<東京怪談ノベル(シングル)>


『Warmth of a father』


 いつもと変わらない午後の明るい温かな日差しの中で、テーブルについて彼女が煎れてくれた紅茶と、野いちごのクッキーを食しながら私は、彼女が時折見る夢の話を聞いていた。
 静謐で神秘的な深い森の中に居るもうひとりの彼女、幼い頃のシェアトの話。
 彼女はそのもうひとりの自分の事を、ただの夢の中の話、と語っていたが、彼女自身は何かを感じているようだ。
 その証拠にいつもの彼女の歌を歌っているような声は大気に乗り、周りの草花をうっとりとさせてしまう程に澄んだ綺麗な物なのに、その夢の中のもうひとりの自分、幼いシェアトについて語る時は、その彼女の声はどこか物憂げで、寂しそうでさえある。草花はそんなシェアトを心配するように風に揺れている。
 そして、私も―――。
 私の耳朶をそっと愛撫する彼女の囁くような話し声は、私の心に彼女の感情を伝染させる。
 ―――それが思い出させる。過去の硝子の糸を目隠しで綱渡りしていたような頃の独りだった自分の未練染みた寂しさを。
 ああ、そうか。シェアトが語る幼いシェアトの内心を、夢の中の幻影だと割り切れずに、こんなにも共感して、共振し、息づく命の呼吸を聴く様に世界にその気配を探し、今すぐにでも逢いに行って、こんなにもこの腕で抱きしめたいと思うのは、
 ―――幼いシェアトが抱いている感情が、あの頃の私が抱いた感情と重なるからだ。



 独りの寂しさを知る者は、自分以外の他の誰かを、求めずにはいられない――――



 あの仲間たちと散り散りになり、
 独りになった私は、
 誰かにいつも自分の名前を呼ばれたかった。



「―――さん?」
 シェアトは銀色の髪を揺らして小首を傾げている。
 だから私も笑みを浮かべた。
 自分の抱く父親像にこれまでのどの時よりも近づけるように祈りながら。
 私は自分と同じだからこそ、こんなにもそのシェアトが夢に見る幼いシェアトの事を愛おしく思える。
 独りの哀しみを知っているからこそ、
 私は分け与えてあげたいのだ。
 温もりを。
 声を。
 感情を。
 父性愛を。
 それは今の仲間たちに抱く想いと一緒。
 こんなにも仲間たちを愛おしく想う。
 とても大切で、愛おしく、心配で、同じぐらいに信じる事ができる、誰かを―――その名前で呼ばせてくれる人たちを。
 本当は今すぐにでも探し出して、そうした物をプレゼントしてあげたいけど、だけどそれは無理だから、
 だからエルフ族に伝わる自然の神に私は祈ろう。
 風の神に祈ろう。
 せめて温もりだけでも運びたいから―――。
 私は、マントを外し、そっと指をそれから離す。
 風は神が私の祈りを汲み取ってくれた証を見せてくれるように美しい太陽の輝きが燦然とそこに存在するどこまでも青く高い広い空に私のマントを舞い上げてくれた。どこまでも飛んでいける翼を持つ鳥が空に羽ばたいているように。
 だから私はもう信じて疑わない。
 私のマントが、きっとどこかに居るシェアトが見る幼い頃のもうひとりのシェアトの下に届くのだと。
 風に運ばれていったマントからシェアトの顔に視線を戻すと、驚いた様に開かれていた青い瞳はしかし、優しくたおやかに細められて、銀色の髪に縁取られた美貌は嬉しそうに笑った。


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 おはよう。
 朝の挨拶。
 お別れの挨拶をした直ぐ後に私が口にした言葉。
 さようなら。
 お別れの挨拶。
 挨拶したのは私の知らない私。
 私が大きくなった私。
 私は大きくなった私にお別れの挨拶をして、
 眠りの海からゆっくりと浮上する。
 浮上した。
 瞼を開いて見たのは真っ暗な闇。
 ―――あれ?
 闇に満ちるは朝を謳うすずめさんの歌声なのに、
 なのに私の視界は真っ暗闇。
 なぁーにも見えないの。
 すずめさんはフクロウさんと交代?
 じゃあ、朝の光りの中で、今度はフクロウさんが、ほぉーほぉー、って、鳴くのかなー?
 サングラス、かけて。
 だって夜が大好きなフクロウさんは朝の光りが大嫌いだもの。
 ああ、でも私はやっぱり朝の光りの中で動くのが大好きなの。
 優しいお月様の明かりの下で、お星様の数を数えたり、お星様を結んで星座を見つけたり、私の星座を考えて作ったりするのも大好きだけど、でも太陽さんの明かりの下で、優しい世界の音色を聴きながら私も歌を歌うのが大好きなの。
 うん。大好き。
 大大大大大好きです。



 私は世界が好き。
 朝になって動き出す世界の音色を目覚ましにして、
 私も目を覚まして、
 目覚ましの音色を勤めてくれるすずめさんと一緒に私も朝を謳う歌を歌って、
 お昼には森さんが分けてくれる薬草さんを摘んで食べて、
 夜は静かになっていく世界さんのその呼吸に合わせて私も眠るの。
 お月様の明かりを浴びて、
 眠っていく世界さんに子守唄を歌ってあげて、
 お星様と遊んで。
 ―――そんな私の一日が大好きです。



 すずめさん。
 すずめさん。
 すずめさん。
 朝と夜を間違えていますよ。
 それとも本当にフクロウさんと交代してしまわれたのですか?
 私は朝の陽光の中で聴くすずめさんの歌声が大好きだったのです。
 だからすごく哀しいです。
 きゅん、と胸が切ない痛みを覚えて、
 それで、
 私は今度こそちゃんと起きました。
 どうやら眠りから起きる夢を見ていたようです。
 びっくりです。
 慌てちゃいました。
 そして夢だとわかって、本当に安心です。はい♪



 朝の明るい太陽さんの光は健在で、
 お空は青くって、
 世界には光りの帯が降りています。
 早朝の澄んだ、どこかお水の香りがする空気は少し肌に冷たくって、
 だけどそれがすごく気持ち良くって、
 私は立ち上がると、万歳して、背伸びしました。



 眠る時にいつも聴いているのは大地さんの鼓動。
 それはドクドクドクドク、って、すごく力強くって安心できる音。



 起き上がっている時に聴くのは風さんの歌。
 風さんの歌声に合わせて枝さんや葉っぱさんも楽しそうに音楽を奏でるの。



 ねえねえ、風さん、枝さん、葉っぱさん、私も一緒に歌を歌っていいですか?
 強い風が森を渡る。
 私の髪を、スカートをふわりと舞い上がらせる。
 ちょっと、風さん、えっち。
 でもそれは風さんからのお誘い。
 私の身体を撫でてくれた風さんの温もりは温かくって、
 風さんの香りはこの森さんの匂いに満ちていて、
 風さんが私の耳元で囁いてくれた歌声はとても優しい。
 だから私も歌うんです。
 風さんが誘ってくださいましたから。



「風さんに宿る力を借りて
 この森に住まう皆に
 感謝の歌を届けましょう
 感謝の祈りを捧げましょう

 生きる者の息吹を聴いて
 心がひとつとなった時
 この心の言霊を届けてくれる

 今日も命の歓びに誘われて
 この森に住まう
 たくさんの命と戯れましょう♪」



 祈るように胸の前で両手を組んで私は歌を歌いました。
 この森さんには誰も居ないけど、
 ここで歌うのは好きでした。
 この森という空間に私の歌が溶け込んでいくのが大好きだったんです。



「そうだ」
 この森さんにもお名前をつけようと想いました。
 どんなお名前が良いでしょう?
 私の名前はシェアト。
 私を守ってくれるお星様から頂いたお名前。
 そんな素敵なお名前を私もこの森さんにつけたいと想いました。
 とても優しくって、温かいお名前。
 そんな事を思った瞬間に、その名前は思い浮かんだんです。
「ワーゲンワルツ。森さん、森さん。森さんのお名前はワーゲンワルツの森でいいですか?」
 私がそう問うと、風さんが吹いて、森さんがとても壮大な音色を奏でてくれました。
 喜んでくれている、私にはそう思えたんです。




 ワーゲンワルツの森。
 森の魔女さんの物語。
 ある日、ワーゲンワルツの森に魔女さんから招待状が届きました。
 しかし村の皆はとても美しいけど、魔法を使う魔女さんを恐れて、誰も魔女さんのお城には遊びに行きませんでした。
 そしたら魔女さんは魔法の歌を歌って、村の皆をワーゲンワルツの森に閉じ込めてしまったのです。
 村の皆は怒って、魔女さんに文句を言いました。
 しかし魔女さんは歌を歌い続けるだけ。
 魔女さんはずっとずっと歌い続けました。
 そして村人たちは気付いたのです。
 魔女さんの歌声がとても綺麗で、優しい事に。
 でもずっと歌い続けていた魔女さんの声は枯れてしまい、もう二度と魔女さんは歌を歌えなくなりました。
 そして、村の皆が何故魔女さんがそんな事をしたのか不思議に想い、皆で話し合って、それで気付いたのです。
 ワーゲンワルツの森と、その森の加護を受けて暮らしていた自分たちは、いつの間にか病気にかかっていて、
 だけど魔女さんの歌声を聴いた事で、
 魔女さんが自分の声を対価とした治療魔法をかけてくれた事で、
 ワーゲンワルツの森と、自分たちは病気が治った事を。
 村の皆は泣きながら魔女さんに詫び、感謝しました。
 それから、ワーゲンワルツの森には歌が大好きだった魔女さんのために村人たちとワーゲンワルツの森が奏でる歌がいつも響くようになったのです。




 それは夢の中の私が旅の途中に聴いたお話。
 可愛らしい太陽のような娘に聞かせてあげたお話。
 夢の中の私はその娘と、とても心優しい魔女さんのために涙を流して、そして二人で一緒に風さんがワーゲンワルツの森に歌声を届けてくれる事を祈りながら歌を歌ったの。
 そんな心優しい夢の記憶の結晶の名前。
 ワーゲンワルツの森。
 私はこの森さんに、そのお名前を付けて、
 森さんも気にいってくださったようなのです。
 ワーゲンワルツの森。
 ワーゲンワルツの森。
 ワーゲンワルツの森。
 ワーゲンワルツの森さん。
 私は鳥さんのように両手を広げて、
 紅い紅いワーゲンワルツの森さんの中を走りました。
 樹さんの間を縫って、
 お花さんに挨拶をして、
 動物の皆さんとほほ笑みを交わして、
 この森さんはワーゲンワルツの森という名前なんですよ、って、報せたんです。



「日向ぼっこをしているうさぎさんと太陽さんがお話をしている時
 風さんが香りを運んでくれる時
 空さんから降りおちる雨さんが優しい音色を奏でる時
 眠っている皆を優しくお月様が見守ってくれている時
 そんな瞬間がワーゲンワルツの森にお花さんを咲かせてくれる
 心にそんな笑顔の花を咲かせて、皆で一緒に暮らしていきましょう♪」


 私は今まさに咲こうとしていたお花さんのために歌を歌いました。
 お名前を付けられたこの森さんが今、新しく生まれ変わった、そんな気がしましたから。



 歌を歌いながら私は紅い紅い葉を雨のように降らせるワーゲンワルツの森さんの中を歩き続けました。
 優しい落ち葉の雨に打たれながら歩くワーゲンワルツの森は、だけど少し肌寒くって、私はくしゃみをしてしまいました。
「はくしゅん」
 と、かわいらしくくしゃみをしたのに、
 私のくしゃみに驚いたように、
 または心配してくださったように、
 樹さんの枝さんが揺れたんです。
 それで私は気付きました。
 そこには一枚のブラウンのマントがあったんです。
 そしてマントさんはまるで私が気付いたからそうするように、ふわり、と、私の目の前に舞い降りてきてくれて、
 私は両手でそれを受け止めたんです。
 そのマントさんはとてもとても大きかったんです。
 そしてとてもとても良い匂いがしました。
 ほっと心安らぐようなそんな温かくって、力強くって、広くって、大きな、そんな香り。
 私は、マントさんを付けました。
 引きずっちゃわないようにマントさんを捲し上げて、両腕で抱きかかえながら、私はそうしてマントさんに同時に包まれたんです。
 それは本当にとても不思議な感覚でした。
 そっと誰かに両腕で抱かれて、守られているような、そんな安心感を抱くのです。
 とても私は温かでした。
 ほかほかでした。
 そして本当に幸せでした。
 温かいから、
 ほかほかだから、
 そして私を包み込んでくれるこのマントさんがお父さんの両腕のようだったから。


 お父さん、その言葉はふいに浮かんで、とても遠い、響きだったのですが、でも、このマントはどこか遠くに居る私のお父さんが私に届けてくれた温もり、そんな気がすごくして、
 そして私は私が今想ったそれは、そうに違いないと想ったんです。




「お父さんの、マント」
 私はお父さんのマントをぎゅっとしました。




「闇の僕たちが襲ってきても
 心に住まう青い鳥が守ってくれる
 だから私は心配はしない
 青い鳥を見失っても
 優しい精霊たちが青い鳥を呼び戻してくれる
 だから私は安心できる
 傷ついた翼を一緒に休めて
 回復した翼で一緒に羽ばたく朝を夢見て
 今は眠りに落ちましょう♪」



 樹さんの根っこさんが作ってくれた揺り篭の中で、
 私は温かくって大きくって、良い匂いがするお父さんのマントに包まれながら、樹さんの根っこさんにもたれて、夜を眠る皆の為に子守唄を歌いました。
 それがとても幸せなのはこのお父さんの腕に抱かれるように包まれるマントさんの温もりの中でそれが歌えた事なんです。
 樹さんの根っこさんはすごくごつごつとしていて、でもすごく温かくって、お父さん、っていう感じ。
 そんな想いがあるから、そんな想いを胸に、歌を歌ったから、
 私の身体を包んでくれるお父さんのマントさんの温もりから、優しさが伝染するように、
 どうか私の歌声もお父さんに伝わるように、
 そんな風に私は心から祈りました。


 ―――――――「おやすみなさい、お父さん」




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