<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


白き雪は罪深き



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「捜査に行き詰っている…、エスメラルダ。」

制服を着込み、口元には茶の髭を蓄えた中年は、眼光鋭い眼差しを
静かに女性の顔へと突き刺した。

「…判っていますとも、ええ、はい、人を集めれば良いのでしょ?」

「犯人の目星は…一応ついている。此れが資料だ。」

「はい、どうも」

薄いショールを手持ち無沙汰に手繰り寄せ、女性、エスメラルダは
にこりと、慣れた風に中年の男へと微笑みかける。
其の仕草には、不機嫌そうに少し咳をしただけで席を立った。
去り行く背中へ、エスメラルダは軽く手を振り、姿が闇へ解けると
ふ、と…嘲笑めいた息を吐き出したのだった。

「自警団の影役なんて…、うちのお客さん…引き受けてくれるかしらねぇ…。」

エスメラルダの溜息は遠くへは届く事無く、そのまま掻き消えた。
ちら、目線をやるのはまだまだ新しい新聞記事。
それが依頼のあった事件でもあった。



********


「と、言う訳…参った物よね…」

エスメラルダは溜息をつきながら、酒場のテーブルに着き頬杖を突いている。話し相手は黒髪に少々はみ出る呪符付きの包帯が目印の少女、千獣。こくんと、千獣は頷きながら出されたクランベリーのジュースを少しづつ飲んでいた。相変わらず、エスメラルダが吐くのは溜息ばかり。未だに、適任者は見つからない様子。

「第一、人が人を殺すなんて、ねえ…ナンセンス」

かさと、乾いた音を立ててエスメラルダは新聞を取り出す。依頼のあった記事が、大きく書かれていた。書かれている記事の内容は、まるで見てきたかのように生々しくリアリティのあるものだった。其れを見ると、尚の事エスメラルダの溜息は止まらない。

「…その、三人……会って、いい……?」

「そうなの、会うだけでも良いの…っ、千獣、頼まれてくれるの?」

見つからない、見つからないと首を振っていたエスメラルダは、思わず息を飲んで千獣を問いただす。…千獣はもう一度、浅く頷いた。持っていたクランベリーのジュースが入ったコップが揺れる、黒髪も同時にさらりと背へ流れた。

「会って、みて……少し、でも……血の、匂いが、残ってる、人……いない、か、確認、したい…」

動いてくれる様子の千獣の言葉、ここぞとばかりにエスメラルダは喜びを隠さず両手を叩き合わせた。まるで、千獣へと拝むように腰を屈め、合わせた手越しに千獣を見つめる。

「有難いわあ…、でも、気をつけてね」

感謝の意を述べて後、彼女へと注意を促す一言を付け加える。それをしかと受け取ったと、示したのか、千獣は髪を揺らし、一つ頷く。紅の眸が黒の睫の奥で瞬いた、少し考えるように視線を巡らし、手元にあるグラスを揺らす。クランベリージュースは、千獣の瞳の色と良く似た輝きを放っていた。

「………、れい、はい、に…行けば、会える、よね……?」

「ええ、掃除夫はタイミングを合わせなくちゃ、いけないかも知れないけど…」

ちゃんと、調べてもらっているわ、エスメラルダは一枚の紙を取り出し、青いインクで書かれた文字を指でなぞった。文字は幾分、癖のある書き味を紙に残している。

「午前中、10時の鐘がなる前に行けば会えるから」

「…うん、血の、匂い…した人が、いたら……隠れ、ながら…見張る……」

千獣は少し、瞼を伏せた。グラスに漂う、紅い水面も同時に揺らぐ。

「でも、長いと思うわ、大丈夫…?」

「……そう言う、のは……慣れてる、から…」

平気、一拍置いて、千獣は静かに答えを提示した。エスメラルダは、ふわりと笑い、気をつけてね、千獣へと安全をまじなう一言を振り掛ける。千獣は、声を出さずに、頷いた。

「殺す…のは、連鎖、する物……だから、それを、止めるのが………大事…」

エスメラルダは少々伏せ目がちに、だが、口角を僅かに上げて、そうねと呟く。千獣は相変わらず、瞼を伏せていた。…今宵も雪が降る、朝まで降り止みはしないだろう、白い冬は何時まで続くのだろうか。
恐らくは、彼の教会も、先日と同じように白に濡れている事だろう。殺人者を庇った雪は、未だ教会に居座り続けている。




ごおん  ごおん  ごおん


遠くで鳴る鐘の音、降り積もる雪に耳を阻まれ、尚のこと遠いと感じた。もとより教会は白く、それに雪を纏わせたのだから、堪らなく白い。そこに、黒点のように小さな千獣が一人、さくさくと教会へと歩んでいく。先程の鐘は、八時の報せだ、エスメラルダよりの情報からでは、掃除夫はまだ居るだろう。千獣の歩みはゆっくりとした物だった、それでも、早すぎるほどに、小さな足跡も雪の中へと埋もれていく。

ふっと、千獣が息を吐き出せば、口元が白く煙る。立ち上った息の白さに、思わず目を細めた。…教会の扉は大きいが古く、年月を感じさせる草臥れ具合と色合いが、何とも奥深さを感じさせる。そして、無駄に大きいのだ。千獣は片手のみで、幾年月を積み重ねた扉を動かした。ぎ、っと、まるで開けられるのを拒むかのような、苦しげな音を立てて、扉は開く。

「ようこそ、寒い中大変でしたでしょう?」

迎えてくれたのは、中年のシスターだった。目じりに少し寄った皺は、扉と同じように年月を感じさせる。教会の中は意外に狭く、雪と言う事もあってか、礼拝に来る者は少なかった。千獣の目が瞬いたが、その僅かな変化に気付くほどの鋭敏さを持ち合わせていなかったシスターは、どうぞと何も判っていない風に、掌で並ぶ長椅子を指し示し、千獣へと座るように無言での促しをした。

すとんと、席に着く。狭いといえども、人がこうも少ないのでは逆に広くさえも思える。…天井だけは無駄に高い、天板にはステンド硝子がはめ込まれているが、雪が降り積もりその意味はまるで成していない。しかし、溶けかかった雪が光を含めば、綺麗な物なのだろうという予想は出来た。
掃除夫が、隣の列の長椅子の合間を箒で掃いている。牧師は前で説法を説く。…千獣の嗅覚は鋭敏なれども、寒さに加えて二人同時に現れては、混同してしまう恐れもある。掃除夫の匂いが判れば、牧師の匂いを嗅ぐまでも無い。掃除夫が、此方へと近づくのを、じっと待つ。長椅子に座ったままだが、緊張感がある。その緊張感を、掃除夫が感じる事は無いだろう、千獣が掴みかかりでもしない限り。そう、此れは狩猟に似ている、獲物は掃除夫。目的の情報を狩る為、千獣はじっと期を待つ。とは言えども、匂いなのだから相手に気づかれずに得る事は容易い。

「………、……」

千獣の前を、獲物が通り過ぎる。それは何気ない仕草、何気ない風、薫る…獲物を千獣は得る事が出来ただろうか。ちらと、千獣の紅の眸が、行過ぎた影を追った。年を重ねて曲がった背が、去っていく。

「……」

まるで、祈りを捧げるように、千獣は瞼を伏せて項垂れた。



雪が降り積もる。

ごおん ごおん ごおん

10時を告げる鐘が鳴る。
相変わらず、腹底に来る音だ。


牧師は一人、教会に拵えられた庭の中心に立っていた。空を仰ぐ、老眼らしい、眼鏡が雪の光を反射した。白髪交じりの黒褐色の髪は、雪に塗れて白の部分が多く見える。

「…全く、らしくない」

一つ、牧師は呟いた。その背に背負うのは、何か、見当も付かないが。そこに、また一つの影が射す。牧師は、鋭敏な感覚の持ち主なのだろうか、その影に直ぐ気付き、ゆっくりと振り返る。緩やかにたなびく黒髪、それと共に、呪符を織り込んだ包帯も風に揺れた。

「………見つ、けた…」

「…」

牧師はわかっていたのだろう、少々瞼を伏せ、遠慮がちに笑う。右手で緩やかに、慣れた手付きで十字を描いた。千獣は、清浄な紅の双眸を、津々と降る雪と同じように、視線を牧師へと与え続ける。千獣は、少し鼻先を、服で拭うような仕草を。

「ひど、い……臭い…、あなた、も…」

臭い、とは、通常の人間では得る事の出来ない情報、血の臭い、死臭、それが千獣の鼻腔を鋭く貫いた。堪らない、とでも言うように、もう一度、千獣は鼻先を拭う。

「申し訳ない」

そんな千獣の態度に、牧師は困ったような笑みに表情を摩り替えて、頭を下げた。千獣は、至って無表情、仕草で何とか、判り得る程度。若しくは、全くと言って感情が読めない。

「…………なぜ…、人を、殺す、の……?」

感情が読めないのは、また、別の意味で牧師も同じだった。笑もうとも、其の裏では何を考えているのか、千獣にも見当が付かなかった。ついと、千獣は頭の中に炙り出された疑問を口に出す。

「人を、殺して……何が、満た、されるの……」

つぎにと、牧師からの答えを待たずに、千獣は問いを投げ掛けた。どうして、どうして?疑問符しか、千獣には思い浮かばない、決して、辿り着く事の無い答え。

「……私は……何も、満たされ、なかった…」

経験から来る疑問、どうしても、それから獲られる物が知りたい。千獣自身には、獲られる物が何も無かったから。どうして?そんな、何も獲られはしないような、愚行を?


「……なぜでしょうね、人と言うのは、難しい」

「…あなたも、……ひと、でしょう…?」

答えた牧師、だがそれは、結論には余りにも遠く、千獣はもう一度訊ねる事となった。何故?

「…人と言えども、“ひと”とは合い交わりはしない。人だからといって、“ひと”が判るとは、限らない」

まるで別の種族を話す様、牧師の言葉は淡々としていて、気味が悪かった。人一人、感情の行く末に殺めてしまった人の対応と言うものは、こう言うものなのだろうか。千獣は考える、が、すぐに首をゆるく左右に振るった。理解はし難い。

「判ら、ない……なぜ…?」

「貴方は、判らない方が良い」

牧師は笑う、千獣は、何故か、其の笑顔は心からきたものだと、どこか深いところで感じる事が出来た。
気がつけば、彼の手は千獣の頭にぽんと乗っかっている。何をするでもなく、彼は千獣の頭を一つ撫でておろした。撫でるためだけに腕を上げただけだ。

「なぜ、殺さ、なくちゃ……いけな、かったの……?」

千獣の、紅い双眸が牧師を見上げる。純粋な眼差しは、背に十字架を背負ってしまった牧師には、凶器に近い物に取れた。

「…どうしても、守りたかったんだよ、この教会を」

「守る、ために………一つ、消して、しまったの……?」

「そう」

どうしても、守りたい物には、代償が付く物だと、牧師は哀しげに笑った。千獣は、少し首を傾ぐ、肩に掛かった髪が、背へと零れる。

「…一緒に、行こう………」

「…助かるよ」

もう一度、牧師は笑った。






数日後――――


「千獣、ほうら、此処だよ。お手柄さん」

エスメラルダは新聞を大きく広げ、一つの小さな記事を流暢な動きで指差した。其処には、自警団の記事が載っている。先日の、牧師の事件であったが、千獣の名前は何処にも載ってはいなかった。それは、千獣の気にする所ではない。

「……」

「あの牧師さん、教会をどうにも続けられなかったらしいね。よくある話だけどさあ…」

そう、よくある話、そのよくある話で、人一人死んでしまうのも、また、よくある話だった。今更、どうこう言うほど、エスメラルダも人情家ではないが、目の当たりにした事件ともなると、一言何か言いたくも成るのだろう。

「よく、あるんだ……」

最後に見た、牧師の笑顔、千獣は思い返していた。白い世界に、浮かんだ笑みは人を殺めるような人物になどは見えなかった。それが、一つ、何かを守ろうとするために、あの笑顔が消えたのかと思うと

「……人間…って、怖い…の?」

「……良し悪し」

千獣の疑問は、エスメラルダの一言ですっぱりと片付けられた。


今宵も降る降る、闇路の果てより白き使者が。津々と積もりきる白い雪、穢れ無き白さにナイフのような鋭い冷たさ。相反する物を持ちえた彼らは、何食わぬ顔で、下界へと降り立ってくる。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【 3087/ 千獣/ 女性/ 17歳(実年齢999歳)/ 異界職】

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■         ライター通信          ■
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■千獣 様

発注有り難う御座いました!大変遅くなって申し訳御座いません…。
遅くなった分、しっかりと煮詰めてみました、如何でしょうか!
今回は戦闘シーンを加えませんでした、シリアスなシーンがとても多いです。
場所が場所、犯人が犯人ですので、今回はしっとりめに…。

これからも精進して行きますので、機会がありましたらば是非
宜しくお願い致します!

ひだりの