<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


蛍花が咲く夜

「求む、蛍花の花束」
 白山羊亭で働くルディアは今日も忙しい。忙しい昼も過ぎ、仕事が一段落したところで彼女は一枚の依頼書をぺたりと壁に貼り付けた。
 依頼主はある研究者だ。自らの研究の為、この時期にしか咲かない蛍花を求めているのだという。夜の短い時間だけ、淡い光を纏って花開く。だが飛び交う蛍のように、摘み取ってしまうと1時間と立たずに光を失ってしまう。短く儚い命だ。
「綺麗だけど見つけるのがちょっと大変……なのかな」
 町外れの森に綺麗な川があったはずだ。あそこなら見つかるかもしれない。



「……花を……探して、くれば、いい、ん、だね……?」
 酒場で依頼を見つけた千獣は、ルディアに詳しい内容を確認することにした。
「はい、蛍花をある研究に使うとか」
 千獣をテーブルに案内したルディアはオレンジジュースの入ったグラスをコト、と置き頷く。
「その、花、は……摘んで、から……あまり、保たない……ていう、ことは、摘んで、から、できる、だけ……早く、帰ら、なきゃ……いけない、ん、だよね……?」
 逆にいえば、時間の問題さえ解決できればそう難しい依頼ではないということだ。ルディアは花の咲く場所や大まかな時刻の載せられた資料を持って来てテーブルへと広げる。見てみると、花の詳しい形状がある。淡い白色をしていて咲く時には光さえ放つという。絵でさえ美しいのだから、実際に目にすることができたならどんなにか良い思い出になるだろう。
「わかった……やって、みる……」
 心に小さな翳りを感じつつ、千獣はそう言ってルディアにそう伝えた。

 夕刻、太陽が沈む刻に街を出発し、森に辿り付いたのは辺りに薄闇に包まれる頃だった。鴉が高く鳴き、自分たちの巣へと帰っていく。広場で遊んでいた子供たちは、迎えにきた母親に連れられ夕食の買い物へと。
 千獣は森の中を歩きながら、辺りの気配を探ってみる。獣の気配ならば感じ取れるはずだ。自分を中心とし、ゆっくりと自らの意識を広げていく。空間を自分だけで塗り潰すよう、少しずつ広げ辺りの様子を探る。もしも危険な獣がいれば、襲撃に備えて警戒しなければならないだろう。今は太陽ではなく月の時間。昼間より視界が悪く、その分人間には不利。調べてみるが、どうやら危険な獣はいないようだ。時折狐やリスが視界を横切るが、小動物の類。警戒するに及ばない。
 動物たちだけでなく、植物も豊かな森のようだ。
 途中綺麗な水を溢れさせる泉も見つけた。掌で掬い取って飲んでみると、此処まで歩いてきた疲労を癒してくれる。喉を滑り落ちる冷たさが心地良い。
 獣道を進んでいくと、資料にあった場所に出た。
 そこだけ開けた場所で、白い蕾が星のように煌いている。一つや二つではない。大地を埋め尽くす数だ。まだ咲くには時間があるようで、千獣が物陰からじっと見守ることにした。短い時間だけ咲く花を目当てにやったきたのは、どうやら千獣だけではないようだ。先程見た狐やリスまでもが木々を伝って集まってくる。
「花、も……草も、木も……動か、ない……喋ら、ない、けど……生きて、いる」
 命の息吹。
 美しく咲いた後は枯れて種子を残す。人も動物も、いつか果てる運命から逃れることはできない。永遠など言葉でしか存在はしないのだから。世界にある全てのものは流れて変わる。人も花も、咲き誇る為に今を生きているのだと。千獣はふと思う。 
 しばらく蕾を眺めていると、それまで雲に阻まれていた月が姿を現した。柔らかな月の光が地上に差し込み、辺りを等しく照らす。それを待っていたかのように、花たちが一斉に咲き始めた。一つまた一つと、固く閉じられていた蕾が開かれていく。
 淡い光を纏う姿は、きらきらと輝く星屑というよりは夏の夜に漂う蛍のようだ。蛍花とは名前の通り、短い命で輝く虫に由来しているのだという。千獣が受け取った資料にはそう書かれていた。
 人間の言葉が人間にしかわからないように、動物や植物もそれぞれの意思を伝える何かを持っているのかもしれない。喋る喋らないは問題ではない。同じ世界に存在し、風に吹かれ水の恵みを受け取る。自分と同じ一つの命なのだと認識できたのなら、全ての存在にもっと優しくなれる。そんな気がした。

「生きて、いる……生きて、いる、のに……ごめん、ね」
 立ち上がり、大地を踏みながらそっと近付く。何の研究に使われるのかまでは知らないが、できることならば意味のある結果を出して欲しい。
 指先で触れてみるが花は動かない。まるで自らに定められた運命を悟り、ただ受け入れるが如く。ふわりと吹いてきた夜風に花弁を揺らすだけ。千獣は痛みがないようそっと花を摘み取り、何本か重ねて花束にしていく。
 
 蛍花の光は徐々に失われていく。
 千獣は前以て考えていた通り、獣の翼を背中に生み出し夜空に羽ばたく。受ける夜風に散らさないように、花束はしっかりと胸に抱えることを忘れない。
 獣の力を使うには心身共に負担になり、暴れ出そうとする体内の獣たちを力ずくで抑えなければならない。だが翼を引き出すだけならば負担もそう大きくはないだろう。
 ペガサスが持つ純白の翼を羽ばたかせ、ふわりと宙に舞い上がる。歩いて帰るよりはずっと時間の短縮ができるはずだ。木々の間を抜け、身体に触れそうな細い枝は腕で払い、千獣は闇の中を飛んだ。


 
 翼のおかげで思ったより早く街に帰ることができた。
 辺りはすっかり暗くなっていて、街の灯りが夜景の一部となり輝いている。千獣は依頼を受けた酒場に入り、花を手渡すことにした。
「おぉ、これはこれは。……ちょうど良いタイミングでしたな」
 千獣に話しかけてきたのは、ゆったりとしたローブを纏った学者風の老人だった。依頼人本人だと名乗る。千獣が今夜出発するのだとルディアから聞いて、酒場で待っていたのだという。
「……この、花で……何を、する、の、か……わから、ない、けど……でも……」
 研究の為とはいえ、儚い命を摘み取ってしまった。少し俯き、それでも言葉を止めることはしない。どうしても伝えたいことがあった。
「花の、命を……無駄に、は、しない、でね……?」
 千獣の想いを受け、老人は深く頷く。
「この花からは傷にとても良い薬が作れる。きっと、皆の役に立つじゃろうて。……ありがとう、お嬢さん。あんたの心はこの蛍花のように、繊細で綺麗じゃな」
 そう言って老人は笑い、さっそく研究室に戻ると腰を上げた。千獣には何度も礼を繰り返し、報酬代わりにと、夏野菜の料理や果物で作られた飲み物をルディアに注文してくれた。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)】


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■         ライター通信          ■
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ご参加ありがとうございました。
祭りに花火、夏は賑やかで華やかなものが多いですが、蛍のように静かな趣があるのも私は好きですね。如何でしたでしょうか。