<東京怪談ノベル(シングル)>
SOPHIA
赤銅色の髪は日の光を反射し、炎のように揺らめき風に靡く。
腰ほどまで伸びた髪を首の後ろで素っ気無く結わえ、しなやかな肢体に無骨な肩当てとマント、プロテクターを装備し、細身の片手剣を腰に下げており、その青い双眸は常に周囲に気を配っている。
流れ者と一目で分かるその風貌でも、それが女性であることはひと目で見てとれた。
粗末な身なりでもその物腰は優雅で、颯爽と歩く姿には気品がにじみ出ている。
彼女の名はソフィア・メイナード。
一介の賞金稼ぎだ。
「―――この先か…」
道すがら出会った行商人が、分かれ道に差し掛かった際にソフィアの行く先に辺境の寂れた小さな街があると教えてくれた。
行商人にとっては何気ない一言でも、今のソフィアにとっては非常にありがたい。
もう暫く水以外何も口にしていないのだから。
しかも、飲めそうな水ですらここ二、三日まともに口にしていない。
乾燥した唇は今にも割れそうで、口内も水分を失いかけ、口を閉じても変にごろごろした違和感に苛まれ続けている。
当て所なく歩き続けるにしても水や食料は必要だし、何よりそれらを得る為には先立つものが必要不可欠。
先立つものもそこをつき、着のみ着のままで質草になりそうな物と言えば、皮肉にも己の命を繋ぐ糧を生み出す愛刀のみ。
皮肉なものだと己の腰のものを一瞥し、足を進める。
本来ならば立っているのもやっとな状態で、気力一つでいつもの足取りを維持しているソフィア。
だがそれも今ひとつの目標があるからこそ成し得ている状態なのだ。
街へ。
食物はともかく、まずは飲める水を。
ソフィアはやや揺れる視界の中、村へと伸びる道をほぼ気力のみで進んでいった。
聖獣界におい聖獣の加護があるとするならば、今この時この自分は聖獣の加護などないのではないだろうかと、縋るわけでもないその存在を疑うところから始めてしまうのも、この飢餓感のせいだろう。
自らの命を繋ぐ為に剣をとった。
金が目的ではない。
ただ生きる為に。
しかし生きる為とはいえ、そのプライドは略奪といった行為を嫌う。
たとえ体を売っても。
その出生ゆえに常にどんな場所に生きていようとうも誇り高くありたいと願うも、その理想と現実の自分とのギャップに悩むことは多々あった。
だが、豊かな生活を送ることが望みではなく、ただ生きる為に。
「――――…」
ようやくたどり着いた街はソーンの辺境に位置し、寂れた様子の小さな街だった。
王都にある白山羊亭のように、この街の酒場にも冒険者に当てた依頼が出されているようだ。
「…これだけか…」
店に入ってすぐの壁際に貼り出された一枚の紙。
街の近くにある森の奥にオーガが住み着いたことにより、行商や街の住民が襲われるという被害が後を絶たないという。
酒場の中で、他にこの依頼に目を向けるものはいない。
いるのは戦うことを目的としていないただの旅人や行商、そして街の人々の姿だけだ。
そして今、誰しも諦めかけたその依頼に目を通しているソフィアに、自然のその視線は向けられている。
「……」
ソフィアは重剣士ではない。ましてやアマゾネスでもない。
その身体は極一般的な人間の女性だが、持久力、筋力において多少なり一般人よりも優れているだけのこと。
一撃の威力よりスピード重視で相手を翻弄していくのが彼女の戦闘スタイル。
生命力の強い巨人相手では相性が悪い。
しかし、今の彼女には分の悪い戦いであっても仕事を選んでいる余裕などない。
ましてやこの街で今出されている依頼はこれを置いて他にないのだから。
書類にはご丁寧にも前金まで提示されている。
思わず、喉が鳴る。
浅ましいと感じもするが、この飢餓感の前にはその信念も理性も揺らぐ。
ソフィアは無言のままにその書類をボードから剥ぎ取り、店のマスターに差し出した。
「――――この依頼、引き受けよう…」
森の奥にオーガが潜んでいるといっても、その位置をすぐさま特定するのは困難だ。
それゆえソフィアは前金で物資を揃え、森へと足を踏み入れる。
森の手前まで街の者がついて来たのは前金だけもって逃げられることを懸念した為だろう。見くびられたものだ。
「まぁ、わからんでもないがな…」
女の身であり、その上装備も細身の剣とプロテクターと篭手。相手がオーガともなればその外装だけで不安に駆られるのも理解できる。
自嘲気味に笑うソフィアは振り返ることなく森の奥へと足を進める。
そして、背中を見つめる街の者の気配も消えた。
鬱葱と生い茂る木々の間から差し込む木漏れ日は、光の雨のように地面にその一筋を落とす。
しかしそれも奥に進むに連れて消え、完全に葉で覆い隠された空は薄暗がりで周囲の木もボコボコと妙な形のものが増え、宿り木にまみれ、枯れて切れた蔦がだらりと枝から垂れ下がっている。
似たような風景の中、かれこれ数時間歩き回っただろうか。
それまであった小動物の気配が消えた。
皮袋に入った水を口にし、それを飲み込む音がやけに耳につく。
静けさのあまり耳鳴りがする。
「!」
無音の中にバキリと、枯れ枝を踏み折る音がした。
生臭い空気。
獣の唸り声にも似た標的の唸り。
「やっとおいでなすったか…待ちくたびれたぞ」
シャッと鯉口から抜ける剣の音。
標的もそれを見てソフィアを獲物ではなく敵と認識したようだ。
周囲の木をなぎ倒しながらソフィアに向かってその巨大な拳を振り上げる。
拳の起動を読み、宙に舞い落下ざまにオーガにその刃を突き立てるも、鋼のごときその皮膚はソフィアの刃を受け付けない。
舌打ちしてその場から離脱するも、オーガは執拗にソフィアを追いかける。
何か。
何か手立てはないか。
「!そうだ…」
鬱葱と茂る森の中、頭上に幾重にも垂れ下がる蔦をみてソフィアは一計を案じる。
肩当てに付属したマントの止め具を外し、背後より襲い掛かってきたオーガがそのマントの裾を掴んだ瞬間、ソフィアは上に跳躍して頭上の太い蔦を掴んでオーガの攻撃をすり抜ける。
一瞬にして視界から消え、マントだけが手の内に残ったことにオーガは驚き戸惑い辺りを見回す。
「こっちだ!」
その声に反応して上を見た瞬間、ソフィアの剣が一閃した。
たとえ皮膚が鋼のように硬くとも、目まではそうもいかなかったらしい。両の目を潰されたオーガは痛みにもがき苦しみ、どこへ向かうともなく周囲の木々に当り散らしのた打ち回った。
その隙にソフィアはオーガの背後に回り、聖獣装具を構え、一気にオーガの背中に向かって跳躍する。
刃渡り十五センチほどのナイフ型聖獣装具である天鷲刃・アサルトファングがオーガの首に迫る。
「これで終わりだっ!」
聖獣装具が鋼のようだったその皮膚に、まるで紙を切り裂くかのようにあっさりとめり込む。
特殊効果により切れ味の増した切っ先は、その首が地についても相手に気づかれることはなかった。
「……終わった…」
二つの肉塊と化した片方を抱え、ソフィアはほの暗い森を後にした。
「うわっ!?」
「――約束の報酬を頂こう…」
酒場のカウンターに乱暴に置かれたそれに、客もマスターも当然ながら驚愕する。
本当に女の細腕一つでこの荒業をやってのけたのかと、誰もが証拠の品とソフィアを何度も見比べている。
報酬に見合うだけの事はした。
ソフィアにとっては、ただそれだけのことだ。
わざわざ誇るようなことではない。
約束の報酬を受け取り、ソフィアは何を言うでもなくきびすを返す。
袋の中にぎっしりと詰まった貨幣。
数週間は食うに困らないだろう。
ソフィアはようやくホッと一息ついた。
しかし、だからといって宿に泊まる余裕などない。
報酬を肩に担ぎ、古びたマントを翻してソフィアは夜の街に消える。
その後の街中で挙がる歓喜の声など微塵も気に留めずに――…
― 了 ―
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