<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


交響幻想曲 −旋律が歪む協奏曲−





 少し伏せ気味の妖艶な視線で、エスメラルダは手に巻きつけた水晶の鎖を眺める。
 街の地図もほぼ完成に近づき、後は第三層の地図だけと言うところ。
 それに、人型のあの人形の対処法も額を壊せばいいと分かっているし、この前は4つの言葉を呟いたとも言う。
 加えて、落ちてきた街が実は街の形をしているだけの別のものなのではないかと言う予想と、それを裏付けるような複雑な魔方陣が街に擬態しているという意見も出た。
 そんな中で現れた老紳士。
 エスメラルダ自身が送り出した覚えがない、街に現れた新たなる登場人物。
 老紳士は今エスメラルダの手に集められた水晶の輪を望み、街に必要という言葉から、彼はきっと街の住人。
「これを持って街に出向けば状況は進展するかしら。それとも」
 つっと口元を吊り上げてエスメラルダは冒険者を見る。
 そう、その言葉の続きはきっと、危険にさいなまれてしまうのか。
「確かめてみたいわ」
 本当に水晶の輪を持ったものだけの前にしか現れないのか。
「もし、条件も無く会えるのなら、街の事を聞きたいものね」
 輪を持って危険にさいなまれたというならば、輪を持たずに会うことが出来れば、先日のように自分たちに何かしてこないのではないか。
「あ、会えなければ、何時ものように探査を」
 お願いね。と、エスメラルダは微笑んだ。

―――もしかしたら、そんな甘い事はないかもしれないけれど。





Believe those who are seeking the truth; doubt those who find it.           Andre Gide





 詳細が分からないという部分だけを見れば4層と5層も当てはまるのだが、地図も地形図も出来上がっていないとするならば、後はこの3層だけになったため、全員まず3層の把握をすることから始めることにした。
 その手には、この街で出会う人形の額を崩した後に残り、そして先日、湖泉・遼介が街に持ち込んだ水晶の輪。持っているだけで出会うことが可能なのか、それとも何かしら切欠が必要なのかはわからないが、鍵となることだけは確かだと言える。けれど、その“鍵”も全てを持ち込んだわけではない。取引のカードは少しでも手元に―――いや、この水晶の輪には何かしら秘密がある。先日、老紳士が言ったという言葉から、エスメラルダは全てを冒険者に託すことはしなかった。
 そして、ただ一人、シルフェだけがその水晶の輪を持ち込むことをしていない。
 彼女が言うに、
「わたくしには、その老紳士さんにお会いしても、戦う力がございませんので」
 とのこと。
 確かに先日遼介が襲われたという事実を考えれば、戦闘能力に対して些か心配があるシルフェのこの判断は、正しかったといえるだろう。そう、自分から戦いの場に赴くようなことをする必要はないのだ。
 だが、あの老紳士が何かを知っているのは事実。
 水晶の輪を持っていようがいまいが一人で行動することは結局のところ安全とは言えない。
「そうだな、二手にでも分かれるか?」
 ランディム=ロウファは集まった一同の顔色を見やりそう問いかける。そこへ、ふわっとロングスカートに少しだけ空気を含んで街に降り立ったサクリファイスが、
「幸いこの3層は、1層・2層ほど広くはない。いつ老紳士に出会うかは分からないが、通りを一通り歩くだけならばそこまで時間もかからず合流できるだろう」
 ランディムの提案を補完するように情報を付け加える。
「一度二手に分かれ、合流後詳しい散策へという流れというわけだな」
 まずは距離の把握か。と、キング=オセロットは言葉を付け加える。
 それに加えて、一塊で行動することは、罠があった場合全員引っかかってしまう可能性を秘めている。
 しかし、それは、グループを分けることで被害を抑えることだって出来るだろう。
「こちらが下手に警戒していては、老紳士も警戒し出てこぬかもしれぬ。いつもどおりを装うのが一番いいと私も思う」
 だから、グループ分けを行っての散策は賛成だとアレスディア・ヴォルフリートは答えた。
「じゃあ、どう分けるか。だよな」
 遼介自身もグループ分けをすることに異論はない。けれど、前々から連絡を取り合う手段がないことに不便を感じていた。
「何か、遠距離に連絡ができる方法があればいいんだけどな」
 例えば無線なんかがあればいいなぁと。片方が老紳士に出合った場合、その様子をもう片方へと伝えるために。
「それは私が空から行おう」
「あ、そっか。頼んだ!」
 遼介の言葉にサクリファイスがそう答え、そういえば先日老紳士に会ったとき、空からサクリファイスに助けられたなと納得して頷く。
 しかし、そうなってくると片方の人員が減ってしまうが、定期的に確認もしくは連絡という手段をとるならば、さして差し障りもないだろう。だが、戦力として数えないシルフェと、戦線を一時離脱するサクリファイスを同じグループにすることはできないため、後は戦力を半々すればいいだろう。
 そして、分けた2つのグループ。
 1つは、アレスディア。遼介。シルフェ。
 1つは、サクリファイス。オセロット。ランディム。
 こうして戦いになってしまうことを前提で話を進めるが、話し合いで済ませられることに越した事はない。けれど、最悪の状況を常に想定してことを進める。そのための人員編成だった。
「収穫があろうとなかろうと、帰りの時間はいつもどおりでいいな?」
 オセロットはそれぞれが歩き始める前、皆の顔を見回し問いかける。
 その問いに一同は頷き、そして歩き始めた。
 本来ならばブレイン――参謀担当のランディムは、後方で仕切ることが筋なのだが、今回ばかりはあまりにも分からないこと、知らない情報が多すぎるため、そう言っていられない状況。だが、それだけではなく、ランディム自身、相方や遼介がであった老紳士に興味があった。
 エスメラルダから預かってきた水晶の輪に視線を落とし、角度を変えて観察してみる。
 日の光を受けて時々虹彩を含む水晶の輪は、触れ合えば鈴のような音を放つ。
 出来ることならば、もう一度この街を“視て”みたかったが、いかんせん自分を保てる自信もない。そんな危険な賭けはするだけ損だ。
 何か大きな魔力なりなんなりの力が、この街にある事は確かなのだが……。
 今はまだ、答えは暗雲の中。それでも、自分達の手でパズルのピースを組み上げ形を一つにすれば、その先に答えが見えてくるはずだ。
 ランディムは、ふと視線を二人に向ける。話し合いたい事は沢山あるのだが、自分の考えが上手くまとまらないのか、誰もが思考に落ちた沈黙を続ける。
 しかし、それを打ち破るように声をかけた。
「皆、色々考えたんだろ? 照らし合わせてみないか?」
 三人寄れば文殊の知恵とも言う言葉だってある。一人で考え込むよりは、議論・推論を交わした方が有益な情報に変わるかもしれない。
「人形が水晶の輪に戻り、それが老人にとってのよい働きなんだろ」
 単純に考えれば、老紳士には人形を水晶の輪に戻す力がなく、けれど、水晶の輪が必要で、元に戻す方法なり元に戻った輪を求めていたという事。
「……そして人形達から紡がれた言葉」
 同という事はない。けれど、人形が発したからこそ意味を持った4つの言葉。
「この街は、ソーンだけじゃない、俺の世界のものでもないしな」
 人形の構成を調べようとして、透かして視てしまった街を構成している本当の力。岩壁、れんが屋根と見せかけているだけで、その実体はランディムの知らない世界の言語で描かれた魔方陣。まずこの街の魔方陣を解析しようと思ったら、この世界の言語を学ぶ必要がある。興味深い材料だが、独学で進めるにも今のところ危険も大きい上、この魔方陣を学べる人物も居ない。
「老人は、そしてこの街は俺たちに何を見せたいのか。そもそも老人は何故水晶の輪に拘るのか」
 問いかけるような視線を二人に向けて、ランディムはこれがまず自分の考えだと言うように言葉を〆る。
 一人考え込むように眉根を寄せていたサクリファイスも、ランディムの考えを受けて、また何かしら考え始める。水晶の輪の予想よりも、老紳士で出会えたとき、投げかけたい質問ばかりを考えていたからだ。
「水晶を集める、老紳士。だが」
 そのため、ランディムの言葉に答える形となったのは、オセロットの言葉だった。
「必要と言う言葉から、この輪が街を起動させる何かだとする」
「確かにそういう考えも出来るか」
 矢継ぎ早というタイミングで帰ってきたランディムの言葉に、オセロットはふっと笑みを零し、指を4本立てた。そして、1本ずつ指を折り曲げながら言葉を続ける。

 1.老紳士の目的は何か。
 2.あの人形は何を駄目と言ったのか。
 3.老紳士と人形、彼らは目的を同じにするものなのか。
 4.それとも、それぞれ別の目的を持っているのか。

 今現在分かる疑問だけでも軽くこれだけ浮かぶ。
「そうだな…」
 ランディムは瞳を虚空に泳がせ、自分たちが分かっている事だけとりあえずまとめていく。
「老人の目的は、今のところ水晶の輪を集める事、だろうな」
 その後集めた水晶の輪を使って街を起動させることも、多分、目的に含まれる。
「人形の言葉が、何が駄目なのかは、街に来る事に対して駄目と言っている可能性もあるだろう」
 駄目とは基本的に否定の言葉である。オセロットは自分で出した疑問に、自分なりの推論を答える。
「……人形と、老紳士は、違うような気がする」
 2人の会話を自分なりに解釈しながら、先日見た老紳士を思い出し、サクリファイスは口を開く。
「そういえばサクリファイスは見てたんだよな」
 遼介と老紳士がであったところを。
「遠目だったから、あまり詳しい事は言えないが」
 それでも実物―――本人を見ているというのは心強い。
 もし、何の事もなく冒険者を偽ってこの場に現れても、その人物が件の老紳士だと判別がつくからだ。
「老紳士の特徴は、確か燕尾服だったか」
 集められた情報の中で、こんな何もない街の中、加えて探索すべき対象の街の中でありながら、正装などという場違いな格好で現れた。
 もしかしたら、老紳士が普段暮らしている場所は、この表面上の街とは違う場所かもしれない。
 神妙な顔色を浮かべていたオセロットだったが、ふっと息を吐き出すように表情を和らげ、
「……考えるばかりでは、何も変わらない。探索を続けながら老紳士を探そう」
「オセロットが話し出したんだぜ?」
 ランディムは肩を竦めるようにして笑う。が、その笑いに嫌味はない。単純に会話のノリとしての返答。
「あの老紳士が何者か、まだわからないけど……会ってみなければ、始まらないな」
「そういう事だ」
 ゆっくりと紫煙を満喫したい気持ちになりつつも、オセロットはその代わりに上着のポケットに手を入れて、空を仰ぎ見る。
「相手が狙いのものを持つ……あまり、いいご対面はできそうにないが」
 ふっとオセロットは笑みを浮かべる。空は、清々しいほどの青だ。
 ピンッ。と、軽い衝突音。
 ランディムは水晶の輪を親指で跳ね上げ、落ちる輪を凪いだ手で握り締めた。
「仮に取引に持ちかけられたって、俺達の目的はあくまでも此処の調査だ、ギブ&テイクったって失うものは何もないわけだし、情報が聞き出せるなら渡してしまっても構わないだろ」
 確かに元々自分たちの持ち物ではないのだから、減ったとしてもいっこうに構わないと言ってしまえる。しかし、相手から折角与えられた(とは、一概に言いがたいが)取引材料なのだし、できるだけこちらに有効に使いたいものだ。
「“カード”は多いほうが有利ではあるがな」
 切札をカードを呼んだオセロットに、ランディムは少しだけ同じような空気を感じて、肩を竦めてふっと笑う。
「一度、向こうの様子を見てこよう」
 サクリファイスはばっと羽根を広げ、空へと飛び上がる。
「ああ、頼んだ」
 飛び立ったサクリファイスを見送って、オセロットは進むべき先を見つめる。
「とりあえず、このまま順当に進めれば、この先で会えるな」
 ゆりやかにカーブする街道の先、そこに待っているのは遼介たちか、はたまた―――











 スタートからどれくらい進んだか似たような民家の連なりで分かりづらいが、歩みの速度が違っていても、輪に走っている街道を、時計回りと反時計回りで歩き始めたのだし、何も起こらなければ何時かは合流する道だ。
「何もなかったみたいだな」
 ばさっと翼をたたむ様にオセロットとランディムが進む先に舞い降りるサクリファイス。
「幸いと言うべきか、残念と言うべきかは、分からないが」
 苦笑するように告げたオセロットに、サクリファイスも苦笑を浮かべる。
 何せ老紳士に出会わなければ、多分解決への道は先に進まない。
「約束を交わしたわけじゃないし、奴さんの出方をのんびり待つしかないさ」
 焦ったっていい事は起きない。と、ランディムは飄々と答え、2人もそうだな。と納得する。
「あと、どれくらいで合流できるだろうか」
 一度合流し、合流後の進行方向の街道や民家は詳しい地図を作りながら進む。
 分かれてから出会うまでどれだけ時間がかかったかを割り出せれば、円周がどのくらいの距離があるかおおよそ図る事が出来る。
 そうすれば、地図を作るための時間があとどれくらいあるのかもおおよそ割り出す事が出来るだろう。
「時計で例えるなら、2時50分というところだろうか」
 そうだな…と、サクリファイスは何かを思い浮かべるように視線を虚空に向けて答える。
 50分ということは、短針は3時に近いという事になる。遼介組みの歩みのほうが遅いらしい。確かにおっとりとしたシルフェは早く歩くという事をしないため、ちょっとのんびり進行になるのは致し方ないか。
「出来れば合流時には会いたくないものだ」
 老紳士が何かしら仕掛けてきた場合、一網打尽にされる可能性が高いからだ。
「合流時ってのは、対処の幅が広がるのか、全員危険に晒されるのか、微妙な線だよな」
 話が通じれば口数が多いこちらが有利になるだろうが、出会った最初から戦闘態勢だったらこちらが不利の状況。
 それは老紳士も考えて出てこないのかもしれない。
 けれど、まずは出てきてくれることが重要なのだから、この際どんな状況で出会っても構わない。
 そう考えながら歩を進めれば、視線の先に分かれた3人の姿が見えてきた。
 確かにそれほどに3層の通りの距離は長くないようである。
「空から連絡もあまり必要なく合流できたな」
 軽く手を上げて声をかければ、向こうも気がついたようで、笑顔で手を振り返す。
「合流してしまいましたねぇ」
 ほぅっと頬に手を当てて、シルフェが困りましたと言う様に瞳を伏せる。
「出ていらっしゃらないなんて、恥ずかしがり屋さんなのでしょうか」
「そりゃ面白い!」
 本当に大勢の前に現れることが苦手なんて弱点、面白いことこの上ない。そう言ってランディムはにっと笑顔を浮かべる。
「そういえば未来視の結果を尋ねてもいいだろうか」
 未来視とは、シルフェが持つ水操師の力の1つだ。どうやら合流前にそれを行っていたらしい。そして、その結果をアレスディアが尋ねた。
「あまり変化はないように感じます」
 しかし、シルフェはふと振り返る。視線の先には―――
「遼介様。あまり深入りはしないようにしてくださいましね」
「え?」
 突然の言葉に遼介は瞳をぱちくりとさせる。
 自分が、どうにかなってしまうような未来が見えたのだろうか。
「水晶の輪があったにせよ、先日老紳士が遼介の前に現れた実例がある。顔を知っている遼介を目標にする可能性はある……か」
 オセロットはふっと息を吐き、言葉を告げたシルフェに流れるように視線を移動させる。
「ここではよく行っているな」
 彼女があまり未来視を行わない事を知っていたから。
「背に腹は変えられないと申しますか、あまりにもわたくしたちの知らないことが多すぎますから」
 そう、シルフェは普段まったく未来視を行わない。けれど、今回ばかりは不足の出来事が多すぎて必要とあれば未来視を行うようにしたのだ。
「変化はないって言葉を聞くと、前にもう一度行っているように聞こえたが」
 小さく小首をかしげ、サクリファイスは尋ねる。彼女を含め、オセロットやランディムは最初の未来視を行ったとき別行動をしていた。
「はい。争いは避けられない未来を」
 そう、シルフェは告げる。道の途中、サクリファイスが様子を見に来た時に告げても良かったのだが、未来は移ろい変わり行くものだ。こうして合流する前に争わない未来に進んでいたらいいという一縷の望みにかけた。
 しかし、結果はあまり変わらなかった代わりに、最も近く基点となりそうな未来も垣間見る事ができたが。
「とりあえず、よく分からないけど、勝手な行動控えればいいってことでいいのかな?」
 深入りするなと言ったシルフェの言葉に、遼介なりに結論が出たのか皆にそう尋ねる。
「深入りの意味合いにもよるが、単独行動は慎んだ方がいいということだろう」
 先日の事があったせいか、少しだけ過剰に反応気味のサクリファイスに告げられて、遼介はバツが悪そうに苦笑する。
「今日ばかりはそんな事考えてないから大丈夫だって」
 あの老紳士が襲ってくる存在だと分かっている以上、一人よりは皆と居た方が心強い。
 しかし、それでも現状はなんら打破されていない状態なわけで、ランディムは気がつけば光を増した太陽に水晶の輪をかざしてどうしたものかと言葉をかける。
「まぁ、こうして俺たちが持っている水晶の輪が一堂に会したわけだが、老人が現れる気配ってのはついぞ感じられないときたもんだ。これからどうする?」
「何もなければ、この第3層の地図作りがエスメラルダ殿からの依頼ではあるな」
 そのために最低限の用意もちゃんとしてきている。いや、老紳士に出会えたとしても、3層の地図は今後のためにあったほうがいいだろうと、アレスディアは答えた。
 そこへ、オセロットが口を開く。
「何か切欠が足りない可能性というのもあると思うがな」
 水晶の輪を持っているだけならば、最初に人形達を輪に戻した瞬間や、その後二度目の探索で人形達を輪に戻した後に、そのまま探索を行っていたメンバーの前にも、老紳士は現れていたはずだ。
 それが、一度街から放された輪を持ち込んだ遼介の前にだけ現れた矛盾。
 前回の遼介の行動から、水晶の輪の何かを感じ取ったに違いない。オセロットはそう遼介を見つめた。
「何かぁ……」
 一生懸命思い出そうと遼介は両手を組み、むむっと眉を寄せる。
 そして、
「あ」
 ポケットから取り出された水晶の輪。
 ゆっくりと、それは指先から滑り落ちる。

 リ―――ン――――……

 まるで鈴が鳴るような音が反響するように広がった。











 ランディムは屋根の上を見据えたままにっと笑う。
「なるほどなぁ」
 一度街から切り離す事で、人形を形作っていた力の糸が切断。それを再度街の―――いや、街と見せかけている魔方陣に触れさせる事で、お互いを呼応させる。
 その結果、あの鈴の音のような水晶の輪の音と共に、
「由々しき事態と申しましょうか」
 老紳士が現れた。
「あぁ。不必要。何も使えない。しかし……」
 そして老紳士は一人苦悩の表情を浮かべ、屋根の上から一同を見下ろす。
「輪を持っている。あぁ。不愉快。不愉快極まりない!」
 彼が、件の老紳士か。
「あなたに聞きたいことがある!」
 誰かに聞かせるわけでもない独り言を大声で発し、一人苦悶している彼に、言葉が通るとはあまり思えない。
 けれど、尋ねなければこちらの疑問も解けないのだ。
「この街のことを教えていただきたい!」
 簡単に会話が進むとは思えなかったが、まず問いかけなければ始まらない。サクリファイスは、姿を現した老紳士に向けて開口一番疑問を投げかけた。
「これ、返して欲しいんだろ?」
 聞くだけでは何もならない。手の内を多少でも見せなければ。
 ランディムの取引に、老紳士の動きが止まった。
「俺たちが欲しいのは情報だ。こんな水晶の輪じゃぁない。この街のことを少し俺たちに話してくれるだけで、あんたが欲しい輪が帰ってくるんだ。安いもんだろ?」
 光を受けて指先でキラキラと光る水晶の輪が、辺りに時々光の筋を作る。
「それに、ここは街に見せかけただけの、でかい魔方陣の塊だ。その謎も是非お聞かせ願いたいね」
「ほう…」
 ランディムの言葉に、老紳士が明らかに感嘆したような声を漏らした。
 その仕草に、ランディムの口元が笑みの形に微かにつり上がる。
「ランディム…!」
 しかし、勝手に輪を返す約束を交わしてしまったランディムに、サクリファイスは声をかける。
「俺たちになんら損にはならないだろ?」
 ランディムは、輪に対してそれほどの重要性も感じていない。ただ、こちらに少々分があるだけの取引材料程度にしか。
「とりあえず、俺たちの質問に答えてもらいたい」
 老紳士の瞳には、ランディムが映っている。
 しかし、ランディムは自分から質問を投げかけず、すっと身を引いて適切な言葉を投げかけられそうな人物に言葉を譲る。
 まず、口を開いたのはアレスディアだった。
「あなたの目的をお聞きしたい」
 アレスディア自身、この街が別の世界から来たといわれても何ら不思議はないと感じていたし、先日の人形の言葉から、人形は元の世界へ戻りたがっているのではないかと考えた。
「人形が“戻る”と…」
 その瞬間、老紳士が鼻で笑ったような気がして、視線を彼に向ける。
「人形が言葉? そんなはずはありますまい。ただの悪あがきでございましょう」
 悪あがき…。この言葉に、ランディムが動いた。
 人形の言葉を知らないに加えこの言葉、人形と老紳士はイコールで繋がらない上に、悪あがきをしている誰かが、何かがいるという事も示している。
「“誰が”悪あがきしてるんだ?」
 かまをかけるような言葉。
「意味が分かりかねます」
 老紳士はふっと笑った。これ以上この話題を続ける事はできないだろう。
 そこへ、言葉を挟むようにシルフェが声をかける。
「あなた様は街の住人さんなのでしょうか?」
 この言葉に、老紳士の瞳がきょとんと見開かれた。
「私はただの指揮者でございますよ?」
 そして、彼は昏い微笑を浮かべる。
「私の名を問うのであれば、答えましょう。カデンツと」
 終止……。その名を持ったこの男は、何かの終りを導くか。
「申し分ないが、少々こ煩い上に回路が早すぎる」
 カデンツは、ランディムを瞳に入れながら、彼を通して別のものを見ていた。
 いったい、何を見ていたのか。
「ようじいさん。俺のこと覚えてるか?」
 カデンツの視線がランディムから遼介へと移る。
「俺も、この街に必要不可欠なら返してやっても良いと思ってる。その代わり、この街の事をもっと教えてほしいんだ」
「おや、この間の少年ではありませんか」
 たった今気がつきましたと言うような声音が、やけに癇に障る。
「本当に色々と聞きたがる。何がそんなに不思議なのか理解に苦しみますな」
「街が1個落ちてくるなんて、不思議じゃないと思うほうが間違ってると俺は思うけど?」
「動力が足りない。それだけのことでしょう」
 オセロットがピクリと反応する。元々オセロットは水晶の輪が街の動力ではないかと考えていた。
「それで、この水晶の輪を、集めているんだな?」
「左様でございます」
 肯定。
 この街が動き出したら、以前聞いた噂のようにオーケストラが響くだろうか。
「質問にはお答えしましたな? 水晶の輪は地面に落としておいて頂いて結構ですよ」
 そして、カデンツは指揮棒を持った手を空に掲げる。
 以前のような物々しい音は聞こえない。
 一瞬にして横から新たなる天井を造るように伸びる壁。
 それは路地に立つ自分たちとカデンツを隔て、まるで、見たくないと言われているかのよう。
「!!?」
 そして、一同を閉じ込めるように左右からも路地を突き破って壁が現れた。
 サクリファイスは完全に閉じ込められる寸前、飛び上がり、民家と壁の隙間をすり抜ける。
 そして、
「端に避けろ!」
 生み出した焔を天井となった壁にぶつけた。
 その音に、背を向けていたカデンツが振り返る。
 そして苦々しい眼でサクリファイスを見つめ、そして壊れた壁を見遣った。
「何故閉じ込める必要がある!?」
「君たちが持つ輪を全て感知できれば、道は自然と開けたのですよ?」
 君たちがそれをしなかった。だから閉じ込められた。それだけのこと。と、カデンツは悪びれもせず言い捨てる。
 そして、コンコンと、指揮棒で屋根を叩き、肩を竦めて笑う。
「結果的に、潰されようが、私の知ったことではない」
 その後、カデンツはゆっくりと指揮棒を振り上げた。
「……?」
 シルフェが軽く耳を押さえる。
 何か、この騒動とは違う音が聞こえる。
 シルフェは辺りを見遣るが、音楽を発するような何かは見受けられない。
 路地は、剣を刺す手品の仕掛けの中に閉じ込められたかのように、壁が不規則に生える。
「結局こうなるのか…!」
 カデンツのポジションは屋根の上から移動していない。
 横から伸びた壁を踏み台にして、アレスディアが跳んだ。
 動く壁、迫る壁がどうしても邪魔だったから―――
 カデンツの腕が動く、ゴッっと瞬間の音を発して、アレスディアとカデンツの間に壁が生える。

ドゴォッ!!

「指揮棒を!」
 壁が壊れる音と共に、指揮棒が空を舞う。
「分かった!」
 下手に転がった指揮棒を取り戻されては厄介だ。サクリファイスは飛び上がり、舞った指揮棒をその手に掴む。
「やった!」
 誰もがこれでカデンツの壁を操る能力を封じられると思った。
 が、
「笑止!!」
 その束の間の喜びをカデンツの言葉が一蹴する。
「音楽とは、指先で行うものではない! 身体全体で表現するもの!」
 再度振り上げられたカデンツの両腕。
 それと同時に、アレスディアの足元から伸びる壁。
 壁から降りられなくなる前に、アレスディアは壁を蹴り、屋根から路地へと下りる。
「あれは、ただの雰囲気の道具か」
 サクリファイスが手にした指揮棒を一瞥し、ランディムが舌打ちした。
「おや、必要のない壁を動かしてしまったようだ」
 壁がなくなった民家から、ゆっくりと、何かズルズルと引き摺るような音が聞こえる。
「こんな時に!」
 カデンツでさえも厄介な状況でありながら、日の光に引き寄せられるように、あの人形達が壁がなくなった民家から這い出てきた。
 アレスディアは人形に視線を向けたまま、ちらりとカデンツを見る。
 そう、カデンツが水晶の輪を集めている以上、無闇に人形を元に戻しては彼の思う壺にしかならない。
「彼を止めよう」
 オセロットは軽く膝に力を込め、瞬発力の再計算を行う。
 地面を蹴った後に残ったのは、軽くめり込んだ小さな足跡。
 先ほどまでそこに居たはずのオセロットは、今やカデンツの眼前に―――。
 けれど、カデンツはそんなオセロットさえも一瞥を向けたのみで、一切の狼狽もうろたえも見せない。
 オセロットはそのままカデンツの顎に掌底を食らわし、バランスの崩れた身体を組み伏せ、見た目に反し鋼で出来た身体の重みを活かして、膝でその背を押さえれば、小さくボキッ…と、嫌な音がした。
 その音は、彼が人形ではなく人という生命であり、生身であるという証の音。けれど、何かがおかしい。彼はこうして生身だと、思うのに。
 オセロットの柳眉が小さく歪む。
「心音が…聞こえない?」
 少々聴力の出力を上げたとしても、触れていることは、彼の音だけに集中できるはずだ。
 しかしカデンツからは何の音も聞き取る事ができない。
 思えば、呼吸さえもしていない。
「オセロット!?」
 名を呼ばれた瞬間、一気に感じた浮遊感。
 屋根の上でカデンツを組み伏せていたはずのオセロットの姿が、カデンツ毎消える。
 その後、しばらくして大きな衝突音が当たりに響いた。
 屋根にぽっかりと明いた穴。カデンツがオセロットから逃れるために壁を操るのと同じ方法で開けたのだろう。
「ここは大丈夫だ。オセロット殿を」
 今はカデンツも居ない。人形の対処に集中できる。とアレスディアが告げる。
 穴の底が何処まで通じているか分からない。
 深い穴であれば空を飛ぶことが出来ない人間では、高台から命を捨てて飛び降りることと同義。
 人形の動きを止めるだけという状況の中、サクリファイスはあたりを見回すが、ただ一人穴に落ちたオセロットも心配だ。
「任せた」
 その一言をその場に残し、ぎゅんっと飛び上がると、穴へと直滑降で降りていった。






「オセロット様はどうされたのでしょう」
 ふと呟いたシルフェの一言が、状況を一変させる。
 屋根の上に、カデンツが戻ってきていたのだ。
 オセロットも、サクリファイスが後を追いかけ、例え怪我をしていたとしても、まったくの一人ではないことが唯一の救いだろうか。
 それでも、一人この場に戻ってきたカデンツに問わずには居られない。
「何の事でございましょう?」
 カデンツは嗤う。
 人形だけではなく、壁を操られ閉じ込められては身動きも出来ない。
 遼介はカデンツをきっと睨み付け、ポケットのカードを取り出し屋根に跳んだ。
 跳び上がった反動を利用して剣を振り上げる。
 遼介の姿を見たとたん、一気にカデンツの動きが柔和になった。
「!!?」
 けれど、一度振り上げた剣と、呼び出したヴィジョンの槍は止まらない。
「こいつ…!?」
 ヴィジョンの槍を腹に受け、遼介の剣を肩に受けたまま、カデンツは狂気に染まった瞳で嗤う。
 血は、流れていない。
「……興味深い。実に興味深い」
 カデンツの腕がヴィジョンに迫る。
 一瞬、ヴィジョンが息を呑んだ気配が伝わった。
「ミズキ!」
 遼介の叫びと同時、中華風の衣装を纏った、どこか遼介と似た雰囲気を持つヴィジョンは、一枚のカードへと戻る。
「君も魔具を? いや、カード型とはやはり実に興味深い」
 カデンツの言葉を耳に留め、オセロットは小さく呟く。
「魔具…?」
 遼介とカデンツの攻防は時間にしてみれば一時の刹那に近い。
「装具とはまた、違ったものなのでしょうか」
 シルフェが自身の首からかけているマリンオーブに軽く触れた。
 この聖獣界ソーンに住まうかなりの者が持っている聖獣装具。
 しかし、彼は装具ではなく魔具と口にした。
「こいつ……」
 ヴィジョンを知らないのか? と、遼介は心の内で呟く。
 聖獣とヴィジョンは同じにして異なり、もっとも近しい他人。
 聖獣の加護を受けなければソーンに訪れる事はできない。しかし、装具を必然的に持っているものとは違い、ただ加護を受けたのみで装具を持たない者だって存在する。
「遼介殿、戻るのだ!!」
 アレスディアが叫ぶ。
 ヴィジョンを消したことで腹に突き刺さった槍は消えたが、肩口に刺さった剣はそのままだ。
 遼介は剣を引く手に力を込める。
「はな、せっ!!」
 見るだけならば、触れているだけ。けれど、カデンツが触れている剣の刃は遼介が幾ら引こうとも微動だにしない。
 骨を折り、わき腹に風穴、肩口に裂傷を受けながらも、彼はにっこりと嗤った。
 まるで、痛覚がないかのように。
 遼介は剣の柄を放し、その場から跳ぶ。
「やはり、君が一番適任だと私は考える」
「言ってる意味が分かんねーよ!」
 カデンツの言葉に悪態をつきながら、遼介は皆の輪に戻る。
 剣はカデンツの肩に刺さったまま。
 遼介は懐から小さなナイフを取り出した。リーチが短くなったナイフは一見不利に見えたが、剣が扱える筋力がつくまでナイフを扱っていた遼介には、実はナイフの扱いの方が得意だったりする。
「何か…聞こえます」
 戦闘能力に乏しいシルフェは、皆のように人形やカデンツの動きを止める事はできない。
 ただ回避と、回復の立ち回りに専念していた。
 それ故であろうか、聞こえた音。
「何か勘違いをしてらっしゃるようだ」
 カデンツの声と、微かな音楽。
「きゃぁあああっ」
「シルフェ殿!?」
「シルフェ!!」
 両耳を押さえ、シルフェが倒れこむ。
 アレスディアは人形の膝を一気に弾き飛ばし、倒れこんだシルフェを抱き上げた。
 耳からドロリと流れ出た、赤いモノ。
「!?」
 いったいシルフェに何が?
「大丈夫か!」
 シルフェと、シルフェを抱き上げたアレスディアを庇うように、遼介は立ち回り、人形の進行を食い止める。
「あいつ、壁以外にもこんな隠し玉持ってやがったのか!」
 ぎりっとランディムは奥歯をかみ締め、カデンツを睨み上げる。
「!!?」
 奪ったはずの指揮棒が、その手に戻っていた。
 カデンツが―――嗤う。
 これは、エスメラルダが言っていた……

 キイイィィィイイ―――!!!

 弾かれたように一瞬硬直し、ランディムが膝を着く。
「ランディム殿!?」
 目の前で起きた光景に、アレスディアが眼を見開いた。
「ちっくしょ…! これは卑怯だろ!」
 三半規管を持つ者にとって、抗う事が出来ない衝撃。
 シルフェほど重症に陥らなかったのは、咄嗟に法力を音にぶつけ何とか相殺させられたからだろう。
 力の方向性はまったく違うのだが、この音は魔力なり法力なりを置き換えた“形”である事に、変わりなかったらしい。
 きっとランディムがカデンツをにらみつけた瞬間―――

ゴゴゴゴゴゴ――――……

「なっ!!?」
 視界が上下に激しく揺れる。景色がぶれて見えた。
「何だ!?」
 あまりの振動に立っていられず、ただ一人立っていた遼介もその場に蹲った。
「君たちのせいですよ。ただでさえ動力が足りないというのに…」
 街を一時的に起動などさせたから。
「輪は返していただきましたので、私はこれで退散いたしましょう」
「待てよ!」
 いつ、自分たちが持っていた輪を奪われた?
 遼介はカデンツをにらみつけ、背を向けた彼の足を止める。
『深入りするな』
 そんな、未来視でシルフェに言われた言葉など、もう遼介の中にはない。
「止めろ、遼介」
 ランディムの静止の声が飛ぶ。
「俺たちが明らかに不利だ」
 穴に落ちたオセロット、そして後を追ったサクリファイスは今だ戻らない。
 そして、シルフェは倒れ、自分たちの足元はおぼつかない。
 カデンツは振り返る。
 目の前から遼介の姿が消えた。
 その場に残る昏き穴。
「遼介ぇえ!!」
 叫びだけが辺りに響いた。





Imagination is more important than knowledge.           Albert Einstein





 衝撃が止み、同じように衝撃のダメージを受けて動きを失くした人形を、水晶の輪に戻していく。

ドゴッ!!

「!!?」
 また人形が出てくるか!? と、見まがえた瞬間、壁が崩れ、2つの人影が顔を出した。
「皆無事か!?」
「あの揺れはいったい何だったんだ?」
 現れたのは、サクリファイスとオセロット。
「遅ぇよ……」
 ふら付く足取りでランディムは水晶の輪広いに戻っていく。
「済まない。相当内側に落とされたみたいでな」
 これでも最短距離で戻ってきたのだ。と、オセロットは告げる。
 アレスディアの眼前には今だ瞳を閉じたままのシルフェ。
 癒しの力を持っていないことが悔やまれてならなかった。
 壊した民家から完全に外へ出たサクリファイスは、頭数が足りない事に辺りを見回し首を傾げる。
「遼介は?」
 輪を拾っていたランディムと、シルフェを介抱していたアレスディアの動きが止まる。
 そして、サクリファイスに向けて、視線を向けたのはアレスディア。
「すまない……。私が着いていながら」
「え?」
 謝罪の言葉と、遼介の姿がないという事実に、サクリファイスは一瞬頭の中が真っ白になった。
「カデンツに連れて行かれたか?」
 結論を口にしたのはオセロット。
「ああ」
 一通りの輪を拾い終え、ランディムが不機嫌極まりないほど顔をゆがめ、その場に戻りながら肯定の言葉を発する。
「彼はどうにも執拗に遼介に拘っていたが……」
 ここに居る自分たちといったい何が違うのだろうか。
 そして、倒れているシルフェと、ふらふらのランディム。
 しかしアレスディアには、外傷は何も見て取れない。
 彼なりに何かしらの基準がある事は確か。
「探そう、遼介を!!」
 サクリファイスは眉根を寄せて一同を見る。しかし、オセロットがそれを押し留めさせた。
「このまま遼介を探し続ける事は、こちらに分が悪い」
 この場に居なかったとはいえ、サクリファイスとオセロットもダメージが見て取れなくとも、ここへ出てくるまで壁を壊し続けていたのだ、蓄積疲労は溜まっているだろう。
「遼介殿には申し訳ないが、今は一度エルザードに戻りたいと思う」
 倒れたシルフェを、医者なり水操師に早く連れて行きたい。
 まさかこのまま眼を覚まさなかったら……
 その思いがアレスディアの中を過ぎった。
「……次は、もっと上手く立ち回れるはずだ」
 カデンツの……いや、街の力を知ることが出来た。
 ランディムは奥歯をかみ締め、今は万全の状態で奴と挑む事が重要だと告げる。
 戻ろう。と、アレスディアがシルフェに振り返った瞬間、
「……ん…?」
「シルフェ殿!」
「わたくし……」
 シルフェはゆっくりと上腿を起こし、辺りを見回す。
「あっ…」
 耳の奥が痛む。どうやら鼓膜が破れているようだ。
 けれど、目覚めたシルフェは何時もの微笑を浮かべ、なぜかすっくと一人で立ち上がった。
 そして、そっと自分の耳に手を当てて、自分の力であっさりと傷を癒す。そう、シルフェは、早々に気を失ったおかげで、必要以上に余波を受けずに済んでいた。ただ、耳から血を流すなどという様を見て、アレスディアがちょっとうろたえてしまっただけ。
 要するに、この場で一番重症なのはランディム。
「ランディム様」
 シルフェは一人項垂れるランディムに近づき、その頭に手をかざす。
 癒しの波動が伝わり、頭の痛みが徐々に薄れていった。
「サンキュ」
「いえ、これがわたくしの仕事ですから」
 内側に受けたダメージも癒え、ランディムはよしっと伸びをして立ち上がる。
「とりあえず、水晶の輪全部持ってでも、遼介を取り返す」
 それでいいよな? と、ランディムは一同を振り返った。


 どれだけカデンツと対峙していたのだろう。
 太陽の光はもう地平線の向こうに隠れ始めていた。






















――エスメラルダへの報告――

■老紳士■
※カデンツという名である。
※壁を操る。
※心音・痛覚・血がない。
※魔力か法力を音に置き換えた攻撃をする。この時、何かしらの音楽が聞こえるようだ。
※遼介を連れて行った。

■水晶の輪■
※街を操る動力の一部であるらしい。
※街を模した魔方陣に当てる事で、双方呼応しあうようだ。
※人形とカデンツは別と考えてよい。









☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2470】
サクリファイス(22歳・女性)
狂騎士

【1856】
湖泉・遼介――コイズミ・リョウスケ(15歳・男性)
ヴィジョン使い・武道家

【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師

【2919】
アレスディア・ヴォルフリート(18歳・女性)
ルーンアームナイト

【2872】
キング=オセロット(23歳・女性)
コマンドー

【2767】
ランディム=ロウファ(20歳・男性)
異界職【アークメイジ】


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 交響幻想曲 −旋律が歪む協奏曲−にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 今回は、探査なんてほとんどやっておらず、カデンツに対してのお話と相成りました。おかげでほとんど情報が追加されていないという状況ですが、カデンツの登場によって一応ほとんどの情報はこれで出たかもしれません。
 次回から完結に向けてひた走り始められるだろうと思います。

 相手の言葉から揚げ足取る方が得意かなぁと思いまして、声をかけはしましたが、一番最初に質問をする順番をあえて避けました。
 今回のノベルの方法がランディム様的に可能であれば、その後カデンツからの攻撃の対処法は完璧だと思います(物理的な壁以外)。
 もし、それはちょっとやらないなぁという事がありましたら、ご連絡頂ければ嬉しいです。
 それではまた、ランディム様に出会えることを祈って……