<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
失われた記憶
「こんにちは……」
いつもより少し疲れた様子で、黒山羊亭の常連クルス・クロスエアはやってきた。
エスメラルダは挨拶するより先に驚いた。
――クルスが少女を連れている。
15歳ほどの――白い髪に白い肌。赤い瞳。アルビノだろうか? いや、このエルザード城下を歩き回れるはずもないが……
少女の瞳は虚ろだった。
どこを見ているのかよく分からなかった。
思わず不気味さを感じて、エスメラルダはクルスに訊いた。
「ど……どなた?」
「分からない」
「え!?」
エスメラルダが上げた声に、クルスはため息をついて、
「記憶喪失のままうちの森に来たんだよ……外見はこれくらい育っているけど、知能は5歳児ぐらいまで落ちてる。放っておくわけにもいかなくてね」
記憶喪失……
エスメラルダはクルスを見つめる。
――彼も、かつて記憶喪失だった青年。
そこも引っかかりがあるのだろうか。
「とりあえず、名前はセレネーってつけた。満月の夜にふらっとやってきたから」
「セレネー(月)……」
「この子とルゥとスライムの相手を同時にやるのもそろそろ慣れてきたんだけど」
クルスはセレネーの手を握ったまま、ぐったりとカウンターの席に座り、
「僕の少しの気休めと……あと、僕以外の人間の刺激を与えた方が記憶にいいかなと思って」
「ああ……この子の世話をしてくれる相手を探しているのね?」
「そう。よろしく頼む」
クルスはカクテルを頼みながら、疲れた声で言った。
☆★☆★☆ ☆★☆★☆
精霊の森からは、クルスと一緒に千獣[せんじゅ]もついてきていた。彼女も森に住んでいるのである。
彼女はもちろんセレネーが森にやってきた瞬間を知っていたし、今までクルスと一緒に世話をしてきたが――基本的には『見守る』姿勢でいた。
とは言え。
今回はクルスがダウンしている。
「……クルスは、ここで、休んで、て……」
千獣はまずクルスにそう言ってから、セレネーの細く小さな手を取った。
そして、黒山羊亭を見渡した。誰か手伝ってくれそうな人はいないだろうか――
と、ちょうど黒山羊亭に入ってきた人物が2名いた。
男女である。そのうちの女性、煙草をくわえた金髪のディーザ・カプリオーレは、
「よっ。千獣にクルスじゃない」
カウンターにいる2人に気づいて早速軽く手を挙げた。
「んん? 今日は新顔も連れてるの?」
千獣がセレネーの手を取っているのに気づき、ディーザは軽く目をぱちぱちさせる。
「うむ。どうされた。また不思議な雰囲気を持つ子供でござるな」
ディーザとともに――別につるんでいたわけではなく、ただ偶然一緒に――入ってきたのは隻眼の男、鬼眼幻路[おにめ・げんじ]。彼もディーザと同じような反応をした。
「やあ2人共……」
クルスがカウンターからひらひらと手を振った。
その疲れた様子に、どしたの、とディーザたちが近づいてくる。
クルスに何度も説明させるのはしんどいことだろうと思ったエスメラルダが、懇切丁寧に状況をディーザと幻路に教えた。
呆れたように、ディーザが腕を組む。クルスと視線を合わせ、
「君もいろいろ背負い込むね……何でもかんでも背負い込んでばっかりだと、潰れちゃうよ?」
「僕も好きで疲れてるわけじゃあないんだけどね」
クルスは苦笑した。「ぼろぼろの服を着たこんな子供が森で倒れてたら、保護するしかないだろう?」
「街に預けるとか」
「……とりあえず傷の治療をしているうちに、森にいるルゥとスライムになついたらしくてね」
ディーザは、あらま、とぷかーっと煙草の煙を吐き出した。
「ルゥとスライムから引き離そうとするとひどく嫌がるもんだから。今日は何とか、一日だけのお出かけだからって言い聞かせてつれてきたんだが……」
「ほう、記憶喪失と……」
幻路がうなる。「ここしばらく記憶に関する事柄に縁があるでござるな」
「ん? 何かあったのかい?」
「いや、クルス殿には関係ないのでござるが」
先日、他人の記憶を覗く少年とのいざこざがおさまったばかりである。
「ま、いいけどね」
ディーザは子供の前ということで、煙草を消した。
「えーと、セレネーちゃんだっけ? その子の面倒みればいいんだね。りょーかい」
そこへ、
「エスメラルダさーん、郵便お届けに来ましたーっ!」
元気のいい郵便配達屋の声。
見やると、銀髪の少女が黒山羊亭に駆け込んできて、エスメラルダの姿をすぐに探し出すと小包を渡した。
そしてエスメラルダのすぐ傍に、先日依頼で出会ったクルスと千獣がいることに気づいたらしい。
「あ、クルスと千獣だ。どうしたの?」
郵便屋の彼女――ウィノナ・ライプニッツは、エスメラルダから話を聞いてうなった。
「なるほど……。じゃ、この間のお礼にボクも手伝う」
「おぬしもか? 拙者もその方面の療法など明るくないでござるが、うむ、何がきっかけで思い出すかわからぬし、お付き合いいたそうと思う」
幻路がセレネーに、いかつい手を差し出した。「セレネー殿、よろしくでござるよ」
セレネーはぼんやりした赤い瞳で幻路の手を見つめた。
「セレネー。そういう時は、その手を握って返すんだよ」
クルスがお手本のように、まず幻路の手を握ってみせる。
「………」
セレネーはぼんやりとそれを見た後、クルスの真似をして、その小さな手で幻路の手を握った。
ぽつりと一言。
「クルス……より……手……おっきい……」
クルスが苦笑する。ディーザが大笑いをする。
ちなみにセレネーのしゃべり方は、どうやら千獣から移ったものであるようだ。最初は一言もしゃべらなかったのである。
ウィノナはじーっとセレネーを見て、
「セレネー? あのさ、ちょっと頭触ってもいい?」
「………?」
セレネーは首をかしげただけで、嫌がるような様子はなかった。
「ちょっと触るね」
ウィノナはセレネーの白い髪をなるべく梳くように触る。
――角。角のあとがないかと。
もしあれば――
美しいアルビノたちの里、サンカの隠れ里の住民ではないかと――
しかし、触っても触ってもセレネーの頭には何もない。
「………?」
セレネーがじっとウィノナを見ている。
ウィノナは手を離し、「ごめんね」と苦笑いした。
そこへまた新しい声。
「おいこら。てめっ、俺の食事の邪魔するんじゃねーよっ!」
「してないよ。たまたま服がテーブルに引っかかっただけじゃないか。それについては詫びるけど」
「料理の皿が動いたぞ!」
「……世の中には食事を乗せたままテーブルクロスを抜き去る芸人だっているのだから」
血の気の多いものと、落ち着いたもの。両方とも中性的な声だ。
1人はご存知お宝大好き食事大好きな男性――ではなく女性の、ユーア。
もう1人は黒山羊亭では見かけない、黒い帽子をかぶりどこかの教会の人間かのように黒いローブを着た、こちらは見かけでは男性か女性か分からない人物だった。
ふっとカウンターに集まっている面々の視線に気づいたらしい、ユーアがスプーンをくわえながら手を振ってきた。
「よう動物園の主。虫さされの薬は元気か」
「……元気すぎてこの間研究を台無しにされたんだけど、損害賠償は頂けないのかな、ユーア」
「ばっか言え、お前里親だろうが。自分で面倒みやがれ」
「………」
「……ユーアに言っても無駄だと思うよ?」
ディーザがぽむぽむとクルスの肩を叩いて諭す。
「うんまあ……言うだけ字数の無駄だとちょっと思っててやった」
「虫、さされ、の、薬……」
千獣がぽつりとつぶやく。
それすなわち、森の住人に(強制的に)なったスライムのことである。里親とは何のことはない。ユーアが勝手に森に置いていったのだ。
「あのさ、それより今はセレネーのことだと思うんだ」
ウィノナが軌道修正した。「あ、自己紹介してない。ボクはウィノナ。皆さん、よろしくお願いします」
「ん。挨拶が出来るいい子だね。私はディーザ」
「ボクも14歳ですから」
「拙者は鬼眼幻路でござるよ」
「あれ、ボクには握手なしですか?」
「私……千獣……」
「うん、この間はありがとう」
「あんだ?」
ユーアがいつの間にか大量にあった皿を空にして、フォークをくわえながらしゃべる。「おい動物園の主。また依頼か?」
「その呼び方やめてくれないかな。あと行儀が悪い」
「ほっとけっつの。で、依頼なのか?」
「依頼は依頼でもキミには依頼したくないな今回は」
「でも聞こえてたぞ」
フォークを離して、ユーアがにやりと笑った。「その記憶喪失の娘、虫さされの薬になついたんだろうがよ?」
「……結局全部聞いてるし……」
カウンターでクルスは頭を抱えた。
「金になりそーなことは聞き逃さない! 俺様的辞典より抜粋!」
「クルスの依頼は毎回そんなに報酬は……」
ついこぼしたディーザに、
「知ってるぜ動物園の主! お前この間、賃仕事しただろう! 今は懐あったかいだろう!」
「……いや、ルゥとセレネーの食費で飛んでるからそんなには……」
「あったかいだろう!?」
「いや……人の話聞いてる?」
ユーアはとうとう立ち上がってこちらまで迫ってきた。
「ということはだ! 俺様も手伝ってやらんこともないってことだ!」
「ユー……」
クルスが口をぱくぱくさせるのも構わずに、ユーアはセレネーの方を見る。
警戒して、千獣がセレネーをかばうように立った。
「記憶喪失ってぇことは、脳みそに適度な衝撃を与えればOKってことだろ。確か昔の仲間がそう言っていたぞ」
「………っ!」
千獣の怒気が膨れ上がる。
しかし知らぬ顔のユーアは、
「ああ、でもその子に試そうとは思っていないから」
とひょうひょうと言った。「俺、野郎には容赦はしないけど一応女子供限定で優しい」
……集まっているメンバー全員の不審そうな視線を受け、
「時も」
……集まっているメンバー全員の怒りの視線を受け、
「あるから」
こほん、と咳払いをした。
その時、ふとユーアを威嚇していた人々は、その場に1人近づいてきたことに気づいて視線をそっちにそらした。
さっきの人物だ。ユーアとけんか(になっていなかったが)をしていた――男性なのか女性なのか分からない、黒尽くめの人物。年齢は――見かけ、二十歳にはなっていなさそうだ。あくまで見かけだが。
帽子からのぞいているのは鮮やかな金髪と、温和そうな赤い瞳だった。
「さっきから何の話をしているんだい?」
と、その人物は訊いて来た。「記憶喪失って聞こえたけれど」
話は再び冒頭へ。
――セレネーの事情を聞き、黒尽くめの人物はうんうんとうなずいた。
「僕は冒険者とはちょっと違うけど――少しは手を貸せるかもしれない」
「キミ、誰?」
ディーザが尋ねる。
「あ、自己紹介が遅れたね。僕はエル・クローク。クロークって呼んでくれると嬉しいな」
「クローク殿か」
未だに男性なのか女性なのかよく分からない。幻路は首をひねっていた。
クロークは見透かしたように穏やかな笑みを見せて、
「僕に性別はないよ。男と思ってくれても女と思ってくれても別に構わないけれど」
「そ、そうでござるか」
幻路は慌ててうなずいた。
「さすがソーン。色んな人種がいるね」
ディーザがセレネーの頭を撫でながら言った。「この子もね」
「記憶喪失、か。そうだね、……僕の香を使えば、多少なりとも記憶の一端を引き出すことは出来ると思うよ」
とクロークは言った。「それが僕の仕事でもあるからね」
「キミの仕事?」
ディーザがセレネーの髪を撫で続けながら首をひねった。
「調香師なんだ」
クロークはいたずらっぽく片目をつぶり、そもそもの依頼者であるクルスを見やる。
「彼女を傷つけぬよう、真綿に包むように、丁重に扱うことをお約束しよう」
「……続きがありそうだな。それで?」
「お察しが早い。――僕は客人の望みに応えることを第一としているんだ」
クロークは千獣の体に隠れるようにしているセレネーを見て、
「彼女が……セレネー嬢が望まない限りは、僕の仕事は行えないし、行わない」
「それじゃ意味がないと思うけどな……」
ウィノナが首をひねった。
千獣がぴくりと反応する。視線の先は森の守護者、クルス。
自らも記憶喪失で、しかも不老不死になるためにその知らない過去さえ捨ててしまった彼。
クロークはうなずいた。
「そう言われると思った。――じゃあ代わりに、一緒に街を歩いてみようか」
千獣の陰からセレネーをのぞき、優しい目つきで微笑む。「賑やかな街並みや、そこで暮らしている人々を見るのは楽しいし、勉強にもなる」
「そうそう。セレネーちゃん、今日は私たちと一緒に遊ぼうか?」
ディーザがかがんでセレネーと視線の高さを同じにした。
相変わらずぼんやりした赤い瞳だが、確かにディーザを見た。反応がある。
「いくら記憶がなくって5歳児程度の知識だとしても、学校のお勉強じゃないんだから机にかじりついてあれやこれやじゃつまんないよね」
「ふぅむ、そうでござるなぁ、あれやこれや尋ねたところでそれで思い出せれば苦労はせぬし、質問攻めではセレネー殿もつまらぬでござろう」
幻路もうなずいた。「街に繰り出してみるでござるか」
「はいはい、さんせーい」
ウィノナが手を挙げた。「やっぱり外だよ。今まで森しか知らないに近い状態だったんだよね?」
「そうだね。自分が森にいた理由も分からないようだし」
クルスがカウンターに軽くもたれる。
「それ、じゃあ、クルス……」
千獣がセレネーの手を握りながらクルスに言った。
「街、行って、くる、から……」
「ああ」
「それ、じゃあ、セレネー、行こう、か……?」
千獣は母親のように優しく言う。セレネーはぎゅっと千獣の手をつかんだままだ。
「俺は外までついていく気はねえんだが……」
ユーアが腕を組んだ。クルスの傍らで、
「実はな」
「待てそれ以上聞きたくない」
「あのな!」
「やめろたった今から僕は耳が聞こえない」
「お前にやった意思あるスライムなんだがな!!」
「知らないそんなもの知らないっ!」
「あれ大量生産に何故か成功しちまったんだよなぁ!!!」
クルスの耳を引っ張って声を叩き込み、ユーアは満足そうにうなずいた。
「バリエーション豊かに色も豊富。なんなら里親ってことでこの子にも一匹あげても良いか? こいつ意外と強いからボディガード代わりってことで」
とセレネーに渡されたのは赤スライム……
セレネーが、その虚ろな顔に表情を見せた。どこか嬉しそうに、赤スライムを抱く。
元々森にいる白スライムが大好きなセレネーである。何でもいいからスライムが好きらしい。
「うむ。この子は喜んでいるっ」
「ううっううっまた森がごちゃごちゃになる……」
「泣くな動物園の主。一緒に飲もうぜ」
ユーアがクルスの隣の席に座って、ぽんぽんとカウンターにうずくまったクルスの背中を叩きながら強い酒を注文する。
「あの……クルス……セレネー、の、こと、は、任せて、ね……?」
千獣が気がかりそうに、うずくまっている青年を振り返り振り返り黒山羊亭を出て行く。
「……まあ人生谷あり谷ありってことで」
ディーザはそそくさとセレネーの背中を優しく押して、急いで外へ出ようと促した。
「クルス殿も大変でござるなあ……」
幻路は腕を組みながら、うなりつつ黒山羊亭を出て行く。
ウィノナが、クロークと顔を見合わせ、
「……セレネーが喜んでいるからOK?」
「どうなんだろうか」
首をかしげかしげ黒山羊亭を出て行った。
☆★☆★☆ ☆★☆★☆
セレネーと遊び隊は、とりあえず天使の広場へやってきた。
「ふうむ。何から始めたらよいのでござろうか」
悩んだ幻路は、とりあえず自分の聖獣装具『浄天丸』を、小鳥の姿にして飛ばした。
「セレネー……」
千獣が浄天丸を指差した。「あれ……小鳥……さん」
「……小鳥さん」
セレネーは首を上向けて浄天丸の動きを目で追っている。両手では赤スライムを抱いている。両足はぴくりとも動かなかった。
「む。首が疲れるでござるかな」
幻路が浄天丸にセレネーの傍まで来るよう命じると、浄天丸はセレネーの目の前を飛ぶようになった。
セレネーはそれを視線だけで追う。千獣が赤スライムを預かって、両手を解放しても、つかまえようとは――しない。
「ふむ……では肩に乗せてみるでござるか」
幻路は悩みながら浄天丸の動きを決める。浄天丸が、セレネーの肩に乗った。
セレネーは初めて……
その白い手で、浄天丸を触った。
指先で。つんつんと。
浄天丸は普通の鳥ではない。当然逃げ出さない。
つんつんつんつんと。セレネーは小鳥をつつき、ちょこんと首をかしげた。
「何ていう……鳥さん?」
セレネーが初めて疑問を発した。
幻路は、うむ、と満足そうにうなずいて、
「その鳥は――スズメという鳥と同じ形をしているでござるよ」
「す、ず、め?」
「幻路、それっていいのかな」
ディーザがずぼんのポケットに親指だけ差し込んだ状態で腰に手を当て、「この子、すずめは全部逃げないものと勘違いするよ?」
「む、それはいけないでござるな。セレネー殿、そのスズメは特別でござる。拙者の飼い鳥でござるから大人しいのでござるよ」
「飼い鳥……」
「空を好きに飛びまわっているのではなくて、人に育てられている鳥という意味だよ」
クロークが説明した。
浄天丸がばさばさっと飛んで位置を変える。セレネーの手の甲に。
「……落ちちゃう」
「落ちないでござるから、心配なさるな」
「……もう一度、飛んで……?」
ふと、セレネーがそんなことを言った。
浄天丸が空を舞う。それを虚ろな赤い瞳で見ていたセレネーが、一言、
「赤い……鳥……」
とつぶやいた。
周囲の人間全員が首をかしげた。浄天丸は赤くない。何のことを言っているのだろうか。
幻路は試しに浄天丸を赤い鳥にして飛ばせてみる。
セレネーは一歩近づいたが、
「……形、違う……」
「何だろう?」
ウィノナがうーんとうめいた。「赤い鳥? 赤い鳥っていったら……不死鳥?」
セレネーがにわかにウィノナを見る。
ウィノナはセレネーの赤い瞳に浮かんでいる確かな反応の光を見て、どきっとした。
「ど、どうしたのかな? セレネー。不死鳥に興味がある?」
「不死、鳥……」
千獣がつぶやいた。「フェニッ、ク、ス……?」
「え? ああ、うん、そうとも呼ばれるよね」
「セレネー、の、背中……」
ウィノナの返事に、千獣はつぶやいた。
「フェニックスの、刻、印、が、ある……」
「………!?」
ディーザが眉をひそめる。クロークが静かに、
「それは興味深いな」
とつぶやいた。
千獣は首を振る。
「でも……見ら、れる、のも、触ら、れ、る、のも、嫌い、みたい……」
「じゃあ、その話はしない方がいいんだね」
ウィノナはよし、と両手を握った。
「セレネー、あっちの木までかけっこしようか?」
「かけっこ……?」
「走るんだ。どっちが先にあの木までたどり着けるか!」
「………?」
セレネーはよく分かっていなさそうだったが、とりあえずウィノナに言われるままにウィノナの横に並ぶ。
「いくよ、よーい……ドンっ!」
ウィノナは軽く走った。郵便屋の彼女の足には、大抵の少女がついていけない。第一相手が相手である。
案の定、セレネーはふらふらっと足を1歩2歩3歩と進ませた後、転んだ。
「セレネーちゃん!」
赤いスライムを抱えている千獣の代わりに、ディーザがセレネーに駆け寄った。
起き上がらせる。膝をすりむいている。
「セレネー、大丈夫!?」
ウィノナが戻ってきて、膝の傷を見た。
「……うん、怪我はたいしたこと無いね」
セレネーの表情がゆがんだ。赤い瞳がうるむ。
「ほら、泣いちゃダメだよセレネー?」
ウィノナはセレネーの頬を撫でながら言った。
「このくらいのことで泣いちゃったら弱虫だって、嫌われちゃうよ?」
「嫌われる……?」
セレネーが不安そうに言った。
「大丈夫だよ、セレネーちゃん」
ディーザがかがんで、セレネーの髪の毛を撫で続けた。
浄天丸がセレネーの肩に止まる。
立ち上がったウィノナに代わって、千獣が赤スライムを抱いたままセレネーの前にしゃがみこむ。
クロークはひそかに、気分を落ち着かせるハーブの香りをふりまいていた。
「今日は……」
ディーザは立ち上がり、周囲を見渡す。
「どっかで大道芸とか美術展とかしてないかな。それとか、楽士とか」
「ちょうど今日の夕方から、吟遊詩人がこの天使の広場で歌うそうでござるよ」
「そう? 夕方までまだ時間あるなあ」
「ではやっぱり、少し歩いてみよう。こんなたくさんの人々に会うのは初めてだろう」
セレネーはまだ、黒山羊亭からついてきた人物に囲まれてばかりで他の人間を見ていない。
クロークがまるで紳士が馬車のドアを開けるかのように、優雅に黒山羊亭メンバーの輪を開けた。
セレネーの視界が広がった。
目の前に、行き交う人々がいる。昼下がりの今、大人から子供まで。
子供たちが楽しそうにボールを蹴って遊んでいる。
セレネーはそちらに首を伸ばした。
「ん? 一緒にボール遊びしたい?」
「ボール……」
「混ぜてもらえるか、訊いてこようか」
クロークが、ボールで遊んでいる少年少女たちに交渉に行った。
「知識として覚えてなくても、感覚として覚えてるっていうこともあるよね」
ディーザがつぶやいていた。「こういう旋律は聴いたことあるな、とか、こんな絵どこかで見たな、とか」
「うむ。街でならそういうものを探しやすいでござるな」
クロークが戻ってきて、
「彼らはいいと言っている。セレネー嬢、混ぜてもらおう」
「ボクが一緒に行って、セレネーが心細くならないようにする!」
ウィノナが手を挙げて、ボール遊びをする少年たちの方を向くセレネーの手を取った。
セレネーは運動音痴なのだろうか。かけっこをした時もそうだったが、すぐこける。そのたびに、他の少年たちが気分を害さないようにウィノナがフォローする。
よく見ると少女は裸足で。
「靴履かせなかったの?」
とディーザは千獣に訊いた。
千獣は首を横に振った。
「靴……嫌がる……」
そう言えば千獣も裸足なのだった。包帯を巻いてはいるが。
セレネーは何度目かでようやく自分で起き上がれるようになった。
しかし、他の少年たちやウィノナのように、うまくボール蹴りができない。力が足りない。
足がボールにもつれてまた転び、少年少女たちがため息をつく。
「……まわりの子供たちが協力的じゃない」
クロークがその温和な表情を少しだけしかめる。「あれではセレネー嬢がボール蹴りを嫌いになりかねない」
「そろそろやめさせた方がいいかな」
「ふむ……セレネー殿がやりたいところまでやらせたいとは思うが……万一けんかが始まってからでは遅いでござるしなあ」
実際に少女の中には、嫌そうにセレネーを見る子もいた。
少年少女たちはおそらく10歳未満だ。外見だけならセレネーの方が上である。それも子供たちをイラつかせる原因に充分なる。
やがて、現場にいるウィノナが一番早く場の空気を察知したのか――
「ありがとっ!」
元気に少年少女たちにお礼を言い、手を振って、セレネーを連れて帰ってきた。
「大丈夫だった?」
ディーザがウィノナに尋ねる。
ウィノナは苦笑した。
「あはは。ちょっとヤバかった」
「はい……セレネー、スライ、ム……」
千獣が傷だらけとなり意気消沈気味のセレネーに赤スライムを抱かせる。
セレネーは赤スライムに顔をうずめた。
その間に、幻路はセレネーの膝や肘にいつも携帯している簡易な薬を塗った。
「おそらく足の裏も塗った方がいいと思うでござるが……」
「どうせこの先も裸足だしねえ……」
ディーザはとんとんと爪先で地面を叩いた。「ボール遊びでは記憶に引っかかることはなかった感じだね」
「何て言うか、子供と遊ぶっていうこと自体に慣れてない感じだった」
ウィノナはそう言った。
「同年代でもそうかな?」
「だからボクが色々試そうと思うんだ」
ウィノナは14歳。確かに同年代だ。
ウィノナはまず市場へ行った。
木彫り細工やお菓子の売っている店をめぐり、セレネーに紹介する。
セレネーは木彫り細工に興味を示した。
「これ……なに?」
「これ? 木で作った熊さんだね」
「木で作った……の?」
「うん。木にのみとか道具を当ててごーりごーりと」
「………」
セレネーの顔が悲しそうに歪んだ。
ウィノナが慌てると、千獣が後ろから補足してきた。
「セレネー、植、物、好き……逆に、植、物、傷、つける、もの、嫌い……」
「それはひょっとすると」
幻路があごを撫でた。「千獣殿と同じ理由でござるのでは?」
千獣は小さくうなずいた。
「え? どういうこと……」
ウィノナが幻路を見る。クロークも軽く首をかしげた。
「ああ、噂には聞いてるけど」
ディーザが納得したようにうなずいた。「精霊の森に樹の精霊がいるんだっけね? 確かすごく優しい精霊で、千獣の今のお母さん代わりで」
「精霊の……森に?」
ウィノナは精霊の森に行ったことがない。千獣を見ると、千獣はこくんとうなずいた。
「となると……植物の記憶はすでに上塗りされているかもしれないな」
クロークがあごに手をやって、「植物を見せて記憶に引っかけるのが難しくなったかもしれない」
「しかし確か精霊の森には木々しかないでござるよ。花類なら大丈夫なのでは?」
「そう……かも……しれ、ない」
千獣は考えながらゆっくりと答えた。
「そうか……木彫り細工は駄目かあ」
ウィノナは残念そうにうなったが、気を取り直して「じゃ、お菓子はどうかな」とセレネーに隣の店を薦める。
「お菓子……」
「そう。森でいっぱいもらってる?」
「………?」
セレネーは虚空を見て考え込んでしまった。おそらく「いっぱい」の基準が分からなかったのだろう。
ウィノナは慌てて、
「か、考え込まなくていいからっ。ここにほしいお菓子、ある?」
改めて店頭のお菓子を示す。
セレネーはぼんやりとしたその赤い瞳で、店頭のお菓子を眺めていたが、
「……あれ……」
とひとつのお菓子を指差した。「あれ、どんな味するのかな……」
赤いお菓子だった。
赤、とディーザがつぶやく。
「いちごかりんごかなあ」
ウィノナは、そのお菓子がとても安い飴だったので買ってあげることにした。
市場には人が多い。ウィノナはセレネーと、ついでに千獣も連れて店を回った。
店々では一応、「この子見たことない?」と訊いた。
誰も、見たことはないと答えた。
彼らの頭上には浄天丸がいて、見張りをしている。
遠目に3人の様子を見ていたディーザが、ふと傍らにいる2人に言った。
「……ねえ、幻路。クローク」
「なにかな、ディーザ嬢」
「何か思いつかれたことでもござるのかな?」
「この街の中で、赤いものに心当たりある? どうもあの子、赤に反応するから」
「そう言えば……」
スライムは元々好きだったらしいが、赤いスライムをもらってもっと喜んでいた。
赤い鳥、とつぶやいた。
気がついてみれば、セレネーが興味を示したボールは赤かったような気がする。
そして今、赤い飴を欲しがった。
そう、最初から分かっていたではないか。
彼女の背にはフェニックスの刻印があると。
クロークがぽん、と手を打った。
「僕が店を構えている路地裏近くに、故買商がある。そこに確かフェニックスの絵画が……」
千獣がその言葉に反応して振り向く。
それにさらに反応して、ウィノナとセレネーが振り向く。
「フェニッ、クス、の、絵……?」
千獣がクロークをじっと見た。
セレネーがぴくっと反応した。
「赤い鳥……」
ディーザが全員を見回し、
「……ぶつけてみようか?」
もう少し遊んでみるのもいいかもしれないが、直撃できるものがあるならそれも悪くない。
「吟遊詩人が天使の広場に来るまで、もう少し時間があるでござるよ」
「よし、行っちゃおう」
千獣が心配そうに、
「セレネー……大丈、夫……?」
しかしセレネーはふらっと、ディーザの手招きに招かれて歩き出した。
☆★☆★☆ ☆★☆★☆
「ていうかだな、クルス」
カウンター席でも遠慮なく、もりもりもりもり旺盛な食欲を満たそうとしていたユーアが言った。
「あの娘、本当に記憶喪失か?」
「……何でそう思うんだい」
「お前が分かってそうだから」
言って、ユーアはジョッキの麦酒をくいーっと飲む。
クルスは苦笑して、頬杖をついた。
「さあて……どうかな……」
「やっぱり知ってるな。あの小娘は何者だ?」
「彼女の正体を知ってるわけじゃない」
クルスは自分もカクテルを飲みながら、
「ただ……彼女の記憶は、魔術によって封じられているだけだろうなということだけは分かったさ」
ことん、とカクテルグラスを置く。
緑の瞳は、虚ろに空中を泳いでいた。
「不死鳥の刻印……記憶封じの魔術の最高峰だからな……」
☆★☆★☆ ☆★☆★☆
クロークの案内でやってきた故買商は、路地裏に店を構えているわりには栄えているらしい、こぎれいな店だった。
「失礼するよ」
クロークが最初に入り、残りの人々を中へ入れる。
店の奥にいた片眼鏡をかけた壮年の男性が、ぞろぞろ入ってきた人間に驚いた後、喜色をその顔に浮かべた。客と勘違いしたのだろう。
「やあ、いらっしゃいませ皆さん」
手もみをしつつ近づいてくる。「どんな商品をお望みで?」
「ここに、フェニックスの絵があるだろう?」
クロークが主人に言う。
主人はクロークを見て嫌そうな顔をした後、
「なんだ、お前さんの連れか……フェニックスの絵か? ないこともないが」
「タダでは見せないとでも?」
「そこは商売だ」
「前に来た時はタダで見せてもらえたはずだけれども」
「興味を示している時は別さ」
商売人の言葉である。クロークはため息をつく。
ディーザが適当に店内を見渡し、宝石に目をつけ「あー」と言った。
「これ知ってる。あの、例の豪商マツハから盗まれて有名になった宝石。青い色に包まれて中央部分だけ虹色なんだよね」
主人が慌てたように「お、お客さん」と愛想笑いをする。
「無駄だよ。ここが故買商だってことは僕から皆に伝えてあるから」
クロークがにっこりしながら言った。
故買商。つまるところ盗品を売る店である。
「訴えを出す気はない」
クロークは主人に笑顔を向けながら言った。「ただ、フェニックスの絵を見せてもらえれば」
完全な脅しではあるが、故買商の自業自得である。主人は渋々、店の奥に入っていった。
そして1枚の、小さな絵を持ってくる。幅が20cmほどしかない。高さは15cmくらいだろうか。
「思ったより小さいでござるなあ」
幻路はそう言ったが――
よくよく見せてもらい、その絵が「小さいからこそ」凄いのだということに気づいた。
「これは……」
「珍しいだろう。版画絵だ。それも20重ね刷りでこの世には5枚しかない」
主人は得意げに言った。
「うわ……ほんとにすご。これって……違う版を何枚も、1回ずつ変えながら重ねて刷るんだよねえ……」
ディーザが感心してその絵に見入る。
その小さな絵には。
赤い赤い翼と体と尾を持つ鳥が。
画面いっぱいに翼を広げている様子が描かれていた。
赤い、赤いと一口に言っても色んな赤さがある。翼や尾の先にごく繊細なグラデーションを重ねている。他にも背景がある。まるでフェニックスが金粉を散らしているかのような金が細かく刷り込まれている。
主人の言を信じれば、20回も繰り返し繰り返し違う版を乗せて刷った、極上の版画だった。
千獣やウィノナあたりは首をかしげている。版画絵とはそもそも何なのかが分からないのだろう。
セレネーが手を伸ばす。
「赤い鳥……」
「セレネー嬢、見覚えがあるかい?」
クロークが絵をセレネーに向ける。
「赤い……鳥……」
セレネーは絵を手に取った。
そして――
その頬に、涙が一筋。
「………!?」
何事かと彼女を囲む者たちは慌てた。
「セレネーちゃん、無理して見なくてもいいんだよ?」
「セレネー、無理、しちゃ、だめ……」
「………」
首を横に振るセレネー。涙は尽きることなく。
危うく絵にかかりそうになって、店の主人が「わーーー!」とセレネーから絵を奪い去った。
「あ……」
セレネーが悲しそうな顔をする。千獣がセレネーをかばって主人を威嚇する。
「ううう、うちの商売品だぞ!? しかもうちのものの中でも最高級の!」
「はいはい、分かっているよ」
クロークはセレネーの頭を撫でて、
「ごめんね? 今日はこれだけにしてあげよう。代わりにうちの店へおいで、この近くだから」
「……セレネーが気に入りそうだったのに、残念」
ウィノナが悔しそうにつぶやいた。「ねえご主人。また来たらこの子にはこの絵タダで見せてあげるっていう約束しませんか?」
「な、なんでそんな」
「ボクも裏の世界にはちょっと通じてるんですよ? 小娘だからってあなどらないでくださいよ? 色々、仕掛けできますよ?」
本当はスラム街の子供たちを束ねているだけではあるが、それでもウィノナはこの世界、はったりが何より強い場所だということを理解していた。
「く……」
主人は悔しそうな顔をした後――
クロークの悠然とした笑みをウィノナの背後に見て、がくっと肩を落とした。
「分かった……約束する……」
「今度はクルスと来るといいね、セレネー」
ウィノナはにこっとセレネーに笑いかけた。
「クローク殿もウィノナ殿も、すごいでござるな」
「ほんと。私たち立場がないね」
幻路とディーザが微笑する。
ここはクロークの店の中。
さすが香りを調合する店の中だけあって、爽やかな香りが店を満たしている。
「こちらへどうぞ。このテーブルを使えば皆で座れるはずだから」
クロークが席を用意し、その後で「お茶を淹れて来るよ」と姿を消した。
セレネーはもう泣いてはいない。赤スライムを抱いて、店を物珍しそうに見回している。
「あれ……なあに?」
隣に座る千獣に向かって、指差したのは、
「あれ……時計、かな」
「とけい、ってなあに」
「………」
自身『時間』の概念をあまり持っていない千獣は困って口をつぐみ、周囲の人々を見渡す。
「時計っていうのはね、セレネーちゃん」
ディーザがセレネーに向かって身を乗り出すように、両肘をテーブルの上に置いた。
「時間を、刻んでいるんだよ」
「じかん……」
セレネーにも分からなかったらしい。ちょこんと首をかしげる。
精霊の森にいる人々とはこんなものかもしれない。ディーザは苦笑した。
「これ、なあに」
「あれは、花瓶。摘んだ花を、活けておく瓶」
「花……摘んじゃうの」
「ごめんね、人は花が綺麗だからより自分の近くに置きたくなっちゃうんだよ」
「……あれ、なあに」
「ああ、あれは入り口を宝石で飾ってるのかなあ。オシャレだね」
「ありがとう」
クロークが戻ってきていた。手にお茶の入った人数分のカップと茶菓子を載せた盆を持っている。
クロークは慣れた手つきで皆にお茶を配った。
「とっておきの美味しいお茶とお茶菓子だよ」
セレネーに優しく言って、自分も椅子に座る。
さすが調香師だけあって、お茶の薫りにもこだわっていた。
一口飲むと、ふわあと甘く優しい何かが口の中に広がる。
お茶菓子はパイ。
中身はラズベリーだった。
「美味しい。作り方教えてよ、仲間にも食べさせたい」
とウィノナが言った。
「では今度お仲間さんを連れて来たらいいよ」
「……ちょっと人数多すぎるかな」
会話もはずんだ。セレネーは思いの外好奇心旺盛で――あの絵を見てから少し変わったのかもしれないが、店内のあれこれを「あれはなに」「これはなに」と皆に訊く。
クロークはお茶がなくなればすぐに淹れ直し、またパイがなくなれば新しい茶菓子――今度はチョコチップクッキーを持ってきてもてなす。
幻路がはっと時計を見て、
「しまったでござる。吟遊詩人の歌がもう始まってしまったでござるよ」
「まあまあ幻路。吟遊詩人は1日では旅立たないよ。今日はいいってことにしとこう」
ディーザが笑って幻路の腕を叩いた。
☆★☆★☆ ☆★☆★☆
セレネーと遊び隊が黒山羊亭に帰って来た時、カウンターではクルスがぼんやりとしていた。
「クル、ス……」
千獣が小走りに駆けて、どうしたのと問う。
「いや……胃が痛い……」
「それはいかんでござる。どうなされた、クルス殿」
クルスは黙って、自分の横でがーがー寝ているユーアを指差す。
ユーアの周りは、まだ片付けられていない皿でいっぱいだった。
クルスはこめかみを揉んで、
「何でか彼女の飲み食い代も全部僕持ちってことになっちゃってね……」
「何でそうなるの?」
ディーザが心底不思議そうに言う。
近くにいたエスメラルダがふふっと笑って、
「まあいいじゃない。セレネーちゃんはどうだった?」
セレネーはとととっとクルスの元まで来て、嬉しそうに赤スライム片手に抱きながら、片手にお菓子の入った袋を見せた。
「買ってもらったのかい?」
「僕があげたんだよ」
クロークが微笑んだ。「気に入ったようだったから」
「そうか。ありがとう」
「セレネーちゃん、フェニックスに関係あるみたいだね」
ディーザが目を細めて言った。
クルスはセレネーの頭を撫でながら、
「……ああ」
とつぶやいた。「不死鳥。僕の研究のひとつになったよ」
「まあ、頑張って」
ディーザはここに来てようやく、煙草をくわえた。それは仕事の終了を示していた。
セレネーがくるっと振り向いて、
「それ、なに?」
「……煙草って言うんだけど。セレネーちゃんは、吸わない方がいいよ」
ディーザは苦笑した。
セレネーはきょとんと首をかしげた。
「……表情がずいぶん増えた」
くしゃり、とセレネーの前髪を乱し、クルスはつぶやく。
緑の瞳が優しく笑んでいた。
「みんな、ありがとう」
――今回は、何とか皆に少しの報酬を出そうとして――皆に拒まれ、結局クルスは生活費を除くほとんどの金をエスメラルダに預けた。ユーアの分である。
「……口止め料。大変ね」
エスメラルダが囁いた。
クルスは苦笑した。
「何でよりによってユーアに言ったんだかな……」
そして黒山羊亭の面々と別れ、クルスはセレネーを千獣と挟んで歩き、精霊の森に帰ることにした。
赤スライムはクルスが持ち、お菓子はセレネーが握ったまま。
セレネーの片手ずつを、クルスと千獣が持ち。
セレネーは楽しそうに足を弾ませた。
「またくる、またくる」
うぃのな、でぃーざ、げんじ、くろーく
新しく増えた友達の名前を歌うように口にして。
クルスはただ微笑む。
千獣はそんな彼を少しだけ見つめて――結局何も言わず、感情を外に出さずに歩き続けた。
精霊の森が見えてくる。
彼らの帰る場所が見えてくる……
―FIN―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2542/ユーア/女/18歳(実年齢21歳)/旅人】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3368/ウィノナ・ライプニッツ/女/14歳/郵便屋】
【3482/ディーザ・カプリオーレ/女/20歳/銃士】
【3492/鬼眼・幻路/男/24歳/忍者】
【3570/エル・クローク/無性/18歳(実年齢182歳)/調香師】
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■ ライター通信 ■
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ユーア様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回は何だかやけに長い話なのに出番が少なくてすみません。
……出番が少なかった割に、一人勝ちしていたような気もしますがw
ユーアさんとクルスのかけあいを書くのが非常に好きだったりもしますw
よろしければまたお会いできますよう。
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