<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


スリを捕まえろ

「お久しぶり……こんにちは」
 と黒山羊亭に、ゆっくり足を踏み入れてきた青年がいた。
「あら、クルスさん……いらっしゃい」
 踊り子エスメラルダが微笑みかけようとして――ふと、心配そうに青年を見つめる。
「疲れ果てている、といった風貌ね。どうなさったの?」
「薬作りに成功して……」
 エスメラルダにすすめられるままにカウンター席に座り、クルス・クロスエアは苦笑した。
「薬の実験台になってくれる人をさがしに来たんだけどね」
「あら、ちょっと怖い依頼ね」
 言ってエスメラルダは笑った。
「でも……なんでそんなに疲れているの?」
「まだ保存がきくようには作れてないんだ……出来立てを持ってきたから、徹夜連続のふらふら」
「あら、まあ」
 聞いて、エスメラルダはくすくすと笑った。
 と――
 そのとき、クルスの背中に、どんとぶつかった男がいた。
「あ、すみませんっ」
 男は慌てて謝り、「すみませんすみません、急いでいるものでっ」
 言うだけ言って黒山羊亭を出て行こうとする。
「待った」
 その男のジャケットを、クルスは引っ張った。
「今取ったものを返してくれないか」
 男は訝しそうにクルスを見て、
「何のことですか」
「………」
 クルスは無言で――
 男の足を引っ掛けた。
 男がたまらずこける。やけに重たそうだったジャケットから――ばさばさと財布が落ちてきた。
 エスメラルダが柳眉を寄せた。
「スリの常習犯……?」
「くそっ」
 男は毒づいて、そして瞬時に――姿を消した。
「瞬間移動!?」
 エスメラルダが驚きの声を出す。
 クルスは肩をすくめて、
「ちょうどいい実験台だ」
「え?」
「僕が今日持ってきた薬は、ふりかけた人間の特殊能力を一時的に消す、というものだから……」
 誰か、いないかな、とクルスは酒場を見回した。
「僕の代わりに、今のやつをさがして薬の実験をしてきてくれる人……」

     **********

「よお、クルス。久しぶりじゃねぇか……と思ったら」
 まっさきにクルスに声をかけたのは、葉巻をくわえた大柄な男だった。
「スリたぁねぇ……街に来て早々災難なこったが、どっちかってぇとスリよりそれを見破ったお前さんに感心だ」
 トゥルース・トゥース。彼はクルスと友人になってからけっこうな時間が経っている。
「同感」
 と、カランとグラスの中の氷の音を立てて揺らしながら、
「スリねぇ……どっちかっていうと、スリを見破ったそこのお兄さんの方が面白そうだけど」
 そんなことをのんきに言ったのは、金髪に赤い瞳をきらめかせた女、ディーザ・カプリオーレだった。
「クルス、は、精霊、の、森、の、守護者……」
 ディーザの横から、とととっとクルスに向かって走った少女がいた。長い黒髪に、ディーザよりも深い真紅の瞳をした千獣【せんじゅ】だ。
「クル、ス……怪我、なかった……?」
「ああ、大丈夫だよ千獣」
 クルスは優しい微笑で返す。
「んん? なにやら怪しい雰囲気ね、そこのふたり……」
 ディーザが興味深そうに千獣とクルスを見比べる。
「詮索はしないこった」
 にやにやしながらトゥルースが言う。
 ――ごほん、と咳払いの音がした。
「と、とにかく今はスリのことだ。人の懐より掏り取る盗人……見逃すわけにはいかぬ。もちろん、クルス殿のおっしゃることに協力するが……」
 長い灰銀色の髪をした、青い瞳の少女が、少しばかり困ったように眉根を寄せた。
 彼女の名はアレスディア・ヴォルフリート。片手に抱えていた、幾重もの刃を重ねたような形状の武器を取り出し、
「その前にいくつか確認させていただきたい、クルス殿」
「ああ、いいよ」
 クルスがアレスディアに向き直る。お世辞にも元気がよさそうには見えない青年に、遠慮がちにアレスディアは問うた。
「その薬、どれぐらいの時間もつ?」
「ああ、それはね」
 クルスは苦笑した。「まだ試作品だから、安定した力がないんだよ。相手の力が強ければその分効果が切れるのが早くなる。相手が弱ければ長く続く――そんなあいまいさだね」
 はっきりしなくて申し訳ない、と彼は頭をさげた。
「いや、頭を下げられることではない――」
 アレスディアが慌ててクルスに言った、その横で。
「……瞬間移動の能力の高さをはかるってのは、やはり一度にどれだけ遠くまでいけるかなのか……」
 ぶつぶつと独り言を言った大柄な男がひとり。
 ジェイドック・ハーヴェイ。獣人である彼は、ふとまわりから向けられた視線に気づいて慌てた。
「あ、いや、俺は――」
「ひょっとしてキミもこの捕り物に参加?」
 ディーザが尋ねる。
「……最近懐が寒いんだ」
 ジェイドックはぶすっとした顔でそう言った。「……今に始まったことじゃないが、ここのところついていない」
 それを聞いて、あはははは! と笑い出した人物がいた。
「そりゃ難儀だな。ちょうどいいじゃねえか、この捕り物に参加して、財布をついでにくすねちまえば」
「なんてことを言うんだお前さんは……」
 トゥルースが、はあと大きなため息をつく。
 とんでもないことを言い出した、襟首で髪をまとめた黒髪に金の瞳が映える青年――否『女性』は、片眉を跳ね上げる。
「いいじゃねえか。俺だって手間賃代わりにいくらかガメるつもりだしよ」
「堂々と言うことか……?」
「ユーア殿……」
 アレスディアまでががっくりと肩を落とす。
 ユーアは悪びれた様子もなく、グラスを傾けた。
「大物がいたもんだな」
 ジェイドックが情けない気分でそうもらすと、いつの間にかそんな彼の足にまとわりつくように、ひとりの少女がその場に現れていた。
「ん?――なんだ、お前も獣人か」
「ティナ。ティナも手伝う」
 何かの獣の皮でできた露出の多い装束、そして長い尻尾に耳。
 ティナと自分を呼んだ彼女は、早速床に散らばった財布に顔を近づけ、くんくん匂いをかぎ始めた。
「匂い。匂いで追う」
「私も……」
 クルスの傍らにいた千獣が、ティナと同じように財布の近くにしゃがみこんだ。
「この財布……貸して……財布、に、共、通……して、匂う、匂いが……きっと、スリの、匂い……」
「ティナと同じ」
 ティナが、うんとうなずく。千獣は少し苦笑して、
「……瞬、間、移動、されたら……匂い、途切れ、ちゃう、けど……一応、覚え、て、おく」
 そして彼女は財布をひとつひとつ顔に近づけ始めた。
 アレスディアは再びクルスに視線を戻す。
「クルス殿、もうひとつよいか?――その薬、私のルーンアームのように、味方の能力をおさえてしまうことは?」
「キミが弱かったら、ルーンアームも危険だったかもしれないけれどね」
 大丈夫だよ、とクルスはカウンターに頬杖をつきながら笑った。
「キミは稀代のルーンアームナイトだ。この薬程度じゃ能力は奪われないだろう」
 アレスディアは頬を赤らめて、
「そ、そんなことはないと思うが……」
 ともごもごと言った。照れているらしい。
「スリの常習犯なら、捕まえたら報奨金でも出るかもしれないな」
 ジェイドックは気を入れなおしたようだった。「よし。協力しよう――ひとつ提案なんだが」
「なんだ?」
 トゥルースが葉巻をくゆらせながら促す。
 ジェイドックは真顔で、
「薬は各人、掌に隠せる程度の小瓶に分けて持っていったほうがいいと思うんだが、どうだろう?」
「量が少ないと、効き目も薄れるんじゃないかい?」
 ディーザが椅子に座ったまま、足を組みなおす。
「そういった心配はないよ」
 とクルスが言った。「ほんの一滴でも相手に効くようにするのを目指した薬だからね……実際にはそこまできわめていないけれど――」
 言いながら、腰につけていた道具袋に手を入れる。
 取り出したのは、少し大きめの実験器具だった。中になみなみと薄水色の液体が入っている。
「ひとつ思ったんだがな、クルスよ」
 トゥルースがふと思いついたように、「なんでその薬の効果の端々を知ってるんだ?」
「ああ……。たまたまうちの森に来た他の冒険者二、三人ですでに実験してるから」
「お前さんもけっこう無茶だなあ……」
「薬作りにはそれなりに自信があるからね」
 エスメラルダは気を利かせて、すぐに店の奥に引っ込み、そしてしばらくしてから七つの小さな小瓶を持ってきた。
 クルスがそれに均等に薬を入れていく。
「今回は刃に物を言わすことはないだろうが……」
 アレスディアが口元に手を当てて思考にふけっていた。「まあ、例え抵抗にあったとしても、面と向かってしまえば負けぬ」
「お兄さんはお疲れみたいだし、捕まえに行っている間、ここで休んでた方がいいかもね」
 ディーザがようやくカクテルのおかわりをやめて、うんと伸びをした。ちらっと見た先はクルスである。
「お前さんはここでゆっくり休んどけ。じゃねえとこれが心配するぞ」
 トゥルースが、小瓶を渡してきたクルスに小指を立ててみせる。
「もうすでに心配させてる気がするんだけどね」
 クルスは苦笑した。
 床では千獣が、ティナとともに財布の整理をしている。
「やっこさんはこちらの顔を知っているのかね?」
 トゥルースが薬を手にしたまま、考えるように腕を組んだ。
「まさか酒場全員の顔を覚えているとは思えないけど」
 とディーザが立ち上がる。「……まあ、スリは相手を選ぶためにじっくりこの店にいた人間を見ていた可能性もあるし。うかつに手は出せないか」
「いちいち見てたとしても覚えてるとは思えねえが……まあ、とにかく」
「この町の地理を頭に叩き込んでおくのは基本」
 アレスディアが生真面目に言った。「全員、担当する場所をある程度決めて、お互い配置場所を覚えておいて……」
「これみよがしの罠ってけっこう警戒するよな」
 ユーアがまだ椅子に座ったまま、頬杖をついてのんきに言う。
「あれだ。重たそうな財布持って歩いてみたらどうだ? わざとスらせてみるとか」
 中身は石でもなんでもいいからよ――と彼女はトゥルースやジェイドックを指差し、
「そこらへんの、目立つおっさんたちにでも持たせて」
「俺はまだおっさんと呼ばれる年齢じゃないぞ」
 ジェイドックが憤然としながら、「……たしかに、俺たちはこの図体だけに目立つだろうが」
「ティナなんかも目立つだろうが、重い財布なんか持っているのは逆に不自然だからな」
 トゥルースが首筋をかきながら、
「まあとにかく。人ごみにまぎれて行動するのが基本だ。やっこさんを見つけても焦って追わないこと。あくまで通行人のふりをして近づく」
「懐から財布をくすね取るスリが、人通りの少ない通りを狙うことはないだろう。大通りを張り込む」
 ジェイドックが言った。その通りだ、とアレスディアがうなずいた。
「私は追跡しようかな。できるだけ早くスリの居場所にたどりつきたい」
 とディーザが紅唇に指を当てて言った。「通行人とかの話を聞いてね。そうやって追うのもありだろう」
「おい、目印のおっさんたち」
 ユーアが懐からなにやら取り出した。
 出てきたのは、小さな機械。
「? なんだそりゃ」
「発信機」
 こともなげにユーアは言い、「囮の財布につけときゃ、これでも居場所は分かる」
「ははあ……」
 ジェイドックがよく分かっていなさそうな返事をする。
「ああ、発信機だね。私の体なら受信は簡単だ」
 ディーザがユーアの手にあった発信機をつまんで、観察する。ディーザはサイボーグだ。機械には慣れすぎているほど慣れている。
「受信機も適当にあるからな」
 ぽいぽいぽいっとユーアは今回の仲間たちに受信機を渡すと、
「行き先予測して退路をふさいでから煮るもよし、焼くもよし」
 と腕組みをして、
 それから、ようやく思い出したようだった。
「……ああ、その薬ぶっかけるんだったか。しかし、この薬本当に効くのか? 俺のクスリの方が何倍も良いような気がするが」
 ぶつぶつ言いながらユーアはクルスから薬の小瓶を受け取る。
 ずざざざざっ
 ――数名の人間が、ユーアの言葉に思い切り引いた。
 トゥルースは脂汗まで流して、
「ゆ、ユーア……最近、薬づくりに成功しているか……?」
「最近なあ……」
 ユーアは薬の入った小瓶をもてあそびながら、
「捻挫用湿布を作ろうとして、『激辛☆傷口に塩塗りたくり湿布』ができたくらいかな」
「さ、最近の最高傑作とかは……」
「んー? 水のろ過器を作ろうとして、水をマグマ並みに熱くする機械ができたこととか……あーこれ薬じゃねえけど」
「……クルスの薬でやろう。な」
 ユーア以外、満場一致。

     **********

 捜索は、ティナの提案で夕方に行うことにした。そのほうがあちらから見つかりにくいだろうという判断だ。
 相手の顔は全員がきっちり見ている。逆にスリのほうは、この薄暗がりの中では一度見た顔でも判別しにくいだろうから――
 夕方の、夕飯を作るために主婦がたくさんあふれる時間帯を狙った。
 スリは男だ。女性たちの中では目立つだろう。
「できれば懲りずにまだ仕事続けててくれれば楽なんだけど」
 黒山羊亭を出たところで、ディーザがつぶやいた。
「瞬間移動がその技だからな……堂々としてるんじゃないか?」
 ジェイドックが薬の入った小瓶を壊さないように丁寧に腰にぶらさげながら、ディーザに応える。
「泥棒は同じところには三日までしかとどまらないと言う……」
 アレスディアが眉をしかめて、「捕まえるには早くするのが一番だ」
 千獣は七人に付き添って黒山羊亭の出入り口まで出てきたクルスをじーっと……心配そうに見上げ、
「クルスは、ここで、ゆっくり……休んで、て……」
「ん? ああ、信用してるよ」
 千獣の頭を優しく撫で。
 キミらも気をつけて。クルスは手を振ってくる。
「よしよし、じゃあ行くぜ」
 トゥルースが全員を促した。

 黒山羊亭を出たところですぐに、七人は散開の相談をした。ユーアの発信機のついた財布と受信機を全員が持ち。
 ティナはまっさきに四足で駆けていった。
「あん? もう追跡開始か?」
 ユーアがあくびでもしそうな様子で言うと、千獣が首を振った。
「違う……この、べる、ふぁ、通り……匂い、薄い、から……別の、場所、に、行った、んじゃ、ないかな……」
「ベルファ通りでの仕事はそれほどしてなかったってのかい? 珍しい犯罪者もいたものだ」
 この聖都で人の集まる大通りと言えばアルマ通りとベルファ通り、そして天使の広場だ。
 中でも、ベルファ通りは歓楽街である。酔っ払いなども多く、スリなどの犯罪は行いやすいはずだった。
「じゃあ俺はアルマ通りへ行くぜ」
 トゥルースが言い、「俺は天使の広場だ」とジェイドックが言う。
「俺はこの辺うろついていることにするさ。犯罪者は元の場所に戻ってくると言ったのは誰だったかな……」
 ユーアが頭の後ろで手を組んだ。
「私は念のため、王立魔法学院前の道を行こうと思う」
「私は聞き込みをしながら適当に行くさ」
 アレスディアとディーザが交互に言った。
 千獣は少し困ったように全員の顔を見比べてから、
「……私、は、商店、街……。翼、使わ、ない、ように、気を、つける……」
「そーだな。目立ちすぎちゃいかんしな」
 トゥルースはぐりぐりと千獣の頭を撫でてから、ふと、ユーアが「ん」と手を差し出しているのに気がついた。
「………。何だその手は」
「財布。あんたは懐にでっけえ財布持って歩いてる金持ち然としてるしな。石入れて堂々と『金持ってます』って顔しとけ」
「………………」
「あとは……」
 ユーアが、黙って自分の財布を差し出したトゥルースの財布を受け取りながら、他のメンバーを見渡す。
 アレスディアが手をあげた。
「私も、場合によってはスられても構わん」
「あんたは女だしなあ……」
 ユーアは腰に手を当てて、「どちらかというと無防備に適当に歩いてるほうがスリに近寄られやすいんじゃないか」
「……そうか?……そうか」
 アレスディアは腕組みをして、うなずいた。
 ……大きなルーンアームを手にしている彼女に、はたして『無防備』が演出できるかははなはだ疑問だ。
「その点で言うなら、私が一番適任かもね」
 とディーザが笑った。

 とにもかくにも各自自分の持ち場へと解散――

          **********

「単純に考えて……スリはまず間違いなくベルファ通りの奥じゃなくて天使の広場方面へ行っているよね」
 人通りの多い場所へ行くはず。まずそれが一等だ。
 ディーザは足早にベルファ通りをぬける。
 そこには、聖都の住民の憩いの場とも言える、天使の広場がある。
 遠目にはジェイドックの姿も見えた。
「ジェイドックとは離れつつ……」
 夕方の憩いの場は静かでありながら騒がしい。主婦たちの会話、子供たちの遊びまわる音、親子の散歩、動物の散歩……
 ディーザはさりげなく主婦の輪に入った。
「お尋ねしたいんだけど」
 愛想笑いを忘れないようにしながら、彼女は口を開く。「人をさがしてるんだ。見かけてないかな?」
 主婦たちは興味をそそられたように、ディーザの話を聞いた。
 身長は百七十センチくらい、短い茶髪で、細身で、着ている服は土色のジャケットに青のズボン――
 説明しながら、ディーザは舌打ちする。
(さすがとは言いたくないけどね。特徴のない姿をしてたんだ、あいつは)
 案の定、主婦たちも「そんな人はどこにでもいるからねえ……」と困ったように顔を見合わせるだけだ。
(まいったな)
 とディーザが前髪をかきあげようとしたとき、
「あら……」
 主婦のひとりが、何かに気づいたかのように背伸びをして遠くを見ようとした。そして、
「ほら、あの方なんかも当てはまりますわね」
「―――!」
 ディーザにとっては背後。彼女ははっと振り返った。主婦の示した先、より天使の広場の中央に近い場所――
 たしかに、捜していたその当人がいた。
(よし、このまま人ごみに隠れてさりげなく……)
 主婦たちに礼を言い、ディーザは自然さを装って歩き出した。
 スリは身長があまり高くない。さっさと商店街やアルマ通りに行かれて、人ごみにまぎれてもらっても困る。
 慎重に、慎重に――
 と。
 そのとき、にわかに天使の広場が騒がしくなった。
「おい、あれは何だ?」
 ひゅう、と口笛を吹く男たち。
「見てはいけません!」
 子供の目を閉ざす親たち。
 ちょっとした人だかりが、天使の広場に出来てしまった。
 ――フー、と威嚇するような声が聞こえた。
「ティナ……!?」
 ディーザは呆然とつぶやく。そう、人だかりの注目の的はティナ。
 少女は獣人で、今現在はたまたま四足で歩き――聞いたところによると二足歩行もできるらしいが――、露出が極端に多い格好をしている。人の目を引いて当然だ。
 そして、ディーザが捜していた人物はすっとその人だかりに紛れ――
 っ
 ――とティナに夢中になっている男とすれ違うようにしながら、そのズボンのポケットから見事に財布を盗み出した。
「―――!」
 ディーザはとっさに手に持っていた薬の小瓶を投げつけようとしたが、距離が微妙だった。少し遠い。万が一男の能力が勝って、ディーザが行き着く前に薬の効力が切れてしまっては大変だ。
 ディーザは駆け寄ろうとする。
 そのディーザに気づいているのかいないのか――
 男は、その場から姿を消した。
「しまった……っ」
 ディーザは歯噛みする。
 今度はどこへ行った? アルマ通りか、ベルファ通りか、はたまた違う通りか――

     **********

 ティナは匂いが強くするほうへと走っていた。
 長く野生で生き、つちかった勘もある。おそらく、ティナの判断した方向にスリはいるはずだ。
 黒山羊亭から走り出し、やがてたどりついたのは天使の広場――
「……匂い、する」
 たしかに感じる。どこだ、どこだ――
 とそこで、予想外の出来事がティナに降りかかった。
「おい、あれは何だ?」
 ひゅう、と口笛を吹く男たち。
「見てはいけません!」
 子供の目を閉ざす親たち。
 どうして人間が集まってきたのか、ティナには分からなかったのだが――
 ティナはあっという間に人だかりの中心に置かれてしまった。
 威嚇してみても、人間たちは逆に喜ぶばかり。
「脱げ! 脱げ!」
 ――どこかで聞いたような、不愉快に感じる声まで聞こえる。
「もういっそ脱がしちまおうぜ」
「あらやだ、公衆の面前ではしたないわ」
「いいじゃん、元からこんなかっこで走ってきたんだしさあ」
「それって獣人でしょ? 襲いかかってこないのかな」
 襲いかかってほしいのか? ぐるぐるうずまくどす黒い感情の中で、ティナは犬歯をむき出しにする。
 きゃっと女性たちが身を引いた。
「やっぱり野蛮よ! 近づいちゃだめ。あ、ぼうや! だめよ!」
 子供が輪の中から出てきてティナに触ろうとしてくる。それさえも不愉快だ。
 きっと子供をねめつけて追い返し、ティナは元々の目的を達しようとした。
 ――ふと、
 気配が、強くなった。
(――いる!)
 そちらの方向を見る。
 しかしティナは現在四足で歩いていた。高いところが見えない。
 人だかりの外側が見えない。
 慌てて立ち上がると、その瞬間に、一瞬見えたターゲットの姿はかき消えていた。
 立ち上がったことで、さらにギャラリーが沸いた。
 ああ、うるさい――
(次、どこだ)
 ティナは観衆を完全に無視して、次の行く先を考える――
 少女の視線は勘だけを頼りに、目的地を変えた。
 ――アルマ通り。

     **********

 天使の広場で起こった騒ぎに、ジェイドックは反応しなかった。自分が歩いていた位置とはかなり離れていたし、まさかその中央にティナがいるとは思いもしなかったからだ。
 ましてや、ターゲットがそこで盗みを働いていたなどと。
 彼は現在、王立魔法学院に近い場所にいた。
「こっちの方向へ来る可能性は低いが……逃げた後、一息つくためにはいいかもしれないしな」
 ひとりごちながら、適当に歩き回る。
 ――ジェイドックは獣人だ。それなりに鼻が利く。
 ふと――
 感じた気配に振り向くと、
 まさにその視線の先にターゲットがいた。王立魔法学院の方向へと向かっている。
「―――!」
 ジェイドックはいつでも中身をふりまけるように手に隠し持っていた薬をとっさにふりまこうとして、慌ててやめた。届く位置ではない。
 スリはのうのうと、ジャケットのポケットに手をつっこんだまま、口笛を吹いて歩いて行こうとしている。
 ジェイドックは考えた。
 魔法学院前の道は、たしかアレスディアが張っているはずだ――
(このままはさみうちにできるか?)
 危険な賭けではあった。この夕方の薄暗がりとて、ジェイドックは目立つ。大柄な獣人だから当然である。
 スリの記憶に残っている可能性が大だ――
 ついでに言えば、ルーンアームを持ち歩いているアレスディアはアレスディアで、目立ってスリの記憶に残っているかもしれない。
 ――今、スリの背中がジェイドックに見えている。
(あともう少し近づけば、薬をふりかけられる圏内に入る)
 人ごみにまぎれて、ジェイドックは歩いた。
 しかし、途中で困った事態に巻き込まれた。
 この時間帯のこの広場には、子供が多い。
 ――自分に近寄ってくる子供たち。それがジェイドックの姿を見て、怖がって泣き出したのだ。
 ジェイドックは慌て、そして舌打ちした。彼は筋骨たくましい偉丈夫だ。見ただけで子供が怖がっても仕方ないかもしれない。
 子供たちが数人泣き出して、その騒ぎで何事かと人々が振り向いた。
「ちょっとアンタ! うちの子何泣かせてるんだい!」
 かっぷくのいい女性がどすどすと歩いてくる。
 今はそれどころじゃないんだ――
 ジェイドックが女性をとりあえず無視して、再びターゲットのほうを見ると、
 スリは一瞬振り向いて、ジェイドックの顔を見た。
 そしてぎょっとしたような顔になり、その場で姿を消した。
 ジェイドックは舌打ちする。――やはり、自分は顔を覚えられている。
 次はどこへ行った? どこへ。
 しかし、
「アンタ! 返事しなさいよ、まったく失礼なやつだね!」
 ……今のジェイドックは、スリどころではなかった。

     **********

 王立魔法学院は今、ちょうど下校時間らしい。たくさんの子供たちが学院から出て来て、帰路につく。
 中には、そのまま学院前でたむろし遊びだした子供たちもいた。
 アレスディアはそれを眺めていて、ついつい和んでしまっていた。
(私もこういう場所に通っていたかった)
 彼女は十八歳。まだまだ若い。学院に通っている子供たちの中には、アレスディアと同じくらいの年齢の者もいた。
(しかし私は、冒険者の道を選んだ。戦いの道を選んだ)
 環境がそうさせたといえばそうだ。
 しかし道を選ぶのは自分自身……
「スリも……」
 アレスディアはつぶやいた。
「その道を選んだのか、それとも道を誤ったというべきか……」
 ルーンアームを近くの塀に立てかけ、自分も背をもたせかける。いざというときすぐに動けるよう、ルーンアームには手を触れたまま。
 すると、子供たちがそんな彼女に興味を持ったらしい。
「ねえ、お姉さん。その武器なんていうの?」
 遊んでいた子供たちが集まってきてしまった。
 アレスディアはアレスディアで、子供が嫌いではない。ついつい相手をしてしまう。
「これはルーンアームと言ってな――」
 どうやら子供たちは、着ている制服からして魔法学院付属、ヴィジョン使い育成学園の子供たちらしい。ルーンアームとはほど遠い。
 アレスディアも常々ヴィジョン使いに興味を持っていたから、逆に質問したりもしていた。
 やがて、子供たちもノリにノってアレスディアとの会話を楽しみ、アレスディアも楽しみ始めた頃――
 ふっ――
 目の前に、誰かが現れた。
「!!」
 思考が即座に入れ替わり、アレスディアの手はルーンアームを握る。
 目の前の青年の顔、忘れもしない現在のターゲットの顔だ――
 アレスディアの前で、はあと一息ついたスリは、やがてアレスディアを見てぎょっとしたらしい。
 アレスディアは今まさに、薬をふりかけようとしているところだった。
 飛沫が散る。
 ――しかし、その直前に。
 男は再び瞬間移動で姿を消した。
 アレスディアは舌打ちした。顔をはっきりと覚えられた上に、薬を使ってしまった――
(しかし、これでヤツはこの魔法学院前の通りは当分通るまい)
 彼女はそう判断し、話し相手になっていた子供たちに、律儀に「用事ができた、すまぬ」と頭を下げ、天使の広場方面へと走り出した。

     **********

 アルマ通りは夕方も明るい通りだ。これほど活気に満ちた通りもあるまい。
 そこを、トゥルースはわざと目立つようにしながら堂々と歩いていた。
 懐が重い。ユーアによって石を入れられた財布が、服のうちポケットにずしっとのしかかっている。
「ここまで重くする必要もなかったと思うんだがなあ……」
 首筋をかきながら、トゥルースはぼやいた。
 葉巻の煙をくゆらす。
 トゥルースはユーアの言う通り、服装からして金持ち然としている。葉巻も金持ちに見られやすいだろう。
 店も多いこのアルマ通りでは、客の呼び込みに何回かつかまった。
 トゥルースはそれを軽くあしらった。
 ――何気なくユーアにもらった受信機を見てみると、仲間たちの動向がよく分かった。全員が全員同じ点でしか表示されないのでその意味では不便だが、同じ場所に人が集まる無駄は省けるだろう。
 みな、それぞれに動いているようだった。特に王立魔法学院の前にいたアレスディアがすごい勢いで動いている。
(見つけたのか……?)
 もし、スリが発信機のついた誰かの財布を奪って逃げているのなら、瞬間移動で受信機には不思議な現象が起こるだろう。あっちこっちで点滅するような。
 今のところ、その現象は起きていない。
 誰も、スリを捕まえられてはいない――ということになるだろうか。
 逆にもう捕らえられたという線もないではないが――
 と。
 ――目の前に、しゅっと誰かが姿を現した。
「………っ」
 トゥルースが受信機から顔をあげた一瞬に、その誰かはトゥルースに体当たりをしてくると、
「すみませんっ!」
 謝るだけ謝って、再び姿を消した。
 体当たりされてよろけたトゥルースは、体が軽くなっているのに気づいて舌打ちした。
 財布をスられたようだ。
(俺としたことが……まいったね)
 しかしあんな重い財布をスっていった男も後で困るだろう。トゥルースは唇の端をにやりとあげる。
 あれは発信機つきの財布だ――
「これで追跡しやすくなった」
 改めて受信機を見る。
 案の定――
 ぱっぱっと、ひとつの点があちこちで点滅する瞬間移動の様子が受信機に映し出されていた。
「俺はしばらくこの通りにいるとするかね」
 そうすれば、スリはこの通りには戻ってはこれまい。トゥルースはのんびりと、アルマ通りを歩き回った。

     **********

 千獣は受信機を見ていた。
 彼女には機械というものがよく分からないが、見方だけはしっかり教わっていた。
「あ……誰か、の、財布、が……」
 受信機上に、あっちこっちについたり消えたりする点が発生していた。点自体の数も増えている。仲間七人が動いているから合計七つの点があるはずが、今は八つだ。
「………」
 ふと受信機に映った点に、千獣は顔をあげる。
 この商店街――
 スリ――というより財布――が、商店街に来て、普通に動き出した。
 この商店街に来ている……
「私、は、覚えられ、やすい……」
 ――呪符を織り込んだ包帯を体中に巻いている、そこにいるだけで異様な雰囲気を作りだせる千獣である。スリが黒山羊亭で客を吟味していたとしたら、千獣のことははっきり覚えられているだろう。
「……だから、遠く、から、見てる、だけ……」
 千獣の視線の先に――
 茶髪のスリが、歩いていた。
 商店街のにぎやかさにまぎれて、のうのうと口笛を吹いている。
 ただよっている匂いも間違いない。
「………」
 千獣は決して彼の視界に入らないように身を隠しながら、五感だけで男の動向をさぐることにした。
 彼女は、自分が薬をスリにふりかけるつもりがなかった。むしろその後――瞬間移動ができなくなったときにスリを捕まえることに専念するつもりだ。
 そしてそれを実行するためには、他の仲間がここに来てくれることが肝要――
「……大丈、夫……誰か、気づいて、くれる……」
 それを信じて。
 自分は、彼を見張っていよう。千獣はそう決めた。

     **********

「おっと……商店街で動きを緩めやがったな」
 受信機をもてあそびながら、ユーアは唇の端をつりあげた。
「他のやつらじゃ目立ちすぎる……逃さないためには、俺が動くしかねえだろうな」
 ベルファ通りにいたままのユーアは、ゆっくりと歩き出す。
 彼女が動いたことが、受信機を通してみなに伝わるはずだ――
 ユーアはポケットから、薬の入った小瓶を取り出した。手の上でぽいと放り、またキャッチして。
「……やーっぱ、俺のクスリのほうがいいと思うんだけどなあ」
 ――薬の実験台を捜してくれ。要するにクルスの依頼は『実験台を捜す』ことも含まれているわけだから、この薬を使うのも仕方ない。
「失敗したらてめえの責任だからなー。俺を恨むなよー」
 振り向いて黒山羊亭の出入り口に声をかけてから――クルスがもうそこにいないことは分かっていたが――、
 ユーアは再び歩き出した。

     **********

「あ……誰かの財布が……」
 アレスディアはそれに気づいて、いったん走っていた足を止めた。
 あっちこっちを転々と点滅していた受信機のしるしが、商店街にきて動くのをやめた。
 考える。――自分は今何をすべきか。
「商店街は千獣殿の領域……だが、彼女はスリに薬をかける仕事はしないと言っていた……」
 千獣が目立ちすぎるからという理由もおおいに納得している。
「私の手元にはもう薬がない……」
 さて、どうしたものか。
 とにかく、他の仲間に合流することにしよう――

 天使の広場へ来ると、なにやら妙に騒がしかった。
 一方で「脱げ脱げ!」と騒いでいる人だかり、もう一方で子供の泣き声が大量にする人だかり。
「何だ……?」
 アレスディアが目をしろくろさせると、
「アレスディア!」
 誰かが彼女を呼んだ。
 振り向くと、ディーザがアルマ通りから天使の広場へ戻ってきたところだった。
「ディーザ殿。アルマ通りは……」
「トゥルースの財布が盗まれたみたいだね。トゥルースは二度とアルマ通りに来られないようアルマ通りにい続ける気らしいよ」
「なるほど」
 うなずきながらアレスディアは人だかりの、子供の泣き声が多いほうの中心にいるのがジェイドックだと気がついた。
 慌ててディーザとふたり、ジェイドックの元へ行く。
「ジェイドック。何やってんだい」
 ディーザが呆れたように言うと、「俺だって好きでこうなってるわけじゃない」とぶっきらぼうにジェイドックは言い返してきた。
「ただ俺の姿が怖いらしいな。さっきも子供の親に怒られた。俺のせいじゃないってのに」
 ぶつくさと彼はぼやく。
「ジェイドック。受信機はたしかめているかい?」
 ディーザに言われ、はっと思い出したようにジェイドックは受信機を取り出した。
「点が八つに増えている……誰かの財布が盗られたのか?」
「トゥルースだよ」
「……あっちの人だかりは何だ?」
 今更ながらジェイドックは天使の広場のもうひとつの人だかりに目をやる。
「ティナがいるんだよ」
 ディーザが嫌悪感を丸出しにしながら人だかりをにらみつけた。
「下品な罵声ばかりさ。彼女を助けてやらないとね」
「よし。それなら俺に任せろ」
 ジェイドックはずかずかとティナに群がる人だかりに近づき、
「どけどけ! 俺らの友人に手を出すんじゃねえ!」
 今にも本気でティナを脱がしそうに手を出そうとしていた青年たちをぽいぽいと放り出した。
 ジェイドックのぎらっとした目つきでにらみつけられ、人々はそそくさとその場から消えていった。
 ティナが嬉しそうにジェイドックを見上げた。
「ありがとう」
 ジェイドックは苦笑した。
「お前さんも、気をつけて行動しな。そんな格好じゃ狙われるからよ――で、ティナはこれからどうする?」
「アルマ通り。アルマ通りに行く」
「もう遅いよ、ティナ」
 ディーザがアレスディアをともなって歩いてきた。
「そうなんだ、ティナ殿。スリはすでにアルマ通りでトゥルース殿の財布をスりとって、商店街へ移動したらしい」
 とアレスディアが受信機を見せたとき――
「……あ?」
 ジェイドックが声をもらした。「動いてねえ……?」
 ――商店街にあるふたつの点。ひとつは千獣、もうひとつはスリ――であるはずだった。
 が、ふたつとも、動きがない。
「商店にでも入ったのだろうか?」
 アレスディアが腕を組む。
「いや、それならちょこちょこと動きがあるだろう。これはもしかすると――」
 ジェイドックは、顔をしかめた。「中身を見て財布を捨てたかもしれん」
「―――!」
「商店街には千獣殿がいる! 見張ってくれているはずだ!」
 急いで商店街に行こう。一行はうなずきあった。

「あ……みんな……」
 商店街へ来ると、千獣が一行の気配に振り向いた。
「スリは? まだいるかい?」
 ディーザが早口で尋ねる。
 千獣はうなずいた。
「途中、で、何か、捨てて、た……」
「思った通りか」
 ジェイドックが舌打ちする。「こりゃ何とか商店街にいるうちに勝負をつけなきゃならんな」
「誰かがスリに近づかなければ」
「しかし誰がいく? ティナや俺は目立ちすぎる」
「私が行こうかい?」
「……私もルーンアームを持たずに近づくという手があるが……私は顔を覚えられた」
 そこへ――
「なにのろのろやってんだ」
 のんきな声が、一行を振り向かせた。
 そこに、ユーアがいた。
「スリは財布を捨てたって? んじゃもう一回スらせりゃいいな。俺が行ってやるよ」
 今んところ顔を覚えられてないのは誰だ――? とユーアは一行に訊いた。
「私くらいかな?」
 ディーザがジェイドックとティナとアレスディアを見て、つぶやく。
「一応、念のため……やつが本当に俺らの捜してるスリがどうかも調べなきゃダメなんだろうな」
「できれば現行犯逮捕といきたい」
 アレスディアが真剣に言った。
 面倒くさい、とつぶやきながらもユーアは色々考えたらしく、
「よし、じゃあ――」
 ユーアは軽くディーザに、それからアレスディアとジェイドック、ティナにごく簡単な計画を話して、最後に千獣を見た。
「お前はたしかスリに薬をかけてからの捕り物に参加するんだったな?」
「う、ん」
 千獣がうなずくと、
「じゃあその隙を作ってやるから、必ずしとめろよ」
 千獣はもう一度うなずき、
「遠く、から、見て、おく……。スリ、が、薬、かけ、られた、ら……あとは、任せて……大丈夫……逃がさ、ない……」
 それを聞いて、ユーアは自分の持っていた分の薬をアレスディアに渡した。
「ちゃんと計画通りにやれよ」
 言うなりユーアはすたすたと商店街を歩き出す。
 なぜだかしらないが、彼女は無防備そうな雰囲気をかもしだすのがうまいらしかった。口笛などを吹いて上機嫌そうだ。
「今日は懐があったかいぜ」
 などとつぶやいたりして――
 スリが――
 彼女に目をつけた。
「早く食いもん買いに行くかー」
 うん、と伸びをしながらユーアは歩く。
 スリが近づいてきた。
 黒髪に金の瞳のユーアは、しかしただの人間だけにそれほど目立つことがない。黒山羊亭にいたことはどうやらスリには覚えられていなかったようだ。
 否、仮に覚えていても、彼女なら大丈夫だと判断したのかもしれない。
 どんっ
 ふたりの肩がぶつかった。
 っ
 ――すかさずスリがユーアの懐から財布を奪う。
「あ、すみません」
 スリの男はへらへらした顔でそのままユーアとすれ違おうとする。その隙に――
 ぱしゃっ
 薬が跳ねた。
 スリの顔にまともにかかり、スリは「何だ!」と大声をあげた。
 いつの間にかディーザがユーアの背後につき、薬をスリにかけたのだ。
 スリは即座に瞬間移動を試みた――らしい。
 しかし、何も起こらない。男は愕然と自分の両手を見下ろす。
「これだけじゃ足りないかもしれないからね……っ」
 ディーザは場所を開けた。
 そこにアレスディアとジェイドック、ティナが次々と駆けてきて、それぞれが持っていた小瓶の中身をスリに投げかけた。
 濡れた体になったスリは、
「くそっ」
 と身を翻し逃げようとする。――天使の広場方面へ――
 そこへ立ちふさがったのは――
「逃がさ、ない」
 赤い瞳をきらりと光らせた、千獣――
 そしていつの間にか、もうひとつの赤い瞳。
「もうそろそろ大丈夫かと思って、来てやったぜ」
 トゥルースのくわえていた葉巻が、揺れた。
 あとはもう、時間の問題だった。
 ――狙った獲物はもうかごの中。

     **********

「色々ありがとう」
 黒山羊亭で待っていたクルスは、夜になって七人が戻ってくるなり礼を言った。
「ま、今回は俺はたいしたことはしてねえやな」
 トゥルースがウイスキーをオーダーしながら足を組む。
 スリは警邏隊に突き出された。アレスディアの希望通りの現行犯逮捕だ。
「薬の効き目もかなり長く続いたらしいね。作った者としてありがたいよ」
「クルス殿の薬がなければ、警邏隊にあんなに簡単につかまることもなかったろう」
 アレスディアが微笑む。「素晴らしい薬だ」
「俺の薬のほうがいいっての」
 ユーアは相変わらず言っている。
「クルス……元気……?」
 千獣が彼の顔をのぞきこむ。おかげさまで、とクルスは笑った。
「実はここで寝てしまったものでね。だいぶ回復したよ」
「おやおや。人に任せて自分は高いびきかい。ひどい兄さんだね」
 ディーザが笑って茶化した。
「面目ない。――あまりに信頼できるメンバーだったもので」
「信頼……信頼か……」
 ジェイドックがつぶやいた。「信頼よりも今は、寒い懐をあっためるものが欲しいんだが」
「あとで警邏隊から報奨金が出るはずだよ」
 とディーザ。ジェイドックがほっとしたように「やれやれ」と椅子の背もたれにもたれた。
「ひどい目に遭った……」
「あー、報奨金な」
 今にも寝そうだったユーアがぱっと目を覚まし、
「ティナあたりはいらねえだろ。俺がもらってやる」
「ティナ?」
 ティナが自分の名前が出てきたことに驚いて、ユーアを見る。
 ユーアはティナを見て、
「お前、金いるか?」
 ティナはきょとんとして、
「お金。いらない」
 と野生生活をもろだしにする言葉をもらした。
 えたりとユーアは唇の片端をあげ、
「よっし。じゃあティナの分は俺の分だ」
「それは横暴ではないだろうか」
 アレスディアの反論にも、「今回一番役立ったのは俺だ」とユーアはどこ吹く風。
 実際、彼女の言葉は真実だったので、誰も何もいえなかった。
 代わりにクルスがティナの頭を撫でて、
「ティナにはファードから何かを贈るよ」
 とティナと懇意にしている樹の精霊の名前を出す。
 ティナが顔を輝かせた。
「あ……ファード……元気……?」
 同じく樹の精霊ファードと仲がいい千獣が、嬉しそうな顔をする。
「へーえ、お兄さんの森って不思議なところなんだね?」
 ディーザが興味深そうにしながら、トゥルースと飲み比べを始めていた。
 ふたりの飲みっぷりに誰もが恐怖したが――
「たまにはみんなで飲み明かそうぜ」
 ジョッキを持ち上げたトゥルースの言葉に、反論する者はいなかった。

 今日もにぎやかな黒山羊亭――
 酒盛りは夜が明けるまで続きそうな予感……


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2447/ティナ/女/16歳/無職】
【2542/ユーア/女/18歳(実年齢21歳)/旅人】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【2948/ジェイドック・ハーヴェイ/男/25歳/賞金稼ぎ】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3255/トゥルース・トゥース/男/38歳(実年齢999歳)/伝道師兼闇狩人】
【3482/ディーザ・カプリオーレ/女/20歳/銃士】

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■         ライター通信          ■
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トゥルース・トゥース様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回も依頼にご参加くださり、ありがとうございました。
納品が遅れに遅れて大変申し訳ございませんでした。
今回はアクションがないのでトゥルースさんにも地味に働いていただきましたが、たまにはこんなのもいかがでしょうか。
よろしければまたお会いできますよう……