<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


【闇への誘い】蝋人形館へ

「ほう……。闇の気配に来てみれば、いつの間にこんなものができたんだろうね」
 深い森を抜け、どのくらい歩いただろう。
 傾いた太陽が地平線の彼方へ沈み、月がその姿を現す頃。シズ・レイフォードはある小さな館の前に立っていた。扉を開けて入ってみると、手入れや掃除がされている様子で埃一つ落ちていない。綺麗なものだ。
「恐ろしく哀しいところだ。森の平穏の為にもどうにかしたいが、私一人では……少し厳しいな」

 人の悪意や哀しみが時を経て具現化し、館の形となって生者を招く。旅人や動物が一旦飲み込まれてしまえば、取り込まれ同化し、最悪の場合闇に溶けてしまうかもしれない。
 力の源となる核が館のどこかに隠されているはずだ。壊すなり封じるなりすれば、きっとこの陰気も晴れることだろう。
「……残念だが、一旦引き返すしかないようだ」
 不気味な静寂を破るように鴉が鳴く。
 単独では難しいと判断し、シズは助力を求め館を後にした。

 そして後日、街に蝋人形館探索の依頼が貼り出される。



「〜♪ 蝋人形館探索か、楽しそうじゃねーか。それに……」
 良く晴れたある日、リルドは街の酒場で依頼の張り紙を見つけ立ち止まる。館探索。依頼としては目新しいものではない。寧ろ良くあるタイプの依頼だろう。普段ならば通り過ぎてもおかしくないところだが、依頼人の欄にはリルドが知る人物が書かれている。共に歩いた時間とある男の顔を記憶の中から思い出し、唇の端を上げた。

「やぁ、リルド。君とまた会えて嬉しいよ。元気にしていたかい」
 それから数日後の事、依頼人であるシズとリルドは館の前で再会を果たした。
 館に関しての資料は前以て酒場で聞いてある。要は中に存在する「核」とやらを探して壊せばいいだけの話。容易いものだと思っていたが、いざ館を目の前にしてみると身体に纏わり付くような濃い瘴気に息が詰まりそうだ。奇妙に折れ曲がった木に一羽の鴉、最終警告のように高く鳴き、それから灰色の空に飛び立って行った。森に入った時は青々とした空が広がっていたのに、いつの間にかどんよりとした厚い雲に覆われ今にも雨が降り出しそうだ。
「まぁ、それなりにな。……今回も宝捜しってワケだ」
「良いじゃないか。宝探しとは男の浪漫だと思うのだよ。人生という長い旅、数々の苦難、それを乗り越えて得られる愛。大切なモノを探し求め続ける、即ち生きるとは……」
 独り言にしては少々長いシズの言葉を羽のように軽く聞き流し、リルドは館の扉に手を掛ける。引いて開こうとするが、がちゃがちゃと金属音がするばかりでどうにも開かない。
「シズ。鍵か何か……」
「……なのだよ。私が思うに恋と愛との違いとは……」
 振り返って依頼人に問うが、飽きもせず語りを続けている。普通に開く事を諦め、身体に青白い雷を纏わせた。小さな火花をそのままに掌の上で雷弾を作り出し、扉へと放つ。冒険者にとって判断力は生き残る為の大切な力であり、今のような事態には非常に役立つ。あのまま大人しく聞いていたら、時間がいくらあっても足りないだろう。
「おや、開いたかい。私では開けられなくてね。鍵穴も無いものだから困っていたんだ」
「……」
 溜息を一つ、リルドは呆れ顔で館の中に足を踏み入れた。
「核っていっても、一体どうやって探す?」
「ふむ…、核とは人の悲しみや怒りといった負の感情が集まってできたモノだ。私などよりも、実際に生きて呼吸をしている君の方が、強く感じ取れると思うのだよ」
 館を形作るモノ。リルドは深く息を吸い込み、吐き出す。
 目を閉じ、本当の暗闇の中で強い光を放つ何かを探し始める。
 見るのではなく、視る。数秒、いやそれ以上だろうか。禍々しい気配を感じ取る事ができた。だが、此処からどう行けば良いのかまでは分からなかった。
「……仕方ねぇな。片っ端から調べればその内当たるだろ」
 右を見てみると、ちょうど良く扉がある。くい、とシズに親指で示し、脆くなって崩れそうな扉を乱暴に蹴破る。
 館はどこも薄暗く視界が悪いが、リルドが纏う光は灯りの代わりとなって辺りを照らした。軋む床、割れた窓硝子。部屋の中央にあるテーブルには飲みかけの紅茶と焼き菓子があり、ついさっきまで誰かがいたような雰囲気さえある。なのに誰の姿もない。完全な廃墟と化した部屋に、日常の1シーンが存在する。そのギャップは一種滑稽であり、不気味でもある。
「まるで幽霊船のようだね。船員だけが突如として消えてしまったという、例の」
「……次」
 どうやら此処には核は無いらしい。部屋の端にある扉から、隣の部屋へ侵入する。
(こっちへいらっしゃい、可愛い人。とても楽しい遊びをしましょう)
(気持ちの良い音色に遠い水音、貴方ならきっと気に入ってくれるわ)
 時折子供の泣き声や、男の低い呻き声が聞こえるがそれもいつしか慣れてしまった。耳元で囁かれ直接的に吹き込まれるような声、気を抜けば引き込まれてしまいそうな甘い誘惑が入り混じり酷く不快だ。あと一歩、もう少し。堕ちてはいけない、けれど堕ちてみたい。そんなギリギリのスリルがどれ程の時間続いただろう。

「リルド、あの絵。美しいが何か…」
 何番目かの部屋でのこと。シズが言うのは壁に掛けられた肖像画だ。
 描かれているのは一人の女性。命令することに慣れた、貴族階級の女性だろう。意思の強そうな瞳と自信に満ちた微笑が印象的だ。リルドがじっと見つめると、……女性の瞳が瞬いた。そんな風に見えた。

「…って、シズ」
 何があるかも知らず、何が起こるかも知らず。何か言ったか、とリルドは振り返る。だが、未来を予測できないというのは、ある意味において幸福だといえるだろう。

 天井からぶら下がった女と目が合った。
 血走った目、乱れた黒髪、酷く嬉しそうに笑う女の顔。
 千切れ、そして欠け。顔が、歪んでいた。

「初めまして、そしてさようなら。――可愛い坊や」

 にやり、と笑う口から赤い液体が滴り落ち、細く白い腕がリルドを捉えようと伸びてくる。

 細く息を飲み込み、リルドは反射的に水の魔力を解放する。考えるより先に身体が動いた。血液が逆流するような熱く焼けるような感覚。何処か遠く、けれど近い所で竜の鳴き声を聞きながら、大きく膨れ上がった氷弾を叩きつける。
 青白い雷と重なり、それは鋭き刃となって女へと向かって行った。





「――リルド!」
 女は攻撃を受けも避けもせず、不気味な笑い声を残して砕け散ってしまった。大声でリルドを呼ぶシズの声、舞い上がる砂埃。
 硝子の割れるような音が響くと同時、がらがらと館そのものが崩れ出した。
「あぁ? 来るの遅いぜ。アレだろ、核って。さっき俺が壊し……」

 ぐらりぐらりと、リルドのすぐ頭上の天井が揺れている。組まれていた木材の一部が今まさに強大な攻撃力と質量を持って落ちようとしていた。
「……ッ」
 防壁を張るにはほんの僅かに時間が足りない。
 まともに身体に受ければただでは済まないだろう。けれど心のどこかで、映画の1シーンを鑑賞するような冷めた自分がいた。
(こういう最後ってのも、悪くねぇ。……だが、――)
 生きたいと強く願った、その想いは今もこの胸にある。
 間に合わないと悟りながら、咄嗟に頭部を両腕で庇う。致命傷はこれで避けられるだろうかと。
 
「……、……」
「……」
 ぱらぱらと、木の破片が床に落ちる。
 来るはずの衝撃がいつまでたっても訪れず、恐る恐るリルドは瞼を持ち上げた。見れば淡い光が自分のまわりを包み込み、呪術的な結界が張られているのに気付く。
「生きてるかい、リルド?……あぁ、良かった。後ろから援護しようと思ったんだが、止める間がなくてね」
 安堵らしい表情を浮かべ、息を吐き出しているシズがいた。どうやら彼の仕業らしい。酷く不本意だが礼を言うべきだろうか、否か。唇を開くも言葉は出ない。そうしている内に両腕を掴まれ、崩れ落ちる前にと館の出口まで半ば引き摺られるようにして脱出した。



「……、君はこれが宝探しだと言ったね」
 脱出したとほぼ同時、砂の城が崩れるようにして館は消えてしまった。女の不気味な顔を記憶から消そうと軽く頭を振り、シズの問いには小さく頷く。
「今回の件、宝にしては少々悪趣味ではあったが……、君は君の宝物とやらを探すといい。――私は見つけられなかった。だから、というわけではないのだがね」
 灰色の雲もどこへやら、爽やかな風が頬を撫でる。核によって集められていた瘴気は、館の崩壊と共に流れて消えてしまったらしい。
「ありがとう、リルド。助かったよ。ところで、報酬は私の笑顔でいいかな」
 いつも通り、何の変わりもなく浮かべられた笑みに小さく舌打ちをする。
「いいわけねぇだろうが。軽く死にかけたんだぞ」
「二度も?」
「……、……」
 女の腕に捕らえられていたら、今ここにはいなかったかもしれない。
 崩れる天井に押し潰されていたら、無事ではなかったに違いない。
「帰る。……ガキじゃねぇんだ。一人で行ける」
 短くそう言って立ち上がる。急げば夕刻までに街へ帰れるだろう。
「少しでも長く、君といたいだけさ。見送りもされてくれないのかい。なら隠密の術でも使って街までストーキング……」
「変態。……勝手にしろ。街まで、だからな」
 止めるのも時間と体力の無駄だと、リルドは歩き出す。
 その傍ら。酷く嬉しそうにしてシズもまた、歩き出した。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3544/リルド・ラーケン/男/19歳】
【NPC0746/シズ・レイフォード/男/32歳】

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■         ライター通信          ■
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ご参加ありがとうございました。館シナリオ、如何でしたでしょうか。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。