<東京怪談ノベル(シングル)>


『真夏の世の夢』


 丑三つ時と呼ばれる頃合の夜。
 彼、鬼眼幻路は聖都の片隅にある倉庫街に舞い降りた。最前まで彼が乗っていた忍者凧は肌寒い夜風に乗って空を泳いでいる。
 着地した倉庫の屋根の瓦を外し、幻路は倉庫の中に進入する。その手際はさすがに忍者というしかない程に華麗にして鮮やかで、手際が実によかった。
 屋根裏の梁にロープを結わいつけて幻路は倉庫の中に降りる。
 倉庫内に置かれているのは盗品の数々であった。金銀財宝ざくざくである。倉庫内に所狭しと置かれているその盗品の数々を見渡して幻路はひとつ頷いた。
「ふむ。この倉庫がかの盗賊団の盗品の置き場である事はまず間違いないようでござるな。ならばここからが拙者の仕事の本番でござる」
 忍者、鬼眼幻路の浮かべた笑みは至極人の悪い、面白い悪戯を思いついた悪戯っ子そっくりの笑みであった。




 真にもってやり切れぬ事に、すべからく人の世の諍い(いさかい)ごとは勘違いでございます。
 その人の世の全ての悲劇の欠片を寄せ集めて凝縮し、結晶化させたかのような凄絶な彼の光景を見て、鬼眼幻路は時の涙を見る。(ぺんぺん)
 だがしかし、彼の様な不運。事の始まりをどう思い返そうが、この事の終わりに繋がるはあまりにも理不尽じゃあございませぬか。(ぺんぺん)
 がしかししかし、如何様に神に抗議し愚痴り嘆こうが、覆水は盆に返らぬが世の道理。(ぺんぺん)
 あぁ、ならばせめてもの情けでございます。笑ってやって下させえ男二人の勘違いすれ違いの悲劇。喜劇。ドタバタ劇。(ぺんぺん)
 真夏の世の夢の始まりでございます。(ぺんぺんぺん)



 『真夏の世の夢』幕開け→


 いつもの飄々とし風に揺れる柳の如く掴み所の無い笑みはそのままに、しかしその片方だけを開いた右目にはいつになく真剣な光りを宿らせて、鬼眼幻路は両手に持つ筆をいとも鮮やかに振るっていた。
 飛び散る汗の雫は豪快に、いやしかし壁に描かれる絵の数々は同じ男から生まれたモノとは思えぬほどに繊細なタッチで描かれていく。
 真っ白い壁をキャンバスに見立てて鬼眼幻路が描いていくのは家具の数々であった。箪笥にちゃぶ台、有名どころの作家の名前とタイトルが背表紙に書かれた本が並ぶ本棚、食器棚、それだけではなく名画と呼ばれる絵や掛け軸、屏風も壁に描かれていく。ほんのわずか数刻前は確かに鬼眼幻路が立つその部屋は何も無い部屋であった。しかしながら今は見た目だけはそこは本来の部屋の広さよりも奥行きも幅もある豪華な家具の数々が立ち並ぶ部屋となっていた。これぞ鬼眼幻路の忍術の一つであった。諜報役を請け負った時に知り得た敵側の配置や人相書き、作戦図などをそっくりそのまま書き記すための忍術である。鬼眼幻路はその腕を衰えさせぬように常日頃からその鍛錬を己に課していた。
 最後の一筆、シェットランド・シープドッグの目玉を最後に描くと共に鬼眼幻路は筆を置く。無論、画竜点睛を欠く、その古事成語の元話となる龍の様にそれが動き出すという事は無かったが、そう、それは今にも可愛らしく「わん」、と鳴きだしそうな見事な犬の絵であった。
 鬼眼幻路は自分が描き出した部屋の内装を見回して、満足げに頷いた。



 それは先にも述べたように鬼眼幻路の忍術である。諜報役を請け負った時に活用される技である。彼が描いた部屋の内装の数々がまるでそこに実際に在るかのように、シェットランド・シープドッグが今にも動き出しそうな脈動感を持っているのも、全てが常日頃からの鬼眼幻路のたゆまない修行の成果であり、努力の結晶である。そこには後ろめたい事など微塵も無く、それどころかその部屋を開放すればテーマパークのアトラクションのようにそこを見た人々から喜ばれる事は必至であったのだ。そう。間違い無く鬼眼幻路には非は無いのである。
 故にこれからこの場で繰り広げられる修羅場、喜劇、ドタバタ劇はやはり不運にも起こってしまったボタンの掛け間違えと言うしか他ならぬ事であろう。
 しかし覆水、盆に返らずとは言うが、それでもこの男、かの誉れ高き巨人の騎士、レーヴェ・ヴォルラスにいま少しの柔軟さがあったのであれば、この先に待ち受けていたふたりの悲劇、喜劇、ドタバタ劇な運命は回避する事が出来たのかもしれない。
 だがしかしそれはやはりどうしようもない事である。
 ここで言っても致し方のない事。
 運命は変えられぬ。
 神の手が描き続けるシナリオにそって、もうひとりの役者であるレーヴェ・ヴォルラスは舞台に上がる。
 かの誉れ高き巨人の騎士は突然、この部屋の玄関の扉を蹴破って突入してきた。



 鬼眼幻路はおもむろに蹴破られた部屋の玄関の扉に驚いて、右の目の瞼を忙しく瞬かせた。
 折りしも壁を塗り染めた絵の具の全てが乾ききった頃合である。
 突然の暴漢の侵入にさしもの鬼眼幻路も完全に思考をフリーズさせたが、しかしそれもわずか一瞬の事である。蹴破られ、壊された扉の破片の全てが床の上に落ちた時にはいつもの飄々とした物腰、それに似合う人を食った様な笑みをその左目に傷がある顔に取り戻していた。(余談だが当然の如く床には幾何学模様の高級絨毯の絵が描かれている。)
「これはこれはいっそう清々しいほどの扉の開け方でござるな! ふむ。似合っている出ござるよ。役に」
 幻路は両腕を組んで大きく頷いた。これは本当にそう想っているのである。部屋の玄関の扉を蹴破られて壊されても鬼眼幻路の顔には微塵の戸惑いも怒りすらも浮かんではいない。それどころか彼は楽しそうでさえあったのだ。
 さて、実はもう既にこの時点で両者の間には大きな勘違い、誤解が生まれていた。
 レーヴェの方はといえば、この部屋の壁に描かれていた家具の数々やシェットランド・シープドッグが実は全てがここ数日の間に盗まれて、聖都を護る警備隊に報告された盗品の数々のリストと同一の物なので、てっきりとここがその件の泥棒のアジトだと思い込んでしまっていたのだ。しかも彼が鬼眼幻路に目を付けたのは、彼が昨夜倉庫街の倉庫に忍び込んだのを見たからである。それから彼はずっと鬼眼幻路を尾行していた。(とは言え、昨日今日と彼は休日であり、そのために今朝方、匿名の通報によって幻路が昨夜忍び込んだ倉庫をアジトとしていた盗賊の全てが捕まった事を知らなかったし、また幻路が今日の早朝からその部屋に入って以降、絵が描き上がるまでは実はずっと彼はその部屋の窓から部屋を覗き込む瞬間までのしばらくの間、玄関だけを見張り、扉の向こうの気配を探り、幻路がずっとその部屋に居る事だけを感じ取っていたレーヴェは、だからその部屋には実は何も無く、そこにあると思わされるその全てが絵である事に気づく事が出来ず、それで………その思い込みまっしぐらの行為に出てしまったのだ。)
 レーヴェは剣を鞘から抜き払い、そしてその剣の切っ先を鬼眼幻路へと向けた。
「貴様はこの盗賊のアジトの見張り役か?」
 それは問いかけではなく、確認であった。
 そしてあろう事か鬼眼幻路はそれに頷くのである。にかりと豪胆な微笑み付きでだ。
「ああ。そうでござるよ。拙者は盗賊の頭領でござる」
 言った。自分は盗賊の頭領であるとまったく違うにも関わらずにこの男は自分が盗賊の頭領であると言い切った。両腕を組み、幻路はくっくっくと笑っている。しかしその笑いも、馬鹿な肯定も、全てがこれが劇であると彼は思い込んでいるからである。そう。それこそが鬼眼幻路の方の勘違いであった。
 この部屋は劇団『Moonlight』の舞台稽古場として扱われる事になっていて、そしてその部屋の絵を幻路が描いていたのはたまたま舞台道具の絵描きを探していた劇団関係者と知り合い、それを請け負ったからだ。(幻路としては修行もできるし、劇団関係者に喜ばれるし、その上お給金までもらえて至極嬉しい事この上無しのお仕事であった。)
 しかも劇団員の審査役のおまけ付き。何でも今度の舞台は異世界日本を舞台とした時代劇らしく、その劇に登場する火付盗賊改方長官役を任せられるかどうかの審査らしく、より高度な力量を持つ役者を選出するために幻路はその役目を与えられた、という経緯だ。
 ―――つまり、幻路はレーヴェ・ヴォルラスの事を火付盗賊改方長官役希望の役者だと思い込んでいるし、
 そしてレーヴェの方は幻路を盗賊の頭領だと思い込んでいる。
 それはもはやどうしようも無い事だった。幻路が絵のモデルにするべく闇偵・浄天丸で見たのが本当の盗賊の盗品の置き場であった事が悲劇であった。
 くどいようだが幻路はレーヴェを役者だと思い込んでいるし、
 レーヴェは幻路を盗賊だと思い込んでいる。
 だから、この会話とて、不幸なすれ違いによるものであったのだ。
「貴様が盗賊の頭領であるのだというのであれば他の仲間、貴様の部下はどうした?」
「ふん。部下の事を拙者が火付盗賊改方長官であるお主に言うとでも想っているのでござるか? それは随分と舐められたモノでござる。この鬼眼幻路。秘密は全てあの世まで持っていくでござるよ」(審査の為に幻路もノリノリで盗賊の頭領を演じているのである。)
「ふん。死を尊び、それを誉れとするは愚か者のする事ぞ。死ねば終わり。しかし生きていればそれで変わる事もある。ならば全てを吐いて、お縄につけ」
「ほほう。アドリブでそんなナイスで小粋な台詞を口に出来るなどなかなかでござるな」
「何をほざいている? 貴様は」
 両方が間違った事などは何一つ口にはしてはいないのだ。ああ、何たる悲劇。喜劇。両者が真剣にそれを言い合っている。噛みあわぬ会話を繰り返す。
 幻路は勘違いした両者が演じた噛みあわぬ台詞のやり取りの後に手をパンパンと叩いた。
「見事でござる。しかし強いて台詞に注文をつけるとすれば、語尾は『ござる』、がいいでござるよ。一人称は『拙者』。三人称は『お主』。それが粋な喋り方というモノでござる。うむ」
「何が、うむ。だ!!! 貴様などに何故自分が言語指導を受けねばならぬ!」
「ふぬ。しかし言語をちゃんと喋る事こそが劇に真実味を与える一番の技でござるよ」
 穏やかに言う幻路にレーヴェはわなわなと身を震わせる。
「自分が知りたい真実は一つ。この部屋に並べられた数々の盗品の事。そして貴様の部下の事。それらの真実がこの聖都の人々の平穏を護るものなのだから!」
 熱い風がレーヴェを中心に巻き起こるかのようであった!!!
 しかし鬼眼幻路は両手をぱちんと打ち鳴らし、満足げに頷いてみせる。
「うぬ。見事でござる!!! その民を想う心意気はまさしく火付盗賊改方長官の心意気ぞ。その演技ならばきっと千本の紫の薔薇が届く事間違いなしでござろうが、ふむ、しかし、やはり、ござる、とか、拙者、とか、お主、と言う気にはならぬか? それで台詞を喋ってくれれば満点で、拙者はお主が望む事を喋るのであるが………。にんともかんとも」
 無論、幻路が口にした『拙者はお主が望む事を喋るのであるが』、というのは、劇団の偉い人に彼は千の仮面を持つ男優であり、紫の薔薇を贈るに相応しいとかなんとかそういう事を言う、という意味であるが、
 やはり勘違いしているレーヴェにとってみればそれは洗いざらい喋る、という意味に取れる言葉であり、
 故に、
 背に腹は変えられぬ、
 というのは、
 かの誉れ高き巨人の騎士、レーヴェ・ヴォルラスにとってみれば当たり前の事で、
 そんな彼の逡巡を見抜いた幻路は、至極満足そうに微笑んで、まるで親と喧嘩して、謝るに謝れないでいる弟の背中をぽん、と優しく押す優しい兄の様に、言うのだ―――
「はい。言ってみるでござるよ」
 ぱちん、と嬉しそうに手を叩いた幻路の後に続いて、
「拙者が知りたい真実は一つでござる。この部屋に並べられた数々の盗品の事でござるよ。そしてお主の部下の事ござる。それらの真実がこの聖都の人々の平穏を護るものなのだから!」レーヴェは意外な事に顔を赤くして言った。真っ赤だった。耳までしっかりと真っ赤だった。もともとは自分が素で言ったのに、ちょっと一人称や三人称を変えただけで顔を耳まで真っ赤にした。その彼の姿はものすごく可愛くって、
 だから、
 故に、
「うむ。可愛いでござるよ」
 幻路は素直に感想を述べてしまった。
 わなわなと震える身体は怒りと屈辱と羞恥のためである。
 何故自分が盗賊の言う事に踊らされて………
 レーヴェはどすんと片足で床を叩いて、
 そしていきりたって言った。
「さあ、俺は貴様が望む通りに言ったのだ! 貴様も俺の望む事を素直に言え!!!」
「ふむ。では行こうか」
 行く? 行くとは、部下のところに自分を連れて行くという事か? ならば連れて行ってもらおうか。それが罠であろうが何であろうがそんなものは構いはせぬ。レーヴェは頷いた。寧ろ騎士として本望だ。
 が、そこでレーヴェの驚く事が更に行われる。笑顔で幻路がなにやらレーヴェにとってみればとち狂っているとしか言い様の無い事を言い出す。「しかしその格好ではせっかくの名演技が台無しでござるな。よし。では着替えをするでござる」と言い出すが早いか、
「忍法『あ〜れぇ〜。お殿様、そんなごむたいな。いや〜んの術』でござる」
 鬼眼幻路の術が発動する。それは時代劇のスケベなお殿様がひわいな笑みを浮かべながら娘の腰巻を解いていくように手際鮮やかにレーヴェの服(非番のために鎧姿ではない。)を脱がし、あっという間にパンツ一丁にすると、その彼を今度は、
「忍法『紙細工の術』でござる」
 懐から出した真っ白い紙を鮮やかに折り、それが着物となると(折りあがった時点では見事な濃紺の色と、模様が入っている。)、
「忍法『着せ替えの術』でござる」
 それをレーヴェに着せた。
「ふむ。似合っているでござるよ」
 ぽん、とレーヴェの肩に手を乗せる。
 あまりにもな事に絶句していたレーヴェはその肩に伝わった振動で我を取り戻すと、幻路を力いっぱい押した。
 忙しく瞼を瞬かせる幻路。しかし彼はすぐに手を叩いた。
「シャイでござるな。お主は。男同士。そんな裸姿を見られて恥ずかしがる事はないではござるか。そんな事で役者が務まるでござるか?」
 くすくすと穏やかに笑う幻路はくどいようだがレーヴェを役者だと思い込んでいる。故に、だから、悪気は無いのだ。
 そして、やはり勘違いしているレーヴェにとってみれば、もう幻路の何もかもが真面目な彼にとってみればふざけて、自分を愚弄しているとしか思えなくって、
 故に、だから、
 さしもの彼も、
「いい加減にしろう!!!」
 ぶち切れた。
 剣を振り回すレーヴェ。
 しかしそれは紙とはいえ、火付盗賊改方長官の着物を着た事ではしゃいでいる様にしか幻路には見られず、
 彼は笑いながらその剣から逃げるのだ。まるで子どもをあやしているような気分であった、幻路は。
 それはレーヴェには本当にもう我慢の出来ない事だった。
 だけど、
 その剣筋は、
 あまりにも容赦が無くって、
 そこでようやっと幻路は、
「あれ? えっと、その太刀筋、ちょっと洒落にならないのではござらぬか?」
 ひょい、ひょい、ひょい、とレーヴェの振るう剣を紙一重で避けて、避けて、避けて、幻路は外に出て、
 レーヴェは本気の怒号をあげる。
「容赦はせぬ。この盗賊めが。レーヴェ・ヴォルラスの名に懸けて、盗賊の頭領である貴様を捕らえる」
「いや、だから、お主は火付盗賊改方長官の役を得るためにオーディションを、」と、言葉を続けようとした幻路はそこでようやっと目の前の男が名乗った名前が実在の騎士の名であり、そういえばこの目の前の男の姿格好も鎧こそまとってはいないものの、確かに噂に聴くその男の姿格好、容姿に似ていると想って、
 それで、
「ああ、では、本当に………」
 そこでようやっと幻路の方は自らの不幸なボタンの掛け間違いに気付いた。
「…………」
 紙の着物を着て、ちょんまげのかつらまでしたレーヴェを見て、それで、幻路は遠い目をした。そのレーヴェの姿がものすごく憐れに見えたのだ。
「ああ、すまぬ。すまなかったでござる」
「謝罪の言葉は裁きの場で言うのだな、盗賊の頭領よ」
「えっと、だから、それは勘違いで………。不幸なボタンの掛け間違いでござったのだ!!!」
 切々と訴える幻路の言葉にしかしレーヴェは聴く耳持たぬ。
 両手で剣を持ち、それを振り上げたレーヴェ。その彼に向かい右手を伸ばし何かを言おうとした幻路。しかし剣を天に向かい振り上げたレーヴェの闘気に呼応するかの様に空で雷光が走り、雷鳴が轟き、おもむろに天下の往来に出てきた幻路とレーヴェに足を止め、そのふたりの行く末を見守っていた人々の見ている中で、
「「あっ」」
 唐突に雨が激しく降って来て、そうしてレーヴェの紙の服は雨に濡れて溶けて、
 往来を行く若いお嬢さんたちから年老いた昔のお嬢さんたちまでパンツ一丁になったレーヴェに悲鳴をあげて、
 そんな空気を無視して、予定の時間よりも遅れてやってきた本来の役者が幻路の目の前に走り出てきて「遅れてすみませんでした」、と頭を下げて、
 幻路は雨に打たれながら固まっているパンツ一丁のレーヴェに向かって、その役者の頭を下げさせながら、自らも頭を下げるのであった。
「本当に真に申し訳ない。人間違えでござった」


 【了】