<東京怪談ノベル(シングル)>


『優しいたくさんの人たちの心のぬくもりに抱かれながら』


 私が寝床にする森の中、その小さな生き物たちはか弱い泣き声をあげていた。
 ―――鳴き声、ではなくて、泣き声。
 それは確かに泣き声をあげていると、私はそう想って、
 想ったら、胸が、痛んだ………。
 それは小さな小さなか弱い生命だった。
 まだ雛と呼ばれる命。
 鳥の子ども。
 私は鼻が利く。
 それでわかった。
 その鳥の雛たちの一羽からは人間の臭いがした。
 鳥の雛が巣から落ちるのは往々にしてある事。
 それは命だもの。その興味を惹かれて、ほんの少しばかり冒険が過ぎてしまう事もある。そして冒険が過ぎて、その雛は巣から落ちてしまった。
 それは痛い痛い事だけど、事実。
 紛れも無いその鳥の雛に降りかかった現実。
 それが現実である以上、その鳥の雛はそれを受け止めないといけない。
 落ちたその雛は、頭上の巣を見上げて、そこに居る親兄弟に救いの声をあげる。
 親鳥は稀にその巣から落ちた雛に餌を運ぶかもしれない。
 だけどほとんどが、巣から落ちた鳥の雛は、蛇やイタチ、狐、犬、狼、または蟻なんかに食べられてしまう以外の運命は無い。
 それは哀しい事だけど、でもその食物連鎖が、弱肉強食が、この森で暮らす者たちにとっての唯一にしてもっともシンプルな絶対遵守のルール。
 ―――私もそのルールに従って、あの森で生き抜いた。
 だけど、そのルールに、割り込んで、鳥の雛にルールを破らせた者が居た。
 それが人間。
 落ちた鳥の雛には、自力で飛べるようになるまで地を這って生きる術しか無かったのに、他の物に食われて死ぬしか運命は無かったのに、人間は気まぐれにその落ちた鳥の雛を巣に返してやった。



 ねえ、人間よ。それで良い事をしたつもり?
 ―――あなたの手から鳥の雛に移った人間の臭いは、巣と、そこに居た他の雛たちにも感染して(臭いが移って)、
 それで親鳥たちは、その巣を、自分たちの雛たちを、見捨ててしまったのだよ?



 鳥の雛たちに移った人間の臭いが、親鳥たちを警戒させて、結果親鳥たちに巣を捨てさせた。
 人間の身勝手な自己満足が、エゴイズムが、生み出した悲劇。



 森には鳥の雛たちの泣き声が響き渡っている。
 切なげに、
 哀しげに、
 そしてどこまでも親を求めて、
 生き抜こうと、
 生きたくって、
 ―――そして、親に捨てられた事が信じられなくって、
 ―――それが苦しくって、
 ―――それが哀しくって、
 ―――――――――――――――鳥の雛たちは、泣いている。



 オカアサン、オトウサン、オナカ、スイタヨォー。
 カナシイヨォー。
 カナシイヨォー。
 カナシイヨォー。
 カナシイヨォー。
 オナカガスイタヨォー。
 サムイヨォー。
 サビシイヨォー。
 タスケテ。
 タスケテ。
 タスケテ。
 タスケテ。



 きっと、やがて、その泣いている鳥の雛たちの泣き声は途絶えるだろう。
 蛇に食べられて。
 フクロウに食べられて。
 蟻に食べられて。
 衰弱死して。
 餓死して。
 それが運命。
 親に捨てられた子の運命。
 ――――私が辿るはずだった親に捨てられた子の運命。



 そう―――――、
 私も――――、
 一緒なはずだった―――――。



 私も親に捨てられた。
 それは何故?



 親に捨てられた理由。
 それは何故?
 


 いつも、
 いくつも、
 その理由を考えた。


 考える度にだけどわからなくって、
 答えはでなくって、
 だから、その度に考えるのをやめた。



 人間と呼ばれる者。
 獣と呼ばれる者。



 狼に育てられた私は、その両者の違いをある時、精霊に訊ねてみた事があった。
 精霊が言うには、
 理性に従って生きる物が、人間。
 本能に従って生きる物が、獣。
 だから時折、人間でありながらも、同じ人間を殺せる、人間の姿をした獣が現れるのだと精霊は教えてくれた。



 人間は理性を捨てた時、
 ――――人間では無くなる。



 犯罪者と呼ばれる存在は、だから、人間では、無い。
 ―――私を捨てた親は?



 私は私を捨てた親にその理由を訊ねたかった。
 私が森で見た獣たちは違っていた。
 明確な理由、本能に付き従って生きる彼らの、もっともシンプルにして絶対遵守の弱肉強食のルールからそれが外れない限り、彼らは自分の子どもを見捨てたりはしなかった。
 件の鳥の親子だって、そう。
 巣に、雛たちに、人間の臭いが、移っていた。
 それは、そこに自分たちを捕まえるための人間の罠があるかもしれないから、だから自分たちが生き残るために、生きるために、弱肉強食のこの世を、生き抜くために、親は、子どもを、捨てた。
 それは絶対のルール。
 正当な、シンプルな理由。
 本能に付き従って生きる彼らだからこそ、
 それは本当に純然たる、正当な、シンプルな理由。



 あぁ、あぁ、あぁ、だから私は、獣になりたかったのだ。
 森を駆け巡り、
 血を熱く滾らせ、
 野生のままに、
 本能のままに、
 ただ相手を喰らい、
 シンプルなルールに付き従ったのは、
 ただそれが私の生きるための本能だったからじゃない。



 私は獣になりたかったのだ。
 獣になれば、
 私が獣であったのならば、
 私はきっと親に捨てられなかったし、
 親に捨てられた理由も酷くシンプルな物として、
 それを理解する事ができたから。



 私は納得したかったのだ――――。



 あぁ、あぁ、あぁ、私は、獣になりたかったのだ。
 ――――獣に。



 そして私は獣になった。
 その身の裡にいくつもの命を孕む闇の獣に。



 幾年月を超えてきた。
 それでも私は私の親が私を森に捨てた理由がわからなかった。



 私が欲しかった物――――
 親の愛情。


 私が欲しかった物―――
 豊かな母の胸に顔を埋めて聴く母の心音。


 私が欲しかった物―――
 温かな家で母と父と共に過ごす幸せな娘の時。


 私が欲しかった物―――
 綺麗に伸ばした髪を母に櫛で梳いてもらえる優しい時。


 私が欲しかった物―――
 母の趣味の綺麗な服を着て、
 母の趣味の髪型をして、
 母の趣味の化粧をして、
 頬を膨らませる私の顔が写った鏡。
 そんな幸せな私と私のお母さんが一緒に写っている鏡。


 私が欲しかった物―――
 私が欲しかった物―――
 私が欲しかった物―――
 私が欲しかった物―――



 ワタシガ、ホシイモノハ、ワタシガ、ステラレタ、リユウ――――。



 鳥の雛たちの泣き声は途切れない。
 そして私は気付くと、その鳥の雛たちに餌をやっている。
 地面を掘って見つけたミミズ。
 葉の上に居た芋虫。
 地を飛んでいたバッタ。
 目に留まるものを捕まえて、それらを鳥の雛たちへと運ぶ。
 私はこの子たちの親。



 私は親に捨てられた。
 人間の親に捨てられた。
 私は泣いていた。
 捨てられた森で泣いていた。
 もう、何を思って泣いていたのか、そんな事すらも忘れてしまった。
 ただ森の中で、泣いていた。
 泣いている声で、ひょっとしたら私は親を呼び戻したかったのかもしれない。
 私を捨てた親を。
 あの捨てられた鳥の雛たちと同じで。
 ―――だとしたらそれは報われなかった。
 そして報われなかったから、私は生き延びた。
 私の泣き声は、私の育ての親を呼んだから。




 私は獣になりたかった。
 獣になれば、私を育ててくれた狼たちと、本当の親子になれるかもしれないと思ったから。


 異質な私。
 親に捨てられた私。
 人間でありながら獣の家族に入れられた私。


 だけど人間という物が理性を持つ物で、
 理性を失った人間は、もはや人間ではなく、
 それを獣と呼ぶのなら、
 私を捨てた私の両親は、
 きっと、獣。
 獣から生まれた私は、だから最初から獣。
 精霊にそう聴いて、
 そう思ったら、
 私は笑えてきた。
 笑う私の顔を、私の涙が濡らした。




 お母さん。
 お母さん。
 お母さん。
 お父さん。
 お父さん。
 お父さん。
 こんなにも私はあなたたちを求めている。
 愛して欲しいから。
 愛してください。
 私を見てください。
 私を迎えに来てください。
 お母さん。
 お父さん。
 お母さん。
 お父さん。



 お母さん、お父さん――――。



 私は獣になった。
 幾千もの獣を喰らい、
 その魂を、この身に孕んで、
 獣になった。
 獣になった私は、人間を超えた。
 人間の枠から私は外れた。
 それを改めてあの勇者との邂逅で思い知らされた。
 そして思ったのだ、


「何をだ?」
 腹を膨らませて眠りについた雛たちの巣がある木の根元、私は横になっていた。
 その私の傍らに立ったのは、あの勇者。勇者の幽霊。
 図々しくも彼は、最後に見たあの老いた姿ではなくて、若い綺麗な頃の、勇者の姿で私の前に現れた。
「………また、………私は、置いて、いかれた………って…………」
 彼は私の顔に、毒虫を食った時の様な顔をした。
 そして私は、彼の次の言葉、反応を待たないで喋る。
 ―――これはきっと私の夢。
 私は、私も知らず知らずのうちにきっと眠りについてしまった。
 だから、私は、私の好きな様に泣いて良い。
 これは私の夢だから。
「…………私は、森に、捨てられた……………。親に、捨てられた。森に、置いていかれた。そして今度は、この世界に私は、置いていかれた」



 私はまだ生きているのに、
 当の昔に私の両親は、やっぱり私をまたこの世界に残して死んでしまった。
 私はまた置いていかれた。



 すると彼は豪快に笑った。
 私が彼のその笑いの意味がわからなくって、それで彼を見ていると、彼も私を見た。
 その顔は、若かりし頃の、
 お互いにお互いの強さ認め合って、強さに尊敬し合って、殺そうとし合っていた頃の、
 そんな頃の強さと、
 つい先日の彼に見た、父親の雄大な強さと、
 そしてついには変わらなかった彼の優しさと温かさとが、
 一緒に浮かべられたそんな笑みを彼は私に浮かべた。
「千獣よ。親とは最後には子どもを置いていくものだ。子の幸せを願い。自分たちよりも長く生きてくれる事を感謝して。千獣よ、確かにおまえの親はおまえを捨てた、親失格の落第生だ。だがおまえは子どもとしては優等生だよ。美しく、そして強い、気高い娘となり、そうしておまえもついぞ人を愛するようになった。そういう感情を抱いて成長したおまえはこのソーンで1番の娘だ」
 くしゃり、とその感触は夢の癖に妙に温かくって、そしてくすぐったい感覚を伴って、私の頭でした。
 彼は私の頭を優しくくしゃりと撫でてくれた。
 まるで人間の父親が子どもにそうするように。
 そしてその感覚は、嫌じゃなかった。



 彼のその温かい手の平の感触は、同時に私に精霊の言葉を思い出させてくれた。




「千獣。知っていますか?
 親とは、あなたを産んでくれた母親や、その母親と愛し合い命を紡いだ父親、そういう人たちだけを言うのではありませんよ。
 この聖獣界ソーンにいらっしゃる神々もまた、千獣、あなたの親なのです。
 そしてあなたはその神々の子ども。
 神は、親は、いつもあなたと共に居て、
 あなたの幸せを、
 成長を、
 願い、
 見守ってくれているのです。
 あなたはたくさんの深く温かい愛情に包まれているのです。
 だけど子どもはそれがわからないのです。
 親に愛されたくて、
 愛されたくて、
 愛されたくて、しょうがなくって、
 だけどその愛情がわからないから、
 だから、皆の親の愛情から、
 誰かひとりの自分だけへの愛情を、
 自分だけの神様を愛し、求める様になるのです。
 それが命なのです。
 愛情を、紡ぐという事。
 千獣。寂しいですか?
 哀しいですか?
 独りが―――。
 でも忘れないでください。
 あなたを愛している親が居る事を。
 この世界があなたの親である事を。
 出逢う人たちが必ずあなたを愛してくれて、
 見守ってくれて、
 あなたの成長を喜んでくれる事を。
 その愛情を感ぜずとも、
 感ぜないからこそ誰かあなただけのひとりを、神様を求める行為こそが、
 あなたに余計に独りを感じさせ、
 寂しく思わせ、
 泣かせる事があっても、
 だけど、そうやって見えない神様の愛情を寂しく想い、だからこそ人は悠久の昔より自分だけの誰かを追い求め、探し、見つけ、愛情を確かめ合い、命を紡いできたように、
 きっとあなたも誰かに出逢い、
 その人があなたの神様に、
 とても大切な人になってくれるから、
 だからどうかそれを忘れないでください、千獣」



 出逢う事を、怖れない。
 探す事に罪悪感を感じない。
 ただ見つけられたその人を、
 幾千、幾万、無限の可能性と偶然、そしてたった一つの必然によって出逢えたその人とのその運命を、受け入れたい――――


 それは私の女という本能が、無意識に精霊から受け取った、メッセージ。



 いつか私だけの誰かと出逢い、
 愛を確かめ合って、
 そして、命を紡ぎたい、
 親に、
 母親になるという、
 そういう幸せの必然……………



 私は、誰か、というその言葉の部分を、あなたの名前で呼ばせてくれるあなたと出逢いたい――――



 ―――いいや、私はもう、そんなあなたに、出逢っているよね―――――



 私の心に、この身を預けられる人の顔が浮かんだ。
 その一連の想いの反芻は、その行為の名前を、まだ知らない。
 それでもその感情が、こんなにも温かいと私はそう感じる。
 私は両腕で私の身体を抱きしめた。
 もう、彼は、あの勇者は居なかった。
 私の頭に、その手の平の感触だけを残して。
 私はその彼の魂の残り香に微笑む。



 ―――私が欲しかった物。
 それは、両親に愛されて育つ、そんな幸せな娘という私。



 だけど、この私には、
 母親と呼べる精霊が居るから、


 だけど、この私には、
 この身を預けたいと望む彼が居るから、



 私は、私にその名前で呼ばせてくれるその人を、自力で、見つけたから、だから、私は、もう、大丈夫。
 ――――寂しくないよ、森に捨てられて泣いている、赤子の私。


 私は泣いている赤子の私の頭をそっと撫でる夢を見ながら、深く深く眠りの世界に落ちていく。
 優しいたくさんの人たちの心のぬくもりに抱かれながら。



 →closed