<東京怪談ノベル(シングル)>
『ささやかなる一杯を赤提灯の灯りの下で』
さて、どうにも最近落ち着かない事がある。
何やら胸がすっきりとしないのだ。
胸にしこりがあって、それが鬼眼幻路を心の奥底から笑わせてくれない。
それが何であるかを考えるのが最近の幻路の日課となっていた。
一体何がこんなにもひっかかっているのか?
その理由がとんと理解できない。
今日も腕組みして幻路が街の通りを歩いていると、一枚のポスターが目に飛び込んできた。
『真夏の世の夢』今日より公演。
―――幻路とレーヴェとを引き合わせる事になった劇である。
「おおー。これでござる!」
幻路は両手をぽむと叩いた。
「レーヴェ殿に謝らなければ!」
+++
レーヴェ・ヴォルラスの背に悪寒が走ったのは、紛れも無く鬼眼幻路が凄まじく余計な事を思いついてくれた瞬間だった。
さすがに長らく戦場に身を置いてきた剣士故に自らの身に起こり得る危険を察知するための野生の勘は優れている。
しかし、
「どうもでござる!」
それが何によって起こり得る危険であるのか、それを明確に言い当てられるほどの確証はまだ持てずにいた。
ここが戦場であるのなら、おそらくはレーヴェも自分の第六感が感じ取った危険への注意を払うであろう。
だがしかし、ここは日常であった。
平和な聖都の日常である。
その穏やかで、晴れた日の空気が、以前にあれだけ散々な目に遭わされた鬼眼幻路への警戒を抱かせなかったのだ。
いや、そもそも大勢の人の前でパンツ一丁になってしまったのは、元を正せばレーヴェが先に鬼眼幻路の事を勘違いしてしまい、
………それで起こってしまった悲劇である。
正直、あれだけ恥ずかしい目に遭わされたのだ、鬼眼幻路に関わりたくないと思うのは当然の心理であった。
しかしそれはレーヴェの武人としての矜持が許さなかった。
それではあまりにも理不尽ではないか。確かに鬼眼幻路も自分の事を勘違いしていたが、それはお互い様であったし、おそらくはレーヴェの勘違いから始まったボタンの掛け間違えだから………、
だから、
「ど、どうも、だな、鬼眼幻路」
硬い表情と声であったが、泣く子も黙る彼にしては最大限にフレンドリーに挨拶をした。
わずか数時間後にこの今の自分のとんでもない勘違いをレーヴェは悔やむ事になる。
+++
気付いてしまえばほかっとく事などできなくなってしまうのが人の業である。
幻路はレーヴェに申し訳なくて申し訳なくて、だからどうしても彼に謝りたくって、何か、こう、彼に対して誠意を見せられれば、と思い、
それで彼は思ったが吉日、さっそくレーヴェに会いに行った。
彼が今日は非番である事、そして彼が街をぶらぶらと歩いている事は闇偵・浄天丸の能力でわかっていた。
運が良い。
非番であるのなら、非番にも関わらずにぶらぶらと歩いていると見せかけて街の警備が出来るほどに暇であるのなら、誘える。
どこに誘おうか?
―――それを考えて、幻路はくすっと笑ってしまう。
笑う?
何故に笑うのだ?
自分が間違いを犯してしまった相手に謝罪するという行為は、凄まじく精神的負担が重い作業だ。それをこれからしようとする時に、笑えるはずが無い。
では、何故、自分は笑った?
―――幻路は腕組みして、小首を傾げた。
そしておもむろにくわっと隻眼を大きく見開いた。
「よもや、目覚めたのか、拙者!!!」
幻路は空を見上げ、拳を握った両腕を大きく開いて、叫んだ。
目覚めたとは、何にか?
無論、そういう薔薇で縁取りをされるような関係にだ。
会える事が嬉しいのはそういう事ではないのか?
「なーんてね、でござる♪」
幻路はクックックと笑った。
何故に会えるのが嬉しいのか、それは、
「そうか。そういう事でござったか。拙者とした事が」
幻路はクックックと笑ってしまう。
そう。そうなのだ。あの時に、初めて出会ったあの時に、幻路はあの生真面目さに惚れていたのだ。
あんな、あんな面白い玩具は、他には無いのだから!!!
今、全てを悟った幻路は顔を片手で覆って豪快に笑い出した。
そうなのだ。
これまでずっと胸にあったあのしこりは、あんな面白い玩具をほかとっくなんて何をしているんだ自分? っていう心の内なる叫びだったのだ。
そうとわかれば、
わかってしまったら、
会わずにはいられない。
それで、
「どうもでござる!」
嬉々とレーヴェに会いに行って、
挨拶した。
「ど、どうも、だな、鬼眼幻路」
レーヴェも凄まじく不恰好な笑顔を浮かべて、応じてくれる。
―――わ、笑うなでござる、拙者。
内心で幻路はそう自分に必死に言い聞かせる。ここで笑ってしまったら、これからこの男を玩具にする計画が水の泡だ。
必死で幻路は噴き出しそうになる自分を押さえ込んで、生真面目な表情をして見せた。
「今日はでござるな、先日の謝罪を込めてお主を接待したいと思ったでござる」
「接待だと?」
―――おー、おー、訝しがってる。訝しがってる。そんなに眉間に皺を刻むと、ぱっくりと眉間が割れてしまうでござるよ?
「そうでござる。まあ、先日の不幸なボタンの掛け間違えを、今宵の酒で綺麗さっぱりと流していただきたいのでござる。拙者、それでお主と友人になってもらいたいのでござるよ。ダメで、ござるか?」
―――友人となって、そのポジションから拙者は生真面目すぎるお主を玩具にしてやりたいのでござるよ♪
「い、いや、ダメでは…無いが………。自分と貴様が、友人にだと…………」
―――おー、おー、嫌そうな顔をしているでござるな。そんな顔をされると、さすがの拙者もいじけるでござるよー。いじける事で、また拙者はお主を玩具にするでござるよー。ござるよー。でもそれもまた一興なのでござるのだけどな。
「う、うむ。自分と貴様が友人にか。良いだろう。出会いは最悪であったが、しかしあれは元を正せば自分が悪いのだ。早とちりして、その結果があ、あの、」
「パンツ一丁であったな♪」
―――わ、笑いたい!!! そ、そんな耳まで赤くして、金魚のように口をパクパクさせて。本当に反応がいちいち素直な男でござる。
「そ、そうだ。そういう結果になってしまった。だから、そ、その、その事を乗り越えるためにも貴様と友人となるという案は良いかもしれん。うん」
―――真面目、生真面目すぎる奴でござる。こ、こんな生真面目に、さも、神より与えられし試練に挑む騎士かのように、か、からかい甲斐があるでござる。頭が、頭が固いのでござるなー。
「では、行くでござる。店は拙者の行きつけの店で良いでござるな!」
+++
「今日はでござるな、先日の謝罪を込めてお主を接待したいと思ったでござる」
「接待だと?」
―――また何を言い出しているのだ、この男は? もうどうでも良いから、そっとしておいてくれ!!!
「そうでござる。まあ、先日の不幸なボタンの掛け間違えを、今宵の酒で綺麗さっぱりと流していただきたいのでござる。拙者、それでお主と友人になってもらいたいのでござるよ。ダメで、ござるか?」
―――ゆ、友人? 頭のネジが緩んだか!? いや、いやいやいや、
「い、いや、ダメでは…無いが………。自分と貴様が、友人にだと…………」
―――し、しかし、そうだ。あんな最低な事があったからこそ、
「う、うむ。自分と貴様が友人にか。良いだろう。出会いは最悪であったが、しかしあれは元を正せば自分が悪いのだ。早とちりして、その結果があ、あの、」
「パンツ一丁であったな♪」
―――い、嫌な事を思い出させるな! いや、自分が言おうとしていたのだが…。
「そ、そうだ。そういう結果になってしまった。だから、そ、その、その事を乗り越えるためにも貴様と友人となるという案は良いかもしれん。うん」
―――そうする事によって、自分はまた一段高い場所に行けるかもしれん。いや、自分の騎士道を磨くためにもそうしたい。ならばこのおちゃらけた男とも付き合わねば! そうだ。人間、誰でも一つは見習うべき所はあるはずで、だからこの男からも得るべき事はあるはず。人間、やはり一期一会を大切にせねば。
「では、行くでござる。店は拙者の行きつけの店で良いでござるな!」
+++
「いやいや、それでは二人の出会いを祝して乾杯でござる」
祝杯をあげるのはひっそりと街の片隅で営業されている屋台の飲み屋であった。
赤提灯の灯りの下で二人はお猪口をぶつけ合う。
幻路はレーヴェが酒をくいっと飲み干すのを屋台のカウンターに肘を突いて頬杖つきながら眺めやっている。
「おー、良い飲みっぷりでござるな。惚れ惚れするでござる」
そう言いつつ幻路もお猪口を飲み干した。
そして互いにまたお酒をついで、笑いあう。
和気藹々とした雰囲気で酒を飲み交わし、
そうしてすっかりとレーヴェが酒に酔いしれた頃に、
「しかし、あの、お主の格好は、なかなかに傑作………いや、似合っておったでござるよ」
わざと話を蒸し返した。
レーヴェはうぐぅ、っと何かを飲み込んだ。
そしてこの男、おもむろに泣き出した。
先ほど飲み込んだのはしゃくりだったのだ。
聖都エルザード最強の騎士レーヴェ・ヴォルラス、泣き上戸か!!!
幻路は意外な事に、いや、さらなるからかいポイントにくっくっくと笑った。
そんな幻路にレーヴェは抱きついてきて、縛った髪、尻尾を引っ張ってきて、そしていかにあのパンツ一丁が、自分が仕出かした事が恥ずかしかったのか、泣きながら幻路に身振り手振りを交えつつ語りつくして、
幻路といえば、それをメモしていたのであった。
次の日、レーヴェは二日酔いの頭痛を感じつつ、出勤途中の薬屋で薬を買おうとした。
そのレーヴェの隣に立ったのは鬼眼幻路であり、この男はといえば、薬屋に薬を卸しているようで、薬屋の亭主と仲良さげに話しながら、レーヴェの耳に、
「今日はあの時に履いていれば良かったと死ぬほどに後悔した勝負パンツを履いているでござるか?」
と、囁いた。
それを囁かれた瞬間に、レーヴェは耳まで赤くして、後ずさった。
完全なる挙動不審。
不審者。
ああ、聖都エルザード最強の騎士レーヴェ・ヴォルラス、哀れなり。
「どどどどどどどどどうして、その事を?」
しかしその質問に答える事無く、ただ、幻路は、レーヴェの肩をぽんと叩き、笑顔で、
「まぁ、何はともあれ、荒々しくも実直なるその気性、聖都を守るに相応しい。この都に住む者として、これからも頼りにしているでござるよ」
と、言い、去っていくのであった。
憐れにもその場に力無く崩れるように座り込んだレーヴェを置き去りにして。
【了】
|
|