<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
蛍花が咲く夜
「求む、蛍花の花束」
白山羊亭で働くルディアは今日も忙しい。忙しい昼も過ぎ、仕事が一段落したところで彼女は一枚の依頼書をぺたりと壁に貼り付けた。
依頼主はある研究者だ。自らの研究の為、この時期にしか咲かない蛍花を求めているのだという。夜の短い時間だけ、淡い光を纏って花開く。だが飛び交う蛍のように、摘み取ってしまうと1時間と立たずに光を失ってしまう。短く儚い命だ。
「綺麗だけど見つけるのがちょっと大変……なのかな」
町外れの森に綺麗な川があったはずだ。あそこなら見つかるかもしれない。
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「……これは」
太陽の輝く昼間から夕刻、そして月の支配する夜へと移り変わる。白山羊亭は今日も賑やかだ。一日の仕事を終えた人々が美味い酒と料理を求めてやってくる。人の集まり口を開けば、ちょっとした噂話から大きな依頼まで様々な情報も持ち込まれる。
フィリオが見つけたのは、壁に張り出された一枚の依頼書だった。とある研究者からの依頼で、一年の内短い季節だけに咲く「蛍花」を求めているのだという。学者や研究者といった類の人間は、日々書物や文字と格闘している人種だ。もちろん例外はいるだろうが、野に出て獣を避けながら小さな花を探す、などというのは得意分野ではないのだろう。
「あら、その依頼ですか。ちょっと待ってくださいねー。預かってる資料を持ってきます」
依頼書を指してルディアに声をかけてみると、ぱたぱたと足音をさせて一旦カウンターへと戻り、数枚の書類を抱えて戻ってきた。
「これが花の咲く場所や、光る時間帯の資料です。えーと……近くの森かな。ここから歩いて30分くらいのところですよー」
「そうですか。……ありがとうございます」
青い髪をさらりと掻き上げ、まずはテーブルに置かれた資料に目を通すことにした。学者らしい神経質そうな細い文字が並び、長く読んでいると目が疲れそうだ。深呼吸を一つ、ルディアが置いてくれたグレープフルーツジュースを片手にフィリオは資料を読み始めた。
ルディアの酒場から出ると、次は必要な道具を揃える為に市場へと向かった。
「一人でキャンプかい。あそこの森は危ない動物なんていないけど、それでも何があるか分からないからねぇ」
そう言って、立ち寄った店の女主人は心配そうな顔をする。
「大丈夫です。いざとなれば……風が味方してくれますから」
掌を持ち上げると、淡い光を纏った一陣の風が吹き抜けた。空気や風を扱う術ならば心得ていた。自分の身を守る力と刃を振るう覚悟、自警団に入った時から一日たりとも忘れたことはない。
「こら、お前。お客さんに悪戯するんじゃないよ。お待ちったら……!」
買い物にトラブルはなかった。ただ、アクシデントが一つ。
「ええと、飲料水に簡易テント。保存食は二日分くらいで……」
欲しいものは街の市場で手に入れることができた。一人で行動する為、量も大したことはない。
「――ル、……キュル?」
青い目をした小さな動物がフィリオの肩から鳴き声を上げる。無事買い物を追え店から出ようとしたところ、この小動物に捕まってしまった。何をどう好かれたのか、どうしても離れようとしない。元々森で怪我をしていたのを店の主人が見つけ、ペットとして飼うようになったとのこと。名前はウィル。散歩と悪戯が大好きだと聞き、害もないようだからとフィリオはキャンプの共に連れていくことにした。外見はリスのようだが白い毛並みに青い瞳、ふわりとした尻尾はキツネの子供にも似ている。
「短い時間ですが宜しくお願いしますね。依頼の花が上手く見つかるといいんですが……」
頭から背中にかけて指で撫でてやると、心地良さそうに青い目が細められる。フィリオの持つ髪の色と良く似た色の瞳だ。生まれは例の森のようだから、術で起こした風を見て故郷を思い出したのかもしれない。
一人と一匹で歩いて行くと、いつの間にか森の入り口にまでたどり着いていた。この森に限らず、この世界は不思議なところだ。何が普通で何が異質なのかさえ曖昧、全ての境界線が酷く曖昧で不安定な気がする。だからだろうか。人々は自分と違った外見や内面にも寛容で、異種族や異能力者を容易く受け入れる。現実でありながら夢のような世界。
フィリオは資料の一つに森の地図があったのを思い出す。入り口から北へ真っ直ぐ進んだところにある、川の岸辺でその花は咲くと書かれていた。途中迷うような箇所もなく、灯りを持ちながら進んでいくと前方に湖が見えてくる。
「……ん?」
キュー、と鳴いたかと思うと、ウィルが突然肩から降り地面を走り出した。既に太陽は沈み、辺りは暗い。急いで追いかけようと走り出すが、ちょっとしたはずみで灯りの火が消えてしまった。
「困りましたね。水に落ちるわけにはいきませんし……。ウィル?」
夜が持つ真の暗闇。遠く虫の鳴く声が聞こえ、夏らしい穏やかな夜の音色が聞こえるというのに、動くに動けずフィリオは僅かに眉を寄せる。
すると闇の中、呼び声に応えるようにウィルが鳴く声がする。視覚ではなく聴覚を研ぎ澄ませ、フィリオは一歩また一歩と草を踏み進む。
振り返った青い目がきらりと光る。見つけた。
ほっと胸を撫で下ろし、柔らかで小さな身体を抱き上げてみると、謝るように頬を摺り寄せてくる。
ふっと顔を上げてみると、そこには光があった。
一つ一つは小さな光。白い花弁に包まれた蕾の中に、蛍火のような淡い光がある。一面に広がる花は、時折吹く夜風に揺れ光の粒子を風に乗せていた。
「……これが蛍花……きれいな輝きです」
ウィルを腕に抱いたまま、フィリオは思わず呟く。花を踏まないように気をつけながらそっと屈みこみ、指先でさらりと柔らかな花弁を撫でてみる。
「摘む事を躊躇ってしまうほどに……」
人の手で摘み取ってしまえば二度と咲くことはないだろう。
だが短い命なのは花も人も同じ。咲く為に咲き、生きる為に生きる。
フィリオは一つの花に触れた。そこに躊躇いがなかったといえば嘘になってしまう。傍らで様子を見ていたウィルが小さく鳴いた。蛍花を美しく思うのは、人間だけではないらしい。
「ここで眠ったら、良い夢が見られそうですね。……一晩だけの夢」
青草の上に身体を横たえ、満天の星空を見上げた。地と天に広がる光の星空。唇だけでそう呟くと、傍らにやってきたウィルを抱き寄せる。今夜は此処で眠り、明日の夜にでも花束を作ればいい。そう決めた。
摘み取られてしまう花がせめて意味のある研究に使われることを願いながら、フィリオはそっと目を閉じた。今宵蛍花のベッドは、どんな夢を見せてくれるのだろうか。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3510/フィリオ・ラフスハウシェ/両性性/22歳】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございました。お待たせしてしまって申し訳ありません。
少しでもお楽しみ頂ければ幸い。それではまた、ご縁があることを願って……。
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