<東京怪談ノベル(シングル)>


〜焔の華〜

 ぴるるるる………澄んだ夜風に乗り、珠を転がすような妙なる囀りが峰々に響き渡る。
「おや………」
 珍しい来客もあるものだ。
 手にしてた筆を止め、入り口を見やる。薄布が静かにゆれている。
 静寂を破るように庵の傍に羽ばたきが降りる。
「今晩好、凛華大姐」
 何処か稚気を孕んだ悪戯好きする少女が顔を覗かせる。
 艶やかな黒髪、おぼろげな灯篭の明かりに赤、青、緑と様々な光を弾く。
 額には赤い遊食を孕む上質のブラックオパール。
「好久不見、小焔」
「小焔という年でもないのだが……」
 くすくすと外見は何時までも、少女のままの客人がこそばゆそうに笑う。
「何をいう、小焔は何時までたっても可愛い娘には変わりないぞえ」
 しゃらりと連ねた玉が鈴の様な音をたて、肩にかけた羽衣が床をするのを気に留めず庵の主は客人を出迎えた。
 空には満天の星。月は無く、墨を零したような夜空に色取り取りの星が散っていた。
「あぁ…………」
「如何しや?」
「……大姐と初めて……であったときも、このような星空だった」
 泣き出しそうな顔で焔華は目を細めた。

「去了何處、小鬼………」
 如果發現了、不ェ恕。
 荷駄の影に隠れ、幾つもの怒気も顕にした足音が通り過ぎるのをやり過ごす。
「媽々……」
 唯震え、嵐が通り過ぎるのを待つ事しかできなかった。
 有石狩。
 額に抱く宝石を狙い、度々住処を襲われた。
 少女を生み出した一族は決して弱いわけではない……額に有る石からえる魔力は通常の人を軽く凌駕していた。
 それ以上に無頼の狩人達の追っ手は執拗であった。
「請逃!」
 母は、色艶やかな黒真珠を宿した有石族であった。父は白の中に様々な色を持つオパールを宿していたらしい。
 捕らえられた者の末期に光はない。見目の良い者は愛玩用に……多少でも価値の付きそうな石であれば石を抉り取り労働の糧に……
 周りにはそんな同属の者達が多く捕らえられていた。
「ぴぃ」
 胸元にもぐりこんだ僕の体だけが暖かい。
 切欠は本当に偶然であった。壁の端にできた小さな、小さな隙間。幼い自分であれば、何とか通り抜ける事ができそうな小さな壁の亀裂。
 亀裂の先が無事に外に繋がっている補償もない。狭い部屋の中に身包みを剥がされ、薄い一重のみで数十人が押し込まれていた。
 明日も分からぬ身、その場にいる全ての者が自分の置かれた境遇を嘆き、自由を渇望し、絶望と対峙していた。
 逃げなさい! そう叫んだ母の声に追い立てられる様に亀裂を潜りぬけ這うように進み、泥と埃に塗れながら必死に外を目指した。
 知らぬ町、石畳の道は固く冷たく……跣のつま先は寒さに感覚をなくしていた。
「……媽々………」
 涙だけは絶えず頬を塗らす。
 温もりをくれる母はもう傍に居ない………
「發現了!!」
「厭ーーーーー!?」
 ぐわしっと髪を根元からつかまれ、泣き叫んだ。
「何だ、きたねぇ色の餓鬼だな」
 これじゃ、奴隷ぐらいにしか使い道がないか?
 黒髪をつかんだ下卑た声が耳元で嘲る。
「ぴぃぃ!」
 ねずみ色の小鳥が主を救おうと必死で、太い指を突付く。
 まだ遊色の定まっていなかった子供の有石は只黒いだけであった。
「喧しいのぅ………」
 誰じゃ? 艶やかな声が路地に響いた。
 薄絹をすっぽりと被ったままでも、薄らと見える顔の輪郭だけで、其処に立つものの美しさは劣ることはなかい。絶対の美。
「我が膝元で、幼子に無体を働こうなど……良い度胸じゃ」
「なんだ、姉ちゃん酌でもしてくれるってか?」
 それとも、俺達と遊んでくれるのか。
「放掉ー!」
「私の機嫌が良いうちに、そこな幼子を此方に渡して去るがよい」
 命じる事になれた口調で女性が突き放す。
 ふわりと咲き始めの薔薇のような甘酸っぱい香りが立ち上る。
「つれなくするなよ」
 可愛がってやるからさ。
「無礼者」
「っぎゃぁぁぁあ!?」
 春を告げるというその妙なる声が、冷たく一言言い放つと少女を捕らえていた男を無数の氷の棘が貫いた。
「!?」
「おっと、大丈夫かぇ?」
 どすんと落ちそうになるのを薄布がふき飛ぶのも気にせず、救い主は手を差し伸べ受け止めてくれた。
「何だ、この女!?」
 盗賊達が思わぬ出来事にうろたえる。
「娘々、此方に居らっしゃいましたか」
「丁度良い、其処な賊共をひったてぃ」
 バラバラと重い鎧を身につけた、力強い足音が近づいてくる。
「もう大丈夫じゃ、ほれ泣くでない」
 力が抜けた。優しく暖かい腕、いい匂い……連れて来られた場所が、仙人という者が行き来する国で、折りしもその国の行く末を見守る一人の仙女に見出された事が彼女をすくう鍵であった。

「媽々………」
 手のひらに乗る大粒の真珠がビロードに乗せられてあった。
 逃げなさい! そう叫んだ声が今も耳の奥に残っている。
 生まれたときから知っている、否。生まれる前から知っている。
「すまぬ……捕らえられていた者たちを救う事はかなわんだった……」
 盗賊どもは、全員を連れて逃げる事が叶わぬと悟った瞬間、有石を持つものから宝石を抉り取り逃亡を試みた。
 炎のような揺らぎが見える、その美しい黒真珠は紛れもなく……母の額に抱いていた石に他ならない。
「……………っ」
 心が張り裂けそうで、声にならぬ悲鳴をあげる。
「すまぬ……」
 もう少し私が、奴らに気付いておれば……助けられたかもしれぬ。
 その言葉が後悔を生み、絶望が闇を呼び込む。
「何!」
 ごぅっと黒真珠が炎を上げて燃え上がった。
「これは………止めよ! この世とあの世を繋ぐ気か……!?」
 黒い炎が天井を焦がさんばかりに燃え上がる。
 既に幼子の心は黄泉路を辿っていた。母の後を追って。
「ぴぃぃぃ!」
 焔華の体に燃え移ろうとした炎の間に割って入る小さな物があった。
「っ!」
 傍にいた女性の手をすり抜けて身を投げ出す。只一人の主の為に。
「不行!」
 何であんたが……っ! 召喚者の意に反して、冥界の炎は飛び込んだ物の魂を焼き尽くす。
 私だけじゃ生きていけない。寂しい一人は嫌……
「行かせてよ! 母様と同じ場所へ……逝かせて……」
 もう寂しいのは嫌……
 塵も残さず燃え尽きた、黒真珠のあった場所に再び炎が上がる。
 明確な形と命を持って。
「なんと……鳳凰は瑞兆と言うが……」
 これは如何に……黒き炎を纏った鳳凰がぴるるるるる………と珠を転がす様な高い声を上げてへたりこんだ少女の前に舞い降りる。
 其を焼き尽くしたのは煉獄の炎。これは吉兆となりえるのか……
「…………戻ってきてくれたの……?」
 ぴるるるる………歌うように、擦り寄る濡れたように艶やかな黒い羽毛のそれを抱きしめる。
「主の為に舞い戻ったか……死して尚、忠義を尽くすか……さて、其処な小姐。名はなんと申す?」
「…………名前………?」
 愛娘と両親は良く呼んでいた。
 いろいろな事が立て続けに起こり、彼女の心は真っ白であった。
「名は……?」
「……分からない」
「それは困った」
「なんで?」
 本当に困ったような顔をする美しい人は我が事の様に難しい顔をする。
「それはな……私がそなたを呼ぶ名がないからじゃ」
 暫しの逡巡。少女と黒い鳳凰を見比べた女性は一つ頷いた。
「名がないのは都合が悪い……そうじゃな……冥き焔を纏いし華……、冥・焔華というのはいかがかのぅ?」
「焔の華?」
 では貴女は?
「相すまぬ、申し遅れた……月・凛華。麗華娘々と皆は呼ぶがの」
 好きなように呼ぶが良いよ。
 薔薇の香りを纏ったその人に出会った夜は……こんな月のない星空が広がっていた。

 後になって焔華以外にも逃げ出した子供達が数人保護されたと後になって知った。
 全てを失った夜はこのような星空だった………
「どれ、折角来たのだから他のも者も呼ぼうかのぅ」
 今もこんな星空の日はあの切ない夜を思い出す。
 そんな焔華の気を知ってか知らずか、その後暫く面倒を見てくれた仙女は明るい風を装い酒宴の準備を手配するのであった。
 寂しくないように、もう一人ではない。
 何時でも好きなときに帰っておいで……
 此処は……この人の傍が焔華が焔華として新たに生まれ、今帰る掛け買いのない帰る家であった。




【 了 】