<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


ミニドラゴンと遊ぼ

 ある夕方、クルスはふと気配を感じて小屋から出ると、森の中の様子を見て回った。
 ――何か――銃声のような音がしたような――
 結局、その音の気配の正体は分からなかった。代わりに、

 ひとつの卵が、森の木に引っかかって。

「大きいな……何の卵だ……?」
 ちょうど森に居候している、翼を持つ少女に頼んで卵を抱いて降りてきてもらう。
 触ってみると、脈動を感じた。
「生きてる」
 クルスは少女と相談して、孵化させられるかどうか分からないがとにかく育ててみようと決めた。
 少女が、鳥が卵を温めるように、卵を抱いて眠る日が増え――
 やがて。

          ○○○○○○○○○○

 エスメラルダはいつものように、黒山羊亭で踊っていた。
 と――ふと、黒山羊亭にひょろっと両手に抱えられそうな生き物が飛んで入ってくると、エスメラルダの服を引っ張った。
「きゃ――な、なに、この子!」
 エスメラルダは振り払おうとする。
「ああ、こらこらやめなさい――!」
 続けて黒山羊亭に飛び込んできたのは、黒山羊亭の常連クルス・クロスエア。精霊の森の守護者である。
 クルスはエスメラルダの服から、謎の生き物を離すと、
「めっ!」
 とその生物の目を見て叱った。
 エスメラルダは服が破れていないかを気にしながら、
「そ、その子、クルスさんのところの子?」
「そう――あ、いや、精霊じゃないけどね」
 クルスは片手でその生き物を抱える。
 角が2本ある。鋭そうな八重歯が見える。けれど全体的にはデフォルメ化されたモンスターのような、丸っこい体型だ。
「その子、なあに?」
「ドラゴンだよ」
 エスメラルダが目を大きく見開く。クルスが笑って、
「大丈夫、大きくならない種類だ。偶然うちの森で孵化してね――今1ヶ月目」
「そ、その子を連れてきてどうするの?」
「ずっと森の中で育ててたから……」
 外の世界も見せてやろうかと、と青年は言った。
「誰か、遊んでやってくれないかな」
「……怪我、させられないわよね?」
「うーん。ライターより少し大きい火を噴くし、噛み癖があって2本だけある牙もちょっと痛いけど……」
 基本的には、と彼は笑顔で言う。
「人懐っこいし、人語を解するし、物覚えも早いよ。ああ、名前はルゥと言うんだ、よろしく」
 と、いうわけで。
「誰かいないかな? ルゥと遊んでくれる人材……」

          ○○○○○○○○○○

 クルスはもう1人連れを連れていた。現在精霊の森に住んでいる千獣[せんじゅ]である。
「ルゥ……楽しんで、くれる、かな……?」
 この1ヶ月近くずっとルゥの成長を見守っていた千獣は、ルゥのことが心配なようだ。
「まあ、誰が遊んでくれるかによる……」
 そのクルスの首を、背後からがっとしめるように腕をまわしてきた人物が1人。
「よーう、クルスに嬢ちゃん」
 ふっふと背後で笑う気配に、クルスはぽつりとつぶやいた。
「どうしてキミはまっさきに僕の気配に気づくんだろう……」
「それはアレだ、男同士の熱き友情というやつだ」
 トゥルース・トゥースははっはっはと笑ってクルスの首を解放した。
「そればっかりでもないんじゃない?」
 と、横から割り込んできた軽い声。
 クルスたちが振り向くと、
「や、この前はどうもー」
 手をひらひらさせながら、ディーザ・カプリオーレがこちらに歩いてきた。
「トゥルースがクルスにすぐ反応するのは、あれだね。愛情だね」
 うん。と何やら確信したような様子でディーザが煙草をくわえる。
「はっはっは。愛情なら手前ぇら全員にあふれるほどそそいでやるぞ」
「あ、私パス」
「……なんでだ」
「暑苦しい」
 トゥルースは超回転ハイキックを受けたような気分になった。ずーんと影を背負って背中を向ける。
 ディーザはそんなトゥルースを完全無視し、
「いやぁ、面白かったね、あの本」
 と前回クルスが持ってきた『未来を皆で描く本』の話をした。
「大魔王な彼をもう少しいぢりたかった気もするけど」
 軽快に笑いながら、「あれかな、竜騎士な彼女が名前まで書き込んでたら、彼もちゃんとした名前があったのかな」
「大、魔、王……」
 千獣が目を伏せる。
 いくら本の中での夢とは言え、最終的に『大魔王』にとどめをさしたのは千獣だった。そのことが少し引っかかるらしい。
 この1ヶ月、クルスが何度も「あれは夢だから気にするな」と言い聞かせたのだが。
 ディーザは千獣の様子も苦笑で終わらせて、
「名前聞かれたとき、かわいそうなぐらいうろたえてたね。どうせなら名前付けてあげればよかった」
「お前さんは余裕だな、ディーザ」
 復活したトゥルースがふと、今になってクルスが抱えているデフォルメモンスターを見て、会話をそちらに向けた。
「おお、なんでぇ、今日はちっこいの連れて」
「あ、ほんとだ。今日はなに? かわいい子連れてるね」
「精霊、の、森、で……ふ、か、したん、だ……」
 ミニ、ドラ、ゴン……。小さくそう言って、千獣がにっこり笑う。
「ほう? お前さんたちのところで生まれたミニドラゴンなぁ」
「ふーん、ドラゴンかぁ」
 ディーザが煙草をくわえたまま、「ドラゴンっていうと、こう、大きくてそれこそダンジョンのボスとかいうイメージがあるけど、この子はぬいぐるみみたいだね」
 ちょんちょん、とルゥの頭のてっぺんをつつく。
 ルゥはぺこんと手足をへたらせて、つぶれた。あっはは、とディーザは笑った。
 千獣が嬉しそうに、
「ルゥ、って、言うの……」
「ルゥってぇのか。なかなかかわいいじゃねぇか」
 トゥルースはにかにか笑いながらクルスが持ち上げたルゥの頭を撫でようとした。
 かぷ。
 トゥルースのいかつい手が、見事にルゥの口にはまる。
「………」
 トゥルースは手を抜こうとする。が、ルゥは離さない。
「だ、め……」
 千獣がやんわりとルゥの頭を撫でるようにぺたぺた叩く。ルゥがようやくトゥルースの手を解放した。
 ……ぺっと吐き出すように。
「は……はは。まあなあ、初めてじゃな」
 トゥルースはもう一度ルゥの頭を撫でようとした。
 ぼうっ
 ルゥの吐いた火の玉が、トゥルースの手を直撃した。
「……はい、火傷に効く薬……」
 クルスが重々しく言いながら、薬草を手渡す。
 薬草をぺったりと手に貼り付けながら、トゥルースはこりずに反対側の手でルゥの頭を撫でようとした。
 ぼうっ
 ルゥの吐いた火が、トゥルースの髭を焦がした。
 大男、ことごとく撃沈。
「……ま、まぁ、なんだ。うん、子どもはな、これぐらいやんちゃでなきゃあな。はっはっはっ……」
 最後には乾いた笑いをあげた後、
「……そんなに俺が怖いかちくしょう」
 とても小声で大柄な男はすねた。
 と、そこへまた見知った顔が黒山羊亭に入ってきた。
 銀灰色の長い髪に青い瞳。アレスディア・ヴォルフリートは、カウンターあたりの集団を見て、
「これはクルス殿に千獣殿に……トゥルース殿にディーザ殿」
 いつもの面子に、少し苦笑する。
 彼女はカウンターまでやってくると、飲み物を注文した後、こちらの話題に耳を傾けた。
「……ほう、森で育った子竜を遊ばせに」
 ルゥにそっと手を伸ばす。
 なでなでと頭を撫でると、へたりとルゥはクルスの手の上でつぶれてみたり、いやいやと首を振ったりした。そのしぐさがなんともかわいらしい。
「なるほど、小さくてかわいいな」
 アレスディアの表情が必要以上に和んでいた。
「どうしたんだ? アレスディア」
 トゥルースが尋ねると、
「ああ、いや……今回は、ほのぼのと過ごせる、と、いいなぁ、と思い」
 ……ものすごく自信なさげにアレスディアは言った。
 ふと遠い目をして、
「先の、魔術書の一件は……波乱万丈であった」
「あの本? 面白かったじゃない」
 ディーザが煙草をふかす。アレスディアはどことなく引きつった笑みを見せた。

 見知った顔が集まると、ますます人を集めるもので。
「む? これはこれは先日の」
 と次にやってきたのは鬼眼幻路[おにめ・げんじ]。
「あーん? またぞろぞろと何集まってやがんだ」
 黒山羊亭に入ってきてすぐに大量のご飯を注文すると、近くの席に腰かけたのはユーア。
 そして、これは珍しかったのだが、
「あ……ドラゴン!」
 四つ足でぺたぺた入ってきた人狐のティナ。
 ティナは嬉しそうに、ルゥと鼻をつきあわせて笑った。
「ティナ、火も吹くから気をつけて」
 クルスが注意する。ティナは首をふるふると振って、
「いい。ティナ、火傷、慣れてる」
「火も吹くの?」
 と逆に反応したのはディーザだ。「へぇー、それじゃあ……」
 今まで吸っていた煙草を灰皿でもみ消し、懐からもう1本煙草を取り出す。そしてクルスからルゥを預かり、自分には火がかからないように持って、
「ほら、ルゥちゃーん、ここに火をふぅーってしてみてー?」
 ルゥはぷっと小さく火を吹いた。
 ぽっと煙草の先に、ほどよく火がつく。
「あはは、上手上手、火をありがとうね」
 ディーザは喜んでルゥの頭をなでなでした。ルゥはやっぱりへたっとつぶれる。
「ルゥ、じょーず、じょーず!」
 ティナがぺろっとルゥの鼻っ面をなめる。
「すごいな」
 とアレスディアがぱちぱちと拍手し、
「人語を解する、と。ルゥ殿は賢いでござるな」
 幻路がルゥをなでなでする。
 くすぐったそうにいやいやをするルゥ。
「……幻路だっていかついのに何で俺だけ駄目なんだよ……」
 陰でぼそっとトゥルースがぼやいた。
「そう言えばこの子、男の子? 女の子?」
 ディーザは自分が注文していたおつまみをルゥに食べさせながらクルスを見る。
「オスかな」
「へえ。万が一おっきくなっちゃったら大変だねえ」
「今の内にしつけておこうと思うんだけどね」
 とクルスが言った時、
「よーし」
 ユーアが不敵な笑みを見せながら立ち上がった。「しつけ。しつけと言ったな?」
「……言ったけど、何か怖いな」
「はっは。そもそも遊ぶってことはおもちゃにしていいってことだよなv」
「……いやなんか違う……」
「なら最低限、座れと待て、服従くらいは憶えてもらおうじゃないの」
「す、座れと待てはいいけど……服従……?」
 その場にいる全員が、ユーアの輝く金色の瞳に恐怖を覚える。本能的に分かったのか、ルゥまでぷるぷると震えた。
「俺が責任もってしっかりしつけてやっから、邪魔するんじゃねえぞ……?」
 なぜかぺきぽき手を鳴らすユーア……
 そして――

「座れ!」
 しゃきっ。
「待て!」
 食べないっ。
「服従!」
 へたっ。
「さあ食料を持って来い!」
 ばさばさと小さい翼を必死に動かして、低空飛行で黒山羊亭から出て行こうとするルゥ!
「ままま待て! ルゥ、どこから食料持ってくる気だ……! 行かなくていいから!」
「ばーか、そうやって違う命令を横から出したらルゥが混乱するだろが」
「キミはルゥにどこかの食べ物屋から盗みをしてこいとでもいうのか!?」
「あ……ルゥ、待っ、て……」
「ルゥ、だめ、だめ!」
 千獣とティナが揃ってへろへろと飛ぶルゥを追いかける。
 あっはっは、と問題の原因であるユーアは腕を組んで豪快に笑った。
 ルゥは――千獣とティナと一緒に――外まで行き、ルゥの代わりにおそらく2人が食料を買ってきて、ユーアの元まで帰ってきた。
「は、い……食べ、物……」
 千獣が抱えていた食料をユーアに渡す。
「よしよし」
 ユーアはぽんぽんとルゥを撫でた。「よくやったじゃねえか」
 ルゥはぼっと火を吹いた。ユーアははっはと笑ったまま、『しつけ』を始める際に用意してあった水桶にルゥをつっこんだ。
「ゆゆゆユーア殿……っ」
 アレスディアがおろおろする。
「ユー、ア!」
 千獣がユーアをにらみつける。
「火には水を。理に適ってるだろう?」
 ユーアはどこ吹く風だ。
 持ち上げられて、ルゥはユーアの指にかみつこうとした。
「てい」
 ユーアはトゥルースの方向へルゥを投げた。ルゥはトゥルースの耳をかじった。
「いでっ!」
 トゥルース、耳から流血。
 ユーアは笑顔で、
「はい、服従!」
 ぴしっと指差すと、ルゥはやっぱりへたっと腹を床につけ、服従姿勢になってしまうのだった。
「よしよし、いい子だ」
 ぐりぐりぐりぐりぐり。ルゥの頭を乱雑に撫で、ユーアはご機嫌。
「……まったく。ユーアがいると騒がしくなるね」
 ディーザが呆れたように、足を組みながら煙草の煙を吐いた。
 とりあえず一通りいじってユーアは満足したらしい。というより、お腹がすいたらしい、席に戻っていく。
 今度はティナがルゥと遊び始めた。
 ティナは尻尾を猫じゃらしのように揺らし、ルゥの気を引く。
 さわさわ……ぱっ
 さわさわ……ぱっ
 ルゥが尻尾に手を触れた瞬間に、尻尾は逃げていく。
 ルゥはとてとてと床を駆けながら、ティナの尻尾を追いかけた。
 そしてある瞬間にティナの尻尾をかぷっと噛む。
 ティナはルゥに向き直り、ルゥの体を甘噛みして、動物の親が子にしつけをする時のように「だめ」と教えた。
 再び尻尾の競争が始まる。
 ルゥはとてとてとてと走りすぎて、ごん、と近くの椅子に頭からぶつかった。
「あ……」
 千獣が手を出そうとする。
 その前にティナが、ルゥの頭をぺろぺろなめた。
 千獣が安心したように微笑む。
「空をへろへろ飛んでるところもかわいかったけどさ」
 ディーザが煙草をまた1本抜きながら笑った。「とてとて走ってるのも、なんかな、オツだね」
「ルゥは見世物じゃねえぞ」
 意外にも、食事に戻っていたユーアが言った。
「俺様の下僕だ!」
 ……もっと悪かった。
「ああ、どうせルゥならカレーのルーとかになってくれればいいのに……」
「ひ、ひどすぎるユーア殿……」
 アレスディアが頭を抱える。もちろんユーアに反省の色はない。
「そう言えばなんでルゥってんだ?」
 トゥルースが耳の傷に布を当てながらクルスの方を向く。
「ん? 鳴き声が『るぅ』だから」
「あん? こいつ鳴くのか?」
「ごく稀にね」
「はーん……にしても、芸がねえ名づけ方だな」
「まあまあ……かわいいからいいのではないかな」
 アレスディアがようやく復活して、「ところでクルス殿」と話題を変えた。
「ルゥ殿と遊ぶなら、屋内もいいのだが、屋外はどうだろうか? ここはグラスや酒瓶など、壊れ物も多い」
 今さっきも椅子にぶつかったことだし――と夕方になってだんだん人の増え始めた黒山羊亭を見て、
「エスメラルダ殿に迷惑がかかるのもあるが、それでルゥ殿が怪我をする恐れもある。屋外で遊ぶのはどうだろうか」
「そう、拙者もそう思っていたのでござるよ」
 ずっとルゥの動きを和やかな目で見ていた幻路が言った。
「ルゥ殿のお相手をするにやぶさかではござらぬが、一つクルス殿にお聞きしたい。クルス殿の森には、鳥類はいるのでござるかな?」
 クルスは即答した。
「いないね。あえて言えば、千獣が空を飛べるくらいだ」
 それがどうかしたかい? とクルスが首をかしげると、
「いや、鳥類がおらぬとなれば、浄天丸も共に遊ばせてみようかと」
「浄天丸?」
 幻路は聖獣装具を取り出した。黒曜石製の宝珠だ。
「そうでござるなぁ、あまりおっかない鳥にしてはルゥ殿が怖がっても困る」
 烏辺りが無難でござるかな、とつぶやいた幻路は、ぬんっと宝珠を前にして念じた。
 宝珠はすう――……っと烏へと変化した。
「そこいらの鳥では無理でも、浄天丸となら遊べるでござる」
 浄天丸、ルゥ殿と仲良くするでござるぞ――と幻路が浄天丸を放つ。
 浄天丸はすうっとルゥのところまで飛んでいった。ルゥが対抗して翼を開く。だが浄天丸ほど高くは飛べない。
 開いたルゥの翼を、ティナがぺろぺろとなめた。元気づけるようなしぐさだった。
 ルゥは頑張って、もう一段高く飛んだ。
「無理……しなくて、いいん、だよ……」
 千獣がルゥを撫でる。千獣になついているルゥは、千獣にすりよった。
 元々ルゥは千獣が卵を温めて孵化させたので、母親は千獣なのだ。
「待て待て待て。あまーい」
 またもやユーアが――大量の料理を追加注文しながら――「成長させるには、一段一段強引にでも上に行かせることさ」
「まあ、真理ではあらぁな」
 トゥルースも今回ばかりはユーアの言葉を否定しなかったが……ユーアが言うだけで妙な圧迫感があるのはなぜだろう?
「鳥と一緒に遊ぶか……」
 アレスディアがルゥを撫でながら、
「遊ぶと言うか……うむ、市場や公園に連れて行ってあげるのも、良いかなと」
「ルゥ殿は、森以外の世界は初めてでござるかな?」
 幻路がクルスを見る。
 うなずきが返ってくると、
「ならば、アレスディア殿の言う通り、街中もいかがでござろうか」
「クルス殿の森の静謐な空気も良いが、雑然としていても活気のある空気も、良かろう」
「うむ、よい刺激になりそうでござる」
 どうだろう? と見つめる先はクルスと千獣だ。
 クルスは微笑んで、
「ありがたいよ」
 と答えた。
「外、行くなら、ティナ、も!」
 ティナは尻尾をふりふり宣言した。
「じゃあ私もかわいいルゥちゃんを見るためについていってみるかな」
 ディーザが立ち上がる。
「私もだ」
 アレスディアが「今回は心安らかにいられそうだ……」とつぶやきながら歩き出す。
「拙者も当然ついて行かせていただこう」
「俺は知らねえぞ」
「お前はついてこんでいい」
 トゥルースはユーアに呆れた声で言い、「俺はついていくかな」
 とエスメラルダに向かって、
「今からちぃと外に行ってくるが、戻ってくるから金はちょっとツケといてくれ」
「分かったわ」
 エスメラルダは、烏とミニドラゴンを先頭に、妙な集団がぞろぞろ外に出て行くのを、くすくすと笑いながら見送った。

          ○○○○○○○○○○

 天使の広場を、すいすいと飛ぶ浄天丸を追いかけてルゥが必死に飛ぶ。
 夕方のこの時間、夕飯を求めて帰宅し、公園の人も減っている。
「……生後一ヶ月となればあまり乱暴な遊びはできぬが、鬼ごっこや缶蹴りなどはこちらがある程度力加減をすればできるだろうか?」
 アレスディアが考える。
「鬼、ごっこ、浄天丸と、ティナで、やれる!」
 ティナが四つ足のまま声を上げる。
「そうだなあ。あんまり追いかける対象が多いとルゥも困るだろな」
 トゥルースが葉巻をふかしながら、すでに追いかけっこをしている状態の浄天丸とルゥを目で追う。
「最近暑い故無理はせず、休むときは日陰で、水分補給はしっかりすること」
 アレスディアはティナに言った。
 ティナはうなずいた。それからルゥに尻尾を向けてふりふりし、
「ルゥ! こっち、おいでっ?」
 ルゥは浄天丸から視線をはずした。翼をばさばさはばたかせ、ティナの尻尾にじゃれつこうとする。
 ティナは軽く走った。尻尾がルゥの目前から離れてしまう。ルゥがばさばさと必死に翼をはばたかせる。尻尾に届く。尻尾はひらっと上に行ってしまう。
 そこにすかさず浄天丸がルゥの目の前を横切った。
 ルゥはティナの尻尾と浄天丸の両方に首を何度も何度も向け、やがて地面に落ちてぺたっと腹ばいになった。
「……機嫌をそこねたらしい」
 クルスがしゃがんでぽんぽんと頭を叩く。ルゥはますますへた〜っと、溶けるような動きでつぶれる。
 ティナが慌ててルゥの体をぺろぺろ舐める。だが、ルゥは起き上がらない。ぷいっとそっぽを向く。
「あっは、しぐさはかわいいんだけど困ったねえ」
 ディーザが苦笑しながら前髪をかきあげる。
「……千獣、頼む」
 クルスが諦めた様子で言った。
 千獣が軽くうなずいて、地面からルゥを引きはがした。
 そして腕に抱き、ぽん、ぽんと柔らかくその背中を叩く。
 ゆらゆら。母親の腕に揺られて、ルゥもようやく体の力を抜いたようだ。
 突然ぽーんと千獣の腕から飛びあがり、翼を広げて浄天丸に追突した。
 浄天丸が驚いたようにすいっと高く上空へ上がる。ルゥは必死に上へ飛ぼうとする。
 だが、今のルゥにはまだまだ無理なようだ。
 くるんと方向転換すると、油断していたティナの尻尾にかぷりと噛み付いた。
 ティナはびくっと体を硬直させてから、
「だめっ」
 ルゥの小さな尻尾を甘噛みした。
 ルゥは初めて――

 るぅ

 と鳴いた。
「わっお」
 ディーザが声を上げる。「今ちっちゃかったけど」
「かわいいじゃねえか」
 トゥルースががははと笑った。
 ルゥはそれから、ティナとも浄天丸とも離れ、違うところへ飛んでいってしまう。
「あ……」
「やはり。街にはルゥ殿の興味をそそるものも多かろう」
 幻路が、肩に戻ってきた浄天丸に、
「浄天丸、ルゥ殿が迷子にならぬよう、きちんとルゥ殿についているでござるぞ」
 と言いつけた。
 浄天丸は、承知とばかりに再びはばたき、すいーっとルゥの後ろを追う。
 ルゥはべしっと近くの民家の壁に追突した。地面に落ち、ころんと仰向けになってしまう。
 ころん。ころん。意味もなくルゥの体が右へ左へ揺れて。
 ぱたぱたと翼が、背中と地面の間で暴れる。
 千獣が慌てて走った。
「おやおや、ひょっとしてルゥちゃん自分じゃ起き上がれない?」
 ディーザがクルスを見ると、クルスは苦笑を返した。
「き、危険だな……目を離すことができぬ」
 アレスディアが困ったように眉根を寄せる。
 千獣によってようやく起き上がったルゥは、再び飛びあがり、まっすぐばたばたと飛ぶ。
 そして、
「あ――こら、ルゥ! そこはよしなさい!」
 クルスの呼びかけもむなしく、ルゥは広場の中心にある噴水の像に追突した。
 ばっしゃんと呆気なく水の中へ落下するミニドラゴン。
 千獣が再び救助に向かう。
「さっきから追突ばかりしているのが気になるのだが……」
 アレスディアがつぶやいた。
「目が悪いんじゃねえのか?」
 トゥルースが眉をしかめる。
 クルスが、「いや……」と腕を組んで、
「そんなはずはないけど……。森でもよく木に自ら何度も追突してるから、ぶつかるのが癖なんじゃないかな……」
「なんちゅー癖だ」
「おかげで森の中では千獣がつきっきりだ」
 クルスは苦笑した。
「………」
 トゥルースはふと、葉巻を地面に捨て、ぐりっと足で踏みにじると、
 がっとクルスの首に腕をかけた。
「クルス、ちょっと言っておきてぇことがある」
 低い声で、トゥルースはつぶやくように言う。
「ん?」
 クルスがトゥルースの体重を何とか受け流そうとしながら耳を傾ける。
「あの本の件で、情けねぇを連発してすまなかった」
「あの本……ああ、前回の」
「誰にだって得手不得手はあらぁな。お前さんはお前さんの得意分野でしっかりやんな」
 そう言って、トゥルースはクルスの首を解放し、とんとクルスの肩を叩いた。
「まぁ、女の背を借りるのはどうよって気もしないではないが……最後のお姫様抱っこが様んなってたからそれでチャラだ」
 トゥルースは葉巻を再度取り出し、くわえると、にやりと笑った。
「次は夢じゃなくて現実で期待してるぜ」
 クルスは苦笑した。
「現実ね……。彼女に“結婚”の概念があるとは思えないけどね」
 見つめる先。噴水からミニドラゴンを救い上げた黒髪の少女。
 ティナが千獣に近づいていき、
「海、連れて、行く。森じゃ、ないところ、いっぱい、行く」
「………」
 千獣はじっとティナの目を見る。
 それから――ティナの背中に、ルゥを乗せた。
「きゃは! ルゥ、ルゥ!」
 ルゥはティナの背中でとてとて歩く。さらにティナの頭の上にまでのぼって『お座り』をした。
「お、ティナ。似合うぜ」
 トゥルースがちゃかす。
 ティナはその状態のまま駆け出した。
「ティナ殿!? どこへ――」
「ボール! 黒山羊、亭、探して、くる!」
「浄天丸!」
 念のためとばかりに幻路が烏を呼ぶ。浄天丸はティナの後を追っていった。
「せっかくだから私たちも海までついてっちゃおうか」
 ディーザはくわえ煙草でにこにこしながら言った。「あの子しぐさもかわいいしさあ」
「そうだなあ。あんまりしょっちゅう外に出すつもりもねえんだろ?」
「見世物にするのも嫌だからね」
「じゃあ今のうちにたくさん遊んでおくでござるよ」
「ああ……和めそうだ……」
 アレスディアは幸福そうにまだ言っていた。
 しかし、ティナたちが戻ってきた時に――メンバーは全員揃ってぎょっとすることとなる。
「ボール。持ってきてやったぜ」
 と人差し指の上でボールをくるくると器用に回しているのは――
「ゆ、ユーア……なななんで来やがった?」
「あーん? ルゥのやつが生意気にも俺に衝突してきたから、しつけし直しだと思ってよ」
「ルゥ……少しは学習能力を身につけよう……」
 クルスが近くの木に手を当てて、がくっと肩を落とした。
「海行くんだってな?」
 ユーアはにやりと笑った。「そこでボール使って、たっぷり芸をしこんでやるぜ!」
「ティナ、遊びたいだけ! ルゥ、いじめないで!」
「いじめるんじゃねえ。よりいい子にするんだ」
 絶対嘘だ。
「も、元々行くつもりだったけど、絶対海までついていかないと――」
 アレスディアが冷や汗をかきつつ何とか笑顔を作る。
「さあ行くぜすぐ行くぜ!」
 ユーアは拳を天に突き上げて歩き出した。
 ルゥが千獣の腕の中に逃げる。ユーアはくるんと振り向いて、
「服従!」
 ……ルゥは地面まで落ちて、へたっと腹ばいになった。
「本当にしつけられてしまったのだな……」
 アレスディアが痛ましそうな顔で、ルゥを見つめたのだった……

 海でもユーアの厳しい指導が飛び、ルゥが激しくばたばたと翼を暴れさせて色々と……色々とあったが。
 はは、はははとアレスディアやトゥルースあたりが愛想笑いをして、
「ゆ、ユーア殿。そろそろ家に帰られた方が安全だ――」
「何言ってんだ。俺は旅人だぞ、宿に帰るだけだしそこらの賊より俺の方が強ぇ」
「それは確かなんだがな。ユーア、そろそろ腹減ってきただろ?」
「さっきたっぷり食ってきた」
「お前さんの食欲は底なしだろうが」
「金が底をついたんだよ」
「ぐ……っ。お、俺がおごるからよ。もっと食ってこいや」
「まじでか!」
 ユーアはようやく金色の瞳を輝かせた。トゥルースはいかつい顔に似合わぬ愛想笑いで「任せろ」とか胸を張る。
「わ、私もおごるから……」
 アレスディアも自己犠牲の精神を発揮し、
「私はおごりたいけど、あいにくお金がないんだよねえ……」
「拙者もまだまだ稼げてはいないでござるよ」
「せ、千獣。キミなら多分お金は余ってるだろう? ユーアにあげてくれないかな……ルゥのために」
「………? いい、よ……」
 ディーザや幻路やクルスや千獣がこそこそっと話し合った。
「よーっしゃ! おごってくれんならたっぷり食ってくるぜ!」
 ユーアは心底嬉しそうに、飛ぶようにして黒山羊亭に帰っていく。
 誰ともなく、心の底から安堵したようなため息をついた。
 この1時間の間に、ルゥはオットセイのような芸をしこまれていた。鼻の上にボールを乗せたり、ボールの上に乗ってバランス取りをしたり……
 仰向けになり、腹にボールを乗せて「ストップ!」と言われた時には困ったものだ。
 疲れ果てて砂浜にべたあっとなっているルゥに、ティナが海水を口に含んではルゥに口移しをして飲ませた。普通の水はあいにく近くにないので仕方がない。ルゥはドラゴンだから、多分海水でも大丈夫だろう。
 千獣が砂浜に座り込み、膝にルゥを乗せて頭を撫でる。ティナがルゥの背中を舐めたり、海水を口移ししたりする。
 陽も暮れてきて、「遊ぶのもここまでか」と皆が諦め始めた頃、

 るぅ

 一声鳴いて、ルゥが起き上がった。
 そして、元気に千獣の膝から降りた。
 ばさっ
 翼が開き、
 ばさばさっ
 再び、空中へと飛ぶ――
「ルゥ!」
 ティナが嬉しそうな声を上げた。
「ルゥ、ついてくる!」
 ティナは尻尾でルゥの気を引きながら、海に入った。
「ん……ルゥは泳げるかな?」
 クルスが首をかしげる。
 しかし心配は無用だった。ルゥはじゃぶじゃぶと海水に体を浸していき、ティナを追いかけた。
 ティナはルゥの小さな手を持ってくるくると海の中で踊るように回る。
 さらに砂浜に上がってからはボール遊び。
「ルゥ! ボールで、遊ぶ! 鼻でつつく。ほらっ」
 ティナがぽんっと前脚でボールを転がすと、ルゥはボールに鼻っ面をぶつけ、ボールをつつき返してきた。
 ティナがボールを再度転がす。ルゥはそれにぶつかって転がす。時折ティナの尻尾が振られ、ルゥがその尻尾につられて飛ぶ。
 その上空を、浄天丸がゆったり旋回して飛んでいる。
 子犬がじゃれあうようなそのさまは、夕焼けをバックにしてとても絵になった。
 見に来た他のメンバーは、まぶしい夕陽を目を細めて見つめながら、ずっとミニドラゴンが楽しそうに遊んでいるのを見ていた……

          ○○○○○○○○○○

「色々とありがとう」
 すっかり夜も更け、クルスはルゥと遊んでくれた人々に頭を下げる。
「礼金がなくてすまない。……というか、逆に出費させてごめん」
 カウンター近くでは、大量の空になった皿がつみあがったテーブルでユーアが満足そうに寝ている。
「まあ、俺もどうせ飲みと吸いにしか使わねえしよ」
「私も食事くらいにしか使わぬから大丈夫だ」
「払わなくて申し訳ないね。でもまあ、ルゥちゃんかわいかったから礼金もいらないよ」
「ディーザ殿に同じく。浄天丸が少しでも役に立ったならばよいのだが」
「ティナ、役に、立った?」
「もちろんだよティナ」
 クルスはルゥを抱いている千獣に言い、珍しく二足で立ち上がったティナに、ルゥの顔を近づけさせた。

 るぅ

 とミニドラゴンは鳴いた。
 ティナは嬉しそうに、
「ルゥ、またね」
 とその頭を撫でる。
 こうして、精霊の森に帰ることになったクルスと千獣とルゥは、黒山羊亭の常連たちと別れを告げる。
 ――森への帰り道、疲れたのかいつもより早く寝てしまったルゥを見下ろしながら、千獣がつぶやいた。
「ね、え、クルス……」
「ん?」
「……ルゥ、ほんと、に、大き、く、なら、な、い……?」
「ああ、もう1周りくらいは大きくなると思うけど、ミニドラゴンの種族だからね、それが限界だろう」
「……森、で、ずっと、暮らせ、る……?」
「ルゥがそれを望めば」
「………」
 千獣は視線をそっと横に向けて、
「……ルゥ、の、お母、さん……どう、した、の、かな……」
「―――」
 クルスは視線をそらした。
 彼は、ルゥの卵を見つけた際に、銃声を聞いている。
 千獣には、おそらくそれは聞こえていなかったのだろう。
「お母、さん、いたら……いつか、探しに、行っちゃう、かな」
「―――」
 それはないだろうとクルスは思った。
 ルゥはドラゴンだが、おそらく鳥と一緒で――生まれた時に初めて見た存在を『母親』と認識している。
 その証拠に、クルスへのなつき度と千獣へのなつき度は、天と地ほどの差があるのだ。
 だが……それはあえて、言わない。
 言ったところで、千獣は喜ばないだろうから。
 ――気まずい空気が流れた。
「………」
 千獣は足を止めた。
「………?」
 クルスも足を止めると、少女は腕の中で眠るドラゴンを優しく撫でて、それから星の光る大空を見た。
「まだ……ルゥの、翼は、強く、は、ばたく、ことが……できない、けど……いつか、一緒に……高く、空、飛べる、よう、に……なる、かな……?」
 クルスは――
 ようやく、心から微笑んだ。
「ああ」
 千獣が、嬉しそうに顔をほころばせる。花のような笑み……
 それはきっと『母親の笑み』に違いないだろうと、クルスは思った。

 母親の腕に揺られて。
 小さな赤子が、母の鼓動を子守唄に、眠る――……


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2447/ティナ/女/16歳/無職】
【2542/ユーア/女/18歳(実年齢21歳)/旅人】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3255/トゥルース・トゥース/男/38歳(実年齢999歳)/伝道師兼闇狩人】
【3482/ディーザ・カプリオーレ/女/20歳/銃士】
【3492/鬼眼・幻路/男/24歳/忍者】

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■         ライター通信          ■
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ディーザ・カプリオーレ様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回も依頼にご参加いただき、ありがとうございました!
今回はほとんど傍観の位置に立っていただきましたが、少しでもルゥがかわいく見えていたらありがたいです;
前回の本の話もからめて下さって嬉しかったです。
よろしければまたお会いできますよう……