<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


THE RAVEN



 降りだしそうな、重々しい、黒と灰とが折り重なった空だった。
 
 用件を急ぎばやに告げ終えると、お使いネズミはすぐさま踵を返して路地の向こう側へと姿を消した。
「……大鴉か」
 息を吐き出すついでにそうごちて、葵はねめつけるような視線を空へと送る。
 刻々と暗く染まってゆく空の雲の隙間を、黒い両翼が縫うように飛んでいた。

 事の起こりはエルザードから数日ばかり行った場所であったという。その地では死者の埋葬にあたり鳥葬という手段をとっていたとされる。
 死者は祭壇に置かれ、その遺体は鳥達が啄ばみ、骨は太陽によって漂白されて地へと帰す。死者は鳥によって天へと運ばれ、抜け殻となった遺体は鳥や獣達へ布施されるというわけなのだ。
 それに伴い、その地では旧くから鳥や獣を崇める信仰が根深く伝えられ、中でも鳥に対するそれは一際たるものだった。とはいえ、その地は高地にあるわけでもなく、むしろ平野部であったため、必然的にその対象はカラスやそういった鳥を中心としたものとなったのだ。
 長い歳月を経て、人間たちの信仰は鳥を妄執の姿へと進化させたのだという。あるいは、人間たちの空想が姿と力をもってしまったのかもしれない。
 ともかくも、その地はある日忽然と消滅してしまう。
 残された地は廃墟となり、風雨によって廃れていったが、石壁などに描かれた象徴画は今でも確認出来るとされている。
 ――もっとも、それを確認しに行くには、異形と化した思念の塊に対する手段を講じねばならず、
 ゆえに、それは時の流れと共に伝承の彼方へと追いやられてしまったのだ。

「葵殿か」
 馬上から降り立ったのは懐こい笑みを満面にたたえた青年だった。
 場所は、エルザードを離れた平原の上。
 葵がお使いネズミとの邂逅を得たのは、その平原の中でのことだった。
 お使いネズミは、人を襲う大鴉から、とあるキャラバン一行を救い出して欲しいとの旨、葵に言い伝えたのだ。
「ええと、惣之助、だったかな」
 相対した青年に顔を向けて頬を緩めて首をかしげ、葵は眼前のその青年の名を口にした。
 お使いネズミが言うには、エルザードの小さなギルドから遣わされた青年であるという。葵の手助けを務めるとのことだが、その手には絵筆と幾枚かの紙を持っている。脇に刀を二本提げてはいるが、両手が埋まっている状態を見れば、戦力になるとは思いがたい。
「挨拶もそこそこでかたじけない。キャダン殿たちを助けに行くのが先決でござる」
「うん、そうだね。――どうやら鴉はこの辺にまで達しているようだし、なるべく早くに手を打つ必要がありそうだ。可哀相だけれどね」
 うなずき、惣之助が連れて来た馬に跨る。
 空模様はいよいよ暗く沈み、遠く近く鴉の鳴き声に似た声が風の唸りのように響く。
 葵は空を一瞥した後に、手馴れた所作で馬を走らせた。

 ソーンの端々までを巡り渡っているキャラバン隊が、人を喰らう鴉によって脅かされているのだ。彼らは辛うじて洞穴の中に身を潜めてその襲撃を逃れているのだというが、それでも現場はエルザードから見ても決して近場とはいえない。一日、あるいは二日。それだけの移動時間を要する場所まで赴くというのを思えば、万が一にも最悪たる結果をも予測しておかなくてはならない。
 おりしも、空は陰鬱たる様相を呈している。
 葵の心中を量ってか、前を走る惣之助が振り向き笑みを作った。
「大丈夫でござるよ、葵殿。葵殿と合流した地は現場より幾許もない場所でござった。これ幸いでござろう。キャダン殿方も自衛の手段を講じておられる様子。万が一にもという事はありえん」
 進むにつれて、空を飛来する鴉の数が増してきている。
 禍々しい鳴き声をがなりたてる鴉を上目に確めて、葵はふむとうなずき、笑みを返した。
「天候も、なかなかどうして僕にとって都合がいい。このまま降り出してくれれば、状態は一層こちらに傾いてくれるんだけれどもな」
「葵殿は水を使われるとか」
「うん。……ああ、降り出してきたね」
 応え、頬にあたった雫を指で拭う。
 空は、今や鴉の黒で埋め尽くされている。
 平原であった地はいつしか岩盤が目立つ荒地となっており、枯れた木々のそこかしこで羽を休める漆黒の鳥たちが、紅蓮を浮かべた双眸をもってふたりの行方を見定めている。
 ほどなくして見えた洞穴を指差して惣之助が声をあげた。
「あれでござる。――キャラバン隊の内のいずれかが洞穴に膜を張っておるのでござろうな。鴉どもがふて腐れてござるよ」
 示された方向には、確かに洞穴が口を開けていた。ぼうやりと薄く光る膜がその口を覆い、ゆえに鴉たちはそこから先を進むことが出来ずに惑っているのだろう。
「なら、キャラバン隊は無事なんだね」
 安堵の息を吐いた、刹那。
 群れをなしていた鴉たちの内、もっとも大きな一羽が、紅蓮を烈しく燃やして一際禍々しい声で何かを鳴いた。
 その次の瞬間、そこかしこでふたりの様子を窺い見ていた集団が一様に両翼を広げ、がなりたてながら嘴を大きく上下させたのだ。
 嘴は、もはや鳥のそれとは逸したものとなっていた。
 数多の屍を――あるいは生きたままの生命を喰らい引き千切ってきたそれは、もはや化け物のものとしか思えないような様相を呈していたのだ。
 開かれた嘴、否、顎門の奥には底の知れない闇が広がっている、吐き出す息は死者の臓物の臭いで、空気は見る間に瘴気で満たされていく。
 黒い両翼には亡者の念が憑いていて、その羽が風をきるごとに、亡者たちは言葉にならない怨嗟を吐き連ねるのだ。
 舞う羽はそれだけで生者を傷つけるに至るようだ。
 惣之助の腕が一閃され、血が霧のように宙に噴き上がる。
「惣之助!」
 鴉たちは血の臭いに気を昂らせたのか、惣之助の身を埋め尽くすばかりに群がっている。
 が、それも束の間のこと。
 次の時には、鴉たちは惣之助の放った一閃により墜落し、あるいは逃げおおせて、惣之助は再び安穏とした笑みを葵に向けてよこしたのだ。
「大丈夫でござるよ〜。拙者はキャダン殿方の様子を確認しに参るゆえ、」
「それなら僕はこの鳥たちを片付けるとしようか」
 うなずき、視線を細ませた葵に向けて、惣之助はわずかに首をかたむけて笑んだ。そして馬を走らせ、鴉たちの間を貫き、洞穴の方へと向かったのだった。

 鴉たちの昂りは収まらない。それは残された葵に集中して向けられ、辺りは瞬時にして黒の一色きりで覆われる。
 喚きたてる鴉たちに向かい、しかし、葵は悠然とした笑みをのせたままで息を吐く。
「おまえたちの名前を訊ねたら、やっぱりNEVER MOREとでも答えるのかな。――もっとも、冥府の磯の使いなんかというよりも、おまえらは人の念によって異形と化してしまっただけなんだろうけど」
 肩を竦めながらそう告げる葵の言には、鴉たちに対する同情の意がこめられていた。
 が、それを受ける異形たちが葵の意を酌むわけもない。
 顎門を広げ襲来を始めた彼らを見上げ、葵は憐憫たる眼差しで鴉たちを振り仰いだ。
「人を襲うのだから、仕方ないね。可哀想だけど、全力でいくよ」
 紡いだその言を合図としてか、降り出した雨が葵の手の中で銃と化し、あるいは矢のようになって、飛び交う影を一斉に貫通し始めた。
 葵は銃を構え、恐らくは中心的な存在なのだろうと思しき大鴉に向けて、やはり雨で形成した弾を放つ。
 それは威嚇射撃の意味をこめたものだった。
 大鴉が退却すれば良し、そうでなければこれが最初にして最後の言葉ともなるだろう。そうも考えたのだ。
 が、大鴉はやはり葵の言を酌みはしなかった。
 瘴気を吐き散らしながら、葵の眼球を目掛けて鉤爪を鳴らし、地獄の言葉で何かを喚き、吼えた。
 葵は深々と息を吐いてかぶりを振り、構えていた銃を片手に持ち替えて大きくかざし持つ。
 銃は雨を吸って姿を変容させ、大鴉が鉤爪を振り翳すよりも先に、一振りの刀を形成した。
 形の定まらない、流動する水によるその刀は、躊躇することもなく振り上げられ、そして振り下ろされる。
 大鴉はその瞬間大きく戦慄き、そして瘴気と闇とを飛沫させ、空気の中へと融けて消えた。
 残った鴉たちは、それでも昂りを収めない。
 葵は再び大きく息を吐き出して、大鴉を葬った一振りをもう一度銃へと戻し、弾を詰め込んでいく。
 放たれたそれは一方のみでなく、あらゆる方角へと向けられ、散弾していった。
 風景を黒で埋め尽くしていた禍々しい影たちは、散弾を浴びて見る間に数を減らし、やがて雨が止む頃には、もはや一羽たりとも残されてはいなかったのだ。


「いや、実際助かったよ、ありがとう」
 
 洞穴から数日ぶりに抜け出すことが出来たキャラバン隊の長、キャダンが、厳つい見目に不釣合いなほどの笑みをのせた。
「身を護るのはどうにか出来たんだが、そこから先がどうにもな。お使いネズミを洞穴の隙間から走らせたのはいいが、果たして無事に助けを得られたものかどうかも分からなかったしな」
「大変そうであったよ、お使いネズミ殿は。でも大事なくて結構でござった」
 惣之助も懐こい笑みで大きくうなずき、応えている。
 キャラバン隊は予想だにしていなかった数日の空白を急ぎ埋めるため、急ぎ用意を整えているところだ。
「うん、最悪な事態にならなくて良かった」
 惣之助の半歩ばかり後ろでうなずく葵に、キャダンは大きな笑みと共に視線を投げてよこす。
「助かったよ、ありがとう。――しかしあっという間だったな」
「雨が降っていたのが幸いだったかな。もしも晴天で、水気のまるでない場所だったら、もう少し手こずってたかもしれない」
「なるほど」
 葵の言にうなずきを返したキャダンを、用意を整えたキャラバン隊の隊員たちが呼び招く。キャダンは後ろ手に返事を返して、
「悪いが、もう行かなくては。数日を無駄にしてしまった分、一刻も早くエルザードに向かわなくてはな。『ファラク』にも立ち寄り、アイザックに挨拶もしたかったのだが」
「アイザック殿は相変わらずでござる。いずれまた機会も巡りこよう」
 惣之助が応える。
 キャダンは喜色を浮かべて小さくうなずき、そして踵を返してキャラバン隊の方へと歩みを進めた。が、すぐにまた足を止めて振り向き、
「俺たちはこれからエルザードの花屋”Symphony in C”に行くんだが、おまえたちはどうするんだ? エルザードに戻るなら、道中共にするのもいいのではないかと思うのだが」
「ああ、僕はゆっくり帰るよ。この辺には初めて来たし、廃墟になったっていう街だっけ? それも見に行ってみたい」
「それでは拙者もお供つかまつる。拙者、先刻のあの鴉を描きとめるのを失念しておりもうした。代わりに、くだんの壁画とやらを描きとどめておきたく思うのでござる」
 葵の言葉に惣之助が賛同する。
 キャダンは「そうか」と笑って再び足を進めた。

 それからほどなくして出立したキャラバン隊を見送りながら、葵は雨のあがった瑞々しい空の色彩を仰ぎ見る。
 黒の一点もない、澄んだ青。

「それでは拙者どもも参ろう」
 いつの間にか馬に跨っていた惣之助が葵を呼ぶ。
 葵は片手をひらひらと動かして返し、穏やかな笑みを満面に浮かべて息を吸った。
  


   





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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【1720 / 葵 / 男性 / 23歳 / 暗躍者(水使い)】



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          ライター通信          
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初めまして。ご発注くださいまして、まことにありがとうございます。

ポーの「大鴉」をご存知なのですね。プレイングを拝見して、思わずニヤリとしてみたり。せっかくなので少し盛り込んでみようかとも思いましたが、本当に少しだけになりました。
(余談ですが、「アナベル・リィ」も大好きな詩なのです。あれもいつか題材にできればと妄想していたりして)

今回は有志によるキャラバン企画に参加させていただき、募集させていただいたシナリオによるものでした。
キャラバン隊はこの後、櫻正宗WRによる個室「flower shop 〜 Symphony in C」へと移動していきます。
もしもよろしければ、そちらのほうもご覧いただければと思います。

それでは、ありがとうございました。少しでもお楽しみいただけていればと思います。
またご縁をいただけますようにと祈りつつ。