<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
その清流は奇跡と呼ばれ
それは陽射しがほどほどに落ち着いて、過ごしやすかったある夏の日のこと。
白山羊亭に、窓からひらひらと入ってきたのは、大人の掌サイズの小さな妖精だった。
「あっ。かわいい妖精さん! いらっしゃいませ」
ルディアは嬉しそうに妖精を歓迎する。
妖精は小さな顔に、にっこりと笑みを浮かべた。
「今日はなぁに? ご用があって来たんでしょ? それとも避暑?」
「ううん……アタシたちには、暑さ寒さがないの……」
妖精はとっても小さな声でしゃべる。
ルディアは耳を近づけて、「じゃあ」と続きを促した。
「どうしてここまで来たの? 長旅だったでしょう?」
「んと……」
妖精は両手の人差し指を恥ずかしそうにこすりあわせながら、
「……誰か……頼りになる人、いない……かな……」
「え?」
「……あのね……これから、川に行くの……」
妖精はちょこんと首をかしげて言った。
「でもね……その清流の近くに、にごった人の魂が集まってきちゃって……」
「にごった人の魂……」
「……ええとね……欲望にまみれちゃった、魂……」
「……何となく、想像ついた」
ルディアがうなずくと、安心したように妖精は続ける。
「……それでね……その魂たちのせいで……清流が穢れちゃった……」
「わあ! それは一大事じゃない!」
「……あのね……その川は……奇跡の川って……呼ばれてるの……」
妖精はぎゅっと両手を拳に握り、胸元に当てた。
「アタシ……早くその川の水を持って……ある人のところへ……届けなきゃいけないの……」
「そうなの?」
「うん……だけど川が穢れちゃったから……」
誰か、お願い。
にごった魂を追い払って。
清流を取り戻して。
「魂、さえ……追い払えば……川はアタシが綺麗にできるから……」
「わあ、すごいのね……!」
「……誰か、魂を追い払って……」
お礼に、と妖精は言った。
「川の水が元に戻ったら……あの水は、一回だけ……願い事を……かなえて、くれるから……」
「うん、分かったわ」
ルディアはにこっと笑った。
「強力なメンバーを集めるからね?」
妖精は安心したように、微笑んだ。
+++ +++ +++ +++ +++
「奇跡と呼ばれる川……?」
話を聞いて、さまざまな反応を示した冒険者たちがいた。
「魂が集まっちまった、なぁ……さすがはそういう時期だってか? 集まられる方としちゃ、いい迷惑だが」
と首筋をがりがりやりながらつぶやいたのは金髪に鋭い赤い瞳をしたトゥルース・トゥース。
それにうんうんとうなずいて、
「この時期、ご先祖も帰ってこられるという時期でござるし、魂が集まりやすいのでござるかなぁ」
腕を組んで考えているのは、左眼に傷を負いずっと閉じている鬼眼幻路[おにめ・げんじ]。
逆に妖精の話を真剣に聞いて、
「ふむ……詳しい事情はわからぬが、事は急を要する様子。微力ながら協力しよう」
早速参加を決めたのはアレスディア・ヴォルフリート。
アレスディアは妖精の話を聞いていた他の面々を見る。
いつものメンバーだった。千獣にディーザにユーア。
「願い……」
何かを考えていてた様子の千獣はやがて顔を上げ、
「……依、頼……私も、受けて、いい……?」
胸元でぎゅっと手を握るようにして切ない赤い瞳で妖精を見た。
「手伝って……くれるなら……嬉しい……」
妖精がアレスディアや千獣を見てにこっと微笑む。
「願い事を叶えてくれる水、か……」
カクテルを飲み干したディーザ・カプリオーレが、軽く手を挙げた。
「その話、乗った」
「あなたも……?」
妖精がディーザを見る。ディーザは空になったカクテルグラスを指で弾いてから、
「要は、そこにたむろってる魂を追い払えばいいんだよね?」
「うん……」
「待った待った。俺も行くぜ」
トゥルースが葉巻の煙を妖精にかけないよう吐き出しながら口を挟む。
「まぁ、なんだ。魂の浄化だとかそういうのは俺様の仕事……」
「え?」
全員の疑問の視線を受けて、トゥルースはうっと詰まる。
「だ、だからだな、俺は伝道師なんだぜ? 知ってるだろ?」
「………」
「………」
「………」
「……あ、ああ、知っている、もちろんだ」
しんとした世界の中で、アレスディアが冷や汗をかきながらにこにこ笑う。
トゥルースはぽろりと葉巻を落とした。
それを床でぐりっと踏みにじりながら、トゥルースの肩を叩いたユーアは、おごそかに。
「誰も知らねーってさ」
「う、ぐぐ……」
「諦めろ」
「うう……」
「あの……魂に詳しい方……なのですか?」
妖精がかわいらしい顔を、おそるおそるトゥルースに向ける。
「いや、詳しいっつーか……一応、色々教えを説く……」
「お願い……します……。手伝って、ください……」
妖精に存在意義を認められて、トゥルースは元気に葉巻を取り出すと、
「おお、手伝ってやるぜ」
と胸を張って言った。
幻路も、組んでいた腕を解いた。
「呑気なことを言っている場合ではござらぬな。妖精殿は何やらお急ぎの様子。手は多い方が良かろう」
拙者も協力いたす――と、これで5人。
「嬉しい、です」
妖精が、頼もしそうなメンバーを見渡してきゅっと両手を握り合わせる。
「じゃあ早速現場の様子とか聞いて――」
と話が進められようとしているそこへ、思い切り――体ごと――割って入ったのはもちろん――
「俺も行くに決まってんだろ!」
「……ユーア……」
金の瞳をきらきら輝かせている彼女の目的は目に見えている。礼としてもらえる奇跡の川の雫だろう。
だがそんなことはしらない妖精、
「あなたも……素敵、ここにお願いに来て……よかった……」
感動で目をうるませている。
妖精よ、人の中身とはよく見なくては分からぬものなのだよ。ユーア以外の誰もがそう思った。
詳しい話は道中聞くことにした。白山羊亭から川までは結構な距離があったのだ。
「魂は……情念が強すぎて、聖水が効きません。代わりに……実体を持ち始めているので……多分……普通の攻撃が……」
妖精はか細い声でそう説明する。聞こえねえよとユーアが文句を言うので、アレスディアが通訳をした。
「聖職者でも何でもないけど、魂が実体化してるんなら、銃も効くだろうね」
ディーザがくわえ煙草で妖精の傍を歩く。
「集まっている魂を、清流から追い払えば川を清められるのだな?」
アレスディアはユーアに通訳しながら腕を組む。こくんと千獣がうなずいて、
「……集まって、る、人達、を、追い、払えば、いいん、だよね……?」
確かめるようにアレスディアに訊きなおす。
「時に妖精殿、確認したいのでござるが」
幻路が妖精をのぞきこむようにして言った「魂は倒さねばならぬのでござるか? それとも、脅かして追い払えばいいだけでござるか?」
「……川……は……魂を追い払うだけで……いいんですけど……」
妖精は小さな顔を伏せた。
「……あの魂たちも哀れでなりません……いっそ成仏させてしまった方が、と……」
「なるほど」
「まあそれでも俺は一応説得するがな」
トゥルースは草を踏みながら歩いた。
湿気の多い草だ、と彼は思う。この季節、こういう雑草がある場所と言えば――水場の近く。
「そろそろか」
つぶやく。妖精がぶるっと震えて動きをとめた。自然とついてきた者たちの足も止まる。
「感じます……魂たちの声を……」
妖精はがたがた震え始めた。
冒険者たちは目を細める。
――ふいに吹いた風の中に、声を聞いた。
『もっと〜……水ぅ……飲ませろぉぉぉぉ……奇跡ぃ……起こせぇぇぇ』
「なるほど? 奇跡の水の甘美さに飲まれてしまわれたか」
幻路は刀を抜いた。
「それじゃ、しつこく現世にしがみついてる魂、ちゃっちゃと祓いにいきますか」
ディーザは銃を取り出した。
「はっはっはあ!」
ユーアが堂々と立ち、
「執念深さで俺の右に出られると思っているのかバカどもが! 俺の炎で――」
彼女のブーツの底が草を叩く。
「こら、待て、ユーア!」
慌てて他のメンバーが追いかける。アレスディアは『我が命矛として、牙剥く全てを滅する』と手早くコマンドを唱え、ルーンアームの形状を変化、黒装束に変えた。
「古来っ! 不浄ブツは燃やすに限るっ!」
ユーアは偏見なんだか正しい知識なんだか分からないことを叫びながら、『何か』が浮遊する地帯に飛び込んだ。
両手に最大威力の火の魔法を完成させながら。
「逝け、甘い執念のモノどもっっっ!!!」
ひいいいい、と魂たちのいくらかは逃げ出した。
しかし十数人の魂は燃やし尽くされた。
ユーアはよく見ていなかった。『敵』がどんな姿をしているかを。
それは白透明な、
顔面を持った、不気味な火の玉状の存在だった。
『火ぐらいじゃあ……あたしらは……消えないよぉ』
ユーアの魔法で消え去った者がいる一方、そんなことを言ってひーっひっひと耳障りな笑い声を立てる白透明火の玉もいる。
顔面が歪んだ笑みを作る。不気味この上ない。
ユーアの次にたどり着いたのは足の速い千獣だった。
千獣は近くにまとわりついてきた火の玉に語りかけた。
「……強い……望み」
ぎゅっと自分の体を抱きしめるようにしながら、「……でも、それは、ここ、では、駄目……叶え、て、あげられ、ない……」
それからそっと手を伸ばした。
「……だから、もう……あなた、達が、在る、べき、ところへ……逝こう……?」
『叶う!』
けーっけっけと大笑いして千獣の横でぴょんぴょん跳ねた『顔』があった。
『この川の水飲みゃ叶う! 大金持ちになってやる!』
――死んだと思っていないのか――?
「笑止!」
幻路が、千獣の後ろから彼女の周りにいる複数の『顔』を斬った。
「生きていれば叶ったかもしれぬが、ぬしらは亡霊! 自覚を持ってはどうだ」
「幻路……」
千獣は自分の傍らに凛と立つ忍に、不思議そうな視線を送った。
「幻路、は……迷わない、んだ、ね……魂、を、斬る、こと……」
「………」
幻路は唇の端をにっと吊り上げた。
「ただ生きている友人を、死人に奪われたくはないだけでござるよ」
すでに戦闘を開始している友人らをため息で眺めてから、トゥルースは辺りを見渡した。
妖精には離れているように言った。ここは――確かに妖精が怯えるほど、恐ろしく亡霊の数が多い。
新たにやってきたトゥルースにもからみつくように集まってくる。彼の葉巻を欲しそうに素通りされたら、葉巻の火が消えてしまった。
再度ため息をついて、
「あーあー、こりゃまたすげぇ執念っていうか、情念っていうか、凝り固まってやがる……」
肩をすくめて、「欲深だってぇなら、ここにしがみついてねぇでとっとと成仏しちまった方がいろいろ『得』だと思うぜ、俺は」
にやにやと笑う『顔』は、今度はトゥルースの葉巻を半分消し飛ばした。
トゥルースは耐えて、
「ここにいたって人に障るぐらいしかできねぇだろうが」
ついに火の玉は――トゥルースの顔に追突して、葉巻を奪っていった。
「………」
トゥルースは火の玉に触れた部分に手を触れる。火傷するわけでもない。痛くもない。けれど感触はした――何かが触れた感触。
「本当に実体を持ってやがんだな……」
感慨深くつぶやいた後、金髪のライオンはこぉぉぉと気合を入れた。
「……どーしても、成仏したくねぇってんなら、しょうがねぇから、拳で言うこと聞かせてやらぁ!」
目の前、葉巻の残骸をくわえてにやつく『顔』に拳をストレートで打ち込む。
『顔』は四散した。四方八方から襲いかかってきた火の玉を、ジャブで、ストレートで、貫くように2人分同時で、次々と突破していく。
途中、アレスディアが「助太刀いたす!」と突撃槍をトゥルースの背後から突き出した。
トゥルースの拳が至らない場所をうまく突き刺し、3人分ほどの『顔』が串刺し状態になり消える。
「人の顔を突くのは心が痛まぬでもないが……」
アレスディアは心優しい彼女らしく、表情を憂いに満ちさせていた。
「……だが、そうもいかぬ。妄執を持ったまま現世に残るのは……よくないこと」
「アレスディア」
一時的に火の玉が周囲にいなくなった場所で、トゥルースはふと鈍銀色の髪の少女の頭に手を乗せた。
「奴らも元は同じ人間だったということ……忘れるな」
アレスディアはトゥルースを見た。
トゥルースは片頬を吊り上げて笑い、
「そして、あんなやつらみたいにはなるな」
「―――」
アレスディアは強くうなずく。
「よっしゃ、行くぞアレスディア!」
「はっ!」
彼と彼女は川にたむろっている火の玉を消しに走る――
「人体と同じ急所を狙うつもりだったんだけど……」
ディーザは頭をかいた。「まいったね。顔だけか」
ふよふよと周りを顔だけ火の玉が浮いている。
しかし火薬は通じる。ユーアの魔法でも分かっている。
ディーザはコンスタントに顔面の中心に弾を撃ち込み、1人ずつ消していった。
中には1撃ではあの世にいかない『顔』もあって、弾がめりこんだ顔のまま、
『痛いよぅ、痛いよぅ、何をするんだい……』
「………」
ディーザはその『顔』に再度銃を向ける。
「まぁ……同情しないでもないけど、ここに留まってても何ができるわけじゃないんだしさ。さっさと天国イっちゃいな?」
引き金を引き、1人終了。
ディーザは弾倉に弾を装填、淡々と火の玉を処理していった。
「お前らの妄執がなんだって? たかが数ヶ月だろうよ。この俺の十数年越しの執念深さに勝とうなんざ百年早いんだよ!」
微妙におかしな言葉を叫びながら、剣に火をまとわせたユーアが体ごと回転する。
火に焼かれ、あるいは剣に刻まれ、うす白い火の玉が次々と消えていく。
「ユーア殿、そこまで張り切られなくても私たちもいる――わっ!」
近づいたアレスディアが、危うくユーアの火剣に当たりそうになって身を低くする。
「はっはあ! 礼をもらうためなら俺は何でもするぜっ」
「……それだけが目当てでここまで張り切るのか……」
「言ってんだろっ。執念深さは――俺が最高だ!」
振り下ろしたファイアーソード。燃やし尽くし切り尽くし。
「さあ! 死にたいやつから前へ出ろ!」
――もう死んでるんだけどね、というつっこみは誰にもできそうになかった。
千獣は右手を巨大な獣の爪に変化させて、一度に複数の火の玉を始末していく。
幻路は、元忍らしい細やかな動きで、千獣が刻みもらした火の玉を貫く。
『ああああああ、僕の願いがああああ』
『成功するはずだったのに、成功するはずだったのに』
「………」
断末魔の叫びを聞いた千獣は、ふと目を伏せる。
「ねえ……」
「む? 何でござるか千獣殿。動きをとめると危険でござる」
「……魂の、声……何だか、欲望、とは、違う……響き、に、聞こえる、時が、ある……」
「………」
「そりゃあ違うぜ千獣」
突然背後から声をかけてきたのはトゥルースだった。
「例えばこいつらの中に、人々の病気を治すための研究をしていて、その一環でここの水を求めていて、それが未練で残っているやつがいても……それも、欲望だ」
どんな願いでも。
欲望、と呼ばれるのとは背中合わせ。
千獣は悲しそうな顔をする。
「生きて欲望を果たすのと、死んでなお役目を果たそうとすることは、同じようで違うことでござるよ……千獣殿」
幻路は囁いた。
「どちらが悪いってわけでもねえ」
「死んでも、しかし果たせる仕事なら手伝ってもいいかもしれぬ」
「だが、ただしがみつくだけの妄執は消すだけだ」
大柄な2人の仲間にかわるがわる言われ、千獣はちょこんと首をかしげた。
「トゥルー、ス……伝道、師?」
「おう。こうなりゃお前さんらに教えを説いていくぜ」
トゥルースは拳を2人の前につきつけて、
「死んじまったやつはな、人の心で生きるべきもんだ。人の心ん中で、記憶として。泣いて笑って殴り合って許しあって、そんな記憶を心ん中におさめて、周りの人間たちは生きてんだ。あんな欲望にまみれた死んじまった友人知人なんぞ……誰も見たくねえだろうよ」
「……そうでござるな」
幻路はつぶやき、さっと足の位置を変え刀を振るう。
近づいてきていた火の玉が四散した。
トゥルースは後ろ向きのまま肩越しに拳を叩き込む。『顔』がひとつ、つぶれた。
「こいつらがいると、生きているやつらの記憶を穢しちまうんだよ、千獣」
「………」
千獣は視線を落として考える。
完全に戦闘態勢を解いているが、それを護るように2人の男が戦った。
千獣は思う。――自分の、喪った大切な人の記憶。
どうだろう? 彼が今、あの『顔』たちのようになって何かを望んで浮遊していたら。
嬉しいかもしれない。
……悲しいかもしれない。
哀れ、と思ってしまうかもしれない。
――そんなのは、嫌だ。
千獣はきっと顔を上げた。
「2人、とも……どい、て」
少女の言葉に男たちが退くと、千獣は思い切り獣の爪を振り回した。
次々と火の玉が歪に刻まれていく。
「魂を、消す、のも、人殺し、なら」
千獣は一声、獣の声で吼えた。
「私は、彼らの、ために、あえて――獣に、なる!」
「死んだ人間は生きている連中の心の中で生きる、か」
トゥルースの声が大きかったため、聞こえていたディーザが、銃を絶えなく発射しながらふと苦笑した。
「じいちゃんは、私の心の中で生きていたいなんて思っているかね」
一発。撃ち込んだ弾がはずれる。
しゅるしゅると蛇のように動いたそれは、ディーザの腕にからみつく。
同時に別の『顔』が、ディーザの銃を持つ手に噛み付いた。
「……ちっ」
痛みは大したことがないが、うっとうしい。むんずと左手で噛み付いている方の『顔』を引き剥がすと、
「ディーザ殿、こちらへ!」
横から声がして、反射的にそちらへ投げた。
アレスディアの突撃槍が、その火の玉を貫いた。
ディーザの手を狙って次から次へと『顔』がやってくる。
アレスディアは滑り込むようにディーザの前に立ちはだかり、素早い突きの連続でそれらをすべて滅した。
「この世に留まっていたところで、何も満たされぬ」
アレスディアは低くつぶやく。
「むしろ生者を妬み、欲だけが募るばかり。少々手荒ではあるが、天へ召されてもらう」
――ディーザはははっと笑った。
「………? 何だ? ディーザ殿」
「いやあさ」
ディーザは自分の腕にからみついている蛇を無理やり引き剥がしながら、
「ねえ、死者は生者を妬むものかなあ?」
「………」
アレスディアは考え込む。
「確かにこの世に残してきた誰かが気になってあの世に逝けない幽霊ってよく聞くけど」
ようやく引き剥がした蛇火の玉の『顔』をまともに撃ち抜き、ディーザはつぶやく。
「……生者のことなんか、もう見えてない可能性も、あるよね……」
ねえ――、とディーザは答えなど求めていない問いを口にした。
「生きている者が死んだ者を忘れるのと、死んだ者が生きている者を忘れるのと、どっちが早いんだろうね?」
「ディーザ殿……」
生真面目なアレスディアは真剣に困ってしまったようだ。
ディーザは笑って、「冗談、冗談」と言った。
「たださ……まだ自分の心の中で“生きてる”もう喪われた人が、とっくに自分のことは忘れてたら、ちょっと寂しいかもねって思ってみただけ」
「とっくに……自分のことを、忘れて……」
アレスディアがぎゅっと突撃槍を握る手に力をこめた。その手がかすかに震えているようにも見えた。
彼女にも過去があるだろう。その胸に秘めた過去が。
だがそれは彼女だけのもの。他の誰にも触れない。
「アレスディア! ほら、来るよ!」
ディーザは少女の意識を切り替えさせた。
戦士に戻ったアレスディアは――何かを忘れようとするかのように、激しく突進していった。
ディーザはくっと苦笑してから、銃を構える。
「……なーに辛気臭いこと言ってやがんだか」
背後から声がした。
「キミの執念深さよりマシじゃないかな? ユーア」
「ははん。俺は自分に素直に生きてるだけさ。生きてても死んでても、素直に生きるだろうよ」
ユーアなら、死んでも意地でこの世界に留まっていそうだ。
否、逆に新しい食料を求めてさっさと逝ってしまうだろうか。
「――俺にだって忘れられない、もういねえ友ぐらいいるさ――」
ユーアがディーザの前に出て、つぶやいた。
意外な発言に、ディーザは目を見張った。
「やつらは死んだ」
ユーアは静かに告げた。
「だが俺は、やつらの心を忘れない。やつらの瞳の輝きを忘れない。永遠に」
飛びかかってきた火の玉を火炎魔法で焼き尽くし、ユーアはざっと草の上に靴をすべらせた。
「そしてその分俺が生き延びてやる! やつらができなかったことを全て、やりつくすためにな!」
「すごい……すごい……」
離れたところから見ていた妖精は、自分の体の中に満ち溢れてきたパワーに打ち震えていた。
「川の……穢れが消せる……私の……力が通じる……」
妖精は思った。
ただの冒険者では、この依頼はきっとこなせなかったのではないかと。
彼らには――パワーがあった。ただの力、ではない。不浄の魂にも勝つ魂を、その身に秘めている。
「ああどうか……川よ、蘇って……」
妖精は祈る。奇跡と呼ばれる川の復活を祈り――
その瞬間は、まぶしくて誰も覚えていない。
火の玉に包まれて全貌不明だった川から、突如放たれた光。
不浄をすべて飲み込むほどの――力強い光――
「……あ?」
ユーアが辺りを見渡して、「もういねえじゃねえか」と前髪をかきあげた。
「ん……」
ディーザが閉じてしまった目を開けて、同じく辺りを見渡す。
「……何が、起こったんだ?」
顔面火の玉たちがいない。
あれだけうるさく聞こえていた声もさっぱりなくなった。
代わりに聞こえてきていたのは――
さらさらさら……
とても優しく耳に響く、川のせせらぎ――
「川、が」
千獣がほとりに四つんばいになり、川を覗き込む。
清流。そう呼ぶに相応しい、石やわずかな藻が透き通るようによく見える水面。
「お? こりゃ浄化完了したんじゃねえか?」
トゥルースが、川に葉巻の灰を落とさないよう葉巻をおさえながら川を覗き込んだ。
「本当に……美しい川だ」
「ふうむ。これほどに変わるとは拙者も驚きでござる」
「へ〜え、これが奇跡の水かあ……」
「奇跡の水!」
剣をおさめたユーアが騒ぎ始めた。「おい、妖精! どこだ!」
「ここ、です」
「どわっ!?」
ユーアの肩から現れた妖精は、「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。
「おかげで……奇跡の川は……元に戻りました……本当に……感謝しても」
「感謝はいいから礼は!」
ユーアが一歩迫る。
トゥルースががりがりと頭をかいて、
「それで、この川の水は願い事を叶えてくれるんだっけか?」
「はい……!」
「大丈夫なのか? どんな願いだろうが欲は欲なんだぜ。魂を追っ払ったってのに、俺らの欲で川が汚れねぇか?」
「大丈夫、です」
妖精は妙に確信に満ちた笑顔で微笑んだ。「あなたたちなら、大丈夫、です」
「あん???」
「それに……この清流は、元からそう『在る』のです……自分を、救ってくれた者には……ひとつの光をと。それが原因で……今回のようなことも……起こってしまいましたが」
「ひとつの光を、ねえ……。ま、大丈夫だってんなら……別に俺は今のところこれって望みはねぇし、そうさなぁ」
トゥルースは一緒に戦いを終えたメンバーをぐるりと見渡した。
「……俺のダチに幸福をってところさ」
「憎いでござるなトゥルース殿」
幻路が笑って、
「願い事については……うーむ、拙者これでわりと満足に暮らしておるし、金銭面もさして切迫しておらぬ。故に、拙者の願いは……妖精殿、お主とお主の帰りを待つどなたかの幸を望むでござる」
妖精がはっと顔を幻路に向けた。そしてうつむく。
「どのような事情かはわからぬが、決して、悪いようにはならぬように」
「……はい……」
か細い声で、妖精は応えた。
「んじゃ女性軍団。答えてけ」
ユーアが真っ先に口を開いた。
「やっぱり、腹いっぱい食いたいよな」
妖精が目をぱちくりさせて、それからにこっと微笑んだ。
「どうぞ、川の水を一口」
「おー、遠慮なく」
手ですくって澄んだ水を飲む。
と――
「……………………うおっ!?」
ユーアは嬉しそうな声を上げた。
「何か、一発で腹一杯になったぞ!?」
もっと飲みたいが腹一杯だ――と幸せそうな声をユーアが上げている。
「……こいつぁ、完全な欲だと思うんだがなあ」
トゥルースが不安そうに言う。
「大丈夫です……食欲、睡眠欲などは……人間には当たり前に……あるものですから……川も最低限の力で……いいのです……」
「そうなのか……」
そんなことを話している横で、アレスディアが難しい顔をして考えていた。
「私の願いは……いや、これはどなたかに叶えてもらうものではない」
首を振り、
「故に、そうだな……先ほど、ここに集まっていた魂達は、無事に天へ行ったのだろうか。もしも、まだ、欲を溜め込み穢れたままでいるのならば、私の分の願いは、可能ならばここに集まっていた魂の欲の浄化を」
少しだけ満足そうに微笑み、「いつかまた、どのような形かはわからぬが、この世に戻ってこれるように」
――このまま消え去ってしまうのは悲しいことだ――
喪ったものが多かった彼女には、それがよく分かるから。
「……というこれもまた、欲か。生きているか死んでいるか。ここに集まっていた魂達と私とは、その程度の差しかないのだろうな」
「……皆様は……魂について、とてもよく……考えていらっしゃった……だから、川は応えたのです……」
さあ――と妖精は彼らを川に促した。
「どうぞ一口ずつ、お飲みください……」
トゥルースと幻路、アレスディアは顔を見合わせた後、かがんで清流の水をすくい、口に含む。
冷たくて、心にまで染み渡る味だった。
アレスディアはふと気づいて空を見上げた。
声が、落ちてきた気がした。――ありがとう、と。
アレスディアの顔に微笑みが浮かぶ。
「さあ、あとのお2方も――」
ディーザと千獣は、しばらく動かなかった。
やがて千獣は意を決したように妖精の方を向き、
「……ねぇ、願い、事って……他の、誰か、に、あげちゃ、だめ……?」
「え……?」
「自分が、抱えて、いる、こと……獣達の、こと、とか、ある、けど……それ、は、私、自身……向き、合わ、なきゃ、いけない、こと、だし……」
千獣は自分の胸の上に手を置き、精霊の森の皆のことを思い描く。
「……クルス、や、精霊の、みんな、の、ことは……私が、勝手、に、願って、叶え、て、もらったら、いけない、と、思う、し……だから……あげちゃ、だめ……?」
――願い事はその人の心に関わることだから。
勝手に、自分が叶えたりしてはいけない……
「私も訊きたかったんだ」
とディーザがようやく口を開いた。
「願いが叶うっていうその水、本当にどんな願いでも叶うの? それと……水って、保存は無理なのかな? 私より別の子にあげたいんだよね。無理かな?」
ディーザの脳裏に1人の少年。黒水晶の瞳をした、太陽から閉ざされた場所に在る少年。
「まぁ……あの子がそんなことされるの望むかどうかは別だけど」
前髪あたりをかきながら、くわえ煙草で苦笑する。
妖精が、
「できます……」
と言った。
「あなた方が選んだお相手なら……きっと……無駄には使わない……ええと、何か、水をためるものを……」
「いいの? やったね、じゃこの水筒に少し入れて……」
ディーザは水筒の中身を捨てて、清流の水を少し入れた。そして千獣を見て、
「街に戻ったら分けよう」
千獣は頬をピンク色に染めて、うなずいた。
+++ +++ +++ +++ +++ +++
まずは解決祝い。妖精を入れて全員で白山羊亭でパーティを開いて。
ユーアはすでにお腹一杯のはずなのに、さらに食べた。
ディーザと千獣は、手に入れた水をどうやって渡すかで悩んだりしていた。奇跡の水だなんて信じてもらえるだろうか。この出来事の最初から話さなくてはいけないだろうか。
――やがて妖精は、自分も手に入れていた奇跡の川の雫を抱き、
「また……依頼しに、きます……」
と先に帰っていった。
――妖精殿、お主とお主の帰りを待つどなたかの幸を望むでござる――
「ごめん、なさい……」
妖精は泣きそうな声で、きゅっと奇跡の雫が入った瓶を抱く。
――決して、悪いようにはならぬように――
「ごめんなさい……!」
妖精は雫を抱いて、もう一度白山羊亭に来るだろう。
そして依頼するのだ。
――ある少年の元へ、一緒に来てくれないか、と。
<その清流は奇跡と呼ばれ/了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2542/ユーア/女/18歳(実年齢21歳)/旅人】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3255/トゥルース・トゥース/男/38歳(実年齢999歳)/伝道師兼闇狩人】
【3482/ディーザ・カプリオーレ/女/20歳/銃士】
【3492/鬼眼・幻路/男/24歳/忍者】
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■ ライター通信 ■
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トゥルース・トゥース様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回も依頼にご参加くださり嬉しいです。
拳がうなっていましたね(笑)幻路さんといい相棒になれそうです。
この話はゲームノベルに続きます。よろしかったら覗いてみてください。
またお会いできますよう……
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