<東京怪談ノベル(シングル)>


『まなざしの先』

「………ねえ、覚えている? あなたがあの剣を手に入れた時の事………」
 千獣に言われて、彼はそれを思い出した。
 まるで一瞬前の事のようにも思える昔の記憶。
 その記憶の中でもっとも辛かった、あの時、あの瞬間、あの事―――



 それは化け物という話だった。
 隣国へと政治交渉のために赴いた姫の一団を襲い、姫を浚ったのは。
 千獣。その国境沿いの森で行く度か見られ、数々の問題を起こしてきた化物。
 その討伐隊として国からも騎士団が派遣される事になったが、しかしいかに姫を救い出すための隊とは言え、隣国との常に危うい休戦協定という薄氷の上に成り立つ国である以上、主戦力を出して国の警備を手薄にする訳にもいかず、そこで白羽の矢が立ったのがSS級ランクの傭兵である彼であった。
「貴様が千獣か? 姫をさらったこのおどろおどろしい魔獣が! 姫は国の平和のためには必要なお方。国の平和、民の幸せの為に俺が貴様を倒す」
 彼は千獣という魔獣に勝負を挑み、そして呆気なく半殺しにされた。
 それが正義の騎士を目指す彼としては凄まじく屈辱で、
 そして、一目惚れをした姫に救助隊が到着するまで手当てをされながら自分の勘違いを厳しく諌められ、その後にくすくすと笑われる羽目となった事が至極不服だったのだ。
 だから―――
「私の名前を覚えているか?」
 千獣に八つ当たりをしてやった。
 そしてそれ以上に姫を守り抜いた千獣に自分を認めさせてやりたかった。
 千獣よりも強くなってやりたかった。
 そうする事で姫に自分を認めてもらいたかった。
 それが理由だった。
 


 その甲斐はあった。
 彼は強くなった。
 何度も千獣に殺されかけた事で、その経験が彼の身体能力と剣の腕、野生の獣だけが持つ勘、人間の計算力、そういう戦う者にとって必要な物を上げてくれた。
 それは彼に理想を語る資格をくれた。
 ―――騎士としての理想を語るには強く成らねば成らなかった。
 彼は強くなった。
 心身ともに。
 傭兵ギルドを辞めて、自身の語る、抱く理想のためにフリーランスの傭兵となって、弱者の為に剣を振るい続けた。
 無論、その間も千獣に挑み続けた。
 千獣を越える。それができた時、自分は真の騎士となれると思えていた。



 フリーランスの傭兵である彼の下に手紙が来た。
 それは彼が一目惚れした姫からの手紙で、
 その手紙には、姫とその家族が暗殺されかけた事が書かれており、
 城の人間の誰が敵かもわからぬ状況だから、城に来て助けて欲しいと。
 それは彼にとってはこの上の無い依頼だったが、しかし千獣も探して、共に連れてきて欲しいという一文がただただ不服だった。
 その感情が彼に痛恨の失敗を犯させた。



 どこの国にも闇を取り扱う商売がある。
 彼は姫の警護を千獣に任せてその情報屋へと赴いた。
 深夜と呼ばれる時間、貧困層が暮らす王都の裏町は闇が深く、人気は無かった。
 そんな裏町のボロ小屋。そこで彼は情報屋から姫の暗殺を請け負った暗殺ギルドの情報を買った。
 しかし、情報を買った彼の情報が今度は相手側に売られるのだろう。それがこの世界だ。無論、それを彼は責める気は無い。それがこの世界のルールであるのだから。
 だから彼はそのまま暗殺集団がこの国の王都で開いた支部へと乗り込み、これを全員斬り伏せた。暗殺ギルドが全滅させられたならば、もはや再起不能に成る。そう考えての行動であり、
 そして、何よりも頭脳プレーのできない千獣に見せ付けてやりたかった。
 姫に認めて欲しかった。
 ―――たとえ、姫には想い人が居たとしても、彼女は自分の好いた人だから。
 ただそれだけだった。
 しかし、彼の誰よりも姫を想って行ったそれが、姫を絶体絶命の窮地に陥らせた。
 この国の首都に開いた支部を全滅させられた暗殺ギルドはギルドの面目を保つためにギルドの精鋭を送り込んできたのである。
 かくしてギルドの精鋭に寄る姫のボディーガードふたりへの攻撃に合わせて、
 姫の暗殺を画策した姫の叔父、大臣は王とその妻を殺し、王位を、王が座る緋色の椅子を手に入れて、
 姫は国から敗走する羽目となった。
 彼は彼を狙う暗殺ギルドの精鋭を返り討ちとする剣の腕はあったが、しかし自分と姫、姫の家族、それらを護りつつ戦う程の腕は持ち合わせてはいなかった。
 ―――彼はただただ自分の未熟さを呪い、



 そして、家族を目の前で殺され、その深い哀しみと絶望から熱を出した姫のために薬草を取りに行っていた彼は、暗殺ギルドの人間に襲われ、それでこの場所にも追っ手が差し迫っている事を知り、
 薬草を手に姫の下へと走った。
 林を駆け抜けて見たのは、千獣が姫を殺した、その現実だった。



 本当はわかっていた。
 察しがついていた。
 千獣という心から信頼していた人間に裏切られて、殺されたのなら、きっと姫はもっと絶望した顔をしていたはずだから。
 姫の満足した、
 そして、ほんの少し哀しげな、
 それでも、後悔していないその死に顔が真実を語っていた。
 けれども、理屈ではなかった。感情がそれをさせなかった。弱い心が目を逸らさせた。
 ―――真実から、彼は、逃げ出した。
「千獣、おまえ、そこで何をしている?」
 求めているのは、
 千獣の口から語られる、彼がわかっていながら目を逸らした事実などではなく、
 心の奥底から恨む事のできる相手だった。
 ―――自分の失態を誰よりも後悔しているから、
 姫を死なせたのは姫の想い人ではなく、
 自分だとわかっているから、
 だから彼は心の奥底から恨む事のできる相手を、求め、
 これを倒せば自分は真の騎士となれると信じて疑わなかった好敵手である千獣がそれを見抜いているかのように自分を嘲笑ったから、
「千獣、おまえそこで何をしているぅぅぅぅぅ」
 ―――何をしている? 果たして自分が口にした何をとは、何を問うているのか? 彼は血を吐く様に泣き叫びながら、頭のどこかで自分で自分を嘲笑い、千獣と殺しあった。
 


 勇者専用の魔法剣アルス―――
 それは、堕ちてしまった自分を救おうとしてくれる姫の愛情―――
 だからそれが彼には何よりも心に痛かった。



 そしてその剣は今、新たなる勇者に継がれた。



 千獣はその剣の由来をホビットに語った。
 ホビットは勇者専用の魔法剣アルスを見つめ、そして、千獣に頷いた。力強く。真摯に。
 その彼の瞳には過去の悲劇を無駄にはさせないという意志があった。そういう意志が篭ったまなざしの先にはきっと、誰もが望む未来がある、そう信じられる力強い瞳に、千獣は頷き、
 そしてその彼女自身のまなざしの先にある未来に千獣は嬉しげに笑った。



 生きる意志に満ちたまなざしの先には、
 いつだって、明日が、今がある。


 【END】