<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


人違いの証明

 ある日、左頬に傷のあるいかつい男が黒山羊亭を訪ねてきた。
「……おい」
「何かしら?」
 周囲を気にしながら声をかけてきたその男に、エスメラルダはカクテルを渡しながら応える。
 男はカクテルを断った。
 代わりに懐から、1枚の紙を取り出した。
「……これは俺が自分で書いた似顔絵なんだが」
「まあとてもお上手ね、って、あら……?」
 エスメラルダは、その紙に書かれた似顔絵に目をぱちぱちさせる。
 それは、エスメラルダのよく知っている人物にそっくりだった。
 男は低い声で、憎々しげに吐き捨てる。
「そいつは極悪犯だ」
「え……?」
「俺の財布を盗んでいきやがった」
「………」
 盗みが極悪犯かは人の基準によるとして、まあ。
 エスメラルダは眉を寄せる。
「……名前が書かれてないわね?」
「当たり前だ。極悪犯の名前など俺が知っているわけがあるまい」
「そうね……。確かにこの青年なの?」
「ああ、確かに見た。この目で見た……っ」
「……ひとつお尋ねするけれど、『精霊の森』ってご存知?」
「なんだそれは」
「………」
 それで――とエスメラルダは小首をかしげ、
「あなたは、この青年をお探しなのね?」
「ああそうだ。年齢二十代半ばほど、眼鏡をかけたこいつをな……!」
「………」
「その様子だと何か知っているな? おい、教えろ……! こいつは俺がつかまえてきっちり制裁する!」
「……んー。ええと……」
 エスメラルダは困ったように笑って、
「この絵によく似た人物を知っているわ」
「本当か!」
 勢いづく男に、ただね、とエスメラルダは頬に手を当ててため息をついた。
「この青年を一気につかまえないでほしいの。他に人を連れて……そうね、様子見から始めて、本当に盗みの犯人かどうか見極めてからつかまえてくださらない?」
「なぜだ!」
「それは、一緒に行く冒険者の皆さんが教えてくれると思うわ」
 とにかく、とエスメラルダは周囲を見渡した。
「ええと……あなた、お名前は?」
「シュウ」
「シュウさんね。あなたと一緒に盗みの犯人の様子を見にいってくれる人を紹介するから」
 あまり、いきりたたないでね、とエスメラルダは再三注意する。
 エスメラルダが持っている似顔絵。そこには――

 黒山羊亭の常連、『精霊の森』の守護者、クルス・クロスエアとそっくりな人物が描かれていた。

     ● ● ● ● ●

「というわけで……ねえ、そこの席の皆さん」
 エスメラルダがひとつのテーブルを囲んでいた4人の人物に声をかけた。
 ひとり、明るい金髪に、常に煙草をくわえた若い女性――ディーザ・カプリオーレ。
 ひとり、灰銀色の長い髪に幾重もの刃を重ねた武器を傍らに置く――アレスディア・ヴォルフリート。
 ひとり、オールバックの金髪に大柄、葉巻をくわえて場の中心人物を担っている――トゥルース・トゥース。
 ひとり、左眼に傷を負い、その目を閉じたまま一切開くことのない、こちらも大柄な――鬼眼・幻路[おにめ・げんじ]
「4人さん、ちょっと頼まれてくれない?」
 エスメラルダの呼びかけに、4人はそれぞれ彼女の方を向いた。
「どうなされた?」
 とアレスディアがエスメラルダの持つ紙を不思議そうに見る。
「その紙は……いわゆる尋ね人だろうか?」
 人の顔が書かれているのがちらと見えたらしい。
「へえ、尋ね人ねえ」
 ディーザが高く足を組んだ。「久しぶりに見るかも、それ系の依頼って」
「む? 尋ね人を我々に依頼なさるでござるか?」
 幻路が一口エールを飲んでから、「我々4人同時に依頼とは、重大な問題なのでござるな。それほどの賞金がかかっているということでござろう?」
「ま、俺たちベテラン複数に依頼しようってんだから、高ぇんだろうな」
 と葉巻をふかしてトゥルース。
 ……話が完全に違う方向へ行ってしまっている。しかし、
「もちろんだ!」
 シュウが4人の囲んでいたテーブルを思い切りどんと拳で叩いた。
 料理皿とグラスが一瞬浮いて、それからがっちゃんと音を立てた。何枚かの皿がテーブルから落ちそうになって、4人は慌ててキャッチする。
「礼金ならいくらでもだす! 俺は、俺は、財布が盗まれたということよりも! 盗みという行い自体に腹が立つのだ!!!」
 鼻息荒く言うシュウを唖然と見る4人。エスメラルダがシュウの前に割って入って、
「いきりたたないでとお願いしたでしょう? でないとこの4人に依頼しないわよ」
「この4人ならいいのか?」
「ええ。4人ともこの絵に似ている人物を知っているわ」
「――え?」
 アレスディアがきょとんとする。「我々が尋ね人を知っているとおっしゃるのか」
 エスメラルダは無言で、4人の前にひらっと似顔絵を見せる。
 ちょうどウイスキーを口に含んだ瞬間だったディーザが、ぶっとふき出した。
 げほげほと咳き込む彼女の背中を、幻路が「大丈夫でござるか」とさすってやる。
「な……なにそれ……」
「俺の財布を盗んだ、犯人だ!」
 シュウが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「はぁ?」
 トゥルースがぼけっとその似顔絵を見ながら、「あいつが盗みぃ?……何の冗談だそりゃ? 冗談ならもう少し笑えるものを……」
「冗談ではなーい!」
 シュウが再びテーブルを叩こうとする。すんでのところで幻路がその手首をつかんでとめた。
「……本気か」
 トゥルースが困った顔をして腕を組む。
「そうだ! 俺はこの極悪人を見つけ出して必ず制裁する!」
 シュウは拳をくっと握る。ちなみにテーブルを叩こうとした手首は幻路につかまれたままだ。
「だからいきりたたないで……」
 エスメラルダは言いかけて、諦観の表情でため息をついた。
 そのエスメラルダから似顔絵を受け取って、女性陣と幻路はまじまじと見た。絵がうまい。それが第一印象……ではなくて。
 ディーザは改めてウイスキーを一口飲んでから、
「私は彼――というかこの絵に似た彼とそんなに付き合いは深くないけどね」
 とシュウに顔を向けた。「でも、キミみたいにいかつ――」
 げふげふ。ちょっとわざとらしく咳をして、視線をそらしてみる。
「……えー、うん、キミから物を盗めるほど器用ではないと思うよ」
「それほどこの絵に似た男を知っているのだな、お前たちは!?」
「……ま、そんな言葉で収まるようなら、依頼してないか」
 とうよりほとんどこちらの言っていることを聞いていない。
 アレスディアは呆れてシュウを見て、
「……財布を盗られた点については、同情するが……主観のみで極悪人呼ばわり、制裁とは感心せぬ」
「極悪人だろう……! 制裁して何が悪い!」
「……話が通じるのかこいつ」
 トゥルースが小さくぼやいた。
「うーむ、盗人でござるか……」
 幻路はシュウの手首をつかんだまま、片眉を跳ね上げた。
「むしろお主がクルス殿から物盗りしたと聞いた方が、よほど納得いくような……」
「何か言ったか!?」
「ああいやこちらのことでござる」
 にこ、としながらひそかにシュウの手首をひねってみたり。
 エスメラルダがそっと口を挟んできた。
「できればこの彼……シュウさんと一緒に、精霊の森に行ってみてほしいのよ」
「あの森にか……」
 とトゥルースが難しい顔でつぶやいたその時。
 がっ。
 トゥルースに背後から、ヘッドロックをかけた存在がいた。
「……おっさん……」
 トゥルースの耳元で、中性的な声が不気味に囁く。
「どうして、このおごりのパーティに、俺様を呼ばなかった……?」
「うぐ……っユーア……」
 トゥルースは慌てて力任せにヘッドロックから脱け出すと、
「だ、だからだな、お前さんにおごってたら財布がいくつあっても足りねえ――ていうかお前いつからいた!」
 金色の瞳をきらっと輝かせた、見た目もしゃべり方も男性に間違われるがれっきとした女性のユーアは、ふっと笑った。
「その似顔絵の話が出てきた時からずっといた」
「な――なにぃ?」
「気づかなかったでござるよ」
「ユーア殿、一体どこにいらして――」
「相変わらず何するか分からないね、キミ」
 4人が4様の反応をする中、ユーアは似顔絵を奪って、
「『あれ』が盗みを働けるくらいに度胸があるとは思えないんだが。どうせフラフラしていてよろけて男に体当たりでもかましたら男の財布が引っかかったってところだろ」
「『あれ』呼ばわりかよ……」
「あ? 名前なんか忘れたぞ」
「………」
 ひどい、と4人はひそかに思ってみる。
「森に行くんなら俺も行くぞ」
 突然ユーアは言い出した。4人がぎょっとすると、
「仮に本当にあいつが犯人ならもれなく俺の新薬実験に付き合ってもらうから」
「……えーと……」
 アレスディアがこほんと咳払いをし、「それは、どういった……」
「いや虫刺されの薬作ったら……まぁなんて言おうか、ぶっちゃけ意思を持ったスライムもどきが出来ちゃったんだよな。流石に俺もこれを使おうとは思わないから」
「……相変わらずだな、お前……」
 反対の意味で超天才的薬師のユーアの言葉にがくっと首を落としながら、トゥルースはぼやく。
「で……えー、何の話だったか……」
「あん? だからあいつの森に行って、あいつが極悪犯なら制裁されて俺の新薬実験台になると」
 元の話の趣旨がどこか遠くへ飛んでいった。
 しかしそこへ救世主が!
「……こん、にち、は……」
 ちょこんと黒山羊亭に顔を出したのは、長い黒髪に、体中に呪符を織り込んだ包帯を巻いた少女、千獣[せんじゅ]だった。
 それを見た瞬間、トゥルースは元々の話を思い出した。
 ――シュウはユーアの言う通り、似顔絵の人物を制裁すると言っていたのだ。
「制裁なぁ……言っておくけど、こういう場合って男より女の方が怖いからな?」
 シュウをちらと見やりながら言う。
「どういう意味だ」
「なに、そのうち分かるさ」
 そう言ってから、
「おーい。千獣ー」
 トゥルースは軽く手を挙げて彼女を呼んだ。
「どうしたその両手の荷物。お使いかあ?」
「うん……あの……、森、って……?」
 ユーアの声が外に聞こえたらしい。
 あ、とアレスディアが慌てた顔をする。ユーアから似顔絵を奪おうとするが、その前にユーアがその似顔絵を千獣につきつけていた。
 千獣はその似顔絵を見て、
「クルス……?」
 ちょこんと首をかしげる。
「おう。こいつが盗みを働いて、んでその被害者のそこのおっさんが怒ってて、こいつを見つけたら制裁するってさ」
 被害者のおっさん、と言いながらシュウを親指で指す。
 瞬間、千獣の赤い瞳がぎらりと光った。
 シュウを鋭くにらむ――彼女の背中に、どす黒いオーラが立ち昇る。
「な、なんだ?」
 シュウはさすがにぎくっと一歩退いた。
「……クルス、が、なに……?」
「クルス? この似顔絵の男はクルスというのか。ああ、この男は盗人だ! 確かに見た! 極悪犯だ! 俺が制裁する!」
 その言葉に、千獣の殺気はいや増した。
「……クルスや、森の、みんなに……手を、出す、ようなら……その、ときは……覚悟、してね……?」
「だだだだからその森とは何なのだ!」
 シュウは千獣の獲物を狙う獣のような目にとらえられ、苦しげに声を上げる。
 ディーザが煙草をふかしながら、あっさりと言った。
「だから、精霊の森って場所が――その似顔絵にそっくりなおにいちゃんの住んでる場所なんだよ」

 エスメラルダが依頼するまでもなく、シュウは思った通り、森に行くと鼻息荒く言った。
「私は森に同行する」
 とアレスディアが言った。「千獣殿もだろう?」
 千獣は視線でシュウを威嚇しながら、うなずいた。
「お使い、の、帰り……帰らな、きゃ……」
「俺も行くぜ」
 といつの間にかある程度の食事をすませた、ユーア。
「拙者も、同行させていただきたい」
 幻路は、相変わらずシュウの手首をつかんだまま言った。
「お主のような血の気の多いものを放っておくのは危険でござる」
「何か言ったか!?」
「いやいや何でもござらぬ」
「俺はクルスが盗ったなんて思っちゃいねぇ」
 トゥルースは灰皿に葉巻を押し付けながら立ち上がった。「お前さんに付き合って森であいつを観察しても仕方ねぇとも思ってる」
「ではお前は依頼に参加せぬのだな」
 シュウに言われ肩をすくめ、
「要は財布が見つかりゃいいんだろ? お前さんが財布をなくした状況を詳しく教えな。『見た』ってのは何だ? 盗られたってのはどうやって気づいた?」
「簡単だ」
 シュウは自信満々に胸を張り、「俺が商店街で買い物をしようとして財布を出そうとしたらなくなっていた。焦って回りを見渡したら、俺の財布を、俺の財布を、その男が持っていたんだ……!」
「クルスが、財布を持っていたってのか?」
「ああ! ちょうどやつも商店街で、立ち止まって財布の中身を確かめていたからな!」
 千獣の視線が険しくなる。シュウは冷や汗をかきながらも前言撤回することはない。
「………」
 トゥルースはふうむとあごを撫で、
「……力ずくでお前さんの懐を探れるわけねぇし、スリか、魔法の類か……?」
「そのクルスという男は手先が器用なのか。ならスリだろう。俺はこの男にぶつかった覚えがある」
 千獣がきっとシュウをにらんだ。
 まいったな、とトゥルースはひそかに思う。
 クルスは魔術師である。ついでに手先も器用だ。これがシュウにバレたら大変なことになる。
「あの財布は新調したばかりだったんだ……っ」
「どんな財布だ」
「牛革の立派な財布だ! 売り場の者が『10個限定商品、これが最後だ!』と言って売っていたのを買った。素で持っている者は少ないはずなのだ!」
「………」
「さあ、もういいか!?」
 そこで、ディーザも煙草を灰皿に押し付け立ち上がった。
「うーん、キミ、どうやったらクルスが犯人じゃないって認める?」
「なんだと?」
「森で様子を見ようと家捜ししようと、財布見つかるまでは収まりそうにないよね……だったら、財布探しに行った方がいいかなぁって思ってさ」
「どういう意味だ」
「クルスが犯人なわけないし、キミが納得するまで時間かかりそうだし、その間ぼーっと付き合うのも時間もったいないし」
 新しく煙草を取り出し、火をつけながら、
「落としたりしたんじゃなく、本当に誰かに盗られたとしたら、早く行動した方がいい。なくしたのは商店街だね?」
 シュウがうなずくのを確かめ、
「じゃあキミたちが森に行ってる間、情報収集しておくから」
 トゥルースについていこうかな、とディーザは言った。
「スリだったら財布の中身だけ取って財布はすぐ捨てそうな気もするけどね」
「あんな立派な財布だ! 捨てるのはもったいないたたたたた!」
「あんまり動かれると、手首がちょっと曲がってしまわれるでござるぞ?」
 にっと笑いながら、ひそかにシュウの手首をひねった幻路が言った。
「あー、うるせーおっさんだなあ」
 ユーアが首筋をかきながら、「もういっそ、新薬実験台、あんたにやってもらおうかな……」
「ユーア殿。早まらずにっ」
 アレスディアが冷や汗をかいて、懐をさぐり始めたユーアの腕をとめた。

 そんなこんなで2組に別れ――

 森に行く組を見送った街で情報収集組2人は、目を見交わしてぼそりと言葉を交わし始めた。
「私は商店街周辺で落し物がないかどうかと、ここしばらくで財布を盗られたっていう被害の報告がどれぐらい出てるかと、出ているならそのときの詳しい状況を調べようと思うんだけど……」
「ああ。それは調べておきたいところだな」
「いくら犯人がまぬけでも、盗んだ本人の近くで中身を確かめてるって……ありえないよねえ?」
「そうだな」
「もしそんな状況があるとしたら?」
「あいつが落としたのを拾ったってクチか……中身を確かめてるんだからよ」
「……でも一応。そっくりさんっていうオチ、あり?」
「そっくりさんがいるとしたら、何としても捕まえなきゃなんねぇが……真実はどうだろうかね」
 葉巻親父に煙草娘。煙たい2人は揃って、何となくため息をついた。
「どれにしろ、厄介な依頼人につかまっちまったなあ……」


「あなたから、クルスの、匂いが、するか……」
 シュウを見すえながら、千獣は低く言う。
「クルスから、あなたの、匂い、が、するか……」
「おお! スリなんだから匂いもするだろうよ!」
 シュウは堂々と言い切った。その瞬間またぎりっと少女ににらみつけられ、体をすくませる。
 ――男より女が怖いからな――
 先ほど金髪の大男が言っていた言葉がシュウの頭をめぐった。
「……森で、あなたの、匂い、の、するものが、ないか……探す……」
 森は、すでに見える位置まで来ていた。
 まずはシュウの身体匂い検査。
 荷物をアレスディアと幻路に任せ――ちなみに幻路はまるで極悪犯を離さぬかのようにシュウの手首をつかんだままだ――シュウの体にくんくんと鼻を寄せる。
 そして、顔を離してむうっとした顔をした。
「……クルス、の、匂い、する……」
「それは本当か千獣殿」
 アレスディアが目を見張る。
「それは困ったでござるなあ」
 勝ち誇った顔をしたシュウの手首をひねりっひねりっしながら、幻路があごに手をやった。
「だーかーらーよ、どうせそいつにぶつかって財布が引っかかったってオチだって」
 ユーアが頭の後ろで手を組んで欠伸をした。「どうでもいいから森に行こうぜ」

 精霊の森の入り口につく。
 シュウは唖然と森を見上げていた。素晴らしく豊かな緑の森だ。木々がみずみずしく、『生きている』ような気さえする。
「クルスに、知られ、ない、方が、いい……?」
 クルスの方の匂い検査をしてくるにあたって、千獣は訊いた。
「知られ、たく、ない、の、だったら、そう、する、けど……」
「いやまて千獣殿」
 千獣の荷物を、すすんで自分で持ったままだったアレスディアが、
「シュウ殿のご希望はクルス殿の様子見。……しかし様子見といっても、そこは守護者殿。森へ足を踏み入れればすぐに我々の存在が知れるだろう」
「―――」
 言われて、千獣は何かを思い出したようだ。虚空を見上げて、
「そう、だ、ね……クルス、森に、入って、きた、人には……敏感……」
 千獣が精霊の森に住むようになってからも、色々な人物が森にやってきた。
 クルスは彼らが姿を現す前に、すかさず出迎えの用意をしていたものだ。
「その時はその時……事情を話し、ご助力を仰ぐ」
 アレスディアはそう提案した。
「拙者もそう思うでござるよ」
 幻路が賛同した。「様子見をして、まだクルス殿に不安があるのなら、事情を話してご同行頂くなど、方法はいくらでもある」
「俺はとにかく本人を見たい!!!」
 シュウが暴れて――幻路に手首をひねられ痛い痛いと騒ぎ出し。
「……それまではシュウ殿の押さえを」
「まったくでござるな」
「ってかおっさんはけっこう楽しんでないか?」
「それは言いがかりというものでござる、ユーア殿」
 ひょうひょうとした態度で、幻路は受け流した。
「もう、行こう、か……」
 アレスディアのおかげで身が軽くなった千獣が、森に足を踏み入れた。

 精霊の森は静かな森だ。生物がいないからである。
 耳を澄ませば、聞こえるのは木々がさわさわと鳴る音、川のせせらぎ……
 人の通る道はすでにできている。そこを一直線に通りながら、彼らは相談していた。
「しかし……クルス殿が盗みを働くなどと信じられるものではないが、クルス殿に似た人物が行っている可能性までは否定できぬ」
「クルス殿が腕力でお主から物盗りできるとも思えぬしなあ」
 アレスディアの言葉に幻路がつなげる。
「だからスリだと言っているだろう……!」
「騒がないで頂こう」
 急にアレスディアも冷えた声になった。「疑惑の段階でクルス殿や森に生きる方々に暴力を振るうようであれば、容赦せぬぞ。彼らは私の友人達だ」
 彼女の青い瞳とともに、千獣の光る赤い瞳にも見据えられて、シュウはさすがに身を縮める。
「……他の者にスられたとか、落としたという可能性も否めぬ」
 幻路は、女性たちの視線攻撃からシュウを護るかのように口を挟んだ。さすがにこの強すぎる少女2人ににらまれるのは気の毒だと思ったのだ。
「はいはい、くだらない議論おしまい」
 ユーアが退屈そうにパンと手を打った。
 すでに、例の青年が住んでいる小屋は見えていた。
「千獣。さっさと行ってこいよ。――俺たちはそこの陰に隠れてるからよ、一応『あれ』が外にも出てくるように仕向けてやれ。このおっさん、顔見ないと気がすまないらしいしな」
「『あれ』……?」
「……クルス殿のことだ、千獣殿」
 いまだに名前を言わないユーアに、ため息をついてアレスディアは眉間に指を当てた。

「お帰り」
 優しい声が迎えてくれる――
「た、だい、ま」
 アレスディアから返してもらったお使いの荷物を両手に持って、千獣はにこっとクルス・クロスエアに微笑みかける。
 森の色のような瞳、青と緑の入り混じった不思議な髪色、研究づけなために大抵白衣、目が悪いため常に銀縁眼鏡をかけている彼。
 ――あのシュウという男に何と言われようとも、彼への信頼は揺らぎない。千獣にとって大切な大切な人。
 荷物をいつもの定位置に置き、千獣は机に向かっていたクルスへと小走りに近づいた。
「クルス。……ごめん、ね?」
「何がだい?」
 不思議そうな顔をする青年に顔を寄せて、千獣は嗅覚を全開にする。白衣を着て外に行っているはずがないので、アンダーウェアを重点的に。
 ――匂いがする。確かに、シュウの。
 むう、と千獣は眉根をよせて困った顔をした。
「何かあったのか?」
 クルスは千獣の頭をなでながらその顔をのぞきこんだ。
「……クルス、この、間、商店街に、行った、時、に……体の、おっきな、顔に、傷のある、人と、ぶつかった……?」
「そりゃ幻路じゃないのかい」
「違う……」
「まあ幻路とぶつかっていれば挨拶しただろうからな。――商店街だ、色んな人とぶつかるよ」
「………」
 お使いで商店街によく行くようになった千獣にはよく分かった。
 クルスへの信頼は揺らぎない。
 あとは――この森の中で、シュウの期待を裏切ることのできる何かを見つけなければ。あるいはないということを証明しなければ。
 思った矢先――
 ふと、かすかな匂いを千獣の鼻がとらえた。
 千獣はぱっとその匂いの元を追った。
 道具袋の中だった。クルスの。
「クルス……この、中、見ても、いい……?」
 千獣の動きをきょとんと眺めているクルスは、「ああいいよ」と軽く許可を出した。
 千獣は道具袋の中を探る。
 ――感触ですぐ分かった。
 彼女はすぐに、それをつかんで袋から取り出した。

 牛革の、立派そうな財布。

 この瞬間、さすがの千獣もどうしていいか分からなくなった。シュウの体にもかすかにしみついていた匂いと――この財布の匂いは合致する。
「ああ、それ?」
 クルスが椅子から腰をあげて歩いてくると、その財布を受け取った。「この間の商店街で買ったんだ」
「買っ、た……?」
 さすがに不審そうになってしまったのがバレたらしい、クルスは苦笑して、
「キミがそんなに心を揺らしているのは――今森に来ていらっしゃるお客様のせいなのかな」
 と言った。

     ● ● ● ● ●

「ねえトゥルース」
「ああ」
「変だねえ?」
「まったくだ」
「最近スリの被害が非常に多い……でも、捨てられた財布はまったく見つかっていない」
「落し物も月ごとの平均程度」
「で、スられた財布は決まって『牛革』」
「ああ。――あそこで売ってるような、な」
 トゥルースとディーザが煙をぷかぷかさせながら見つめた先。
「珍しい牛革の財布だよ! 限定10個! あと2個で終わりだよ!」
 店頭で元気に声を張り上げている青年がいた。

     ● ● ● ● ●

 それを見た瞬間、
「ほら見ろこの男だ! この通り財布も持っているじゃないか!」
「よーしお前、新薬実験台決定な!」
 飛び上がって喜んだシュウと――その拍子で幻路につかまれていた腕が勝手に曲がったが――ぽきぽき指を鳴らしたユーア。
 千獣がきっとまなざしを鋭くした。
「クルス、にも、森の、みんな、にも……手、出しちゃ、だめ、だから、ね……」
「ク、クルス殿……!?」
 アレスディアが青年の手にある財布に動揺する。
 しかし幻路は、
「何か理由があるのでござろう? 拙者はこうも堂々と盗んだ財布を持って出てくる者を知らぬ」
 作戦の内、である以外は――と牽制するような言い方をしながらも、
「しかしクルス殿であるならな。我々は信用する」
 アレスディアがはっと胸を打たれたような顔をして、
「そ、そうであった。我々はクルス殿を――精霊に護り、護られしあなたを信用している」
「……いーじゃんこいつが犯人で」
「ユ、ユーア……新薬実験台って何だい……」
 クルスはすわった目のユーアから一歩一歩退きながら、財布を持ち上げてみせた。
「これは、僕が商店街で買ったものだよ。確かに自分で買ったものだ」
「嘘をつけ……! 俺が買った時点でその財布は売り切れたはずだ! その後に買えたはずがない!」
「いや……多分キミより先に買ったんだと思うけどね? だってラスト3個の時に買ったし……」
「な……!?」
 シュウは体をわななかせた。
 クルスはため息をついた。
「あの店だろう? 珍しい牛革、限定10個、ラストーって叫んでいる店。ずーっと」
「む?」
 聞きとがめた幻路が片眉を跳ね上げた。「それは……何やら珍妙ではござらぬか?」
「ああまあ……」
 クルスはあごに手を当てて、空を仰いだ。
「おかしいな。もうあんな荒事できないように術を解除して帰ってきたはずなんだが。僕の後にも被害者がまだいるのか……」
「何のことだろうか? クルス殿」
 アレスディアがたまらず尋ねる。千獣もクルスの腕にすがって、早く疑念を晴らしてとばかりに切ない視線を送っていた。
「あーめんど」
 ユーアが頭をかいた。「よーするにだ。俺らも一度街に行かなきゃならんってことだろ?」
「そういうことだね」
 クルスは苦笑した。

     ● ● ● ● ●

「あ、トゥルース。今の見た?」
「ばっちり見たぜ」
「そっくりだねあの2人。兄弟か何かかな?」
「だろうな」
「あれだけ素早く2人とも手を動かせるんだ、スリには向いてるよね」
「だが、スり取る時は手でやってるわけじゃなさそうだぜ……」
 商店街の煙たい2人が煙の向こうで見たのは、1人の青年がもう1人の青年――さっきから店頭で声を張り上げている青年に財布を渡したところ。
 受け取った方はその財布を一度素早く机の下に取り付けられている引き出しに入れる。
 そして店頭に並んでいるのは2つの財布のままで、
「ラスト2個ですよー!」
 と叫んでいるのだ。
 さらに、店頭の青年に財布を渡した方の青年は――
 店の2階へと上がっていった。
 店頭に客が1人近づき、財布を1つ買っていく。
 その1時間半後にはラスト1個も。
 しかし青年はそれから15分ほど経つとそっと机の下の引き出しから隠していた財布を取り出し、店頭に並べて、
「珍しい牛革の財布限定10個ー! ラスト1個ですよー!」
 とやりだした。
「……術だな」
 トゥルースは葉巻を落として踏みにじりながら言った。「2階にいる方のやつが、術で売れた財布を手元に寄せてやがるんだ。それをもう一度売って……繰り返しか」
「息のあった犯罪だけど、同じ街で何日もやれないよね」
「ご名答」
 2人の背後から声があがった。
 慣れた気配に、見やると、精霊の森に行ったメンバーがずらっと並んでいた――クルスを中心に。
「今、調べてきたのだが、ディーザ殿、トゥルース殿」
 アレスディアが何かの書類を見ながら熱心に言った。「このエルザードの前に、ルナザームの村、ハルフ村、アクアーネの村で同様の不可思議な出来事が起きているらしい――警備隊から聞いたのだが」
「ちょこちょこ移転してやがんだな」
 新しい葉巻を取り出しながら、トゥルースは「やれやれ」という顔をする。
「じゃ、なんだ。シュウのやつぁ、自分の財布を術で取り戻されたってぇわけか」
 ちらりと見る先。
 暴れすぎて幻路につかまれていた手首を痛め、しゅんとなっているシュウ。
「そんなはずがないんだけどね……」
 クルスがぽりぽり頬をかいて、自分の持っている財布を出す。
 ディーザとトゥルースが仰天した。
「まさかお前が盗ったのか!」
「まさか。僕は買ったんだよ、あそこで。ついでに買う時に財布に魔術がかかっているのが分かったから、解除してきたはずなんだ。だから僕より後に買ってる、この、シュウさん? この人の財布がなくなるわけがない」
「………? となると……」
 ディーザが難しい顔をする。彼女はトゥルースより頻繁に煙草をとっかえひっかえしていた。
 と、そこへ――
「す、すみません……っ」
 新たな声が割り込んできて、全員は振り向いた。
 そこに、制服の警官がいた。
 ――手に――1つの財布――
「あんたは……」
 ディーザがくわえ煙草で器用にしゃべる。「ケーサツの落し物係じゃないか。さっき行ったら財布の落し物はないって……」
「たった今! 拾ったという人物が現れました! こ、これで間違いないですか?」
 先ほど訊きにいったトゥルースとディーザを一生懸命探していたらしい警官は、財布を差し出す。
 クルスが持っているものとまったく同じだった。
「あ……」
 千獣が、警官の持っている財布に顔をよせて、くんと鼻を鳴らした。
「シュウ、の、匂い、が、する……」
「何だとう……!?」
 シュウは警官からその財布をひったくった。慌てて中身を見る。
 すっからかんだった。
「おい待て! 中身が空だぞ! 俺は買ってすぐに金を入れた! ついでに金の神様のお守りも!」
「何入れてんだ……」
「へ? わ、分かりませんよう。その財布はその状態で『落ちていた』って届け出があったんですからぁ」
 シュウに迫られて、警官が慌てて手を振る。
「でも……この、財布……、シュウ、の、だと、思う……よ」
 千獣が、クルスの疑惑が晴れたことで安心したのか、シュウにも優しく語りかける。
「たく、さん、の……匂い、ついてる、けど……シュウ、のも、ある……」
「てことはだ」
 トゥルースは、ぽんとシュウの肩に手を置いた。
「お前さんは財布を落として。拾い主に中身をネコババされたってこった」
 シュウは顔を――みるみる膨らませて、真っ赤にさせた。
「ゆ――許さん! そんなやつは成敗してくれるわあああああ!」
「落ち着くでござるよ」
 幻路がにっこりと、手首をひねった。のおおおお、とシュウが痛みで飛び跳ねる。
「そちらの犯人探しは千獣殿に任せるのがいいのではないでござるかな?」
「………?」
 幻路の口から自分の名が出てきょとんとした千獣は、
「こっちのね、シュウさんの財布を拾った人間の、匂いを追って欲しいんだ――警官さん、何か拾ってくれた人物の匂いが残っているものはないですか」
 クルスに言われて、上機嫌で、
「うん……協力、する」
 と言った。

     ● ● ● ● ●

 兄弟(やはり兄弟であったらしい)の術を使った摩訶不思議な犯罪はこのエルザードで幕を閉じることとなった。
 千獣はあの後見事に、シュウの財布を拾った人物を見つけ出した。ただ、この拾った人物は、「俺が拾った時点でもう空だった」そして「ネコババしたと思っているのか!」と怒り出したため、こちらは平身低頭謝るはめになった。
 結局犯人は闇の中だ。
 おおお、と嘆くシュウに葉巻を一本すすめながら、
「……まぁ、なんだ。熱くなって自分がすっ転ぶのは勝手だが、それに他人様巻き込んじゃあいけねぇなぁ?」
「万一、似た人物でもいたら、大変なことになっていたのだぞ。……誤解は解けた。クルス殿に謝罪されよ」
 アレスディアに言われ、シュウはくっと口惜しげな表情になりながら、
「……すまなかった」
 とクルスに詫びた。
「実害がなかったから、まあいいけどね」
 クルスは軽く笑った。

 問題は、シュウが全財産を失ったため、礼金がなくなったということだ。
 シュウはその後、黒山羊亭でアルバイトを始めた。
 ただのウエイターのはずが、そのいかつさと顔の傷で用心棒に間違われ、それはそれで……まあ歓楽街にある店黒山羊亭にとっては、助かると言えば助かった、のかもしれない。

     ● ● ● ● ●

「ねえ、クルス……」
 騒ぎが終わって、千獣とクルスは森に帰ってきた。
 小屋に入った途端、千獣がうつむいた。
「何だ?」
 千獣の前では多少口調がほぐれるクルスが、千獣のさらさらの黒髪に指を通すと、
「……牛、革……」
 千獣はつぶやいた。「食べる、ん、だった、ら……仕方ない……かも、しれない……。でも、何で。財布、何かの、ため、に、牛が、殺され、る、の……?」
「ああ」
 クルスは微笑んだ。
 そして自分が持っていた財布を取り出しながら、
「これから牛の匂いがしたか?」
「……え……」
「しなかったろう」
「………」
 考えるように千獣は視線を泳がせた。
 そして、クルスの言う通りだという結論に達した。
「あんなケチな泥棒が使う財布が、本物の牛革のわけがないってことさ」
 微笑され、千獣は赤くなる。
「その……ごめん、なさい……」
「いいや。実際、こういうもののために牛やら山羊やらを殺すこともあるからな……」
 ところで――と青年はふと小屋の外を見通すような視線をした。
「……まだ何かが森の中にいるなあ」
「……え……?」
「様子を見に行ってくるか」
 すぐに小屋を出たクルスの後を追って、慌てて千獣も小屋を飛び出す。
 道なりにまっすぐ進むと、やがて――
 森の出入り口付近の雑草の中で、ごそごそと何かが動いていた。
「何だ?」
 手を伸ばそうとしたクルスを制し、千獣は自ら手を伸ばす――
 そこにいたのは。

 スライム状の……何か。

 その何かはにょーんと伸びて、びたんとクルスの顔を打った。
「なんだこりゃ、ちょ、何で俺ばっかり追いかけるんだこいつ」
 千獣の手にいたはずなのに、クルスににょろにょろとからみついて、その頬をべしばしと叩く。千獣が慌てて引き剥がそうとするが、そこはスライム。なかなかはがれない。
 ふと、それがいた場所に2人が目をやると、
『俺の新薬から生まれた意思のあるスライム! しっかり育ててやれよ、動物園の主へ』
「………」
「……えー……」
 新薬の実験台。新薬の実験台。
 そう言っていたのは、そう、外見も口調も男性的な、実は女性の――
「っていうかうちは動物園じゃない……」
 クルスはがっくりと肩を落とした。
 彼にからみついたスライムは、なかなか離れてくれそうになかった。クルス、モテモテ。
 素敵にご愁傷様です。


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2542/ユーア/女/18歳(実年齢21歳)/旅人】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3255/トゥルース・トゥース/男/38歳(実年齢999歳)/伝道師兼闇狩人】
【3482/ディーザ・カプリオーレ/女/20歳/銃士】
【3492/鬼眼・幻路/男/24歳/忍者】

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■         ライター通信          ■
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ディーザ・カプリオーレ様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回は「煙たい組」として、情報収集に回って頂きましたが、情報収集の詳しい内容を決めてくださったのはディーザさんだったので助かりました。
クルスを(一応)信じてくださって、ありがとうございましたv
よろしければまたお会いできますよう……