<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
『ミルカの幸せの家族計画』
エスメラルダさま。
日頃の感謝を込めて明日の夕食にご招待いたします。
明日の19時、家まで来てください。
美味しいお料理をたくさん作って待っています。
ミルカ
―――って、手紙に書いたのにどうして朝から来ているのよ?
買い物鞄にたくさんの食材を詰め込んだミルカは隣を歩いているエスメラルダを横目で睨めつけた。
ミルカと違い、豊かな胸の谷間を惜しげもなく覗かせるセクシーな衣装に身を包んだエスメラルダは(本当に業腹だ。)、悪びれも無く肩を竦めた。
「そんな怖ろしい事はできないわ」
澄ました顔でそんな失敬な事を言う。いかにドライな友情関係を築き上げているとは言っても、それでも親しき間にも礼儀あり、という事をそろそろとこの女にも知らしてやらなければいけない、とミルカは思うも、そのエスメラルダとの決戦は次回に回す事にして、彼女はここで人懐っこい甘えキャット・カバー・モードで手首を縦にスナップさせた。
「やーねー。そんなタダ飯食べさせて弱みを掴もうだなんてこれっぽちも思っちゃいないわよ」
「あー、やっぱり、思っていたんだ?」
横目で隣のミルカを悪そうに眺めながらエスメラルダはふふん、と鼻で笑った。
「え?」
ミルカは慌てて明後日の方向に目を泳がせて気の利いた何かを言おうと考えた様だが、しかしどうにもエスメラルダに対してはそんな気の利いた事を口にできるような回路は構築されてはいなかったようで、
だから彼女は、ヲトメらしく花が咲き綻ぶような笑顔でごまかした。
エスメラルダがため息を零す。
「ほんと、女ってこうよね」
「あなただってヲトメじゃない」
「まあーね。胸も大きいしね」
「まあ! なんてはしたない! というかそれって自慢?」
何やらヲトメを自称する割には剣呑な目つきとなったミルカにエスメラルダはウインクした。
ミルカは呆れたと言わんばかりに口を開けて、それから隣を歩く敵を両手で突き飛ばす。えい!
「なによ、もう。ヲトメなんでしょう? ヲトメがそんな事をしてもいいの?」
「いいのよ。ソーンのヲトメ共通の悩みを共有できない敵なんかにご機嫌取りなんかする必要なんて無いんですもの」
「ああ、やっぱりご機嫌取りなんだ?」
エスメラルダはどこかいやらしい感じでミルカの肩に腕を回して、その腕を回した方の手でミルカの頬を縁取る髪を弄った。
ミルカはぺしり、とエスメラルダの手を叩き、彼女から離れた。
それから彼女は広場の噴水の前でオープンしている移動式のクレープ屋を見つけて、エスメラルダにクレープを食べようと提案した。
エスメラルダは渋ったが、ミルカはクレープがとても食べたかったので、奢るから食べようと誘い、エスメラルダはこうなったミルカは譲らない事を知っているので、渋々承知して、ミルカはフルーツクレープ、エスメラルダはチョコクレープを注文して、噴水脇のベンチに一緒に並んで腰を下ろした。
「それでお願いって何?」
「あのね、大工さんを紹介して欲しいの」
「そこの通りを5ブロック歩いて、左に曲がってすぐ正面に見えるクラシックな家に住んでいるわ。腕は保証するわよ。何たってお城お抱えの大工なんだから」
「だーかーらー、そんな普通の大工の居所なんて、わざわざ訊く訳無いでしょう?」
ミルカとエスメラルダは同時に芝居っ気たっぷりのため息を吐いた。
「じゃあ、どんな大工がご所望なのよ?」
「うん。あのね、あたしとおとんの家をリフォームできる大工さん」
エスメラルダはマジマジとミルカを見て、それからまたため息を吐いた。
彼女の吐いたため息でミルカの前髪が揺れる。
ミルカは片方の手で前髪を整え、もう片方の手でエスメラルダの頬を引っ張った。
「何よ、その態度は?」
「ひゃのね、ひゃんたのきゅらしている」「聴き取り辛いわよ。ちゃんと喋って」「ひゃぁ、ひゃなして」「あ、そうか。はい」
エスメラルダは頬をさすって(ミルカは大げさな! と、エスメラルダを睨んだが。)、言った。
「あのね、あんたの暮らしている巨大陸地亀種カムイコタンの甲羅に乗っている家はそん所そこらの大工には作れないわけ」
「ええ、知ってるわ。だからリフォームできる大工を紹介して、って言ってるんじゃない」
ミルカはまたわざとらしくため息を吐いて、
エスメラルダは大きく肩を竦める。
「あー、もう。だからあんたの家はすさまじく価値の有る家な訳よ。あのカムイコタンこと建築物の博物館に所蔵されてもおかしくないぐらいにね。それをあんた、リフォームって」
眉間を押さえたエスメラルダの横で、今度はミルカが肩を竦めた。
「それはそういうのに価値を見出そうとする人たちの話でしょう? あたしは歴史的建造物なんて興味ないもの。あたしはあたしとおとんが快適に暮らせればそれでいいの」
小悪魔っぽく笑みながら小首を傾げたミルカにエスメラルダはしばし、彼女を睨みつけたが、やがて根負けして、ため息を吐いた。こうして見るとため息が似合う女だ、とミルカはエスメラルダに場違いな想いを抱く。
それからミルカに小さな瓶を渡す。
しかしその瓶はすごく変わっていた。瓶の口を閉じるコルクの真ん中には木の棒が刺さっていて、瓶の中に入っているその木の棒の端には、横にボルトが刺さっていて(そのボルトは瓶の口よりも直径が長い。)、しかもそれはナットで締められている。だから、その瓶の口をしめるコルクに刺さる木の棒はどうしたって取れない。いや、そもそもどのようにしてその木の棒にボルトとナットをはめたかすらわからない。
その瓶をミルカはマジマジと見つめた。
「そのパズルが解けたら教えてあげる」
「意地悪ね。正解は解けない、じゃないの?」とミルカは唇を尖らせて言って、その後にものすごく面白い悪戯を思いついた悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「なーんて言うと思う?」ミルカはエスメラルダにウインクする。
「あら、解けるの? 瓶を割るのは無しよ?」
「そんな事をしなくても、」ミルカは言いながら木の棒をコルクに刺したまま揺らしたり、回したりして、木の棒に振動を加えた。するとその振動が伝わり、ボルトにはまっていたナットが取れてしまうではないか! そして瓶を傾けたら、コルクによって支えられた木の棒からもボルトが取れてしまう。
ミルカはそうして取った木の棒をエスメラルダに渡した。
「簡単な謎解きだよ、エスメラルダ君」
伸ばした右手の人差し指を振ってミルカはくすりと小生意気そうに微笑んだ。
そう。これはそういうパズルなのである。
「ふぅー」
エスメラルダはベンチの背もたれにもたれて、気だるげにため息を吐いた後に隣のミルカを見て、微笑んだ。
「その小瓶に水を入れて、その水がピンクになったらそれを飲みなさい。そしたら、その水に溶けたご所望の大工の居場所の情報によって居場所がわかるわ」
それを聞いたミルカの顔に笑みが浮かび、羽耳が軽やかに動いた。
「ありがとう、エスメラルダ。お礼にディナーにご招待したいわ」
「どこかのレストランでのお食事なら、謹んでご招待されたいわ」
しれっと悪びれも無く凄く失礼な事を言うエスメラルダにミルカが唇を尖らせる。
「やーねー。あたしのお料理を食べさせてあげるわよ。特別にあなたへの愛も料理に注入してあげる」
「はいはい。それよりもクレープ、できたみたいよ?」
ミルカはベンチを立ち上がってクレープ屋の屋台の前に走った。
そして彼女は満面の笑みでそれを受け取って、それで、
ディークを見つけた。
「おとーん」
「ああ、ミルカ。ただいま。昼食に前にミルカが美味しいって言ってたピザを買ってきたぞ。帰って食べよう」
「まあ、ほんとうに!」
ミルカは嬉しそうに羽耳を動かす。おとんが買ってきてくれた物なら何でも嬉しいし、おとんと一緒のお食事ならそれは何でもご馳走だ。
という訳で――――
「はい、エスメラルダ。あたし、おとんが買ってきてくれたピザが食べられなくなると困るから、あたしの分のクレープもあなたにあげるわ。遠慮なく食べてね」、とエスメラルダに自分の分のクレープも渡してミルカはおとんの方へ走っていって、
残されたエスメラルダは両手にそうたいして食べたくも無かったクレープを持って、遠くなった親子の背中を見守る今の自分に小さくため息を吐いた。
「っとに、あのAカップ。いつか対決しないとね」
エスメラルダが見上げた空は、高かった。
+++
夕暮れ時、ディークは聖都の街を歩いていた。
いつもなら彼女は店に居るが、店が定休日の日はどこに居るのかわからない。だから聖都の街を散歩がてらに歩き回って、ようやく彼女を見つけたのは家を出て40分後の事だった。
聖都の街を見下ろせる高台の上に彼女は居た。
「エスメラルダ」
「あら、ディーク。こんばんは」
「ああ」と、返事をして、そこでディークはわずかに顔を傾けた。
「どうした、エスメラルダ、気分でも悪いのか?」
このディークの問いにエスメラルダは何故かディークにはわからなかったのだが、半笑いになった。しかもなんだかそれはやさぐれたように見えて、彼女に儚げな、憂鬱げな印象を与えた。
「ええ。ちょっと胸焼けしてるのよ。クレープの食べすぎで」
ディークは肩を竦めた。
「食べすぎは良くない」
「えー、えー、それはもう本当にねー」
何故か少し切れ掛かっているエスメラルダにディークは若干、引いたようである。
空気に敏感な女、エスメラルダはため息を吐いて、片方の肩だけを竦めた。
「嘘よ」
「何が?」
「何にも」
「おかしな奴だ」
ディークはため息を吐き、彼女の隣に並んだ。
高台から見下ろせる聖都の街は美しく、そして優しかった。
美しい夕陽に包まれた家々の窓には明かりが灯り、煙突からは煙が出ている。それは平和の証であり、幸せの印だ。
「それで?」
エスメラルダはどこか少女が浮かべるような透明度の高い笑みを浮かべながら首を曲げた。
ディークは彼女に頷く。
「ああ。お礼をと思ってな。ミルカの事。俺が注文しておいた情報をミルカに渡しておいてくれて」
「ああ、その事。お安い御用よ」
エスメラルダは頷き、それから頬にかかる髪を無造作に掻きあげながら、ディークに笑みかけた。
「でもあれはあれでまた一筋縄では行かないわよ? あの小瓶が良い証拠よ。でもまあ、あなたたちは行くんでしょうけど」
「ミルカが張り切っているからな」
「親ばかね」
「ああ、親ばかだ」
「あら、開き直ってるの?」
悪戯っぽくディークを見る目を細めたエスメラルダにディークは、前髪を風に躍らせながら肩を竦めた。
「開き直るってのは、世の中を真っ直ぐに生きていくための最大のコツだからな」
エスメラルダはくすりと笑う。
「あら、えらく悟ってるじゃない? いったいどれぐらい生きればそんな境地に至れるのかしら?」
ディークは肩を竦める。
「人を年寄り扱いするな。だけどまあ、確かに若さが邪魔をする時はあるがな。そうやって若さゆえの意固地を張って遠回りをして、成長するものさ。それから、出逢いだな」
そう、出逢い。人は歳を取る事で変わる以外に人との出逢いによっても変わる。良くも、悪くも。
自分の場合、その出逢いが、自分を良い方へと変えた。
ディークは優しい微笑を浮かべた。
「そう。俺の場合は、13年前だったよ。そういう境地に至れたのは。開き直れたのは」
「そう。あたしは、どうなんだろう? いつか開き直れるのかしらねー」
茶化すような口調だったけど、どこか泣いているようにも聞こえたエスメラルダの声。
だから、ディークはミルカにそうする様にエスメラルダの髪を大きな手で優しくくしゃっと撫でた。エスメラルダとミルカとの出会いは、ディークも聞いていた。
夕陽が優しく二人を包んでいた。
+++
「ねえ、ミルカ姉ちゃん。このカメ、噛まない?」
「うん。大丈夫だよー」
ミルカは近所の子どもたちと戯れながらカムイコタンの身体をデッキブラシで磨いていた。
子どもたちの中でも一番小さい女の子はミルカの後ろに隠れて、彼女のスカートを小さな手で握りながら恐る恐るカムイコタンを見ているが、それでもそれに触りたげだった。
ミルカはそんな彼女に微笑むと、その子を家の縁側に位置する御者台に乗せてあげた。
最初は恐る恐る亀に乗って、上から亀を見下ろしていた彼女だけど、やがてそれにも慣れたのか、鳶色の瞳を大きく見開いて息を吸うと、嬉しそうにはしゃぎ出した。
他の子どもたちも騒ぎ出して、
そして子どもたちが集まりだす。
夕暮れ時の世界の中でそんな子どもたちの笑い声の歌が流れ、
そうして騒ぐ子どもたちをお姉さんらしく仕切っていたミルカはとても珍しい物を見る事になる。
それまでずっとやる気が無さそうに顔も手足も甲羅の中に入れていた亀がそれらを出すと、ミルカを面倒臭そうに見たのだ。
だけどミルカにはすぐにわかった。彼女の羽耳がとても嬉しそうに動く。
「ありがとう」
ミルカはとても嬉しそうに微笑んだ。
―――そう。だってあたし、あなたが本当はすごいやさしいんだ、って知ってるもん。
子どもたちの歓声が高くなり、ミルカは子どもたちに順番に手綱を握らせて、亀と一緒に歩かせてやった。御者台にミルカと一緒に座って、手綱を握る子どもたちの顔はどれも嬉しそうで、ミルカも幸せな気分でいっぱいになる。
そして子どもたちが帰っていくと、ミルカは亀に微笑んだ。
「喜んでたね、皆」
亀は素っ気無く首を甲羅の中に入れた。
だけどミルカはめげない。スカートのポケットに入れておいた設計図を出して、それを読み上げながらミルカの幸せの家族計画を語るのだ。
しかしそこでミルカは「あ…」、と声を出した。
そしてミルカは黙ってしまう。
虫の声だけが、流れる。
亀はため息と共に少しだけ顔を出した。
ミルカはすごく切なそうな表情をしている。
「あのね、あなたの上にある家、あなた、愛着あるよね。だってあなたの上に住んでいた人たちとの思い出の品なんだから」
ミルカだって誰かに勝手にミルカとおとんとの思い出の品をどうにかされたら嫌だ。なのに自分はそれと同じ事をこのカムイコタンにしようとしたのだ。
亀はしばらくミルカを見ていたけど、やがて興味を無くしたように顔を引っ込めた。ただ、
「愛着を持てるほど上の家に住んでいた人間たちとは仲良くはならなかったよ」、と、亀は言い、そして、「だからあんたの好きな様にすれば良いさ。今の持ち主はあんたなんだから」、と本当にとてもとてもすごく素っ気無くだけど、亀は確かにそうミルカに言ってくれて、だからミルカは前髪を揺らして小さく傾けた顔でとても幸せそうに微笑んだ。
+++
街の子どもたちに見送られて、ミルカとディークは出発した。
件の大工の居場所はミルカとディークの頭の中にある地図に記されている。
しかしそこは市販の最新版の地図にも誰にも住んでいない場所だと記されている場所だった。
「不思議だよね、おとん」
「ああ、不思議だ。しかしあんなパズルに地図が入っていたんだ。つまりその大工とやらは一筋縄ではいかない人物なのだろうよ」
「ふむ」
ミルカは手綱を握りながら頷いた。
カムイコタンは森の中を進んでいく。
そして、日が沈む少し前、まだ明るいうちにカムイコタンをミルカとディークは止めた。
リフォーム料がいくらかかるかわからないし、旅もどれだけ長い物になるかわからないので、基本的に食べ物が取れそうな場所では取る事にしたのだ。
で、ミルカとおとんは森で食べられる草花を採っていた。
ディークはブナハリタケ、木苺、行者ニンニク、こしあぶら、アケビ、アキグミ、桑の実、ナツハゼを採取。野兎、野鳥を一羽ずつ採った。(野兎と野鳥は家に帰る前に小川のほとりで、おろして、肉だけにして持って行った。ちなみに今日食べる分以外はディークによって干し肉にされる。)
「よし。帰るか」ディークは満足げに微笑んだ。
一方、ミルカは、
「あ、あった。これ、前の旅で美味しかったんだよね」
ミルカはそれの茎を掴むと、えい! って、引っこ抜いた。もちろん、羽耳は閉じている。そう。だって、
「ギャァァァァ」凄まじく耳障りで、聞いただけでも魂が壊れそうな悲鳴をそれはミルカに抜かれた瞬間にあげた。
「だけどこれが一番美味しいんだよねー」
しかもこれを抜くと、周りに隠れてる野兎や野鳥なんかも気絶しているうちに取れるから一石二鳥でお徳なのだ。ミルカは嬉しそうにピースした。
こうして得られた食材を使ってミルカのお料理が始まる。
お肉はディークが外で火を燃やして焼いてくれている。
だからミルカは山に自生していた芋や自分で取ってきた物を入れたシチューを作り上げた。
シチューとは幸せな家族の様な食べ物だとミルカは思う。たくさんの具材が一緒になって一つの幸せな味のハーモニーを奏でる姿は家族と一緒だとミルカは思うから。
ぐつぐつと煮込まれるシチューにミルカは投げキッスの愛の調味料の注入♪
「うん。完成」
ミルカはとても嬉しそうに微笑んだ。
外で火を囲みながらミルカとディークは夕食をとった。
美味しそうにお皿にもられたシチューは美しい。何気なく盛られた様なそれもよく見れば具材の色を生かしたアートが奏でられているのがわかる。
ディークは少し緊張した面持ちで満面の笑みを浮かべたミルカからお皿を受け取り、シチューを口に運んだ。
ディークはミルカに何だか面白い笑みを浮かべ(あまりにも独創的な味のシチューを食べたので、思わず顔の筋肉が反射的に引き攣ってしまい、そんな形になってしまった。)、「美味しいよ」、とミルカに伝え、
ミルカは胸の前で両手を組んで幸せそうにうっとりとした顔をした。
そうしてミルカも自分が作ったシチューを口に運ぶ。
いつもミルカはそうだった。まず誰よりも先に自分の作った料理をおとんに食べてもらいたいのだ、彼女は。おとんに一番最初に自分が腕によりをかけて、そしておとんへの愛を込めて作った料理を食べてもらいたい。そして叶う事ならおとんがとても美味しそうな
笑みを浮かべてくれたら、それだけで彼女は本当に幸せなのだ。
でも、だからこそ自分の作った料理を食べてくれたおとんの笑みを見た後に自分の作った料理を口に運ぶ時はミルカは緊張する。だって本当は凄く味が変なのに、おとんが我慢して食べてくれていたのだとしたらそれはすごく哀しいから!
ミルカのささやかな胸の奥で心臓がドキドキと口から飛び出しそうなぐらいに速く脈打っている。
ぱくり、と、シチューを口に入れて、そしてその温かな家族の味がミルカの口の中に広がった。
緊張に強張っていたミルカの顔に花が咲いたような笑みが浮かぶ。
「美味しいー」
自画自賛だけど、でも本当にシチューはすごく美味しかった。ミルカはだから本当に幸せだ。とくにあの悲鳴をあげる植物の隠し味がすごく効いていて、シチューの味のハーモニーに素敵なアクセントを加えている。
「はい、おとん。おかわりあるよ」
ミルカは満面の笑みで手を差し出した。もう彼女には怖い事は無い。
おとんはいつも食事の時に浮かべる美味しい物には目がない、というミルカにだけ浮かべてくれている味のわかる大人な笑みを浮かべて、お皿を差し出した。
それに一杯にミルカはシチューを盛った。
「でもおとん。厄介な人だよね」
「厄介とは?」
「だからこれから行く大工さん。あの小瓶もすごく変だったけど、住んでる場所だって」
「ああ、確かにな。すごく厄介だ」
火が爆ぜる。
森の夜はとても静かなメロディーが流れていて良いのだが、しかし如何せんそれがこの場合は緊張感に拍車をかけた。
ミルカはせっかくのお食事の時の空気じゃないな、と思い、ここで話題を変えた。
「そういえばおとん」
「ん?」
「厄介といえばあたし、こんな意地悪クイズを知ってるの」
「意地悪、クイズなのか?」
「そう。街の子に教えてもらったの。だけどおとん、こうして意地悪クイズって、言ってること事態もうすごくサービスなのよ? だって、あたしの時には意地悪が付いていなかったんだもの」
ディークはにこにこと身振り手振りを添えながら話す娘の話を聞いている。それは本当に幸せな家族の光景だった。
「あるところに姉と弟がいます。
弟はおねえちゃんにぼくの歳から2つあげると、おねえちゃんの歳はぼくの2倍だね、と言いました。
そしたら姉はこう言いました。あら、もう1つちょうだい。そしたらわたしの歳はあなたの歳の3倍だわ、って。
さて、それではこの姉と弟は何歳でしょう?」
「ん?」
右手の人差し指一本立てて言うミルカ。
ディークは近くの小枝を拾って、計算式を書いているが、しかしその式の法則に従って出した数字があわない。
書いては消してを繰り返すディークのお皿にシチューを盛りながらミルカはニコニコと意地悪クイズを解くおとんを楽しそうに眺めやった。
こうして父娘の夜は過ぎていく。
+++
夢を見ていた。
場所はミルカの家だ。
ミルカはキッチンに立って、何かをお湯で茹でている。しかしミルカが使っている箸は沸騰しているお湯に入れると溶けてしまって、お湯を沸かしている鍋の底にその溶けてしまった箸を構成していた金属が溜まっているのだ。
夢の中でミルカは本当にほとほと困ってしまった。
+++
地図には人が住んでいる印は無かった。
だけど小瓶の仕掛けによって得た知識ではそこに目指す大工が居るのだ。
そしてその謎はその場所に到着した事で解決する事ができた。
その場には巨大な壁があった。城壁である。城壁の向こうには果たして誰かが住んでいるのであろうか?
しかしミルカとディークはカムイコタンに乗って城壁を一周したが、どこにも出入り口は無かった。
「おとん、どういう事かしら?」
「わからん。だが不思議でもない」
妙にはっきりとディークがそう言うので、ミルカは小首を傾げた。
「ん?」
「あの小瓶を作った人物が住んでいるかもしれないんだ。だったら、これだって不思議じゃないだろう?」
ミルカはぱちんと手を叩いた。
「そうだね。じゃあ、この城壁に何かトリックがあるのかしら?」
ミルカはカムイコタンの手綱をディークに任せて、カムイコタンをゆっくりと歩かせながら城壁に目を凝らした。
そしてそれを見つけた。
「止めて、おとん。ねえ、ここ、おとん。これ、扉に見えない?」
なるほど、ミルカの見つけた城壁に刻まれた紋様の中に門が見えた。
そしてそれをふたりで凝視していると、突然にそれが開いたのだった。
+++
「ほっほっほっほ。久方ぶりのお客人じゃな」
そう言ったのはホビット族の老人だった。
城壁はあれだけ大きかったのに(一周するだけで1時間半かかった。)、何故かミルカとディークはとても狭い家の中に居た。そう、あの紋様の扉が開いたと思った時にはふたりはそこに居たのだ。
ミルカはドキドキするささやかな胸に両手をあてながら言った。
「あなたはカムイコタンの甲羅の上に建つ家をリフォームできますか?」
ホビットの老人は片方の目だけを細めた。
「ふん。わしほど立派なリフォームをできる者もおらんよ」
その言葉を聞いてミルカの顔に花が咲いた。
「あの、お願いがあります。家のカムイコタンの家をリフォームしてください」
「おっほっほっほっほ。それはお嬢さんたち次第じゃ」
ミルカは身構える。その横でディークもミルカに優しく微笑みながら身を正し、老人に頭を下げた。
「誰にでも簡単に家をリフォームするような真似はせんよ。この腕を揮うのは気に入った者にだけじゃ」
ミルカはこくこくと頷いている。
「故に、ここで試させてもらう」
そう口にして老人はミルカとディークの後ろに居るカムイコタンを指差した。
「あのカムイコタンは雄か雌かどちらじゃ?」
「雌! あたし、彼女と何回か話した事があるからわかるわ」
「ふむ。しかし今のは勘でも答えられるから。では、あのカムイコタンの長い生の中で起こった一番幸せなエピソードを言ってみよ」
「あたしとおとんに出逢えた事」
ミルカはにこりと笑って言い、ディークはミルカの頭を撫でながら老人を見て頷いた。
「ケース付きのハードカバーの本が売っている。さて、この本はケースも含んで3100円だという。本とケースの値段の差額は3000円。ではケースだけを買って、1000円渡した場合、お釣りは幾らじゃ?」
「ちょっと待って。それって関係あるの?」
ミルカが小首を傾げる。
老人はほっほっほと笑った。
「あるよ。物を見る目のある者に対して腕を揮いたいと思うのは巧みとしては当然じゃ」
「ふむ」
ミルカは頷き、そして苦も無く言った。
「950円。差額が3000円で、トータルで3100円なら、ケースは50円よ。家計を預かる娘としてはお茶の子さいさいよ」
「今のあの家をカムイコタンが大切にしていると思わぬか?」
老人がずばりと言った。
しかしミルカはにこりと微笑んで言う。
「彼女がリフォームしても良いって言ってるわ」
それを聞いて老人は大笑いした。
「なるほど。ならばリフォームしてやろう」
「やったー」
ミルカは万歳する。
ただし、としかしここで老人が言う。
老人はミルカとディークの前に壷と箱を出した。
壷は陶器。名は天。
箱は鉄製。名は地。
「壷を触ってみよ、お父上」
ディークは壷を触る。その中に手を突っ込んだ。
「ふむ。この壷の中には何かが入っていますね」
「ああ。その壷に入っているのがこの箱の鍵じゃ」
「鍵?」
「その鍵を使い箱の蓋を開いて、それ一本さえあれば木も切れて、木も削れる大工道具をその箱から出してみよ。ただし、壷をわらずにな」
ディークは肩を竦める。
ミルカも壷を振ったり、壷の中に手を入れたりしている。
ディークは箱を触っていた。
「ヒントをやろう。天は煮えたぎり、天より降る雨は地に溜まりて、命を成す」
ディークの触っている箱の蓋の部分に飾られた細工がおもむろに外れ、穴ができた。しかしその穴からは箱の中は見えない。またその穴をどうするかで蓋が鍵を使わずに開く、という事でもないらしい。
しかしその穴を不思議そうに覗き込んでいるミルカにディークは優しく微笑んだ。
そしてディークはニヤニヤと笑っている老人を眺める。
「ご老人、家に戻って、お湯を持ってきても良いだろうか?」
「おとん、わかったの?」
「ああ」
上半身を乗り出させるミルカにディークは頷いた。
そしてディークはあらためて老人を見る。
「ほっほっほ、かまわんよ。だがカムイコタンに戻るまでもない」
老人がパチン、と指を鳴らすと、コンロと、ペットボトル5本、それから鍋がディークの前に現れた。
ミルカは「おとん、あたしがするわ」、とお湯を沸かす役を請け負ってくれた。
そして目を輝かせるミルカによって鍋一杯のお湯が沸かされ、
そのお湯をディークはミルカに見守られながら壷に入れた。
「え?」
ミルカは不思議そうな顔をするが、ディークはさらにその壷のお湯を箱の蓋に開いた穴から箱の中に入れる。
その作業を終えるとディークは、老人を見た。
「天は煮えたぎり、天より降る雨は地に溜まりて、命を成す、でしたね?」
穏やかな顔のディークに老人も静かに微笑みながら頷き、
そして箱の中の煮えたぎっていたお湯が冷めた頃、ディークは蓋の箱を開いた。
「え?」
ミルカが瞼を忙しなく上下させる。
「どうして、おとん?」
不思議がるミルカにディークは老人の口にした言葉を繰り返した。
「だからミルカ、天は煮えたぎり、天より降る雨は地に溜まりて、命を成す、なんだよ。沸騰したお湯を入れられた天の壷は、煮えたぎり、その天の壷から地の箱に壷を満たしたお湯を入れる。そうすればこの箱に仕掛けられた仕掛けが動き出すのは、わかっていた事なんだよ、ミルカ」
ミルカは目を瞬かせながら天の壷を触ったが、しかしそれに起こっていた現象にさらに驚いた。
「おとん、壷の中に入っていた鍵が無いわ」
そう。天は煮えたぎり、天より降る雨は地に溜まりて、命を成す、とはそういう事で、故に、
「これで俺の娘の夢を叶えてやってください、ご老人」
ディークは箱を開き、その箱の中に入っていた刀のような形をした刃物を老人に渡した。
「ほっほっほ、見事じゃ。その天の壷に入っていた鍵とは特別な金属の塊で、それは沸騰したお湯で融解するが、水に溶け込む事は無く、またお湯が冷めると同時にまた固形化する。その箱の底には私が大工仕事をするに適した道具の型が彫られており、そこにお湯と共に金属を流し込めば、金属は水よりも比重が重いために箱の底に沈み、お湯が冷めると共にその型の形で固形化し、道具が生まれる。ふむ。見事じゃ。ならば優しき心と、知恵を持つお主らを認め、お嬢さん、あなたのご希望通りの家を作って進ぜよう」
その言葉にキラキラと光るミルカの瞳が大きく見開かれて、彼女はばんざーいと叫びながら両手を上げた。
羽耳は嬉しそうに走り回る仔犬の尻尾のように軽やかに羽ばたいた。
【ending】
一ヶ月という時間をかけて、ミルカたちの家は完成した。
ミルカは大はしゃぎだった。
ディークはそれを幸せそうに眺めている。
と、ミルカがディークを見て、不思議そうに小首を傾げた。
「だけどおとん、よくあの壷と箱の謎が解けたね?」
しかしディークはその問いにカムイコタンに視線を向けた。
「歳を経たカムイコタンは言葉を喋る様にもなれば、その魔力で自分の意図する夢を見せる事もできるという。ミルカだって、その事を知っていたら、いや、知らなかったとしてもいつかは気付いていたよ」
そう口にしたディークはカムイコタンを優しい眼差しで眺め、彼女にお礼を口にし、ミルカはまた目を瞬かせた。
カムイコタンが何かを口にする事は無かったけど、しかし彼女は首を甲羅に入れる事はしなかった。機嫌が良いようだ。
ミルカはそんな彼女を眺めて嬉しそうに微笑み、それから顔を縁取る銀色の髪を軽やかに舞わせてディークを振り返った。
「そういえばおとん、あの意地悪クイズは解けた? 姉弟の歳の」
悪戯っぽく小首を傾げるミルカにディークは肩を竦めて、苦笑する。
「いや、解けていない。答えを教えてくれ、ミルカ」
だけど、ミルカはにこにこと笑いながら、
「おとん、聖都までの道は長いわ。その間に考えて」
そう嬉しそうに言った。
そして父娘はカムイコタンに乗って、楽しく会話しながら家路に着いた。
→closed
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