<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


黒の契約

  月夜に狂った烏がカァと鳴く夜。
 そんな夜になると、決まってある踊り子がどこかの酒場に現れてそれはそれは美しい舞を舞って、人知れず去ってく。
 踊り子の名は誰が聞いたか、シェン。
 愛称のようだが、本名を聞いたものは黒山羊亭界隈にはいない。
 そして今宵もまた、月夜の晩にその光を全身に受けて彼女は踊る。
 魔物に戦を起こし、多くの血を、死を齎す事で月夜の晩だけ元の姿に戻れる呪われた魔法。
 踊る前に蚊のなくような声で、一言『ゴメンナサイ』と呟き舞に狂う。
 しかし今、繰り返されてきたその連鎖が断ち切られようとしていた。
「もう、誰も死なせたくないのに…」
 舞いたい一心で魔物に魂を売り渡したくせに。
 そのために今までどれほどの死を呼んだことか。
 だけどもう誰かが死ぬのなら舞など舞わなくていい。
 死を呼び込む踊り子でなどいたくない。

 こうして、『契約』は反故にされた――…


【黒山羊亭】

  エスメラルダは浮かない顔でカウンターでため息をついていた。
「……ああ、いい所に来てくれたわね。ちょっと頼みがあるんだけどいいかしら?」
 そう言って彼女は最近黒山羊亭界隈で起こっている事を話し始めた。
 夜中から明け方にかけて大きな鳥が飲み歩き帰りの客を襲って死人まで出ているという。
 そして大きな鳥が現れる前には決まって美しい女性に声をかけられると。
「…考えたくないんだけど…もしかして月夜烏の踊り子が絡んでるんじゃないかってね……そんなこと信じたくないけど、思い当たる節はそれしかないのよ」
 もし、彼女が一連の事件を起こしているのだとしたら、最悪の場合彼女を止めて欲しい。
 エスメラルダは悲しげに微笑んだ。


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■欠片を胸に

 「まさかシェンが…」
 サークレットの飾りにしている黒い小羽を握り締め、レピア・浮桜(れぴあ・ふおう)は眉を寄せる。
 二人で共に踊った夜。
 朝日が差し、石化するその刹那掴み取った、一枚の小羽。
 一羽のカラスとなって飛び去ったシェンの。
 戦巫女として舞い、多くの死を齎したが故に舞うことの出来ない鳥獣となり、それでも舞うことの至福を忘れられず、魔物と契約して再び多くの血を呼ぶことを条件に、夜の間だけ人の姿に戻れる月夜烏の踊り子。
 そんな彼女が舞をやめた。
 目撃証言から、間違いなくそれはシェンだと、レピアは確信していた。
 魔物との契約を反故にしたから。その為に夜毎彼女の自我が失われ強制的に狩りをさせられているとすれば、それを止めない訳にはいかない。
「私が止めてみせる」
 エルファリア別荘が月明かりに照らされる頃、レピアは夜毎踊りに出かける。
 しかし今宵は違った。
 シェンをとめる為に。これ以上無駄な血を流させない為に。
 きっと泣いている。
 闇雲に探す前に、まず黒山羊亭で話を聞こう。レピアはベルファ通りへと急いだ。
 天使の広場を抜け、ベルファ通りにに差し掛かると、いつものこの通りの雰囲気ではなくなっていた。
 店は開いているものの、人通りが少ないというか、一人で出歩いている者がいない。
 風の噂で聞いた大きな鳥に襲われるという話は本当のようだ。
 路地裏に立つ女たちも、近頃は店の軒先にチラホラといる程度。それだけでもかなり肝が据わっていると言えるが…
「エスメラルダ!」
 いつもより客足が少なく、入りも疎らな黒山羊亭のカウンターにいたエスメラルダにレピアは駆け寄る。
「一人でこんな時間に、危ないわよ」
「平気。それよりも…危ないって…まさか、シェンの―――」
 言いかけたところでエスメラルダの指がレピアの唇に触れる。
「それ以上はっきり言ってはダメ。もし違ったら?………もし、本当だったら…?」
 どちらにせよ、彼女は二度とここに姿を現さなくなるだろう。
 あの一件以後も、稀にふらりと入ってきては踊って去っていく姿を見ている。
 金も取らず、ただ見事な踊りを披露するだけ。
「彼女だとしても…何とかしてあげなきゃ。そしてまたここに来れるようにしてあげなきゃ」
 こっちもいい舞い手いなくなるのは残念だわ。エスメラルダは苦笑交じりにそう呟いた。
 エスメラルダの話を聞いて、レピアは目撃された場所などを事細かに聴取する。
 そして今宵現れるとしたら。簡単な地図の上でぐりぐりとペンを走らせ、線を交差させる。
「―――行くわ…」
「あ、待ちなさい。貴女一人じゃ危険だわ」
「大丈夫よ、きっと」
 いやに自信満々に答えるレピア。しかしエスメラルダはそれでは納得しない。
 近くの宿屋から用心棒を引っ張ってきてるからと、奥にいた二人を呼び寄せる。
 近くまで来た瞬間、思わず上を見てしまうほどに二人の背は高かった。
「臥龍亭の用心棒と泊り客の一人、臥龍とギルディアよ」
 臥龍といわれた男は何を喋ることもなく、レピアの方をチラリと見ただけ。
 それとは対照的にギルディアと呼ばれた男、いや、ワータイガーの男は、快活な口調でレピアに話しかけてくる。
「いや〜君ここでよく踊ってるよね?俺ファンなんだ〜♪ 俺はギルディア・バッカス。ギルでいいよ、宜しくね♪」
「よ、宜しく…」
「―――何も常に行動を共にしろと言っているわけじゃない。当たりをつけたのは一箇所じゃないだろう。すぐに連絡を取れる状態にしておいて各自で張れ。そういうことだ」
 今まで口を利かなかった男がポツリと呟き、そして店外へ出て行く。
 人が纏う空気が読めるのか、もしくはレピアの微細な表情や態度の変化に気づいたのか。
 とにかく食えない男である事は確かなようだ。
 しかしあくまでも『協力』というならそれもいいだろう。
 身を案じる必要のなさそうな二人だ。
 人探しならば人手があったほうがいい。
「…宜しく、お願いしますね」


■理由

  三方向に分かれようとそれぞれ別の方向に行きかけるが、ギルディアは臥龍の足をとめる。
「…なんだ」
「あのさ、言わなくていいわけ?」
 何を。そう返そうとするとギルディアは顎でレピアの背をさす。
「アシェンのこと」
「―――事が片付けばわかるだろう。今あえて言う必要は無い」
 言ってどうなるものでも無い。
 ギルディアの心配を一蹴し、臥龍は踵を返す。
「やれやれ…」
 肩をすくめて呆れた様子のギルディアは、それ以上何を言うこともなく別の方向へと進んでいった。


■あの時間をもう一度

 「何処にいるの…?」
 出歩いている者は殆どいない。
 いても泥酔しているか少々酔って気が大きくなっているような連中ばかり。
 美しい踊り子が出歩いていれば目だって当然なのに、誰もそんな話をしている様子は無い。
「―――!」
 路地を歩くレピアの前にはらりと、一枚の黒い羽。
「シェン!?」
 見上げるも暗い空には何者も見えない。
 黒い空に黒い翼。
 目を凝らしてもすぐには分かるはずがない。
 しかしいきなり目の前にこんなものが落ちてくるはずがない。それこそ普通の鳥ならば羽音や鳴き声がするはずだ。
「夜なのに…」
 その姿は昼と変わらず言葉泣き鴉の姿なのか。
 自分にこれを示してくれるということは、去れといっているのか助けを求めているのか。
 面と向かわねば分からない。だけど、助けてくれと言っていると思いたい。
 その為にレピアはここに来たのだから。
「また踊ろうよ。二人で朝まで、何も考えずただ踊ろう――?」
 空に向かって言葉を紡ぐ。
 けれど返事は返ってこない。
 どこ?
 どこにいるの?
 姿を見せて。
 普段では滅多に通らない場所まで、別の意味で自分の身が危険に晒されることも厭わず、レピアはシェンを探し回った。
 そして、方々探し回り、助っ人の二人が戻ってきているかもしれないと黒山羊亭の方へ足を進めようとした矢先のこと。
「ぎゃ――――――ッ!!」
「何!?」
 男の絶叫。
 バサバサと聞こえる羽音。
 そして、男の叫びと共に聞こえる鳴き声。
「シェン!!」


■黒の契約

  そんなに遠くはなかった。
 この近くにいる。
 シェンがいる。
「シェン!何処なの!?お願い姿を見せ――――…」
 角を曲がった所でどさりと、重い物が倒れる音がする。
 反射的にその方向を見やると、男が一人地面に倒れ呻いていた。
 そしてその奥、建物の隙間に光った玉のような二つの光。
「シェン?シェンなのね!?」
 レピアが駆け寄ろうとすると何処からともなく鍵爪のついた触手が飛ぶように伸びてきて行く手を阻む。
「死にたいのか!」
 振り返ればそこには臥龍の姿。
 そして遅れること瞬きの間、別方向からギルディアが走ってくる。
「アシェン!!」
 この二人は彼女の事を知っている?
 ギルディアが叫んだ名前は恐らく彼女の本名なのだろう。
「知り合いなの…!? だったら何故…」
 二人に問いかけたその時、闇の中からズルッと地面を擦る音と共に、ほの暗い通りへをシェンが姿を現した。
「――――シェン…?」
『…れぴ あ……』
 彼女の四肢は既に人ではなかった。いや、胴と頭を除いた全てが、黒い羽毛に覆われている。
 その姿はまるで、漆黒のハーピーを思わせる。
 しかしその翼に、足に、男のものと思われる血が大量に付着している。
「ギル、男の方を」
「了解っ」
 ギルディアの巨体が瞬時に視界から消える。そして先ほどいた位置に再び現れたかと思えば、その腕の中にはレピアの目の前に倒れていた瀕死の男。
『…ち……』
「これ以上死人を出すわけには行かないんだよ、アシェン」
 ギルディアは臥龍と視線を交わすと、男を連れてその場から今しがた消えたように砂煙だけを残して消えた。
「俺達はこっちの片をつけるぞ」
「!待って、片づけるって…シェンを殺す気!?そんなことさせない!させないわ!!」
「――そこを退け!契約破棄させる機会なんだぞ!?」
 契約破棄?それって…
 間に入って臥龍を止めようとしていたレピアは臥龍がしようとしていることを理解できなかった。
 魔物との契約をどうやって破棄しようというのだ。
 禍々しい武器を掲げたその姿で。
『……いい の……れ ぴあ…』
 臥龍がしようとしていることをシェンもわかっているようだ。しかし、この胸騒ぎは何だろう。
「アシェンは人の死と共に生まれる魔物と契約した。だからその魔物の姿でいるうちに魔物を殺す」
 人と魔物、完全に融合してしまってからでは遅いのだ。
 このハーピーのような半人半獣の姿で、獣の部分だけを殺さなくては。
 しかしそんな危険な方法で本当に助かるというのか。レピアはまだ首を横に振る。
「シェン、踊りを我慢する必要なんてないの。戦巫女の役割は戦死の士気を高め、祝福を与えること…貴女が死を呼んだんじゃないわ!」
『でも…で も…』
 人の部分が徐々に羽毛に覆われていく。
 翼が大きく広がる。
「―――踊りましょう?ねえ、私の為に踊って…私と一緒に」
 差し伸べられた手にシェンの目は大きく見開かれる。
 目の前にいるのはレピア。
 自分の事を一番分かってくれる人。
 自分の痛みを苦しみを一番理解している人。
 レピアなのに、この世界で出来た大切な友達なのに。
 レピアが獲物に映ってしまう。
 その肢体を引き裂いて、甘い声色を悲鳴に変えて、つぶらな瞳を抉り出したい。
『…ゃ……い や…い、やぁああああぁぁあぁああっ』
 契約の反動と理性がぶつかり合う。
『れぴああぁああああああああ!!』
「シェン!」
 瞬く間にシェンの体は黒い羽毛に覆われ、慌てて駆け寄ろうとしたレピアを抑え、臥龍がデーモンクローを差し向ける。
「やめてええええええええええええええええええ!!!」
 バッと、視界に黒い羽根が散った。
 大量の羽根。
 シェンの姿が見えない。
「…シェン…?シェン!?返事をして!シェン!!」
 黒い羽毛の山に駆け寄り、手を差し伸べる。
 そこには確かにシェンの姿が。
 温かい、生きている。
 呼吸もしている。
「シェン、目を開けて…お願いだからっ」
「―――レピア…?」
 その青い瞳にレピア映り込む。
 ありがとう、そう呟いてレピアの頬を撫でた腕は脱力し、シェンはそのまま気を失った。
 するとどうだろう。辺りに散っていた羽根は霧散し、彼女の体についていた羽毛は肌に吸い込まれるように消えていった。
「……よりによってとんでもない事になったな…」
「え…?」
「アシェンは、魔物を取り込んだ。アンタを傷つけたくないと、その思いでコイツは魔物と契約をそっくりそのまま取り込んでしまった。もう引き剥がせない」
 どうなるの、そう問いかけると臥龍は溜息混じりに答える。
 恐らくこれで彼女は任意で人の姿にも先ほどの姿にもなれる。しかしそれと同時に永遠に等しい時間、その身の内に在る血肉を求める魔物と戦い続けなければならなくなった、と。
「―――融合直前に魔物の部分を殺せば、今こうして体の中に羽根が消えるなんて事はなかったはずだ」
 自分が、彼女に業を背負わせてしまったのか。
 その事実にレピアの胸はずきりと痛む。
「…大丈夫…一人じゃないもの…」
 自分がいる。
 永久に戦い続けなければならないというのなら、その永久に沿おう。
 自分もまた、石化と共に不老不死の呪縛に縛られた者だから。
「あたしがいるわ…だからまた二人で踊りましょうね?」
 腕の中のシェンにそう囁くレピア。
 目が覚めたら、戦舞ではなく、貴女がその時その思いで踊りたい踊りを。
 今度は私の為に、私と共に踊って。


■終幕

  死傷者が出ていたベルファ通り界隈の化け鳥騒動も徐々に鎮静化していった。
 先日の男が命をとりとめた事を、臥龍亭で知ったシェン。
「気分はどう?」
 目覚めたシェンは辺りをキョロキョロして、ここが臥龍亭であることを確認する。
 そしてランプの明かりに照らされて、目の前にレピアの姿がある事にようやく驚いた。
「レピア…?」
「目が覚めたのが夜でよかったわ。昼間だったらこれなかったもの」
 そう言って笑うと、シェンはボロボロと大粒の涙をこぼしながらレピアに抱きついた。
 御免なさい、ただそれだけを何度も何度も繰り返す。
 やりたくてやったことではないのだから、シェンのせいではないと宥める。
「もう、貴女は昼にも夜にも縛られない…今度はいつの間にか消えたりしないで、ちゃんと、約束して、黒山羊亭で一緒に踊りましょうね?」
 約束よ。
 そういってレピアは微笑んだ。





 その後、黒山羊亭に二人の美女が夜毎美しい舞を披露している事が話題になるのはまた別のお話…
 

― 了 ―
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1926 / レピア・浮桜 / 女性 / 23歳 / 傾国の踊り子】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、鴉です。
この度はゲームノベル【黒の契約】へ参加頂き、まことに有難う御座います。
お一人様

ノベルに関して何かご意見等ありましたら遠慮なくお報せ下さい。
この度は当方に発注して頂きました事、重ねてお礼申し上げます。