<東京怪談ノベル(シングル)>
『風の旅立ち』
ガチャン!
中から音がした。丁度何かが割れるような音。
「お前ら! 危ない事してんじゃ‥‥」
その音に同時に反応して立ち上がった少年と、窓から中を覗き込む。
心配そうなその顔を
「ダメ〜〜〜!!!」
小さな手と手と手が外へと押し出した。
「来ちゃダメ〜! まだ準備終わってないんだから」
ドン! 押された青年が尻餅を付いている間に窓は閉められ、カーテンまでかけられてしまった。
「あともう少しなんだから大人しく待ってろよ。兄貴。シノン! そいつを中に入れないように見ててくれって言ったろ!」
カーテンの隙間からひょこと顔を覗かせた男の子は少年の後ろで、くすくすと笑う少女に向けて頬を膨らませる。
「ゴメンゴメン。あとはちゃんと見張っておくからさ。なんなら縛っとく?」
「おいおい!」
「シノン姉に任せる。とにかく! あと少しちゃんと兄貴を見ててくれよな!」
りょーかい! そんな明るい返事を確認するより早く、小さな頭はカーテンの向こうに消えた。
はあ、とため息をつく青年を見て、少女は横のベンチに座る。
横のポットから小さなカップにそっとチャイを注ぎ差し出す。
「少し、落ち着きなよ。みんなを信じて‥‥さ」
新緑の髪が風に揺れている。暖かな笑顔と共に。
「そうだな?」
青年は、チャイと笑顔。両方を受け取って彼女の横に腰を下ろす。
暖かなチャイとカップのぬくもりが、春、三月とはいえ外の空気に冷えた身体を静かに暖めてくれていた。
こうして、二人で並んでベンチに座って‥‥どのくらい経った頃だろうか。
「‥‥ありがとな」
「えっ?」
突然囁かれた言葉にポットが音を立てた。
空になったカップにチャイのお代わりを注ごうとしていたシノン。シノン・ルースティーンはふと手を止めた。
「何が? 今日のパーティはみんなが言い出したことだからね。あたしはなんにも‥‥」
照れたように顔を背けるシノン。
その横顔に向け、彼は小さく首を横に振った。
「違う。今までの事だ。今まで‥‥本当にありがとう。思えば今まで色々あったのに、こんな風に二人で落ち着いて話した事って無かった気がするからさ」
「何だからしくないなあ。どうしたのよ。いつもの勢いはさ! 『お前みたいなお嬢に何がわかる!』ってどなんないの?」
ワザと明るく冗談めかして言ってみたが、戻った答えは苦笑交じりの本当に小さな微笑。
シノンは諦めたように顔を上げて‥‥そうだね。と呟いた。
「うん、色々‥‥あったよね」
思い返せば本当に色々あった。
「覚えてる? 最初あたしがここに来たときさ。あんたはあたしの財布スッったんだよ。その上、返してもらおうと追いかけたらいきなり殴りかかってきてさ!」
「そういうお前だって俺に魔法かましたろ? 風で吹っ飛ばしたり、俺の眼前に風の壁張ったり。その時の痣、今でも残ってんだからな。ほら」
「うそ! それは昨日荷物の木の箱がぶつかっただけじゃない」
「バレてたか。でもあれは失敗だったよなあ。この街に着いたばっかりのカモだと思ってたのにさあ。ろくに金は持ってないわ、俺達の生活にちょっかい出してくるわで。おなかすいたでしょ。料理の腕を振るうよって言うから任せて見れば出来たのは炭の塊で。俺達を殺しに来た暗殺者かもって言ってた奴もいたんだぞ」
「だって! あれはこの辺のかまどの使い方になれてなかったからで‥‥」
「嘘つくな。ありゃあ、使い方に慣れる慣れないなんてレベルじゃねえ。先天性の料理オンチだ」
「そこまで言わなくたっていいじゃないの! これでも、最近は、マシになったって意見もあるんだよ? ‥‥少しは」
「誰が言ったんだ? そんな嘘八百。今日だって奴らお前を調理場に立たせたりしなかったろう?」
「‥‥ぐっ。悔しいけど反論できない」
「‥‥ハハハ」
青年がシノンを見て笑う。きっと自分は膨れっ面をしているだろう。笑われても仕方ないくらいに。
それを想像すると‥‥なんだか笑えてきて‥‥
「ハハハハハ!」
シノン自身も、思わず笑いを返していた。
本当に色んなことがあった。
出会いのこと、幾度となく繰り返された大喧嘩。そして‥‥その中で共に過ごしてきた日々。
こうしていつまでも話し続けていられるほど思い出は尽きない。
時間そのものを数字に換算すれば、それはそんなに長い訳ではない。
まだ片手で十分数えられる年である。
でもその僅かな時間は本当に、楽しく美しい、かけがえの無い時間だった。
「でも‥‥さ」
笑い声をしまってふと、青年の顔は真顔になる。
シノンはその顔を見つめながら彼の言葉を聞いている。きっと彼と同じ表情で。
「俺さ、あの日、財布をスるのは失敗したけど、一番大切なものは手に入れた気がする。これは冗談じゃない。本当の気持ちだ。本当にありがとな」
装飾も華美な飾りも無い言葉。だが‥‥それは心からの言葉だった。
何よりも尊い思いに
「‥‥ありがと。そう言って貰えて‥‥嬉しいよ」
シノンは笑顔で答えた。右手と左手と重なって祈るような形になっているのは無意識。
でも、神に、風に、この世の全てに礼と祈りを捧げたい気分でシノンは目を閉じた。
勿論、横で見つめる彼にも‥‥。
「お姉ちゃん! お兄ちゃん! 用意できたよ〜〜」
「早く入れよ。料理が冷めちまう!」
まるで、シャボン玉が割れるように心が引き戻される。現実へと。
「解った。今行く!」
一足早く立ち上がった青年は、ズボンの尻を軽く叩いて手を差し出した。シノンに向けて。
「ほら! 早く行こうぜ。お祝いしてくれるんだろ!」
「そうだね! きっとビックリするよ!」
その手をしっかりと握り締めて二人は走り出して行った。
「では! 兄ちゃんのしゅーしょくを祝って、かんぱああいい!!」
「「「「「「かんぱーい!」」」」」」
カン、コン、チン、トン。
カップやグラスが楽しそうに歌っている。
部屋中リボンや紙などでこれでもか、と飾り付けられた部屋は、まるで一足早く満開の花が咲いたようであった。
ところどころにクリスマスのオーナメントが飾られているのもご愛嬌だ。
「ねえねえ、兄ちゃん。どんなお仕事するの?」
子供達は料理を片手に今日の主賓を取り囲んだ。主賓は子供達を膝に乗せたり、頭を撫でたりしながら手に持ったグラスをそっと空けた。
「彫金‥‥って言っても難しいか。銀や金を使ってアクセサリーを作る仕事だ。俺は、今度その工房に正式に入れる事になったんだ」
「すご〜い!」
「お兄ちゃん、きようだもんね!」
少女達の何人かが目を輝かせる。女の子にとって装飾品は夢。その夢を作り出す仕事に着く兄に向けるのは心からの敬意の眼差しだ。
「いつか、私にもペンダント作ってくれる?」
「私にも!」
「ああ‥‥とっておきのを作ってやる。楽しみにしてろよ」
小さな約束に微笑む少女達とは対象的に、少年達の表情は、見れば一刻ごとに沈んでいくようだ。
「どうしたの。あんた達」
心配そうに膝を折り目線を合わせるシノンに
「だって‥‥」
俯いていた少年達のうち、一番小さな子供が顔を上げた。見れば瞳には透き通った雫が浮かんでいる。
「だって、にいちゃん、きょうがすぎたらおうち、でてっちゃうんだろ? もう戻ってこないんだろ? さびしいよ〜〜」
堰を切ったように泣き出した子供をきっかけに、あちらこちらで音が聞こえてくる。
鼻を啜る音。目元を拭く音。そして涙ぐ‥‥んだ声。
「みんな‥‥」
楽しかった空気が一気に萎んでいく。子供達から少年達へ、そして‥‥少女達へと。
シノンは声をかけられなかった。
そう、みんな我慢していたのだ。
自分達の大事な兄。ずっと自分達を守ってくれた、愛してくれた存在との別れへの涙を。
我慢していた分止まらない涙。
それを‥‥シノンはふんわりと、笑顔で抱きしめた。
「泣かないで。‥‥ねえ。忘れたの? みんなで話したでしょ。今日のパーティはお別れパーティじゃない。お祝いパーティだって。お別れなんかじゃないんだよ。あいつはここを出るけどきっとそれはサヨナラなんかじゃないんだから」
「サヨナラじゃない?」
まだ涙ぐむ子の頬をそっとハンカチで拭いてシノンは静かに頷く。
「そうだよ。例え、どこに行ったってみんなが兄弟で、家族であることに変わりは無いんだから。ね? そうでしょ?」
「当たり前だろ。バ〜カ」
コツン。最初に泣いた子の頭を軽い拳骨で撫でると手を腰に当てて言った。
「いいか? 俺はちょっと出かけるだけだ。でも、お前らが泣いてばっかりいたら、俺が帰ってきた時に家がなくなってるかもしれない。そしたら、俺は本当に戻って来れない。それでいいのか?」
「ヤダ!!」
全員の声が一つ残らず唱和する。それを見て彼は満足そうに微笑んだ。
「だったら大きくなれ。そして家族を、この『家』を守るんだ。みんなでな」
一人ひとり、指切りをして回る。全員に、丁寧に。
伝わるぬくもり。そして、思い。
もう、泣いている子は一人もいなかった。
「約束だぞ!」「うん!」
そして最後にシノンの前に指が差し出された。
「シノン‥‥」「うん、解ったよ」
言葉は要らない。瞳と瞳が合わさってちゃんと思いが伝わった事を二人とも、知っている。
「みんな。涙止まったね。じゃあ、みんなでお歌、歌おっか」
「わ〜! シノンの歌、また聞けるの?」
「みんで歌うんだよ。ほら、練習したでしょ。おはなの歌。いくよ。1・2・3!」
〜♪〜〜♪〜〜〜♪〜。
リボンを揺らし、風と共に部屋に響くのは歌声だけではない。
子供達の思い。‥‥心から愛するものの幸を願う。
それを見つめる彼の頬に笑みが灯り、歌声にテノールが混ざる。
歌声と笑顔と笑い声。
夜が更け、日付が変わっても遅くまでそれが子供達の住む『家』から消える事は無かったという。
翌朝。
旅立つ青年を家族全員が見送った。
「じゃあ、行って来る!」
まるでそこまで買い物に行くように彼は笑って手を振った。
だから、子供達も
「いってらっしゃい」
そう、手を振り返す。
シノンは子供達の目元に浮かんだものを見ないフリをした。
それがあの子達の旅立つ彼への最後の花束だと思うからだ。
子供達を守ってきた風が旅立っていく。
空へ向って‥‥。
三月の空は青く、高い。眩しいほどに。
「あっ!」
今年最初の南風が、シノンと子供達の髪をなで、青年の背中を押していく。
まるで新たな旅立ちを祝福するかのように。
輝く光と、風と思いの中を青年は歩いていく。
ウルギの恵みが空と大地を満たす季節はもうすぐそこまで来ていた。
|
|