<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


蛍花の咲く夜

「求む、蛍花の花束」
 白山羊亭で働くルディアは今日も忙しい。忙しい昼も過ぎ、仕事が一段落したところで彼女は一枚の依頼書をぺたりと壁に貼り付けた。
 依頼主はある研究者だ。自らの研究の為、この時期にしか咲かない蛍花を求めているのだという。夜の短い時間だけ、淡い光を纏って花開く。だが飛び交う蛍のように、摘み取ってしまうと1時間と立たずに光を失ってしまう。短く儚い命だ。
「綺麗だけど見つけるのがちょっと大変……なのかな」
 町外れの森に綺麗な川があったはずだ。あそこなら見つかるかもしれない。



「蛍花……ね。そういや、あの森にならあるのかもな……行ってみるか」
 街の酒場で偶然張り紙を見つけたリルドは、森と聞きある場所を思い浮かべる。涼しげに水の流れる音、小鳥の囀り、風に揺れる緑色の葉。此処からそう遠くはないはずだ。街で準備を整えると、花の咲く夜の時間を狙い一人出発した。
 町外れの森に到着し、酒場で資料として受け取った地図を見ながら奥へと進んでいく。夏の頃、街の中はやはり暑いがこの森は不思議と過ごしやすい。既に太陽が沈み、辺りは夜の闇に包まれようとしていた。

「――リルド?」
 
 それは反射的な行動だった。右の掌に水の気を集め、声のした人物へ向ける。今は刀を持ち合わせていなかった為、術での正当防衛に出てしまったのだが。暗闇の中後ろから声を掛けられれば、誰だって驚くだろう。剣士相手となればそれは自殺行為だ。
「私だ。頼むから、その物騒な術を止めてくれないか。何も君を取って食おうとしているわけではないのだよ」
「……何だ。アンタか」
 見覚えのある顔を確認し、ようやくリルドは集めた気を静めた。意外な人物との遭遇に驚いてはいたが、連れができるのは悪くない。

「……蛍花を探しに、か。ちょうど良い。私も見に行こうとしていたところなのだよ。一緒にどうだい」
「俺は依頼で来てる。遊びと違……」
「さ。早くしないと咲き始めてしまう。リルド、何をしているんだい。ほら、もうすぐそこだ」
 リルドの発言を聞いているのかいないのか、酷く嬉しそうな顔をしてシズはさっさと歩き始めてしまう。どうやら花の咲く場所は知っているらしい。行く先が一緒ならば拒む理由も特にはない。ないのだが、相手の言う通りに行動するのも複雑且つ微妙な心持ちである。それでも美しい花だと聞いていたから、好奇心に負け結局はその背中を追うことにした。

「どうやら咲き始めに間に合ったようだ。ギリギリだがね」
 シズは懐中時計を取り出し、細い針と示される時刻に視線を落とす。それから天を見上げ、月の様子を見ている。蛍花を見るのはこれが初めてではないのだろうか。リルドはシズの傍ら、広がる花の蕾へと目を向けてみる。
 そこだけ開けた場所になっていて、中央に大樹がある。まるで花たちを守っているようだ。大樹を中心に、白っぽい花の蕾がいくつも見える。良くみてみれば、向こうに動物の影が見えた。夏の短い時にしか咲かぬ花を見るため、動物たちまでが集まってきたのだろうか。
「……ほら、時間だ。何度見ても美しいものだ。この世のモノとは思えない、とは言い過ぎかもしれないがね」
「〜♪ すげぇな、光の帯みてぇだ」
 母親に連れられた子狐が何かに気付いたように顔を上げる。
 一瞬目を離した隙に、花は咲き始めていた。今まで固く閉じられていた蕾は、その花弁をゆっくりと開き月の光を浴びる。月が輝くから咲くのか、咲くから月が輝くのか。さて、どちらだろう。それぞれ形が微妙に違っていて、同じものは一つとして存在しない。短い命を燃やし尽くすように、誰に望まれるでも誰に命じられるでもなく、花が花として存在するために、咲く。花の合間を飛び交う蝶々が淡い光を放ち、幻想的な風景を生み出す。リルドもシズも暫し言葉という言葉を失い、その光景に見入った。或いは魅入ってしまったのかもしれない。

「……咲いては萎れる花を見ると、世の無常さえ感じてしまうね。いつまでも留めていられないのだが残念だが、人が永遠を持たないのは幸福なことだと……私は思うのだよ」
 独り言にも似た声でシズが呟く。
「いつか枯れるから、今が綺麗に見えるって?……随分と少女趣味だな」
「これはこれは手厳しい。まぁ、年寄りの独り言だ。気にしないでくれ。……リルド」
 唐突に名を呼ばれ、ん?と首を傾ぐ。
「生きているというのは、それだけで力のあることだ。……いつ何があるかなどとは誰にも分からない。君は花とは違う。自分の足でどこまでも行けるはずだ。どうか後悔しない生き方を」
 自分を年寄りと表するならば、これは説教だろうか。聞き流すこともできた、受け流すこともできた。曖昧な返事さえしてしまえば、シズはそれ以上何も言わないだろう。
 だが。リルドは少しの沈黙の後、一度だけ頷いた。

「さて、蛍花を持って帰るのだろう。摘み取ってから光を失うのが早いからね。んー……」
 どうやら依頼まで手伝ってくれる気らしい。リルドは荷物の中から鉢と小さなスコップを出し、用意し始める。
「要はさっさと渡せばいいんだろ」
「その通り。森の土を入れてやれば少しは長持ちするだろう」
 美しく咲き誇る蛍花を一つ選び、その前に屈み込む。何の研究に使われるのかは知らないが、無意味に使い捨てることはして欲しくなかった。今は眼帯の下、右目が何かに反応する。森の生気、花が放つ水の気に惹かれているのかもしれない。そういえばこの森は水精霊が多く棲むようで、街にいる時より調子が良い。
 大きめに掘り起こした蛍花を根ごとその中へと入れ、少しずつ森の土を入れていく。ちょうど良い具合になったところで、指で適当に均して作業は終わりだ。強い光はほんの少しだけ弱くなってしまったが、その様子だと街に到着するまで大丈夫そうに見える。
「よし。それじゃ、俺は行くぜ」
「おや……、もう行ってしまうのかい。寂しいね、久々に会ったというのに」
「……、……」
 軽口なのだろうが、時々どう反応して良いかわからない時がある。リルドは呆れた顔をして前髪をくしゃりと乱した。
「冗談だ。そう怖い顔をしないでくれ。私は人間という生を終えた身だ。……しばらくはこの森にいる。また遊びにくるといい。今度は私から街に出かけてみるのも悪くないな」
 くすくすと笑うシズに今度は曖昧な返事をして、蛍花の入った鉢を胸に抱え直す。ひらりと手を振り背中を向けると、後ろで笑みを深くする気配。
 自分の足でどこまでも行ける。星の数ほどもある分岐を選び、望む場所へと。その意味を心の隅でぼんやりと考えながら、リルドは明るい街の方へと歩き出した。
 
 


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3544/リルド・ラーケン/男/19歳】
【NPC0746/シズ・レイフォード/男/32歳】


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■         ライター通信          ■
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ご参加ありがとうございました。
花と夜、ということで艶のある描写になればと思いましたが……。
如何でしたでしょうか。またのご縁を祈りつつ、失礼致します。