりに、この男の順応性の高さが現れていた。
 意を通じてみようかと逡巡し、その忙しない動きに馨は小さな吐息を落とす。
 森に満ちた祭りの季節に心を躍らせるのは何も人ばかりではなかったが、色鮮やかに装った秋の姿に目を奪われているのは人だけだ。
 豊かさが溢れる実りの時期はそう長くはない。すぐに、北風と氷雪を引き連れた厳しい季節がやってくる。気を抜くと容易く飢餓に閉じ込められる理は、《こちら》も馨のいた《あちら》の世界と大差なかった。――故に、彼らはとても忙しい。普段なら、寄り付きもしない人の気配にさえ気づかないほど。
 大地の精を通じて彼らと意を通わせるのはそれほど難しい技ではなかったが、一時の自己満足の為に、小さな森の民たちの貴重な時間を費やすのは気が引ける。そんな思いやりや慈しみの念をいだけるほど、この地は穏やかに息づいていた。
 忙しく動き回り、落ち葉の下から探し出した木の実を口いっぱいに頬張る姿を見るだけでも、十分、楽しく癒される。
 小さな先住者たちを驚かせぬよう注意しながら、馨はゆっくりと乾いた落ち葉の上に腰を下ろした。
 色づいた木立が誇らしげに貫く蒼穹は、どこまでも深く。見上げているのに、まるで覗き込んでいるのかのような錯覚を覚えて、慌てて大地についた両の手に力を込めて身体を支えた。
 ゆっくりと呼吸を整え、大地へと意識を溶かす。

■□

「今年は気候が良くて、森も豊かだ」

 のんびりと言ったのは、森番で。
 がっしりとした体格のよい初老の男は、挨拶に出向いた馨とリラに小さな籠を手渡して、そう言ったのだった。――植物の蔓をざっくりと編んで作った籠は、素朴でどこか懐かしい陽だまりと木の匂いがして、心の底がほんのりと暖かくなる。
 今年は例年に増して、天候に恵まれたのだと聞いた。

 ――豊作に恵まれた年は、冬が長い。

 誰の言葉か、ふとそんな言葉が思い浮かんだが、馨はそれを己の胸裡に留めおく。せっかくの祭の季節だ、水を挿すのは野暮というものだ。――少なくとも天はそれを乗り切るだけの糧を与えてくれているのだから。

「……皆、機嫌が良いで、応えてくれるモノがおるかもしれん」

 穏やかに満ちる大地の鼓動に身を浸したまま、馨はそっと瞼を開いて空を見上げる。
 薄く途切れた雲の紗をさらって駆ける風精の姿が見えた。
 ほんの一時、陽光が翳り、上天で飽和した光はまた雲井の隙間より溢れ出す。呼吸にも似た営みと、弛むことなく流れ行く者たちの中で、ここだけが取り残されているような……

 静かだと思う。

 太陽と大地の恩恵を寿ぐ祭の季節。地上で生きる者たちは皆一様に浮かれ、華やいでいるけれど。――大地は、そして、森に息づく精霊たちはとても静かだ。
 その静謐にひそやかな歪みを感じ、馨はそろりと伸ばした指先に力を込めて伺うように身を起こす。
 流転を嫌い、不変不動の宿命に縛られるのが、地の属性を抱くモノたちの常だけれども。それでも、地術師である馨の勘は、この沈黙を《徒ならぬもの》だと告げていた。
 天と地の理どおりに生を営み、地を潤し、森を育む。与えられた役割に誇りを持ち、正しく全うして尚、彼らはそれを愉しんではいない。……否、楽しんではいけないのだと自ら戒めているかのような。

「……何故…?」

 問いかけて、ふと森番の言葉を思い出した。
 彼はもう何度もその疑問を質してみたのだろう。そして、今も答えを得ることはできていないのだ。――閉ざしてしまえば巌のように口が重く、その意志を曲げぬのも、地に属する者たちの性質である。

「さて、と…」

 どうしたものかと呟いて、馨はのろのろと陽だまりの窪地から立ち上がった。
 あなぐま亭の夕食時までは、まだ少し時間がある。――沼地に住むネズミを食べるのだと聞かされて仰天したが、ここまで来て食わず嫌いもなにやら惜しい。
 このまま秋の陽だまりに座して、生き物たちの営みを暖かく眺めるだけでも十分満たされるだろうことも……

「――馨?」
「ん。大丈夫、すぐ戻ります」

 いくつもの誘惑は、名残惜しく後ろ髪を引いたけれども。彼は友人の問いたげな眸に微笑を返し、消えかけた小径へと足を踏み出した。

■□

 関わり合うのは難しい。
 あくまでも穏やかに平静を装う木立を眺めて、馨はちいさな吐息をひとつ。
 地術師は大地と意志を通じることでその力の片鱗を我が物とし、数々の奇跡を成すことができるが、それはごく表層のことで、大地の全てを理解しているワケではない。――寧ろ、知らぬコトの方が多いくらいだ。
 それは、風奏師、水操師も同じだろう。
 世界に満ちる精霊は召還者の呼びかけに応えて必要な力を貸してくれるが、それ以上のことはあまり語ろうとしないし、特に彼らの世界やその成り立ちについては聞かれても答えない。馨も、馨の師であった人も、伝説以上のコトは知らなかった。――探求を志した者は少なくないが、口承に残るその結末はどれも悲惨なものだ。
 知りたいと思う気持ちと、踏み込む境界を見極めんと模索する意志と。
 二律背反する想いに囚われて、この季節に尚、鮮やかな緑を湛えた小さな藪に気づくのが、一瞬、遅れた。
 絡み合うように繁茂する細い蔓に備わった鋭利な棘が、馨の手に刃を立てる。

「――痛…っ」

 反射的に振り払い、傷ついた指を含んだ口に、ほんのりと錆びた鉄の匂いが広がった。
 そこは遊歩道から僅かに外れた日当たりのよい小さく開けた場所で、馨を傷つけた小さな潅木はその中心にあり、ざわざわと不安げに身を寄せ合う。そこだけが妙に緊張していると感じるのは、気のせいだろうか。――まるで何かを抱え、守っているかのように。

「……荊垣の城みたいだね…」

 そんな異国のお伽噺を知ったのは、《こちら》に来てからのことで。話してくれたのは、馨と同様、《あちら》から流れ着いた友だった。
 自分の言葉に思わず笑声を零し、馨はその小さな潅木の前に膝をつく。
 話し掛けようとした馨の言葉を遮って、声は静寂を切り裂いた。

「あっちへ行って」

 風に紛れるほどに小さく、だが、明瞭に。
 驚きを顕わさぬよう注意深く周囲に気を配り、馨は茂みから少し離れた木の下で気難しげに顔をしかめた少女を見つける。
 言葉をかけられるまでその存在に気づかなかったことに、まず驚き。彼女の体が透けて見えることに二度、驚いた。そして、唐突に得心する。――馨自身、実物を見るのは初めてだったが、きっと間違いないだろう。
 その容貌が馨にとって好ましいものに映るのは、そういう性質のモノであるからだと聞かされていた。樹木に宿る精霊は、総じて温和で人に対して友好的なのだと。確かに、少女の綺麗な顔には馨を非難する色はあったが、それ以上の悪意は見当たらない。

「ああ、ごめん」

 微笑んで、馨はゆっくりと立ち上がる。
 あっさりと引き下がる様子を見せた馨に、少女は僅かに意外そうな顔をした。――自分はもっと聞き分けの悪い生き物に見えたのだろうか。そう思うと、なにやら愉快で。
 ふ、と。思いついて、馨はごくさりげなく歩調を落とし、こちらを睨める木霊を肩越しに伺う。

「ひとつ、聞いてもいいかい?」
 尋ねてみたいことは、沢山あった。
 だが。単なる興味本位で尋ねても、彼らが口を閉ざすであろうことは知っている。だから、既に手に入れた答えの種を芽吹かせるのだ。――真実の側面が異なる解釈をされていることは、いくらでもある。

「ここは誰のお墓なんだい?」

 ……ざわ…
 駆け抜けた不穏に、衝撃にも似た動揺が森を揺るがせる。
 馨自身、認識以上の意志がそこに働いていたコト、そして、生まれた波紋の大きさに驚いた。――あるいは、正解を手にしたのかもしれない。だが、さすがに手放しでそれを喜ぶ余裕はなかった。

「―――お墓…じゃ、ないわ…」

 地の底へと引き込まれるかのような重い沈黙の後で。
 木霊は、ぽつりと言葉を落とす。どこか途方にくれた様子は、彼女自身がそれを認められないでいるせいなのだと、漠然と悟った。

 ――墓ではない。

 だが、幾重にも重なり合った荊の檻がその懐で隠し、護っていたのは……自然にはありえぬ形に切り出された大理石の碑……誰かの墓標に違いない。
 古いものであるのは、すぐに判った。
 石も、大地も。黙して語ろうとはしなかったが、そこに降り積もった星霜が10年、20年では済まぬことくらい、馨にも容易く読み取れる。

「……墓じゃないの…」

 ここには、誰も眠っていない。
 そういうコトなのだろうと理解した。そして、妙だなと思う。
 弔うべき縁を亡くしたままでの消失を受け入れられぬ者は少なくない。――戦災と天災の続いた《あちら》の世界では、胸を痛める機会も多かった。
 ただ、
 それはあくまでも、人の話で――

 生きとし生けるもの。その全ての礎となる大地は、死者が最後に還るべき場所である。
 喩え、立ち会うことは適わなくとも、戦場で離散した友の最後を詳細に知るコトができたのは、地精が馨に知らせてくれたからだった。そしてまた、地は無限に繋がっているものでもある。
 大地の眷属たる彼らが、死すべき宿を持つ者の消息を諮れずにいる。――そんなことは、万にひとつもありえない。
 そのあり得ないコトが、今、馨の眼前で起こっていた。


 昔々――
 この地を護る精霊たちは、誰かと契約を交わしたのだろう。
 契約の内容を知る術は馨にはなかったが……おそらく、この地に何かを強制する効力を持っていた。誰も気づかぬ程に些細で微弱な、歪められても大綱に影響を及ぼさぬ程度の小さな約束。
そして、その契約期限は、彼の者が天寿をまっとうするまで。――契約は正しく履行されて、現在に至る。
 彼の者が地に還るであろう時期が過ぎて、尚……


 僅かに夕暮れの金色を深めた空を見上げて、馨は溜めていた息を吐き出した。
 気づいた違和感の因は、ひとまず解けたのだろう。――が、謎は依然として残ったままだ。
 いつの間にか、木霊の姿は消えている。ちらり、と。その姿があった古樹の辺りに視線を飛ばし、精一杯の敬意をこめて軽く目礼を施した。
 何を問うても、彼らはもう応えてはくれないだろう。――きっと今でも喋りすぎたと後悔しているはずだから。
 淡く暮れなずんだ黄昏の景色に苦笑を零して、馨はゆっくりと歩きはじめた。
 出された皿に手をつけずに彼を待っていてくれるであろう心優しい友人をこれ以上、またせるワケにはいかない。

 このままの姿でも、ここは十分に美しく讃える価値のある場所だ。
 契約の内容も判らず、また、彼の一存で変えて良いものであるとも思えなかったから、きっとこのままで良いのだろう。
 無論、好奇心がまったく動かないと言えば、嘘になるけれども。だが、これ以上の手がかりはもう……
 ふと顔をあげると、燈が灯ったのだろう暖かな光が木々の間でちらちらと揺れているのが目についた。

「…………」

 しばし、考え。そして、彼はほんの少し歩調を速める。
 彼を森へと招きいれた森番は、見えない歪みに気づいている風だった。――日頃、森の中を歩いている狩人はどうだろう?
 尋ねてみる価値はありそうだ。足を怪我していると聞いたから、見舞いを兼ねて酒でも携え訪ねてみようか……あなぐま亭の女将に頼めば、美味い肴を用意してくれるかもしれない。
 そんなことを想い巡らせ、馨は知らず知らず唇の端にごく淡い笑みを浮かべる。

 楽しい夜が過ごせそうだ。
 ――ちらりと、そんなことを思った。