<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
蛍花が咲く夜
「求む、蛍花の花束」
白山羊亭で働くルディアは今日も忙しい。忙しい昼も過ぎ、仕事が一段落したところで彼女は一枚の依頼書をぺたりと壁に貼り付けた。
依頼主はある研究者だ。自らの研究の為、この時期にしか咲かない蛍花を求めているのだという。夜の短い時間だけ、淡い光を纏って花開く。だが飛び交う蛍のように、摘み取ってしまうと1時間と立たずに光を失ってしまう。短く儚い命だ。
「綺麗だけど見つけるのがちょっと大変……なのかな」
町外れの森に綺麗な川があったはずだ。あそこなら見つかるかもしれない。
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「ふむ、摘んでから1時間と保たぬとは誠、蛍のような花でござる」
酒場で依頼を見つけた幻路は張り紙の前で小さく呟く。見たところ、獰猛なモンスターや討伐といった危険な仕事ではないようだ。忍は闇に紛れ音もなく舞うが勤め。だがたまにはこういった依頼を引き受けてみるのも悪くはないだろう。ルディアに声を掛けてみると、はーい、という声がしてすぐにテーブルまでやってきた。
「あ、こちらの依頼ですね。今資料持ってきます」
昼間の酒場は夜ほどの賑わいはないが、夏の暑さを避けようと街の人々が冷たい飲み物を楽しんでいた。夜になればそれなりに過ごしやすいのだろうが、今は昼過ぎ。一日の内で一番気温が上がる時間帯だ。
「ときにルディア殿、蛍花の咲く場所に心当たりはないでござるかな? 闇雲に森の中をさまようよりかは、ある程度当てがあって動く方が良いでござる」
資料を片手に、もう片方に冷えたアイスティーのグラスを持ち幻路は訊ねてみる。場所の特定ができれば大分探しやすくもなるだろう。夜の短い時間しか咲かないとあれば、その時間を逃すと最悪散ってしまうかもしれない。
「そうですねー……、町外れの森の奥。咲いているのを見たって聞いたことがありますよ」
ルディアが話してくれたのは、此処からそう遠くない森の場所だった。夕刻に出発すれば十分間に合うだろう。入手した花は酒場に持って来てくれればいいと付け加えられた。
「依頼人さんには私から連絡しておきますね。此処で待っていてくれるようにって」
街で準備を整え、夕刻を少し過ぎたところで幻路は森へと出発した。
淡い色の布袋には煙玉、閃光玉、爆竹など逃走、威嚇用の小道具が詰められている。万が一、野生動物の襲撃があった場合に備えての道具だ。
(……摘んでから如何に早く帰るかが重要でござるな)
摘んでから1時間。それ以上の時間が流れてしまえば、花は光を失ってしまう。研究者が何に使うのかはわからないが、恐らく光ったままの状態で届けた方が良いと思われた。
懐に手を差し入れ、冷たい宝珠の感触を確かめる。闇にも似た色をした宝珠で、念じれば鳥の類に姿を変え使役することができる。人の足で街に戻るよりは、この浄天丸で時間短縮をした方が良さそうだ。依頼人は酒場で待機しているらしいから、何処へ行けば良いかなどと迷うこともない。
森の入り口から真っ直ぐ奥へと進んで行く。
太陽が沈み、辺りは薄闇に包まれようとしていた。遠くで鴉の鳴き声がする。彼らも巣に帰ろうとしてるのだろう。街の中と違い、森の中は静寂が広がっていた。時折夜風が木々の葉を揺らす以外は、本当に静かなもの。ふ、と深呼吸をしてみると胸いっぱいに清浄な空気が入ってくる。
一応と辺りの気配を探ってみるが、危険な獣はいないようだ。
目印だという小さな泉の横を通り進むと、開けた場所に辿り付いた。
中央に枝を広げた大樹があり、それを囲むようにして白い花の蕾が咲く瞬間を待っている。まるで母のような大樹に守られているかのようだった。
幻路は大樹の傍に歩いて行き、そこで花が咲くのを待つことにした。
「それにしても……」
一面に広がる花の蕾。これがもし一斉に咲いたとしたら、どんな光景が見られるのだろう。依頼とはいえ、それを目にする瞬間が少しばかり楽しみでもあった。
軽く腕組みをしてしばらく場を見守っていると、それまで雲に隠されていた月が唐突に姿を現す。雲の切れ目から地面に差し込む柔らかな月光、それに応えるようにして白い花弁が次々と開かれていく。どこからやってきたのか、ひらりひらりと蝶々が花の間を誘われ飛ぶ。 淡い光を放つそれは、確かに蛍花と呼ばれるに相応しい美しさと儚さがある。
「美しいものでごさるなぁ。摘み取ってしまうのが惜しいくらいでごさる」
幻想的な光景に幻路は小さく零す。できることならばこのままにしておいてやりたい気持ちもあるが、依頼とあっては仕方ない。近付き屈み込むと、できるだけ優しく手折り手早く小さな花束にする。用意していた宝珠を取り出し、瞑目して念を込めた。
聖獣装具である浄天丸は主の命に従い、その姿を漆黒の鴉へと変えた。闇に溶けるような黒々とした翼、主と同じ色の瞳。
「街の酒場へ。ルディア殿と依頼人がそこで待っているでござるよ」
命を理解した浄天丸は人間のようにこくりと頷き、 差し出した花束をその口に咥えて月が輝く空へと舞い上がる。翼を羽ばたかせ、あっという間に見えなくなってしまった。
(――……行ってしまいましたね)
頭の中に直接響くような声にはっと我に返る。
一瞬の油断があったとはいえ、辺りに何者かの気配などなかったはずだ。
(恐れずとも良いのです。私は森の守り手、古よりこの地を見守ってきたモノ)
幻路は反射的に後ろを振り返った。そこには月光を受け、夜風に葉を揺らす大樹の姿。声の主はこの樹なのだろうか。
「花を摘んだ拙者を恨んではござらんのか」
いいえ、と樹は唄うように葉を揺らす。
(この花からはとても良い傷薬が作られると聞きました。……それに、全てが刈り取られたわけではない。種を残し生き残ることはできます)
不思議な声だ。幼き頃に聞いた母にどこか似ているような、酷く懐かしい感じがした。
(貴方は優しさと慈悲をもって花に触れてくれた。……ありがとう。せめて、花が散るまで此処で見て行きませんか)
「それも、悪くない案でござるな。ちょうど拙者も、そんなことを考えていたところ……」
大樹の幹に寄り掛かり、夜の音を聞きながら改めて花という花たちを視界に収める。
いつか死ぬ命ならば、胸に宿した花を誇らしく咲かせることができるよう。そんな生き方ができたなら、どんなにか幸せなことだろう。
幻路はほんの微かに胸の痛みを感じながら、それでも夢幻のような光景を眺めていた。月が傾き最期だと告げる夜風が吹き抜けるまで、ずっと。
(また会えるといいですね。それでは今夜のお礼に……)
幻路が別れの挨拶を口に乗せると、大樹はそう言って幻路の掌へと雫を落とす。溢れそうになる透明な水を掌から飲んでみると、すっと身体が軽くなったような気がした。森の精気が込められた水なのかもしれない。
幻路は礼を重ね、名残惜しいように一度だけ振り返ると、帰るべき街へと歩き始めた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3492/鬼眼・幻路/男/24歳】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございました。少しでもお楽しみ頂ければ幸い。
それではまたのご縁を祈りつつ、失礼致します。
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