<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


やっと気づいた『大切なもの』


 夜空に満点の星空が広がる下、ベルファ通りに軒を並べる黒山羊亭では、飲んだくれが家路につこうとしていた。
「えすめらるだちゃぁ〜ん! ごちそうさまれしらぁ」
「ちょ、ちょっとそんな千鳥足で大丈夫なの?!」
「だいじょうぶ、だいじょうぶだってぇ。それじゃ、またあしたねぇ〜!」
 顔を真っ赤にさせて手を振る彼は、毎晩仕事帰りに来てはベロベロに酔うまで飲んで、帰っては奥さんに怒られていた。真面目にしていれば腕の良い細工師なのだが、大の酒好きのために稼いだ金はすべて酒に変わっていた。奥さんとは、あまり良い話を聞いていない。
「また彼はお酒を飲みに来るのかしら……」
 黒山羊亭の売上を考えればまた来てほしいのだが、個人的には奥さんと一緒に家で過ごしてほしかった。
「さて、今日はもう店じまいね……疲れたから店の掃除は明日にしましょう」
 口の前に手をあて、あくびをしてから台所へ行き、汚れた皿を手に取った。


 翌朝。
 箒を手に取り、床を掃いていたエスメラルダの元に、昨晩酔っ払って帰っていったあの男が飛び込んできた。おもわず避けてしまったエスメラルダがいた場所に勢いそのまま、椅子とテーブルにぶつかり倒れてしまった男を起こしたが、右腕を掴んだ手に違和感を感じた。
「……無くしてしまったんだ」
「な、なにを?」
「う」
「う?」
「腕……朝起きたら腕が無かったんだ。これじゃあ仕事もできない! 妻に相談しようにもいないし、どうしたらいいか……」
 力なく倒れた彼だったが、どさくさに紛れてエスメラルダに抱きついた時は、さすがに箒で叩かれた。

 腕は、どこに行ってしまったのだろう?


□■■


「おはようございます」
 朝の陽気が漂ってきたかと思えば、翼のような耳が特徴的な羽耳族のミルカがゆったりとした足取りで黒山羊亭の門を開いていた。しかし、返事は無い。エスメラルダは必死に箒を振り回して、よっぱらいのような男を振り払っているのだから。
「エスメラルダさん、きょうはいそがしいのねえ」
「うわぁーん! エスメラルダちゃーっん。妻を、クローディアを探してくれー!」
「そ、そんなこと言ってるけどねえ。ちょっとは落ち着きなさい!」
 とうとうエスメラルダの堪忍袋の緒が切れた。それと同時にミルカは、泣いていた。もちろん嘘泣きだが、その悲鳴にも似た泣き声はエスメラルダの声よりも、男の声よりも大きかった。おかげで店外にいる人々さえも耳を力強くふさいだ。そんな中、
「エスメラルダ、何があった!」
 蒼天のような青く長い髪がミルカの前を行き、黒い何かをぶっ飛ばし、エスメラルダの前に漆黒の鎧を着た女性、サクリファイスが立った。
「誰かが泣いていたようだが……気のせいなのか? みんなポカーンとした顔をして、どうかした?」
 エスメラルダは後ろを指差した。ちょうどミルカの隣、机と椅子が乱雑している中に、男が眠っていた。


 数分後。
 ミルカとサクリファイスはエスメラルダから事情を聞き終わったとき、男は何もなかったかのように椅子に座った。
「あはは、すまなかったね。取り乱した姿なんか見せてしまって。僕の名前はポット。細工師さ。エスメラルダから、だいたい話を聞いていると思うが……。あのぉ……」
 エスメラルダはそうそうにポットを2人にまかせると開店準備に取り掛かっていた。ミルカ、サクリファイスの2人は額に手をあてたり、腕を組んだり、竪琴のキーを調節していたり……
「考えても埒があかない。一度、あなたの家に行ってもいいか?」
 ミルカがふと、自分の右腕を見ていたとき、サクリファイスは立ち上がった。
「聞きたいことが山ほどありすぎて。それに、右腕は利き腕だ。早く戻った方がなにかといいだろう」
「あたしもそう思う。はやく行きましょう」
「ミルカさん、サクリファイスさん! ありがとう御座います」
 ポットは扉の外を指差した。ふと、2人の目が頭にとまる。一瞬、稲光が見えたような気がしたからだ。
 陽は高らかに昇り、眩しく輝いているのに――


■□■


 ポットの家に着いたのは、ミルカとサクリファイスが「いつ腕がなくなったのか」や「家に着いたら調べさせてもらうぞ」など言っていたときだった。
「腕は朝起きたら無くなっていました。寝る前は…酔っていて覚えていません」
「……そうか。微妙に魔法の気配を感じるのだが……まあ、家の中を見てみないとわからないか」
「…お酒とクローディアさん。いったいどちらが大切なのかしら」
 ぽつり。とミルカは呟いた。だが、ポットはサクリファイスの鎧に興味を持ったらしく、しつこく触り、漆黒の羽をバッと広げられて怒られている。
「さっさと入らせてもらうぞ!」
 ミルカの知らない間に上下関係が出来たのかな、と思うくらい、ポットは物腰低くサクリファイスの言うとおり、器用に左手だけで鍵を開け、扉を開いた。
 家に入ってみると、棚と机と椅子以外、ほとんど…
「なにもありませんね」
「作品を納品したり売ってしまったりした後ですから。それに僕は妻とお酒以外、興味ありませんし」
 たしかに、ポットはサクリファイスのような鎧を身につけていないし、ミルカのように布をふんだんに使われた服でもない。シンプルで、なんの変哲もない格好をしていた。
 家の中の構造はいたって変わったところは無く、入ると左右に部屋があった。2人はそれぞれ1つずつ部屋を調べることにした。

 ミルカは左の部屋に入った。
 どうやらポットの部屋らしく、タンスを開けてみるとさきほど着ていたような服が並んでいた。机の上には酒瓶だけが置いてあり、それ以外、何も無い。
 それにしても、この部屋は酒臭い。
 ミルカは絶えかね窓を開けた。窓を開けると清々しい風が部屋の中に入ってきて、ふわりと髪をなでる。
 ぽとっ。
 何かが落ちるような音がする。どうやら風のせいで何かが落ちたようだ。
「……あれ?」
 タンスと机の間に本がはさまっている。手に取り表紙を見た。見たことが無い言語で書かれている。
 他に、なにか無いかと探したが、これしかない。
ミルカはそっとページをめくった。
「…しゃしん?」
 ミルカが見つけたのはアルバムだった。きちんと規則正しく並べられた写真の下にはメモがあり、「作業中、ポット」や「ポットと海」とポットの写真ばかりだったが、2枚目を捲った時、おもわず目が留まった。
 にこやかに笑うポットの隣に微笑む女性。下には「ポットとクローディア」と書かれていた。
「サクリファイスさん、ポットさん!」
 ミルカはアルバムと竪琴を腕に抱えて部屋を飛び出した。

 ポットはずっと椅子に座って、窓の外を見ていた。時折、扉を見て、クローディアが戻ってくると思いをはせたが逆の方向から扉が開く音がした。
「ポットさん、サクリファイスさん!」
 ミルカとサクリファイスはほぼ同時に扉を開けた。ミルカは本を、サクリファイスは――もはや説明はいらなかった。
腕を持っていた。
「そっちも、何かあったようだな」
 ミルカは大きく頷き、ポットの待つところまで行った。
「ポットさん。これについて聞きたいことが……」
 ぼとっ。
 そっと、肩に触れただけだった。
 2人は言葉を失った。
――ポットの首が落ちた。
 黒山羊亭を出る際に見た、稲光が全身に走り、やがて黒煙が立ち上る。
「これは、まるで……」
「あーぁ。とうとう、このときが来てしまったのね」
 見知らぬ女の声が響き、後ろを振り返る。
「え?!」
 思わずサクリファイスは声を上げた。
「な、なぜ、私がいるのだ」
 蒼く長い髪に、白いワンピース姿の――サクリファイスが扉を背に立っていた。ミルカは2人を見比べる。服装の違い以外、違いがわからない。
「エスメラルダから話は聞いているわ。ごめんなさいね。この子はサイボーグなの」
 白いワンピースのサクリファイスは2人を落ち着かせるため椅子を用意し座らせ、紅茶を飲ませた。
「それを飲むと、少し気分が落ち着くわ」
 そして、ゆっくり話し始めた。
「あたしの名前はクローディア。5年前に、エルザードに着たわ――。
 色々な店でウエイトレスをして稼いでいたとき、裏通りのゴミ捨て場でポットを見つけたの。彼の姿はぼろぼろでうっすら目を開けて、あたしを見ていた。彼の目を見ていると、服が汚れるのも忘れて、抱えて持って帰ったわ」
 思い出したのか口に手をあて、笑っている。
「一目惚れ、ですか?」
「そうね。それから、彼はあたしのためにアクセサリーを作ってくれて、たくさん作ってくれるから、あたしがそれを売っていって、2人で協力して……この家を買うことができて。でも、しだいに彼は動きが鈍くなっていったわ。だから、エネルギーにってアルコールを与えたら元気になって、だからたくさん飲ませてたら自分で飲むようになって……」
 それで、黒山羊亭に通うようになったのだ。
「あたしたちでよければお手伝いするわ」
「ポットさんをなおすのでしょう?」
 クローディアはにこりと笑い、「もちろん」と言った。


■■□


 換気の為に開け放たれた窓から入ってきた風はすぐに熱風に変わる。
 専用の工具を使いコードを繋ぐクローディアに指示され、サクリファイスはすばやく行動する。ミルカはその間、2人のためにと精が出る料理を作っていた。野菜の皮を手際よく剥き、鍋の中に入れる。捲り上げた袖が落ちかけていたのをなおして、ボールに小麦粉と隠し味をいれ、水でこねる。それを広げて鍋の中身を包み込みオーブンへ。火の調節はお手の物。ミルカは鼻歌まじりに焼け具合を観察し、ちょっとサクリファイスとクローディアの様子を覗く。
 ミルカには、2人の区別が服と声しかわからない。
 椅子に座り、アルバムを再度開ける。さっき見なかったページをめくった。
 2人で小さな花を育てたり、2人でアクセサリーを作っていたり……。
ポットさんはわかるのだろうか。
 ふと、そう思った。


〜〜〜〜


「ふぅ」
 月明かりが窓から差し込んでいる。あたりは複数の人間の寝息がするだけで、他になにもない。いや、作品をすべて納品したり売りさばいたりしたはずなのに、工具がそのへんに散らばりクローディアが床で眠っている。
 毛布を取りに行こう。
 部屋に入るとミルカがすぅすぅと寝息をたてて眠っていた。
「目が覚めたか」
 振り返るとサクリファイスが立っていた。
「ミルカが作った料理が……うぅ、思い出すだけで幻が見えそうだ……。とにかく、みんな疲れて眠っている。あなたももう少し寝たほうが良い」
 そう行って毛布を2枚渡された。部屋に戻ろうと背を向けたとき、
「ちょっと待て。聞きたいことがある」
「なんでしょう?」
「私とクローディアさん。よく見間違わなかったな」
 ポットは微笑んだ。まるですべてが見えているかのように。
「大切な人ですから」
 そう言って部屋を出た。


 翌朝。
 ミルカはまた食事をつくると申し出たが、サクリファイスとクローディアは慌てて断った。その代わり、ポットとクローディアと2人で台所に立った。2人は時折笑いながら、楽しそうに料理をしている。
 ポットが完成したときに聞いたのだが、どうやらクローディアはポットが壊れることを予想し、材料を集めていたのだという。それをポットに伝えるとき、ポットは酔っ払っていてまともに話を聞いていなかったらしい。その様子に呆れ返り、そのまま出たのだと――クローディアは夕食の席でミルカのパイを食べながら、そう言っていた。
「また、呆れて黙って出て行っちゃうかもしれないけど、あたしはポットが壊れてわかったわ。
 大切な人だって思ってることが――」
 2つの鍋から立ち上る煙が絡み合い、1つとなった。
「やっと気づくことができたのかもしれない」
「ありがとう」

 ありがとう――




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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3457/ミルカ/女性/17歳/歌姫/吟遊詩人】
【2470/サクリファイス/女性/22歳/狂騎士】


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         ライター通信          
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 はじめまして、田村鈴楼です。ご参加ありがとう御座いました!
 いかがでしたでしょうか?
 ミルカ様のプレイングから温かい思いを感じ、文中で温かいパイを焼いてもらったのですが、どうやら……な味だったようです。
 サクリファイス様のプレイングから核心に触れるものがあり、おもわずドキリとしてしまいました。なので、腕を見つけて頂いたのですが、実際に想像してみると、とてもドキリとしてしまいました(笑)

 また、緋鳥絵師による「やっと気づいた『大切なもの』」の劇中ピンナップもよろしくお願いします。
 窓開けは【2月24日】を予定しております。

 それでは、ありがとう御座いました。