<東京怪談ノベル(シングル)>
〜汝、全てを貫く拳たれ
「……っ、ここかぁッ!」
はち切れそうな筋肉に覆われた脚がうなりを上げ、巨木をへし折った。
哀れな巨木はそのまま崩れ落ち、周囲に地響きをまき散らした。
だが、蹴り折った男――――ガイの表情は、失策を悟った者のそれだった。
舌打ちし、あらぬ方向へと視線を飛ばす。
その先には――何もいない。
ただ、下生えの深い草むらと木々で構成された森が広がっているだけだ。
「くそったれが……」
虚空へ向かって罵倒するガイの肩から少なくない量の血が流れ落ち、小さな池を作っていた。
――――それと出会ったのは、偶然だった。
いつものごとく、修行と放浪の旅の途中。
その、白い大カマキリのような姿をしたモンスターは、それなりに長く賞金稼ぎをしているガイが驚くほど、危険度と値段が高く設定された賞金首だった。
なるほど、確かに両腕の鎌こそ鋭そうだが、ガイに見切れないものとも思えない。体高もほぼガイと同じ。ならば倒せぬはずはない、と挑んだのだったが――――。
わずかな擦過音が耳に入るや否や、そこへとテイクバックすら見せないガイの裏拳が飛ぶ。だが、それが砕いたのは一本の枝のみ。
息をついた瞬間、背後に殺気。
「ちッ!」
それを確認する間も惜しみ、ガイは前方へと身を躍らせる。
背中に灼熱感。一回転して後ろを振り向くと、モンスターの姿。咆哮を上げて拳で打ち掛かるが、それを防ぐこともせず、モンスターの姿が消える。
わずかにたたらを踏み、ガイは体勢を立て直す。
背中の傷に手をやると、傷は深くなかった。
透明化。瞬間移動。
どうやら、それがこのモンスターを生き長らえさせ、また賞金を上げ続けてきたものの正体のようだった。
ガイのように基本的に近接戦闘以外の攻撃手段を持たない者には、極めてやっかいな存在だった。どちらか一方だけの能力なら手の打ちようもあるが、両方が組み合わさったこのモンスターは、逃げに回られると追い切るのはほとんど不可能だ。
襲ってくる瞬間の殺気を捉え、辛うじて致命傷は逃れているものの、ガイ程に戦い慣れした者でなければ、とっくに鋭い大鎌で惨殺されているだろう。
それでさえ――――
突如として、目の前に振り下ろされる鎌が出現した。
「――――!」
辛くも肘で鎌の腹を捌き、弾く。気配も何もない。直前までは確かに存在していなかったのだから当然だ。
わずかに体勢を崩した瞬間を、ガイは見逃さない。
ミノタウロスの腕輪が光る。岩をも砕く剛拳が、爆発的な勢いでモンスターの顔面を狙った。モンスターは避ける間も防ぐ間もなく――――
――――姿を消した。
「っ、そ!」
豪快に空を切った拳の先を、ガイは恨めしそうに睨みつけた。
時間が足りねぇ。
それが、ガイの結論であった。
ミノタウロスの腕輪の力まで使って速度を上げた鉄拳でも、あのモンスターが姿をかき消す前に殴るにはまだ遅い。
「速度」ではダメなのだ。「時間」が必要だ。
と、不意にガイの唇がほころんだ。
腹の奥から上がってくる衝動に堪えきれず、笑い声が上がった。
「くだらねぇ。俺らしくもねぇ」
高笑いしながら、構えを解く。
透明化してどこかに潜伏しているのであろう、大きなものが草むらを掻き分ける音がする。
それでも、ガイはリラックスした表情でそれを無視する。
その姿を見る者がいれば、勝負を捨てたか、とも思える無防備ぶりだ。
モンスターは、わずかに戸惑ったのか。すぐさま襲っては来ない。
だが、それもわずかひとときの事だった。
背後に、突然の気配。
慌てるでもなく振り向いたガイの頭めがけ、ガイ自身の血で塗れた大鎌が振り下ろされた。
「ったく、俺としたことがよ――――」
肉を、貫く音がした。
「――――傷つくことなんかを、ビビってちゃいけねぇや」
紅い血が勢いよく飛沫き、モンスターの白い身体を染め上げる。
だが、モンスターが上げた叫びは、快哉ではなく狼狽。
モンスターの大鎌は、巨漢のオーラバトラーのかざした太い腕を貫き、そのまま抜けなくなっていたのだ。
慌てて横薙ぎにもう一本の鎌を振るうが、それはガイの自由な腕と脚が挟み込み、勢いを完全に殺した。
「終わりだぜ」
ガイの呟きは、ひどく穏やかだった。
拳が、固く固く握られる。
そこに、気が収束してゆく。
「ギ――――」
「ッりゃあああああぁぁッ!!」
拳が見えなくなるほどの光を放つ気の塊が、爆音と共にモンスターに突き刺さった。
「ふぃ〜、やれやれ」
疲労を声に滲ませ、ガイは手近な岩に腰を下ろした。
流石に疲れた。傷も、決して浅くない。常人なら気を失いそうな激痛と、もうしばらく――なけなしの残りの気が癒してくれるまで――付き合う必要がありそうだった。
傍らには、上半身の中ほどに大きく風穴を開け、動かなくなったモンスターの残骸がある。
これでしばらくは、食うには困るまい。
何より、良い修行になった。
ガイは満足げに笑みを浮かべ、そのままごろりと横になった。
〜了〜
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