<Trick and Treat!・PCゲームノベル>


にげる、おいかける、つかまえる…それから?

■オープニング

 十月晦日。
 三人は気が付いたら突然、そこに居た。
 …どうやら、巨大な迷路の中らしい。

「わーよかったー来てくれたんだねー」
 目の前にはにこにこと笑う十二歳程度と思しき少年っぽい子供が一人。
 オレンジの髪にちょこりと帽子を載せ、小奇麗なスーツに身を包んでいる。
 お菓子が一杯詰まった鞄を片手に、にこにこにこと楽しそうに笑っている。
 とりっくあんどとりーと、などと、お菓子をくれなきゃ悪戯するぞではなくお菓子をあげて悪戯をする気満々な無茶なコトをあちらこちらの世界でやってる奴である。
 リデルと名乗った。
 曰く、何か頼みがあるらしい。

 ………………ボクの迷路に『変なの』が出て困ってるから助けて?

「…漠然とし過ぎてわけわかんねーぞそれ」
 速攻でさくりと返していたのは都市型迷彩の上下を纏い、顔半分を覆うようなオレンジのゴーグルまで掛けている十二歳程度のきつそうな印象の少年。
「…と言うか、それで僕たちが選ばれて呼ばれた…んですよね、その理由もわからないんですけど」
 そこに続けたこちらは幾分のほほんとした印象の、明らかに身体のサイズにあっていないぶかぶかの大人サイズな服を着込んだ砂色の少年。こちらも年の頃は十二歳程度。
「あー言えてる。…選択基準なに?」
 両方の意見にあっさり同意したこれまた十二歳程度と思しき少年が別に一人。…見た目の年の頃はそうだが、なんだか同年代な三人の中で一番大人びた余裕を感じさせる。ついでに言うと学校の制服らしいブレザーの服を着ていたりして、何処ぞのゲリラかストリートチルドレンかと言った前の二人より、現実では幾分平和な環境に置かれているのではとも見て取れる人物。
「…」
 三人からの質問に、リデル、笑ったままで返答無し。
 と、都市型迷彩の少年――若宮がまず、キレた。
 ふざけてんじゃねぇぞこの野郎、とリデルに掴みかかろうとする――が、向かったそこにはリデルの姿は既に無し。そして今度はいつの間に移動したのか砂色の少年――エリニュス・ストゥーピッドのすぐ脇からひょこりと顔を出している。
「さっき食べた飴覚えてる?」
「…さっき食わされたそれのせいでここに来たって事になるのか?」
 制服の少年――御崎双樹は少しも動じずそんなリデルにすかさず確認。
 リデルはこくりと頷いた。
「うん。でね、その飴には『ここに来る』以外にもうひとつ効果があるんだよね」
 ちょっとこっちの事情でいじくってあるんだけどさ。
「?」
「キミたちにあげたあの飴は特別製でね、アレを食べると見た目がボクになるんだ」
「はぁ!?」
「『変なの』はどうもボクを狙ってるみたいでずーっと追いかけてくるんだよね。だからボクも頑張って逃げてるんだけど、なんだかそれでもちょっと心許無いんだよね」
 だから、キミたちを呼んでみたんだ。
 無意識下でなりたいものが『今の自分以外なら何でも』――って思ってるような、ボクと同じ年頃のコを。
 …自分以外なら何でも、ってコトは、ボクになるならイイってコトになるもんね?
 ほら、一人より四人の方が追い掛ける方だって大変でしょ?
 それに三人とも、ボクと違って結構腕に覚えもあるみたいだしさ?
 何だったら『変なの』倒しちゃってもらえればなとも思ったり。
 と、そこまでリデルが話した、途端。

 ぽんっ、とやけにファンシーな爆発音がした。

 音と同時に煙に包まれるリデルに呼び出された三人。
 …煙が晴れた時には、三人ともリデルと全く同じ姿になっていた。
 しかもそれを三人共に確認出来たのは一瞬で、次の瞬間には三人が三人ともそれぞれ何処か別の場所に移動させられていた。

「てめちょっと待て何勝手にしやがるッ」

「…。非常に不本意ですけどまぁ…この状況じゃ出来る事は一つしかなさそうですよね…」

「…俺やあの二人に何期待してやがるんだあの血色悪い野郎は…?」

 目の前には相変わらずの迷路。
 そして今度は――自分の他には誰もいない。
 と、思ったら…通路の遠方から何やら不穏な気配が近付いてくるのを感じ――…。
 結局三人とも、その気配の主から逃げ回らずを得なくなる。

「じゃあ三人とも、頑張って逃げ切ってね〜♪」
 と、無責任なのほほんとした声が三人それぞれの耳に何処からともなく聞こえた――気がした。



■(幕間その一、リデルの独白)

 迷路の中で一人でぽつり。
 追っ手も何も今は居ない。
 そう確認してからぱかりと鞄の蓋を開け中を見る――その中にはお菓子がたくさん。
 飴もある。
 色とりどりの小さな丸い飴玉。
 食べた人が無意識の内に望んでる姿形になる飴。そして同時にこの迷路に召喚される飴。
 で、この飴の効果で変身してこの迷路に召喚されてる人が食べると、元の姿に戻って元の世界に送還される飴。
 本当ならそれだけの能力しか用意してない。用意されない。
 でもその中に一種類だけ、他とはちょっと違う効果を持つ飴がある。
 ――…あの三人だけにあげた『ボクになる』飴玉。召喚は他の飴同様即効だが、事前に話す時間が欲しかった関係で――こちらの事情話したところでいきなり話通りにボクの姿に変身したらどんな反応するかなーって思ったから――変身の効果に即効性は無く、召喚の効果とは少し時間差を付けてある。
 その『違った効果を持つ一種類』になる飴玉の色は、オレンジとグリーンのマーブルで…。

 …って。
 あれ?

 鞄の中に、三人にあげたのと同じ種類の飴玉がまだ残ってる?
 もう無い筈なのに、て言うか『ボクになる飴玉を使う用事は済んだからもう無くなってる』筈なのに?

 …。

 ひょっとすると三人にだけじゃなくて他の人にも渡しちゃってるかも?

 …。

 えーとそうなると他に無意識の内の希望が無ければあの三人と同じようになるだけだから別に良いけどそうじゃないと他の作用が出るかも知れなくてその辺事前に確かめてないから…えーと…うーん。
 鞄の中身をがさごそかき混ぜながらリデルは悩む。
 オレンジとグリーンのマーブル模様な飴玉の残りを取り出し、あー、と取り敢えず自分の口に全部放り込み証拠隠滅。
 そしてもぐもぐと口の中で転がしながら結論。

 …まぁ、いいや。



■?(招かれた人たちの行動)

 …気が付いたら、迷路の中だった。
 俺は何でこんなところに居るんだったっけ。
 軽く回想。
 考えるのも面倒だが今の状況は後々困る訳で、現状打開の為には考えなければどうしようもない。
 取り敢えずこの場所は――植え込みで造られたような迷路らしい事だけはわかるが、それ以上は何が何だかわからない。…そもそも自分が何故十六程度の年頃に若返っているのか、そして背中に背負っていた普段の武装――使い込んだ片手剣が、肩に掛かる重さからして異様にデカくなっているらしいのは何故だか全然わからない。
 …そういえばとりっくあんどとりーと、とかなんとかあのオレンジ頭のガキが言ってたな。
 そんなフレーズは何処かで聞いたような聞かないような…とりっくあんどとりーととりっくあんどとりーと…ああ、街のあちこちでそろそろハロウィンとか何とか言ってたっけ? 十月最後の日に奇怪な恰好をして練り歩くあのよくわからん祭り。
 聖都エルザードの街角で、そんな言葉を発してたそれっぽいオレンジ頭のガキから――口の中にいきなり飴放り込まれた事は記憶にある。
 で、次に気が付いたら今の状況。
 となると…自分がこんなところに居るのはその辺が理由と考えられる。

 …。

 だからと言って彼――ケヴィン・フォレストにとって、今の状況が何だかよくわからない事に変わりはない。
 そもそも理解のしようがない。
 月の浮かぶ黒い空を何となく見上げれば、何故か発光するおばけかぼちゃがふよふよ浮いている。
 迷路の壁を構成している木の枝だか蔓だか根の上を、てのひらサイズのミニチュアな骸骨やら三角帽子の魔女やら包帯ぐるぐるミイラやらが何処に行くつもりかてけてけと縦列行進している。
 …取り敢えず自分の見知ったソーン世界とは違うような気がする。
 またいつぞやのクリスマスのように何処ぞの異世界に紛れ込んだのだったりするのだろうか。

 …。

 幾ら考えてもわかりそうもない。
 …まぁ、あのオレンジ頭を捕まえれば何とかなるか。
 ケヴィンは取り敢えずそう結論付ける。

 よし。あのオレンジ頭を探そう。
 出来る限り早く。速やかに。
 元の世界に戻る為。

 …。

 と。
 思いはするが。
 …手掛かり、無し。
 そのまま少し考える。
 結局、現在自分の足が向いている方向にそのまま歩いて行く事にした。
 ケヴィンはどうやら走ってまでオレンジ頭のガキを探す気はないらしい。
 と、そんな調子でだらだら歩いて突き当たり――分かれ道。
 そこまで辿り着くとケヴィンはとりゃっと背負っている剣――現実ならば実用度ゼロだろう、己の身の丈程もあるデカい剣だった――を引き抜き目の前に慎重に立ててみる。…棒倒しの要領で剣が倒れた方向に進もうかと考えてみる。
 手を離す。
 …剣先が重みで地面に刺さった。
 倒れない。

 …。

 方針変更。茫洋と辺りを見回す。思い立ったように迷路の壁の下の方――根元をがさごそ。枝の一本でも落ちていないかと探してみる――あった。
 それも棒倒しによさそうな手頃な枝一本。
 まるで誂えたように倒し易そうな棒である。
 今度はそれを地面に立てて、手を離す。
 ぱたり。
 右。
 方向が決まったところで地面から剣の先を引き抜き再び背中の鞘へ。
 それから倒した枝を拾い、右側の道を選んで相変わらずだらだら進む。
 と。
 きゃきゃきゃきゃきゃと変な笑い声を上げる蝙蝠のようなものが前方から飛んできた。
 反射的に再び剣を抜こうとするが蝙蝠もどきは別にこちらに襲い掛かって来るようでもない。いやそもそもこのバカでかい剣を振るってあの蝙蝠もどきをどうこうは出来ないかと頭の何処かで冷静に思ったりもする。まず向こうの方が素早い。当たらない。だからと言って今持っている枝の方ではまず届かない。…投げてしまっては後々で分かれ道の選択がまた面倒になる。ならば聖獣装具の音叉剣・ソニックブレイカーを使おうかと考えもするが――何だか召喚不可能っぽい。となるとやはりここはソーンではないらしい。いやそもそも俺の守護聖獣もバット――蝙蝠だったかとこの場ではどうでもよさそうな共通点をついでに思い出す。
 で、結局暫く止まっていると、正面――蝙蝠もどきが飛んで来た方からぽてぽてぽてとやたら巨大なリボンがたどたどしく走ってきた。…いやもとい空でも飛べそうな巨大なリボンを付けたと言うより背負った、着物ドレスを着たちび般若が走ってきた。

 …。
 何だこいつ。

 般若――まぁケヴィンは般若と言うものについては知らないが単純な見た目からして鬼の類っぽい事は見当が付く――の顔は怖いがこいつ自体は特にヤバいものではないと判断しケヴィンはそのまま様子見。
 すると、ちび般若は走ってくるままケヴィンの真正面に激突。まぁ、通路の真ん中に居た訳で。
 …様子見するならせめて予め避けておけと言う気もするが、ケヴィンにしてみればその程度でも動くのが面倒臭かったと言う事情がある。…そしてちび般若のちっさい見た目にしては正面衝突されて実際受けた衝撃がやけに強烈だった事には少々驚いたが…ケヴィンはやっぱり驚いた反応をするのも面倒臭いので結局無反応。
 ちび般若がケヴィンを見上げた。
「ぬ。私が行く道を遮るのは何者だ」
「…。…ケヴィン」
「そうかお前はケヴィンと言うのか青頭。それ程に巨大な剣を扱うとはどうやら腕に覚えのある剣士と見た。私はラン・ファーと言う。ハロウィンの仮装とこの迷路な世界を心行くまで楽しむ事を目的とする者だ。…つかぬ事を訊くが飴玉を配り歩いているオレンジ頭の子供を見はしなかったか?」
 見ない。
 と言うか、自分も同じ子供を探している…と、無言のままケヴィン。
 うむ、とちび般若――もといランは頷いた。
「そうかそうかお前ももっとたくさんあの飴玉が欲しいのか。ならば共に探しに行こうではないかこの世界を楽しみ味わい尽くす為! …ついでに歩き難いので私を運んでくれれば言う事はない!」
 …。
 同行はいいけど運ぶのは元々持ってる剣が既に重いので嫌…と、また無言のままケヴィン。
 ランはまた、うむ、と重々しく頷いた。
「そうか運ぶのは嫌かまぁ仕方無い。…だが旅は道連れ世は情け。同じ目的の為共に歩む者は多い方が目的を果たし易い事は自明の理。さぁいざ行かん修羅の道へ! ん? おおおおおっ!!!」
「?」
 いきなり雄叫び上げたランの視線はどうやらケヴィンの後方に向いていて。
 いったい何事かとケヴィンもランの視線――と言うかランの被った般若面が向いている方――を追って振り返ってみる。
 …取り敢えずケヴィンにしてみれば、背後から何者かが近寄って来たような気配は感じられなかった筈だが。
 と。
 そこには。

 …何故かお菓子がたわわに実っているデカい木が生えていた。
 飴玉やらチョコレートやら焼き菓子やらケーキやら。
 有名どころなその筋の店の派手な包装紙でそれぞれ包まれてまでいる辺り、いかにもである。

 …。
 さっきまでこんなもの無かった筈だが…?
 不自然な状況に顔を顰めるケヴィンに、凄いぞお菓子のなる木だぞと興奮して喜びまくるラン。
 何はともあれ、そのお菓子の木が唐突に存在している事で、ケヴィンが元来た通路がいつの間にやら塞がれてしまっている事だけは、確かなのだが。



 空でも飛べそうな巨大なリボン付きの着物ドレスを身に纏い、何故か古式ゆかしきステレオタイプの泥棒(?)の如く深緑地に白い唐草模様のデカい風呂敷包みを肩に担いだちび般若――ラン・ファーと、身の丈程もある現実ならば実用度ゼロな大剣背負った、途轍もなくやる気の無さそうな青頭の少年――ケヴィン・フォレストが合流して、暫し後。
 ランが通路のド真ん中でがくりと突っ伏し――両膝と両手を地に突き、絶望したように派手に嘆息している。
 その後方、かなり遅れてケヴィンがのんびりだらだら歩いて来て立ち止まり…ランのその姿を相変わらずの無表情で見下ろしている。
「…どうした?」
「…遅いぞ青頭。これでは未来永劫追い付かん」
 あのオレンジ頭には。
 そう、あのオレンジ頭――リデルを見付けたはいいが、幾らランが走っても追い付かない上にケヴィンはどう見ても全然走る気がない為――すぐ見失ってしまった。見失った後も、まだ近くに居る筈だとばかりに暫くリデルを捜して通路を手当たり次第に駆け回ってはいたのだが、結局それっきり再びオレンジ頭を見付ける事は叶っていない。
 それでランはがっくり来ている。
「…何とすばしっこい奴なのだあのオレンジ頭は。思うように走れぬ自分がもどかしい。うん」
 体力的には別に息切れもしておらんし疲れてもおらんのだが…やはり思うように走るにはこの風呂敷包みにリボンのデカさと、それに反比例する身体の小ささ手足の短さが引っ掛かるのだろう…無念。
 くうっ、と悔しがり項垂れるランに、ケヴィンはまぁまぁそう嘆かずと無言のまま宥める。
 と、ん? と何かに気付いたようにランはケヴィンを見た――被ったままの般若面がケヴィンの側に向いた。
「そういえばお前、口で言葉として声に出しては何も言っておらん時に私に意志を伝えた事があるだろう。…例えば今だ。嘆くなと語り掛けられたような気がしていたがよくよく思い返してみれば声では聞いてない。そして私はその前の『どうした』と問う科白はきちんと声として確実に聞いている」
 さくりと言われ、ケヴィンはぴたりと停止。そして反射的に無言のまま考え込む。
 …確かにランの言う通りではあるのだが、ケヴィンの方でそこについて改めて考えた事などまず無い為明確な答えが頭の中に用意されていない。…と言うか考える事それ自体が面倒臭い。それでケヴィンの思考は基本的に完結する事になっている。
 ケヴィンはその時点でそれ以上考える事を放棄し、何となく首を傾げた。
 そして直感的に脳裏に閃いた、ランの疑問の答えになりそうだと思しき単語だけを口に出す。
「…特技?」
 それも疑問符付きで。
 が、ランは気にせず頷いた。
「ふむ。特技なのか。それは便利だな。言葉に出さずとも話が通じるとは以心伝心、阿吽の呼吸と言い習わされるように日本の美学の一側面にもなりそうだ。立派な剣も持っている事だし頭が青いがお前はサムライであるのだろう。そしてこの迷路な世界は恐らくハロウィンを表現したものと見受けられる…となると、私が般若と言う事はお前はきっと落武者と言ったところなのだろうな。うん」
「…?」
 ケヴィンは思わず眉を顰める――表情を変える事すら面倒臭いと思っている普段とは違い顰めるくらいは感情表現の一端としてする気になっている。…ともあれケヴィンにはランが何を言っているのか――意味が全然わからない。いや話している言葉が理解出来ない言語だと言う訳では無く単純に内容そのものがケヴィンの理解の外である。
 まぁ、取り敢えず特技と答えた事がランに理解されたのだ、とだけは辛うじて判断出来たので、ケヴィンはそこで考えるのを止めておく事にする。
 と。
「ぬ!?」
 何かに気付いたようにいきなりランが顔を上げた。
 その顔――般若面が向けられた方向。やや離れた位置、通路の曲がり角に当たる壁から顔だけ出してこちらを窺っていたオレンジ頭。
 般若面を被った顔が向けられるなりびくりと引っ込んだその頭に、ランはすかさず堂々たる声を張り上げる。
「お前――私にあの飴玉を渡したあのオレンジ頭と同一人物ではないな!? あのオレンジ頭は折角我々を撒く事が出来たのにわざわざ戻ってきておっかなびっくり我々の様子を窺うなどと言う殊勝な真似はするまいからなっ! …まぁいい。全く同じ姿でその同じ鞄を持つならきっと同じ物がそこにも入っているのだろう私をこの世界に呼び込んだあの飴玉が! あちらのオレンジ頭と違いお前は大人しく私にあの飴玉をよこすつもりだったのだな。…良い心掛けだオレンジ頭二号! この風呂敷包みにはまだまだ余裕がある。さぁ遠慮せずにここにたくさんかの飴玉を放り込むがいい!!!」
 高らかに言うなり、ランは肩に担いでいたでデカい風呂敷包みを通路の真ん中にでんと置き直し、見せつけるように派手に結び目をばっと解いた。…その中からは飴玉やらケーキやらチョコレートやらとにかくいっぱい山になっているお菓子が顔を出す。
 …これら全て、先程ケヴィンが一人で来た通路をいつの間にやら塞ぐ形に何故か唐突に生えていたお菓子の木から根こそぎ(…)頂戴して来たものだったりする。こんな世界であるなら迷路の先の何処かにお菓子のなる木があれば良いと本気で考えていたランにすれば、見付けた以上当然素通りする訳は無い。…再び木のある同じ場所に行けるように実はそこからの道標さえ付けてきた。
「…」
 暫し、沈黙が続く。
 それから、オレンジ頭が再びひょこりと通路の先から出て来た。
 ランに偽者と言い切られたそのリデル(?)は、何か…物凄く何か言いたそうな顔をしている。
 が、その言いたい事を敢えて飲み込み、すたすたとランとケヴィンのところに近付いてきた。
 そして無言のまま、持っていた鞄の蓋を開け――風呂敷の上に出来た菓子の山の上にあっさり引っ繰り返し中身を全部空ける。それからまた何か訴えるようにランとケヴィンを見た。
 おお、と感激するラン。と、ケヴィンがよいしょとばかりに億劫そうにかがんでその脇からそろりと手を伸ばした。今、風呂敷の上にリデル(?)の鞄から放り出された菓子の内一つ――ここに招待された際に食べたのと同じような飴玉――を取り上げてみる。そしてリデル(?)とランに見せ付け確認するようにゆっくりと掲げる。それから包み紙を開け、ぽいと自分の口に放り込んだ。
 なんだなんだときょとんとした顔でケヴィンを見ているラン。
 リデル(?)の方はじっと確かめるようにそんなケヴィンを見ている。
 が。

 …特に変化なし。

 ぽつりとリデル(?)が口を開く。
「…そっちの着物にお面の子が言うのももっともかなーと思ったんだけど、違うみたいだね」
「何がだ? そして私は着物にお面の子ではない。ラン・ファーと言う者だ」
「ランさんか。こんな姿してるけど僕はエリニュスって名前で、貴方の言う通り貴方に飴玉あげたのとは別人って事だけは言い切れるし元々のこの容姿の持ち主――リデルさんとも無関係になります。…って『何が』って、たった今そっちの青い髪のお兄さんが試した事が効果あるかどうか、って事なんですが」
「どういう意味だ? 我々は何度もこの世界に来る為にその媒体と思しきオレンジ頭の持つ飴玉が欲しかっただけだぞ? …既にこの世界に居るのに再び舐めてもこの世界に改めて来れるものでもないだろうが。それとももう一度舐めれば元の世界元通りの姿形に戻るとでも言う訳か? そんな効能は確認しておらんぞ?」
「…だから今お兄さんの方はそれを確認してみたってところなんじゃ?」
「そうなのか?」
 リデル(?)改めエリニュスの科白を受けランがケヴィンに問う。
 ケヴィンは頷いた――と言うよりがくりと項垂れた。
「…駄目か」
 その様子を見ただけでランは納得。
「そうかお前は帰りたかったのか。だがオレンジ頭二号の鞄は一号と同じ鞄に見えるが中身まで同じではないと言う残念な可能性も充分有り得るぞ。それに戻るにはまた別の方法があるのかもしれんし…私と究極的な目的は違っていたと言えど、ここはやはり落武者の方でも一号を捕まえなければ目的の達成は成らんようだな?」
 ケヴィンを見ながらランはそうぽつり。
 どうやら自分が落武者と呼ばれたらしい事にケヴィンは多少引っ掛かったが、まぁ大筋としてランの言っている事に異議はないので無言。
 エリニュスも自分へのオレンジ頭二号なる呼称はともかく同様に思ったようで、すぐに頷き同意する。
「僕も今置かれている状況としては実はあまり貴方がたと変わらないんです」
「だがそんな風体でいる以上、無関係どころか少なくともお前は我々より多くの情報を持っていると見るが?」
 オレンジ頭に緑の瞳。小奇麗なスーツ。尖った耳に血色の悪い肌の色。
 ラン自身やケヴィンの――違うながらも一応元の姿の面影がある姿を考えると、捻りなくリデルそのものの姿になっているエリニュスの姿は――何か特別な理由があるが故と考えられて然りである。
「…かもしれません。実際こちらに来てから少しですがリデルさん当人と話もしましたし。追いかけ回される率やけに多いですし」
「そうか。ならばその――我々以外の者に追い掛けられた時の状況や、オレンジ頭一号との話の内容を我々に話してみる気はないか。…何なら共に手を携えオレンジ頭一号を捜すと言う選択肢もある」
「えー、そうするには一つ条件…と言うかお願いが」
「呑めるか否かは事による。それで良ければ聞くだけ聞こう」
「…これからリデルさん以外の誰かに遇う事があったら、僕は本物のリデルでは無いので解決手段を持ってはいない、と誤解無いようその誰かに説明して頂けますか? そうして頂けるようなら協力します」
「なんだ。容易い事だ。…それだけでいいのか? 私はてっきり風呂敷包みの中にある菓子を今すぐ全部平らげろとでも言われるのかと思ったぞ。…ちなみにもしその条件が出されていた場合は私は呑めん。さすがにこの量を今すぐと言うのは私の腹の容量的に無理だし、そもそも収穫するにもなかなか労を要した菓子だからな。その貴重な菓子の扱いをどうするか他人の言うままに決めるなどとはできん。…つまりは今お前の出した条件なら幾らでも呑めるぞ」
 と。
 あっさりランが答えるなり、今度はケヴィンが無言でエリニュスを見た。
 そして、確かにそれで『リデルではない』と言う誤解はなくなるかもしれないが、このランに頼んでは別の誤解を招く言動が大量発生する可能性があるぞ――と、無言のまま忠告してくる。
 例えば落武者とか。オレンジ頭一号二号とか。
「…」
 そんなケヴィンの無言の忠告に、エリニュスは――ははと冷汗混じりの苦笑。
 まぁ、今少し話した時点で…このランと言う人に頼むならその辺については覚悟の上である。



 撒かれたと言うより殆ど反則技でリデルに逃げられてしまい、常に無表情な猫耳メイド少年――守崎啓斗は無言のままその場に突っ立っている。とは言えただ突っ立っているのではなく頭では思考を巡らせ善後策を講じようとしている。行動としては五感を――感覚を総動員して改めてリデルの気配を辿る事はしている。が、今さっきまで確保していた筈の対象の気配は間違いなく自分の腕の中でいきなり消えており、近場の何処にも連続して感じられない。そして自分が修行で身に付けた能力ではごく近場しか気配だけで辿れるものでもない。
 啓斗は、ち、と思わず舌打つ。
 一連のその様、妙に苛立って――いや苛立ちを通り越して殺気立って感じられたのは気のせいではないだろう。
 と。
「おや。随分と荒れてるな猫耳メイド少年」
 にこり。
 …唐突に、啓斗の目の前、話すのにちょうど良い程度にだけ離れた位置に人が居た。その事自体もまた反射的に不覚と思うが――その人物の顔を見た途端そんな思いは吹っ飛んだ。
 そこに居たのは人と言うより長靴を履いた猫と言った印象の姿。猫耳付きの羽根帽子を被り、尻尾まで生やした上にブーツを履いている。但し、それ以外の部分ははっきりと男装している人間の少女――ちょうど今この場での啓斗と同じ程度の年頃と思しき少女と見受けられる。
 …いやそれより何より。
「シュラ姐!?」
「ん? ああ、そうそう。シュラ姐か。…そうだそうだそうだった」
 シュラ姐――そう呼ばれた長靴を履いた猫な彼女はにやりと笑って同意する。
 何となく、含みのある科白。
 含みの通りに、啓斗もまた彼女に対して何処か違和感を覚えている。…但し、彼女がシュラ姐――シュラインである事自体には何故か確信がある。けれど何かが引っ掛かる。
 啓斗は改めて彼女の様子を――何者であるかを素早く確かめた。
 髪が短い。…ここに来てそうなったのではなく元々この程度の長さである可能性の黒髪。切れ長の目。青の瞳。中性的な容貌。飄々とした雰囲気。何処かチェシャ猫のような。『話し方』に態度にこの唐突な現れ方。左手の薬指が欠けている――どの要素についても自分の中の何処かに確かに記憶がある。…彼女の顔を見た時点で不覚を取ったとの思いが吹っ飛んだ理由も、その辺の記憶と同じところから来ているような気がする。
 不意にすとんと腑に落ちた。
 同時に瞠目して息を呑む。
「――っ!」
 鏡面存在。
「正解」
 声に出されるより前に、おどけるように肯じる『鏡面存在の』シュライン。
 上着のポケットから煙草を取り出し、のんびりと一服着いている。…姿は子供なのだが平然と喫っている。
「まぁ取り敢えず落ち着こう。リデルを逃がしたのは残念だったろうけどこれが最後のチャンスって訳でもない」
「…見てたのか…っ」
「見てた。結構やるね猫耳メイド少年?」
「くっ…こんなザマでは…父に申し訳が立たない…!」
「じゃあ諦める?」
 リデルを追うの。
「まさか。…草の根分けても絶対に捜し出し落とし前付けさせるに決まってるだろう…!」
「よしよし。ではイイ事を教えよう」
「?」
「リデルはどうも『変なの』とやらが気になって仕方ないような節がある」
 その『変なの』とやらは『この世界』を壊す為に何処からともなく現れる。
 確かに、リデルは私らのような招待した連中に悪戯しかけて困らせたい楽しみたいと言う気もあるが、それとは別に特定の一人にそう簡単に捕まってられないと言う事情もあるらしい。…何故ならその『変なの』に捕まり兼ねないから。私らにならともかく『変なの』には捕まりたくないから。
「…その『変なの』対策を先にした方がリデルを捕まえ易いと言う事か?」
 少し考えての啓斗の科白にシュラインはこくりと頷く。
「取り敢えず、リデルの警戒心は激減する。きっとリデルの側からしても、心置きなく油断ができる。…あの性格ならまず確実」
 …確かに。
 実際、リデルは今シュラインが言った事を肯定するような話を消える直前にずばり言っていた気もする。
「そんな訳で一つ提案。『変なの』を探してみよう」
 折角だから二人で一緒に。
 シュラインの提案に啓斗は曖昧に頷く。…そうするべきかもとは思うが、同時にそれもそれで――転移したリデルを捜すのと同様の問題が出てくるから。
「…それは確かに…シュラ姐…と言うかあんたの言う通り『変なの』とやらを先にどうにかした方が良いのかもしれないが…それもそれで当てが無い事に変わりはない」
 啓斗は話しながらも自分の中では思考を巡らせる。
 そう、『変なの』について先に考えるにしても、当てが無い事は変わらない。…けれどそれでも敢えてその『当て』になりそうなものを今自分が持つ情報の中から考えると、ハロウィンと言うイベントそれ自体がまず考えられる。よそ様に菓子を強請りに行くと言う納得行かない祭祀手段(?)についてはさておき、ハロウィンとは元はケルトの祭りだと聞いた事があった。…そういえばあの『白銀の姫』も同じ地方の話じゃなかったか?
 ………………『変なの』ってまさか…?
 そこまで考えて――すぐにその考えを振り払う。
 考え過ぎか、幾ら何でも。
 あれはあくまでゲームの話だ。まさか関連付ける必要もあるまい。
 と。
 啓斗が自分の中でそう結論付けたところで。
 唐突に凄い叫び――と言うより巨大な何かの動物と思しき――いや巨大であってもただの動物にしては異様に心を逆撫で恐怖をすり込むような何とも言えない凄まじい――咆哮が聞こえた。
 続いて、元々夜らしく暗い空ではあったのだが、更にその場所が暗くなる。
 つまりは道を照らす仄かな月明かりさえ消えたと言う訳で――月でも翳ったかと空を見上げてみる。
 思わず凍り付いた。

 ――…空に浮かんでいた月の代わりに――啓斗にとっては何だか見覚えある、真っ黒で、機械が混じったデザインの、見るからに禍禍しい印象に『造られた』邪悪竜――ゲーム『白銀の姫』内に於ける邪悪の権化の役割を果たしていた黒色の巨大竜、クロウ・クルーハ――が悠然と羽ばたいて飛んでいた。

「――」
 本当にそんなモノに現れられてしまっては言葉もない。
「…これは確かに『変なの』だ」
 シュラインは竜の姿を見て思わずぽつり。…現実存在のシュラインの記憶にあったな、と鏡面存在のシュラインの方でも『白銀の姫』――延いては『クロウ・クルーハ』に関する記憶は一応引き摺り出せる位置に持っている。
 …こんな見るからに別世界な迷路に来て、ケルト関連(強いて言うなら)と言う事くらいしか共通点が無いような、特定世界のエンターテイメントとして公開されているネットゲームのモンスターが目の前に現れてはそれは確かに変だ。
 呆然と啓斗は呻く。
「――。…二人だけであれをどうにかするってのは無理だろ」
 幸い今すぐこちらに来る、と言う感じでは無いが。
 一方のシュラインの方はと言うと、興味深げにクロウ・クルーハ(?)の姿を見上げている。
「何をする気なのか見てみよう」
「…本気か?」
「本気」
 艶やかに笑い、シュラインはクロウ・クルーハ(?)の見えている方角に大筋で当て嵌まる通路へと迷いなくすたすたと歩き出す。
 と。
 シュラインが背中を向けた側の通路から、いきなりぶわりと瘴気が吹き付けてきた。その瘴気を纏うように、続いて白い仮面が中空に現れる。そこを頭部とするように繋がり、黒い霧のような靄のようなモノで人型らしき形が構成され、ひたひたと接近してくる。
 …その人型の手に当たる部分には、鮮血滴り落ちる分厚い肉切り包丁が握られていた。
 咄嗟にその人型に対して身構える小さな猫耳メイド――もとい啓斗。…何者かは不明でも、纏う瘴気に加えて屠殺場でも調理場でもないこの場所で鮮血滴る肉切り包丁を持っていると言う時点で充分ヤバい。長靴を履いた猫――もといシュラインも人型を振り返る。同時に人型の思考に割り込んでもみる。純粋に興味。…その鮮血滴る包丁で切るのか突くのか潰すのか。見た目で連想出来る行動。どうする気だろう?
 逃がさない。
 追いかける。
 捕まえる。
 殺す。
 食う。
 殺して食ってやる。
 …そう読めた。
「ブギーマン」
 ぽつり。
 シュラインが漏らすなり、白い仮面の人型はひたひたとゆっくり歩いていた足を早めた。少しずつ、徐々に足音の間隔が短くなる。大きくなる。強くなる。すぐ間近で――キィンと硬質の音が響いた。
 啓斗。至近まで迫り来た白い仮面の人型――シュライン曰くブギーマンの攻撃に対し、啓斗はシュラインの背後に移動し隠し持っていた小太刀を瞬時に抜刀、彼女を守る形にその二振りの小太刀でその攻撃を受けている――受けるのみならず力尽くで思い切り弾いた。
 その身の丈にそぐわぬ膂力でブギーマン(?)を包丁だけではなく身体(?)ごと押し返し、退く形で踏鞴を踏ませる。微妙な見た目だが物理攻撃は効くらしい――と、考えるか考えないかと言う時点で、啓斗はすぐさまシュラインの首根っこを掴んで――元々シュラインが向かおうとしていた方角に走り出した。この状況ではまだクロウ・クルーハ(?)の方が安全だ。…少なくともあっちの竜はまだ自分たちに気付いていない。行き止まりの通路に出てしまわないように気を付けつつ、とにかく一時撤退する。
 啓斗に首根っこ掴まれ身体ごと掻っ攫われ、きょとんと目を瞬かせるシュライン。それこそ猫のように殆ど気にしていない――どうやら啓斗が自分を連れ、今の人型から逃げてるらしいと気付いたのは一拍置いてから。
 青い瞳が啓斗の姿をちらり。
「…何で逃げる?」
「いきなり戦うより簡単な対策を練って挑んだ方が良いだろ!」
「ふむ。…まぁそうかな。じゃあ取り敢えずこんな対策はどうだろう」
 と、シュラインがそう告げた、直後。
 ざわり。
 啓斗の前方、奇妙なざわめきの後に通路の形が変わる。迷路の壁を構成する木の枝だか蔓だか根がぐにゃりと組み変わる。前方は進み易いように真っ直ぐの通路、後方はすぐに壁が絡み合って閉じられた。
「これで取り敢えず付いて来れない」
 …まぁ、あの人型は霧だか靄で構成されてるっぽかったから…人型の結合が解けたりすれば壁の隙間とかからも来そうだけど。
 そんなシュラインの科白を聞き、立ち止まり振り返った啓斗はいきなり出来ていた壁の存在に目を見張り暫し沈黙。…そして鏡面存在のシュラインが生物無生物関わらず、対象に任意の疑問を流し込み行動思考構造に至るまで揺さ振りを掛け、変化を齎させる事が可能だと鏡面存在の自分――認めたくないが成瀬霞――の記憶から引き摺り出し納得する。恐らくその力で、シュラインは迷路自体の形を変えた。
 シュラインの言う通りこれで取り敢えずさっきのブギーマン(?)は付いて来れない。少し慌てて啓斗はシュラインの首根っこから手を離し、すとんと落とすように元通り普通に立たせる。シュラインも平然とそのまま何事も無かったように煙草を喫い続けていた。…煙草の火は何となく消しそびれている。
「…どうだろう?」
 対策と言うならこんな対策は。
 言われたところで啓斗は小太刀を納刀。
 頷く。
「…まぁ、有効だろう。これをシュラ姐――って呼ぶべきかどうか微妙に迷うんだが――とにかくあんたに頼めるなら行動の選択肢が増やせるしな。…だが壁から抜けて来られる可能性、か。取り敢えず包丁は弾けたし押し返せたしその際に重さも感じられた――物理攻撃は有効だったが」
 なら、あの人型はそれで一塊の物理存在でもある事になる。結合を解いて壁の隙間を通ってまで来るか否かは――可能性として有り得ないとは言えないが、今ある情報だけでは判然としない。…まぁ、少なくとも先程啓斗が包丁を弾き突き飛ばして踏鞴を踏ませている程度の時間では結合を解く事は無い…ようではあるが。
 啓斗の意見にシュラインはふむと考える。
 と、後方に出来た壁の向こうから、見ィー付けタッ! と元気な少年のよく通る声が飛んできた。
 リデルの声ではない。
 その声を『聞く』なりシュラインは自分たちの後方に作った壁を見る――何で塞いでる? と壁に対して疑問をさらり。次の瞬間には木の根は再び解けて元通りに道が開いている。開いたその道の向こう、先程のブギーマン(?)がこちらへ向かって疾走して来ていた。但し、少し様子が違う――啓斗とシュラインを追い掛けて走っている訳ではなく、むしろブギーマン(?)の方が何者かに追いかけられているようで…?
 …だから、興味が湧いてシュラインは元通り道を開けてみたと言う事になる。
 ブギーマン(?)の背後を確認する。恐らく今の元気な声の主。ブギーマン(?)の後ろを追いかけ走っていたのは、やあっ、とばかりに発光するジャック・オ・ランタン入りの鳥篭を前方に突き出している少年――取り敢えず見たところはただの少年である。年の頃はリデルと同じ程度、恰好も同じような育ちの良さを思わせる小奇麗な物。但しちょこりと頭に載せているのは帽子と言うより王冠で、その下の髪はオレンジでは無くダーティブロンド。丸眼鏡を鼻に引っ掛け、その奥の瞳は緑では無く深い群青の色。
 そして、抜け目の無さそうな印象を与えるところもまた違う。…話し方のせいもあるかもしれないが、リデルは何処かのほほんした印象がある。この少年の場合、全く逆だ。
 彼は鳥篭入りのジャック・オ・ランタンをブギーマン(?)に突き付け追い立てるようにしている――ブギーマン(?)の様子を見る限り、『よう』ではなく実際に追い立てられている。ブギーマン(?)の方は明らかに形振り構わず逃げており、通路に立っていた啓斗とシュラインの存在が見えないかの如くその脇を通り過ぎ――二人の見ているそこで、からりと血まみれの包丁を落としさえした。同時にその包丁を握る手を構成していた黒い霧も溶けるように消える。地面に落ちるなり包丁も消えた。人型を構成している黒い霧が、遁走しながら目の前でどんどん黒い霧を引き摺り形を無くしていく。そしてそのまま全てがなくなるかと思えたところでそれでも最後の足掻きとばかりに僅か残った影だけが通路を曲がる。続いて少年も逃がすまいとそちらの通路に飛び込んだ――が。
 少年は、ぶすりと頬を膨らませつつすぐに啓斗とシュラインの居る通路に戻ってきた。
 気が付けば通路のあちこちに飴玉が転がっている。と、むくれたまま戻ってきた少年の上着の胸ポケットから同じ飴玉がぽろりと一つ零れたのが見えた。更に進むとまたもう一つぽろり。…ただ、何故か本人は全く気にしていない。
 ぽろぽろ飴玉を落としつつ啓斗とシュラインの前まで戻って来て、少年はねえねえと物怖じせずに二人に声を掛けてきた。そして前方――つまりは今自分がブギーマン(?)を追い立てて来た元の通路の方――を指差す。
「あのさ、今そこの壁開けたのってアナタたちだよネ? メイドさんの方? ケットシーの方? …それとも二人合わせてのチカラ?」
「…それを聞いてどうする?」
「この壁ハ絶対的なモノなんじゃなくっテ、能力によっては干渉して変える事が可能なモノなんダって確認出来るでショ。それに純粋に知的興味でどうやったか知りたいナ、ってのもあるんだよネ。法則自体が多分元居た世界ト随分違ってるこの迷路な世界デ、当の迷路を構成すル壁となれば――世界を構成すル要素とシテ一番制約が付いていそうなモノでショ? そんな要素にこんな風に干渉出来るなんて凄い事じゃなイ?」
 クシシと悪戯っぽく笑いながら丸眼鏡の少年はそう言って来る。
 と。
 ケットシーと呼ばれた方――シュラインが苦笑を見せた。
「それは残念。…遣り方知ってもあんたには使えそうにない」
「?」
 つまりはこういう事だから。
 シュラインはわざわざ唇を動かすのを止めた上で、『それまで話していたのと同じように』丸眼鏡の少年に思念だけを送り続ける。受け取る丸眼鏡の少年の側にしてみれば、話し掛けられているのと何も変わらない。
 あんたは可能なようなら自分も『これ』と同じ事をやりたいと考えた。
 けれど『これ』は術式とかそういうモノじゃない訳で。
 魔術師と言えど残念ながら私と同じ事は出来ない。
 …わかるかな。デリク・オーロフ?
 と、丸眼鏡の少年――デリクの側から名前も魔術師とも名乗らない時点で、シュラインはあっさり当然のようにそう伝えてくる。それから唐突に――そのポケットの飴玉は何故零れるのだろう、収まったままの方が良いんじゃないか? とも疑問が続けられた。
 途端。
 その言葉通りに、飴玉はポケットから落ちなくなった。
 にやりとシュラインの唇の両端が持ち上がる。
 デリクはそんなシュラインをちらと見た。
 …どういう事なのだか理解した。
 そしてデリクが理解するなり――デリクが理解した事がわかったように、再びポケットから飴玉が零れ出す。…それもまた目の前のケットシーの仕業なのだとデリクは理解した。
「…まぁ良いや。そういう事ナラ同じ事試みるにも別の方法探すより仕方ないしネ。じゃあ諦めテ目的ぶっちゃける事にするケド、今のみたいな【変なやつ】、アナタたちは他に何処かで見掛けなかっタ?」
 問われ、今度は啓斗が口を開く。
「ああ…それなら…今の奴と同じ意味を持つ奴なのかは不明だが、空飛んでる変な奴をさっき見た。…ところでお前、『白銀の姫』ってネットゲームの事知ってるか?」
「うん。えーと、二年くらい前に流行った…アクセスするとゲームの中に取り込まれちゃうって振れ込みノ呪われたゲームのコトだったよネ? ケルト系の要素放り込んで作ってあるヤツ。俺もちょっとだけ遊んだよ。…今そんな事わざわざ言い出すって事ハ…それが何か関係あるってコト?」
「…空飛んでる奴な、どう見てもその『白銀の姫』に出てくる巨大竜『クロウ・クルーハ』にしか見えなかった。デカ過ぎて迷路の中のこちらの事はまだ気付いてない様子だったが」
「…ってそう来るノか。うーん。…迷路に招待されたヒトの記憶を写すとかそういうコトなのカナ…?」
 俺が今まで追い立てた【変なやつ】らも皆が皆見た目が違ってたし。…今のはブギーマン風だったシ。
「…って、お前の方こそ『あれ』に何匹も遭ってるのか――あんなのがこの迷路の中に何匹も居るって事なのか…?」
「うん。ぽこぽこあちこちに出没してるヨ。多分分身とか端末とかそんな感じなんだと思ウ。見付けたヤツから追いかけて何処が大元ナノか確かめようと思ってるンだけド…でも今のみたいに追いかけてる途中で消えちゃうんだヨ。いつも」
「…いや、今の一連の追いかけっこを見ているに…消えると言うよりお前に倒されてるって感じに見えるんだが」
「ううン。倒せた訳じゃない。…あれは形ヲ放棄して逃げタって感じだと思ウ。そもそも元々死んでるモノなら今更改めて殺せる訳ないデショ?」
「…まぁあれが死霊の類だと言うならそれもそうなんだろうが。…そう言えばリデルははっきり移動手段の一つとして転移して姿を消したからな。この世界ではそういった移動手段も普通に有り得るのかもしれない」
「…ふーん、リデルって空間超えテ移動出来るんダ?」
「おかげで一度は捕まえたのに逃げられてしまってな。…ところでこちらも幾つか聞かせてもらいたい事があるんだが、いいか?」
「いいよ。何となく予想は付くケド。俺があの【変なやつ】らの正体についてどのくらい知ってるのかト、やつらに対抗する手段を教えて、ってとこデショ?」
「…その通りだ。『あれ』は何なんだ。本当に死霊の類と思っていいのか?」
「俺もそれが知りたくて追いかけてるところダヨ。何なら一緒に探しテ確かめてみル?」
「賛成。私はそちらに一票」
 にこり。
 再び唇を動かし普通に『話す』ように『言い』ながら、煙草持つ手を軽く上げてシュライン。
 それを見てデリクもクシシと賢しげに笑みを返す。
 途端、何故かシュラインとデリクの間に微妙な緊張感が生まれた気がした。
 何だか本心は違いそうだが一応意気投合したらしい(?)二人の様子を見、啓斗は、はぁ、と溜息を吐く。…何だかこの二人、リデルはさておきあの『変なもの』の方を重視し過ぎてはいないだろうか。
 懸念を覚えつつも啓斗はもう一つデリクに確認する。…やつらに対抗する手段。改めて一から教わるまでもなく、このデリクとブギーマン(?)の一連の追いかけっこの様子からしてある程度予想は付いている。
「…今の『あれ』がお前から逃げていたのは、その鳥篭の中身が原因だな?」
「そうだヨ。ハロウィンにカブとかカボチャを繰り抜いてランタンを作るのハ悪霊避けの為。死者の門から帰ってくるオバケも悪魔も火が苦手なモノだからネ」
「…伝承通りのその法則はここでもそのまま有効って事だな」
「うん。俺が今まで遭った連中ハ全部このジャック・オ・ランタンで追い立てられたヨ」
「…火遁も効くだろうか」
「んー、カトンってジャパニーズニンジャの使う炎系魔術の事だったよネ? ナラ有効だと思うヨ! ハロウィンに出てくるオバケとか悪魔ナラ、明るく火を灯して闇の向こうに追い返スのがセオリーってコトになってるんだからネ」
 クシシと挑戦的に笑い声を立て、デリクはジャック・オ・ランタン入りの鳥篭を掲げて揺らす。実際に目の前でブギーマン(?)を追い立てていた実績がある以上、説得力もある。
 と、そこに今度は――おおやはり私の思った通り人が――それも三人も居るではないか! と何だか偉そうな甲高い――幼い声が聞こえてきた。
 また、啓斗とシュライン、そしてデリクが元来た方角の通路から。
 どうやらデリクが上着のポケットから無頓着に落として回っていた飴玉の道標を追い――と言うかいちいち御丁寧に拾いつつその声の主は来たらしい。…空でも飛べそうなデカいリボンと深緑地に唐草模様のデカい風呂敷包みを背負った、着物ドレスを来たちび般若の姿がそこにあった。
 拾った飴玉を当然のように風呂敷包みの中に押し込むと、そのちび般若は堂々と仁王立ちしてそこに居た三人を見た――と言うか、被ったままの般若面を向けた。
「この転がっている飴玉の元の持ち主はそこの丸眼鏡だな! 私はラン・ファーと言う。この迷路な世界を心行くまで楽しむ事を目的とする者だ! 是非ともその際限なく飴玉が零れ出すポケットの仕組みを教えてもらいたい!」
「…いヤ、俺も良くわからないんだケド。てゆうか、遇って早々まず気にするのソコなんダ…」
「ぬ。…お前は自分の着ている服の事さえわからんのか! …いや私も人の事は言えんな、般若面についてはともかくこのバカでかいリボンが何故付いてるかの説明はできん。無茶を言った! すまない!」
「…いヤ別に良いケド。アナタひょっとして落ちてタ飴玉全部拾いながらここまで来たノ?」
「良くわかったなその通りだ! お菓子のなる木から収穫して来た数多のお菓子と共に後で存分に味わわせてもらおうと思ってな!」
「…お菓子のなる木?」
「うむ。生えていた。この迷路に訪れ、青い頭の落武者と出会った時に見付けてな。食べ頃のようだったのでこの通り全て頂いて来た。…ちなみに場所は秘密だ!」
 ぱむ、と背負った風呂敷包みを叩きつつちび般若は得意そうに言う。
「…青い頭の落武者?」
 やや嫌そうに啓斗がぽつり。
 字面からしてそれも件の『変なもの』かと思えた訳で。このちび般若――本人曰くランは素顔を見せる気は全く無さそうなので、どんな顔でその事を言っているのかすら見る事が出来ない――表情や顔色の変化、目などから対象がある程度何を考えているのか読み取れるものではあるが、このちび般若の場合、被りっぱなしの般若面故にそれができない。
 と、啓斗の反応を読んでいるようなそのタイミングでくすりとシュラインが笑っている。…彼女の能力を性格を鏡面世界の自分の記憶でわかっていても、少し引っ掛かってしまった。
 啓斗はランが来た方向、その後ろを何となく視界に入れている。人が歩いて来ている。歩いて来たのは二人。内一人はオレンジ頭で、尖った耳の――思った時には啓斗はメイド服のスカートを翻し地面を蹴っていた。
 そして、誰の思考もさくさく読みまくるシュラインはともかく、すぐ側に居たデリクやランはすぐ脇に鋭い風が通ったようにしか思えなかっただろう勢いで啓斗はそのオレンジ頭――リデルに肉迫する。そちらのすぐ側に身の丈程もある大剣背負った――けれど物凄くやる気がなさそうにだらだら歩いている青い髪の少年も居たが、そのあまりにもやる気がなさそうな様子からして自分がこれから起こす行動――リデル捕獲――の支障にはなるまいと見て端から無視。
 が。
 啓斗がそのままリデルを捕まえるより――青い髪の少年が背負っていた大剣の刃が啓斗の頭上に降って来るのが先だった。
 とは言え無論直撃はしていない。人の挙動による風の流れ相手の気配を感じ取り、直前に啓斗はその剣撃を紙一重で避けている。避けられた大剣はそのまま空振るが、少年はすぐに――少なくとも使い慣れていない武器だとは思えない速さで次の攻撃に移れるように態勢を整えていた。
 …今の剣撃、威力は充分乗っていた。即座にこの青い髪の少年は敵だと判断し、啓斗は隠し持っている二振りの小太刀を再び抜刀している。両手にそれぞれ逆手に構えて少年と対峙。…だらだら歩いていたのは油断させる為かと認識を改める。
 が。
 当の青い髪の少年の方が、堂に入った隙のない構えに反し――やけに緊張感無く投げやりに口を開いた。
「…誰?」
 それも、のほほんと小首を傾げつつ。
 こんな反応をされては――若干調子が狂う。
「…貴様こそ何者だ」
「ケヴィン・フォレスト」
 相変わらず投げやりにあっさり名乗る。
 そこまで聞いたところで。
 啓斗はさっき自分が引っ掛かったランの科白を思い出す。
 青い頭の落武者――よくよく噛み砕いて想像の翼を伸ばして連想してみれば、合致すると言えなくもない。
 …こいつは、あいつの連れか!?
 いや待て、だとしたらあいつはリデルをも連れ歩いていると言う事か? 丸眼鏡の少年のポケットをまず気にしていたのはいつでも元の世界に戻れると言う余裕なのか? ならこいつらは敵なのか、いやそれにしてはこちらに対して敵意が無さ過ぎる。素直過ぎる。…俺たちと同じ招待された境遇なのだとしたら危機感が無さ過ぎる。いや大剣の少年に限ってはそれなりの警戒があるが故に俺がリデルを捕獲しようとしたその動きに反応したのか――だがそうなると彼はこのリデルを守っている事になる。ならばやはり敵なのか。この状況はどう見たらいい――。
 と。
 焦るなり。
「まぁ、そんなに焦るな猫耳メイド少年」
 突然。
 笑みを含んだシュラインの声が割り込んでくる。
 それから。
 啓斗は――ケヴィンと名乗った少年ではなく、リデルが居た筈の場所を弾かれるように見た。
 そこには。
 壁があった。
 …否、何故か壁から伸び出した根でいつの間にやら堅牢な檻が出来、その中にリデルが閉じ込められていた。
「って転移する以上はそんな風に捕まえても…――!」
 無駄だ。
 そう続けようとしたところで。
「早まるな! そいつはオレンジ頭二号であって断じて一号ではない!」
 ランからいきなり制止された。
 …但し、制止するつもりの科白には聞こえたが微妙に内容が意味不明。
「は?」
「だからそいつは一号ではないと言っているのだ。二号は重要な事は何も知らんと私と落武者で既に話を聞き確かめた。どうやら一号を捕まえなければ話は始まらんらしい」
「…エートそれはつまり…今檻の中に捕まえられたのハ本物ノリデルじゃなイってコト?」
 見兼ねたか、ぽつりとデリクが口を挟む。
 と、ランは勢い良く頷いた。
「その通りだ! 理解力が良いな丸眼鏡! 一号二号とわざわざ名付けた甲斐があった! 嬉しいぞ!」
「…」
 そんな風に褒められてもデリクとしては非常に複雑である。
「リデル違う…エリニュス」
 そいつは。
 と、面倒になったか――もしくは使い慣れない大剣を握って構えているのがどうにも重くなったのか――あっさりと剣の構えを解きつつぽつりとケヴィン。…つまりは今一緒に歩いて来、檻の中に捕まったリデルは本物のリデルではなく別人で、エリニュスと言う名前を持っている、とランの発言に付け足している事になる。
 それを聞き、今度はデリクがきょとんと檻の中のリデル――もといエリニュスを見た。
「…って、アナタの正体はギリシア神話に出てくる復讐の女神エリニュスの化身とかソノ関係者か何かナノ?」
「…いえ、エリニュスと言っても単なる個体識別の為の個人名です」
「…あ、そウ。ンじゃどうでもイイや。…にしても随分物騒な名前だネ?」
「まぁ…ハッタリ込み、みたいな感じとでも言いましょうか…」
 言われてエリニュスは言葉を濁す。
 ふーん、色々事情がありそうだネと返すデリク。…彼にしてみれば少し話してみた感じで、今檻の中に居るリデルは本物とは別人だと確信している。
 ケヴィンから少し遅れて、啓斗も構えを解き小太刀を仕舞っている。…ランの制止にケヴィンの補足、そしてデリクとのやりとりと続けて聞けば、本当に彼はリデルではなく、本物とは違うと言っているのが苦し紛れの言い訳――でもないと判断は付く。勿論その時には今対峙したケヴィンが本来敵とすべき危険な相手では無いとも判断は付いている。…どうやら彼もまた境遇は同じ。そしてひょっとすると檻の中の『彼』も。
 啓斗は腕組みして檻の中のリデル――の容姿になっているエリニュスを見た。
「…そう言えばあのリデルは――消え際に『変なの』対策に呼んだ三人がどうとか言っていたな」
「あー、僕はまさにその三人の中の一人らしいです。頑張って逃げ切ってくれ出来るようなら『変なの』をどうにかしてくれとリデルから直接聞かされました。そんな訳で少なくとも後二人は僕と同じ境遇の人が居る筈で。…と言うか、誤解が解けたならまずはこの檻から出して欲しいんですが…」
 と。
 エリニュスが訴えたところで――その訴えに応えるように檻の一部が解けた。
 が。
 その解けたところから――何故か長靴を履いた猫な少女――シュラインが檻の中に入って来た。
 元々檻の中に居たエリニュスはきょとんとする。
「?」
「今思い付いた。このまま移動してみよう」
 言いながらシュラインは試しに木の根に檻に疑問を注ぎ込んでみる。…このまま動いてみても面白そうじゃないか? 例えばぐるぐる一回転。…注いだ直後にその通りエリニュスとシュラインを中に入れた檻はぐるり縦方向に前転一回転。何故か途中で弾むように不規則に左右に揺れて、元の位置へと戻ってくる。
 元の位置に戻って来た時、エリニュスは具合悪そうに口を押さえてへたっていた。…少し酔ったらしい。
 一方のシュラインの方は――本当に猫のようにごろりと寝そべり何事もなかったように寛いでいる。
 それから、檻の外の方々を見てにやり。
 と、ランの目が――般若面の目の部分に開けられた穴越しでもわかる程にきらきら輝いていた。
「何だそれはとても楽しそうではないか! 是非私も乗せてくれ!!」
「乗りたかったら乗ればいい」
「うむ!」
 シュラインの言葉に即座に応え、躊躇いなく檻に突進するラン――そのまま激突する代わりに檻の壁が解け、ランは風呂敷包みの荷物ごと檻の中へとつんのめるように転がり込んだ。中に入ったランは、おお、と感激し檻の中をぐるりと見渡している。
 と、ケヴィンも無言のまま檻に向かう。今までの調子で億劫そうに足を踏み出そうとするが、檻の壁に踏み込むには一瞬躊躇う。が、それは本当に一瞬で、次の瞬間にはあっさり檻に踏み込んだ――するとそこから檻の壁が解けた。ケヴィンはそのまま檻の中によいしょと乗り込む。全身が檻の中に入ると、ケヴィンはふーとばかりに内側から壁に寄りかかり――寄りかかった壁は解けない――ずるずるとずり落ちるように座り込んでいきなり落ち着いている。…結構歩き疲れていたらしい。
 まだ檻の外に居るままのデリクと啓斗は思わず顔を見合わせた。
「…メイドさんはどうスル?」
「…そっちこそどうするつもりだ?」
「そりゃまぁネェ…さっきの一回転を見るに乗った方が移動するの速そうでショ」
 …それにケットシー――シュラインは俺の推測した【変なやつ】の源の方向――今まで遭遇したあいつラが総じて助けを求めるように向かっていタ方向――は『もう俺から読み取ってわかってる』訳だシ。あいつなら何も言わなくてモわざわざ誘導しなくてモ勝手にそちらに向かウだろうカラ。
 デリクはそこまでは口には出さない。が、檻の中のシュラインはそれもわかっているかのようににやにや笑ってデリクを見ている。フンと鼻を鳴らしてデリクもその顔を挑戦的に見返した。
 啓斗はそんな無言のやりとりを見つつ、はぁ、とまた溜息。
 …そんな移動の仕方をしては目立ちそうだとかこの様子では目的が明らかに逸れそうだとか色々と引っかかる理由はあるが、それでも彼らを放り出して別行動…と言う訳には行かないだろう。普段から世話になっているシュラ姐の鏡面存在もここには居る訳だし。
 それに、『変なの』と本物のリデルは――啓斗が直接本人(恐らく)から聞いた事やエリニュスの話からして、どうやら全くの無関係と言う訳でも無さそうである。ならばそこに目的が逸れたとしても、いずれリデルには行き着く事になるか…?
 そこまで考えてから、啓斗はぽつり。
「…行くか」
 その声に、これで決まりだ、とシュライン。
 デリクと啓斗の二人も檻の中に入って来ると、待ち兼ねたとばかりに檻はすーっと動き出す。…ちなみに動き出した方向は、デリクの思ったその通りの方向である。
 が、そちらは承知の上とでも言うのかあまり気にしないで、デリクはまずじーっと啓斗を見ていた。
 啓斗はその視線を平然と見返している。
「…俺の顔に何か付いてるか?」
「…ウウンそうじゃなクテ…ひょっとして男のコなノ?」
 素朴な疑問。
 どうやらシュラインが啓斗の事を猫耳メイド『少年』と何度も呼んでいたので――そして一度も名前で呼んでもいなかったので――密かに気になっていたらしい。
「…そうだが?」
「…うわア…。…や、まぁヒトの趣味にケチつける気はないケドね」
「? …何が言いたいんだ? 変な奴だな」
 と、啓斗がそう返したところでランが話に飛び込んでくる。
「…おお、お前は男なのかそれにしては素晴らしく可憐な猫耳メイドっぷりだな。是非とも給仕がしてもらいたくなるくらいだ」
「そうか。…だが今はそんな余裕はない。リデルを捜すのが先だ」
「うむ。確かにオレンジ頭一号の捜索も外せない用事だ。だがここであっさり可愛いメイドを手放すのも惜しい…諸々の用事が済んだ後でいい。是非考えておいてほしい」
 言って、重々しく頷くラン。
 その様子を見、エリニュスが誰にともなくぼそりと呟いた。
「…ここは色々突っ込んどいた方が良いんでしょうか」
「折角だから放っといてやろう」
 あっさりとシュライン。
「…」
 無言で同意のケヴィン。
 と、そんな事をやっている間にも檻は道なりに進み、次第に加速が増していく。
 やがて、加速するだけでなく何故か時々不規則に跳ね上がりつつ凄い勢いで移動し始めた。
 きゃー、うわー、と絶叫まで尾を引いて響いている――嬉しそうなのは主にランとデリクの、本気っぽいのは啓斗とエリニュスの。…ケヴィンはこれでも無反応。シュラインは声こそ出さないが楽しそう。
 ともあれ、何だかまるでジェットコースターの様相である。



■(幕間その二、…の場合)

 その場所は。
 …彼らが彼らの為に用意した場所である筈だった。
『観察者』の支配の隙間を衝いて、気付かれぬよう密やかに、静かに慎重に作り出したその亀裂。
 …その亀裂が隠された僅かな地点。

 人の通わぬ寂れた墓場。
『木の根』も生えぬ乾いたそこは。
 彼らが選んだ今宵の『扉』の位置。

 なのに。
 なのに!

 ………………何故、そんなところに集まっているのか!!!



■!(誰も彼もがそこに辿り着く)

 その移動する『檻』が辿り着いたのは――何故か人(?)が集まりテーブル広げてお茶会をしている場所だった。
 唐突に現れたその『檻』は、最後に一度まるで意思あるようにびよんと跳ねて――あろう事かお茶会をしているそのテーブルのド真ん中にわざわざ飛び込んで来るよう直撃。どかんと凄い音が響き渡る――テーブルを破壊し突き刺さるようにして漸く『檻』の動きが停止する。
 停止したところで――『檻』の一部が解けるように開き、そこからどどっと人(?)が雪崩れ落ちて来た。

 …。

 いったい何事が起きたのかよくわからないまま、そのままで暫く静寂が続く。
 やがて静寂を破ったのは、パイプを片手にしたクラシカル(?)な探偵――お茶会の方の主催者、アドルファス・ヴァン・ヘイルウッド。
「…随分と派手な訪れ方だねぇ。…大丈夫かい?」
 お茶会を文字通りぶち壊されつつもそこは気にせず、元々この場に居た人の方で直接の被害を受けた人は居ないと即座に看破するなり――相変わらずのほほんとした様子で『檻』から雪崩れ落ちて来た人たちに声を掛けている。椅子に座ったまま僅かなりと腰を浮かせてさえいない。
 そのアドルファスの声で、『檻』から雪崩れて来た人の中から――まず巨大な風呂敷包みを担いだちび般若が何事も無かったように異様に元気に跳ね起きた。…ちなみにこのちび般若――ラン・ファーは雪崩れて山になった人々の中で要領よく一番上に居た。
「おお、わざわざの出迎え御苦労、シャーロック・ホームズ!」
 ランは跳ね起きるなりアドルファスに対しいきなり労いの声を上げている。
 その時点でまた静寂。
 突然現れた『檻』の中から出て来た相手から返答が来たのは確かだが――それでも何だか状況が読めない。
 …声を上げアドルファスに応えたのは紛れもなくこのランである。
 よくよく見れば般若面を被り空でも飛べそうなデカいリボンを付けた着物ドレスを纏った…声からして小さな少女らしくはある。…けれどそれでも何者だかよくわからない事に変わりはない。
 更に言うなら開口一番出迎え御苦労シャーロック・ホームズと来れば…どう反応したものやら、迷う。
「…痛てテ。重いカラこれどけてヨちび般若…と。ココな訳? ケットシー?」
 ちび般若に続き身体を起こしたのは、ジャック・オ・ランタン入りの鳥篭を持った、リデルと同年代程度の少年――デリク・オーロフ。…よくよく見ればランの背負う巨大な風呂敷包みの下敷きになっている。鼻に引っ掛けている丸眼鏡も何だか少しズレている。
 彼の上着のポケットからぽろりと飴玉が一つ落ちた。
 その飴玉が計らずも頭上に落ちて来たところで、そのまた下敷きになっている青い顔の猫耳メイドがうっそりと身体を起こす。
「…何考えてるんだ…あんたっ…」
 もうこの『彼女』の事をシュラ姐とは絶対呼べないと心に決めつつ、猫耳メイド――守崎啓斗は唸っている。彼の文句の対象であるこの『彼女』――デリクがケットシーと呼び、啓斗がシュラ姐とはもう呼べないと思った長靴を履いた猫な少女は、共に『檻』から吐き出されたリデルの背中に両肘を突いて枕にしつつ、何事もなかったようにのんびり寝転がっている状態でにやにやとその様子を観察している。
 …鏡面存在のシュライン。
 ちなみに彼女の下敷きにされている『檻』から吐き出された方のリデル――エリニュスはテーブルの残骸に凭れつつぐったりと潰れている。
「吐きそう…」
「…」
 エリニュスのその斜め下には非っ常に不機嫌そうな顔をした、身の丈程の大剣背負った青い頭の十代後半程度の少年――ケヴィン・フォレストも潰れている。…但し無言。
『檻』の中から雪崩れ落ちて来た人、総勢、六名。
 そして彼らが訪れたそこで。

 ――――――何故かテーブルだけではなく地面にまで亀裂が入る。
 そこから瘴気が噴き出した。



 途端。
 待っていたようにアドルファスの声が高らかに響いた。
 発動呪文。
 禁書の。
 …アドルファスはいつの間にやら一冊の本を開いて持っている。その中のページ――魔法陣をなぞるよう指を滑らせながらのその呪文。
 唱え終えたそこで。
 禁書から力ある存在が召喚され、地面に入った亀裂をそれ以上広げまいと力尽くで押さえ込み止めている。…噴き出す瘴気が弱まった。けれど完全に閉じられはしない。
 アドルファスはそこで少し考える風を見せてから――ふと書目皆を見た。…元々、彼の事は何となく気になっていた。黒猫な猫人間だからと言う訳でもない。何故だかよくわからないが――それは彼が持っている本故かとも考えてみる。何故か、知らない本の筈なのだが見覚えがあると言うか懐かしいと言うか気になると言うか――とにかく自分の趣味に合う本のような気がするのだ。
 見られている事に気付き、猫人間状態な皆は何だろうとアドルファスを見返す。
 微笑みを返された。
「? …僕がどうかしましたか?」
「あなたの持っているその本、ひょっとして…今僕がしたのと殆ど同じ事ができるんじゃないかな?」
「えっ…それは…」
 その通りだが。
 実際、皆の方でも今のアドルファスの禁書を使っての召喚術を見て、少し驚いたりしていたのだが。…召喚と言う行為自体に驚いた訳ではなく、自分の持つ『ショモクの書』を用いて悪魔を喚び出す術に酷似していたからである。
 違うところと言えば、発動呪文の有無くらい。
 そして発動呪文が必要無い反面、『ショモクの書』での召喚は――召喚した後が大変だったりするのだが。何故なら召喚はすぐに出来ても、言う事を聞いてもらう為には召喚した悪魔と改めて交渉する必要があるからになる。
 それらの事情を聞いた上で、アドルファスは喚んでみてくれる? と皆に頼んで来た。皆はその頼みに少し躊躇いながらも――この猫の手状態で喚べるかもわからないし喚べたとしても言う事聞いてくれるかは交渉次第だから役に立てるかわからないので――、『ショモクの書』での悪魔召喚を実行してみる。爪を出さないように気を付けつつ、猫の手の肉球で魔法陣の文字をするするとなぞってみる。と、今亀裂を押さえている力ある存在と酷似した悪魔が『ショモクの書』での召喚に応じて姿を見せた。…猫の手でやってみても成功したらしい。
 ほっとした皆がそこで悪魔との交渉を試みようとすると――皆より先にアドルファスの方がその悪魔に声を掛けていた。今自分が禁書で喚び出した力ある存在が亀裂を押さえるのを手伝ってくれないかと頼んでいる。
 と。
 何故か、やけにあっさりその悪魔は言う事を聞き、先に行動を起こしていた力ある存在と協力し二体で亀裂を押さえる事を開始した。…瘴気の噴出が更に弱まる。
 皆は目を丸くしている。
 そんな皆の様子に苦笑しつつ、アドルファスは亀裂を押さえる召喚体たちの様子を見守る。
 どうだろう。
「…これで保つかな…?」
 今地面に入ったこの亀裂がこれ以上広がらなければ――まず、それ程の危険は訪れるまい。アドルファスはこの亀裂がいつか生まれると――この場所は何か危険な気配の『間近』にあると実は初めから気付いていた。人の集まり易そうな場所。否、正確には――正邪問わず『人でなくとも』集まり易そうな場所。…それは例えば『変なの』とやらでも。この亀裂はその危険な気配の源。その向こうからは悪意が見える。亀裂は『扉』。その『扉』を潜りこちらに出てこようと『何か』が向こう側にいる。
 だから、アドルファスは禁書を用い真っ先に自分が亀裂――『扉』を押さえた。
 それは勿論、お客様を危ない目に合わせる訳にはいかないからである――まぁ、ここでお茶会を開いていた責任上とも言えるが。そして同時にその『扉』をある程度のレベルまでは押さえるのが可能なだけの用意はしてあると自負もあった為、アドルファスはこの場でのほほんお茶会など開催していられたとも言える。いや、この場に居た方が『扉』が開いた時はすぐ対応出来るだろうと言う理由もあった。…結果的にその方が安全を保てるだろうと考えてもいた訳で。
 だが、実際に『扉』を押さえてみて――自分の喚んだ召喚体だけではやや心許無いものを感じ、アドルファスは皆の喚んだ悪魔――『ショモクの書』の魔法陣を横から拝見したところ何となく話の分かる召喚体が喚ばれそうな気がしたので――にも助力を請い願う事にした。けれど――それでもまだ、何かが足りない気がしている。『扉』からの瘴気の漏洩は確実に減っているのに、まだ警戒は緩められないと頭の何処かにある。
 と。
「それだけじゃマダマダ。もっと明るく火を灯そウ!」
 その懸念をずばり指摘するように元気なデリクの声が上がる。
 火。
 そうだと思いアドルファスはデリクを見返す。デリクはクシシと笑いつつ、発光するジャック・オ・ランタン入りの鳥篭を見せ付けるように一振り。…彼はいつの間にやらランの風呂敷包みの下から這い出して来ている。…どうやらアドルファスと皆が召喚体で『扉』を押さえている間に、『檻』から雪崩れ出た面子もそれぞれ何とか立ち直っているらしい。
 ともあれ。
 ………………ハロウィンの夜には死霊から身を守る為に死霊の嫌がる火を灯す。死霊を驚かせ怖がらせる為に仮装する。そういう事になっている。
 ならば今足りないのは――火。
 アドルファスの視線がその場で既に明々と火の灯った松明を持っている三人に飛ぶ。ハードボイルド風味(?)な吸血鬼姿の草間武彦。狼耳が生えている以上は元の姿のままの千獣。リデルと同じ姿になっている御崎双樹。
 …彼らの持つ松明。それらはきのこ妖精――もとい現実存在のシュラインの提案で用意されたもの。彼女と同行していたその三人は、元々その松明を持ったまま迷路を練り歩いていた事になる。
 そして事実、その一行は――少なくとも松明を灯してから今に至るまで『変なの』と思しき存在には遭遇していない。
「…三つじゃ到底足りないな」
 今、召喚体二体が押さえ込んでいるそこの亀裂を完全に明るく照らすには。
 と、武彦が呟いたところで。
 また元気一杯の甲高い声が上がった。
「ならばもっとたくさん松明を作ればいい! そして皆でファイヤーダンスを踊るのだ!!」
 但し、声を上げたのはデリクとはまた別人――ちび般若ことラン・ファーである。
 やけに力の入ったその科白に、何処かシュールなうさぎの着ぐるみ――草間零はきょとんと目を瞬かせた。
「ファイヤーダンス、ですか?」
「うむ。皆で踊れば楽しかろう」
「…わざわざ踊る必要は無いと思うけど…?」
 さくりと突っ込み入れる現実存在のシュライン。
 ランは心外そうにシュラインを見た。
「む。皆で松明掲げて踊りを踊ればまたあの世から何か面白いモノが召喚されるかもしれないではないか」
「…わざわざあの世から召喚しちゃ駄目でしょう」
 今はむしろあの世から『変なの』が来ないようにする算段を付けている訳で、完全に目的が逆である。

 …まぁ、松明をたくさん作ろうと言う前半の意見については、誰からも反対は無いのだが。



 暫し後。
 人々の手によって、明々と火が灯された松明が亀裂――『扉』の周辺を囲う形に幾つも据え付けられた。念の為とその場に居る皆の手にも一つ一つ松明が行き渡っている。…赤く燃え上がる炎が暗い空まで明るく照らしている。心なしか、亀裂を直接押さえ広がるのを止めている召喚体も幾分余裕が出て来ているように見えた。
 だが、それでも。
 …完全に『扉』が閉まり切ってはいない。
 と。
 ばさり。
 何処からか大きな羽ばたきの音がした。
 そして。
 その音と共に――上空から風圧が来た。
 上。
 見上げる。
 そこに居たのは――守崎啓斗と鏡面存在のシュラインがここに来る前見かけていた、件の巨大竜クロウ・クルーハ。
 …どう見ても上空から攻撃のタイミングを見計らっている。
 思わずぎょっとする一部の人――その竜がとあるゲームの中の存在と同じ姿だと知っている人々。特にそちらのゲーム――『白銀の姫』の中の時点で色々関わった上に、今ここではその姿がここに居る事を初めて見聞きした草間さんちの人々やセレスティ・カーニンガムは驚いた。…これ相手では松明で効果があるか? 火が嫌いどころかむしろクロウ・クルーハは能力的に火竜の類っぽくはなかったかと反射的に思い出す――思い出したところで、そのクロウ・クルーハは上空からぐっと深く地上に近い低い位置まで降りてきた。羽ばたきとその風圧で、据え付けられた松明を薙ぎ倒してくる。
 …たった今一部の人々が思った通りに、火を恐れない。
 が、クロウ・クルーハが低い位置まで来たそこで、今度はいきなり迷路の壁から蔓が――否、ただ蔓では無く棘持つ『茨』がばっと伸び出した。…成瀬霞。迷路に出た時から念の為に展開して用意しておいた『茨姫』を朗読しての情景効果――姫の眠る城を守る茨の情景をそのまま実体化させている。その『茨』がクロウ・クルーハの足に羽根にがっちりと絡み付き、巨体が上空へと再び舞い上がる事を阻止。巨竜の顎から大地を震わす怒りの咆哮が轟いた。
 クロウ・クルーハの動きが止められたそこ。巨竜と比較するには小さ過ぎる影が三つ、殆ど同時に躍り掛かっている。…一つは千獣。躍り掛かるその過程で、千獣の肩口から腕の先が鋭く強靭な爪持つ形に獣化する。…獣化できなければ無意味だと思いながらも地を蹴っていた自分の行動に驚いた。そして今望んだ通りに獣化した事にも驚いた。…それは守りたいと思って地を蹴った。けれど今の自分は元々の世界に居た時のように獣化出来るとも思っていなかった。呪符がない――けれど今は何故か不安はない。暴走するような気がしない。
 呪符がないのに完全に己の意志のまま獣化した腕。それは巨竜クロウ・クルーハと同じくらいとまでは行かないが、千獣の身体の大きさからは有り得ない程の大きさの獣の腕になっている。その腕が――爪と牙を持たない人を守りたいと言う攻撃の意志のまま――躍り掛かる勢いのまま、ぶんと放り投げるよう巨体の喉元に叩き付けられる。
 同刻躍り掛かったもう一つの影は猫耳メイド――啓斗。巨竜の首の後ろに肉迫したところで小太刀の一刀を突き刺し、抜かないままで巨竜の首を疾走しそのまま長く切り裂いている。…訪れてまず松明を薙ぎ倒した巨竜クロウ・クルーハのその行動を見、啓斗は火遁を発動する選択は取り止め小太刀を使う事を選択。他に躍り掛かった連中が狙った部位からして、自分はここを切り裂くのが妥当だと考えた。
 身の丈程の長大な剣を握った青頭――ケヴィン・フォレストも千獣に啓斗同様巨竜に躍り掛かっている。狙ったのは前足の内側の付け根。地上に近く、比較的柔らかそうな部位。迷路の壁に『茨』も使って跳躍し、巨竜の意識が僅か他に――他に同時に躍り掛かった誰かに――逸れた瞬間、身体ごとぶつかるようにして深深と突き刺した。…使い慣れない重たい武器故に重さを生かして攻撃した方が良いと考えた――と言うよりケヴィンの場合は本能的にそう判断していたとも言うのだが。
 三人が狙った部位はそれぞれ確実に取る事が出来た――筈だった。
 が。
 どれも――痛む程度で、それ以上効いた様子はない。
 三人は前後して飛び退り、地上へと着地する。
 再び怒りの咆哮が轟く。

 アサルトライフル抱えたリデル――若宮が、ち、と舌打ちする。…ちなみに装填してあった銃弾は巨竜の姿が『茨』に止められる前の時点でフルオート射撃、巨竜に全弾撃ち込んであったりする。勿論、無効。
「やっぱ駄目じゃねぇか! …どうすりゃ良いんだ」
「どうすりゃ良いって言われてもねぇ…結局ハロウィンのお約束は無視みたいと来りゃな…」
 ハロウィンに出てくる悪霊死霊化物の類は火で撃退出来るもんな筈だけど、そーじゃねぇとなるとな…。
 と。
 若宮の文句を受けての双樹のぼやきを聞いたそこで――現実存在のシュラインとセレスティ、武彦は不意にぴんと来た。
 ひょっとして。
「…今、私たちがあの竜の事をゲーム『白銀の姫』のクロウ・クルーハだと認識した途端、あの竜は降下して来たような気がしたんだけど」
 それまでは、あくまで上空で地上の様子を気にして窺っているだけだった――ような気がする。
「…シュライン嬢はその認識と同時に、あの竜は火が弱点と言う訳ではなかったとも考えませんでしたか。…実は私は考えてしまったのですが」
 そしてその認識通りに、火を怖がる様子もなく据え付けた松明を薙ぎ倒しに来た。
「まさかとは思うが…こいつら、『見ている者が考えるような能力や性質をいちいち持つようになる』って事か…?」
 シュラインとセレスティ二人の確認を引き取り、武彦がぽつり。
 それを聞き、空気が俄かに停止した。
 呆然と啓斗が口を開く。
「ちょっと待て草間。補足すべき事がある…能力と性質だけじゃなく『姿』も多分そうだ」
 ここに合流する前に、『ホラー映画に出てくる殺人鬼』のようなそうでないような形の奴を見た。俺が対峙して刃を交えた限りではただの一人の人間と言うかとにかく物理存在――のような感触だったんだが、それは丸眼鏡の少年――デリク曰く『変なの』の同類で、実際にデリクはそいつを鳥篭の中に持ってるジャック・オ・ランタンを突き付けるだけであっさり追い立てて撃退してしまったんだ…。
 それから言い難いんだが…今ここに居るこの竜が『白銀の姫』に出てくる『クロウ・クルーハ』の姿をしているのは…俺のせいになるかも知れない。…即座に考え過ぎと否定したつもりだったが、『変なの』の話を聞いて…確かに一度その可能性を考えてしまってはいるんだ。そしてその直後、『クロウ・クルーハ』が空を飛んで行く姿を見ている。
 と、啓斗がそう告げたところで、ならば、とランが話に入ってくる。
「…ならば簡単ではないか! 色々考えてしまった奴は今までの事は綺麗さっぱり忘れこれからこの『変なの』は火に弱いものだと考えるようにすればいい。その上で丸眼鏡ときのこの言う通り火を灯して追い立ててやれば万事解決だろう」
 もっともである。
「そうそウ。だーかーら俺は初めっかラ言ってるでショ。明るく火を灯して追い立ててやれば良いっテ」
 実際その通りの行動を取り、ここまで対『変なの』では最強(?)を誇っているデリクもランに同意する。
 しみじみその通りである。
 が。
 すぐには応えが返らない。
 …返せない人が一部居る。
 小さく息を吐きつつ、目を伏せる魔女――霞。
「…ごめんなさい。あなたたちが『クロウ・クルーハ』って言うのを聞いて…まさか『扉』の向こうに居るのは『邪眼のバロール』って事はないでしょうねって考えてしまったのだけど」
 …それ即ち、ケルト神話に於ける巨人――魔族の王。
 そんな霞の告白を聞きつつ、こちらも言い難そうにセレスティがまず謝ってくる。
「申し訳ありません。私も似たような感じです。ハロウィンは元々何だったのかと考えて…古代ケルトに思考が向いてしまいましたので。それで、古代ケルトの…暑い季節から寒い季節へと切り換わる時に現れる災いを引き起こす神が生贄を求めて彷徨っているのだろうかと、皆さんとの合流以前の時点で考えてしまっています。考えを切り換えようと努力してはいますが――それでも一度考えてしまったら、そう簡単に完全に切り換えるのは難しいですよね?」
 ちなみに、害を避ける為には生贄を与えて宥める必要のある神なのですが。

 …。

 これは、何だか色々と先が思いやられる。



 一方。
 この場所に辿り着いて以来、
 地面に亀裂が入ろうと巨竜が出ようと全然口も手も出さない状態で居たケットシーが一匹。
 いやむしろチェシャ猫と言った方が良かろうか。
 煙草を一本咥えた『彼女』は現在、のんびり寝そべり特等席でそれらの騒動をどうなるのかとわくわくしながら観察している。
 特等席とは何処かと言えば、それは再び『檻』の中。
 壁と同化したその『檻』の中で、『彼女』はちらりと隣を見遣る。
 そこに居るのは蜜柑頭の子供がひとり。
 何だか情けなさそうな顔をして座り込んでいる。
 …悪戯の理由は何処か。
 …いったい何を考えてたか。
 驚き困惑怒り好奇心希望…それらとは異質の意識が関わっているのか。
 何故追われるのかもすぐ読めた。

 興味のままに曝け出させる。
『彼女』の気分の赴くままに。

 ………………『世界樹』の意思は読み甲斐がある。



 …『檻』の外。
 何処からともなく現れた『クロウ・クルーハ』に据え付け固定してあった松明が派手に薙ぎ倒され、『邪眼のバロール』とか『災いを引き起こす神』とかそんな話まで出た途端。
 死者の門と思しき『扉』である亀裂から――酷く濃い瘴気を引き摺った真っ黒な『手』が伸び出して来た。その『手』はがっちりと亀裂を押さえ込んでいた筈の二体の召喚体を押し退け、空を掴もうとするよう緩く開いた指先が恨めしげに蠢きつつ亀裂から覗いている。異様に巨大なその『手』――その『手』の大きさが既に召喚体一体より少し小さい程度と言う巨大なもの。その『手』の持ち主となれば――召喚体よりも圧倒的に巨体である事は簡単に推察できる。
 召喚体が押し退けられたのを見、霞の『茨』が亀裂から伸びて来た『手』を拘束しようと一気に絡み付く――が、これも召喚体同様押さえ切れずに振り払われる。その『手』は指先だけでも凄まじい膂力を見せている。
 と、今度は押し退けられていた二体の召喚体は亀裂の広がりを押し留める事だけに全力を注ぐのではなく、両方で示し合わせたように深く息を吸い込み、亀裂から伸びる『手』に向けて勢い良く吐き出した。
 吐かれた息はそのまま火炎になる。その炎がまともに直撃し、途端、異様な動きでびくりと慄き跳ねる『手』の指先。
 引っ込めようと僅か動く。
 そしてその時――召喚体が『手』に向け一気に吐いた炎の舌が、偶然にも『クロウ・クルーハ』の尾の先端を少々舐めてもいた。
 大音声が響き渡る。
 先程の怒りの咆哮とは違う――けれど音量としては同じような。
 仰のきのたうつ『クロウ・クルーハ』の頭と尻尾。
 尻尾を微か炎が舐めたその直後、聞こえたのはまるで、その尻尾の持ち主の――苦鳴。

 ………………効いた?

 誰からともなく思ったそこで、その場に居た面子の方針は固まる。…これしかないと計らずも心が一つになっていた――『その時点で効力は確実となる』。
 ――…今、火が確かに効いた。そう信じられた。
 元々お茶会に居た面子もそこに歩いて合流した面子も突然現れた『檻』から雪崩れ落ちて来ていた面子も関係無い。誰からともなくテーブルの残骸や薙ぎ倒され消え掛けた松明――とにかく近場にあるすぐ燃えそうなものを拾って『手』と『クロウ・クルーハ』の側に落ちるよう狙って放り投げている。迷路の壁を構成する部分から木皮を剥がし同じそこに放り込む。その壁の下から乾いた木屑や落ち葉を拾い集めやっぱり同様に。間を見計らって啓斗の火遁術がそこに炸裂する。
 それで一気に燃え上がり、目的通り焚き火になる。そこに再び集めた落ち葉をまた追加。幾つか枯れ枝枯れ葉を纏めて括り、松明の火を移してからその中に放り込む――火勢を増させる。セレスティは焚き火の燃料用に集められた木の枝や葉、木屑から水霊使いの能力を以って密かに水分を抜いている。…火が付き易いようにそして消え難いようにする為。
 一人一人がそれぞれ持っていた松明も、幾つかずつ纏めて大きな松明に作り変える。
 とにかく、火を熾し――大きくする事を選ぶ。
 アドルファスと皆が喚んだ二体の召喚体も、火炎を吐いて焚き火の火勢を増させる為の手伝いに回っている。
 火が付き易いようテーブルの残骸を砕き、新たな燃料として焚き火の中に放り込む。
 …ついでに特に集めた訳でない元々その辺にあった落ち葉や立ち枯れた木にまでいよいよ火が燃え移り始める。

 ………………気が付けば亀裂の場所――『手』と『クロウ・クルーハ』の居た場所中心に巨大な焚き火が轟々と燃え盛っていた。
 いや、それどころか辺り一帯、焚き火から外れるか外れないかと言う部分でもめらめらと炎が揺らめき迷路の壁までちろちろと舐め、やがてそちらまでじわりと燃やし始めている。
 火勢は何やらどんどんと増している。
 既に『クロウ・クルーハ』の姿は炎に舐められ掻き消え、伸び出した『手』も誰にも見えない――現実世界のシュラインの耳ですら僅かな声も拾えない状況になっている。地に入った亀裂――開いた『扉』の存在すら最早確かめられそうにない状況。…けれど向こう側の存在が火を嫌うと言うのなら、まずもうこちらに出ては来れないだろう状況。
 つまり恐らくは『変なの』については目的通り無事追い返せたと言う事になる。
 が。
 熾してしまった加勢は全く衰える気配がない。
 さて。
 これは――放っておけばいずれこの迷路な世界は火の海である。ただでさえここは水気の少ない乾燥しているような雰囲気の世界なのだから、余計そうなってしまうだろうと予想が付く。

 と。

『変なの』がどうにかできたと言う安堵の後に――そろそろヤバくないかと不安が買って来たところで。
 今度は俄かに立ち曇り、空の暗さが増していく。かと思うと――いきなりバケツを引っ繰り返したような大量の『水』が周辺一帯にどしゃりと降って来た。場所も人も選ばずとにかく凄まじい勢いで。
 まるで土砂降りと言うのも生易しいような雨。
 …ではなく。
 あくまで、『水』。
 その『水』は火が消し止められるなり、計っていたようにすぐ降らなくなる。
 何事かと思う一同の中、これでいかがでしょう、と優雅ににこりと微笑むリデル――もとい、水霊使いのセレスティ・カーニンガム。どうやらこの見るからに水気の少ない乾燥しているような世界の中、何処から調達したのか――それは焚き火の燃料から抜いた水分も含まれはするだろうがそれだけでは決して有り得ない量の――大量の水分を集め、手が付けられなくなりそうだった火を問答無用で消し止めたと言う事になるらしい。
 かなり無理矢理。

 …それは火が消えた事は取り敢えず良かったのだが、それでも色々と――無茶である。



 へっくし、とくしゃみが響く。
 まぁ焚き火と言うかむしろ放火で轟々燃え盛っていたところが一転、水浸しになってしまった訳で。
 改めて――再度アドルファスに召喚してもらった力持つ存在に火を熾してもらい、今度こそは節度を弁えた焚き火を――亀裂、即ち『手』が伸び出していた『扉』が元あった場所辺りにちんまりと作り直す。…びしょ濡れになりまだ燃えていなかった先程の焚き火燃料の山の一部からセレスティは改めて水分を抜き取り、新たな焚き火の燃料にと提供している。…まぁ、そうでもしなければ幾ら火種を使って点火しても全然燃えてくれそうにない状況。ただ、どういう原理なのか何故かそれでもデリクの持つ鳥篭の中身――そのジャック・オ・ランタンは明るさを失っていないのだが。
 …ともあれ、新たに作った焚き火を囲み、一同は濡れた服や身体を乾かし始めた。
 慌てて水から『ショモクの書』を自分の身で庇った皆に、リデルの一人――セレスティが近付きごめんなさいと謝りつつ本に含まれてしまった水分を調整。本が台無しにならないように元に戻す。…大切な『ショモクの書』を濡れさせてしまったかと絶望した直後にそうしてもらい、皆は良かったとばかりに安堵で腰が抜けその場にへたり込む――へたり込んだらまたそこがぬかるんでて慌てて立ちあがろうとし――そして転びそうになる。と、落ち着いてとばかりにその身体を千獣が支えている――勿論腕の獣化はとっくに解いてある。皆はああすみませんと謝りつつも――何だかかなりのナイスバディであるらしい十七歳少女にわざわざ支えてもらった事自体にまた慌てている。…取り敢えず大切な本は確り抱きかかえているが、何だかとっても危なっかしい。
 セレスティは続いて本を持っていた霞とアドルファスの様子を確かめる。まぁ水浸しになった途端に即問題になるのはまず本だろうから、と本への水の浸潤状態を確認し余計な浸潤があれば元通りに調整している。霞からは小さく肩を竦められ、アドルファスからはにこりと微笑みを返された。セレスティは本だけではなく人自体からもまた被った水を除去している――くしゃみをしてしまったデリク、他、寒そうだったり恰好からして何だか大変そうな人を優先して。…ちなみにセレスティ自身は初めから水を被っていないので問題なし。と、そんな事をやっている中、これも中身まで濡れてしまっているようなら是非何とかしてくれとちび般若――ランからやたらデカい風呂敷包みをいきなり託されもした。…まぁ別に否やはないが…託された途端凄まじい重さが来てセレスティはそのまま取り落としそうになる。そこで、おいおい大丈夫かよとばかりにもう一人リデル――双樹が咄嗟にその包みを横から支えに来た。が――支えた風呂敷包みの予想外の重さに少々驚きランを見る。そんな双樹に、ランはどうした? と不思議そうな声を掛けてくるだけ。ランの見た目はリデルの見た目より年で言うなら半分程小さい。なのにリデル一人で持てないような重さの物をランは平気で担いで持っている。…己の怪力に全然自覚はないらしい。
 無表情そして無言なまましゃがみ込み、のんびり焚き火に当たって暖を取っているケヴィン。その隣には長靴を履いた猫なシュラインにきのこ妖精なシュライン、零の三人が同じように並んで暖を取っている。…ここまで燃え広がせはしない予定だったんだけどと肩を落としつつぼやくきのこ妖精。いやここまでやった方がずっと面白いと返す長靴を履いた猫。そう言えば鏡面存在なシュラインさんはさっきの騒ぎの中居なかった気がするんですが気のせいですかと零。細かい事は気にしないとその額を軽く小突いて笑う鏡面存在のシュライン。…何となく溜息を吐いてしまうきのこ妖精。
 御二人はそっくりですが双子だったりするんですか? と二人のシュラインに聞いてみるリデルの一人――エリニュス。反射的に黙る二人のシュライン。一拍置いて、そうのようなそうでないような…と言い難そうに呟くきのこ妖精に、私は彼女で彼女は私♪ と歌うように言ってみる長靴を履いた猫。
 少し離れたところでメイド服のエプロンスカートをぎゅーと絞って水気を取っている啓斗。その様子を窺い、大丈夫? と声を掛けてみる霞。と、反射的に啓斗は眉を顰める――『彼女』は会いたくない相手。声を掛けられた手前無視はせず一応振り返りはするが、何も言わない。
 暫くして、俺の事は放っといてくれと低い声だけを返す。と、何だ愛想がないぞとちび般若――ランがそんな啓斗に指を突き付けびしり。が、この子は元々愛想無いわよと霞があっさり。頷く啓斗。ならお互い承知の上か余計な事をした、とこちらもあっさり退くラン。
 霞は改めてそんなランを見下ろしてみる。…般若面を被った着物ドレスの小さな子。私の顔に何か付いてるかと霞を見返しランが言う。…それはまぁ…何か付いていると言われれば般若面が付いている。
 終わったな、と武彦がぽつり。少なくともリデル曰く『変なの』については――今の放火(…)で何とかなったと見て良さそうである。そして霞と皆が聞いたところによれば、これでリデルは『食べると元の姿に戻り元の世界にも戻れる菓子』をくれるとはっきり言ってもいたらしい。
 …死者の門の向こう側にいたのハ、人の恐怖や記憶、思考を写す魔ってとこかナ。そう結論付けつつ、こちらも焚き火の傍ら、デリクは猫のようにうーんと伸びをする。それから、隣でこちらも焚き火に当たって暖を取っている二人のリデルをちらと見る。…遊び倒してあーそろそろ疲れたかナ、と思う。
 視界に入るのはリデルの鞄。
 デリクはおもむろに――何か甘いもノ頂戴、と手を出した。
 と。
 片方のリデルはさっき出しちまったから何も無ェよと言いつつ嫌そうな顔を返し。
 片方のリデルは、うん、と頷きその手にあっさりと飴玉を一つ乗せている。
 もらったそれを衒いなくぱくりと口に放り込み舐めるデリク。
 途端。
 ………………デリクの姿は、いきなり消えた。
 周辺、一時停止。

 そして――その場に居るリデルの姿をした人物の人数をぱぱっと数える。
 一人二人三人四人…五人。
 いつの間にやら一人増えている。
 と、なると。

 今デリクに菓子を渡したこのリデルは、本物か?

 そう判断された次の瞬間――わらっとその場に居た皆に群がられ――デリクに飴玉を渡したリデルの姿は囲まれもみくちゃにされてしまう。あー、順番待ってー慌てなくてもみんなあげるよー、とリデルの緊張感無い訴えも飛んでいる。
 が。
 まぁ、この状況で順番待ってと頼んでもあまり意味がある気がしないが。



 暫し後。
 じゃ、と器用に無言のまま一同に挨拶の意を伝えつつ、ケヴィンは飴玉を口に放り込む――消える。
 その次には、色々お世話になりました、これでやっと普通に本が読めます…! と感極まったように震える皆が改めて一同を振り返り深深と頭を下げている。もらった飴玉を一度見つめてから、意を決したように口に放り込む――消える。
 気が付けばいつの間にやらリデルも一人減っている――早々に消えたリデルの正体はどうやら若宮らしい。

 …と、そんな感じで一同に件の飴は一つずつ行き渡り、何だかよくわからないまま済し崩しに帰りたい人は帰れるようになっていた。デリク・オーロフに続きケヴィン・フォレスト、書目皆に若宮――と、既に四人が帰還している。
 が。
 …それでもリデルを離そうとしない人が約二名。
 その片方は猫耳メイド――と言うか笑顔般若。
「さてリデル。自分が何をしたのか…きちんと自覚があるのか聞かせてもらいたいな…?」
 自覚がないようならじっくり教えてやるぞ?
 誰も彼もがお前の悪戯を笑って許すと思うな。…人の迷惑を少しは考えろ?
 笑顔般若――もとい守崎啓斗の顔は静かに微笑みつつも、目は全然笑っていない。そしてリデルもがっちりと襟元掴み上げられ吊り上げられている状況だったりする。
 怖い。
 …リデルの顔がさすがに引きつる。
「え、えと、あ、…ちょっと待ってよ?」
「待たない。人に迷惑をかけた時はなんて言うべきか言ってみろ」
 ぎり。
 何だか…掴まれた襟に更に剣呑な力が入った。
「ひっ…ご、ごめんなさいっ」
「よし」
 素直に謝る言葉を聞くと、重々しく頷いて啓斗はリデルの襟から手を離す。…それから、もう誰彼構わず悪戯を仕掛けるような真似をするんじゃないぞと諭して来た。
 リデルは素直にこくこくと何度も頷く。
 と。
 啓斗から解放されるのを待っていたとばかりに――今度は解放されたリデルの真正面に本物の般若面がずいと近付いた。
 リデルは反射的に停止する。…笑顔般若の次は本物の般若のお面。
 その般若面はいきなり捲し立てて来た。
「飴玉一つだけでは何度もここに来るには到底足らん! いや帰るのにも同じこの飴が消費されるとなればここに来る為の飴は倍の数必要な事になってしまうではないか! 絶っ対に足りん! もっとよこせよこすのだ! そうだ鞄ごと全部よこせば早かろうっ!」
 その般若面は――終始般若面を被りっぱなしなその少女はラン・ファーである。
 よこせよこせと捲し立てつつランはリデルの肩をがっちりと掴みぐわんぐわん力一杯揺らす。…ランは元の世界元の姿でも無駄に力が強い。それはこの世界に来てかなり幼い姿になっていると言っても――それで力が幾らか弱まっていると言っても――実はまだ一般の大人並の力は余裕で持っている。…それで全力で揺さ振っては…リデルの方が色々と大変な事になるのだが。
 と、さすがに見兼ねたか、ランの頭上からいい加減にしてやれ、と草間武彦の声が降って来た。そしてあっさり襟首掴まれると、ひょいと武彦の手でランは身体ごと持ち上げられてしまう。
「何をする草間! 折角いいところだと言うのに!」
「…いや、どう見てもリデルの方はそれどころじゃなさそうだ」
 その言葉通り、ランから解放されたリデルは解放されるなり目を回して倒れている――倒れそうになったところで、いつの間にそこに先回りしていたのかアドルファスがその身体を抱き止めていた。きのこ妖精なシュラインと零、千獣もそちらを気遣い駆け寄っている。…リデルはどうにも前後不覚になっている。
 その時点になって漸く、ランはリデルの様子に気が付き驚いた。
「どうした、何があったオレンジ頭一号!」
「…お前のせいだろ」
 その通り。
 けれど啓斗はリデルを見、因果応報だ、と手厳しい。
 啓斗はぴしゃりとそう告げてから、俺は先に帰る事にする、と元々の知り合い一同――草間さんちの御家族の皆さんとセレスティに向け、一言。その科白にランが待てと制止。が、そちらに対してはまた縁があったらなと言い残し、啓斗は飴を自分の口に放り込んだ。
 消える。
 と、ランがとても悔しがる。
 …曰く、用が済んだら給仕をする事を考えておいてくれとか何とか啓斗に頼んでいたらしい。
 それを聞き、反射的にがくりとする草間さんちのお姉さんお兄さん。
 一連の状況を見ていた成瀬霞は苦笑する。『あの子』――啓斗が居る『向こう側』の世界では、草間さんちの人々にも色々苦労をかけてしまっているらしい。
 …ともあれ『あの子』が元の世界に戻るのは見届けた。
 私もそろそろ失礼するわと霞は誰にともなく声を掛ける。最後に唯一元々馴染みの顔だった鏡面存在のシュラインを一瞥してから、渡された飴を口に放り込む。
 消えた。
 最後に一瞥された長靴を履いた猫――鏡面存在のシュラインは、にやりと笑いそんな霞の姿を見送っている。



 で。
 その後に残った面子はすぐ帰ろうとせず、ひとまずリデルの回復を待つ事にする。
 何故かと言えば――この世界に呼ばれた理由は結局何事だったのか、はっきり本人の口から聞きたいと思ったから。まぁ、それ以外の理由で残っている者――まだ飴が足りないと頑張っているランとか、いまいち目的不明な鏡面存在のシュラインとか――も居る事は居るが、大多数の目的はそれ。
 ちなみに回復を待つその間に、アドルファスの発案で再びささやかながらお茶会の用意がされていた。
 …と言うか、お茶会と言うよりどちらかと言うとお菓子パーティの様相になっている。
 ランが唐草模様の風呂敷包みを開いてくれたからである。
 迷路の途中で見付けたお菓子のなる木から収穫して来た食べ頃(?)の菓子と、デリクのポケットから零れ出て道に転がっていた大量の飴玉。そしてリデルの姿なエリニュスからまるごと託された鞄の中身の菓子。
 消火の為の水が掛かったりと色々災難にもあった風呂敷包みだが、中身は結構無事だった。
 暫くしてリデルが復帰する。
 …何故この世界に呼ばれたのか何故呼ばれた者は姿形が変わっているのか、その辺の理由を訊いてみた。
 と、ああ、それはね、とリデルはあっさり答えてくる。

 ――…ハロウィンだから。

 おしまい。
 …。
 いやそれでは納得が行かないと突っ込む武彦。でもそうなんだよと返すリデル。…ハロウィンの時期になるとこの世界では『扉』から『変なの』が出てくる事になっている。『変なの』は『この世界の象徴であるリデル』を追いかける事になっている――害を為そう困らせようと付け狙う事になっている。『変なの』に捕まって食べられちゃったらリデルの負けで『扉』が閉じるまでの間『変なの』から逃げ切れたらリデルの勝ち。いつもこの時期リデルは困る事になっている。追いかけっこをする事になっている。
 外の世界の人を呼ぶのも、この世界では『ハロウィンには外から人を呼ぶ』事になっているから。外の世界の人を呼んでハロウィンに参加してもらう事になっているから。外の世界の人はこの世界では何でも出来る事になっている。望む姿になれる事になっている。望む力が手に入れられる事になっている。だからこそハロウィンが終わるまで――『変なの』との決着が付くまでは外の世界の人には具体的にわかりやすい情報は何も与えられない事になっている。外の世界の人でも『この世界では何でも出来ると予め知っている』人がハロウィンに参加してはいけない事になっている。この世界に呼ぶ外の世界の人の選択権はリデルに委ねられる事になっている。
 リデルは『この世界の意思』だから『変なの』に対して直接手を出してはいけない事になっている。その代わり、外の世界の人と『話』をしていい事になっている。外の世界の人に『自分のお菓子』をあげていい事になっている。外の世界の人に『具体的でない曖昧な情報』なら与えていい事になっている。その範囲内に於いてなら、リデルは外の世界の人に『物を頼んでいい』事になっている。
 まぁ、つまりは『世界』の決まりごとに則って――その範囲内で行動した結果が今の状態であると言う訳で。
 だから理由は――ハロウィンだからって事になるんだ、とリデル。
 …と、なると。
 私たちがキミと同じ姿形をしているのは…その決まりごとから考えるに…随分冒険をしてみたという事になりますね、とセレスティ。セレスティのその発言に、双樹やエリニュスからも同じ事を確かめるような視線がリデルに向けられる。
 リデルは言葉を詰まらせた。
 白いこめかみに冷汗垂らり。
「…えーと、うん。そんなもの」
 決まりごとの範囲の内で考えて、自分で出来そうな策を考えた結果。
 それだけを取り敢えず口に出す。
 …ただ、双樹やエリニュス、若宮の三人はともかく、実は銀髪の綺麗なおにいさんに関しては純粋にリデルの手違いだったりするのだが――取り敢えず言わない。
 千獣は自分の身を顧みる。今の説明でここに来ての自分の見た目の理由が、何となくわかった。
 と。
 ところで、とやや改まってランが口を開いている。
「…この世界ではハロウィン以外で外の人間が来てはいけない事になっているのか?」
 ハロウィンには外の人間を呼ぶ事になっている、と言うだけなら、それ以外の時期については特に言及無い事になりはしないか? 具体的な情報を予め知っている人がハロウィンに参加してはいけない事になっているのなら、それ以外の時期なら具体的な情報を知っている人が来てもいい事になりはしないか?
 そして外の世界の人間の選択権はオレンジ頭一号にあると言う。ならばお前の采配で私にもっと飴を渡しても何も問題はないだろう。今この情報を知った私は、今後はハロウィンの時期を避けさえすれば、いつこの世界に来ても構わん事にはならないか?
 一気に捲し立てられリデルはちょっと考える。
 …確かに決まりごとには抵触しない。
「どうだ?」
「うん。大丈夫そうだね」
 リデルはぱかりと鞄を開けランの前に差し出す。
 よしと頷きランは一掴み手に取った。
「無くなりそうになったらまたもらいに来る」
 にやりと笑い着物の袂に放り込む。
 そこで、ぱむ、と注意を引くような両手を叩く音がした。
 手を叩いたのはアドルファス。
 彼はいつの間にやら再び出来たてのティーセット人数分とテーブルを用意している。…恐らくは今リデルが説明した通り『外の世界の人間ならこの世界では何でも出来る』のなら、とそれらの用意を即座に望んでみたのだろう。
 そして実際に、その通りになっている。
 アドルファスはにこやかに微笑み、折角ですからもう少しのんびりしてから、帰りませんかと一同に提案。それもいいかもと頷き合う現実世界のシュラインと零。…彼女たちの場合、はぐれた(?)身内と会えた上に状況がわかった以上特に急ぐ事も無い。いいですねと同意するセレスティ。千獣もまた頷いている。…鏡面存在のシュラインは既にテーブルに着いて一服している。まぁいいかと武彦もテーブルに着いた。どうするかと顔を見合わせてから、結局アドルファスの提案を受ける事にするエリニュスと双樹。
 お前も来い、とリデルもまたランに手を引かれ問答無用でテーブルに着かされている。

 と、そんなこんなでハロウィンは済んだのに、何だか済し崩しにそのままお茶会二次会な様相。
 まぁ、この世界ではきっと――それでもいいのだろうけど。



━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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 ■出身ゲーム世界
 整理番号/PC名
 性別/年齢/職業 or 専攻学

 ■東京怪談 Second Revolution
 6224/ラン・ファー
 女/18歳/斡旋業

 ■聖獣界ソーン
 3425/ケヴィン・フォレスト
 男/23歳(実年齢21歳)/賞金稼ぎ

 ■学園創世記マギラギ
 mr0559/アドルファス・ヴァン・ヘイルウッド
 男/26歳/禁書実践学(禁書学)

 ■東京怪談 Second Revolution
 6678/書目・皆(しょもく・かい)
 男/22歳/古書店手伝い

 ■東京怪談 Second Revolution
 3432/デリク・オーロフ
 男/31歳/魔術師

 ■聖獣界ソーン
 3087/千獣(せんじゅ)
 女/17歳(実年齢999歳)/獣使い

 ■東京怪談 Second Revolution
 0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ■東京怪談 The Another Edge
 0010/シュライン
 女/26歳/自称ルポライター

 ■東京怪談 Second Revolution
 1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ■東京怪談 Second Revolution
 0554/守崎・啓斗(もりさき・けいと)
 男/17歳/高校生(忍)

 ■東京怪談 The Another Edge
 0081/成瀬・霞(なるせ・かすみ)
 女/20歳/大学生(本屋アルバイト+忍び)

 ※記載は発注順になっております。

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 皆様、今回はリデルの悪戯なんだか本気で用があるんだかいまいちよくわからん招待にわざわざお付き合い頂けまして有難う御座いました。
 と言う訳で、お待たせしました。
 ハロウィン企画、時期が完全にズレたところでお渡しになります…って募集〆の時点で十一月入ってる辺り納品時期の方で十月三十一日に合わせるのはそもそも初めから無理だったりするのですが(苦笑)。その上に一番初めに発注頂いたラン・ファー様の分については納期二日過ぎ、二番目に発注頂いたケヴィン・フォレスト様の分については納期一日過ぎのお渡しになってしまっていたりするのですが(汗)。御二方には特にお待たせしてしまっております(謝)
 今回の文章ですが、一番初めの「幕間その一」は共通→その次はまず殆どの方が個別で、他の人と合流し出すにつれ合流した方々と少しずつ共通の文章になっていきまして、「幕間その二」以降は全面共通になっております。…そして文章が明らかに長いです。ご容赦下さい。

 それから…今回は(と言うか何となく毎度のような気もするんですが)ちとややっこしいオープニングを振り過ぎたような気もしております。すみません。
 いえ、実質的にはイベント自体のオープニングに妙な要素を幾つか追加して放り込んだだけで殆ど発注者様にシチュエーションお任せ状態な話のつもりだったりしたのですが…それだけにしては当方の提示したオープニング&その説明が、煩雑&迂遠過ぎたかなぁと(汗)
 この辺り、なかなか善処できないライターで御座います…。

 いつもお世話になっております他の方々もそうですが、特に初めましてになるアドルファス・ヴァン・ヘイルウッド様、書目皆様、守崎啓斗様、それから当方でライター通信らしいライター通信を書くのは初になるケヴィン・フォレスト様と、鏡面存在のシュライン様と成瀬霞様。
 PC様の口調や性格・行動等に関してこうは考えない、言わない、やらない等何か違和感がありましたらお気軽にリテイクお声掛け下さいまし。
 それ以外にも何かありましたら。
 出来る限り善処致しますので。

 …と、ちと気力が尽きたのでプレイングやら内容等についての話は割愛させて頂きたく。
 ライター通信はここまでの方向で失礼致します(礼)

 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いで御座います。
 では、また機会がありましたらその時は。

 深海残月 拝