<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


母の過去、娘の現在

 春の宴。ようやく娘のジュディ・マクドガルも社交界デビューである。クレア・マクドガルは今夜のドレスに合う宝石を選びながら、よく晴れた空を見上げた。今夜はきっと、星がよく見えるだろう。あの子にもふさわしい夜になる。
一年がかりで夜会の準備を進めていたものの、正直三ヶ月前までは何度も中止しようかと迷った。おしゃれより冒険に目がない、生傷の耐えないジュディを見ていればどうしてもまだ早すぎる、とためらってしまうのだ。
だが、残りの三ヶ月で娘は豹変した。おてんばなところは相変わらずだが、クレアからの言いつけを途中で投げ出さなくなった。わかりやすく言えば、責任感がついたのである。これなら大丈夫、と判断したクレアが
「今度、屋敷であなたの披露パーティを行います」
そう告げたのは一ヶ月前。以来ダンスのレッスンにも熱が入るようになった。
 とはいえ勿論、素顔は粗忽なままである。失敗だってなくなったわけではない。穏やかな陽の射す窓辺でクレアが、今日のパーティに家族全員が揃っていればよかったのに、と夫のことを考えているこの瞬間にも、大広間では皿が割れる。
「ジュディ!」
声を張り上げなくて済むようになるのは、まだ当分先のことだろう。
 事件の現場にクレアが早足で駆けつけると、ジュディは既に準備して待っていた。これまでのジュディならば現行犯で見つからない限りは屋敷から逃げ出していただろう。それが既に、床の掃除まで終わっていた。
「どうしたのです」
「転んで、皿を割りました」
ジュディは淡々と、起こった事実のみ報告する。履いていた靴のせいにもしないし、今夜のダンスのために磨き上げられた床へも責任をなすりつけない。そうですかとクレアは頷き、相応の罰を与える。
 椅子に腰掛けたクレアは下着を脱いでお尻を出しているジュディを膝に乗せる。大抵は五十、特別悪いことをしたときは百、平手で打つ。今夜はパーティだったが、例外はない。ダンスが踊れなくなるかもしれないが、クレアは容赦なくジュディを叩いた。十五、二十を越えると段々痛みの感覚がなくなってくる。恥ずかしさだけが増す。五十終わったとき、ジュディの顔が真っ赤になり瞳に涙が浮かんでいるのは、羞恥心の仕業だった。
「そのまま二時間、立っていなさい」
いつもよりも一時間長く、クレアは命じた。パーティの始まるぎりぎりだった。

 自分の後ろをパーティの準備をしている召使たちが通っていく。壁に向かって立ちながらも、ジュディは恥ずかしさで眩暈がしてくる心地だった。しかし止めたりはしない。母との約束はもう金輪際破るものかと誓っている。なぜなら母を敬愛しているからである。母に背いては母のような女性にはなれない、と固く信じているのだ。
 叩かれたお尻が、さらに腫れてきている感じがした。今夜着るドレスは、体のサイズきっちりに仕立てられている。着れなくなるかも、という不安が胸をよぎった。涙が落ちそうになったが、耐えた。お尻が腫れて、その上目まで真っ赤にしていては最低の社交界デビューだ。
 ジュディは目をつぶり、口の中で小さく数を数える。いつの間にか正確に一秒を計れるようになっていた。二時間は百二十分、百二十分は七千二百秒。七千二百まで数えたら、ドレスに着替えられるのだ。
 懸命な秒読みは飽きっぽいジュディにしては珍しく、二千まで続いた。だがまだ、あと五千二百秒もある。気が遠くなりそうになったそのとき、ふっと背後に気配を感じた。
「誰?」
振り返ろうとしたが、母の言いつけを守っているため壁を見ているしかなかった。だがその気配は確かに、今まで屋敷で感じていたものとは違っていた。
 ひょっとして今夜のお客だろうか。見られた、と心中で呟いた瞬間顔とお尻だけでなく、背中から膝の辺りまでもが真っ赤に染まった。早く二時間が過ぎてくれないか、と再び数え始めた秒読みは動揺からか勘を狂わせて、十秒が九秒になっていた。

「入ってもよろしいですか」
門をくぐって庭から屋敷へ入り大広間を抜けた男は、途中で面白いものを見た、クレアの部屋の扉をノックした。少々お待ちください、と返事をしてクレアは紫の香水を自分に降りかける。さらに大きな姿見へ全身を映しおかしなところのないことを確かめて、ようやく扉を開ける。
「お久しぶりです」
「あら、あなたは」
どうやら男はクレアの知り合いのようだった。パーティの招待状を出す仲なのだから、今回の招待客は皆無関係というわけではないがこの男は特に、クレアを普段使いの言葉で喋らせる親しさの持ち主だった。
「早かったのね」
「屋敷への道を忘れているのではと思って、早めに出てきました」
真面目な冗談にクレアは声をたてて笑う。めったにないことだった。男もつられて笑い、笑いながらさっきの光景を話題に上げた。
「大広間にいたのは、あれが今夜の主役ですか」
「ええ、娘のジュディよ」
「そう」
頷いた男は、遠いものを見るような目をした。クレアと同じくらいの年頃のはずなのに、その顔つきだけで二十は若くなる。
「懐かしいな」
「お恥ずかしい」
なんの話をしているのか、具体的に話さなくても充分に通じている二人。これでも昔話に花が咲いているのだ。
「五年後が楽しみだ」
「まだまだですよ」
あなたと比べては酷だ、と男は肩をすくめてみせた。が、さっきからずっと目は笑っていない。目ざとく、ジュディの本質を見抜いている。彼が期待するのならば、とクレアはますますジュディの輝ける将来を願った。

 その夜、クレアの願ったとおりに星空は美しかった。七千二百秒が終わってから慌てて支度をしたジュディはパーティの始まりには間に合わなかったが、なんとか入ったドレス姿を来客に披露することができた。
「まあ、可愛らしい」
「ドレスがよくお似合い」
浴びる賞賛は照れくさくもあり、嬉しくもあり。花びらに包まれた雌しべのように大人たちから取り巻かれ、初めてのダンスパートナーを選ぶその楽しさ。音楽は頼み込んで踊りやすい曲ばかり演奏してもらうことになっていたし、その前に食べた料理も抜群においしかった。これでお尻が腫れていなければ、言うことなかったのだけれど。
「お見事」
一極踊り終えたジュディには、満場の拍手が贈られる。くすぐったそうに身をよじらせるジュディの頭からは、さっき大広間で受けた辱めなど消え去っていた。
 さて、次のダンスを踊るまえに腹ごしらえでもしようかとジュディはテーブルの端に重ねられている皿を一枚手に取った。屋敷の料理人が作る料理はいつもおいしいのだが、今日は格別である。パーティだから特別に作ったのだろうとジュディは思っていたが、屋敷全体の愛娘とも言うべきジュディの晴れの舞台に料理人たちが一丸となって創意工夫を凝らした賜物であった。
 テーブルを回り、おいしそうな料理を少しずつ皿に載せていくジュディ。周囲のお喋りが、聞くともなく耳に入ってくる。
「クレア様の披露パーティを思い出しますな」
「ああ、しかし彼女のときよりはやや落ちるようだが」
「仕方のないことだ、なにしろあのクレア様だ」
なんだか、空を飛んでいる心地だったのが沈んできた。
 確かに母は凛として美しく、非の打ちどころもない。娘として誇らしく思えるほどに、立派である。なにも今、肩を並べようとは思っていない。だが、過去の母にも自分はまだ追いつけていないのかと思うと、ジュディはせっかくの料理にも手をつけることができなくなってしまった。

 そのときである。背後から覚えのある気配が声をかけてきた。
「大丈夫だ。君もいずれ彼女のようになれる」
「誰?」
振り返ったが声の主はわからない。すぐにまた、別のほうから続きが聞こえてきたからだ。
「今日の君は、かつて彼女も通った道。淑女を目指すならここでくじけずに努力を続けるべきだ」
気配の正体に気づいたジュディは今度こそ突き止めてみせると背後に目を走らせる。しかし、やはりわからない。だが、大広間を通り抜けたあの気配に、人物に違いなかった。
「誰なのよ」
本当に私もお母さまのようになれるの、とジュディは目を伏せた。あと一度背中を押してもらえれば元気になれるような気がしたのに。
 が、声の主はそこまで優しくはなかった。それどころか悪戯好きな男だった。ジュディの背後から今度は気づかれることなく現れると、このパーティでは自分とクレアだけが知っている、真っ赤に腫れているお尻を指先でちょんとつつく。
「いったあい!」
不意打ちを食らったジュディは、持っていた皿とフォークを放り投げて飛び上がった。おいしそうな料理が床に飛び散り、皿は割れ、人々はざわめく。犯人は人影でにやにやと笑いを噛み殺している。
「どうしたのです、ジュディ」
騒ぎを聞きつけ、クレアがやってきた。
「お母さま」
泣きべそをかいたジュディが現状を説明しようとしたが、クレアは聞く耳を持たなかった。床を見るだけでもう弁解の余地もない。
「ジュディ」
罰は、いつどこであろうと誰が見ていようとも関係なかった。
「お尻を出しなさい」