<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
盗と指から毒へ
閉店ギリギリに駆け込んできた冒険者は、そろそろ熱くなってくるというのに分厚い手袋をしていた。
「すまん、エスメラルダ……。一杯だけでいい……飲ませてくれ」
そう低い声で言った男性は俯き加減のままグラスが運ばれるまでそのままの状態であった。それから何も言葉を発せずに時々右手を見ては深いため息をついていた。
見かねてエスメラルダは声をかけた。
「……どうしたの? あなた、とても暗い顔をしているわ」
見上げた男の目元には濃いクマがあった。男は震える口でこう言った。
「指が……いや、ヤバイ奴がいる。エスメラルダ、なんとかしたほうがいい」
男は賞金稼ぎを稼業とし、何人もの罪人を捕まえてきた剣士だった。だが、ある賞金首を狙った際に右手の人差し指を盗られてしまった。それ以来、剣を握る感覚が変わり、剣士としてはやっていけなくなった。
ただ、それだけならよかった。実家に戻って畑を耕せばよかったのだが――。
「奴は剣に毒を仕込んでやがった。だから……俺の命はそう長くはない。けれども、そんな奴をこのエルザードにのさばらせてはおけない。だから、誰かにこのことを伝えてくれ。できるだけの特徴がこの紙に書いてある」
懐から出された、くしゃくしゃになった指名手配書を見てエスメラルダは目を見開いた。
「悪趣味で有名なラーギリンじゃない! こんなやつと一人で――……わかったわ。なんとか話せる人に話すわ」
ラーギリンは標的の肉体を切り裂き、自室に飾るか、それを身につけている。常に死臭がし、見つけやすいが身体の素早さと剣の毒により、何人もの人がやられていた。
「ありがとう……。奴はこのエルザードのどこかにいる。あいつの目はまだやり足りない目だった――」
指名手配書の顔を見て、元剣士、マーランは酒を飲みきった。
つり上がった赤い目と裂けた口がこちらを笑っているように思えた。
月も傾く夜中に、屋根から屋根へと飛び移る音が、エルザードに響いていった――。
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集まった人数は2人。2手に別れて、別行動をとることにした。1人はラーギリンを追い、1人はマーランの手当てに当たった。だが、マーランの手当てにあたる鬼眼・幻路は、ラーギリンを追うディーザ・カプリオーレに何度も役目の交代を申し出たが、ディーザは頑として意見を曲げなかった。
「私は、医療用のサイバーウェアは持っていない。だから、マーランを治すことはできないよ……大丈夫だって、見た目はちゃーんと女の子だけど、中身は結構硬いんだから」
さっと闇に紛れたディーザを止めることはもう幻路にはできなかった。だが、やはり女の子1人だけで凶悪犯の相手をさせることは心苦しい。せめてと思い、1羽の鴉を宙に舞わせた。鴉、浄天丸はディーザの後を静かに静かに飛んだ。
黒山羊亭に戻った幻路は、エスメラルダに頼んでコップ1杯の水を用意してもらい、マーランに差し出した。
「助からぬと思い込むのは勝手でござるが、やけになって酒を煽るのは感心できぬでござる」
マーランは差し出されたコップから、わざと目線を逸らした。
「……俺に構うな。おまえも早くラーギリンを捕まえに行った方がいい。どうせ、俺なんか――」
コップをさらに押し付けて、幻路は首を振った。
「助けたいと思う者がいる以上、マーラン殿を死なせはしないでござるよ。エスメラルダ殿、もっと水はござらんか? マーラン殿にはもっと水が必要でござる」
「わかったわ、ちょっと待っててね」
そう言って奥へ入ったエスメラルダを見、幻路は目線で飲むよう促した。
マーランの充血した瞳は幻路から外れていたが、恐る恐るコップを右手で受け取り、口をつけた。その様子に幻路は頷きながら微笑み――。半分くらい飲み干すと、落ち着いたのか息とともに笑みが少しこぼれた。
「……すまんな。昔、おまえみたいな奴を捕まえたことがあってなあ――。名前、なんていうんだ」
「おお、これは失礼致した。鬼眼・幻路でござる」
「そうか……幻路か。幻路、奴は快楽のためなら何でもやる奴だ。遭遇した奴は皆死に絶えたと言われている大鎌の使い手だ。あいつは、死神と呼ばれていた。大鎌使いであるとともに、刃を向けるものには毒――ッ!!」
右手を上げ、床にコップを叩きつけた。
全身を激しく痙攣させ、両手で体を押さえ込んだ。歯はガタガタと音を立てて振るえ、声を殺して額に汗をにじませた。
足元で破片と水が広がっていった。
「医者へ……!」
マーランは喉の奥から声を絞り出した。
「エスメラルダを――」
充血したマーランの瞳から切願と光が消えた。
「――最期まで迷惑をかける――」
刹那、マーランの腕から力が抜けた。歯も食いしばらず全身から力が抜けた。ぶつぶつと聞き取れない言葉を発し、立ち上がった。一変した雰囲気に、幻路は忍刀を手に取った。
「お主、マーラン殿ではないな」
薄笑いを浮かべながらゆっくり首を振った。ゆっくり、右手にしていた分厚い手袋を取る。第二関節までしかない、ふやけ、膿が溜まり化膿した人差し指が現れた。
手袋を投げ捨てる。
床に落ちた手袋の中から音を立てて蛆が這い出てきた。
「あはは…………あははははははは!!!! ひっかかったな、小僧!!!」
マーランの左手に握られた剣が、幻路に振り落とされた。
「お嬢さん。こんな夜中にお散歩ですかな? 感心しませんネエ」
闇に紛れていたディーザは身を飛んで振り向いた。
「キミがラーギリン? 初対面の挨拶にしては手荒すぎると思うけど」
大鎌の先を地面にめり込ませ、上目で睨んだラーギリンは裂けた口だけ笑っていた。ゆらゆらと揺れながら大鎌を地面から抜いた。揺れるたび、肩にさげた小腸が左右に揺れた。
頭を振り、長い白髪の間から真っ赤な瞳をディーザに向けた。
「ワタシを知っているとは……ふふふ、また賞金稼ぎか何かですか?」
「私はただ、解毒剤が欲しいだけ……くれない?」
それを聞いたラーギリンは体を反って笑った。耳に残る高笑いが、波打つ海のように背筋を凍らせた。
「何を言い出すと思ったら! その腕を少し切っただけでも血が出てくれそうな1本くれたら……考えてもいいですよ」
細くつり上がった目がディーザの腕をチラと見た。
「生憎、渡せるほど腕は余って無くてね。急いでるんだけど、いますぐ無理なの?」
「しょうがないですネエ……。この慈悲深いワタシに勝てたらいいですよ」
瞬時に振り上げられた大鎌が地面にめり込み、さっと再び上げられた。
「……武器を構えないと、足まで貰っちゃいますよ?」
横に風を切った大鎌をそのまま飛んで交わしたディーザがいた場所に、再び振り下ろされた。小腸がその動きに合わせて左右に揺れ、そこから現れた蛆虫が頬を這った。
「ちょこまかと鬱陶しいですネェ!」
ラーギリンが頬の蛆虫を払いのけた次の瞬間、息つく暇もないほどの連続技がディーザに襲い掛かった。それをディーザは先の動きを読み取り交わしきった。
「あなた……人間じゃあありませんネ」
「いまさら? それより、もう疲れたの?」
ラーギリンはまた口を裂かせて笑った。
そして、目の色を変えた。赤かった瞳はわずかに赤黒くなった。
正面から来た大鎌を素早く交わしたディーザは手に握った銃の引き金をひいた。頬を掠め、首筋を掠め、手首を掠め……1筋の血が流れた。
「よくもやりましたネ!」
ディーザの頬を掠めた大鎌は、石畳の石と石との間に一瞬、挟まった。少し動きが遅れたのを見て、ディーザはラーギリンに飛び掛った。反撃できぬよう大鎌を掴んだ手を撃ち、体を大鎌から突き飛ばし、取り押さえた。
ラーギリンの体は意外と軽く、予想以上に飛んだが、頭に銃を突きつけられてもラーギリンは笑みを絶やさなかった。
「驚きましたネエ。まさか、あなたみたいな少女にワタシがここまでやられるとは……」
「あはは、ありがとう。約束だよ。解毒剤をちょうだい」
クックックッ……ラーギリンは笑った。
「甘いナア。なんにも知らない出来たんだネ。メデタイヤツラダ」
軽々と体勢を変え――ディーザは地面に背をつけた。
「オメデトウ、美シイワタシノ飾リノ仲間入リダヨ……!!」
大鎌が振り下ろさ――
――たしか、
大鎌から離れたはずだった――
なぜ?
「……だめ」
振り下ろされるはずの腕は止まり、同時にマーランの動きも止まった。
体中に何かが巻きついたようになり、振り向いたマーランをさらに締め付けた。
「エスメラルダ、困ってる……だめ。店が、壊れちゃう」
店の奥からエスメラルダは幻路を見ていた。
「……あたし、こんなことになるなんて思っても……」
突然現れた少女の謎の術で捕まえられたマーランは開放される気配がない。それを確認して幻路は混乱するエスメラルダのもとへ駆けた。
「放せッ! 放しやがれッ!!」
少女、千獣は叫び声に耳も貸さず、しっかりスライジングエアの鎖を持ち――捕えた男の尋常ならぬオーラを感じた。
「にん、げん……?」
千獣はマーランを見ながら首を傾げた。
「死の、匂いが……する」
幻路はマーランの言葉が頭に過ぎった。
『――最期まで迷惑をかける――』
「まさか……」
「そうだ、俺はマーランであって、マーランではない」
顔を上げ、己を見詰める全ての者に嘲笑を向けた。
「毒は即効性でキツくてな。すぐに脳へ入り込む。クックックッ……マーランのような手足れでも、すぐに解毒剤がなけりゃ……手遅れさ。わかるかい? もうマーランの体はラーギリン様の僕なのだ。いまごろ、あの少女もどうなっているか……クックックッ……あははははは」
マーランの笑い声は唐突に終わった。
「……ラー、ギリン……様、が……ぁ?」
唾を飲み込み、米神から汗が流れた。
「苦戦されている……? なぜ、なぜあんな小娘に」
少し空いた扉から鴉が店内に飛び込んできた。
血で汚れた鴉、浄天丸は幻路の前で鳴くとすぐさま飛び去った。
「ディーザ殿が呼んでおられる。行かねば……千獣殿。一緒に」
「行、く……」
スライジングエアの鎖を片手に千獣は幻路に歩み寄った。
「千獣殿。恩に着るでござる。場所は浄天丸が案内いたす。こっちでござる!」
幻路と千獣は浄天丸に導かれ、闇に入った。
――たしか、
大鎌から離れたはずだった――
なぜ?
やられると思った瞬間。目の前にいる狂人は頭を押さえ、地面をのた打ち回った。
理解するまで、少し時間がかかった気がする。
幻路の聖獣装具、浄天丸はディーザに襲い掛かるラーギリンの頭に向かって急降下したのだった。そのため、鋭いくちばしがラーギリンの脳天を突き、そのままどこかへ飛び去ってしまった。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛……!!!」
のた打ち回るたび、投げ放られた大鎌が胴体を切りつけ、脳天からは異臭を放つ異物がぶちまかれた。その中に同じ形の小瓶が転がっていた。
恐る恐る立ち上がったディーザは、比較的綺麗な小瓶に手を伸ばした。
「ディーザ殿、無事でござったか」
伸ばした手を少し引き、ディーザは闇から現れた幻路と千獣、そして鎖にまかれたマーランを見た。
「――あ〜ぁ、やってくれましたネエ。久しぶりに動揺しちゃった」
頭を押さえながらラーギリンは立ち上がった。足元はおぼつかなく、左右に揺れ、よろめいた。
「あ〜ぁ、脳がこんなに出ちゃって。まあ、いい。ワタシには関係ない――。そうそう、それ、解毒剤」
先ほどまで叫んでいたときとは考えられないほど落ち着いた声でラーギリンは言った。血がしたたる大鎌を持ち上げ、背を向けた。振り返りざま、ディーザを睨んだ。
「貴様、1人ならやれたのに――」
「ま、待て!」
叫んだのも空しく、ただ虚空に響いただけだった。
風が吹き、液体が震えた。
「……マーラン、そうだ、マーラン、これって解毒ざ……」
スライジングエアの鎖がゆっくり解かれ、地面に体が下ろされた。
「……ありがとう。すまんな、お嬢さん方、それに幻路。俺はもう助からなア?!!」
ディーザは黙って小瓶の蓋を開け、幻路は体を固定し、千獣はスライジングエアの鎖を綺麗になおした。
「あきらめるのが早すぎるのよ、まったく。いい歳したオジさんなのに」
「さあ、飲むでござるよ。元気になってエスメラルダ殿に謝りにいかねば」
「ガバッゴボッ不味いッ!」
無理やり顎を持たれて口を閉じられ、マーランは涙目になっていた。
「……だ、い、丈夫…?」
やっと飲み終わった頃には両手を地につけ、肩で息をしているマーランの姿が朝日に照らされ、ディーザと幻路は汗を拭い、千獣は眠たそうに目を擦っていた。
闇は明け、光が4人を包み込んだ。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【3482/ディーザ・カプリオーレ/女性/20歳/銃士】
【3087/千獣/女性/17歳/獣使い】
【3492/鬼眼・幻路/男性/24歳/忍者】
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ライター通信
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こんにちは、こんばんは、田村鈴楼です。
マーランをなんとか助ける事ができ、よかったです。
このシナリオには色んなエンディングを設けており、どんな最後になるかひやひやしていましたが、マーランは助かるけれどもラーギリンは逃げるエンドになりました。
また、ラーギリンが悪さを働いたら、黒山羊亭に依頼が来るかもしれません。
ご参加いただき、ありがとうございました。
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