<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


綺麗な水を探して

●水を探す者
 ある暑い夏の日の夕暮れ、賑わう白山羊亭に一人の青年が訪れた。
 戸口で外套についた砂埃を払うと、物珍しげに店の中を見回す。
「いらっしゃーい。お一人ですか?」
 不慣れな様子も気にせず明るくルディア・カナーズが声をかければ、迷いの表情を見せながらも青年はカウンターに近付いた。
「ここで『仕事』を頼めると、聞いてきたんだが……」
「はーい。冒険のお仕事の依頼ですね! こちらに座って……それじゃあ、お名前とご用件をお願いします」
 慣れた口調で応対するルディアに圧倒されながらも、おもむろに青年は話を切り出す。
「俺はラーマナという。ここまで『綺麗な水』を探しにきたんだが、どうにも……この都の辺りは不慣れで。案内を兼ねて、力を貸して欲しいんだ」
 名乗った青年は、言葉を選びながら説明を始めた。

 数年前、彼の村は乾涸びて消えた。
 原因は、唯一の水源だった近くの小さな湖が枯れたこと。
 湖を調べた者達は、湖底に『湧水珠』なる宝玉が奉られた小さな祠を見つけ出す。
 しかしどうすれば水が戻るのかは判らず、成す術のない村人達は次々と枯れた村での生活を見限っていった。
 彼、ラーマナ・ルドハーネもまた村を出奔したが、目的は水を取り戻す方法を調べるため。
 知識のある者を訪ね歩き、あるいは占者に依頼して調べた結果、湧水珠は水喚びの魔力を持つ宝珠である事が判った。
 だが長い年月を経るにつれ、その存在を村人達は忘れてしまい。やがて湧水珠の力は衰えて、遂には魔力を失った。

「湧水珠の魔力を取り戻すには、綺麗な水の中に含まれる『水の素』を出来るだけ沢山集めて、湧水珠に注げばいいそうだ」
「その、『水の素』って?」
 興味深げにルディアが尋ねれば、ラーマナは外套の下から皮袋を取り出し、口を結わえた紐を解いた。
 中を覗くと、飴玉のような小さな丸い水色の球が、幾つも転がっている。
「主に『素』は、綺麗な水が含まれている。できれば水が沢山ある場所か……もしくは何らかの魔力を帯びた綺麗な水が、一番いいらしいんだが」
「う〜ん……誰か知ってる人がいるか、とりあえずあたってみるね」
 思案顔で答えるルディアに、神妙な顔で青年は一つ頷いた。

●案内者達
「……という訳なんだけど。近場で『綺麗な水』の場所に心当たりがあったら、ぜひ案内してあげてほしいの」
 店によく顔を出す常連客や冒険のネタを探しにきた者達へ、おりを見てルディアが声をかける。
「綺麗な、もしくは魔力の宿った水……?」
 話を聞いたロキ・アースの表情は、強張ったのを通り越して引きつっていた。
「うん、そうらしいけど……何だかこの辺がピクピクしてるの、大丈夫?」
 自分のこめかみ辺りを指で押さえるルディアに、ロキは一つ咳払いをする。
「いや、ああ……俺にも、多分、手伝える……多分。うん、多分」
 その言葉の半分は、自分に言い聞かせているような、もしくは何かの呪文のような。
「で、これがその『水の素』でござるか……まるで、飴玉みたいでござるなぁ」
 袋に入った『素』の一つを指で摘み上げた鬼眼・幻路は、しげしげとそれをランプの光にかざした。
 小さな丸い水色の球は弾力があり、かといって押して潰れる程でもない。中では弾けるような光がちらちらと輝いていて、透かし見た風景は万華鏡のような鮮やかな断片が組み合わさった、不思議な世界に見えた。
「それで……この『水の素』というものはよく判らぬが、綺麗な水である為には何か特別な条件などがあるのか?」
 眺めていた『水の素』を袋に戻したアレスディア・ヴォルフリートが顔を上げれば、『依頼者』であるラーマナは首を横に振る。
「具体的に、これといっては。ただ、それが『綺麗な水』だと思うかどうか……が、大事らしい」
「ふむ……ならば、とにかく綺麗だと思う水のある場所へ案内すれば良いのか」
「うん、それで十分だ」
「……綺麗だと思う……水の……ある場所……」
 とつとつとアレスディアの台詞を繰り返し、髪が顔にかかるのも気にせずに、俯いた千獣が何かを考え込んでいた。
「とりあえず、行ってみようか。水の場所なら、幾つか……穴場を知っているし」
「ああ、お願いする」
 微妙に言いよどみながら席を立つロキに、テーブルの皮袋を手に取ったラーマナも腰を上げ、残る三人もそれに続く。
「みんな、いってらっしゃーい」
 店を出る者達の背に明るい声をかけ、見送るルディアは大きく手を振った。

●綺麗な水と映る想い
 エルザードの中心部を抜けたロキが足を止めたのは、街の外れにある浅い泉だった。この暑さもあって、何人かの子供たちが水を掛け合うなどして遊んでいる。
「その……なんだ。こ、ここに落ちた時、すごく水が美味しかった。だから……多分、綺麗だ」
 ここまで案内してきたロキは、何故か先を譲るようにラーマナの後ろに回り、背中から言い辛そうに説明した。
「じゃあ、とりあえず……試してみるよ」
 落ちた理由はあえて問わず、ラーマナは手甲を外すと懐から小さな筒を取り出した。それを静かに水に沈めて栓をすると、まじないの言葉を小さく二つ三つ。
 そんな大人達の様子を見て、遊んでいた子供達が興味深げに集まってくる。好奇心に満ちた瞳にロキは静かに立てた人差し指を自分の口に当て、邪魔をしないよう身振りで示した。
 やがて水から静かに筒を引き上げると、蓋に刻まれた穴から水が滴り落ちる。
「……どう、だった?」
 子供の相手をしていたロキは、水辺から立ち上がった相手へやや躊躇いながらも尋ねた。
「うん。いい『素』が採れたよ」
 筒を傾けると、広げた手のひらにころんと飴玉のような『水の素』が転がり出る。彼を取り囲んでいた子供達が、それを不思議そうな顔で覗き込んだ。
「なるほど。そのような方法で、『素』が取れるのか」
 子供に混じりながら、アレスディアも興味深げに採取したばかりの輝きを眺める。
「……じゃあ……もし、水が……綺麗、ではない、水なら……?」
 様子を見るように、少し距離を置いて後ろに立っていた千獣が口を開けば、ラーマナは振り返って「何も」と答えた。
「ただ筒に入った水が、そのまま流れ出てくるだけだ」
「即ち、『素』そのものが出来すらしないのでござるな」
 腕組みをする幻路が、感心したように唸る。
「とにかく、採れてよかったな。じゃあ……次に行くか。ここから、あまり遠くない」
 皮袋へ『素』を入れたラーマナに、やはり何故か気乗りしない口調でロキは促した。

 その後も四人はロキについて、彼が知る『綺麗な水』の場所を数箇所を回った。
 途中の湖でロキとラーマナがずぶ濡れになるアクシデントはあったが、幻路の案内した『茶屋』で休憩がてら、濡れた二人の服を干し。茶屋の水源と、更に千獣の案内で向かった近くの森の小川で『素』を採取する。

「では、私で最後だな。こちらだ」
 森を出るとアレスディアが口を開き、悠然と踵を返して歩き出す。
 だが幾らも進まぬうちに背後で戸惑う気配に気付き、足を止めて振り向いた。
「どうかしたのか」
「いや。このまま真っ直ぐ行くと……戻るんじゃないかと、思ったんだが」
 言葉を濁しつつ、ラーマナは彼女の後方にそびえているエルザード城へ目をやる。彼の視線の先を追ったアレスディアは、迷う様子もなく答えた。
「ああ、そうだな。このまま進むと城下へ戻るが、それで構わない」
 再び歩き始めるアレスディアに、不思議そうな顔をしながらも残る者達は彼女の背中についていく。

 石畳の通りに売り子や呼び込みの声が響き、街は出た時と同じく雑然としながらも活気に満ちた光景が広がっていた。
 顔見知りが声をかけてくれば、それに答え。
 夢中で駆け回って遊ぶ子供たちに出くわせば、やや表情を緩めてそれを見守る。
 道に迷う旅人がいれば教え、荷が多くて困窮する者に出くわせば途中まで手を貸しながら、アレスディアはどんどん街の中心部へ近付いていた。
 誰かが奏でる楽の音が聞こえ、店や道端で会話に興じる人々の姿が増えて。
 進む通りは、遂に円形に開けた場所へ出る。
「……ここは」
 広場の中心で、天へ手を伸ばす天使の像を見上げ、ラーマナは驚いたように呟いた。
「天使の広場だ。もしや足を運んだのは、初めてだったか?」
 黒のくすんだ灰銀色の髪を揺らして、アレスディアは首を傾げる。
「いや、白山羊亭へ行く時に、通りがかりはしたが」
 まだ呆気に取られたような相手に、彼女は身振りでついてくるよう促した。賑やかに人々が行き交い、あるいは談笑する広場の中央には、真ん中に天使像がそびえる円形の噴水が水を湛えている。その水へアレスディアが片手を差し入れてすくい上げ、手を傾けて水を戻した。彼女の手から零れ落ちる水滴が、噴水の水面に輪を作って広がっていく。
「これまでの自然の清流のようには、いかぬかもしれぬ。だが、ここ天使の広場は、街の人々の憩いの場として親しまれている場所だ」
「だが……」
 石積みの縁まで歩み寄ったラーマナは、微かな波紋が残る水面を見下ろした。その表情は芳しくなく、何事かを決めかねる様子だ。
「この水は、常に人々の日常を映している」
 その言葉に、迷う男は彼女へ視線を上げる。
「笑って怒って時には泣いて。決して、歴史を揺るがすような大事件や、伝説の事物があるわけではない。ただ、人々の悲喜交々な日常があるだけだが……それこそが、私の護りたいものなのだと、再確認できる」
 縁へ軽く腰掛けたアレスディアは、青い瞳で人々の営みをじっと見つめていた。
 親しみと愛しみと、そして強く険しい感情を湛えて。
「……私は、人を護りたい。だが、何かを護ろうとすると、何かを討たねばならないこともある。必ず、人が正しいとは限らない。そんな心迷うとき、ここに来る。護るために討つ矛盾を割り切ることはできない。でも、人々が懸命に日々を生きるその姿を護りたいと思う気持ちもまた、確かなものだと、実感できるのだよ」
「たまに……綺麗だと思う水から、『素』が採れないこともある。そうなると、教えた者は「そんな筈はない」と激しく憤る。もしかすると、あなたを失望させる結果になるかもしれないが」
 言い辛そうに確認するラーマナへ、ふっと短く息を吐く。
「あいにく、私はそれほど狭量ではない。あなたを罵りもしなければ、ここが綺麗な水でなかったことに失望もせぬよ」
 ……『素』が採れなくとも、ここは己にとって『綺麗な水』の在り場所に変わりはないのだから。
 僅かに口の端を上げて、アレスディアはそう答えた。
「強いんだな」
「強くありたいと、思っているだけだ」
 即答されたラーマナは、どこか感慨深げに彼女を見つめ。
「……じゃあ」
 筒を取り出すと、静かに噴水に浸した。

 西へと傾いた太陽に透かし見たそれは、これまで見たどれとも違う、奇妙な輝きをしていた。
 例えるなら、清浄と汚濁。あるいは、負と正。
 本来ならありえないような相反が入り混じったような『素』の反射を、誰もが興味深げに眺める。
「何を意味するのだろうな」
 アレスディアの呟きに、彼は短く頭を振り。
「判らない。だが『素』に違いないし、ここが他とは違う場所なのかもしれないが……悪い感じはしないから、大丈夫だろう」
 そして最後の『水の素』を、皮袋へ収めた。

●水を得て
『水の素』を集め終えた案内者四人とラーマナは、白山羊亭へと戻ってきた。
「四人とも、ありがとう。お陰で『素』も集まったし、本当に助かった」
 四人の案内で得た『水の素』を加えた皮袋を丁寧に荷物へしまったラーマナは、かしこまって何度も礼を述べ、居心地が悪そうに幻路が髪を掻く。
「ま、困った時はお互い様でござるよ」
「……水……戻ると、いいな……」
「そうだな。村の人達の力になれたなら、いいんだが」
「十分、力になってもらったよ。水が戻って落ち着いたら、よければ村へ寄ってくれ。今はまだ……人もいなくなって、何もない場所だけどな」
「ああ。頑張ってな。もし何か困った事でもあったら、いつでも顔を出してくれ……いや、何もなくても歓迎するが」
 慌てて付け加えるロキに、ラーマナは笑って頷く。
「それじゃあ……本当に、ありがとう」
 見送る者達へ礼の言葉を繰り返した青年は、名残惜しげに白山羊亭の扉を開き。
 故郷への帰路を辿るため、雑踏へと消えた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女性/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女性/17歳/異界職(獣使い)】
【3492/鬼眼・幻路/男性/24歳/異界職(忍者)】
【3555/ロキ・アース/男性/22歳/異界職(バウンティ・ハンター)】

【NPC/ラーマナ・ルドハーネ/男性/24歳/水を喚ぶ者】

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■         ライター通信          ■
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 初めまして、ライターの風華弓弦です。
 このたびはご参加いただきまして、有難うございました。
 今回は、個別でありながらも隔絶された個人情報ではなく、ある程度つながった内容となっています。
 初の白山羊亭冒険記でしたが、楽しく書かせていただきました。お気に召していただければ、幸いです。
 なお、この物語は発端です。また再びまみえる事もあるかと思いますが、もしもご縁がありましたらば、よろしくお願い致します。