<PCゲームノベル・6月の花嫁>


虚飾の婚礼

「連れ戻せ。私が欲しいのはあの娘だけだ。あとはどうなっても構わん」
 古く大きな城の一室。
 伯爵と呼ばれる男が低く声で命じる。他人に命令するのを日常として慣れた声だ。
 遊戯盤の上には白と黒、二色の駒が静かな戦いを繰り広げている。
「人とは本当に愚かなものよ。無論、私も含めて……だが」
 深く腰を折って出て行く従者たち。
 テーブルには金貨の詰まった重い袋がある。従者の誰かが娘を連れ戻せば、その成功報酬として与えられるだろう。

 一方、花嫁は走る。
 心から大切だといえる青年の手を取り、白いウェディングドレスを身に纏ったまま。
「もう少し先に馬車を用意してある。……頼む、それまで頑張ってくれ」
「……えぇ。大丈夫よ、あなた。二人で幸せに暮らすと約束したもの」
 青年は後ろを振り返る。夜の闇を縫うようにして蠢く黒い影。
 追っ手はすぐそこまで迫っていた。



「……?」
 猫の爪をした月が空に高く昇る頃、千獣は何者かの気配にぴくりと指を震わせた。鴉や狼といった危険な肉食獣ではない。かといって兎や鹿のように草を食む獣でもない。それよりもっと狡猾で残忍で、しかしそれだけでは語り尽くせぬ複雑な感情の塊。自分と同じ人間の気配だ。長く野で生きてきたせいか、視覚を始めとする五感は一般人のそれを大きく上回る。闇に目を凝らし辺りを見回すと、やはり此方へ向かってくる人影がある。しかも一人ではなく、複数。
「花嫁を奪っての逃避行……ロマンスでござるなぁ」
 その人影の中に幻路はいた。純白のドレスを纏う花嫁と花婿を先に走らせ、自分は殿を務め護衛に徹する。ほんの子供の頃から血の滲むような訓練を受けてきた彼にとって、護衛任務など容易いこと。私情で動いているものだから高い報酬も何も期待はできないが、人の恋路を守る洒落た役目もたまには悪くないだろう。得るものが金である必要はない。
「……よく……わから、ない、けど……追われ、てる、の……?」
 ちょうど湖の畔まできたところで4人は顔を合わせる。追うモノ追われるモノ、そして守るモノ。
「……えぇ。良くないものに追われているの」
「幻路さん、湖の向こうに馬車が待っています。そこまでいければ……ッ」
 青年が急いたように叫ぶ。
「ふむ。……ここは二手に分かれた方が良いでござるな。ええと、」
「……千獣。……早く、行って……追い、かけて、くる人、は……私が、止める……なんで、追われ、てるの、とか……やっぱり……よく、わからない、けど」
 名を名乗った千獣は花嫁と花婿の姿を瞳に映す。長く逃走に走って来たせいか息は切れ追っ手に怯えてはいるものの、運命を自らの手で掴み取ろうという明確な意思が見て取れた。
「あなた、たちは……悪い、人に、見えない、から」



「拙者を忘れてもらっては困る。……あぁ、そうだ。これを。一応念のため」
 幻路が取り出したのは黒い宝珠だった。口の中で何事か唱え印を結ぶと、漆黒を瞳に宿した一羽の鷹へとその姿を変える。一度一行から離れた場所へ飛ばし、戻ってきたところで、追われている二人を守るように命じた。これでとりあえずは安心だろう。
「ありがとうっ。千獣さん、幻路さん」
 何度も何度も頭を下げ礼を重ねると、ドレスの裾を捲り上げ花嫁は走り出した。青年もそれに続き、湖の畔に止めてある小さな船に乗り込む。霧がかかっていて良くは見えないが、向こう側までいけば馬車が待っているはずだ。少なくとも青年はそう言った。

「……まだ、見えない。……行こう、幻路。……此方、から」
 つい先刻出会ったばかりだというのに、千獣と幻路の間に流れる空気はそれを感じさせない。今ここに居ることが当然であるかのように、遥か昔から定められていたかのように。役者に芝居。一つの戯曲などと評するのは言い過ぎだろうか。
 危険はあっても見返りは少ない。だがゼロではないのだ。縁を結ぶ、その手助け。
 二人は顔を合わせて頷くと、闇の中へ走り出した。

 追っ手の姿が薄らと視認できたところで、千獣は手に持ったライジングエアを放つ。主人の命に従い夜の闇を切り裂いては飛び、ちょうど通り道となりそうな場所で鎖を止めた。
「……便利なものでござるな」
 感心したように幻路が呟く。唇を開く間にも動きを止めることなく、懐から煙玉を取り出し握る。大樹の陰に身を潜ませ、追っ手を待ち伏せすることにした。
「……鎖」
「ん?」
 じっと息を殺す少女を幻路が横目で見遣る。
「透、明、だから……足、引っ掛ける、こと、できると、思う」
 畔から結構な速さで走ってきたというのに、呼吸も普段通り。赤い瞳は闇の一点を凝視しており、異常な事態にも大して驚いた様子はない。
「……悪人に見えなかったから。協力を申し出たのはそんな理由でござったか」
「……? そう。見えなかった、から。……何故?」
 きょとんとした様子で首を傾げ、千獣が問う。
「まぁ、それには拙者も同感でござる」
 そう言って、幻路は少し笑った。



「浄天丸によれば追っ手は5人。油断ならぬ相手でござるぞ」
 そう遠くないところで影の一人が派手に倒れる音がした。恐らくは気付けなかったのだろう。地面に伏し、静かに獲物を待つ透明な鎖に。
「では」
「……うん」
 やり取りはそれだけで十分だった。
 踊るように飛び出し、まず先行して幻路が煙玉を地面に投げつける。闇夜。ただでさえ視界が良くないというのに、突然の白煙。ごほごほと激しく咳き込みながら、影たちは突然の襲撃者に驚きを隠せない。
「何だ、貴様ら……ッ!」
「ええい、邪魔をしおって。小賢しい!!」
 足元を捕られ、苛々した様子で影たちが叫ぶ。もがけばもがく程に絡みつく鎖は、まるで蜘蛛の糸。
「そのまま捕、縛……動け、ない、ように、して」
 命じるというよりは囁く声を唇に乗せ、千獣が煙の中を駆ける。取り込んだ獣の力を腕に込め、影たちを一人また一人と散らしていく。
「まぁ、せっかくのロマンスでござる。血で彩るのも無粋」
 薄い笑みを浮かべた忍。機を逃さず間合いを詰め、当身でとん、と意識を奪い気絶させる。実に見事なものだ。動きに無駄がない。狙いを定め、一歩踏み出し力を振るう。その様は精練された舞にも似ていた。

 ついに最後の一人が残る。
 運の悪いその影は二人を睨みつけながら、それでも刃を手放そうとしない。褒美という名の金貨にここまで狂わさせてしまったのだろう。
「依頼人は花嫁の父親では?」
 もしそうならば見逃してやっても良いと暗に幻路が告げる。娘が父を想うのであれば、と。
「……違う。あの方は、美しいものを集めて愛でるのが至上の趣味なだけ。年老いたり壊れたり、「美しさ」を失ったモノが行く末は皆、酷いものだがね」
 豪華な食事に何不自由ない暮らし。指先に一つ切り傷をつけただけ、ほんの少し髪型を変えてみただけ、本人たちにとっては些細な理由でも、伯爵にとってそうとは限らない。人とは違う嗜好の持ち主は、思考までが違うらしい。そう影は掃き捨てるように語った。
 捨てられるならまだ良い。理性のある内に気付き逃げ出せるなら最高だ。だがもし間に合わなかったら。影のいう「酷い扱い」は想像に難くない。
 結局最後の一人もまた気絶させ、眠ってもらった。
「心配、だから……二人、の、あと……追って、みる……」
「無事に逃げてくれると良いでござるな」
 花嫁と花婿はどうなっているのだろう。鎖を解いた後で二人は湖へと向かった。



 大きく回り道をして湖の向こう側に行ってみると、残っていた浄天丸が主人を見つけて一鳴きする。
「千獣殿。どうやら此方も大丈夫だったようでござる」
 鷹の姿となった浄天丸と意識を同調させ、記録された映像を読み取る。途中追っ手の一味らしい者に襲われたようだが、嘴と爪を存分に使い忠実に命令を守ったようだ。片膝をついて調べてみると、馬車の車輪が通った跡もある。まだ新しい。
「……これ、は……」
 一方、千獣が見つけたのは白い花を集めた花束だった。花嫁の胸元を飾っていたものだろう。もしかしたら、礼代わりに置いて行ったのかもしれない。
「さすがに、拙者には似合わぬ」
 ひょいと覗き込んだ幻路が花束を掴み、千獣の手に落とす。白い花は暗闇に浮かび上がるようで、千獣の持つ色にも良く映えた。

「今も昔も、人の恋路を邪魔する者は碌な目に遭わぬでござるぞ」
 大げさに肩を竦めると、幻路は誰に言うでもなくそう呟く。
 月は既に、地平線の彼方へ沈もうとしていた。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)】
【3492/鬼眼・幻路/男/24歳】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 ご参加ありがとうございました。
 お届けが遅くなってしまって大変申し訳ありません。
 獣としての異能力と幼子のような無邪気さを併せ描かせて頂きました。如何でしたでしょうか。少しでもお楽しみ頂ければ幸いに存じます。
 それでは。またご縁があることを祈りつつ、今回はこれにて失礼致します。