<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


まぬけなおのぼりさん

 その日、きょろきょろと周囲をせわしなくうかがいながら白山羊亭に入ってきたのは、十五歳ほどの少年だった。
 背を丸め、おどおど視線を動かし、泥棒か変人かおのぼりさんかという雰囲気で包まれている。
 ルディアはそういう客には積極的に話しかけるようにしていた。
「こんにちは、お客様!」
「………っ! ひええええ、こ、こんにちはっ」
「今日はお食事ですか? 冒険のお依頼ですか?」
「いえ、その、あの」
 挙動不審。怪しすぎる。
 しかしルディアはあらゆる人種に慣れていた。にこにこしながら相手が口を開くのを待つ。
 やがて少年は、か細い声でつぶやいた。
「……巻き上げられちゃったんですよう」
「え?」
「旦那様からここのお金持ちの方にお届けするよう頼まれていた品、途中で変な軍団に巻き上げられちゃったんですよう」
 少年はせきを切ったように泣き出した。
「どうしようどうしよう、旦那様とアドルフ様の友情祝いの大切な品だったのにぃ! 僕首つらなくちゃ! もう生きていけない!」
「待って待って、落ち着いて」
 ルディアはハンカチを取り出して、少年の涙を拭う。
「待って。ここの冒険者さんに頼めばどうにかなるかもしれないから」
「ひっく、ひっく、本当ですかぁ」
「あなたの旦那様ってだぁれ?」
「この城下町よりずっと南に住んでいるクォーツ様です……」
「アドルフ家なら知っているわ。エルザード東に住んでいる大富豪さんね」
「そうです……」
「巻き上げられた物は?」
「中身は知りません〜。でもクォーツ様は宝石商ですので、宝石かと……」
「そんなに小さな荷物だったの?」
「いえ、一抱えありましたぁ。……多分原石をアドルフ様にお届けしたかったのじゃないかと」
「ふぅん……じゃあ、巻き上げてきたのは、誰?」
「知りません〜。黒服に全員葉巻をくわえて、黒い帽子をかぶった黒い集団でしたあ」
「何人くらい?」
「覚えてませんんん〜」
「どうやって巻き上げられたの?」
「ぼ、僕が道に迷ってて、そしたらあっちから、道案内してやるって言ってくれて……ついていったらつきあたりで、そこで脅されて……」
 そしてまた自分のふがいなさに泣き出す少年。
「ああ旦那様、許してください〜」
 ――この少年はおのぼりさんだ、とルディアは思った。
 優しく背中を撫でながら、
「で、あなたのお名前は?」
 少年はひっくひっくとしゃくりあげながら、
「キリですぅ」
 と言った。

     *** *** ***

 ルディアの呼びかけに、7人の人物が集まった。

 千獣[せんじゅ]。
 ユーア。
 虎王丸[こおうまる]。
 蒼柳凪[そうりゅう・なぎ]。
 ディーザ・カプリオーレ。
 鬼眼幻路[おにめ・げんじ]。
 アレスディア・ヴォルフリート。

 話を聞いて、ユーアと虎王丸以外の全員がうなった。
「……誰も彼もが清廉潔白で生きていけるわけではない。だが、他者を力で脅すような行為、許すわけにはいかぬ」
 少女ながらもその真面目な思考で、色々な事件を解決してきたアレスディア。
「また、見事にカモられちゃったね」
 煙草をくわえたまま、とんとんとキリの肩を叩いたのはディーザ。
 キリがまた泣きそうになるのを、「まあまあ、私たちも頑張るからさ」となだめて。
「ふむ……随分と特徴のある連中でござるな」
 早速思考に入っているのは幻路。
「そうそう、黒服に黒帽子に葉巻の集団、ね……そういうの、聞き込みによる情報はあまり期待できないんじゃないかなと思う」
 ディーザが指1本立てて幻路に同意した。
「しかしまずは情報を集めねばならぬかと」
 アレスディアは真顔で言った。
「その現場へ連れて行ってくれぬかな? 何か残されているかも知れぬ。その集団が落としたものとは限らぬ故、過信は禁物だが……できれば、葉巻など落ちていれば良いのだが」
「ああ、現場に行くのもいいね。ほら、千獣がいるし」
 ディーザは千獣を振り返った。
 千獣はうなずいた。背の低いキリと視線を合わせ、
「その、場所、に、連れて、いって、くれる……? もしか、したら、匂い、が、残ってる、かも、しれない、から……」
「に、匂い、ですか……?」
「葉巻で匂いが消されてないといいけど……で」
 ディーザは今度は、残りのメンバーを見る。「キミたちは?」
「へぇ宝石商が持っていた石かぁ。是非見てみたいな」
 にっこにっこと笑っているのはお宝大好きユーアである。その反応は予想できていたので、ディーザはあとの2人を見た。虎王丸とその友人蒼柳凪。
 凪はキリのおどおどっぷりを見て、同情の念を隠せずにいた。
 ――まるで、この世界に来たばかりの時の自分のようだ。
「俺、は。囮作戦が手っ取り早いんじゃないかと思って」
 凪はディーザにそう進言した。
 ディーザは目をぱちくりさせて、
「へえ、気が合うね。私もそう思ってたんだ」
「いきなり囮かよ?」
 と虎王丸が言った。「なんか情報収集したいって言ってるやついるじゃん」
 凪はそんな虎王丸の様子に不審感を持つ。
 キリは間違いなく金持ちとつながりを持つ少年だ。そんな少年相手に――虎王丸が優しいはずがない。すぐにでもシメて大富豪とのつながりを作りたい気分のはずだ。
 しかし虎王丸はにこにこしながらキリの肩をぽんと叩き、
「ほら、お前さん使者に選ばれたくらいなんだからよ。旦那様にすっげえ信頼されてたんだぜ? 簡単に負けずに、もいっかいやり返してやろうぜ!」
「ぼ、僕は、僕は」
「俺たちもついてっからよ。だいじょーぶだいじょーぶ」
 ぽんぽんと今度はキリの頭を叩き、虎王丸はにかっと笑顔を見せる。
 ……怪しい。
 凪は不安になった。
 幻路は彼らの話は意識半分で聞いて、半分は自分の思考を進めているようだった。
「服装や持ち物の特徴はそれらを取り替えるだけで、一気に別人になってしまうでござる。それが怖いところでござるなぁ」
 顔がまったくわからぬというのも辛い――と彼はつぶやく。
「キリ殿の言うような服装と集団のまま、街を闊歩しているならば別でござるが、そんな奇妙な集団がいればたちまち噂になるでござる」
「それはまずありえないでしょ」
 ディーザは笑いながらぱふっと幻路の腕を叩いた。「そうでござるよなあ」と幻路はうなずいた。
「だからここはまず現場に行って千獣の鼻を利かせてもらって」
 ディーザはぽんと千獣の両肩を背後から叩いてから、
「……その後、少し情報収集してから、どうしようもなくなったら囮で行こう」
「お、囮って、もしかして僕も……っ」
「キリ〜。お前は旦那様に選ばれたえらーいヤツなんだぜ!」
 虎王丸がキリのプライドに語りかける。
「ぼ、僕が選ばれた……」
「ま、そんなたいそうな宝石、確かに信用してるやつ以外にゃ持たせねえよな」
 とユーアが頭の後ろで手を組んで言った。
 ディーザはユーアを見て、
「ユーアは? どうすんの?」
「本当に田舎のおのぼりさんを素でやってくれるとは、そっちの方が俺は貴重だと思うが」
 ユーアは珍しく、機嫌がいいようだった。「まあそんな貴重な奴が見れたんだ、今回はその奪われた宝石を見せてくれるだけでいいぞ」
「そういって横から奪ったり――」
「させるかよっ!」
 何故か虎王丸が反応する。
 ユーアは手を軽く振って、
「いんや。気分的に、足りない分はそいつをカモった奴らからきっちりと貰っておくから」
 ……本当に珍しく、がっつく気はないらしい。
「となればユーアもすごい戦力になるねえ。元はすごい戦士なんだから」
「言っておくが食欲とお宝がからまねえと俺は力出ねえぞ」
「……今回に限って弱いってことはないよねえ」
「さあなー」
 その間に、千獣はキリから襲われた場所を聞きだしていた。
「行こ、う……」
 千獣がキリの手を取って走り出す。
 残りのメンバーはその後を追った。

 路地裏だ。
 はっきり言って、連れ込まれた方が不思議になれる、まさしく路地裏の突き当たりだ。
 ゴミが置いてある。長い間処分してないのがすぐに分かる腐敗臭。
「……これももしかして、匂い消しだったりして?」
 ディーザが煙草をふかしながら眉をしかめる。
 キリが恐怖を思い出したのか、がたがたと凪の服につかまって震えている。
「千獣殿、分かるか?」
 アレスディアが千獣を見た。
 千獣はふらっと前へ出る。
「……匂いが、あれば……そこ、から、辿れる……と、思う……ただ……いっぱい、いた、ん、だよね……?……できる、だけ、やって……みる」
 まず確かめるのは、確かにここであったという確信のための――キリの匂い探り。
 千獣はゆっくりうなずく。
「……うん、確か、に、ここで……キリ、襲われ、た、ん、だね……」
 そして探る。
 ――キリをのぞき、濃いものだけを数えても、そこには合計8人の匂いが残っていた。
「キリ……8人、も、いた……?」
 問われて、キリは一生懸命思い出そうと視線を虚空にやる。
「覚えてな……いえ、ええと……そ、そんなに、いなかった、ような……」
「こんな見た目でよわっちいお子様相手に大人8人がかりはないだろうよ」
 ユーアが腰に手を当てる。「余計なのはそこにゴミを置いてったやつのとかだろうよ。もっとしぼりこめねえのか?」
「……ん……」
 千獣はその8人の中に共通性を探す。
 例えば皆同じ服だったのだから、同じ布の匂いとか。
 例えば皆葉巻を吸っていたのだから、同じ葉巻の匂いとか――
「………。葉巻……」
 つぶやいた。「同じ葉巻……5人」
「まあそれが妥当だな」
 ユーアが唇に手を当てた。「んで、情報収集はっと……」
「街での聞き込みは期待できぬ」
 幻路が腕を組む。「あえて言えば、一抱えの包みを持っている人間……しかし商店街辺りにいけばいくらでもいるでござるしな」
「この子小さいから、この子の一抱えは大人にとってはそれほどでもないよ」
 ディーザがキリの肩を叩きながら言った。
「例え格好はそのままでも集団でいなければ普通にありえる格好だし……目立つ服装さえ取っ払っちゃえば一般人に成りすますのは簡単だし……」
「……5人、全員、が、その、まま、あじと、に、行く、とは、思え、ない……」
「そうだね。いったん散開するだろうね」
「その葉巻はどんな香りのものだろうか? 千獣殿」
 アレスディアが足元に葉巻の跡がないことを確かめてから訊く。
 千獣は考えるように眉を寄せて、
「辛い……あの、彼、が、いつも、吸ってる、のと、同じ……」
「ああ、それならコイーバだと思うよ」
 ディーザがいつも葉巻を吸っている友人を思い出しながら教えてやる。
「コイーバというのか……。私は、その葉巻の入手経路を調べてみたい」
「そうだね。警察へ行くのとは別行動で行こうか」
「思うんですが……」
 と凪が口を挟んだ。「その黒服たちは、中身が何かを知っていて盗んだんでしょうか?」
「………」
「そりゃ知ってたんだろうよ」
 とユーア。「でなきゃこんな小僧の持ってる荷物なんかに手は出さねえよ」
「ということは……黒服たちは、何らかの理由でキリさんのお遣い内容を知っていたんですよね?」
「あー……」
 ディーザが煙草を口から離して、感心したようにうなずいた。
「そうだ、それを失念してはいけなかった。……なぜ敵はそれを知っていたか?」
 アレスディアがあごに指を当てる。
 くるりと千獣が振り返った。
「私……ひとつ、ひとつ、の、匂い……追って、みる」
「時間かかるよ?」
「だから、私、1人で、やって、くる……皆、は、他、の、こと、してて」
「待つでござるよ。一応拙者たちにも、方向だけでも……」
 全員で路地裏を出たあたりにくると、千獣はまず右――アルマ通り方向を指差して、
「こっち、に、2人……」
 ついでベルファ通り方面を指差し、
「こっち、に、1人……」
 最後にエルザードの出入り口を指差し、
「あっち、に、2人……」
「バラけてるね」
 ディーザが困ったように言う。
「それ、じゃ……」
 千獣はぺこんと軽く頭を下げる。
「気をつけて、千獣殿」
 アレスディアが心配そうに千獣を見る。
 千獣はかすかに微笑んで、まずベルファ通りへと走り去った。

「ベルファ通りへ行ったのは……匂いが薄かったからなのかな」
「さあ、拙者たちが詮索しても仕方がないでござるよ」
 ディーザと幻路はそんな会話をしてから、
「さて、どうしようか」
「私は、葉巻を……」
 アレスディアがうなずいて見せ、そのまま商店街へと行った。
「囮は……」
「うん、囮の前に一応ね。聞き込みもしておこうと思って……ここから出て行ってすぐの黒服姿の人間、発見されているかもしれないし」
「発見されてたところでその後が分からねえだろうよ」
 ディーザの言葉をユーアが一蹴する。
 ディーザは苦笑して、
「とりあえずケーサツ行くよ」
「そうでござるな。被害の多く出ている地域、時間、被害者達に共通している特徴、加害者の特徴、手口……」
「被害者に共通している特徴が『おのぼりさん』ってか?」
 ユーアがちゃかす。キリがかあっと顔を赤くする。
「キリみたいなおのぼりさんて意外といるんか?」
 虎王丸が、これは純粋に不思議そうに首をひねる。
「……いるさ、虎王丸。このソーンには、いつ誰が落ちてきたっておかしくないんだから」
 凪がいつになく真剣に言った。
「まあケーサツみたいな、ある意味一番情報が集まるところですでに捕まってないって言うんだったら……やっぱり囮かな」
「おおお囮」
 囮、の意味を察しているのか、キリはびくびくと震えていた。凪がなだめるように肩を抱いてやっている。
「とりあえず警察に行くでござるかな」
 キリを引きつれぞろぞろと、彼らは歩き出した。

 ベルファ通りに来た千獣は、
「あ……」
 匂いが途切れてしまったことに気づき、唇を噛んだ。
 よくよく辺りを見渡してみる。――あった。地面に、葉巻を踏みにじった跡。
 地面にぐしゃっとつぶれているそれの破片を取り上げてみる。
「全部、同じ、匂い……だった、から……同じ、タバコ、なの、かな」
 葉巻と煙草の違いはこの際どうでもいい。証拠物件として手に持ち、千獣は今度はアルマ通りへ向かった。

 商店街で、アレスディアは葉巻の店での聞き込みを開始していた。
 コイーバとはなかなかの稀少品で、あまり手に入らないのだという。
「よろしければ、最近それを買った人々について教えてもらえないだろうか……?」
 ――千獣はああ言ったが、全員が同じ葉巻なのかどうかは分からない。
 しかしその1つ、いやおそらく複数がコイーバであることは確かなのだ。
 公の者でもなんでもない自分に、店が情報を教えてくれるかどうかも分からないが……
 わからぬ、限らぬと言っていても仕方ない。
 やるだけのことはやってみる。
 ――葉巻を取り扱っていた店の主人は、アレスディアのような少女がコイーバなどの情報を知りたがっていることに驚いて目をしばたいていた。
「お嬢さん、何のためにそんなことを?」
「いや――友人に、コイーバ愛煙家がいる。間もなく彼の誕生日なので手に入れたいと思ったのだが……他にも買った友人がいるのなら重なってしまう。それではつまらないので」
 苦心して考えた嘘。真正直なアレスディアには難しいことで、内心ひやひやしていた。
 しかし店主はちゃんと受けとってくれたようだ。はははと笑って、
「そうだなあ、この店にコイーバを注文する男は金髪の大男が1人と」
 ――友人だろう。
「それから、クォーツ家の旦那だな。あそこはまとめ買いしてくれる」
「え?」
 アレスディアはきょとんとした。
 どこかで聞いた単語のような……
「クォーツ……クォーツ家?」
「そうだ、南の宝石大豪商。知っているだろう?」
 と店主は言って、
「あとは……そうだなあ、そう言えば最近、知らない連中も買っていったな」
「―――!」
 アレスディアは身を乗り出して、「黒い服を着ていなかったか!?」
「うん? ああ、黒服だったよ」
 店主はあっさりとうなずいた。

 凪は最初から、囮捜査がいいだろうと思っていた。
 しかし、先ほど自分が言った言葉で少し考えが変わっていた。
「……あの、警察に話に行った後で、本来石が贈られるはずだったアドルフさんという方に会ってみませんか?」
 先を歩いていたディーザと幻路が振り向いて、足を止め、凪をじっと見た。
「……さっきからいいことばかり言うね」
「参ったでござるよ」
「待て待て待てって」
 ユーアが片眉を上げた。「本人に会っちまったら、石盗まれたのバレるぜ。それでいいのか?」
 キリがひいいっと縮み上がる。
 それはダメだなあとディーザも眉を寄せて考え直した。
「ええと……友情記念の石だった? 友情記念って、また変わってるよね。誕生日とかならともかく」
「ひううっ……アドルフ様と、旦那様で石を交換し合う予定だったんですぅ」
「……石を交換?」
「僕が石を届けてたら、逆にアドルフ様からの使者が石を持ってクォーツ家に来るっていう……」
「面倒くせーやり方」
 虎王丸がぶつぶつ言う。「どうせならモノホン持って本人同士が来りゃいいのによ」
「ほんとにね」
 こればかりはディーザも同感だった。
 こんなややこしいことをしなければ、盗まれる可能性だって低かっただろうに。
 そこへ――
 アレスディアが戻ってきた。
 黒服の、コイーバを買って行った男が1人、いたという。それも、5本買っていったと。
 ただ、店主も知らぬ顔だったため、誰だか分からないと。
「参ったな」
 ディーザは後ろ首を撫でた。
「……少し、思うのだが」
 とアレスディアがぎこちなく、言った。
「その……失礼ながらキリ殿はこの街には不慣れであろう。そのような方を……普通、大切な石の使者にする、だろうか?」
「……ぼ、僕も辞退したんですけどぉ……」
 キリは指先をもじもじさせた。「お前は早く世間を知ってこいって、クォーツ様が豪快に笑われて……」
「……ある意味、世間を知ってしまったでござるな」
 幻路がしんみり同情をこめて言った。
 とりあえず、警察に到着する。最近の盗難事件について尋ねてみる。
 ――最近、被害の多く出ている地域、時間、被害者達に共通している特徴、加害者の特徴、手口――
「むう」
 幻路が腕を組む。「今回の事件とまったく重ならんでござる」
「というか黒服5人組に襲われました、なんて事件ないじゃん」
 あちゃあ、とディーザが額に手を当てた。
「こりゃ……囮、かな」
「う、うわああん」
 遠まわしに自分に危機が迫っていることに気づいているのだろう、キリが逃げ腰になる。
「ばかばか、逃げるな。お前さんは選ばれた人間なんだぜ?」
 虎王丸がぽふぽふ肩を叩いて――ひそかに肩をがっちりつかんで――笑顔でキリを説得する。
 凪はその虎王丸の手を離させた。
「脅迫してどうするんだよ、馬鹿。――キリ、僕も同行する」
「え……」
 キリが凪の微笑みを見る。
「2人で、それっぽい荷物持って、怪しそうなところ歩いてみよう」
 キリはかなりの間怯えて迷って迷って迷って――
 それからおそるおそる凪の顔を見て、こくんとうなずいた。
「よっし、それでこそ男の子!」
 ディーザがぐりぐりとキリの頭を撫でた。

 千獣はアルマ通りでも証拠物件の葉巻のカスを手に入れ、最後の方向へと走り出していた。
 街の南。街から出ても匂いは続く。
 ひたすら匂いを追う。並んで2人分の葉巻の匂いは消えにくく、ありがたかった。
 そして彼女はたどり着く。
 たどり着いて……きょとんとした。
「ここ……どこ?」
 きらきらとまばゆい宝石で飾られた、まるで王宮のような家――

 凪は念のため、異界人とバレないように、キリと同じような普通の服を着た。
 歳も変わらず、小柄だから大丈夫だとは思うが。
 もちろん、銃型神機を隠し持つのは忘れない。
 キリと2人で持つ箱は、キリの証言から彼が最初持っていたものと同じくらいのものにした。
 2人でわざわざ運ぶものではないので、中身は空の箱をキリが。いざというときすぐキリを護れるよう凪はそのすぐ傍らで。
 2人は歩く。アドルフ家までの道を。ゆっくりと。
 気をつけるでござるよ――
 幻路に言われた言葉を思い出す。
 頭上に、網を持たせた浄天丸をつけるでござる。いざとなったら網で一網打尽にするでござるから、巻き込まれぬよう気をつけるでござるよ――
 空を何気なく仰いでみると、確かに何かを持った烏が自然な動きで飛んでいる。

 ふと。
 足音とともに、話し声が聞こえてくる――


「あっは! 最っ高だったな、コイーバ!」
 男の1人がハイになったように歓喜の表情を見せていた。
「ああ美味かった……俺もう煙草吸えねえ」
 と他の1人。
「さすが旦那様」
「俺たちが葉巻欲しがってるの分かってて命じたんだな」
「してやられたぜ」
 とか言いながら、口調は嬉しそうである。
「こんな簡単な仕事で旦那様御用達のコイーバを吸わせてもらえるなんて、ほんっと、運がいい」
「旦那様事態を知ってからわざとキリに行かせたからなあ」
 ――キリ?
 凪は耳を澄ます。足音はいくつだ?
 ――5つ?
 キリが震えだしていた。
「知ってる声?」
 小さな声で尋ねた。キリはうなずいた。
「同じ屋敷の使用人の先輩です……」
 頑張って歩いて、と凪はがくがく膝を揺らすキリを支える。
 ――視線を感じる。あちこちから。ユーア、アレスディア、幻路、ディーザ、虎王丸。頭上には、浄天丸。
 やがて。
 味方のものとは違う視線が、一斉にこちらに集まった。

「キリ……?」

 小さく囁く声が聞こえる。
「おい、ちょっと待て。あの手に持ってるのはなんだ?」
「隣にいるのは誰だよ」
「しかもアドルフ家にまっすぐ向かってるぜ? おい、そんな馬鹿な!」
 混乱し、慌てだしたらしい。

「キリー!」

 声が聞こえた。
 振り向いていいよ、と凪は言った。キリは震えながらも振り向いた。
 少し離れたところに、笑顔の5人の青年がいた。全員――普通の民間服だ。
「キリ、何やってんだよ」
 と両手を広げながら青年たちが近づいてくる。「お前さん今日、大切な用だったはずだろ?」
「は、はい」
 キリは精一杯の勇気をしぼりだして、「でも1人ではこの街を歩けなかったので、道案内にこの人を」
 凪が5人に向かって軽く頭を下げる。
「そうかあ。アドルフ家に行くんだもんなあ。粗相があっちゃいけないよな」
「は、はい」
「なんだキリ。震えてるぞ? そんなでアドルフ家まで行けるのか?」
「い――行きます」
「無理すんなって。ここで会ったのも縁。俺たちが内緒で役変わってやるからさ」
 声をひそめて、いかにも世話好きの先輩たちのように。
「い、いいです、自分で行きます!」
 キリは頑張って箱を抱えた。
「気にすんなって。ほら、こっちこっち」
 キリの持つ箱に、何本もの手が伸びる――

 凪は、その手に銃型神機をぐいっとこすりつけた。
「手を貫かれたくなかったら、すぐに手を離してください」
 低く告げる。
 青年たちは凪を壮絶な目で見た。
「なんだお前は」
「邪魔すんな」
「………」
 威嚇射撃一発。その音に、びくっと青年たちが震える。
 凪はキリを背後に隠しながら、後退する。
 その時、上空から浄天丸がふぁさっと網を下ろした。
 5人の青年は見事に網に引っかかった。

 網にかかった青年たちは暴れだした。
「あーうるせ」
 ユーアがげしげし蹴っ飛ばして黙らせる。
 虎王丸が怒り心頭で、「アレをやれ!」と凪に命令する。
 その「アレ」が何なのかすぐに分かってしまった凪は、自己嫌悪に陥った。
 嫌々ながら舞い始める。そして術を発動させた。
『卑霊招陣』
 途端に男たちに低俗な霊が降りて、彼らの体の自由が奪われた。この状態だと彼らに裸踊りをさせることが可能で、凪は本当に嫌々ながらも彼らを操った。
「うわっ」
「あの」
 ディーザとアレスディアがそっぽを向く。
 幻路は、
「世の中不思議な術もあるものでござる」
 と感心して見ていた。
「ちっくしょー! いいカモだと思ったのによーーーーー!」
 虎王丸が裸になっていく男たちの腹筋をげしげしっと蹴り飛ばした。彼は本当は『卑霊招陣』で男たちに黒服やら葉巻やら、財布やらを脱ぎ捨てさせ、後でかき集めて質屋に売っ払おうと考えていたのだ。
「醜い。ちょっと燃やそうかな」
 ユーアが冷静にその手に炎を生み出そうとする。
「いや、網が燃えては困る故」
 幻路はこちらも冷静にユーアを止めた。
 凪はため息をついた。ディーザやアレスディアはこちらをまともに見られそうにない。
「助けてくれぇ……」
 泣き声になった男たちの前に腰に手を当てて立ちはだかり、
「あなたたちが、キリを襲った黒服5人ですか」
「………」
「しゃべらないと術を解きませんよ」
「そ、その通りだ!」
 男の1人が下半身を必死で隠そうと霊に抗いながら、悲鳴じみた声をあげた。
「じゃあまず、キリに謝ってください」
「おいこら凪、そんな悠長なこと言ってる場合じゃ」
「うるさい虎王丸。一番傷ついてるのはキリだ」
 震えて凪の後ろにいるキリは、低俗に堕とされた先輩たちの姿を見て涙する。
「どうして……どうして……」
「どうしてなんです」
 凪は訊いた。「どうしてこんなことを」
「――だ、旦那様のご命令通りにやっただけだ!」
「旦那様……?」
 キリが呆然とする。
「それは……つまり、クォーツ殿とやらのことでござるかな」
 幻路があごを撫でる。「それはまた、意外な名が出てきたことでござる」
「どうしてわざわざ自分の使者であるキリを襲わせたんだ」
「知らん!」
「……術が止まらなくても」
「本当に知らん! 旦那様に聞いてくれ! 俺たちはキリの持っている荷物を取り戻したらコイーバ吸わせてやるって言われただけだ!」
 涙声はどうやら本当のようだった。
「なら……」
 こほん、とそっぽを向いたままディーザは言った。
「行く先は1つだね。クォーツ家……キリ、案内してくれる?」
「はい……」
 裏切られたショックか、キリは憔悴しきっていた。

 そしてやってきたクォーツ家――
「うおおお!」
 ユーアと虎王丸が目を輝かせる。まさしく宝石でできたような屋敷。
 玄関が開いている。その戸口にたたずむ少女1人。
「千獣殿?」
 呼ぶと、千獣は振り向いた。屋敷を指差し、
「たばこ、の、におい……」
 言いかけ、幻路とディーザとアレスディアが網で縛って引きずってきた5人を見る。
「………」
 千獣はその5人の元へ行き、
「……この、5人」
「分かっている、千獣殿」
「しっかしすごいねえ」
 ディーザが煙草を揺らしながら戸口辺りを見渡した。
 たくさんの使用人らしき人間が倒れていた。
「ええと……」
 千獣が何かを説明しようとしている。
「こんこん、して、キリ、の、名前、出し、たら、襲って、きて」
「……で、全員軽く撫でてあげたと。お見事」
「小娘めえ!」
 中からどすどすと中年太りした男が歩いてくる。足音高く、威厳高く。
 そして、いつの間にか玄関口にいるのは千獣だけではなく――よりによってキリ、さらに捕まった使用人5人がいるのを見て青くなった。
 キリはか細くつぶやく。
「旦那様……」
「な、なぜ――」
「さて」
 しゃん
 素早く抜かれたユーアの剣の切っ先が、中年男――ライト・クォーツの喉元を狙っていた。
「全部、吐いてもらおうか?」
 ユーアはあごをそらした。

 友情の印の石交換。
 クォーツ家の方では、太っ腹にも稀少なグリーンダイヤの原石を贈ろうとしていた。
 だが、交換をする日が近づいてから情報が入ってきたのだ――あちらは、特に珍しくもないフローライトを贈ってこようとしていることを。
 おそらくは、ライトという名の主人にあやかってフローライトにしたのだろうが――それにしたってつりあわない。
 憤慨したライト・クォーツは、予定していた石を変えることにした。
 考えたクォーツは、使用人の中で一番頼りないキリにあえて元のグリーンダイヤの原石を持たせた。
 そしてキリより足の速い使用人に先回りして、キリから奪わせるように言って――

 盗まれた、という大義名分があれば、贈り物が大分遅れても大丈夫になる。
 相手から先にもらえるであろう宝石をじっくり吟味してから、こちらから贈る宝石を決めることもできるようになる。

 とまあ、こんな顛末で――

「……外道だね」
 ディーザがつぶやいた。
「まったくでござるな」
 幻路がうなずき、凪は怒りで顔を真っ赤にする。
 アレスディアなどは怒り心頭すぎて、
「キリ殿の心情いかばかりか、少しはお考えになられよ!」
 と幾重にも刃が重なっているルーンアームをつきつけながら怒鳴り声を上げた。
 千獣はキリを抱いていた。キリが泣いていたから。そうしなくてはいけない気がした。
 ユーアと虎王丸は――
「ま、このことがアドルフ家にバレたらアレだし? 当然俺たちにワイロくれるよな」
 きらきらと屋敷のあちこちにある宝石に目を移しながら楽しそうに言った。
「不謹慎だっ!」
 凪は虎王丸の頭をはたき倒したが……
 あいにく、ユーアの頭をはたき倒せる勇気ある者はいなかった。

 結局、アドルフ家とごたごたが始まるとさらに面倒なことになると、ライト・クォーツに謝らせ、幾分かの宝石をもらい、この件はチャラになった。
 ユーアと虎王丸には、仕方ないので宝石の分け前をやった。2人は上機嫌で終わった。
 残りの宝石は――
「キリが、街に住めるようになる訓練の資金にするといいよ」
 もうこれ以上クォーツ家で使用人はできないだろう。そう思った凪たち他の面々はキリにそう言った。
「宿屋に泊まりながら決めてもいいし……どこかの住み込み修業でもいいし。頑張れ」
「うむ。キリ殿は実はなかなか勇気がある。やれるでござるよ」
 キリは宝石を両手に持てるほどももらってしまい、大慌てになった。
「ぼ、僕なんか」
「ソーンに落ちてきた人物は皆、最初は騙されたり泣いたり痛い目に遭ったりの繰り返しだ。キリ殿。負けるな」
 アレスディアが優しくキリの背を叩いた。

 宝石を持っていることがすぐに分からないように、小さな皮袋を持たせ。
「はい、背、伸ばして。堂々と。おどおどしない。キミはもうエルザード城下の一員」
 言われるままに背を伸ばすキリを見て、ディーザは笑った。

 そうして、駆け出し街人は街の人ごみに隠れていく。
 ――最初は皆そうだったのだ。その後姿を見送って、感慨深くそう思う者もいた。
「………」
 千獣はふいにソーン外から来た人々を見て、
「皆、大、好き、だよ……」
 と言った。
 彼らは笑った。爽やかに。秋の風のように。
 誰にでも優しい、草原を渡る風のように――


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1070/虎王丸/男/16歳/火炎剣士】
【2303/蒼柳・凪/男/15歳/舞術師】
【2542/ユーア/女/18歳(実年齢21歳)/旅人】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3482/ディーザ・カプリオーレ/女/20歳/銃士】
【3492/鬼眼・幻路/男/24歳/忍者】

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■         ライター通信          ■
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鬼眼幻路様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
依頼にご参加、ありがとうございました。
相変わらずの浄天丸の活躍、見事です。そして1人大人な反応……ご立派です。
また次回お会いできますよう。