<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


『心の館』

 そこは『心の館』と呼ばれていた。
 いつの間にそこにあったのか。
 いつの間にそこに人が入るようになっていったのか。
 誰も、知らない。
 ただひとつ――

「心が惑うと、館に食い殺されるよ――」

 館の前に立っている少年が、無表情にそうとだけ告げる。
 人々は、それでもふらふらと吸い込まれるように、館へと足を踏み入れる。

     ++ +++ ++

「助けてくれ!」
 白山羊亭に飛び込んでくる人々が、最近増えてきた。
「俺の子供が」
「私の夫が」
「僕のお兄ちゃんが」
「妹が」
 館に入ったまま、何ヶ月も出てこない――
「助けてくれ、家族を館から連れ出してくれ!!!」
 ルディアは情報をまとめた。
 1:館に入った人間に共通点はない。
 2:無事に出てきた人間もいる。
 3:館には誰でも入れるらしい(面白がって足を踏み入れ、すぐに出てきた人間もいるため)
 4:時折館の中から悲鳴が聞こえる。

「帰ってこない……本当に館に食われちまったのか……!?」

 相談に来る人々は頭を抱えて、泣きそうな声をあげていた。
 ルディアはすぐさま探した。館に挑戦してくれそうな冒険者を――

     ++ +++ ++     ++ +++ ++

 たくさんの冒険者が「何だ何だ」と集まってきてくれた。

 千獣【せんじゅ】。
 トゥルース・トゥース。
 鬼眼幻路【おにめ・げんじ】。
 ディーザ・カプリオーレ。
 ティナ。
 ユーア。
 アレスディア・ヴォルフリート。
 ゾロ・アー。

「面妖な屋敷でござるな」
 幻路がふむ、とうなるようにあごに手を当てる。
「……まぁ、なんだ、昔っから家にはやばいもんが憑いたりするもんだが、その類かね」
 話を聞いて、葉巻の端をかじりながらトゥルースががりがりと頭をかいた。
「人を食べる家?」
 ディーザもくわえ煙草で、「まるでホラー映画だね」
 嫌そうに顔をしかめる。
「でも、それが現実にあるなら、放置するわけにもね……私も行こっか」
「ティナも、行く!」
 人狐のティナが、たどたどしい言葉づかいで強く宣言する。
「私、も……」
 千獣が白山羊亭の椅子から腰を上げ、
「人を喰う館……せっかくの忠告に関わらず、面白半分で入るなどと感心せぬが……」
 うなったアレスディアが、「今は、そのようなことを言っている場合ではない」と急ぎの救出を周りの冒険者に進言した。
「俺も行きますよ……人間探索なら、得意分野ですので」
 白山羊亭にいた、外見は10歳ほどの少年のゾロが立ち上がる。
 そしてそのメンバーで早速館へ向かおうと身を翻すと、
「待てこら」
 たった今大量の食事を食べ終わったところのユーアが立ち上がった。
「とりあえず、面白そうだから俺も行くぜ!」
 振り向いたトゥルースが、心底呆れた顔で、
「……お前さんはことの重大さが分かってんのかね」
「あん? 要は館内にいる人間外に放りだしゃいいんだろ?」
「……まあ、間違ってはいないでござるな」
 幻路が虚空を見て言った。
「ほらみろ。うら、行くぜ!」
 ……結局ユーアが先頭を歩き出し、他の冒険者たちは半ばため息をついてその後ろを追うのだった。

     ++ +++ ++     ++ +++ ++

 その館は、扉がなかった。否、あることはあるのだがすでに入っていった者たちの手によるものか、ぼろぼろに崩れ去っている。

「心が惑うと、館に食い殺されるよ――」

 その声は、ただ静かだった。
 感情などかけらも感じられない。まるで人間の声ではないような。
「館の前の少年、か……」
 ルディアの情報にあった。アレスディアはその姿を目にしてぽつりとつぶやく。
「何であろう……このはかない気配は……」
「まる、で……今、に、も……消え、ちゃい、そう……」
 千獣が目を細めて少年を見る。
 少年は、上目遣いでずらりと並んだ冒険者たちを見つめる。
 目が鈍い銀色をしていた。

「心が惑うと、館に食い殺されるよ――」

「うるせえよ」
 ユーアがげしっと少年に蹴りを入れてから、ずかずかと館に入っていく。
「あ、ユーア殿……っ」
 アレスディアが慌てて後を追った。千獣も少年を気にしながら中に入っていく。
「俺も行きますよ」
 少年を一瞥するだけで終わらせたゾロは、すたすたと館の中に入っていった。
 後に続くように、ティナも入っていく。
「幻路、行こうぜ」
 トゥルースが同じいかつい男同士、促して館に足を踏み入れる。
「む。そうでござるな。急がないと……」
 幻路は大またで館に入った。

 ただ1人――
 ディーザだけが、残る。
 彼女は明るい金の前髪をかきあげ、煙草を口から離すと、
「回りくどいやりとりも何だから単刀直入に聞くけど、君は屋敷の敵? 味方?」
「………」
 少年は答えない。
 ディーザは構わず続けた。
「入ろうとする人に忠告してたよね? 興味本位で入る人たちを、止めようとしてるのかな?」
「………」
「私は、この館の敵」
 ディーザはきっぱり宣言する。
 少年は鈍い銀色の目の焦点を、はっきりとディーザに当てる。
 ディーザはまっすぐそれを受け止めて、
「入る人間の方が悪いと言えば、そうなんだけどね。仕事は仕事。この家、片すよ」
「………」
 少年は何も言わなかった。
 ディーザは目を細めて少年を見つめた後、
「……最終的にはキミとも話し合わなきゃいけない気がするね。でもまあ、とりあえず私も中に行く」
「………」
「どこまでも無言……か」
 ディーザは煙草をくわえ直した。
 そして、館に足を踏み入れた。
「心が惑うと、館に食い殺されるよ――」
 その声だけが、背中を追ってくる――


 館に入って入り口付近から、すでに頭を抱えてうずくまっている人々がたくさんいた。
「やれやれ、ここだけでもこれだけいるのかよ」
 トゥルースが困ったように葉巻を捨てて地面で踏みにじる。
 ひいいい、だの、いやだあああ、だの、泣き声に似た悲鳴が耳にざわざわと届いてくる。
 ユーアは先に地下へ行ってしまったようだ。
 ゾロは早速作業に入っていた。まず、破魔と転移と探査の魔法が使え、精神攻撃に対して耐性がある賢い鼠の魔法使いを二十体ほど作成。
 そしてそれらを連れて、歩き出した。
「俺は奥に行ってきます。探査の能力があるので大丈夫です」
 とゾロはトゥルースたちに言い置いていった。
「私も1階の奥に行こうと思ったのだが……ゾロ殿の様子を見ると、1階の奥は任せてもよろしそうだな」
 アレスディアが思案して、
「私は――うむ」
 吹き抜けになっている1階から上を見上げ、
「1階から順に上がっていこうと思う」
「そうか」
 トゥルースも上を見て少し眉をひそめ、
「千獣。お前さんは匂い探索で3階に行ってもらってもいいかね?」
 入り口付近でうめいている人々を、早速館の外に引っ張り出そうとしている少女に声をかける。
 千獣はトゥルースを見た。そして、うなずいた。
「うん……」
「悪ぃな」
「千獣殿はまだ若い女子。いっきに3階まで1人でいかせるのはいかがなものであろう?」
 幻路が難色を示す。
 1階から順に上へ行くアレスディアの姿は、入り口付近から見えるだろうが、3階となると……
「じゃあ私が千獣についていくよ」
 後ろから声がかかった。
 見れば、最後に館に入ってきたディーザだった。
「ディーザ。お前……」
「なに?」
「………。館の前にいたあのガキ。あいつは、なにもんだ……?」
「同じく。何者なのでござろう」
 ディーザはぽりぽりと前髪あたりをかいて、
「……さあ。私も知らないね」
「――そうか」
 トゥルースは大きく肩を回した。
「それじゃ、千獣と一緒に3階を頼むぜ。俺と幻路とティナはとりあえずこの辺を片す」
「ユーアは?」
「とっくにいっちまったよ。……宝物庫探しに」
「………」
 ディーザは『もう何も言うまい』という諦観の表情をしてから、
「千獣。行こうか」
 と翼持つ少女を促した。


 ゾロが奥へ奥へ進んでいくと、探査するまでもなく廊下のそこかしこにうめき声をあげる人々が転がっていた。
 頭を抱える者、自分の体を抱く者。ひたすらばたばた暴れる者。
「哀れな姿ですね」
 ゾロは1人1人の心を読む。
 ――人々のトラウマ。それを読む。
 子供の頃、親に植え付けられたトラウマ。
 親ではなく学校でつけられたトラウマ。
 大人になってからも、社会でつけられたトラウマ。
 人間関係でつけられたトラウマ。
「……人とは……弱いものだ……」
 ゾロは静かにつぶやき、トラウマを自分で克服できそうな者は静観した。
 例えば自分の作品を批判された作家。
(負けるもんか、負けるもんか、僕にはこれしか道はないんだ――)
「……これしか道がない、とは、賛成できませんが……そう思っている方が、強いのも確かですか……」
 やがて、その作家志望の青年は、うっすらと目を開けた。
 ゾロはほんの少し微笑み、その青年を、
「よくやったじゃないですか」
 と褒めてから、テレポーテーションの技で彼を館の外へと飛ばした。
 ルディアの情報では、別に克服してない状態で館の外に引きずりだすだけでもいいようだったが、どうせなら克服させておいた方がいい。
 そう考えながら、ゾロは鼠魔法使いによる探査で次の人々を捜す。
 簡単にトラウマを克服できそうにない者には、魔法使いを護衛につけてそのまま次の捜索に当たった。
 ……ふと、脳裏に干渉があった。ぐにゃ、と頭がつぶれるような感覚――
「……館からの干渉ですか」

『お前の心……喰う……お前の心の弱い所……喰わせろ……』

「馬鹿馬鹿しい」
 ゾロは冷たい目で天井を見上げる。そこに本体がいるわけではないのだが。
「一生引きずっていかなければいけないような問題をすぐに克服するのは無理です。答えが出るまで生活に支障が出ないように何かで気を紛らわしながら生きるしかありません」
 人は。
「精神科医が処方してくれるような薬はその助けです……」
 とても弱い生き物だから。
「この世にそんな問題をすぐさま忘れられる、克服できる人間なんていません。皆自分を騙し騙し生きているんです」
 例え館が、それを利用し増幅させようとしていても。
「だから克服しろ、忘れろとは言いません。長く生きて自分で答えを出すだけ……」
 さあ――
「俺から、弱みを引きずりだせますか?」
 挑発するようにゾロは緑の瞳を光らせた。
 ゾロに弱みがあるかどうか、そんなことは重要じゃない。
 問題はゾロが、その弱みを利用されるような器かどうかということだ。
『………』
 館は黙り込んだ。脳を揺らすような感覚はまだ続いていたけれど。
「さあ、邪魔をしないでくださいね」
 ゾロは歩き出した。
「……俺の最終目的はあなたの本体を見つけて撃破すること。それが嫌でつきまとうなら、お好きなように。……俺に勝てると思うならね」


 ユーアは宝物庫を見つけて、ほくほくと嬉しそうに宝石ひとつひとつを袋につめていた。
「はっは。こんな館だからお宝なんてないとちとアテにはしてなかったが、嬉しいハズレだな」
 ……彼女は知らない。そのお宝が、今まで館に喰われた人々の身につけていたものだということを。
 とは言え、知っていても平気で取っていくのがユーアという人物なのだが。
「しっかし、面倒くせえよな。この宝物庫に来るまでにも廊下に7人いたっけか? とりあえず窓から放り出しておいたけどよ、うめいてるのを聞いてるのはうるせえな」
 ぶつぶつ言いながら、お宝を入れた袋をかつぎ、彼女は立ち上がる。
「あー腹減った」
 次の目的地は決まった。
「飯置いてあんのかな……飯……」
 ふらふらと、彼女の足は台所へ向かう――


 ティナは入り口付近でうめいている人々の服を引っ張って、何とか外に出そうとした。
 ティナの力も、野生で生きているため鍛えられている。子供は何とかそれで館の外まで引きずり出せたのだが、大人となるとそうはいかない。
「何とか、みんな、起こす!」
 顔をぺろぺろ舐めてみたり、怪我をさせない程度に噛み付いてみたり。もしくは引っかいてみたり。
 それで正気を取り戻した人々もいた。おそらくまだ程度が軽かった人々だろう。
「早く外行きやがれ!」
 目を覚ました人々を、トゥルースが一喝する。
 それによって完全に覚醒した人々は、足をもつれさせながら外へと飛び出して行った。
「逃げることに抵抗しないということは……館に喰われそうになってしまわれたことの記憶があるのでござるな」
 幻路が逃げていく人々の後姿を見送りながらつぶやいた。
 それから周囲を見渡して、
「骨などはないでござる。……精神ごと喰われるから、消滅してしまうのでござろうか」
「多分な」
 トゥルースは近くのうめいていた青年の胸倉を持ち上げて、「起きろ!」と一喝し目を覚まさせると、館の外へ追い出した。そして、
「おい幻路。入り口付近もティナ1人でどうにかなりそうになってきたしよ、俺らは上階に行こうぜ」
「そうでござるな。見たところ、この階は吹き抜けでござるが……2階3階に部屋がたくさんあるでござるし」
 1階の奥にはゾロが行った。地下にはユーアが行った。
 2階の廊下ではアレスディアが奮闘している。
 3階には千獣とディーザが行ったはずだ。
「2階の部屋の中だな、まだ手が入ってねえのは……」
 トゥルースと幻路は目を軽く見交わす。
「ティナ、ここを頼むぜ!」
 ティナが強いまなざしを返してくるのを確かめて、大柄な男2人は階段を駆け上った。


「幻路殿! トゥルース殿!?」
 2階の廊下で、アレスディアが驚いたように顔を向けてきた。
「アレスディア、俺らは部屋をひとつひとつ回るからよ」
「アレスディア殿には、廊下の見張りをお願いしたいでござるよ」
 アレスディアは2人の考えを読み取り、
「うむ」
 とうなずいた。
 そこでトゥルースと幻路も別れる。違う部屋を、それぞれ奥から調べ始める。
「けっ。ここにも大量にいやがるぜ」
 トゥルースの呆れたような声がして、そして金髪の大男はその部屋に入っていく。
「こちらもでござる」
 幻路もさっと違う部屋へと入り込んだ。


 アレスディアは廊下をゆっくりと歩く。
 2階の廊下には、あまり人は転がっていなかった。皆、部屋に入ってから館につかまっているのだろうか。
 ……それとも……
 館に、喰われてしまった後、なのだろうか。
「……考えたくはないな……」
 と――
 急に、視界がぐらりと揺れた。
「な、に……?」
 目が回る。膝からがくっと力が抜けて、思わずルーンアームを杖代わりに床に突き刺し体を支える。
 どこからか、響いてきた声。

『お前の心……喰う……お前の心の弱い所……喰わせろ……』

 細めた目に、ヴィジョンが二重になって見えた。

 雨が……降っていた。
(ああ……これは……)
 焼け落ちた家屋……
 貫かれた、切り裂かれた、屍、屍、屍……

 アレスディアは目を閉じる。
「……館よ」
 低く、低くつぶやく。
「今更、貴様に思い出させてもらうまでもない」
 わざわざ干渉されずとも。
 忘れたことはない。
 忘れようもない。
「滅びた故郷……」
 雨が降っていた。
 焼け落ちた家々。誰も弔うことなどできなかった屍。人々の魂の抜け殻。
 雨を全身で浴びて、それを見つめていた。
「あの時の誓いも忘れていない」
 故郷の土の上に立って、そう、誓ったのだ。
「護るべきも護れずに生き長らえたこの命、捨てることも考えたが……」
 脳裏に二重になって揺れるヴィジョンを、あえて噛みしめるようにつかまえた。
「同じ命を捨てるなら、凶刃に対して矛も盾も持たぬ人々のために、捨てようと」
 そう、この館に囚われている人々のような。
 かっと目を開ける。
 ヴィジョンの中の自分が、腕を天に突き上げて。
 大声で叫んだ。
「決して、貴様の腹を満たすために生き長らえたのでは、ない!」
 ルーンアームを床から引き抜き、自分の足だけで立った。
 おおお、とどこからかうめき声が聞こえてきた。
「館よ。貴様に囚われている人々、返してもらうぞ……!」
 少し廊下を歩くと、1人の少女がしゃがみこんで泣いていた。
 アレスディアは胸を痛めて少女の傍らにしゃがみこむ。
「しっかり。気をしっかり持て……大丈夫だ、怖いものからは私が護ってさしあげる……」
 自然と手が伸びていた。
 ルーンアームを持っていない方の腕で、少女をぐっと抱きしめて。
 そう、この腕は。
 弱い者を抱くために使うと決めた……
 少女の泣き声がだんだんやんでくる。
 微笑んだアレスディアは、次にはくっとまなざしを鋭くした。
(館の本当の核を探し、撃破せねば)
「……すまぬ」
 絶対不殺を唱えていた友人を思い出し、アレスディアは心苦しくつぶやいた。


 部屋に入ったトゥルースは、4人いる暴れる女たちを難しい顔で見下ろした。
「よく考えりゃ、弱みのない人間なんてそういねえだろうしな……」
 とりあえず女どもの気付けをしてやらねえと、そう思ってまず1人目の女性に手をかける。
 悲鳴が上がった。女性はトゥルースから逃げるように転がっていった。
「………。まさか俺が怖かったとかいうなよな」
 ついでに。
「………。まさか俺が夢の中で怪物に見えているとかいうなよな」
 ぶつぶつぶつぶつ。つぶやきながら再度挑戦。
 別にトゥルースのせいで逃げたわけではなさそうだった。今度はあっさりつかまり、
「起きろ、おら!」
 と、女性でも構わず少々乱暴に揺さぶってやる。
 女性はふるふると首を振り、なかなか夢の中から帰ってこない。
「………!?」
 トゥルースは唖然とした。
 今まさに、つかまえている女性の体が、だんだん薄くなっていく。
「待て! 行くな! こんなところで負けるんじゃねえ……!」
 あせって揺さぶり続ける。と――
 不意に、目の前が歪んだ。
「あ……ん!?」
 ぱちぱちと目をしばたくと、ますます視界はひどくなった。二重に――

『お前の心……喰う……お前の心の弱い所……喰わせろ……』

 トゥルースの視界の向こう、
 もう1人のトゥルース。
 誰かの頭に手をかけている。2人の人物が視界の向こうのトゥルースの前にいて。
(あれは……)
 トゥルースの目の前に、2人の存在が浮かぶ。
 恨めしそうに、トゥルースをにらむ。
「………」
 トゥルースは目をそらさなかった。
「……ああ、お前さんらを殺したことは……俺の最大の弱点、だったのかもな」
 ふん、とトゥルースは唇の端をつりあげた。
 そして、誰に語りかけるでもなく口を開く。
「弱み? そんなもん、山ほどあるぜ。聞いてるか? おい、館よ――」

『お前の心……喰う……お前の心の弱い所……喰わせろ……』

「てめえは喰うだけで、見ちゃいねえんだろうなあ」
 トゥルースは視界に浮かぶ2人の人物を見上げる。
 トゥルースという存在。彼はダンピール。闇の者の血を引く者。不死と紛うばかりの再生能力を有する者。
 だが。
「……俺はなぁ、純粋に闇の血族じゃねぇんだ」
 視界に浮かぶ2人は、相変わらずトゥルースを憎々しげに見下ろしている。
 それに返すトゥルースの視線は……柔らかかった。
「……半分、人間の血が混じってる。父親がいわゆる不死者で、母親が人間……」
 そう目の前にいるのは。
 懐かしい……2人。
「俺はその両方を殺した」
 視界に映る2人は、本物の彼らの魂だろうか?
 彼らは今、こんな顔で自分を見るのだろうか?
 トゥルースは、「それも仕方ねえな」と穏やかな声でつぶやいた。
「その事実から目を背けるために、めったやたら闇の者を滅したときもあったが……何をどうしたって、過去は変わらねぇ。だからよ、逃げ回るのはやめた」
 視線を下ろす。
 ぼやけた視界に、今にも消えそうな女性の姿がある。現実の。
 現実ではない懐かしい2人よりもっと重大な、現実に消えそうな1人の。
「過去がどんな形で今に現れても、正面から向かうだけだ。なあ、嬢ちゃんも、そう思えないか――?」
 女性の震えが、かすかにおさまる。
「こんな家ごときによ、ああだこうだとつつかれて、どうにかなるなんて悔しくないか……?」

『お前の心……喰う……お前の心の弱い――』

「うるっせえんだよ手前ぇはよ!」
 男は吼える。
「俺はこいつらを救いにきたんだ、手前ぇの相手をしてる場合じゃねえんだよ!」
 館の声が消えた。
 視界から、ぱっと幻影が消える。
 つかんでいた女性の輪郭が、徐々にはっきりしてきた。
「おい、しっかりしろ!」
 トゥルースは揺さぶり、語りかけ続ける。
 弱さを知っている者ならば。
 弱っている人々に語りかけることはできる。
 やがて――
 女性は、はっきりと人間の体になり、そしてうっすらと目を開けた。
「よし、目が覚めたか?」
「え……」
「もう館に喰われたりしねえな。お前さんは勝ってきたんだ。そうだな?」
 女性の目がうるんだ。
 そしてこくりとうなずいた。
 トゥルースは他の3人も1人ずつ丁寧に声をかけていく。
「あの……あなたは1人で館にいらしたのですか?」
 気を取り直した女性が話しかけてくる。
「あ? いや一緒に依頼を受けた連中が館に散らばってるが」
「心配じゃ……」
 言われてトゥルースは「なーに」と女性に向かってにやりと笑った。
「大丈夫さ。手前ぇらで何とかする。友達は信じるもんだ」
「………」
「ところでよ。……お前さんらは、館の前にいたガキの正体を知らねえか?」
 女性は目をぱちくりさせてから、慌てて首を横に振った。
「そうか……」
 嫌な予感を抱えながらも、
「さあお前ら。一応護衛してやっから、館の外に出るぜ!」
 とトゥルースは、4人の女性を促した。


「目を覚まされたでござるか。さあ、急いで外へ」
 呼びかけに応えて目を覚ました青年を相手に、幻路は「館に心を喰われるところだったのでござるよ」と説明した。
「心を喰われる……」
 青年はぞっとしたように、自分の体を抱きしめる。
「な、なんか……思い出したくないこといっぱい思い出した……」
「この館は人々の弱みを思い起こさせるそうでござる。しかし目を覚まされたということは、おぬしはそれに勝ったということ」
「弱み……勝った……」
 青年は、幻路の顔をまじまじと見て、
「あんたは……弱みないのか」
「弱みでござるか? ないわけではござらぬ」
 だが心配には至らぬ、と幻路は笑みを見せた。
「さあ、急ぎ館の外へ! 下手をするともう一度館につかまるでござるぞ!」
「―――!」
 青年はふらっと立ち上がり、おぼつかない足取りで部屋を出て走り出した。
 ――青年が無事に1階に降り、扉から出て行ったのを見送り、幻路はため息をつく。
「これで……この部屋は終わったでござる」
 1人たたずみ、
「……館殿。1人また1人と奪われて、悔しいでござるか?」

『お前の心……喰う……お前の心の弱い所……喰わせろ……』

 さっきからずっと心に響いていた。館の声。
 幻路は目を閉じる。
 かつての自分が思い浮かぶ。忍であった頃の行い。――人から外れた行い。
「喰いたいでござるか、拙者の心も」
 かつての自分がからみついてくる。
 しかし、幻路の心は静かだった。

「拙者……耐え忍ぶのはやめた」

 刃の下に心といっても、人は弱い。
 弱いから、自身の人間性を手放したり、過剰なまでの忠誠心にすがる。

「それはもう、やめた」

 ――からみつく幻たちがひとつ、またひとつと消えていく。
 否、己が消していく。

「忍びではなく、柳となる……」

 流れに逆らわず、しかし流されるままに非ず。
 風に撓り、風をあしらい、風の中でその根は地に深く根付く。

「ゆえに、惑わされぬ」
 幻路は瞼を上げた。
 館の声はもう聞こえない。
「次の人々を探さねば」
 次の部屋に入ると、1人だけ少年がいた。
「うっう……お父さん、行かないでよう」
 少年は転がって、手を前に伸ばし泣いていた。
「この少年は幻覚でござるかな」
 館のやり方には色々あった。心に言葉を送り込むものや、心の中から思い出を引きずりだすもの。他に――幻覚。
 少年は父親に捨てられたのだろうか、それとも父親が亡くなったのだろうか。
「……幻覚ならば、拙者、上塗りするでござるよ」
 少年の傍らに膝をつき、いつもずっと閉じている左眼を開いた。
 邪眼が、そこにあった。
 人々に幻を塗りこむ邪眼が。
 だが――それも、使い方次第では、役に立つこともある。
 幻路は少年を左眼で見つめ、父親より今、少年を大切にしてくれている存在が彼を呼んでいる優しい幻で包んだ。
 少年の表情が和らいだ。
 幻路は優しく少年の体を揺さぶる。
「起きるでござるよ……そうすれば、怖いものは全部消えるでござるから」
 ふと仲間たちを思い出したが、
「……各々を信じるでござるよ」
 彼らの顔を思い出し、自然と笑みがこぼれた。
 誰もかれも、負けそうな心を持った者たちではなかったから。


 1階の扉の前に転がっていた人々をなんとか全員館の外へ連れ出したティナは、1階の奥や上の階からも次々と我に返った人々が扉から飛び出していくのを見てほっとしていた。
「人間、弱い。だけど、人間、強い」
 自分は半分人間ではないから、完全には気持ちは分からないのだけれど。
 と――

『お前の心……喰う……お前の心の弱い所……喰わせろ……』

「―――!」
 ティナの心がずくんずくんとうずきだした。
 ばっと周りの風景が変わった。
 目の前にいるのは――
 ああ、二度と見たくなかった顔――

 さあ、芸をしろ。
 ――いやだいやだなんで
 芸をしろ! そんなに鞭をくらいたいか!
 ――痛い痛いやめてお願い
 さあ、皆の前に出ろ。
 ――おなかがすいたお願い食事を
 お前がしっかり芸をしねえから食事をやらないんだ!
 ――いやだおねがい力が出ない
 そんなに言うなら鞭しかねえな
 ――ああ苦しい苦しいここはもういや
 さあ、あれと戦え!
 ――あんな大きな獣とは戦えないいや殺される

 痛みと苦しみと。すべてがリアルによみがえってきた。体の奥底にしまっていたものを掘り返されたような。
 ティナは悲鳴をあげて錯乱した。床を転がり、頭を抱えて、壁にぶつかり、床を引っかいて、
 もう何もかも壊したいような、

 ――負けないでティナ――

 優しい声が、ふいにティナの心に差し込んだ。
 ああ、この声は。この声は誰の声だっけ。
 思い出さなきゃ。思い出せばこの苦しみから救われる気がする。

 ――ティナ、いつもファードにありがとう――
 ――ティナ、あなたの優しさが好きですよ――

「ファー、ド。クルス」
 涙でくしゃくしゃになったティナの顔。それがふいに救いを求めるそれに変わった。
 そうだ、自分に優しくしてくれた人がちゃんといる。
 ここはあの見世物小屋じゃない。
 あんな人間ばかりじゃないと知った。
 放浪していた自分に食事をくれた、名も知らぬあの青年も。
 そうだ、忘れてはいけない。
 ――自分には苦しい記憶しかないわけじゃ、ない。

『お前の心……喰う……お前の心の弱い所……喰わせろ……』

「あげ、ない!」
 ティナはゆっくり起き上がった。
 しゃんと、背筋を伸ばし。
「負け、ない!」
 ティナの瞳が輝いた。
 そこには不屈の光がきらめいていた。


「この階はもう大丈夫そうだね」
 ディーザは新しい煙草をくわえながら、匂いで捜索に当たっていた千獣に言った。
「私としては、この屋敷の心臓というか核というか、そういうものがないか見つけたいんだけど」
「心、臓……?」
 千獣が不思議そうに見つめてくる。
「ほら、館がなくなっちゃえばおのずと中にいる人々は助かるじゃない?」
「………」
 千獣は虚空を見て思案した後、
「そう、だね……」
 こくりとうなずいた。
「千獣の匂い捜索では分からない? 何か怪しそうな匂いがするとか、気配がするとか」
「………」
 千獣は視線を揺らした後、
「……関係、ない、かも……知れ、ない、けど……」
「何でもいいよ、言ってみて」
「……入り、口、に、いた……男の、子……」
 ディーザはすぐに入り口で人々に忠告していた少年の顔を思い出す。
「あの子がなに!?」
 勢いこんで訊く。
 千獣が口を開こうとする。その瞬間――

『お前の心……喰う……お前の心の弱い所……喰わせろ……』

 その声は、ディーザにも聞こえた。
「館の声……!?」
 弱みをついて、心を喰うという、あの――
 だが、ディーザは余裕で煙草をふかす。
「私には効かないよ」
 弱み。大抵の人ならば持っているのかもしれないが。
「弱み、ねぇ……じーちゃんのことが弱みと言えば弱みなのかもしれないけど」
 ふう、と煙草の煙を吐き出す。
「過去は足枷じゃないって思ってるし、じーちゃんのことで私が情けないことしてたらむしろ怒られる」
 たはは、と懐かしい人物を思い出し、彼女は苦笑する。
 そして、
「他は……いい」
 依頼の必要経費地味に上乗せしたり、探索依頼で探索物をちょろまかしたり。そんな瑣末なことぐらいだから。
「だからどっかいっちまいなよ館。今にあんたの本体見つけ出してぶっ壊して――」
 言いかけたその時。
「ああああああ!」
 傍らから、耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。
 ディーザは振り向いた。
 そこで、千獣がもがきながら吼えていた。

 千獣の脳裏に、あの瞬間が何度も何度も繰り返されていた。
 かの青年に。
 大切な大切な青年に。
 他ならぬ自分自身が――
 鋭い爪を、振り下ろしてしまった、こと。
 何度も何度もその瞬間の映像が頭をめぐって、千獣の心は壊れかけていた。

 大切なものを傷つけられることへの怒りは、無益な殺生はやめろと絶対不殺主義の大男に言い聞かせられた今でも大きい。
 大きすぎた。
 そしてその怒りは今、自分自身に向けられている。
 大切な彼を傷つけたのは、自分だ。
 自分の内にいる獣たちを制御できなかった云々ではなく。
 あの時は、自分が心を乱して――そうして起こってしまった出来事だったから。

 何度も何度も自分は爪を振り下ろして、
 何度も何度も彼は血を流して、
「ああああああああ!」
 自分を八つ裂きにしたいほど狂おしかった。

 ディーザは千獣のただならぬ様子を、ただ見守る。
 ――ここで自分に負けるようなら、そもそもこの館に『他人を助けるために』なんて入ってくる権利さえない。
 そんな――
 情けない少女ではないと、ディーザは信じていたから。

『お前の心……喰う……お前の心の弱い所……喰わせろ……』

 繰り返される映像。
 その中に、彼の顔を見て。
「ああ……あ……」
 千獣は必死に思い起こす。大切な彼を傷つけたからこそ思い出す。
「……クルスは、弱い、から、なんて、言うなって……言った、けど……私が、強、ければ……傷、つける、ことは……なかった……」
 ばり、と床が自分の爪で傷ついた。
 はあ、はあと息が荒くなる。
「私は……弱い……でも……」
 彼の顔は鮮明に思い出せる。
 千獣は心の中から引きずりだす。自分に笑いかけてくれる彼を。
「手を、取って、くれた……二人で、がんばろうって、言って、くれた……」
 彼は千獣の前で手を差し伸べる。
 自分はその手を取ったから。
「……一人、じゃ、ない、から……二人、だから……」

『お前の心……喰う……お前の心の弱い所……喰わせろ……』

「だから……こんな、ところで、喰われは、しない……!」
 千獣は立ち上がった。立ち上がって吼えた。
「お前、の、心、臓……必ず、壊す!」

 館の声がかき消えた。
 はあ、はあと千獣が肩で息をしながらも両足でしっかりと立つ。
「……よく勝ったね」
 ディーザがにかっと笑って千獣の肩をぽんと叩いた。
「………」
 千獣は振り向いて、ほんの少し微笑んだ。
「信じ、て、くれ、て、ありが、とう……」
「そういや思ってたんだけど、千獣はどうしてこの依頼に参加したの?」
「………」
 千獣はちょっとだけ考えてから、
「……助け、求め、られた、から、かな……」
 それから千獣は、先ほど言いかけたことをディーザに言った。
 ディーザの表情が険しくなった。彼女はすぐさま近くの手すりから吹き抜けになっている下の階に向かって、
「みんな! 緊急、すぐに外へ出るんだ!」
 大声で叫んだ。
 その声は各階にいる冒険者たちに届き――


「……んあ?」
 1階の台所をあさっていたユーアは、口にもぐもぐパンを含んだまま、ディーザの声を聞いた。
「そほに、いへっへか?」
 理由は知らないがそうしなくてはいけないらしい。もっと食べてから行きたかったが仕方がない。ユーアはお宝の入った袋を手に立ち上がった。
 と――
「ん」
 ごくん、とパンを飲み込んだところで、ふと見た台所を横切る影。
「………」
 ユーアはぼんやりとその生物を見ていた。その生物は黒く、かさかさと動いた。かさかさかさかさと、ユーアの足元にまでからみつくように動いた。
 さあ――……っと、ユーアの血の気が引いていく。
 その、生き物、は――!
「………っあーーーーー!」
 滅多に出さない甲高い声を出し、ユーアは「こないで、こないでーーー!」と名前の頭にゴのつく生き物から逃げた。
 しかしその生物はユーアの視界から消えてくれない。台所から逃げ出すユーアを追うように、なぜか一緒に台所から出てくる。
「こーなーいーでー!」
 それはとてもあのユーアとは思えない動揺っぷりだった。
「あん? さっきから騒いでんのは誰だ?」
 ディーザの呼びかけに応えて下の階まで降りてきたついでに、叫び声の正体をのぞきにきたトゥルースは、ユーアが全力で走ってくるのを見て仰天した。
「げっユーア!? まさか今の声……お前か!?」
「ゴがくる、ゴがくる、助けて助けて助けてーーーー!」
 その後ろを、信じられない速さでかさかさかさかさと追いかけてくる小さな生物。
「何だありゃ、ゴキブ――」
「いやー! その名前を言わないで――!」
 やがて何だ何だと他のメンバーも集まってくる。
「む? ユーア殿……でござるか? 本当に?」
「ゆ、ユーア殿、お気を確かに」
「おや。彼女はこの生物が嫌いらしいですねえ」
「ティナ、怖くないよ?」
「……って、ユーア何をそこまで騒いで――」
「ゴキ、ブリ……?」
「いやああああああああ!」
 いつになく乙女なユーアは、ついには剣を抜いた。それに最大火力の炎をまとわせ、
「いなくなれ! いなくなれ! いなくなれ!」
 ゴキブリに向かって振り下ろす。
 館に火は――つかなかった。
「いなくなれえええええ!」
 振り回される剣を、他のメンバーは慌てて避ける。
 ユーアは錯乱状態だった。
「……これも館の仕業かまさか」
「ゴキブリがきっちり彼女を追っているところからして、そうでしょう」
 ゾロが言った。そして、
「要はゴキブリがいなくなればいいのですね」
 すいっと指先を振る。
 すると、ゴキブリの姿はふっと消えた。
「テレポーテーションで外に出しました。応急処置程度にはなるでしょう」
「いなくなれ、いなくなれ、いなくな……れ?」
 ユーアはふいに目の前に黒い生物がいなくなったのに気づき、剣を振り下ろしたままぽかんとした。
「大丈夫か、ユーア」
 トゥルースがぽんぽんとユーアの肩を叩く。
「……あれ、俺、何してたんだ?」
 ユーアは剣にまとわせていた炎を消した。
「覚えてないならその方がいい、ユーア殿……」
 アレスディアがしみじみつぶやく。
「しっかしあれだね」
 ディーザが呆れ顔で、「この館なら、ゴキブリ百匹とかで一気にユーアを襲って一発昇天とかさせそうだよね。その辺ちょっと優しい?」
「いやああああああ!」
 想像したのか、ユーアは盛大な悲鳴を上げて――
 そのまま失神した。

     ++ +++ ++     ++ +++ ++

 館の外に出ると、少年はやはり変わらず立っていた。
 ディーザが少年に向き直る。
「……千獣から聞いたよ。キミの匂いも気配も、館のそれと同じだって」
「おい、本当か!?」
 トゥルースが目を見開く。慌てて千獣を見ると、千獣はうなずいた。
「ティナ、にも、分かる! この子、館と同じ!」
 ティナが飛び跳ねた。
「これは……どういうことでござるかな」
 気絶したユーアを背負っている幻路が険しい顔をする。
「まさか……」
 アレスディアはルーンアームを、慎重に少年に向ける。
「我々の最終目的は、館の崩壊です」
 ゾロが冷静につぶやく。「確かに――あなたは怪しい」
「………」
 少年は――
 無言のまま、ぽつりぽつりと語りだした。
「家ってね……作る時に、必ずどこかを削ったり切ったりしなきゃいけないんだ……」
「……そりゃあそうだろうなあ」
 トゥルースがつぶやく。
 少年は続ける。
「……ねえ……そうしていらなくなった部分……どうなると思う……?」
「どういう意味か?」
 ルーンアームを向けるアレスディアが低く訊いた。
 少年は――初めて、笑った。
「残滓。家には残滓が必ずあるんだよ」
「……なるほど?」
 ディーザが煙草を携帯用灰皿に押し込んだ。少年を見下ろし、
「そしてその残滓が、キミってわけ?」
「残滓はね……本当はしょせん残滓なんだよ……」
 声は哀しげに響く。
「でもね……家には、必ず意思が必要なんだ……」
「家に……意思?」
「気づかないでしょう? でも……必ずあるんだよ……」
 少年は自分の胸に手を当てる。
「――その意思は――本当は、家自身に宿るべきであるもの」
 しかし――
「なぜか、この家の意思は、残滓に宿ってしまった」
「残滓。つまり、キミにか」
 ディーザはつぶやくように言う。
 少年は微笑んで、
「それでも、家には意思が必要。だからこの家の本体は人の心を欲しがった。人の心を食べだした」
「………」
「……この館を、消したい……?」
 冒険者たちの誰もが、表情を揺らさない。
「だったら……僕を殺して……塵も残らないほどに消し飛ばして……」
「………」
 冒険者たちは黙り込む。
「俺の力で――」
 と一歩前に出ようとしたゾロを、腕で制して、
「キミ、火力には強い?」
 ディーザが尋ねる。
 少年は首を横に振った。
「そう。じゃあ」
 ――私はこの館の敵――
 最初にそう宣言した女性が、背中の荷物からマシンガンを取り出す。
「弾に特殊弾を入れておく。着弾してから爆発、炎が起こるようにね」
「………」
 少年が微笑む。
 ディーザは他のメンバーに、大分後ろにいるように言うと、
「……ターゲット、ロック」
 全弾――発射。

 少年が土煙と炎の中で最期に浮かべた表情は、
 嬉しそうな、微笑み――……

     ++ +++ ++     ++ +++ ++

「最初から自分を潰せばいいって言えばいいんだがなあ」
 とトゥルースは言ったが、その表情は暗かった。
 ――分かっていたからだ、自分から言うことなど、とても難しいことだということを。
「あの子には意思があった……」
 ディーザは遠くを見る目で言った。
「だから、弱さがあった……殺してなんて、簡単に言えなかった……人間のように」
 今、彼らの目の前で。
 館が、その輪郭を薄れさせている。
 たくさんの人々の心を喰べてしまった館は今、消える。
「……失ったものは多い」
 アレスディアがぽつりとつぶやいた。
「我々もできるだけのことをやったでござるよ。これ以上は……仕方ないでござる」
 そして館は砂のように、風に吹かれて消えた。
 まだ館の外に出ていなかった人々が、地面に倒れ伏している。
「彼らは、自然に起きるのを待とうか」
「街、の、人、に……知らせ、る……」
 千獣が言うと、「その方がよいな」とアレスディアが同意した。
「ティナたち、役に立った?」
 ティナの素朴な疑問に、答えられる者はいない。
「ではもう我々も街に帰りましょう」
 ゾロが笑顔を見せて提案する。
「そうだね」
 ディーザが新しい煙草を1本抜いた。
「……う〜ん、う〜ん、ゴの大群が……襲って、くるう〜……」
「……ユーア殿の心の傷がまだ癒えていないようなのでござるが……」
 ユーアを背負う幻路が、耳元で聞こえるユーアのうめき声を聞いて他のメンバーに伝えると、
「ほっとけ」
 ……とたくさんの同意が得られた。

「さ、帰ろうかな!」
 そして彼らは街に向かって歩き出した。

 風に吹かれ、自由に生きる彼らを遮るものは何もない――……


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2447/ティナ/女/16歳/無職】
【2542/ユーア/女/18歳(実年齢21歳)/旅人】
【2598/ゾロ・アー/男/10歳(実年齢785歳)/生き物作りの神】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3255/トゥルース・トゥース/男/38歳(実年齢999歳)/伝道師兼闇狩人】
【3482/ディーザ・カプリオーレ/女/20歳/銃士】
【3492/鬼眼・幻路/男/24歳/忍者】

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■         ライター通信          ■
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ティナ様
こんにちは、笠城夢斗です。
今回も依頼でお会いできてとても嬉しいです。
ストーリー的に、ティナさんにはとても辛い思いをさせてしまいました。せめてそれがうまく表現できているといいのですが……最終的には立派に立ち上がってくださって嬉しかったです。
よろしければまたお会いできますよう……