<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


門出

 その日は朝からどんよりと曇っていた。黒滝真とキリカ、二人のデビュー戦だというのに。
「‥‥雨、降るかしら」
 腐りかけた木製の雨戸をわずかに開いて、キリカは慎重に外の様子をうかがう。隣では真が壁に背をつけて腰を下ろしており、彼はキリカの作った隙間から、黒ずんだ灰色の空を見上げた。
「どうだろう。まだしばらくは大丈夫だと思うが」
 すい、と真の視線は両膝の間に置いたバッグに戻る。二人分の着替えが主に詰められたそのバッグは、これから始める捕縛作戦の後には必ず必要となる物だ。
 キリカの視線も動いた。重い空から、蔦を纏った屋敷へと。何本もの木々に守られるように佇むその屋敷は、捕縛対象である狂魔術師の隠れ家だ。そう命令されているのだろう、玄関ポーチを生ける屍が数体、取り囲んでいる。こちらからは見る事のできない側にも見張りがいるかもしれない。近づけば腐臭が漂ってくるはずだ。この猟師小屋が使われなくなって久しいのも、あの屋敷の気味悪さと生ける屍と腐臭のせいに違いない。
「ざっと5、6体といったところね。見張りを無力化するのは任せてもらえる?」
「ああ、頼む」
 着替えの用意が終了した真は、両手をぐっぐっと力を込めてゆっくりと何度も握り、己の体の調子を確かめている。作戦完遂の為には彼が万全である事が望ましい。手腕の次は上半身をねじってみたり、足を踏み鳴らしてみたり。要するにやっている事はストレッチであり、調子を確かめると共にほぐしているというわけだ。
 目に見えて動く真の筋肉を、キリカは暫し眺めていた。それから彼の横に自分も座り込み、彼の腕の片方を抱き寄せて、豊か過ぎるほどの胸を押し付けた。
「‥‥思い出さない?」
「そうだな‥‥」
 何を? ――とは問わない。問わずとも理解したから。幼馴染の二人が恋人という深い間柄に発展したのだから、さもあらん。言葉がなくとも、大抵の意思疎通は難なく済んでしまう。それは体の一部分の動きであったり、息遣いであったり、鼓動のリズムであったりと、互いをよく知っていなければできない芸当だ。
 二人が思い出したのは、数年前、自分達に起きた事。

 ◆

 あれはデートのさなかの出来事だった。
 昼食の為予約してあるレストランに向かう道すがら、キリカがブティックの店頭に飾られた新作バッグに目を奪われていた。またいつものおねだりが始まるんだろうなと思いながら、真は彼女をバッグから引き離した。時間に遅れたら予約をキャンセルされるかもしれないからと。仕方なくキリカは彼の言う事を聞いた。勿論、食事の後にその店へ寄ってもらうのだと決め込んで。
 昨日と同じ今日。今日と同じ明日。幸せで平凡な日常が続くものだとばかり思っていたのに――そうはならなかった。
 通り道に停まっていた、何の変哲もない一台の荷馬車が、彼らの日常をあっという間に奪い去ってしまった。まずはキリカの腕が掴まれて、幌の中へと引きずり込まれそうになった。当然、真は助けようとしたが、彼の背後を取った何者かが彼を特殊な薬で眠らせてしまった。覆面で顔は隠れていたものの体格からしてその不審人物達は全員男性で、力ずくでこられては当時のキリカでは勝てるはずもなく、彼女も程なく眠らされた。
 そうしてどこかへ連れ去られた二人が目を覚ました時に寝ていたのは、冷たい手術台の上だった。
「お前達は我が組織の尖兵として生まれ変わったのだ」
 直後。白衣を着た男が現れて彼らにこう宣告してくれた。
「己を見よ。ただのヒトの身では決して持ち得ない、素晴らしい能力を得た己の姿を!」
 その口ぶりがあまりにも何かを狂信する者のそれで、彼らは最初、男が何を言っているのか理解できなかった。自分達のどこが変わったというのか、変化など微塵も感じられなかったからだ。
 だがそれも、恋人を慮って眼差しを送るまでの話。
 すらりとしていたはずのキリカの白い脚は、膝から先が黒々として先端が鉤爪になっている。同じように肘から先は緑色に変化し、手だったものの内側には鋸状の刃がずらりと並ぶ。最も大きな変化は彼女の臀部だろう。そこに付属しているのはまさしく蜘蛛の腹部であり、2対の新たな脚も生えていた。
 真の全身は甲虫の如く固い、鎧のようなものに顔まで覆われている。硬質化した羽が背中を守り、額の辺りからは雄々しい角が伸びて、まるでカブトムシが人の姿をとったような姿だ。だがカブトムシらしくないところもある。背や腕など各所から生白い触手が生えていて、本体の命令を今か今かと待っているのだ。
 二人はただ絶句した。どんな言葉を発すればいいのか、全く思いつかなかった。
「お前達はもはやヒトではない。異なる生物との合成によって誕生した、強靭な肉体と特殊な能力を併せ持つ‥‥そう、『怪人』だ!」
 白衣の男が己の知識と技術の具現を前に、さも愉快そうに笑い出した。

 彼らが狙われたのはなぜだったのか。今となってはわからない。少なくとも、狙われたという事実は、他人の目には不運だったのだと映るだろう。
 だがもっと不運だったのは、彼らを改造した秘密結社のほうだった。

 自分達は世界征服を目指す秘密結社である、と男は二人に説明した。二人はその目的達成の為に作られたのだ、とも。善人に分類されるだろう真とキリカは、到底協力する気は起きなかった。あの奇怪な姿ではなくヒトの姿でいる事は可能だったし、特殊能力とやらを駆使すればいつでも容易く逃げ出せるように思われた。
 実行に移さなかったのは、世話してくれた結社員から結社の実情を聞いてしまったからだ。曰く「とある街の町長を誘拐しようとしたら先客がいて、その先客を退けたらターゲットから感謝されて、さらうにさらえなくなった」だとか、曰く「運営資金を確保しようと宝石店へ強盗に入ったら、その店で照明に使われていたランプの火が内装に燃え移って火事が発生し、いつの間にか人命救助要員として数えられていた」など、挙げていけばキリがない。それだけこの結社はどうしようもなく間が悪かった。
 おまけに結社を統べる首領――白衣の男――は、確かに有能ではあるものの、新たな兵器の開発にしか興味を持たなかった。結社存続のためにはどうしても必要になる金が、どんどん出て行くばかりでほとんど入ってこないのだ。
「ねえ」
「ん?」
「手伝ってあげたくなってきたの」
「‥‥俺もさ」
 食事を運んでくるたびに目の下のくまが濃くなり、やつれていく結社員。真とキリカが見るに見かねて協力を申し出るまであまり時間はかからなかった。



「でも結局、沈んでいく船を止める事はできなかったわね」
 今はよき思い出となった日々から戻ってきたキリカは、長い睫を揺らして瞼を開いた。
「俺達の改造に命運をかけたと言っていたからなあ。なけなしの資金を使ってしまって、底がもう見えていたんだろうさ」
 今は散り散りとなった結社員達の、無念そうな、けれどどこかほっとしたような、去っていく背中を思い出す真。
 仲間と呼ぶには共に過ごした時間がいささか短かったし、二人を改造した張本人達でもあったが、どこか憎めない人達だった。
「――行くか」
 真が立ち上がる。彼の腕から離れたキリカも立ち上がった。
「そうね。降り始める前に、終わらせましょう」
 二人に残ったのは、怪人としての能力だ。有意義なものにする為に、彼らは今日、賞金稼ぎとして華々しくデビューするのである。

 ◆

 腐った肉と体液の臭い。それらがぼたりと地に落ちる音。怪人としての姿になったキリカが手首から出した蜘蛛の糸により、屍達は身動きできないままただ呻く。冷たい眼差しに射抜かれても尚、与えられた命令に従い続けようとして自らの首を絞めていく。
「うおおおおおおお!!」
 がら空きになった玄関ポーチ。固い皮膚に覆われた拳を掲げた真が走りこむ。常人の百倍はあるという筋力をフルに活用して、彼は鍵のかかった扉を粉砕した。破片の飛び散るホールに、奥の扉から、階段の上から、動く屍と作られた命がわらわらと溢れ出す。
「はっ!」
 腹から息を吐くのと同時に腐肉を四散させる。しかしホムンクルスは己に降りかかった腐肉を全く意に介さないまま、両手両足に伸びる尖った爪を真に突き刺そうと向かってくる。
 彼はそれを避けた。背中から伸びた触手の一本は避けきれずに切り裂かれたものの、数分で再生するのだからどうということはない。仕返しとばかりに、別の触手がホムンクルスに向かって伸びる。その動きはホムンクルスの回避行動を意味のないものにしてしまうほどだった。
 ホムンクルスの首に巻きつく触手はホムンクルスの数だけ増えていく。本体である真は、自身も腐肉を全身に浴びながら、時には一匹ずつ、時には数匹まとめて、ゾンビを確実に仕留めていく。ゾンビとホムンクルスの数は決して無限ではないのだから、そうするだけで十分だった。

「だが、奴がここに辿り着いた時には既にわしは姿をくらましているというわけだ」
 鷲鼻の狂魔術師は、ゾンビやホムンクルスを使って働いた悪事の成果がはみ出た鞄を引っさげて、今まさに裏口から逃亡しようとしていた。手足として動いてくれるものはまた作ればいいだけの事。ほとぼりの冷めるまで息を潜めなければならないだろうが、その為には今いるゾンビやホムンクルスは邪魔でしかないのだ。
 魔術師はドアを開こうとした。しかしノブが動かない。白い糸で固定されている。ナイフで切ろうにも、糸は丈夫すぎた。焦るばかりの魔術師の体を、天井から垂れてきた新たな糸が絡めとる。
「観念なさい」
 鍵爪を器用に動かして糸を伝い下りてきたキリカは、更に糸を吐き出すとまず、罵詈雑言を発し始めた魔術師の口を糸で埋めて無力化した。

 猟師小屋へ戻った二人がした事は、服を着る事だった。怪人の能力は凄まじいが、人の姿へ戻った時に全裸となるのはどうにかならないものか。蓑虫状態で床に転がる魔術師を、着替え終わった真が肩に担ぐ。もう片方の腕にはキリカが寄り添った。
 そして二人は、魔術師を引き渡して初めてとなる賞金を受け取る為、そして恋人達の時間を過ごす為に、夜の街へと消えていった。