<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


西の村と東の村

「川を挟んで、西の村と東の村があるんだ」
 と少年は、ルディアに説明していた。
「ずっと、川の所有権をめぐって争っていたんだ」
「ふたつの村で仲良く使おうとはしなかったのね……」
 ルディアが悲しそうに言う。少年は首を振った。
「川が……小さかった。だから、ふたつの村はどうしても自分の村で独占したかった」
「………」
「ある日」
 少年は伏せていた目を、急に上目遣いにして、
「西の村の少年がひとり殺された」
 ルディアが口を押さえる。
「西の村は『東の村のやつらの仕業だ!』と言い出して……今は戦争かという勢いで戦ってる」
「それじゃあ、君の依頼は……」
「ふたつの村の争いを止めてほしいんだ」
 少年は上目遣いのままルディアを見上げた。
「このままじゃ……村がふたつとも、滅んでしまうから」

     **********

 話を聞いていたのは五人――
 灰銀色の長い髪を持つ、アレスディア・ヴォルフリート。
 呪符を織り込んだ包帯で身を包む、千獣【せんじゅ】。
 葉巻をふかしながら椅子で足を組む、トゥルース・トゥース。
 獣人のがっしりした体格の男、ジェイドック・ハーヴェイ。
 自分の席で、何杯目か分からないカクテルを飲んでいた、ディーザ・カプリオーレ。

「まったく……おかしな話だ」
 最年長のトゥルースが、ウイスキーの杯を揺らしながらぼやいた。
「暖かい食事にありつけさえすれば良かったんだが……何だって俺の耳はこうも余計な話を拾ってくるんだろう」
 などと嘆いているのはジェイドックだ。
「じゃあお前さん降りるか?」
 トゥルースが言う。ジェイドックは肩をすくめて、
「今更だ」
 と諦め口調で言った。
 アレスディアが静かに口を開いた。
「……亡くなった少年の、死因を調べたい」
「ああ、それが一番重要だよね」
 ディーザがカクテルを干しながらうなずいた。
「だが、一ヶ月前だからなあ……」
 トゥルースが首筋をかいた。「その子供の死因を探るのぁ難しいか」
「………」
 千獣はしばらく何かを考えていた様子でじっと黙っていたが、
「……それ、でも……いい……遺体、を……見た、い」
「そうだな、千獣の鼻なら何かをかぎつけるかもしれない」
 トゥルースがその体に何匹もの獣を『飼う』千獣を見やる。
「……その子供の遺体は、土葬されてる」
 話をもたらした少年が、小さく言った。「もう腐り果ててると思う」
「白骨化しててもおかしくないね」
 ディーザがため息をついた。
「だが、それでも千獣の鼻は役に立つぞ」
「私もそう思う。――一度、墓参りに行ってみてはどうだろうか」
 千獣とは付き合いの長いトゥルースとアレスディアが交互に言う。
「のんきに墓参りしてられる状況にはないだろうがな、あちらさんは……」
 ぶっきらぼうにジェイドックがつぶやいた。

 五人の誰もが気にしたのは、「子供を殺したのは本当に東の村の者なのかどうか――」

「戦争のきっかけを作るために自分の村の一部を犠牲にする。……戦いを欲している者がよくやる手じゃねえか」
 少年の案内を受けて歩きながら、トゥルースがぼやいた。
「なーんか、気乗りしねえなあ……」
「貧困に喘ぎ……ただでさえ気が立っている村で、そんな丁寧に調査したとは思えないんだよね」
 と、ディーザ。
「本当に東の者が殺したのか? 西の者としては、殺人の疑惑が晴れなければ収まらないだろう」
「だからそれを私たちで調査しに行くしかないようだ」
 真顔のアレスディアが、ジェイドックに言った。

 五人の視界に、やがて細い細い川が見えてくる。
 とてもではないが、ふたつの村を生かせておけそうにないほど、水量の少ない川。
「おいおいおい」
 トゥルースが顔をしかめた。「この川をアテにして、ふたつも村を作ってるってのか? そりゃ村を作った時点で間違ってるぜ」
 ――普通、村を作るときには、水源があるところを選ぶものだ。
 だが、こんな細い川を水源にして村を作るなんて、考えた者の思考を疑ってしまう。
 少年がつぶやいた。
「昔は……大きかったんだ。ある干ばつに襲われて、ここまで細くなっちゃって」
「……やけに詳しいな、ぼうず」
 ジェイドックがちらりと先頭に立つ少年を見やる。
「訊きたいんだが……お前さんは、どっちの村の人間だ?」
「ぼくは……両方……」
「はあ?」
 ディーザがまぬけな声を出す。
 少年は背後の五人を振り返り、
「ぼくは……父さんが西、母さんが東の村の……。こんなことバレたら父さんも母さんもただじゃすまないから、三人で両方の村から離れて過ごしていたけど……」
「ご両親は?」
 アレスディアが尋ねる。少年は首を振った。
「死んじゃった……ふたつの村の戦争に巻き込まれて」
「―――」
「じゃ、行こう……」
 少年は再び五人に背を向けて先頭を歩き出す。
 五人は黙って、その小さな背中についていった。

     **********

「ものすごい緊張感だな……」
 ディーザが唇の端を吊らして皮肉気につぶやく。
 そこは西の村――『殺された』子供が土葬されているはずの村。
 今や誰もが殺気だって、やぐらを立てそこの見張り台から東の村を見張る人間が尽きることはなく。
「お墓へは裏道があるよ……」
 少年は囁いた。そして、誰の返事も聞かずに歩き出した。
 こうなったらついていくしかない。五人は、下手に物音を出さぬように少年を追った。
 やがてたどりついたのは――
 村の裏側、とでも言うべき場所にある、墓場だった。
「あれ……。あの小さなお墓……」
 少年が指差した先を見て、アレスディアが不愉快そうに顔をしかめた。
「……なんという粗末な墓だ」
 ――そう、それは粗末としか言いようのない墓だった。そこら辺から拾ってきたに違いない細い木の枝を十字に組み合わせただけ。
 それでも、その墓の前に花が置いてあるのは救いだったが。
「単純に考えるなら、遺体を見て怒り狂ったせいで、遺体自体をどうするかまでは頭が回らなかったってところだよね」
 ディーザが腕を組む。
「でも……大切、な、子供……」
 千獣は墓の横に膝をついた。
 そして、墓の周囲をくんくんと嗅ぎまわり始めた。
「どうだ千獣」
 トゥルースが葉巻を新しいものに取替えながら尋ねる。
 千獣はしばらく黙っていたが――
 やがて、困惑した顔を周囲に向けた。
「……腐っ、た、匂い……しない」
 残りの四人は、はあとため息をついた。
「やはり白骨化だな」
 ジェイドックが諦め口調で言ったとき、
 千獣がおもむろに、墓の土を掘り出した。
「せ、千獣殿! いくらなんでも、そこは人様のお墓――!」
「気に、なる、の」
 千獣は一心にそこを掘る。
「千獣殿……!」
 とめようとするアレスディアを、トゥルースが制した。
「待て。ここは千獣の勘を頼ろうぜ」
「しかし――」
「面白そうだね」
 ディーザが微苦笑する。
「ばちが当たっても俺ぁ知らねぇぜ」
 ジェイドックが腰に手を当てて深く息をついた。
 案内役だった少年だけは、何も言わず静かに千獣の行動を見守っていた。
 千獣の手は――
 やがて簡単に、何かに触れた。
「………。肉、の、感触……」
 その一言に、少年以外の四人が目を見張った。
「馬鹿な!」
 千獣はさらに土をかきだす。
 ――土気色に染まった、何かが出てきた。
 アレスディアがごくりとのどを鳴らす。
「ほ……んとう……に……」
「おいガキ」
 ジェイドックが案内役の少年の肩をつかんだ。
「この子供が殺されたってぇのは、本当に一ヶ月も前なのか」
 少年は真剣な顔でうなずく。
「マジかよ……」
「どんなまじないやら」
 ディーザがまじまじと、上半身が見えてきた子供の遺体を見つめる。
 千獣は少年の体に顔を寄せた。
「何をする気だ?」
 ジェイドックが訊く。
「遺体、の、……死ん、じゃった、原因……」
 千獣はつたない言葉で説明しようとする。「……例えば……獣の、牙、や、爪で、できた、傷、とか……毒の、ある、蛇……草、とか……」
「―――」
「そういう、ことが、わかれば……まず、人が、殺した、か、どうかが、わかる、し……」
「人以外の存在に殺された……」
 ディーザが興味深そうに唇を撫でた。
 千獣は続ける。
「傷を、負わせた、ものに、よって、は、この子、が、どこへ、行って、いたか、わかる、かも、しれない……」
「そうだな。東の村にしか存在しない毒草で殺されていれば東の村の可能性も高くなる」
 トゥルースがうなずく。「まあ、その場合は西の村の人間が東へ行って手に入れてくればいいだけなんだが」
 とにかく調査できるか? とトゥルースは千獣に頼んだ。
 千獣はうなずき、遺体の検分を始めた。
 と――
 そのとき。

 爆発音が、空気をゆるがせた。

「今日の戦いが始まった……」
 案内役の少年がつぶやく。
「――ちっ」
 トゥルースが葉巻を踏み潰し、「目の前で起こっちまうと胸糞悪ぃ。とりあえず沈静化させてくるか」
「私も行くよ」
「私も行かせていただきたい」
 女性陣ふたりが即座に返答する。
 苦笑して、ジェイドックも。
「俺も行くさ。……ったく」
 そして、
「俺としては、東の村の言い分を聞いてみたいんだ。東へ行ってもいいかねえ」
「ああ、それもありだな」
 トゥルースがうなずいた。「行ってこい」
「東に行くにはね……」
 案内役の少年が、川の上流を指差した。
「あっちからのほうが、入りやすいよ……」
「よし」
 そのままジェイドックは、少年の言うとおりに川の上流から東の村へと向かった。
「本当に……詳しいのだな、きみ――は――ええと」
 アレスディアが少年を呼ぼうとして、まだ名前を聞いていないことに気がついた。
「……名前は?」
 改めて訊く。すると少年はくすっと笑って、
「ぼくは……エスト。エストでいいよ……」
「……ということは本名が別にあるのか?」
「お父さんたちもこう呼んでたから、これでいいよ……」
 ――変な名乗り方だ、とアレスディアたちは思う。
 が、
「今はそれを気にしている場合じゃないね」
 爆発音。連発して聞こえる。
 人々の怒号が飛び交っている。
「行くよ!」
 ディーザが飛び出した。アレスディアがそれに続き、最後にトゥルースが、
「エスト。お前は千獣と一緒にいろよ」
 と念を押してから、女性たちの後を追った。

     **********

 千獣とエスト、ふたりきりになった墓地で。
 千獣がふと、遺体検分をやめた。
「………」
 顔をあげ、じっと見つめる相手はエスト。
「なあに、お姉ちゃん……」
 エストは微笑んで千獣の視線に応える。
「エス、ト……?」
「そうだよ」
「………」
 千獣は少年を見るのをやめた。そして黙々と遺体検分に戻る。
 遺体は服さえも、土を払えばそれなりに綺麗になった。
 その服のすそに、刺繍された言葉が一言――

 ――エスト。

     **********

 東の者は火薬に秀でているようだった。それによって、西の村のほとんどが焼けている。
「ったく、見たくねえ光景だ」
 ぶつぶつ言いながらジェイドックは東の村にたどりついた。
「誰だ!」
 若い村人がジェイドックの存在に気がついて鋭く声をあげる。
 火炎瓶を持って、今にもこちらに投げてきそうな気迫だ。
「待て」
 ジェイドックは両手をあげて敵意のないことを示し、
「俺はこの戦争が何で起きたのかを知りたくてやってきた傭兵――みたいなもんでよ」
「傭兵……?」
「いや違う、冒険者か。まあ何でもいい。ちょっとこのふたつの村の争いを見てらんねえもんだから、理由を聞きてえんだ」
 ジェイドックはできる限り下手へ下手へ回るようにする。
「俺たちの戦の理由だと……?」
 ふん、と火炎瓶を持った青年は鼻で笑った。
「あの西の馬鹿共が、俺たちの川を独り占めしようとしたからさ。俺たちの村を餓死させようとしやがったんだ」
「―――」
 ジェイドックはつまった。――まっさきに、殺された少年の話が出てくると思ったのに。
 だが、動揺している場合ではない。もう一度口を開いて、
「噂を聞いたんだが、西の村では子供が死んでるんだってな?」
「ああ?」
 青年は顔をしかめた。「そんなもん、この戦が起きてからは日常茶飯事だろうよ!」
「いや、この戦が始まるきっかけになった子供の死が――」
「んなもん知らねえよ」
 青年は吼えるように言った。「この戦いは西がしかけてきたんだ。西の野郎どもが、気がついたら村に侵入して女を殺していった! それだけだ」
「―――?」
 ジェイドックは混乱した。
 何だ、この話の違いは――?

     **********

 西の村は飛び道具が主な攻撃方法らしい。
 東から飛んでくる爆薬や火炎瓶を慣れた様子で抑え、逆に手作りらしい巨大投石器を使って石を飛ばす。
「おやめよ!」
 ディーザが叫んだ。
 同時に銃の引き金を引き、投石器の重要なネジの部分を破壊する。
「戦をやる前に、私たちに話をお聞かせ願いたい!」
 アレスディアが東から飛んできた火炎瓶を、ルーンアームで弾き返して川に叩き落とす。
「なんだぁおめえらは!」
 西の男が憤慨する。「俺たちの邪魔をしにきたってぇのか!」
「そうではない! ただ話をさせていただきたいのみ!」
 アレスディアがさらに声を張った。
 彼女の声量に、男たちが一瞬ひるむ。
 ディーザとアレスディアはやぐらの向こうを見た。
 ――細い川を挟んで、すぐ近く――同じ村と言ってもいいほどすぐ近くに、東の村がある。
「これほど近い村だというのに、協力できぬとは……っ」
 アレスディアが血が出るほどに唇を噛む。
「おい、兄さん」
 後からやってきたトゥルースが、壊れた投石器を何とか直そうとしている男に言った。
「この戦はこの西の子供が東に殺されたからだって聞いてるんだがね。そうなのか?」
「その通りだとも!」
 男は大仰なしぐさで嘆いた。「かわいそうな子供! 東にしか生えぬ毒草で殺されてしまった……!」
「そりゃあ、子供が東に行ったせいじゃねえのかい?」
「東には決して行くなと子供たちには教育してある。東の者が侵入したとしか思えん……!」
 男の目に涙が浮かぶ。
 トゥルースはがりがり頭をかきながら、
「……まぁ、なんだ。俺はお前さんらが争い合って双方滅んだって、別に構わねぇ。それはお前さんらの選択だ」
「なんだと……!」
「だがな!」
 大声で相手の言葉を遮って、トゥルースは続ける。
「俺が納得しかねてんのは子供のことなんだな。戦争だ何だと騒ぐのは結構だが、それは本当に子供の死を悼んでのことか?」
「当然のこと!」
 男は憤然とする。「これで東をつぶせなければ、あの子は永遠に報われん!」
 そうだそうだと、投石器に群がっていた男たちが一斉に声をあげる。
「待ちなよ」
 ディーザが銃を抜いたまま近寄ってきて、
「――ああ、別にいいがかりをつける気はないよ。決め付けてるわけじゃないから。ただね、証拠があるならそれを持って出るべき場所に出るのが筋じゃないかな?」
「出るべき場所……?」
 戸惑いが走った。
 ――聖都からも遠いこの村では、『出るべき場所』が分かりにくかったようだ。
「それをせずに、こうして東西の村で争いあっているのは、どうして?」
 ディーザは続ける。
「俺にゃあ日頃の鬱憤晴らす口実にされちまってるだけのように見える」
 トゥルースも続ける。
「罪があるなら、法の下に罰すべき」
 ディーザが西の男たちを見渡した。「今行われているのは、私闘」
「………」
「手前の命を鬱憤晴らしのきっかけにされちゃあ、子供が浮かばれねぇやな」
 と、トゥルースが葉巻を取り出して言ったそのとき――

 川の向こう側で、人の争う声が聞こえた。

「――だから俺たちは知らねえよ!」
「そんなはずはないだろう! 西が怒っているのはそのせいなんだぞ!」
 片方はジェイドック、もう片方はどうやら東の青年のようだ。
 ジェイドックにつかみかかられて、東の青年は火炎瓶を手に持って振り回したままわめいた。
「西の子供を手にかけてなんかいねえ! この戦は東が俺たちの村の女を殺したから始まったんだ!」
「―――!」
 トゥルースとディーザ、アレスディアがはっとその言葉に反応する。
「何だって……?」
「おい、ふざけるなよ東の!」
 西の投石器の男が、顔を真っ赤に染めて怒鳴った。「俺たちは女を殺してなんかいねぇ!」
 東の火炎瓶の青年が、きっとこちらをにらんで叫んできた。
「トゥーラを殺したのは西のやつらだ! 現にトゥーラは西にしか生えない毒草で死んでいた! それ以上の証拠があるか!」
「ならエストはどうなる! エストは東にしか生えない毒草で死んでいた! これ以上の証拠があるか!」
「待っ……」
 アレスディアが呆然となった。
「エスト……?」
 ディーザが訝しげにつぶやく。「それは、あの子の……」
「おいおい。話をややこしくしてくれるじゃねえか」
 トゥルースが、火をつけかけた葉巻をしまった。
 そして、呼んだ。
「千獣」
 ――いつの間にか、墓地にいたはずの千獣が――
 獣の翼を背にはためかせ、両方の村の中央――川の上空にすらりと立っていた。

「……あの、子供」
 千獣が、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「西の、墓地、の、子供。毒草、で、死んで、た」
「何の毒草か分かるか?」
 トゥルースが訊く。
「――クジャイラ」
 千獣がつぶやいた毒草の名前に、西の男たちは勝ち誇ったように胸を張る。
「クジャイラなど俺たちの村では生えん! やはり東だ!」
「千獣、そうなのか?」
 トゥルースが再度千獣に尋ねると、千獣はこくりとうなずいた。
「クジャイラ、は、こっち、の、村、じゃ……生えない」
 投石器の男たちがますます歓声をあげた。
 トゥルースが、
「うるせえ!」
 聖獣装具ロードハウルで一喝した。男たちが震え上がって黙り込む。
「それで千獣殿。他には何が分かりそうだろうか?」
 アレスディアが千獣を見上げる。
「というか、あの案内役の子供はどこへ行ったんだい」
 ディーザが辺りをきょろきょろしながら言った。
「………」
 千獣はしばらく黙った後、
「……エスト、なら……今、いない……」
 どこかへ行っちゃった……と彼女はつぶやいた。
「肝心なときに……」
 ディーザが舌打ちする。
 いや、とトゥルースは首を振った。
「肝心なときだから、いないのかもしれん」
 千獣が、
 川の上から、右へ、左へ、と両方の村を見つめた。
 そして、
「……飢え、に、渇き……それ、は、獣、にも、ある……」
 呪符を織り込んだ包帯で身を包んだ、背に獣の翼のある少女に囁かれて、両の村の住人たちは言葉をつまらせた。
「でも……獣、だって……苦しく、ても……群れで、殺し合いは、しない……」
 少女の囁きは、小さすぎる川のせせらぎのように切なく。
「辛い、から……苦しい、から……みんなで、がんばる……」
 そして川の水のように、必要不可欠な。
「人間は……? 人間、は……殺し、合うの……?」
「―――」
 東の村の青年が、火炎瓶を千獣に投げつけた。
 千獣はそれを軽く手で叩き落す。――水の中へ。
 そして、言いようもなく悲しい顔をした。
 東の青年は舌打ちをして、
「トゥーラの弔い合戦だ。負けるわけにはいかないんだよ」
「そのトゥーラってのは、一体誰なんだ」
 ジェイドックが青年の胸倉をつかんで問い詰める。
「トゥーラは東の女だ! 聖都へ数年間行ってはいたが、ちゃんと東に帰ってきた……!」
「――すっかり忘れそうになってたけどよ」
 トゥルースがつぶやいた。
「たしかおめえら、川の所有権でもめてたんだよな?」
 ぎく、と東と西両方の男たちが一斉にトゥルースを見た。
 ち、とトゥルースは舌打ちした。
「やっぱり目隠しか……おい西の」
「な、なんだ」
「子供の、仲間の死を真っ当に悼みもせず踏み台みてぇなきっかけにして、他人の血で染まった川を手に入れることが望みか?」
「そうだよ」
 ディーザが静かに口調を合わせる。「少年の死に、涙を流した人もいると思う。でも、今流されているのは貧困からくるやり切れない苦しみの血……」
「苦しみ、の、流れ……」
 千獣が川に足をひたした。
 冷たくて、心地よい透明な川の底に……たくさんの火炎瓶の破片や石、ゴミがつもっている。
「……ここの川、小さいよね。このまま血を流し続けて、真っ赤に染めちゃう?」
 ディーザが一歩前に進んだ。
「きっと、争いが終わっても、川は元に戻らないよ」
「―――っ!!」
 きっと、聞かされたくない言葉だったのだろう。青年が耳をおさえてうめいた。青年だけではない、東も西も、争っていた者たち全員。
 そう、誰もが。
 分かっていても、やめられなかった。
「たしかに、川の流れは小さい。しかし、本当に小さいのはあなた方の心の方ではないのかな?」
 アレスディアは追い討ちをかける。
「……凍てつく冬の、涸れる夏の厳しさは知っている。芽吹きの春になっても、実りの秋になっても十分な糧を得られぬ辛さも知っている……」
 何かを思い出すように遠い目をしながら、彼女は。
「だからこそ、手を取り合う大切さも、知っている」
 そして視線をやわらかく両村へと向けて、
「苦しいときこそ、手を取り合い協力すべきではないのかな?」
「他人の血で染まった川……それを手に入れるのが望みか? それがお前らの選択か?」
 トゥルースが再度、尋ねかける。
「――YESっていうんならよう、もう止めねぇ。好きに滅びな」
 言って、彼は手を振った。
「や――やめるわけには、いかないんだ」
 投石器に張り付いている西の男が、ぎりぎりと歯軋りした。「エストの敵を討つまでは……」
「……そのエストってやつのことがなあ、どーも……気にくわねえな……」
 どこにいる、とトゥルースは、どこに言うでもなく声をかけた。
「エスト。どこにいる」
「いるわけねぇだろうが!」
 西の男が怒声をあげた。「エストは死んだ! 帰ってくるわけがねえ!」
 ふとジェイドックが――
 東の村のほうから、声をかけてきた。
「俺が見る限りはよ、東も西も嘘をついてる感じはしねえんだよ」
 ジェイドックは東で聞き込みを始めたときから、ずっと話す相手の口調や表情から、裏がないか探り続けていた。
 彼の言葉は、その結果だ。
「いや、たしかに奥底にやっぱり川がほしいっていう気持ちがあんのだけは分かるんだけどよ。それ以外にはどうも……」
 千獣が――
 口を開いた。
「ねえ……争い、を、もう……やめて、くれる……?」
 ひとり、川に足先をひたしながら、
「こんな、に、綺麗な、水……血の、色に、染める……の……?」
「………」
「罪があるなら、許しを請えばいい」
 ジェイドックが、つかみあげたままの青年の顔をのぞきこむ。
「罪がないなら、その証を立てればいい」
 青年が青白い顔になって、がくがくと膝を震わせていた。
「そうすれば、少なくとも争い始めたきっかけは失われる。だがこのまま何もせず争い続ければ、その先にあるのは双方の滅びだけだ。それでいいのか?」
「……川はどのみち、我々双方を救ってはくれまい」
 東の村から――
 長老とでも言うべき人物が、のっそりと現れた。
「どちらかひとつの村の分しか、この川には容量がない……」
「………」
 トゥルースたちは反論できなかった。それほどに、川は枯れていたから。
「どうすればよかったというのか? 我々は我々の生きる道を求めて……争うしかなかった」
 とうとうと語られる、事実。
 そして長老は、ゆっくりとその事実を口にした。
「トゥーラは……西の村の男とかけおちした……」
「―――!」
「そして帰ってくるなり死んでしまった。……あの娘の腹には、子供がいたというのに」
 千獣が長老のほうを向き、言った。
「こっち……西、の、村、で、死んでた、子……誰。知ってる……?」
「知らぬ。それがクジャイラで死んでいたとしても」
「じゃあどこが間違っているんだい?」
 ディーザが両手を広げて嘆いた。「このままじゃ話がかみ合わない!」
 トゥルースが――
 何かに思い至ったように――
「……おい。トゥーラとかいう女は、かけおちして何年になるんだ」
「およそ十年」
 長老の即答に、ゆっくりとトゥルースはうなずいて、
「ガキひとり育つには……充分……だな……」
 ディーザにアレスディア、ジェイドックが、まさかとトゥルースを凝視する。
「登場人物がひとり足りない……トゥーラの夫がいねえ」
「父さんなら」
 どこからか、声がした。
「この村々を恨みながら死んでいったよ」
 低く低く、冷淡な声――
「エスト」
 トゥルースが呼ぶ。
 『エスト』と名乗った少年は、くすくすと笑った。
「ぼくの本当の名前……になるはずだったのは、オヴェストだよ。<オヴェスト>――西」
 そして<エスト>――東。
「もっともぼくは生まれてないから、名前がないけれどね」
「――トゥーラの腹の中にいた子か」
 長老が苦しそうにうめく。現れた少年の鋭い視線に射抜かれながら。
「父さんと母さんはね。どうにかして水源を得られないかって勉強しに、ふたりで聖都へ行ったんだ。その結果、地面を掘って地下水を見つけるしかないと考えた」
「地下水だと……?」
 西の投石器の男がうめく。
「その際に、掘るのに便利な爆薬の調合方法も手に入れた。その材料のひとつがクジャイラ」
 オヴェストは淡々と語っていく。「ふたりは聖都にいるうちにもうけたエストと三人で、意気揚々としてこの村に帰ってきた」
 ところが――
 西の村との本格的な争いに入りつつあった東の村の人間の警戒心は、並ではなかった。
 エストの母も知らないうちに、東の村は地雷が大量に埋め込まれていたのだ。
 気づいたときには遅かった。エストの父は地雷を踏んで死んだ。粉々に吹き飛んだ。
 トゥーラは嘆き悲しみ、そしてふたつの村を許さないと決めた。
 エストにはクジャイラを持たせ、西の村へ行くように導いた。西の村のほうが、みなしごには比較的寛容だったからだ。
 そして、トゥーラ自身は西の村にしか生えぬ毒草で――
 自らの死を、東の村に与えた。
 同じ頃、西の村で保護されたエストは、与えられていたクジャイラを自分で食べてしまった――
 トゥーラの死は自殺。エストの死は事故。
 しかし、原因は同じ。
 ――村々を呪った。その心は同じ。
「……悲しすぎる」
 アレスディアがつぶやいた。
「何ということを……」
「すべてはお前らの争いのせいだ」
 ジェイドックが青年を鋭い目で見た。
「村ひとつじゃねえ。その前に一家ひとつつぶしてやがんだ、お前さんらは」
 トゥルースが剣呑な口調で村人たちに言葉を浴びせる。
「もっともそこから起こった戦争で、いくつもの家庭が崩れただろうけどね」
 ディーザがふんと皮肉気に笑った。「これこそ呪いじゃないか」
 千獣が川に腰までつかって、胸に手を当てた。
 ぽろ……
 ぽろ ぽろ ぽろ……
 目からこぼれおちる雫を止めもせずに。
「悲、しい……」

 もう、やめて――

「……もういいんだ」
 オヴェストがつぶやいた。「争いはもういいから……」
 でなければ、死んだ父や母や兄が、いつまでたってもうかばれない。
 どうか安らかに眠らせて……
 ――東の村の、火炎瓶の青年が、だらりと腕を下ろした。
 肩の力がぬけている。うつむいて、
「……本当は、やめるきっかけがほしかった……」
 つぶやいた。
「それは甘えだな」
 ジェイドックが青年の横で腕組みをして、
「本気でやめる気があれば、自分でどうにかできたはずだ。甘えるな」
「………」
「その、通り……じゃの」
 長老が虚空を見つめた。

     **********

 地下水を掘る方法をさがしてみるよ――
 両の村は、そう約束した。
 ふたつの村の力を合わせて、さがしてみせる、と。
 それを聞いたオヴェストがようやく笑みを見せて、
「よかった……」
 そうつぶやくと、エストの遺体に吸い込まれるように消えていった。
 とたんに、エストの遺体は白骨化した
 五人の冒険者と、東西の村人たちは、手厚く少年をとむらった。
「あれは、オヴェストだったのか……それともエストだったのか……」
 誰かがつぶやいた。
 今となってはもう、どうでもいいこと。
 とあるふたりの研究者の子供が、争いをとめに想いを形にして現れた。それだけで充分だったから……。


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【2948/ジェイドック・ハーヴェイ/男/25歳/賞金稼ぎ】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3255/トゥルース・トゥース/男/38歳(実年齢999歳)/伝道師兼闇狩人】
【3482/ディーザ・カプリオーレ/女/20歳/銃士】

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■         ライター通信          ■
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トゥルース・トゥース様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回も依頼にご参加いただきありがとうございました。
少し後味の悪い話となってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
よろしければまたお会いできますよう……