<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


抱いた勇気に華を添え

 戦況は不利だった。
「エルファリア様、お逃げください! じきにこの謁見の間に敵が来ます……!」
 隣国であり敵国であるアセシナートからの急襲。それは誰もが予想だにしていなかったこと。
 アセシナートとの国境線では小競り合いが続いているのも事実だったが、まさかいきなりエルザード王城へと兵を差し向けてくるとは思わなかった。
 王女エルファリアは、震える手を胸元に当て、
「なぜです……!」
 と戦いに向かう兵士たちに問うた。
「城と国境はかなり離れているのですよ。なぜ、突然王城に敵が襲ってくるのですか……!」
「姫様、それは知らない方がよくってよ」
 1人の少女が、王女に対して敬意も払わず前に立つ。
 エルファリア王女は首をかしげた。
「貴女は……?」
「天井麻里」
 つっけんどんに名乗ったゴスロリの少女は、あまり長くない髪を邪魔っけに後ろに払い、
「姫様の別荘に、元盗賊がいるでしょう。その盗賊の情報網で、この城にネクロマンサーが忍び込んでいることが分かったのですわ」
「ネクロ……マンサー……?」
「死人使いのこと」
 その言葉を聞いて、王女の麗しい白い顔が青く染まる。
「そしてもうひとつの情報。最近金で動く冒険者が、この城の地下に死体を運び込んでいたのですわ。……ここまで言えば、分かるでしょう?」
「そんな……」
「早くお逃げなさい。大切な王女様に怪我をされたら、あらかじめ集められていた私たち防衛用冒険者がどれだけ迷惑するか」
「貴女……!」
 横合いから、新しい声が聞こえてきた。「さっきから、殿下に向かって失礼よ……!」
 麻里はちらとその声の主を一瞥する。
 長い黒髪がさらさらと揺れる。戦士の格好をした、しかしどことなく頼りない女性。
 ジュリス・エアライス。
 麻里とは、お互いに顔見知りの間柄だった。
「あら、貴女も来ていたのジュリス」
 麻里は小馬鹿にしたように言った。「戦いはあまり好きじゃなかったのじゃなくって?」
「それは――エルザードに住む冒険者として、この召喚に応じるのは当然のこと……」
 ジュリスはいつも通り、憂いを帯びた表情で訴える。
 麻里は笑って一蹴した。
「そんな顔をしている貴女が役に立つとは思えないですわ!」
「貴女……っ」
「早く姫様を連れて奥にお逃げになったら? 敵はすべてこの天才美少女格闘家であるわたくしが始末しますわ!」
 高らかに笑って、麻里は宣言する。
 ジュリスは唇を噛んだが、とにかく、とエルファリアに向き直った。
「殿下、奥へ。陛下たちと同じ部屋へ――」
「え、ええ。いつもの隠し部屋ですね。ごめんなさい、すぐに姿を消すべきだったわ――」
「お気になさらず。お急ぎください!」
 ジュリスはエルファリアをかばいながら彼女と共に隠し部屋へと向かった。

 麻里は謁見の間に残っていた。
 他にも数人の、同じ依頼を受けた冒険者がいる。情報が確かならば、アセシナートが用意した死体の数には充分対応できる人数のはずだ。
(ふん。こんなに数を集めなくても、わたくし1人で充分でしたのに)
 麻里はとんとんと軽く跳躍して、足の調子を確かめる。
 彼女の主な武器は足蹴りだ。足をなくして彼女はない。
(早く、早くいらっしゃいな、早く――)

 ……ずるり。

(来た……!)
 戦士たちが一様に身構えた。

 ……ずるり
 ……ずるり

 何かを引きずるような、音――
(死体。敵は死体。不気味でしょうけれど、負けはしないわっ!)

「ああああああ!?」
 戦士の1人が突然悲鳴を上げる。
「!?」
 集中力を乱されて、麻里はその戦士の方をきっと険しい目で見た。
 そして――瞠目した。
 戦士はすでに息絶えていた。ついさっきまで、2mほど離れたところにいたはずの戦士が。
 口から泡を吹いている。その首を、ぼきりと――力任せに折ったのだろうか。
 巨大な『何か』が、いつの間にかそこにいた。
 死んでしまった戦士の首を持ったままぶらんぶらんさせて、そこにいた。

 例えようがない。
 いや例えるならば――巨大な腐った肉の塊?
 腐臭がする。死んでしまった戦士はやがて、ずぼずぼとその泥のように柔らかそうな『何か』の中へ取り込まれた。
(敵は――ネクロマンサー)
 麻里は驚愕でしばし動くのを忘れた。
(思うがままに死体を利用する者。まさか――死体をすべて合成したの?)

 思った瞬間には、目の前にその怪物がいた。
「ひ……!」
 悲鳴をあげかけて、一瞬前で止めた。
 怪物が大きくその太い腕を振り上げてくる、それが見えて。
 一瞬のうちに、麻里は戦士である自分を取り戻した。
「はーあっ!」
 すぱぁん!
 怪物の足、膝裏辺りを蹴りで打ち抜く。
 しかしどろどろの体をした怪物には効果がなかった。元々死人の体だ。ダメージがない。
(何ですって――!)
 振り下ろされた拳をかろうじて避ける。
 どごぉん。拳は軽々と床を破壊した。
 冒険者たちが悲鳴を上げ、やがて1人、また1人と逃げ出し始める。
 麻里は逃げなかった。
「ウインドスラッシュ!」
 真空破を放つ。怪物の首を、それは通り抜けたはずだった。
 しかし、一度離れたかのように見えた首と胴体は、やはりどろりと首から流れてきた腐敗した肉により、つながってしまった。
 麻里は諦めなかった。
(こんな怪物にも弱点はあるはずですわ。弱点――)
 しかし気づくと、目の前に怪物がいない。
「………!?」
 周囲を見回した時には遅かった。
 麻里は――その胴体を、怪物にわしづかみにされていた。
 ぎり、ぎり、ぎり
 今にも、握りつぶされそうな圧力――
(――冗談じゃ――ありませんわ――!)
 戦いに挑む時は、油断もせず諦めもしないと決めた。以前賊と戦ったあの時から。
 麻里は必死で自分の体の内側から力を発した。
 諦めない。諦めない。力はまだある。力はまだ出る。
 最後まで、力尽きる最後まで、諦めない――

 ジュリス・エアライスは、エルファリア王女を隠し部屋へと案内してから、謁見の間に戻ってきた。
 そして仰天した。あれだけいた冒険者が1人もいない。否――
 1人だけ。
 見るだけで嘔吐しそうな怪物にわしづかまれている少女が、1人だけ。
「麻里さん……!」
 ジュリスは走り寄る。
 麻里はジュリスの姿を認め、「馬鹿!」と叫んだ。
「近寄るんじゃ――ない、ですわ――!」
 怪物はどろどろとした足を、ジュリスに向かって持ち上げようとしていた。
 ジュリスははっと退いた。怪物のリーチは分からないが、両手はふさがっている。他には? 他には何をしてくるのだ――?
 麻里に聞こうにも、彼女は押しつぶされるのを留めるのに必死で、声など出せそうにない。
 ジュリスはすでに抜いていた剣を構える。
 ……足ががくがくと震えていた。いつでも刃を向ける時、人間相手でも魔物相手でも充分恐ろしいが、目の前の怪物はさらにそれを超えている。
 見た限り、判断するとしたら――死体が、合成されたもの?
 まさかこの謁見の間にいた冒険者はすべて吸収された?
 そう思ったら体が芯からぶるっと震えた。
 そして目の前、少女が、麻里が――
 怪物をまともに視界に入れるのも恐怖だった。その瞬間に、戦いが決定するような気がして。
 しかし、
「うあ……っ!」
 麻里のうめき声が聞こえて、思わず顔を上げた。
 目を見張る。膝が震えた。
 麻里の体が、徐々に怪物にうずまっていこうとしていた。
 かたかたと手にした剣の鍔が鳴る。
 ――戦いは怖い。
 ――戦いたくない。
 体中にうずまくその思い。
 しかし、はっと気づいた時には怪物の姿が視界から消えていて、
「一撃でも受けたらおだぶつですわよ――!」
 かすれた麻里の声が、背後から聞こえ、とっさに前に跳躍した。
 ジュリスはすぐさま振り向く。
 ぼこおっ。まるで土でできた城をつぶすかのように簡単に、床が破壊される。
 怪物の足は、床を破壊した後もう一度持ち上がった。今度もジュリスに向けて、焦点を合わせている。
 麻里の体は、すでに半分、怪物の体の中にあった。
「麻……里……さ……」
 あんな状態でも、自分を助けるために声を上げてくれた少女。
 ――戦いは怖い?
 ――戦いたくない?

 何を言っているの、私は?

 戦わなきゃならない。
 戦う理由がある。
 剣を持つ者がそんな瞬間に遭遇して、尻尾を巻いて逃げ出す?

 愚の骨頂だ。

 だんだんとジュリスの体が熱くなってくる。
 彼女の赤い瞳が、すっと細められて。
 ――そうだ戦え。戦うのがお前の使命。
 必要な力は?
 怪物を目の前にしても恐れぬ、勇気のみ。

「麻里さん……少々貴女にも怪我をさせてしまうかもしれませんが」
 囁くように告げる。
 麻里は、どんどんうずもれ苦しそうな呼吸をしながらも、にやりと笑った。
「わたくし……を……心配しよう……なんて……百年、早い、ん、ですわ……よ」
 それを聞いて、ジュリスの中で何かが弾けた。
 一瞬後には、彼女は怪物の背後にいた。
 怪物の脇腹が切り裂かれ飛び散る。
 ジュリスは己の剣を見下ろし顔をしかめる。腐敗した肉がくっついてくる。切れ味がすぐに悪くなる。
 だが仕方がない。剣についた肉を払って怪物の背中に向き直る。
 怪物はようやくこちらを向こうとし始めているところだった。――動作が鈍い。
 ちょうど腹のところに、麻里を吸収しようとしていることも、ねじる動きが遅い要因だろう。
 ジュリスは怪物に肉薄した。そしてその脇下を、剣でえぐった。切れ味が悪くなるなら、刺すのが一番だろう。
 脇の下もすぐに、肉に埋もれてしまった。
 今度は膝の後ろを。刺しても膝を折ることさえしない。
 今度は肩を。痛がる様子はもちろんない。
 首の後ろを。思い切り跳躍して脳天を。鎖骨を。前の首を。
 どこを刺してもまったく動きに変化はなかったが――
 ジュリスは気づいた。
 ――この死体の集合体には、『骨』がある。
 特に鎖骨は間違いない。ジュリスは何度も剣を振ってよく肉と血を払ってから、鎖骨に思い切り剣を食い込ませた。
「手を!」
 ほとんどうずもれようとしていた麻里の手を、かろうじて握り、引っ張る。
 うおおおん、と怪物が吼えた。ジュリスに向かって、拳を叩きつけようとしてくる。
 ジュリスはとっさに鞘で防御した。拳は鞘をへし折り、ジュリスの腕に叩きつけられ――
 嫌な音がした。
 ジュリスの左腕が確実に折れた。
 だがそれ以上のダメージは、鞘によって抑えられた。ジュリスは残っている右手で必死に麻里を引っ張る。
「麻……里……さん、この怪物には……骨が、あります……から」
「………!!」
 麻里がそれを聞いて、怪物の中で体を動かした。まだうずもれていなかった足、その片方をあえてわざと怪物の中に入れ、
「――ありましたわ!」
 ジュリスに引かれる勢いと共に、麻里は怪物の外へ脱け出した。
 思わず2人で床に倒れる。怪物は鎖骨にジュリスの剣を刺したまま、うおおおんと啼いている。
「どうやって……出てきたの?」
 立ち上がりながら、ジュリスは訊いた。
「ヤツの体の中の、太そうな骨を足場にしてきたんですわ」
 麻里は息も絶え絶えに立ち上がった。「さあ、剣を取り戻さなければいけませんわね。貴女は戦えませんもの」
「貴女はもう……!」
「百年早いと言ったはずですわ」
 唇の端に不敵な笑み。ジュリスはそれを見て心の底から安心した。ああ、麻里だ。自分の知ってる麻里だ。
 だったら――負けるはずがないと。
 麻里は呼吸を整えた。
 そして、
「はっ!」
 足の力を最大限利用して跳躍し、怪物の鎖骨のジュリスの剣を抜きがてら、剣をひねっていく。
 空中で麻里を捕まえようと怪物の手が動くが、動きが遅い。
 麻里は無事着地し、剣をジュリスに放り投げた。
「あと数箇所――」
 ジュリスは剣を持ち直しながら、冷酷にも見える視線で怪物を見つめる。
「あと数箇所、刺してみたい場所があるわ――」
 それは、麻里の体が邪魔で刺せなかった場所。
 ジュリスは左手が折れていることも構わず怪物に肉薄する。
 まずみぞおち。
 効果なし。
(ならば――ここは!)

 心の臓。

 怪物の動きが、止まった。
 その間に麻里が動いていた。
 高い跳躍とともに、ウインドスラッシュで怪物の首と胴体を切り離し――
 離れたところで、首を蹴り飛ばす。
 首は面白いように飛んでいった。てんてんと転がり、謁見の間のじゅうたんを汚す。
 首はそのまま、泥のように溶けて行く。
 戦士の勘が、ジュリスを怪物から退かせる。
 首を失った怪物は暴れ始めた。どがんどがんと謁見の間の床を潰しまくる。
 柱を折ろうとした時は、ジュリスが剣でその腕を叩き斬った。
 しかし腕は復活して、やはり暴れ続ける。
「……困ったわね……どうしたらとどめをさせるのかしら」
「……あなたも知っているでしょう」
 麻里が囁いてきた。「別働隊が、ネクロマンサー本人を探しているはずですわ。それを倒せば止まるはず」
「そうなのだけど……」
 ジュリスは麻里を見た。
 麻里もジュリスを見た。
 2人の考えは、同じだった。
「……どうも死人使いが、近くにいるような気がして仕方がないわ」
「そうね」
 つぶやいた麻里は、ごほごほと咳き込んだ。
 それを見たジュリスは、決着を急がなければならないことを悟った。
(死人使い――どこにいる――?)
 麻里が怪物の動きをつぶさに見て、
「……いくら首を失ったからと言っても。どうも動きが変になったと思いませんこと?」
「………?」
 確かに――
 怪物の体の動きは、それまでは人間と同じような動きをしていたのに、今では人外の動きを軽々としている。腕が180度回っていたり。足が首元まであがったり。
 ジュリスは今まで自分がしかけた攻撃の中で、効果があったものを思い返してみる。
 一番効果があったのは――
(――心臓! ということは――)
「麻里さん」
「なんですの」
「今度は私が怪物の中に入ります」
 麻里が呆気に取られる。それににっこり笑みを返して、
「いざというときは、引っ張り出してくださいね――」

 ジュリスは跳躍して、怪物の肩へと乗った。
 振り落とそうとする動きに耐え、中を覗き込む。
 ……思った通りだった。

 空洞。そしてその中に。

 ジュリスは空洞の中に飛び込んだ。腐臭の満ちるその場所で――

 ぎゃああああ、と悲鳴が上がった。
「ジュリス!」
 麻里が思わず一歩近づいた。
 しかし、次の怪物の変化にはっと息をつめる。
 怪物は――
 完全に、動きを停止した。
 その皮膚が、どろどろと溶け出してくる。骨とともに。腐敗臭が、謁見の間に満ちる。
 その中央で、ジュリスが立っていた。
 その傍らに、1人の青年が倒れ伏していた。
 ジュリスは唖然とする麻里に、微笑んだ。
「死人使いが死人の中にいれば……一番安全ではありますよね……」

     ++ +++ ++

 ジュリスがそのことに気づいたのは、心臓を刺した時だ。
 怪物が暴れだしたのは首をなくしたからだろうが、人間らしい動きができなくなったのはそのせいじゃない。
 ジュリスの剣によって、操っているネクロマンサーが怪我をしたためである。
 ぶ厚い肉のために、麻里はうずもれていっても中が空洞だなんて思いもしなかっただろうが、ジュリスの剣はリーチの問題で肉厚の皮膚をも貫き通した。
 ネクロマンサーは、正直なのか、真正面からの攻撃は避けるためなのかは知らないが、少し左により、心臓の場所にいたため――……

     ++ +++ ++

 ジュリスは墓の前にひとつひとつ花を添えて、片膝をつき、片手をまるで手を合わせるようにして顔の前にかざしていた。
 両手を使えないのは当たり前だ。折れた左腕は包帯で吊っているのである。
「……貴女もよくやりますわね。あのネクロマンサーに利用された死人全員の墓を改めて作るなんて」
 麻里が、腰に手を当てて呆れて見ている。
 ジュリスは麻里を見上げ、困ったように微笑する。
「だって……亡くなってからもなお、人を殺す手伝いをさせられるなんて……気の毒ですもの」
 あのネクロマンサーの怪物によって。エルザード側は十数人の兵士、戦士を失った。
「………」
 麻里は黙って、作業を続けているジュリスを見つめていたが、
「……エーデルワイスですわ」
 不意に麻里がつぶやいて、ジュリスは「え?」と顔を上げた。
「何でもありませんことよ!」
 麻里はぷいとそっぽを向いて、「さ、わたくしは帰りますから」
「あ……はい。今回はお疲れ様……」
 何の返事もせずに麻里の姿は消えた。が――
「エーデルワイス……」
 その一言に、ジュリスはついくすっと笑った。

 白いその花の花言葉は勇気、忍耐、そして――大切な思い出。

「貴女にとっても私にとっても……」
 そしてジュリスは、自分が戦いに向けてしぼりだした勇気に、麻里が花を添えてくれたような気がして仕方がなかった。
「ありがとう……」

 たくさんの墓が立つ。その中で。
 風に吹かれて、1人の黒髪の戦士がたたずむ――


 ―FIN―