<東京怪談ノベル(シングル)>


夜に灯る銀の光

「こんにちは」
 山本健一(やまもと・けんいち)は、古びた扉を控えめにノックする。
 いつもなら、扉の中からは、賑やかに金属を打ち付ける音とそれに負けない店主の賑やかな存在感があるのだが、今日の店内は静まり返っている。
 扉の隣の小窓から中を覗いてみると、炉の火も落とされ、冷えきった静けさの上に店内は静まり返っている。
 ──どこかに出かけてでもいるのでしょうか?
 首を傾げた健一は、愛用の竪琴を入れた袋とは別の包みに視線を落とす。
 ──きっと、喜んでくれると思ったのですが……。
 くるりと振り返った彼の背後に、ふくよかな笑顔があった。
「あんた、アージェントのお客さんかい?」
 健一の顔を見つめた女性は、優しげな笑みをさらに深める。
「今、年明けの花祭りの準備があるから、たいていの店は休みなんだよ」
「花祭り、ですか?」
 聞いたことがない言葉に、健一は女性の言葉をおうむ返す。
「おや、聞いたことがないのかい? ニグレードも、まだまだ知名度が低いってことなのかねぇ……」
 いかにも話し好きそうな、小間物屋の女将さんと思われる女性は、健一を前に滔々と説明を始める。
 暗い森に囲まれた町に、遅い春を告げる一輪の花。高山の頂きに積もる雪のように白い花を咲かせることから、その草は銀嶺草と呼ばれている。
 その花ががその年に初めて咲いた時から一週間後、ニグレードの花祭りが行われるという。
 銀嶺草がもたらす春をことほぎ、その花に宿る精霊を慈しむための祭。
 町をあげ、一週間をかけて広場を飾り、三日三晩を歌い、飲み、踊りあかす。
 広場に面した家々の扉に飾り付けられた銀燈の淡い灯火の中で、人々はしばしの享楽に酔いしれる。
「その銀燈細工にアージェントがひっぱりだこでね。とにかく、アージェントの細工物は素晴らしいからねぇ。毎年すごい数の依頼が来て、忙しいんだよ……」
 多分いまごろは、それの飾り付けに広場に行ってる頃かねぇ。
 女性はそう呟きながら、広場の方に視線を投げた。健一もつられるように、広場の方に視線を向ける。
「そうだったのですね。教えて下さってありがとうございます。それでは広場に行ってみます」
 健一は女性に深く礼をすると、広場に向かって脚を進める。確かに町は、いつもよりも楽しげで浮ついた空気に満ちている。
 ──この空気も、祭だからなのですね。けれど、花祭りですか……。
 花祭りという聞き慣れない言葉に、健一は興味を引かれていた。それは、吟遊詩人としての習い性ともなった心の動きだった。
 聞き慣れない地方の風聞を学び、それを歌にしてその風聞を知らない誰かに伝えたいという強い欲求。
 ──どんな祭りなのでしょうか、楽しそうですね。新しい歌の題材にもなりそうですし。
 1人呟くと健一は、端正な面に淡い笑みを刻み込んだ。


 辿り着いた広場は、花に溢れていた。
「これは、美しいですね……」
 感嘆の吐息が漏れる。
 ハンターギルド前の広場は、いつもの質実剛健さの欠片もない姿へと様変わりしていた。
 広場のあちこちには、美しい花飾りが飾り付けられている。手の込んだ花飾りからは、滑らかな絹のリボンが長くひかれ、広場の中央に立てられたポールに結わえつけられている。
 それは、色とりどりの絹で作られた天蓋を見るような豪奢な眺めだった。
 緩い弧を描く広場の外周に立ち並ぶ商店や民家の扉には、銀燈と思しき物が飾り付けられていた。
 その細工の美しさには、目を見張るものがあった。
 細い銀の糸を縒り合わせたような細工は、震える花弁と花蕊までもが完璧に再現されている。
「これを、アージェントが作ったのですね……」
 触れると、冷たく堅い感触が伝わってくる。
 これほどに繊細なレースで作られたような花々が、冷たく固い銀で作られているということに健一は驚きを隠せない。
「けれど、銀燈と言っていましたよね。これでは、ただの花飾りでしかないと思うのですが?」
 銀燈というからには、灯りがつかなければならないだろう。だが、眼前の細工物を見る限り、油を溜め込んだりロウソクを支えたりするところはどこにもない。
 首を傾げて細工物を眺める健一の背を、軽くつつく者がある。
 振り返った健一がその者を求めて視線を下げると、満面の笑みを浮かべた銀色の人物が立っていた。
「やっぱり、健一だ。向こうで見てて、健一みたいだなと思ってたんだ。久しぶりだね」
 彼が作った細工物よりも繊細な銀の髪が、肩からこぼれ落ちる。
 その明るい笑顔に、心がほぐされる。
「そうですね」
 健一も笑みとともに、この町に来た第一の目的であるアージェントに会えたことを喜ぶ。
「……そういえば、仕事中だったのではないですか?」
「うん、もう終わったから大丈夫。銀燈の修理がボクのメインの仕事だったし。取り付けは町の人たちも手伝ってくれたしね」
 そう言うアージェントは、確かに作業中とは思えない身軽な格好をしている。
「そういえば、花祭り見て行くよね? 夕刻から始まるんだよ」
「夕刻からですか? それなら、もうすぐですね。ですが、そんな時間に始まる祭は、ちょっと中途半端な気もするのですが」
「それはね、日が落ちたらすぐに判るよ。あれ、そういえば、なんの用事でここに来たのかな? なんか、ちょっと変わった服を着てるみたいだし……」
 すっかり祭メインで話を進めていたアージェントは、健一を見つめながら問いかけの言葉を口にする。
 アージェントが興味深げに見つめる健一のマントの下からは、彼の故郷の民族衣装が覗いている。
「ああ、これは着物といいまして、私の故郷の民族衣装なのです。これと同じものをキャラバンで手に入れたので、アージェントと妹さんにと思いまして……」
「わあ……嬉しいな。ありがとう。きっと妹も喜ぶよ」
 素直なお礼の言葉に、健一の頬も緩む。
「こちらがアージェントの方です。……そういえば故郷では、着物はハレの日に着るものでして。いまからお祭りがあるということですし、良ければ着付けをしますよ」
「ホントに? どんな風になるのかな?」
 アージェントは好奇心にキラキラと目を輝かせる。
 アージェントが細身のズボンとシャツのみという格好だったこともあり、広場にしつらえられたテーブルや椅子の物陰に回った健一は、彼の服の上から直に着付けてしまうことにする。
「……今日やったのは簡単な着付けですから、自分でもできると思いますよ。女性の場合、少しやり方が違いますが」
 帯を締め終え、健一は着物を纏ったアージェントを見つめる。
 シンプルな藍色の着物は、健一の見立て通り彼に良く似合っている。
「そうなんだ。……でも、こういう格好をすると、身が引き締まる感じがするね」
「そうでしょう」
 彼の言葉に健一も笑みを深くする。
 ふと気づくと、辺りにはそれなりの人出がある。広場のあちこちで抑えた楽の音が響きはじめ、扉を閉めていた食事処からも良い匂いが漂ってくる。
「祭が始まったみたいだね。そうだ、久しぶりに健一の歌を聞きたいな」
「いいですよ」
 嬉しそうに小走りに駆けるアージェントの背を追い、健一も広場の人垣の中へと足を進めた。


 水竜の琴レンディオンからは、美しい旋律が流れ続ける。
 最初の一曲はアージェントのために奏でたいと思っていた曲を奏でたのだが、端正な容貌の主から紡ぎ出される柔らかな歌声と妙なる調べに、聴衆たちの方が彼を放っては置かなかった。
 請われるままに奏で続け、日が地平に飲まれたとき、辺りに柔らかな光が一斉に灯った。
 その幻想的な光景に、全ての者の口から感嘆の吐息が漏れる。
「何度見ても、この瞬間は素晴らしいものだな」
 近くにいた者の口から漏らされたセリフに、健一も等しい思いを胸にする。
 仄かな光を灯すのは、アージェントが作った銀燈そのものだった。彼が手ずから編み上げた花びらが、花蕊が、蔓が、仄かな光を放っている。
 光に魅入っていた健一は、唐突にアージェントの姿がその場にないことに気がついた。
 ──仕事続きだと言っていたし、疲れてしまったのでしょうか。一言お別れが言いたかったのですが。
 別れを告げられなかったことを残念に思う。そんな思いを抱きながら竪琴を仕舞おうと袋の口を開いた時、着物以外にもお土産があったことも思い出す。
 ──忘れていましたね。甘い物好きなのだから、とても喜んでもらえたでしょうに。
 小さな包みを手にし、溜め息を吐いていた健一の背に、
「健一?」
 という、控えめな声がかけられる。
「あっ! ……クローネさん」
 仄かな光を受けた彼女は、その身の内に光を孕んでいるように幻想的で、美しかった。
「クローネでいいよ。兄さんから、キモノを預かったんだけど、とても綺麗だね。ありがとう」
 以前見かけたときの少年じみた格好ではなく、シンプルなワンピースを彼女は纏っていた。
 そのため、彼女の女性らしい美しさがより際立つ。それは、彼女に対する健一の方が気恥ずかしさを覚えてしまう類いのものだった。
「ええと、女性の場合の着付けもお教えしましたが、……大丈夫ですか?」
「うん。……あと、健一が楽しそうだから声をかけずに帰ってきたことを謝っておいてくれって。ごめんね」
「いいえ、気にしないで下さい。……そういえば、故郷の飲み物で、甘酒と言うものも手に入ったので持ってきていたのです。見かけた時、あまりに懐かしいのでおもわず買ってしまったのです」
 健一は小さな包みから甘酒の素を取り出し、クローネに手渡す。
「これをどうするの?」
「これは、簡単にお湯に溶いて飲めるものです。本当は、酒粕というものに砂糖を加えて鍋で温めるのですが……」
 しげしげと甘酒の素を見つめていたクローネは、健一の言葉を聞いて微笑む。
「じゃあ、その本当のものは、今度ボクの家に来た時にでも飲もうよ」
「いいのですか?」
「うん。でも、ボクにあいたかったら、夜しかだめなんだけど……」
 クローネが首を傾げて微笑む。
「夜ですか?」
「そう」
 その時、辺りに明るい楽の音が響き渡る。
「あっ、踊りが始まったみたいだね。健一も、一緒に踊ろう」
 広場の絹の天蓋の下では、踊りの輪が広がり初めている。その上には、星をたたえた夜空が広がっているのが見える。
 華奢な手に手を引かれ、健一はくるくると回り続ける踊りの輪に混じったのだった。

 ─Fin─