<東京怪談ノベル(シングル)>
〜惑いの森で
「お?」
ある、晴れた日。
森の中でガイが見つけたのは特大の、しかしなんの変哲もない足あとだった。
その足あと自体には、意味はない。迷い無く一直線に前に進む裸足の巨漢が、近い過去にここを通っていったのだろう。
だが、それを発見したガイの表情は、少々渋い。
即断即決、一刀両断な性格のこの大地の民の戦士には似つかわしくない、やや思案げな顔つきのまま、その足あとに近づき――――それを、慎重に踏んづけた。
ぴたり。
思わずそう擬音が聞こえてきそうなほど、足あとはガイのそれと符合した。
なんのことはない。この足あとは、ガイ自身のものなのだ。
だが、足あとが示すとおり、ガイは一度行った道を引き返すようなことはしていない。
「ふん。一周して同じ所に戻された、ってわけか」
呟き、見上げた空は晴天。森に囲まれた狭い青が、ガイを嘲っているかのように広がっていた。
――――時を、わずかに遡る。
その日、旅の賞金稼ぎであるガイが受けた依頼は、付近を荒らすモンスターの退治であった。
二つ返事で了承した背景には、懐が少々涼しくなってきた、という理由があった。
武器を持たず鎧も纏わず、気を用いた格闘術で戦うオーラバトラーであるガイだが、2メートルを越える巨躯と、それを覆うはち切れんばかりの筋肉を維持するためには、食費も相応に掛かるのである。
仕事は単純明快な荒事、これほど自分に向いた依頼はない、と結論づけて森へと分け入ったのであるが――――。
――――既に森へ入ってから、優に二時間は歩き続けていた。森はそれなりの大きさであったが、ガイの足で二時間も直線の続くような規模ではない。
その挙げ句が、この「振り出しへ戻る」だ。
「チッ。街の奴らめ、森のこと黙っていやがったか」
この場にいない者達にいい加減な悪態をついて、ガイはひとまず手頃な切り株に腰を下ろした。
ガイ自身が単純に迷った、ということはあり得ない。
大地の民は自然と共に生きる部族であり、その一員であるガイもサバイバル技術に長けている。まだ日も高く、本来ならガイにとっては迷う方が難しい状況だ。
ならば、魔法の類か。そうなると、ガイには専門外だ。
元々頭を使うのは性に合わないし、知識もない。
少々骨が折れるか、と腹をくくったちょうどその時。
がさり、と茂みをかき分けた音が聴覚を叩いたとき、ガイの唇が不敵に緩んだ。
瞬間、巨大な塊が弾丸のようにガイを襲った。
予想を上回る、それは速度と破壊力であった。
「ぐっ!」
立ち上がって身構えたと同時に懐を直撃され、とっさに両手でそれを受け止めるが、そのままの勢いで押し倒されかける。
まるで突撃する大猪のようなその威力に、ガイの巨体はそのまま持ってかれそうになったが、それで終わるようならガイはこれまでの戦いを生き抜いてはいない。
「ッ、しゃらくせぇ!」
突撃してきたその生き物の横面に、固めた拳をたたきつける。
鉄槌そのもののような右拳は生き物の頭にめり込み、生き物は突進の勢いを逸らされるような形で地面に倒れ込んだ。
強烈な手応えに軽く手を振りつつ、改めてモンスターをよく見てみると、それはクマに良く似た生き物であった。ただし、その顔はフクロウに似ており、前肢の先からは自然のクマにはあり得ないほどに凶悪なカギ爪が伸びている。
モンスターは、やや面食らったようであった。
不意打ちで突撃してきた自分を受け止め、殴り飛ばして勢いを止める人間に出会ったのは、初めてのことだった。
それでも、持ち前の狩猟本能に突き動かされるまま立ち上がり、人間を引き裂こうと二本の前肢を上げる。
「ふふん。なるほど、俺を迷わせてくれたのはお前だったってワケか」
この森に入ったときから、ガイはモンスターに狙いをつけられていたのだ。獲物を迷わせ、疲れ果てたところを襲う。そうして、このモンスターは獲物を狩ってきたのであろう。
だが、今日に限っては、お前は狩る側ではない。
――――狩られる側だ。
あくまで戦う構えのモンスターに軽く唇をゆがめ、ガイは手首の辺りにはめてある腕輪に手をやった。
聖獣装具・ミノタウロスの腕輪。
それが、ガイが意識すると同時に、ほのかな光を放ち始める。
モンスターは咆哮を上げて突進する。それに応じ、ガイは踏み込んだ。
振り下ろされるカギ爪を、気を覆った左腕で受ける。圧倒的な重量にガイの左足が沈むが、ガイは意に介さずに右拳を胴に叩き込む。下がったモンスターの頭に、間髪入れずにガイの頭突きが火花を散らす勢いで炸裂した。
たたらを踏んだモンスターにガイの渾身の右回し蹴りが突き刺さるのと、モンスターが振り回した腕がガイを薙ぎ払ったのは、ほぼ同時だった。
目の前が一瞬漂白され、ガイの身体は易々と吹き飛ばされた。
2メートルを超える巨体は大木一本を犠牲にしてその望まざる飛行を止め、ガイは舌打ちと共に身を起こした。
蹴り足に手応えはあった。敵にダメージは充分にある。
しかし、尋常ならざる膂力とタフネスのおかげで、打撃の交換は分が悪い。
「へっ、そうこなくっちゃあよ」
それでも、ガイは笑い飛ばす。
己の肉体と戦闘技術に対する絶対の信頼が、ガイにはあった。
開いた距離を、モンスターが詰める。
三度突進してくるモンスターを、ガイは両腕で受け止める。圧倒的な勢いを、爆発的に力を込めた全身で押し返す。モンスターの前肢を自身の両腕で押さえ込み、力比べの構えだ。
だがそれも一瞬のこと、ガイは体を捌いてモンスターをいなし、豪腕を脇腹に突き刺す。傾いたモンスターの膝、喉笛、眉間と打撃を集中させる。
苦悶の咆哮を上げつつ振り回される腕を、ガイは紙一重で避ける。
――――一瞬の隙。
「っらぁぁぁぁ!!」
脚でモンスターの脚を払い、更に掴んだ前肢を引き、渾身の力を込めてガイは己よりも二回り以上の体格を持つモンスターを投げ飛ばした。
喧噪を知らぬ森の中に、巨体が叩き落とされる轟音が響き渡った。
身を起こそうとするモンスターを、ガイがのし掛かり押さえつける。
そのフクロウのような顔に押し当てたのは、肉厚な手のひら。それが、徐々に光を集めていく。
「避けられねぇだろ? 防げねえだろ?」
本能的に身の危険を感じ、モンスターは全身の力で逃れようとするが――――もはや遅い。
「煉獄――――気爆弾ッッ!!」
瞬間、森は光に包まれた。
爆音が周囲の大気を震わせる。
小鳥が危険を察し、いずこかへと飛び立っていく。
ややあって。
爆心地とも呼ぶべき大穴の中で、1つの人影が起きあがった。
「やれやれ、ちょいと派手にやりすぎたか」
言葉とは裏腹に、ちっとも悪びれない表情で、ガイは周囲を見渡した。
モンスターは、既に物言わぬ骸となっている。森は一部分が削られ、すり鉢状の穴が出来てしまっている。
身体に付いた煤を払い、ガイは空を見上げた。
先ほどより大きく覗く青空に、満足そうに笑みを浮かべる。
軽く、鼻を鳴らし――――
「あーぁ、腹減ったな」
そう、誰にともなくつぶやいた。
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