<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


【Long long...】

 夜の帳が下りた都に、淡い明かりが一つ灯った。
 暖かみを持った炎とは違う冷たい光は、続けて二つ三つと街のあちこちで浮かび上がり、細い路地を抜けながら互いの距離を詰めていく。
 集った明かりは、その数十三。
 小さな広場に一度集まると、本来の光よりも輝きを抑えた魔法の光を頼りに、幾つかの群れに分かれて再び街の中へ散っていく。
 散開した光の向かう先には、彼らの学び舎が建っていた。
 目指すはひときわ高い場所にある、明かりのこぼれる窓。

 ――そして、『魔女狩り』の狼煙が上がる。

   ○

「エルダーシャ様」
 窓の外を眺める彼女を、敬愛と尊敬の色が含んだ声が遠慮がちに呼んだ。
 視線を移せば、声音と同じ感情を金色の瞳に宿したナシーナが、疑問の表情を浮かべている。
「どうか、なさいましたかぁ?」
 少しおっとりとした口調で問いを重ねた名家の令嬢は、おそらくは国の内外から多数の求婚相手がいるであろう。それだけの家柄と容姿を備えているにもかかわらず、彼女の傍らにいるのは、他ならぬナシーナが望んだ事だった。
 同じ女性として、気品と知識と教養を兼ね備えた彼女を心より尊敬する……確かそんな益にも害にもならず、愚かで下らない賛辞の数々を、形のいい唇から熱心に並べ立てていたような覚えがある。
 知恵もなく、武器を振り回すだけの蛮族。それと変わらぬ者達が作り上げた『王国』で、ナシーナは稀有な素質を有する素材だった。加えて見込みのありそうな数十名を選び出し、彼女は有する知識のうち幾らかを、選抜者たちへ分け与える。それは、彼女を招へいした『国王』が望んだ事だった。
『魔法ギルド』と名付けられた彼女の学び舎……呼称など、彼女にはどうでもいい事だったが……で、選抜者たちは彼女の生徒となり、その教えを受けた。

 最初は基本的な概念と、実践する初歩的な方法。
 ――覚えが悪くとも、実践するに至った生徒たちは、始めての玩具を手にした子供のように喜んだ。

 次に、初歩からの応用を。
 ――玩具の遊び方を知った生徒たちは、よりそれを上手く使うことを競い、得た結果に目を輝かせる。

 それから、応用の展開。
 ――結果だけに飽き足らず、与えられた玩具としての用途以上の事柄を見い出そうと、踏襲すべき法則も理論も無視して、粘土細工のように捏ね回し。

 更には……。
 ――作り出したモノが自らの手に余ることに気付かず、そして御しきれなかった者は、容易くソレに押し潰され、あるいは火中の栗のように爆ぜて自壊した。

 それが、目的だった訳ではない。
 彼女は生徒という種子に水を蒔き、肥料を与えたに過ぎない……彼らが望んだ分だけ、望んだ形で。
 そして、見ていただけに過ぎない……際限なく要求した水で根腐れし、肥大した自分を支えきれず、倒れていく様を。
 結果、かつて数十人いた彼女の生徒も、残ったのは十数人のみ。
 そのうちの一人が、ナシーナだった。

「エルダーシャ様?」
 またナシーナが、問いかける。
「どうやら、来客のようね。それも、それなりの人数で」
 窓へ背を向けてエルダーシャが答えれば、不快さを隠さずにナシーナは眉をひそめた。
「こんな夜更けに、礼儀をわきまえない者ですねぇ」
 嘆くように深い息を吐いてから、片腕とも言える最も優秀な生徒は彼女へ窺いを立てる。
「エルダーシャ様のお手を煩わせるでもなく、私がわきまえるよう教えて参りましょうかぁ」
 言葉は選んでいるが、有り体に言えば追い返す。そう息巻く若い生徒に、彼女はくすりと微笑んだ。
「いいわ。放っておきなさい」
 悠然と部屋を横切ったエルダーシャは、品のいい細やかな飾り彫刻が施された椅子へと腰を下ろした。
 たったそれだけの仕草にも、纏う威厳と存在感はさながら『女王』の如く。
 止められて拗ねた子供のような表情を浮かべていたナシーナも、うっとりと彼女にかしずく。
「せっかくの訪問を、無碍するのも可哀相だものね」
 労わりの言葉に反して、込められた声に憐憫の情はひとかけらもない。
 むしろ愉悦に満ちた銀色の瞳で、エルダーシャは部屋の扉を見つめた。

   ○

 深夜の訪問者は、それでも扉をノックする程度の礼儀を忘れていなかったらしい。
 部屋の主に代わってナシーナが入室を許可すると、現れたのは三人の教え子だった。
 相対した師へ、教え子たちは「ご存知ですか」と切り出す。
 ――智の栄光であった『魔法ギルド』が、今や民より『魔女の館』と呼ばれていることを。
『師』に弓引くと決めた者たちの瞳には、使命感と共に決意が窺えた。
 悲痛なまでの決意の色は、どこかで見た……誰かの……瞳に似ていて。
 そんな思考を廻らせている間にも、教え子たちは口々に彼女の『罪状』を暴き立てる。
 制御する魔力もない生徒たちへ過大な魔法を教え、止めもせずに多くを死に至らしめたこと。
 必要な触媒と称し、孕み胎の仔から墓場で眠る死者の骨に至るまで、おおよそ人とは思えぬ搾取を要求し、それを行なったこと。
 自重するようにと王からの勧告を受けた後も、ナシーナの持つ権力を利用し、享楽的な暴虐を尽くしたこと。
「知識のない者に、理解は無理ですわねぇ。私たちのために、エルダーシャ様は必要なことをなさっているのですぅ」
 ころころと、鈴のような声でナシーナは笑う。
「公女様。王は加担した貴女にも、恩情は認めぬと仰っておいでです」
 堅い口調で告げた者を、公女は無表情な瞳で見返した。その言葉に今更、どのような意味があるのかを問うように。
 そんなナシーナに構わず、教え子たちは断罪を続けた。そして今まで教えを受けた『師』として、せめてもの弁明を、と。
 既に二人は、『王国』にとっての害悪なのだ。
「浅ましい欲望の口が望むまま、それを与えたのみよ。あなたたちは、無から水を汲み出す方法を聞いた。でも、それを止める方法は尋ねなかったわ。それだけのこと」
 薄く笑ってエルダーシャが彼らの愚かさを指摘すれば、教え子たちの表情が歪んだ。
 袂は、分かたれた。
 そう宣誓した目の前の三つと、目の前にいない十の魔法の源が、彼女の居室を取り囲むように魔法を展開し。
 彼らに抗って『師』を守ろうと、ナシーナもまた細い身体で支えきれぬ程の強大な魔力の奔流を引き出す。
 それを、エルダーシャはただ眺めていた。
 椅子に腰掛け、悠然と微笑んだままで。

   ○

 そして、『魔法ギルド』は劫火に包まれた。

   ○

 ……あかいちが、うみのようにゆかへにひろがっていた。
 ……あかいほのおは、かべいちめんにおどっていた。
 拡散した瞳孔が、収縮する。
 眼に入ってくる光景が、頭の中で繋がりを持ち、意味を形成する。
『魔法ギルド』は、魔法による炎に包まれていた。もっとも、彼女の部屋はそれ以上に強力な防御魔法によって守られているため、すぐに焼け落ちることはない。
 彼女に反旗を翻した十三人の気配は、もう近くにはなかった。
 ここにいるのは、死体だったエルダーシャと、死体になったナシーナだけ。
 ……可哀相な子? いいえ。コレは、ただの実験素体。
 最も優秀だった教え子を爪先で転がせば、生気が失せて何も映さない瞳が虚空に晒される。白磁のような肌は、血の気のない冷たい白へと変わっていた。
 思考の制御は問題なかった。だが未だ動かぬところをみると、教え子にかけた反魂の魔法は失敗だったらしい。
 ……それはそれで、何の意味もないわ。
 だが今にして思えば、もしかすると彼女は彼女を理解する者が欲しかったのかもしれない。
 人では及びもつかない、気の遠くなるほどの長く長い時間を一緒に過ごす、そんな友人を。
 だがこの時の彼女はそんな感慨もなく、一つの『暇潰し』を終えて、何事もなかったように『王国の世界』から姿を消した。
 ここでのエルダーシャの記憶は、これで終わり。
 彼女の去った後、生ける死人としてナシーナが身を起こしたことを、この時の彼女は知る由もなかった――。

   ○

 細い指が、黒曜石のような青黒い宝石を、緩やかな力で握っていた。
 膝の上に乗せた何の変哲もない小さな箱を、もう片方の指で無意識になぞりながら、エルダーシャは長い睫毛を伏せ、そこに凝縮した記憶の色を表したような宝石を見つめる。
 ……そこへ。

 ぎ、ぎぎ、ぎぎぎぎぎ、ぎぎぎ、ぎぎぐぎゃぁぁぁあ……。

 背中を寒気が這いずり回るような、地の底から響くかの如き低く重い音を立てて、紅茶屋「mellow」2号店の扉が開いた。
 天使の広場の喧騒から、玩具の骸骨やオドロオドロしい数々のオブジェが並ぶ混沌とした店に入ってきたのは、先ほどの記憶の中で見た元教え子。
「こんにちはぁ〜」
「あら〜、いらっしゃいナシーナさん〜」
『客』の姿に、彼女は手にした小箱と宝石を急いで仕舞う。その間にナシーナは奇怪な店内を気にすることなく鳴れた風に横切り、彼女に近いテーブルの一つに腰掛けた。
 その表情や所作は記憶と比べれば随分と変わり、棘もなく無駄におっとりとしている。
 エルダーシャが施した魔法によって生ける死人と化して蘇ったナシーナは、再会した彼女のことを何一つ覚えていなかった。彼女のことのみならず、自分の名前や素性すらも忘れ去った、全くの白紙の状態。ナシーナにかけた反魂の魔法は、確かに魂を肉体へ引き戻しはしたが、どうやら記憶まで及ばなかったらしい。
 故に今のナシーナは、名無しの、ただの『ナシーナ』だった。
「どうか、しましたのぉ?」
 自分を見る視線に気付いたのか、ナシーナは小首を傾げてエルダーシャへ問いかけた。
「いいえ、何でもないの〜。今日も、定食でいいかしら〜?」
 注文を尋ねれば、ほぇほぇと屈託ない笑顔でナシーナが頷く。
 あるがままの笑顔に、エルダーシャは優しく銀色の髪を撫で、そして思い願う。
 ナシーナが、今度は望むままに生きられることを。そして、死の国へ沈んだ記憶を、いつか呼び戻してやりたいと。
 ――過去に為したことへの、責任? いいえ、それは多分違う。

 そう。できることなら友人として、長く長い時間を……。