<東京怪談ノベル(シングル)>
ストライダーズ・ハイ
「いらっしゃいませ〜!」
顔なじみの娘が客で賑わうテーブルからシグルマに声をかける。
まだ夕刻にも早い時間だったが、気風の良いおかみさんが仕切る酒場はほぼ満席だった。
「おう、こいつで飲めるだけくれ」
「わ、これ全部飲んじゃうんですか?」
シグルマに渡された皮袋の重さに、娘が目を丸くする。
皮袋の隙間から覗く硬貨は全て銀貨だ。
「いいじゃねぇか、面倒はかけねえよ」
シグルマは多腕族の戦士で、冒険者として名を馳せるべく日々を送っている。
残念ながら酒場では酒豪の名の方が売れてしまっているのだが。
大酒飲みのシグルマだったが、いつも酒代を前払いで渡してくれるので酒場の方でも歓迎してくれていた。
「そういえばシグルマさんって酔い潰れた事ないですもんね。
じゃ、すぐにジョッキお持ちしますねー」
ぱたぱたと厨房に駈けて行く娘の背中を見送って、シグルマはテーブルに着いた。
分厚い樫の木のテーブルには先客がいる。
がっしりとした体躯を鎧で包んだシグルマとは対照的に、細身の小柄な男で、仕立ての良いジャケットとパンツを身に着けている。
年齢はシグルマと同じくらいだろうか。
「……相変わらず宵越しの金は持たないで飲んでしまってるんだな」
「久しぶりに会って言う事がそれかよ」
シグルマの言葉に旧知の男は笑った。
「いや、元気そうで良かった」
「そりゃどーも」
テーブルに娘が発泡酒の樽とジョッキ、つまみである鶏の燻製と野菜の盛り合わせなどを運んできた。
軽くお互いのジョッキを掲げた二人が酒を口に含む。
細やかな気泡を含んだ琥珀色の液体が、爽やかな喉越しでシグルマの身体に染み渡る。
「いつぶりだ?
しばらくこっちに居なかったろ、お前」
男はシグルマの知る限り、北方の都にある大きな商家で主の秘書をしていた。
「この前の花祭り以来かな」
この地方で夏に行われる祭りの名を口にし、男は発泡酒をあおった。
外見に見合わずよく飲む男らしい。
それでシグルマとも馬があっているのだ。
「……何か厄介事にでも巻き込まれたか?」
「ああ、実はね」
言葉はぶっきらぼうだが相手を思いやる響きを男は感じ、シグルマに答えた。
「ここに君を呼び出したのは、ある機密文書を取り戻して欲しいからなんだ」
「機密文書?」
つまみのお代わりを頼みつつ、シグルマが聞いた。
男が言うところによれば――。
男が身を置く商家は街の商工会議所でも大きな発言力を持っているらしい。
その商家と発言力を二分する商家――仮にアルファ家とする……が議会で買収行為を働いているという話が持ち上がった。
噂にも元になる何らかの事実があるものだ。
男は内偵の結果その証拠を掴んだ。
が、それを主の元へ届ける前に奪われてしまった。
「大事にしてたから、かえって狙われちゃったんだよね」
はー、と男はため息をついた。
盗んだ者はそれが不正の証拠などとは思ってもみなかったろう。
「この街までは転移石何個か使って追いかけてきたんだけど、石も使っちゃったし」
転移石は転移魔法を封じた貴重な石で、西方の小国でしか作り出されていないため一般人の手には入りにくい。
一定距離を転移する便利な物だが、高価でもある。
「それにアルファ家でも取り返そうって追いかけてきてる。
正直、戦いは苦手だし……」
不正が明るみにでればアルファ家の商家生命は無くなるも同然で、追っ手には当然屈強な戦士たちが差し向けられていた。
黙って話を聞いていたシグルマが言った。
「で、俺に頼もうって話なのか」
「そう」
ぱし、と両手を合わせて男は頭を下げた。
「頼むよ!」
「あんまり気が乗らねーなぁ。
どこまでが本当なのか、信憑性もイマイチ欠けるんじゃな」
頼みにしていたシグルマの反応の薄さに、男は青ざめた。
「もちろん報酬は出すよ。
知り合いとはいえ、そこはけじめをつけるつもりだ。
ここの仕払いは俺が持つから!」
「この酒は俺が前払いで払ってるだろ」
男の調子の良さに、シグルマは苦笑した。
「わかった、引き受ける」
途端に男は笑顔になり、
「それじゃ、早速表に出ようか」
まだ半分も飲んでいない樽をテーブルに残して立ち上がった。
「お、おいもう少し飲ませろよ!」
慌てるシグルマの腕を取り、男はせかす。
「馬も表に用意してあるんだ。
あとは追いかけるばかりだよ」
「お前、最初からそのつもりで……!」
男はにっこり笑ってシグルマに言った。
「商いは早さが命だからね」
小高い丘の上にから、シグルマは平野を見下ろしていた。
馬上の人となったシグルマの視線の先、荒野に一筋流れる川があった。
最初に文書を盗んだ者たちはループタウンという街に向かっているらしい。
かつて吊るし首の頻繁に行われた、無法者達の街。
現在ではそれも過去の話になってしまったようだが、荒野において交通の要所でもあり、人が集まる場所というのは変わらない。
ループタウンに向かう街道は何種類かあるのだが、一箇所だけそれらが交わる所がある。
それがシグルマの見ている川、そしてそこに架かる橋だった。
文書を盗んだ者たちの特徴は聞いていても、広く何本もある街道全てを見張る訳にはいかない。
そこでシグルマは橋の手前で待ち伏せる事にしたのだった。
丘に出るまで、シグルマは目立たないように木々の間を縫って移動していた。
シグルマは途中で、同じように木々の中を移動する一団が居るのに気付いた。
幸い向こうはシグルマの存在に気付いていないが、伺った様子から、彼らもまた文書を狙う者たち――アルファ家の者だと思われた。
――乱戦になりそうだな。
こちらも馬に乗っているとはいえ、鎧を身に着けている分素早さで劣ってしまう。
追撃戦では不利だ。
相手は総勢で五人。
それなりに武装しているだろうが、馬を下りての戦闘に持ち込めれば勝率は上がる。
――それでいつ仕掛けるか、だな……。
あまり早くから橋の近くにいれば、先に発見され大きく迂回されてしまう。
きっともう片方の追っ手達もそれは考えているだろう。
ぎりぎりまで待って、橋を渡る手前で勝負に出た。
そう決断したシグルマの視界の端に、遠く馬を駆けさせる人物が映る。
ごく軽装の、黒馬に跨った壮年の男。
――あれか!
シグルマは男よりも先回りするべく、橋の手前まで一気に丘を駆け下りた。
男は自分を追ってきたのだとすぐに気付くと、馬に鞭をくれて足を速めさせる。
「待ちやがれ!!」
巧みに手綱を取りながら、シグルマは空いたもう一対の手で剣を構える。
シグルマに用意された馬は足の速い牝馬で、乗り手によく反応して黒馬の横に並んだ。
相手の馬も足は速い、が戦闘には慣れていないらしく、シグルマの襲撃に驚いて前足を高く上げいななく。
「う、わああぁ!!」
バランスを崩した男が、情けない悲鳴を上げて草地に落ちた。
鎧で全身を覆い、二対の腕にそれぞれ武器を携えたシグルマの姿に、男は完全に戦意を失っていた。
男が持っている武器といえば細身のナイフ一本で、どう立ち向かえというのか。
打ち身の痛みに顔をしかめる男に、シグルマは馬上から声をかけた。
「お前が盗んだ物を寄越しな。
素直に渡してくれりゃ、こっちも無駄に闘う気はねぇよ」
闘っても敵わないと諦めた男は、項垂れて身に着け革の鞄から厚みのある封筒を取り出した。
赤い封蝋に押された紋章は、シグルマの旧友がごく私的に使う物で、目的の文書なのは間違いない。
シグルマの手に封筒を渡した男はそそくさと再び馬に跨ると、街道を駈けて行ってしまった。
それを見送るシグルマの背後から、四頭の馬が駆け寄ってきた。
もう一方の追っ手、アルファ家の者たち。
彼らは今逃げてしまった男とはまとう雰囲気も、帯びた武器の鋭さも異なっていた。
「言葉に出さなくてもわかっていると思うが、それを渡してくれないか?
金で譲り渡してくれるなら、それにも応じよう」
一見紳士的な申し出だったが、有無を言わせない圧力を感じる。
「簡単に金で依頼主裏切るような奴に、頼む馬鹿はいねぇよ」
「それはもっともだな」
シグルマの拒絶に、男たちは剣を抜いた。
「私の主も同じ事を言うだろう!」
一斉にシグルマめがけて剣が繰り出される。
シグルマは封筒を仕舞うと片手で手綱を取り、残る三本の腕に剣、鉄球を持ち替えた。
鉄球で相手方の馬を牽制し、距離を取る。
――まずは馬を狙って……!
振り回した鉄球を馬の鼻面に叩き込み、痛みに暴れる馬から乗り手を引き降ろした。
一対四で人数に不利があったが、馬を降りてしまえば戦士のシグルマに有利だ。
手綱を握っている時には塞がってしまう腕全てに武器を持ち、重量のある武器を軽々と振るうシグルマに追っ手たちは手こずった。
しかもシグルマは鎧を着込んでいるので、決定的な傷を負わせる事も出来ない。
しだいに疲弊の色が追っ手たちの表情に見えてきた頃、ふとした弾みでシグルマの持っていた封筒の封が破られた。
相手の剣の切っ先が封筒を掠めたのだった。
風に封筒の中身が舞い散る。
――!?
「……これは」
「おい、どういう事なんだ?」
追っ手たちが疑問を口にする。
それはシグルマも同じ事だった。
封筒の中に収められた文書は、全て白紙だったのだ。
それ以上シグルマ達は闘う事をやめ、釈然としない気分のままそれぞれ引き上げた。
――いつから白紙だったんだ?
最初からか。
もしかしたら、最初から俺は囮だったのか?
旧友の男と再び待ち合わせている酒場でグラスを傾けながら、シグルマは白い紙束を見つめていた。
すっきりしない気分だった。
そこに旧友の男が現れた。
「ありがとう、助かったよ!」
笑顔で紙束をめくっている男に、シグルマは憮然として聞いた。
「おい、それ全部白紙だったぞ?」
「うん、白紙で良いんだよ」
けろりと男は答える。
「あぁ?」
「機密文書だしね。
簡単に読まれちゃ困るでしょ」
なおも表情を崩さないシグルマに、男は「仕方ないなぁ」と肩をすくめる。
酒場の二階に取られた小部屋にシグルマを誘うと、男は蝋燭に火を灯した。
「君、あぶりだしって知ってるよね?」
かんきつ類の果汁で紙に書いた文字を炎であぶると、見えなかった文字が浮かび上がってくる現象だ。
子供でも知っている。
何事か口の中でつぶやくと、男は白紙の一枚を火にかざした。
するとびっしりと綴られた文字が紙に浮かび上がってくる。
「似たような魔法効果だよ」
そう悪戯っぽく笑う男の顔を見ながら、シグルマは男が商才と同じくらい魔術にも長けていたのを思い出した。
(終)
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