<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『人魚の企図(前編)』

 ソーンで最も有名な歓楽街、ベルファ通りの酒場といえば、真っ先に思いつくのは黒山羊亭だろう。
 この美しい踊り子の舞う酒場では、酒と食事の他、様々な依頼を受けることができる。

「実は、欲しいものがあるんだが、金が無い」
 開店前に現れたファムル・ディートという錬金術師が、開口一番に言った言葉がそれだった。
「貸せるお金はないわよ」
 エスメラルダとしては、軽くあしらいたいところだが、ファムルはいつになく真剣でしつこかった。
「研究が成功すれば、救える命が増えると思うんだが……ボランティアで動いてくれる冒険者はいないか?」
「その活動が本当に世の為人の為になるのならいるでしょうけれど、あなたの為に動いてくれる人はいないんじゃないかしら?」
「それじゃ、謝礼は体で払うということで、どうか一つ!」
 ファムルがぐっとエスメラルダの肩を掴む。
「体ってねぇ……」
 ため息をつきながら、エスメラルダはファムルの手を払いのけた。
「体力なさそうだし、骨と皮ばかりで、食べてもおいしそうじゃないし。それでももう少し若ければ使い道もあったでしょうけれど」
 冷たく返して、エスメラルダは背を向けた。
「そういわず、ここでバイトさせてくれ〜。もしくは、無料で薬を調合をするというのはどうだ!?」
 エスメラルダの前に回りこんで、拝み倒すファムル。
「んー、まあとりあえず、依頼出してみたら?」
 その言葉を受け、ファムルはエスメラルダに依頼書を渡した。
「……人魚の血?」
「そうだ。新薬の材料として試してみたい」
「無理!」
 きっぱりエスメラルダは言った。
 そんなもの、どうやって手に入れろというのだ。
「見たことはないが、結構いると思うぞ。まあ、地上では人の姿をとっているだろうがな」
「そうかもしれないけれど、何せ人魚の肉は食べると不老不死になるといわれているからね。見ず知らずの相手に正体を見せたりはしないわよ」
「一箇所、心当たりがある」
 ファムルは説明を始める。昔、客から聞いた噂話だ。
 ユニコーン地域の南部。山間を流れる美しい川のほとりに、小さな小屋が存在している。
 ドアを叩いても反応はなく、固く鍵がかけられており、中に入ることは出来ない。
 しかし、その煙突からは、時折煙が立ち昇り、周囲には香ばしい匂いが漂うのだという。
 木の枝を掻き分けて、僅かに見えた窓から中を覗いた冒険者は――中に、美しい女性を見た。その女性の下半身は、なんと魚であった。
 小屋の中には眠っている人間の姿もあったという。
「私は、聖都を離れられんのでな。誰かに交渉に行ってもらいたいんだが……」
 その噂が真実だとは限らない。
 たとえ、人魚が存在したとしても、上半身が人だというのなら、人並みの知能があるだろう。
 すんなり血を分けてくれるとは思えないが――。

**********

 翌朝、呼びかけに応じ、黒山羊亭に集ったのは3人の男女であった。
 思いの外協力者がいたのは、個々の興味や目的と一致したからであり、決してファムルの人望ではないだろう。
 ファムルの診療所に寄ってから黒山羊亭を訪れた虎王丸は、トランクを持っている。トランクの中身は、ファムルから借りた医療道具だ。必要な血を採取するための注射器などが入っている。
「じゃ、出発しようか」
 そう言って、真っ先に黒山羊亭を出たのは、チユ・オルセンだ。
 チユは人魚の話を聞いて、興味本位で参加を申し出た。本物に会えるのならラッキー程度の考えで。
 とはいえ、準備はきちんとしてきている。スペルカードもすぐに取り出せるよう胸ポケットに入れてある。
 三人並んで、まずは乗り合い馬車の停留所まで歩くことにする。
「私は興味本位なんだけれど、あなた達は何で行くことにしたの?」
 チユが虎王丸ともう一人の同行者、エル・クロークに訊ねた。
「俺は、ちょっと事情があって、おっさんの研究手伝ってるから」
 そう答えたのは虎王丸だ。
 共通の知り合いを救えるかもしれないと考え、虎王丸は近頃ファムルと協力しあっているのだ……。というのも本音ではあるが、噂の人魚が絶世の美女と聞き、口説いたついでに血も貰えば一石二丁〜などという下心もある。
「話を聞いて、なかなか面白そうだと思ってね。個人的に興味もある。依頼主の彼とは職種が似ているようだし、良い助けになってくれそうだ」
 エルはそう答えた。どうやら報酬代りに、ファムルをこき使うつもりらしい。
「助けになってくれるかなあ……」
 チユが笑う。
「金と女にしか興味なさげだからな、あのおっさん。でも今回は少し見直したけどよ」
 虎王丸が苦笑する。
 必死な様子は凄くかっこ悪かったが、彼が真剣であることが伺えた。
「クロークさんって、中性的じゃない? 女性っぽく着飾っていけば、ファムルさんきびきび動いてくれるかもね」
「それは……まあ、面白い人物のようだな」
 チユの言葉に、エルは微笑んだ。

**********

 目的の場所に一番近い停留所で馬車を降り、3人は徒歩で川沿いへと出る。
 川は想像よりも広く、対岸までは泳いでいくのは困難だ。こちら側に小屋が存在しているといいのだが。
「みて、魚の群! 綺麗な川ねー」
 休憩をとりながら、チユが川を指差した。
「おお、昼メシのおかずにすっか!」
「お弁当持って来たんだし、やめておこうよ。ほら……人魚に会うのに、焼魚の匂いを漂わせてたら心証悪いかもよ?」
「そうか〜?」
 不満気に虎王丸は岩に腰かけて、川に足をつっこんでみる。
 冷たい。だけれど、とても心地よい。
 澄んだ川が、靴についた土で濁ってゆく。その濁りも、溶けるように消え透明へと戻る。
「でもさ、人魚の噂って、案外大魚を捌いていた人間……なんてオチあるかもよ?」
「それも考えられるな」
 チユの言葉に、笑顔で答えるエル。
「そんなオチは勘弁してくれー」
 そう言いながらも、美人に会えるのならそれでもいっかと思う虎王丸。
「それで、血を分けて頂く方法だけれども……」
 切り出したのは、エルであった。
「取り合えずは素直に、事情を話してみるというのはどうだろう。出来るなら手荒な真似はしたくないし……」
「そうね」
「だな」
 チユと虎王丸にも異存はない。
「それに『救える命が増える』という考えには根拠があるのだろう? もし作れたとしても、試せないなら意味は無い訳だから」
「それはだな……」
 続くエルの言葉には、虎王丸が答えることにする。
「動物で実験をするらしいぞ。救える命ってのは、回復効果が高い薬が作れるってことだろうけど、それとは別に、ファムルには救いたい人物がいるんだよ」
「誰?」
 聞いたのはチユだ。ファムルは一人で暮しているはず。身寄りもなさそうなのだが……。
「キャトル?」
 疑問系で答える虎王丸。
 キャトルとは、ファムルを父親のように慕っている少女だ。
 実際、ファムルが虎王丸達の友人である少年のことを救いたいと思っているのかどうかは謎だ。でも、キャトルのことは、救いたいと思っているだろう。
「昔世話になった女性の妹とか子供とか、だな。寿命が短いんだよ」
「なるほど」
 エルは頷きながら、言葉を続ける。
「それなら、説明すればもしかしたら、少量なら分けてくれるかもな」
「そうね」
 頷いたチユは、たとえ血が無理であっても、なにかしら人魚にまつわるものを持ち帰るつもりであった。
「だな! よし、探すか!」
 虎王丸が勢いよく立ち上がり、探索を再開することにする。

 次第に、山奥へと足を進めていることに気付く。
 道はなく、木々の中を、ゆっくりと進んで行く。
「木が密集している場所って話だから、意外と近いかもしんねーぞ」
 そう言いながら、虎王丸は先頭を進んでいた。
 女性のチユは少し辛そうである。
 落ち葉は、足への衝撃をやわらげてくれる。
 射し込む太陽の光は柔らかく、寒くも暑くもない。それが救いだった。
 3人は、川から離れないよう注意しながら、森の中を歩き続ける。
 次第に、無言になっていく。
「お!?」
 最初に気付いたのは虎の霊獣人である虎王丸だ。
「なんか匂う。……あっちか?」
「待って!」
 走り出した虎王丸に、必死についていくチユと、エル。
「あった、あったぞ!」
「しっ」
 騒ぎ出す虎王丸に、指を一本口に当ててみせるチユ。
 エルは目の前の建物を注意深く見る。
「小屋、だね。窓は木の枝と植物の蔓で覆われている――聞いていた通りの小屋だ。ここかな?」
 一同、少し緊張しながら進み、ドアの前に立つ。
 頷きあって、虎王丸がドアをノックする。
 ……しかし、返答はない。
 ここまでは想定内だ。ここで諦めるわけにはいかない。
 虎王丸はドアを強く叩きながら、「誰もいねーのかー!」と声をあげる。
 やはり返答はないのだが……。
 匂いがするのだ。僅かであるが、香ばしい匂いが残っている。
 そして、人の気配もする。
 チユとエルが窓に近付く。
 チユが下から覗き込み、エルが蔓を掻き分けた。
「人がいる……」
「倒れているな。寝ているにしては不自然だ」
 人魚の姿なはい。
「大丈夫ですかー!?」
 チユは窓を叩いて声をかけてみるが、反応はなかった。
 虎王丸は二人を振り返りこう言った。
「ドア、ぶち破って入ってみる。俺の独断行動ってことで、二人は待機しててくれ」
 二人の返事も聞かず、虎王丸は助走をつけると、ドアに体当たりをした。
 木のドアが、音を立てて割れる。
 部屋の中には――男性がいた。
 窓から見える位置に、一人。
 キッチンに一人……部屋の隅の檻の中には3人。
「おい!」
 虎王丸は一番近くで倒れている男性に近付き、揺する。反応はないが生きているようだ。
 檻の中の男性達は猿轡をかまされた状態で気を失っている。
 キッチンの男性は――虫の息であった。
「な、なんなの?」
「これは一体……」
 チユとエルが驚きの声を上げながら、入ってくる。
 すぐに、チユのスペルカードと、エルの香料による治療が始まる。
 虎王丸は、檻の中に手を伸ばし、男達の口から猿轡を外した。
 檻は魔法的な力で守られており、虎王丸には壊すことが出来なかった。
 手を伸ばして、気絶している男性達を激しく揺する。
「起きろ! 何があったんだよ!?」
「こっちはダメ。意識、戻りそうにないわ。命を取り留めるかどうかも……わからない」
 チユは治療薬や魔法で男性の手当てを続けるが、ここでの治療には限界がある。
「こちらの男性は、何か強い衝撃を受けて気を失ってはいるが、命に別状はなさそうだ」
 窓から見える位置に倒れていた男性を診て、エルが言った。
「う、ううう……」
「大丈夫か!?」
 エルの香料を吸い込んだ男性が、意識を取り戻す。
「お、俺の身体に……卵が……」
 男は訳の分からないことを口走る。
「落ち着いて、話してくれ。ここで何があった?」
「人魚――人間の数倍の力を持っている。こうして人間の男を集めて、喰らうことで命を永らえさせ……卵を産みつけることで、子孫を残している」
 僅かに残っている香ばしい匂いは、恐らく肉の匂いだ。
 ……まさか、人肉を料理した匂い?
 この男性は、調理されようとしていた?
 チユは浮かんだ想像を首を左右に振って、追い出し、治療を続ける。
「起きろってば!」
 虎王丸は檻の中の男性達の頬をひっぱたく。
 うめき声を上げて、男性達が目を覚ましてゆく。
「!?」
 突如、振り向いて虎王丸が顔を上げる。
 遠くで、女性の声が聞こえた。
 叫ぶような声、一人ではない。
 次第に大きくなる声に、エルが介抱している男性が震えだした。
「戻ってくる! お、お願いだ、ここから俺達を、つ、連れて――」
 逃げる時間はない。
 既に人魚は小屋のすぐ側まで迫っているのだから。
「悪い予感が当たりそうだ」
 エル・クロークは微笑みを浮かべた顔に、苦笑を含ませた。

 数秒後、ドアの前に現れたのは、銀髪の美しい女性であった。下半身も魚ではない。人間の足だ。
 鋭い目をしている。
「あ、あの。私達、人魚の伝説を聞いて、こちらを訪ねてきたんです。そうしたら、倒れている人たちを見つけたもので……」
 チユが苦し紛れの言い訳をする。
「……人魚に何の用?」
 冷たい声で、女性が言った。
「少し血を分けていただけたらと思ってね。人を救うための研究に必要なんだ」
 エルの言葉に、女性は冷笑を浮かべた。
 そして、手を上げて、虎王丸を指差した。
「彼と交換で血を分けてあげてもいいわよ」
 女性は崩れたドアを軽々と剥がし、外に捨てる。後ろに2人、女性がいる。
 うち、一人は手枷をはめられていた。淡い金色の髪の少女だ。とても悲しげな目をしている。
「貴方達は……そうね、二度と来られないよう、足をいただこうかしら。人間の女性の足って便利ですものね」
 銀髪の女性が笑みを浮かべながら言った。

 人魚は、人の数倍の力を持っているという。
 その生命力は計り知れない。
 強大な魔力を秘めた人魚も存在するという。

 すべて、伝承に過ぎないが――。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3570 / エル・クローク / 無性 / 18歳 / 異界職】
【1070 / 虎王丸 / 男性 / 16歳 / 火炎剣士】
【3317 / チユ・オルセン / 女性 / 23歳 / 超常魔導師】

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■         ライター通信          ■
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ライターの川岸です。
人魚の企図(前編)にご参加いただきありがとうございますー。
なにやら怪しいシーンで終わっていますが、引き続き後編の方にもご参加いただければ幸いです。
後編のオープニング登録は来月上旬から中旬頃と思われます。
どうぞよろしくお願いいたします。