<東京怪談ノベル(シングル)>


過去との決別


剣を持つ手が震えていた。
このままこの場を去ってしまいたい衝動が体中を駆け巡る。
汗は頬を冷たく伝い落ち、その度に剣を持つ事だけに必死になっている自分がいる。
暗闇に一人、怯えるように剣を構えたまま視線を巡らすジュリス。

どうすれば…、どうすればいいの…?


「っは!」
バサリと体に掛けていた毛布を剥ぎ取り、夢から覚めたジュリスは勢い良く飛び起きた。
体中ぐっしょりと汗をかき、呼吸が乱れる。
「……夢…」
夢だとわかったジュリスは、安堵の溜息を深く吐き出した。
もうどれだけ、こんな夢を見てきただろう。
目覚めればいつものように脱力感と嫌悪感が襲ってくる。
自分の中の臆病な部分が、そして戦いでは非情で冷酷と言う両極端な部分が彼女を苦しめていた。
何度も何度も繰り返し見る、何かに怯えている自分。もういい加減その感情から解き放たれたいと感じていた。
「このままじゃいけない…」
ジュリスはまだ夜も明けきらない暗闇の中、おもむろに壁に立てかけていた剣を握り締め部屋を後にした。
街に出たジュリスの体をひんやりとした空気が包み込み、思わず剣を握った手に力が入る。
早朝と言う事もあってか、視線を巡らしてみても街はミルクの配達をする者ぐらいしかいない。
まだ日は昇らない暗闇に一瞬物怖じしてしまいそうになるジュリスはだったが、小さく頭を振り意を決したように一歩足を踏み出し、ある場所へと歩みを進める。
街灯が点々と目的の場所までの道を照らしている。
ジュリスはコツコツと靴音を立ててゆっくりと、しかしどこか急くように歩いた。
しばらく歩くと、目前には大きな建物が夜の闇よりも更に黒く威圧感を与えるように浮かび上がってくる。
そこはエルザードにあるコロシアム。
コロシアムは今封鎖をされているためか、日頃から閑散とした場所でもあった。
普通ならばカップ杯などの競技に使われたり腕試しをする者たちや観衆たちで賑わっていてもおかしくは無いはずの場所。
なぜ、この場所へ来たのか。
ジュリスはそこにある人物がいるのを知っていたのだ。
エルザード最強の剣闘士、ヴァルス・ダラディオン。彼がいることを…。
ヴァルスは寒空と暗闇の中ジュリスがゆっくりと現れた事を目視すると、足を止めた。
「何か用か? こんな早朝にこんな場所にくるとは。知っていると思うが今ここは…」
ジュリスは問い掛けてきたヴァルスと向かい合うように立ち、握り締めていた剣を突き出した。
「ヴァルス・ダラディオン。私と剣を交えて欲しいのです」
突然の申し入れに、ヴァルスはキュッと眉をひそめ訝しげな表情を浮かべた。
「どういう事だ?」
「私は自分の中の弱さに打ち勝つ為にここへ来ました。あなたと剣を交え、その壁を乗り越えたいのです」
「ずいぶんと急な申し入れだな。戦い方を教えてくれと言うのなら話は分かるが…」
ジュリスはヴァルスを真っ直ぐに見据えたまま引き結んだ口を開く。
「わたしは、戦い方を教わりたいのではありません」
二人の間を沈黙と風が通り抜けた。
ジュリスの瞳には怯えが見える。しかしその奥には何か強い意思を感じ取ることができた。
しばらくの沈黙の後、ヴァルスはゆっくりと顎を引き頷いた。
「分かった。相手になろう」
そう言うと、ジュリスを連れてコロシアムの中へ通じる通路に吸い込まれるように歩いていった。

誰もいない、月明かりだけが頼りの薄暗いコロシアム。
ヴァルスとジュリスは、そのコロシアムの中心の闘技場に向かい合うように立っていた。
「おまえがどれだけの意思でその中の弱さを克服したいのか、見せてもらおう」
スラリと剣を抜き、悠然と構えるヴァルス。
ジュリスもまた、剣を鞘から抜き取り構えた。
鼓動が早鐘のように胸を打ち、自然と呼吸も上がってくる。
あの夢のデジャヴのように、カタカタと剣も小さく鳴いていた。
このままではいけない。これを乗り越えなくてはならない。
ここから退けばまた同じ事の繰り返しになってしまう。
大きく息を吸い込むと、ジュリスはキュッと目を細め剣を持つ手を握りなおした。
「っはぁ!」
地面を強く蹴り、先に先制を仕掛けたのはジュリスの方だった。
ふわりと宙を舞い、一気にその剣を振り下ろす。
ヴァルスはそんなジュリスの剣を持っていた自分の剣で避け、ジュリスの体を弾き返す。
くるくると回転をしながらザッと地面を鳴らし着地したジュリスはすぐに体勢を整えると、再び攻撃を仕掛けていく。
ヴァルスは器用に避け再びジュリスの体を突き放した。
「っく…」
荒いだ息を整えるジュリスに、ヴァルスは黙ってみつめた。
「やみくもに剣を振るっても仕方が無い。弱さに打ち勝ちたいと言うのならもっと本気でかかってくるんだな」
見透かされたかのような言葉に、ジュリスは刺激をされたのか目の色が変わった。
「っやぁ!」
再び剣を構えると、得意なスラッシングの攻撃を仕掛ける。
いつもの冷酷非情な自分ではない自分が、まっすぐに剣を向けている。
その事は自分自身、感じていた。
一瞬意表を突かれたような表情をしたヴァルスだが、ギリギリのところでその攻撃をかわした。
剣と剣の擦れるギリギリと言う音が耳に飛び込み、目前に迫るジュリスの顔をヴァルスは見た。
先ほどとは打って変わったその表情にヴァルスは彼女が本気になっているのが分かった。
ギンッ! とジュリスを押し返し、ヴァルスも攻撃を仕掛けていく。
ジュリスは相手の隙を見つけては巧みに剣を振るい上げ、ヴァルスはそれを器用にかわしていく。
一瞬でも怯む事があればお互いに命の保証は有り得ない。
しかし、一瞬の素早い動きでジュリスがヴァルスの頬に傷を付けた。
その事に気を取られたヴァルスに対し、ジュリスは容赦なく剣を振り上げた。

ザクッ!

と言う音が当たりに響き渡る。
空は白々として夜が明ける頃、勝負は決まった。
寸でのところでヴァルスはジュリスの剣を弾き飛ばしたのだ。
地面に突き刺さったジュリスの剣が朝日を受けて光っている。
「危うく命がなくなるところだったが…。勝負ありだな」
「………」
「それだけの思いで俺に向かって来れるのなら、もう十分おまえは弱さに打ち勝てているんじゃないのか?」
ヴァルスの言葉に、我に返ったジュリスは深く頭を下げた。
「…あ、ありがとうございました」
ヴァルスは剣を鞘に戻すと、何も言わずすっと手を差し出した。
ジュリスがその手を握り返すと、ヴァルスはその場を後にした。
残されたジュリスは自分の剣を地面から引き抜き、鞘に納めるとふぅっと小さく息を吐いた。
ヴァルスと剣を交え、ジュリスは今までとは違う何かを掴んだような気がしていた。
そんなジュリスを朝日が眩しく包み込んでいた…。