<東京怪談ノベル(シングル)>


『うるさい人』


 その人はとてもうるさい人。
 会う度にいつも同じ事しか言わない。
 ―――「私の名前を覚えたか?」



 名前?
 あなたの名前なんか私に覚えさせてどうするの?
 私があなたの名前を覚えて、それで私に何か得が?
 私のお腹がそれで膨らむのなら、何だって覚えてあげる。
 ―――「私の名前を覚えたか?」



「………知ら、ない…」



 それは至極簡単な言葉。
 明確な意思。
 私はあなたなんか知らない。
「ならば、今日こそおまえの敗北を持って私の名を覚えさせてやるまでよ」
 彼はどこか楽しげにそう詠う様に言うと、自身の剣を振り上げた。
 私はあくびをしながら右腕を振り上げる。
 彼は地面を蹴って一気に私に肉薄し、私は甲殻類の属性を持つ魔物の封印を解いて、右腕にそれの能力を限定的に現出させる。
 彼の剣は、右腕を覆う甲殻で弾き、裁き、
「ちぃぃぃぃ」
 剣を流され、身を流した彼の腹部に私は左足を叩き込む。もちろん、脚力は強化済み。軸足も、蹴り足も。
 後方に吹っ飛んだ彼は背中から背後にあった樹齢数百年の大木に激突して、気絶した。
 そして眠りを邪魔された私は、場所を変えて、眠りにつく。
 まどろみの海に沈んでいく最中ふと思う。彼はどうして何度も私に毎回酷い目に遭わされながらしかし、戦いを挑んでくるのか、って…………。



 ――――本当に人間の考える事なんて、わからない…………。




 そしてそういう時は狂々狂々狂々狂々(くるくるくるくる)と、流れた。
 狂々狂々狂々狂々と、狂々狂々狂々狂々と、狂々狂々狂々狂々と、時は流れて、その流れた時は確かに次の目を芽吹かせるには十分な時だった。
 あの人の、残し物。
 咲かせようとした花の芽。
 次の、うるさい人…………
「僕の名前を覚えたか?」
「………あの木の天辺の枝からはらりと舞い落ちた葉が、地面に舞い落ちる前に私が倒した子。………それは前回?」
 何度かしつこく来られたので、その辺の記憶は定かじゃない。
 そしたらホビットのその子は、彼の遺品であり、そしてその子が受け継いだ勇者専用の魔法剣アルスを振り上げて、私にかかってくる。
 私はそれを紙一重で交わす。
 紙一重で交わすのは相手の連続攻撃をさせないため。
 まあ、今のこの子にはそれは必要ないけど。
 私のすぐそこを過ぎ去る剣の切っ先を見送って、そして視線をその子に向ける。
 悔しそうにするその子のうなじに私は手刀を叩き込んで、
 そしてそれで彼は私の足下に倒れた。
「…………体感時間で言うと、今回は前………よりも、短いよ……」
 無闇やたらに突っ込んでくるから。
「…………あなたは、とても、素直な、子だね………あなたの、父親は、それは小賢しい人だったよ。ちゃんと彼はこの世は弱肉強食だ、ってわかっていた……。その言葉の、意味………考えて…………」
 私は懐かしい物を感じながら、その子にそう伝えて、そして後は精霊に任せて、場所を変えて眠りにつく事にした。
 別に寝たかった訳じゃないけど、何となく。
 だって、彼は大抵私の寝込みを襲ってきたから。



 ―――――美味しいカモシカの肉を食べようとしたら、殺気で起こされた。
 その時は彼を、確か殺しかけた。
 懐かしい思い出。



 ―――「いくら何でも私の名前をもう、覚えただろう?」
 うるさい人が来た、と思いながら、私はいつだって気だるげに身を起こした。
 それが何でだったか、その時の私にはわからなかった。
 でも今の大切な人たちをたくさん得た私なら、その時はわからなかった事がわかる。
 それは、私が彼に会うまでは、独りだったから。
 独りを知っているから、私は彼の相手をしていたんだ。
「………何だ、生きて、いたのか、カモシカの肉を食べるのを邪魔した、人間…」
 今思えばそれを聞いた時の彼が一番怒っていたと思う。
 その理由だけは、今となっても私にはわからない。
 でもまあ、その時だって瞬殺だったけど。
 瞬殺じゃなくなったのは、しばらくの間姿を見せなかった彼に、森の外に連れ出されて、戦う様になってから。
 ―――「私の名前を覚えたか?」
 その時の彼の笑みは、中々に、凶悪なものだった。




 しばらく姿を見せないと思ったら、その子はある日また突然現れた。
「僕の名前を覚えたか?」
 その子は私ににやりと笑うと、おもむろに足元の地面を叩きつけるように踏んだ。





「私の名前を覚えたか?」
「人を、違う森に誘いこんで、言う事は、またそれ?」
 中々に凶悪な笑みを浮かべながら彼は自身の足下の地面を叩きつける様に踏んだ。
 すると私の右斜め前方から矢が飛んできて、私がそれを身をかわして避けたまさにその場所に今度はロープで吊られた丸太が突っ込んできた。
 ―――受け止めた方が早い。
 私は左腕に限定付きで魔物を現出させて、突っ込んできた丸太を手の平で受け止めると共にロープを引きちぎって、
 千切った瞬間に、
 私の周り、私を中心にして円を描く全方向から、丸太が突っ込んできた。
 両足に魔物を現出。脚力強化。上に跳躍。
 そして、
「千獣ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
 と、跳躍した私に向かって彼が剣の切っ先を私に向けて突っ込んでくる。
 ―――これを彼は狙っていた?
 これまでの経験から、私の呼吸、タイミング、魔物の特性、魔物の動きの好み、そういうのを覚えて、それを考慮に入れて…………


 ああ、なんたる小賢しさ―――
 これが、人間?


 そしてだから私はぞくりとした。
 それは私がこの身に巣くわせる魔物たちの性。
 いつの間に私に染み付いた凶暴性。
 私の、人間としての、本能――――、



 人間は、牙も、爪も持たない。
 だからこそ、どんな獣や魔物たちよりも、強者への想いが、強い。
 私は、打ち震えている。



 私の唇が動く。
 言葉が口笛の様な音となって、森に流れる。
 それまで息を押し殺して隠れていた森の獣たちが、だけど一斉に逃げ出す。
 鳥たちが羽ばたく。
 私は、それまで私の中にいる最弱の魔獣たちを使っていた。
 でも、呼び出したのは、その魔獣たちよりも上の物。
 ただの脚力に秀でた魔獣の足から私の足は幻獣の足となって、その足は跳躍中だというのに、そこにある空気の層を蹴って、方向転換を可能にする。
 上へと向かっていた力の方向は、私に向かってくる彼へと向かう。
 剣を構える彼の顔にはっきりと、私への憎しみが浮かんだ。
 どのような努力も、鍛錬も、知恵も、その全てを飛び越える魔獣を自身に巣くわせる私への憎しみが彼の顔に浮かんだ。
 私の全身を、心を、高ぶらせていた性は、だから彼のその表情で、醒めて、私はただ拳を握って、彼の頬をカウンターでぶん殴った。




「僕の名前を覚えたか?」
 その子は私ににやりと笑うと、いつかの彼の様におもむろに足元の地面を叩きつけるように踏んだ。
 そして森に様々な魔法トラップが作動する。
 私の足下、私を取り囲む魔方陣。
 地面は流動し、私を飲み込み、
 私の四方を取り囲む魔方陣から排出される四属性の化身たるドラゴン、トラ、フェニックス、タートルがそれぞれの爪と牙を突き出して、動けない私を―――、
 だけど私はそれを致命的とは思わない。
 私は、自身に課す封印を限定的に解除する。
 そして私は魔法に対抗しうる幻獣を右腕に現出させて、それでその振り上げた右腕の右手、手の平を私を飲み込み続ける地面に叩きつける。
 地面に走った波紋。
 ついで、液状になった地面を構成する世界粒子が私を中心として円をなして、外に向かって弾けた。
 その時には私は宙に飛んでいる。
 その私に向かってフェニックスが翼を羽ばたかせ、足の爪を私の目に向かって突き出してくる。
 私は炎系の幻獣を左腕に現出させて、炎を左腕に纏わせると、それでフェニックスの爪を弾いて、
 右手に現出させた水系の幻獣の力でフェニックスを消す。
 トラはだけど私の左腕を噛み付いて、私の左腕を牙で穿った。
 そのトラのうなじに私は手刀を叩き込んで、
 ドラゴンは雷の矢となって私に突っ込んできて、私はそれを両手の手の平で白刃取りする様に受け止めて、
 その私の胴目掛けてタートルが円盤のように高速回転して突っ込んでくる。
 私はそれをドラゴンの矢を剣のように扱って、受け止め、その瞬間にドラゴンとタートルは消滅。ぶつけた氷同士がそうなるように砕け散った。
 そうやって四属性の獣を倒した私は、使いすぎた幻獣の反動に対応するべく自身の内に意識を集中させた瞬間、
「もらったぁー」
 私の頭上、太陽を背負いホビットは上段に勇者専用の魔法剣アルスを振り上げて、真っ直ぐに降りてくる。
 勇者専用の魔法剣アルスはその悲愴で凄絶な出自ゆえにだからこそ光属性の剣。
 太陽を背負うアルスの力は未熟な彼の心によって、中途半端に引き出されているからこそ、
「………その一撃、この森を壊滅させる……………」
 私はだから、とても甘美に酔いしれるままこの世の全ての建物、森、生き物をこよなく愛の抱擁で破壊したくなる衝動に心を愛撫される統一体を発動させた。





 ―――果たして、森に流れたのは、甘い果物酒の腐臭にも似た匂いに心愛撫されるまま絶頂に達した女がベッドであげる嬌声にも似た淫らやかな妖声によって唄われた咆哮か、それともホビットの口から発せられた悲鳴、か―――――。





 その当時の私はどうして彼が私に付き纏うようになったのか、その理由はわからなかったけど、でも彼が私の前に現れた一番最初の時の事なら覚えていた。
 別に私は明確に人間を助けようと思った訳じゃなかった。
 ただ目の前で繰り広げられていた光景が不愉快で、それでその旅の一行を襲っていた魔物を倒して、
 震えていた少女を助けただけだった。
 結果的に言えば、その女の子はお姫様で、旅の一行に扮した兵士たちに守られながら、なんだか難しい事をしに隣の国に行こうとしていたらしかった。
 そして、その女の子を保護した私を倒しに来たのが彼だった。
 彼は傭兵ギルドのSS級ランクの傭兵で、姫を連れ去った魔物退治を依頼されてやって来たのだ。
 それまでも私は目の前にあった不愉快な、私が嫌だと思った光景を見る度に、その不愉快な光景の源となった人間たちを、時には国を滅ぼした事があって、私は災厄の国の魔物とか、冥界よりさ迷い出でし亡獣などと呼ばれていたから、彼が私を滅ぼしに来たのも何となく理解できた。これまでだってそういう馬鹿な人間はたくさんいたから。
 お金に踊らされる欲深い人間が―――
 そして彼のように己が騎士道と正義と貫き通したいと願う人間が―――
 そう。そういう区別がその当時の私にもできるぐらいにその当時の彼は、言う事ややる事が、痒かった。これまでの正義の騎士の誰よりも痒かったし、彼以上に痒い人間には未だ私は出逢ってはいない。
 それだけすごく痒かったから、私は彼が自分の名前を口にして、長々と痒い事を言ってる最中にそれを最後まで聴こうとはせずに、彼を一撃の下で、倒した。
 それが彼にはものすごく不服だったらしい。
 その時は、軽く一撃で、鎧の下にあった彼の肉体に衝撃を叩きこんで彼の肋骨を5,6本折って、終わりにして、その彼の手当てを姫に任せて私は自分の森に帰ったのだけど、
 その時の傷がまだ治りきってもいないのに、彼は私の目の前に数日後に現れて、
 そして、
「私の名前を覚えているか?」
 と、彼は言って、私は首を傾げて、
 それで彼は激昂して、
 以後、私に何度も挑戦してくるようになった。
 その度に同じ質問をしてくるようになった。
 とんだ迷惑………。



 馬鹿みたいに自分の身体、剣術だけを頼りに私に突っ込んできた彼。
 それは彼に言わせれば騎士道精神に乗っ取った正々堂々を旨とする攻撃だったらしい。
 でもそれは馬鹿がする事。
 人間の決まりごとの範囲に乗っ取ったお遊びごとの剣術。
 命をかけて森で生き抜いてきた、弱肉強食を知る私には生温い彼の攻撃。幼稚な心。
 ―――それでこの千獣に仕掛けてくるのだから、本当にあなたは愚か………。
 でもその彼も度重なる負けを経験して、その経験値から道具を使う事を覚えた。小猿が登れない木の枝に成っている実を取るために棒を使う事を覚えた様に。
 だけど、だからといってそれで彼が私を倒せる訳が無かった。
 強いとは言え、彼は、それでもただの人間だから。
 森の入り口に近い場所にある死んだ大木。
 その大木の中は虫に食われて空洞で、ちょうど私に良い寝床だった。
 何故森の入り口なんかに自分が陣取ったのか、私は自分が不思議でならなかった。
 そして気付けば私は彼の事ばかりを考えていた。
 弱いくせに私に何度も挑んできた彼。
 私に会う度に自分の名前を訊いてきた彼。
 そして、私の人間を超えた力を見て、とても傷ついた、だからこそ私を憎む彼の顔。
 ――――この感覚を、何と呼ぶのだろう?
 森にはいつの間にか彼の匂いが染み付いていた。
 その匂いが消えるのにはどれだけの月日がかかるのだろう?
 その日が待ち遠しく、
 そして同時に…………
 私は名前を知らぬ何かをそれでも自分の中からひねり出そうとして、そしたら、私の鼻に香ってきた匂いがあった。
 それは、
「私の名前を覚えているか?」
 彼だった。
 私は、彼の事をとても馬鹿だと思った。
 そしてその時の彼は後に覚えた表情の名前に寄れば憮然という表情を浮かべて、それから、私に何を思ったのか、戦い方を教授してきたのだ。
「千獣。おまえはせっかくの力を無駄にしている。いいか、おまえの動きは無駄だらけで、力の使い方がまったくなっていない」
 とかって、私は眠っていたいのに、その私に武術とかという物を教え込もうとしてきた。
 本当に迷惑。
 そして彼はその後もしつこく私に武術を教え込もうとしてきて、それが嫌で私は逃げ続けた。
 そんな日々もあったけど、でも私たちは、そんな過ごした日々以上に、殺しあおうとしあった凄惨な日々を後にとても長く過ごした。
 あの私と彼が出会った原因となった姫の悲劇の後は、少なくとも彼は私を、本気で殺そうとした。




「大丈夫?」
 私が問うと、ホビットは声も出せずに、その場から逃げ出した。
 私はホビットに差し出した、宙をさすらう手を眺めて、苦笑という表情を浮かべた。
 ―――私が浮かべたかった表情は、本当にそれなのかは、わからない。
 そして、私はいつの間にかそこに居た彼の幽霊に眼を向けた。
「大丈夫」
 その言葉は、彼の顔に浮かぶ表情を見て、自然と口から漏れた。
 また彼は、毒虫を噛み潰したような表情をする。
 そして私は、昔を思い出して、言った。
「………ねえ、覚えている? あなたがあの剣を手に入れた時の事…………」
「ああ」




 そう、それは悲劇だった。
 誰もが国を思うからこそ起きた悲劇だった。
 あの幼かった姫は少女から大人の女性となって、鉄の女王と異名をとるほどになった。
 しかしその彼女の国では彼女の重鎮たちへの暗殺が横行し、ついには彼女自身もその暗殺の対象となった。
 傭兵ギルドを辞め、フリーランスの傭兵となっていた彼は、彼女のボディーガードの要請を受けて、彼女専属のボディーガードとなって、表から彼女を守った。
 そして私は裏から彼女を―――。
 だけどその時の彼は彼女と同じく少年から青年になりこそすれ、それでもまだ人間レベルで強いだけで、尚且つやはり正直すぎた。まだとても痒く、そして愚かなほどに自分を過信していた。
 だから王都の裏で暗躍する情報屋を使い、彼女の陣営の暗殺を依頼された集団の情報を得ると、そいつらを全滅させて、首謀者の名前を吐き出させれば良いんだろう? と、ひとりでそこに突っ込み、結局、暗殺ギルド全てを敵に回す様な失態を起こして、
 そして、その失態を利用した大臣のクーデーターによって、姫は国を追われた。
 大臣は姫の叔父で、姫はその大臣の事を心から信頼していたけど、その叔父は武人であり、その考えはあらゆる事で姫とぶつかり、国を憂う彼は、姪と、そして自分の兄と、その妻を殺す事を選択した。
 姫は目の前で、父親と、妹かもしれないし、弟かもしれなかった、その命を孕んだ母親が敬愛する叔父に殺される現場を見てしまい、
 鉄の女は、まるで幼い子どもの様に泣きじゃくり、
 私と彼、そしてわずか少しの騎士道を貫いた騎士たちによって助け出され、国を逃げた彼女は、だけど大臣の弟子であった騎士に、殺された。
 互いを剣で貫きあった。
 愛し合うからこそ。
 彼は、熱を出した姫の為に薬草を取りに行っていて、
 それで私はずっと姫の隣に居たけど、暗殺ギルドの兵が集団で襲ってきて、それを全て倒した時は、私と姫と、その騎士しか残っていなくって、
 顔を赤らめながら騎士に礼を言う姫を、だけど騎士は剣で貫き、泣いている彼の顔を姫は優しく微笑みながら手で撫でて、唇を重ね合わせて、
 そして短剣で彼を刺した。
 彼女はその愛故に、彼の苦しみを理解したから。
 だけど死に切れなかった彼女は私に微笑み、
 正直今でも獣に育てられた私にはその時の彼女と彼の選択は理解できないけど、でも、死に切れない彼女を殺してあげる事こそが、正しいとわかったから、私は姫の短剣で彼女にとどめを刺した。
 ―――どのような魔法でも、彼女の命は救えなかったけど、でも彼女は私に最後に、「千獣。あたしの魂を救ってくれてありがとう」と、微笑み、彼の名前を口にして、今行くよ、とまるでそこに愛する家族が、男が居るように両手を伸ばし、
 その彼女の首に私は短剣を振り下ろして、
 姫は死んだ。
 そして、
「千獣、おまえ、そこで何をしている?」
 と、いつの間にか戻ってきた彼が私にそう問うて、
 それで、
「千獣、おまえはそこで何をしているぅぅぅぅぅ」
 と、血を吐く様に叫んで、私に襲い掛かってきた。
 そう。その時、私は彼に笑って見せたから。
 説明する事は出来たけど、でも、彼女の身に起こった事は、誰にも言うべきではないと思ったから。
 姫と彼の愛は、守らねばならないと思ったから。
 私は私に襲い掛かってくる彼を迎え撃った。
 そしてその時初めて彼は人間の限界を超えた勇者の力を持ち、それを発動させて、私も統一体となり、三日三晩そこで互いに殺し合いをして、
 三日目の夜、満月の明かりの下で彼は力尽き、その時己の無力さを嘆いた彼の魂に応えるように、密かに彼が愛していた姫の躯は、どのような奇跡が生じたのか勇者専用の魔法剣アルスとなった。
 その剣を得た彼は、その剣の制御できない魔法力に突き動かされるまま私へと挑み、そして一年近く私の命を狙い続け、最後には身体を壊し廃人となった。
 それからあの森で再会するまで、私たちは出会わなかった。




 それが私と彼の物語。
 彼はその時の事で私を責めてはこない。
 そして私も未だ彼にその事について何も言ってはいない。
 彼は深くため息を吐き、それから私に頭を下げた。
「あいつはきっとその純粋な心ゆえに突き進みすぎて失敗をするだろうが、しかし私のようにはきっと間違いは起こしはしないだろう。だが、まだ鞘は要る。だから千獣よ、おまえがあの時に私の鞘になってくれた様に、あいつの鞘となってくれ。頼む」
 頭を上げない彼に、私は、
「大丈夫」
 と、そう口にした。
 あの森で、数十年ぶりに再会した彼の名前を初めて口にした時のような想いを感じながら。
 ―――――。



 そして、森に夜が来て、
 その夜は明ける。
 森の入り口の近くにある青年の木の根元で寝ていた私は、その匂いを嗅いでゆっくりと身を起こす。
 その私に、その少し表情を大人びた物にしたホビットが言った。
「僕の名前を覚えたか?」
 私はそのホビットに正直に首を横に振った。



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