<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
Moonlit Kaleidoscope.
月明かりの美しい夜だった。
薄っすらと雪の残る庭は、窓から零れる灯りに照らされ何とも幻想的だ。
だが、その時マリアは、自分がどこか別の世界に迷い込んでしまったような気分になって、半ば途方に暮れていた。
吐き出す息は白く、風は冷たい。
扉の向こうにある穏やかな喧騒は、新たな年の幕開けということを思えば心地よいものであるはずなのに、どこか居心地が悪い。
否、決して悪いものではないのだ。ただ、慣れぬ空気に戸惑った挙句、人の多さに悪酔いしてしまっただけで。
心細い──とでも言おうか。
招かれておきながら、場違いだと痛感せざるを得ない現実。誰も知らない広い世界にただ一人、放り込まれてしまったような感覚。
鎧の代わりに纏っているのは、ラインストーンの飾りがついたシンプルなシルバーのロングドレスだ。その上に、大きな花柄をあしらったストールを羽織っているだけの姿である。
そして何より、何と言っても履き慣れない、踵の高い靴。転ばないように歩くのが精一杯だ。
剣がないので少々落ち着かない──とは、さすがに言えなかった。普段滅多に着る機会のないドレスはひらひらしていて足元から冷えてしまいそうだし、くるりと回ったらふわりと裾が広がるのだろう。
これではまるで──
(お姫様のよう……)
心の中で呟いて、マリアは緩くかぶりを振った。柄ではない。もしかしたら人だけでなく、一口しか飲んでいないワインの味にも、酔ってしまったのかもしれない。
マリアをこの場に招いたのは、とても遠い所に縁のある親戚だった。一族で新たな年の幕開けを祝おうという、この時期にしてはありふれた名目での舞踏会である。
だが、彼女にとって、その招待に応じるのはとても難しいことだった。田舎者かつ無骨者だという自覚が、十分すぎるほどにあるからだ。
例えそれが、招待を断る理由として成り立つものではなかったとしても。
そして、今に至るという訳である。決して派手ではなく、寧ろあの場にいる他の人々に比べればずっと控え目に着飾ってきたはずなのに、淡い金髪にブルーグレイの瞳という彼女の容貌、それだけで人々の視線は集まった。
向けられるのは、好意に満ちた好奇の眼差し。若く美しい彼女を誉める声は止まず、ダンスの申し入れも溢れんばかりだった。
嫌ではなかった。嫌だと思うはずも──それよりもこんな自分にという思いが申し訳なさや居た堪れなさに変わるばかりで、マリアはそれらを全て断って、気分が優れないからと席を立ったのだった。
結果的にあの場を抜け出せたことは寧ろ良かったのだが、かと言ってすぐに戻っても先程の二の舞になるのは目に見えている。
仕方なく、マリアはその場を離れ、歩き出した。どこか人のいない所で、風に当たって戻ろう──そんなことをぼんやりと考えながら、表の庭を通り過ぎて角を曲がる。
「──マリア?」
唐突に呟かれたその単語が己の名であるとすぐに気づけるほど、思考は追いついてきていなかった。立ち止まって何度か大きく目を瞬かせ、その先にいるであろう『己の名を呼んだ人物』を探す。
灰銀の髪と青紫の瞳。大柄な男性。見覚えのある顔。マリアもまた、驚きを顕わにしながらその名を呼んだ。
「……は、ハインツさん……!?」
見知った顔だと互いにわかれば、次に浮かぶのは同じ疑問。
「どうして、ここに……?」
それは同時に互いの口より紡がれた。
◆
宴は、いつ終わるとも知れぬ時の狭間をたゆたっているようだった。喧騒は止まず、光は消えない。繊細で優雅なピアノのワルツが、遠く聞こえる。
賑わう世界から、少し離れた場所。噴水の傍らに、二人の姿はあった。
「なるほど、遠い親戚のつながりか……」
「ハインツさんは、お仕事だったんですね。それにしても……まさかこんなところでお逢いするなんて」
「ああ、全くだな」
偶然の再会も半ば必然が招いたのだと思えば、幾許かの楽しさも遊び心を抱くというものだろう。堪える必要もない笑みを零しながら、二人は顔を見合わせる。
ハインツの眼差しはマリアの記憶に残るそれと変わらない。だが、己の今の格好を思えばこみ上げてくるばかりの恥ずかしさに、マリアは僅かに俯いて呟いた。
「似合わないでしょう? こんな服」
「そうか? 私は、綺麗だと思うが。それに、新鮮とも言うか」
頷きながらあっさりと言うハインツ。
「新鮮?」
首を傾げるマリア。
「剣を握っても、ドレスを纏っても、どちらの姿も似合うと思った……と、いうことだ」
「そ、そうですか……」
誉められたことに礼を返せばいいだけなのに、それがうまくいかない。彼の言葉に一片の嘘も混ざっていないとわかるから、余計に恥ずかしくなるというのに。
「ところで、マリア。何故外に? まさか、道に迷ったという訳でもあるまい」
ハインツが疑問を覚えるのも、もっともだろう。マリアは誤魔化すように笑ってみせて、それから、小さく息をついた。
パーティーの喧騒は、遠くはない。目を凝らさずとも見える、意識せずとも耳に届く範囲で、迷おうとしても迷えないだろう。貴族の住まう広大な邸宅とは言え、ここは迷宮ではないのだ。
「……少し、人に酔ってしまって。あんなにたくさんの人がいる場所は、初めてですから」
ついでに、容姿を誉められたり異性から誘いを受けるのも、初めてと言っても過言ではないというのは、胸の内に秘めたままだが──ハインツが微かに笑みを漏らすのを見ると、それも伝わってしまったように思える。
「まあ、わからなくもないな。私も、大勢の人がいる場所は、苦手だ」
「ハインツさんも?」
「人もそうなのだが……どちらかと言えば、香りが」
「香水ですか?」
「苦手とすること自体、失礼だとは思うのだがな」
ちらと向けられた視線に、どことなく申し訳ないという気持ちが滲んでいるような気がして、マリアは微笑んだ。
「……何となく、わかります」
そういう印象を全く抱かなかったかと言われれば、嘘になる。確かに苦手そうだと感じたからだ。
彼ならばきっと気づいているだろう。マリアは直接確かめこそしなかったものの、そう確信した。
手首と、そして耳の後ろに少しだけつけた花の香り。白く可憐な鈴蘭の──
「──だがな、マリア」
「はい?」
少しだけ言い辛そうに、ハインツが言った。マリアはきょとんと目を瞬かせて、返事をする。
「理由はどうあれ、こんな暗がりを一人で歩くのは感心しない。たまたまここにいたのが私だったからよかったものの、雇われている兵が皆紳士とは限らないぞ」
ハインツの言わんとすることは、遠回しではあるが、何となくわかる。マリアは騎士であるが、それ以前に女性だ。彼なりに、マリアの身を案じてくれているのだろう。
「……ありがとうございます、ハインツさん」
「礼を言われるほどのことでもない」
微妙な沈黙。けれど、どこか居心地のよい空気。自然と表情を彩る、笑み。
そろそろ宴もたけなわだろうか。マリアは灯りの漏れる窓を見上げる。
「ハインツさん、お逢いできてよかったです。そろそろ、戻りますね」
「ああ。そうだ、マリア──」
丁寧に頭を下げたマリアを、ハインツは引き止めた。
「……折角の機会だ、一曲どうだ? ……と言っても、ダンスはそれほど得意ではないんだが」
その誘いを断る理由はなかった。ぎこちなく差し伸べられたハインツの手に、マリアは己のそれをそっと重ねて、笑う。
「大丈夫ですよ、私も、あまり得意ではありませんから。それに、見ているとしたらお月様だけでしょうし」
「なるほど、違いない」
曲が、変わる。優雅さを残しながら、やや軽快なリズムに。
同時に二人の足も──やや覚束ないながら、動き出す。拍子を踏むようにちらちらと瞬く、星の動きに合わせて。
──まるで息を潜めるように、夜風が止んだのは偶然か。
手を取り合って踊る二人を、夜空に浮かんだ金色の月がやわらかな笑みを浮かべながら見下ろしていた。
Fin.
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