<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


王家の封印 〜 words without the sound 〜



 昔々あるところに、民からの信頼が厚い王家がありました。
 王様は思慮深く民思いで、お妃様は慈悲深く、お姫様は目を見張るほどに美しく、2人の王子様は剣の腕が一流でした。
 貧しい者には食べ物を与え、困っている人がいれば話を聞き、国の発展に努めていました。
 争いを好まない王様は他国との仲も良好で、王国は繁栄の一途を辿っておりました。
 しかし、その繁栄を快く思わない人がいました。
 隣国の王様は、栄え行く王国に嫉妬の念を抱いていました。
 争い好きで贅沢好き、民から絞れるだけ税をとる王様は信頼も低く、戦争のたびに負け、国の財政は貧窮していました。
 ある日隣国の王様は1人の魔術師を呼ぶと、王家を滅亡させる手はないかと尋ねました。
 魔術師は暫し考えた後で、ある魔術をかければ王家のみならず、王国も滅びましょうと言いました。
 その魔術はお妃様、お姫様、2人の王子様を東西南北それぞれの塔に封じ、城の真ん中にある広間に王様を封じると言うものでした。
 5つの封印の力で悪しき者が目覚め、王国は死者の国になりましょう。魔術師のその言葉に、隣国の王様はすぐにその魔術をかけるようにと命令しました。
 まずは四方の塔にお妃様、お姫様、2人の王子様を封じ、広間に王様を封じました。
 すると何処からともなく不気味な声が聞こえ、王国中の墓から死者が蘇りました。
 死者は生者を喰らい、仲間にし、ついに王国は滅びてしまいました。



 エスメラルダはどこまでも深く見える闇色の瞳を細めながら、後頭部で1つに結んだ長い茶色の髪を背に払った。人が疎らな黒山羊亭の中、喋り続けていた彼女はいささか疲れたのか、小さく溜息をつくと琥珀色の液体の入ったグラスを傾けた。
「噂では、お城は今や荒れ放題、骸骨と化した死者が闊歩し、人の生き血を吸う吸血虫が生息しているらしいわ」
 死者は倒しても倒しても蘇り、たとえ散り散りに破壊しようとも無駄なのだと言う。
 吸血虫は城のいたるところに卵を産み、生者の体温や音に反応して孵化し、ある一定の時間がたつと巨大な蛾になって生者を襲うのだと言う。
「吸血虫は孵化する前に卵を壊せば良いのだけれど‥‥結局、巣を壊さないと次から次へ産まれてしまうわ」
 エスメラルダの細く整った眉が顰められ、むき出しの腕に鳥肌が立つ。自分で言っていて、その光景を想像してしまったのだろう。
「死者を倒すためには、東西南北各塔にある封印球を壊して、最後に広間にある封印球を壊せば良いのだけれど、封印球は硬いし、封印球を守る者がいるの」
 北の塔には動きは遅いながらも力が強い1人の王子
 南の塔には力は弱いながらも動きの早い1人の姫
 東の塔には素早くそして力も強い1人の王子
 西の塔には素早く狡猾な1人の妃
 広間には王がいるが、4つの封印球を全て壊してここを訪れた者はまだおらず、力の程は不明
「封印球を守っている者は、封印球が壊れれば消えるわ。最後は広間の封印球を壊せば良いのだけれど‥‥」
 エスメラルダが困ったように言葉を濁し、薄く口紅をひいた唇を噛む。
「各塔に散っていた死者は広間に集まるでしょうし、王だって手強いはず。死者と吸血虫、王の攻撃をかわしながら封印球を壊すとなると、かなりキツイ戦いになると思うわ」
 上目遣いでこちらをチラリと見ては、手元のグラスに視線を落とす。再びチラリとこちらを見ては、潤んだ瞳を懇願するように細め、またグラスに落とす。
「‥‥とても危険が伴うけれど、その分報酬は良いわ。どうかしら、引き受けてもらえないかな?」



* * * words without the sound * * *



 窓から差し込む光が黒山羊亭の中に斜めに差し込み、誰かが動くたびに小さな埃が舞い上がり、キラキラと幻想的に輝く。夜にはお酒と踊り、歌に酔いしれるこの場所は現在、重苦しい沈黙に支配されていた。
 この場にいる者は皆、美味しい食事を求めて、または一時の仄かな酔いを求めて、あるいはほんの少しの予感を胸に、昨晩ベルファ通りにあるここ、黒山羊亭へと足を運んで来た。



 店内には低くクラシックがかかり、そこかしこで楽しげな、それでいて十分に押さえた声量の話し声が花開いていた。舞台の上に踊り子の姿はなく、本来そこで人々を魅了する踊りを舞っていなければならないはずのエスメラルダはカウンターの奥でボンヤリとした顔でカクテルを作っていた。
 深く思い詰めているような横顔は寂しげで、ケヴィン・フォレストは無表情のまま、彼女の前に腰を下ろした。
「あぁ、ケヴィン君‥‥‥」
 コクリ、頷く。
「何か依頼があるかと思ってきたのね?丁度依頼が入っているんだけれど‥‥‥その前に、何か食べない?」
 コクリ、ケヴィンが頷いた事を確認し、私が勝手に決めて良い?ときくエスメラルダに再び頷く。
 直ぐに用意できるからと言われ、ケヴィンは椅子に深く腰掛けた。
 エスメラルダが手早くコーヒーを出し、ケヴィンの前に置く。黒い液体はゆらりと波打っており、照明がかなり落とされたこの場所で見ると、全く別の飲み物のようにさえ見えた。
 店内にかかっているクラシックは物悲しく今にも壊れそうな旋律で、美しく儚気だ。
 一度どこかで―――多分、天使の広場で―――聞いた事があった気がしたが、なんと言う曲名なのかは知らなかった。
 目を閉じ、曲に集中する。微かな雑音を排除し、揺れる旋律のみに意識を集中させる。
 ―――なんて曲だっけ‥‥‥
「お待たせ。‥‥‥どうしたの?何か考え事?」
 エスメラルダの凛と耳障りの良い声に目を開ける。目の前には熱々のオムレツとハーブの入ったパンが置かれている。オムレツの上にはホワイトソースがたっぷりかけられており、彩りに緑色の葉っぱが乗せられている。
 コクリと頷きスプーンを手に取る。いただきます代わりにパチンと手を合わせ、オムレツを崩しにかかる。
 トロリと半熟の卵とホワイトソースが絡み合い、食欲を誘う良い香りが鼻腔をくすぐる。ケヴィンは熱々のそれを口の中に入れると、あまりの熱さに慌てた。ヒリヒリと痺れる舌の上で冷ましてから咀嚼する。
「どうかしら?」
 首を上下に動かす。美味しいと言う言葉代わりだが、エスメラルダには十分伝わっていた。
 するすると食道を通り、胃に落ちていくオムレツは、冷え切ったケヴィンの身体を中から温めてくれる。
 オムレツとパンに舌鼓を打っているうちに、いつの間にか店内にかかっている曲は明るいものに変り、ふと気づけば黒山羊亭の中は人が疎らになっていた。
「そう言えばさっき、何か考え事をしていたみたいだけれど‥‥‥どんな事を考えていたの?」
 答えに困る質問に、ケヴィンはただ視線を上に上げた。
 それだけで到底伝わるとは思えなかったが‥‥‥エスメラルダはポンと手を打つと、あぁと小さく呟いた。
「あの曲はね“高き南の空に住まいし麗しき姫のための鎮魂歌”って歌よ」
 ―――これは流石のケヴィンも驚いた。
 エスパーなみの才能がなければ分からなさそうなジェスチャーだったのだが‥‥‥
 既にオムライスは食べ終わり、ハーブ入りのパンをお皿に残ったソースにつけて食べる。
「確か、こんな歌だったわよね♪栄える王国 美しき姫 王は賢く 民を愛し」
 透き通ったエスメラルダの歌声が、優しく空気を揺るがす。
「♪妃は慈悲深く 王子は強い 栄える王国 今どこに」
 ――― やっぱこの曲、どこかで聞いた事があるな‥‥‥
 確かあれは、暖かい日だった。爽やかな風―――そう、風の匂いは甘かった。
 ‥‥‥と言うことは、春だろうか‥‥‥?
「♪姫を呪いし 憎き魔道師 美しき姫 その御心は 今どこに」
 エスメラルダの美しい歌声に、黒山羊亭にまだ残っていた数人のお客がこちらを振り向く。
「‥‥‥ねぇ、ケヴィン君。こんな話を聞いた事はないかしら?」
 唐突に歌う事をやめたエスメラルダは、ケヴィンの前に腰を下ろすと、長い昔話を語って聞かせた。スラスラと紡がれるそれは、彼女がその話を今日初めてしたものではないと言う事を如実に語っていた。
 ―――きっと、俺が来る前にもこうやって誰かに話してきかせたんだろうな‥‥。
「丁度入ってた依頼って、このことだったの。でもね、断ってくれても構わないの」
 話に聞くだけでも難しそうな依頼だ。無傷では帰って来れないだろう。
 エスメラルダが捨てられた子犬のような瞳でケヴィンを見上げ―――無表情ながらも彼の瞳に浮かんだ感情に、眉を顰める。
「受けてくれるのは嬉しいんだけれど‥‥‥とても危険な依頼よ」
 ―――ゆっくりと頷く。頷きながら、いまさらじゃないかと思う。エスメラルダの持ってくる依頼で、簡単なものはさほど多くない。
「‥‥‥一晩‥‥‥一晩よく考えて、やっぱり受けてくれるって言うのなら、明日の昼にここに来て?」
 コクンと頷いたケヴィンに、エスメラルダはふわりと柔らかく微笑みかけると、空になったカップに熱々のコーヒーを注いだ。
「今日のお代はいらないわ」
 突然の申し出に首を傾げ、眉を顰める。
「今日はね、気分が良いの。ケヴィン君の考えてる事をパーフェクトで当てて見せたみたいだし、ちょっと嬉しいの。だから‥‥嬉しさのおすそ分け」
 にっこりと華やかな笑みを浮かべるエスメラルダは、艶っぽい蛍光灯の光りに照らされて、思わず目を奪われるほどに美しかった。
 明るく弾むような曲がかかり、エスメラルダが小さな声で歌を歌い始める。
 それは、どこかの国のお姫様の美しさや無垢さを賛美したもので、細く神経質そうな旋律は今にも壊れてしまいそうだった。

 ―――そう‥‥‥繊細な美しさは、あっけなく崩れてしまう、壊れやすいモノ。
 繊細な美しさはまるで‥‥‥幸せのよう‥‥‥ほんの少しのコトで狂わされてしまう、壊れやすいモノ―――。

 ケヴィンはエスメラルダの歌声を聴きながら、悲しい王国の話に思いを馳せていた‥‥‥。



「お話を伺った限り、決して赦されることではありませんっ!一刻も早く封印から王国を解放して、その封印を施したという隣国の王と魔術師に裁きの鉄槌を行わなければっ!」
 メイの力強い声に、ケヴィンは顔を上げた。昨晩の記憶を回想していた彼の前に、いつの間に出されたのか温かなコーヒーが置かれていた。膝の上で握り締めたまま固まっていた手を解き、真っ白なカップの取っ手を掴んで口元へ運ぶ。
「第一、死者を玩ぶ所業も赦せることではありません。安楽の死を乱して、生者の営みを壊すなど、言語道断です!」
 雪のように白い肌が火照り、ピンク色に染まる。普段ならば伏せ目がちに控えめな輝きを発する紫銀の瞳は、今は力強い光を纏っている。怒りのためにか、肩が小刻みに震え、膝の上で握り締めた手には血管が浮かび上がっている。
「死者を還す事も我が使命のひとつ。ぜひ参加したいと思います」
 きっぱりと言い放った口調は、メイの決心の強さを如実に語っていた。
「炎帝白虎には自然の秩序を守る使命がある。俺も参加するぜ」
 不敵な笑顔でメイの次に名乗りを上げたのは虎王丸だ。健康的な小麦色の肌をした彼は、隣に座る大人しそうな少年―――蒼柳・凪の腕を肘で突付くと、お前もだよな?と言うように眉を跳ね上げた。
「俺には‥‥上の立場に立つ者が王国を滅ぼそうと考える事が理解できない。民なくして、王族の繁栄はありえないのだから」
「利口な王はそこに気づくだろうな。でもよ、この広い世界、民を顧みない王だっている。そんな暴君はいつだって自己中心的、目先の事しか考えられねぇんだよ」
 皮肉気な口調でそう言うと、リルド・ラーケンはともすれば冷たく見える青色の目を細めた。透き通った白い肌に整った顔立ち、美青年と言う部類に入れてもおかしくない容姿をしているリルドだったが、全身から発せられる鋭い雰囲気はそれを拒むかのようだった。
「確かに、そう言う王もいるわね。悲しいことだわ‥‥」
 エスメラルダがしみじみと呟き、琥珀色の液体の入ったグラスを傾ける。
「全員で1つ1つ塔を当たるよりも、2手に分かれた方が効率が良いと思うの。7人で動くとなると大変だし、4つも回っていたら夜になってしまうわ。塔からはお城に通じる通路もあるし‥‥どうかしら?」
「そうですね、それが良いと思います。細い通路などで戦闘になった時、危険ですし。そのことも踏まえて、皆様の能力や戦闘スタイルを知っておきたいと思うのですが、どうでしょう?お話に聞くだけでも難しい依頼ですし‥‥皆様との連携が上手くとれない限り成功の見込みはないと、あたしは思います」
「メイの言うとおりだな。俺は白焔を使おうと思ってる。アンデッドには有効だからな。戦闘スタイルは‥‥」
「単純馬鹿で猪突猛進、誰かがブレーキをかけないと危ない‥‥ってところか?」
「なーぎーっ!!」
 だって本当の事だろう?と、いたってクールな凪は、キャンキャンと隣で怒鳴る虎王丸を押し止めると、懐から赤茶色の文字が書かれた薄い紙を数枚取り出した。
「俺は呪符を使おうと思ってる。最初から銃を使って、遠距離攻撃が可能な事を相手に知らせたくはない」
「その呪符はどんな力があるんですか?」
「虎王丸の白焔を篭めようと思っている」
「篭めるってことは、今のその紙には何の力もないってことですよね?」
「あぁ、そう言う事になるな。虎王丸、頼む」
 分かったと呟き、虎王丸が右手を符に乗せる。ポワリと白銀の光が符を包み、符の中心に焔の記号が浮かぶ。幻想的な光は空気へと溶け、虎王丸は符を凪に差し出すとまだ何も篭められていない符を取り、再び先ほどと同じ手順で符に力を篭めた。
「それって、何か特別なことをしないと篭められねぇのか?」
 リルドの質問に、虎王丸が首を振る。手を乗せれば勝手に符が魔力に共鳴し、その力をコピーして封じ篭めるのではないかと、虎王丸は持論を語った。特に符に力を篭めたからといって、自身の能力が落ちる事もないのだと言う。
「なら、俺の能力も篭めてやるよ。使えるか使えねぇかは分かんねぇけどな」
 符が白銀の光に包まれ、雷の記号が浮かぶ。次に現れたのは水の記号で、次の符には風の記号が浮かんだ。どうやらリルドは幾つかの魔力を保持しているらしい。頼もしさに安心しつつ、凪はメイに向き直った。
「メイはどうなんだ?」
「あたしは、普段と同じスタイルで、大鎌で‥‥」
 メイの言葉が不意に鈍くなり、口篭る。何かを考えているらしい横顔に、誰もが彼女の答えを待つように口を閉ざす。
「もし‥‥使用許可が下りれば、ですけれども‥‥切り札を用意しておこうと思うんです」
 相手は多数の上に凶悪ですから、おそらく下りるとは思うのですが‥‥と言って悩むメイ。何か気になる事があるらしいが、気持ちを切り替えるように大きく深呼吸をすると、リルドに視線を向けた。
「俺はコレだな」
 脇に下げた剣の柄に触れ、他には清水をどこからか調達してきて使おうと思っていると付け加えた。
「ケヴィン様は‥‥」
 無言で傍らに置いた剣を指差すケヴィン。それだけで彼の言いたい事を察すると、メイが千獣に視線を向けた。
「‥‥‥手伝って、もらう、から‥‥‥」
 たどたどしい口調でそう言うと、千獣は自身の腕に巻かれた包帯を撫ぜた。呪符の織り込まれたそれは、彼女の白く美しい肌のほとんどを覆いつくしている。ルビーを思い出させる透き通った色をした赤い瞳は、どこか寂しそうでもあり、それでいて慈しむようでもあった。
 ミルカ以外の全員が自身の能力と戦闘スタイルを雄弁に、またはほんの少しだけ語り終わり、エスメラルダを含めた12の瞳が一斉に残りの1人に注がれる。ちなみに7人いるのに12の瞳とあるのは、リルドは右目を眼帯で覆っているため、千獣は長い艶やかな黒髪と包帯によって左目がほとんど隠れてしまっているためだ。
「あたしって‥‥あなた達からはどうゆう風に見えている?」
 無言の質問を質問で打ち返すミルカだったが、特に答えを欲して言っているわけではなさそうだ。
「どこからどう見たって、細くてか弱いヲトメだわ」
 予想外の返しに、流石のケヴィンもポカンと間の抜けた顔をしてしまう。
 キッ!と、鋭いミルカの視線が、同じようにポカンとした顔をしている数名を睨みつけたような気がしたが、それは一瞬の事で、脳が勝手に作り上げた映像だったかもしれない。
 そもそも、6人の姉妹がいる彼は女に幻想を抱いていない。どんなに可愛くても跳び蹴りをする女の子がいたり、上品でおっとりとした美女が剣を片手に悪党を笑顔で追い回していたりすることを、ケヴィンはよく知っていた。
 美少女で天然で妹属性で守られ系で、上目遣いが得意で‥‥‥そんな女の子の心の中を覗きたいとは断じて思わない。むしろ、見た目どおりの中身だったとしたならば―――結構怖いと、ケヴィンは思っている。
「戦いって柄じゃないし、自分でも“この依頼は向いてないなあ”って思うの。行くのは危ないんじゃないかしら、って」
 寂しそうに伏せられた瞳。
 ―――きっと、心配してくれる人がいるんだろうな‥‥‥
 緩く三つ編に結ばれた白銀色の髪、透き通るような色白の肌に、大きく潤む金色の瞳。ミルカは、どこからどう見ても可愛らしい女の子だった。身に纏った淡いピンク色のドレスも、彼女に良く似合っている。
「‥‥そのお話を聞いた時ね、なんとも言えない気分になったの。幸せだったのに、それが壊されて‥‥悲しかったんじゃないか、って、そんな風に思えて‥‥」
 もし自分の上にそんな不幸が降りかかったならば―――?
 幸せが壊され、自分の意思すらも砕かれ、なす術も無く守人として、悪しき封印球を守らねばならない。
 ―――耐えられないだろうな‥‥‥
 購うことも許されなくて、抜け出ることは不可能で、ただ己の無力さだけを突きつけられる日々。
 考えただけでも心がざわつく。ギュっと唇を噛み、目を閉じると強く拳を握る。
 まだ見ぬ王家の人々も、今まさにこんな思いをしているのだろうか?‥‥‥今だけじゃなく、ずっとずっと‥‥‥王国が滅亡したその日から、気の遠くなるような歳月をこんな気持ちのまま過ごしたのだろうか?
「あたしの歌で、少しでも彼らの心を慰められたらいい。そう思ったの」
 彼らの痛みを、苦しみを、代わってあげることは出来ない。けれど、心を解り、慰めることなら出来るのではないか。
 自分に今出来る、精一杯のことは何だろうか?―――それは、王国の呪いを解くこと。この剣で、この力で―――
「だから、出来たらでいいの。足手纏いになっちゃうかもしれないけれど‥‥あたしも一緒に、連れて行って」
 ミルカが瞳を潤ませる。今にも泣きそうな顔が、すぐに引き締まる。感情を押し殺しているのだろう、唇を強く噛んでいるのが見ていて痛々しかった。
「‥‥ミルカ様は、戦闘になった場合、どんな事が出来ますか?」
 優しく労わるようなメイの声に、視線をそちらに向ける。青銀色の長い髪を白いリボンで緩く結んだ戦天使見習いは、慈悲深い瞳を細めると、胸の前で両手を組み合わせた。
「戦うだけが全てではありません」
「その心意気があれば、力強い味方になるしな」
 視線を逸らしながらポツリと呟いたリルドが、頬を掻くと俯く。照れているらしい横顔は、思わず言ってしまった本心を後悔しているようでもあった。
「あたしに出来ることは‥‥歌を歌うこと。聴く人の身体能力を向上させたり、強化したり、治癒効果も期待できるかしらあ。でも、直接的な攻撃はできないわ」
「何だよ、そんだけ出来れば十分じゃねぇか。な、凪?」
「あぁ。ぜひ一緒に来て欲しい。ミルカの力は、必要だ」
「‥‥‥私、も‥‥‥そう、思う‥‥‥。ミルカ‥‥‥足、手、纏い、なんか、じゃ、ない‥‥‥」
「ありがとう‥‥みんな‥‥」
 ふわりと可愛らしい笑顔を浮かべて胸の前で手を組んだミルカの顔が、一瞬にして変化する。金色の瞳は強さをたたえ、キュっと引き結ばれた口は意志の強さをあらわしている。
 ―――ほら、やっぱり外見と中身が一緒なんて事はない‥‥‥
 心の中でそう呟き、ふっと微笑む。そうは言いつつ、ケヴィンはミルカのような女の子は嫌いではなかった。
「分け方はどうする?」
「俺とミルカは分かれた方が良い。俺も一応、治癒が出来るから」
「じゃぁ、凪とミルカは別々にするとして‥‥」
「俺と凪、一緒じゃダメか?ちょっと考えがあるんだ」
「別に良いんじゃねぇか?ってことは、凪と虎王丸が一緒で‥‥」
「‥‥私、が‥‥‥一緒、に、行く‥‥」
「3人と4人で分けなくちゃなんねーけど、どうする?」
「俺と凪と千獣で、後は4人で良いんじゃねぇのか?」
「3人で良いのか?」
 リルドの確認に、虎王丸と凪が頷く。1歩遅れて頷いた千獣は、悩んでいたと言うよりはただ単に反応が遅れただけだろう。
「あたしもそれで良いと思います。こちらは、リルド様、ケヴィン様、あたしと攻撃型ですし、ミルカ様が危なくなった時でも、3人もいれば安心です」
 危なくなったら必ず守りますからねと、メイが力強く言ってミルカの手を握る。本来ならば人見知りをする恥ずかしがりやさんのメイだったが、使命に燃えている熱血メイちゃんはそんな呑気な事は言ってられない。物怖じせずに手だって握るし、顔だって近づけてしまう。
「んじゃぁ、パーティも決まった事で‥‥いったんバラけて最終準備を整えようぜ。昨日のうちに準備はしてあるけど、苦戦する事は目に見えてる。念には念を入れてってな」
「虎王丸にしては賢明な意見だ‥‥」」
 凪が少々驚いたような顔で呟くが、虎王丸は自らの精神衛生上のため、ここで不毛な言い争いに発展して仲間から冷たい目で見られないため、ぐっと堪えた。大人な反応だと自画自賛するが、凪は嫌がらせであの表情をしたわけではなく、純粋な反応としてあの表情になってしまったのだ。不可抗力としか言いようがない。
「‥‥‥準備、ない‥‥‥どう、すれば、いい‥‥‥?」
「それなら、ココに行って足を用意してきてくれないかしら。歩いて行くには遠い場所だから」
 エスメラルダがカウンターに行き、メモ帳を持ってくると簡単に地図を書く。さらさらと簡略化された道は分かりやすく、千獣は「‥‥わかった‥‥」と呟きコクリと頷くとメモを握り締めた。
「そうだわ、皆も一旦ここに来てもらうより、向こうに行った方が早いわね」
 千獣に渡した物と同じ地図を描くと、エスメラルダはその場にいる全員に手渡した。黒山羊亭からは少々離れた目的には“喫茶店・ティクルア”と書かれてあった。
「‥‥ティクルアに行くのか!?」
「あら、虎王丸君、知ってるの?」
「知ってるも何も‥‥なぁ、凪?」
「以前お世話になった事があって‥‥」
「千獣、リタに弁当作ってもらうように言ってくれ!美味いんだぜ、リタの料理!」
「虎王丸!」
 凪がキっと睨みつけるが、虎王丸は視線を逸らしてその攻撃をかわす。
「‥‥‥わかった‥‥‥リタ、お弁当‥‥‥作って、もらう‥‥‥」
「千獣ちゃん、リタちゃんに会ったら“竜樹の鳥を貸して下さい”って言うのよ“エスメラルダの知り合いの者です”ってちゃんと付け加えてね」
 コクリ、千獣が頷き、ブツブツと口の中で復唱する。
「それでは1時間後、喫茶店ティクルアで会いましょう」
「気をつけて‥‥」
 メイが爽やかに言い、7人はエスメラルダの心配そうな、それでいて祈るような瞳に見送られながら黒山羊亭を後にしたのだった。



* * *



 高く透き通った空には雲一つなく、柔らかな陽光が冷たい風を温めている。
 ケヴィンは天使の広場を通り、そこで何時も美しい歌声を響かせているカレン・ヴイオルドを一瞥するとそのままエルザード王立魔法学院の方へと抜けた。大きな門は閉ざされており、中からはヴィジョン使いの卵たちの賑やかな声が漏れ聞こえてきている。
 暫くその前で足を止めた後で、更に先へと進もうとした時、不意に視線の先に見知った姿を見つけた。
 金色の髪をなびかせながら、ふらふらと上空を見つめ、彷徨っている1人の女性―――エルファリア王女の姿に、ポカンと口を開けて立ち尽くしてしまう。
 どうして王女が護衛も何もつけずにこんな所をふらふらしているのか。それ以前に、彼女は何をそんなに熱心に見ているのか。
 上空を見上げれば、白い鳥が1羽飛んでいるのが見える。
「あら?貴方は‥‥‥」
 エルファリアがケヴィンに気づき、おっとりとした笑顔を浮かべると近付いてきた。
「貴方もあの子に誘われてここまで?」
 フルフルと力強く首を振る。そんなまったりとした時間を過ごしている余裕はない。
「ああ、そうですわ‥‥‥貴方、ペティを見かけませんでした?」
 首を振る。今までの道中で、メイドのペティを見かけてはいない。
「そうですか‥‥‥困りましたわ‥‥‥。あっちにいるのかしら‥‥‥」
 ふらり、頼りない足取りで先へと進んでいくエルファリア。まさか彼女を1人で行かせるわけにはいかず、ケヴィンもその後に続く。
 ふらふらと歩き、エルザードから離れた先、小高い丘の上に見知った後姿を見つけると足を止めた。
 青銀色の髪を風に靡かせながら必死に祈りを捧げているメイ。声をかけることが躊躇われるほどに真剣な後姿だったが、エルファリアは臆することなく近付いた。
「こう天気が良いと、お祈りをしたくなってしまいますわよね」
 唐突にかけられた声に、メイが驚いて顔を上げる。
「エ‥‥‥エルファリア様にケヴィン様‥‥!?」
「こんにちわ」
 にっこりと微笑んだエルファリアは、ゆっくりとした動作でメイの隣に膝をつくと、胸の前で手を組み合わせた。
 メイがハテナだらけの必死の視線をこちらによこしてくるが、ケヴィンだっていまいち状況を理解していない。
 肩を竦めただけの態度にメイの顔色が曇る。おそらく、説明するのが面倒臭いのだろうと誤解をしたのだろう。
 ‥‥‥ケヴィンはあえて誤解されたままにしておく事にした。
「お城の中にいると、外の空気が恋しくなるじゃないですか?」
 いつの間にか祈り終わったらしいエルファリアが、柔らかく微笑みながらメイを見つめる。
「ペティに無理を言って連れ出してもらったんです。今日は、天気も良いですし」
「はぁ‥‥‥」
 それで、その彼女は何処に行ってしまったのだろうか?辺りを見渡してみても、彼女の姿はどこにもいない。
「雲がとても白くて綺麗で、風に流されるまま追っていたら‥‥‥フォレストさんに会ったんです」
 いつの間に名前を知ったのか、エルファリアは最初から彼の名前を知っているような口調でそう言うと、金色の髪を背に払った。
「ペティ様はどこに行ってしまわれたんですか!?」
「‥‥‥さぁ‥‥‥?気がついたときには消えていまして、驚きました‥‥‥」
 にっこり、邪気のない笑顔で呟くエルファリアに頭痛がする。
 一国の王女とあろうものが、こんなのほほんな性格で良いのだろうか、天然で良いのだろうか‥‥‥?
「ケヴィン様‥‥‥どうしましょう‥‥‥」
 どうしましょうと聞かれても、答えは既に決まっている。王女をこのままここに残して行ってしまえば、彼女の心を奪う綺麗な雲が突如として出現し、どこかへと誘ってしまうかも知れない。
 今からお城まで行ってティクルアに向かって―――時間はあるだろうか‥‥‥?
「それにしても、ペティはどこに行ってしまったんでしょう‥‥‥心配ですわね‥‥‥」
 とことんズレまくっている王女様を前に、ケヴィンは天を仰ぐと小さく溜息をつき、ふっと口元に笑みを浮かべた。
 こういう性格の王女様も、悪くはない‥‥‥
「お城に戻られているかもしれませんし‥‥‥行ってみませんか?」
「そうですわね、もしかしたら無事にお城に帰りついているかもしれませんし‥‥‥」
 “無事に”と言う単語に思わず吹き出しそうになるが、グッと堪える。
 きっと心配しているのはペティの方だ―――
 メイとエルファリアが立ち上がるのを待ち、ケヴィンは歩き始めた。
 ―――ちなみに、右往左往していたペティから事情を聞いてエルファリアを一緒に探していた凪と虎王丸と出会うのは、これからほんの少し後のことだった―――


* * *



 まるで御伽噺の中から抜け出してきたような丸太小屋の喫茶店・ティクルアで落ち合うと、一行は竜樹の鳥と呼ばれる巨大な鳥の背中に乗り、呪われた王国目指して空に飛び立った。
 空の旅は意外と快適で、寒いと思ったのは最初の浮遊時のみで、それからは太陽に熱せられた風が優しかった。
「うーん、美味い!さすがリタだ!」
「‥‥‥リタ‥‥‥すごいスピードで、作ってた‥‥‥」
 むしゃむしゃとお弁当を食べる虎王丸と、あまり表情は変らないながらも何か見てはならない物を見てしまったような、遠い目をしながらサンドイッチを口に運ぶ千獣。
「皆も食べたらどうだ?腹が減ってちゃ力も出ねぇだろ?」
「‥‥そうだな、せっかく沢山あるんだし、食うか」
 虎王丸の脇に積み重なっていたお弁当を取り、リルドは箸を割った。ミルカとメイが千獣からサンドイッチのお弁当を受け取り、食べ始める。
 ケヴィンも勝手にお弁当を取ると、口に運んだ。
 しっかりと味のついた煮物に、キノコが沢山入った混ぜご飯。だし撒き卵はふわりと甘く、から揚げは柔らかい。
「美味いですよね」
 隣に座っていた凪が控えめに声をかけ、コクリと頷く。
「うん‥‥すごい、美味、しい‥‥‥」
 千獣が幸せそうな顔でもしゃもしゃとサンドイッチを咀嚼する。
「しっかし、デカイ鳥だよなぁ。これ、いつもは何処にいるんだ?」
 リルドの素朴な疑問に、凪と虎王丸が顔を見合わせて首を振る。こんな大きな鳥がそこらを飛んでいれば、モンスターだと思われて攻撃されそうなものだが‥‥。眼下に見える地上には、民家らしき物は見えず、延々草地と森が続いている。
 暫くその緑色の絨毯を眺めていると、不意にメイが立ち上がった。
「死臭がします‥‥‥近いですよ!」
 相変わらず温かな風の中に、メイの言う死臭が感じられたのはそれから直ぐの事だった。
 ねっとりと絡みつくような空気は悪意を含んでおり、激しい負の感情に寒気が走る。
 近くに座っていたミルカが純白の竪琴を胸に強く抱き、靡く髪には構わずに立ち上がる。座っている時にはあまり感じられなかった風圧が顔を直撃し、思わずよろける。倒れこみそうになるミルカの腕をケヴィンが掴み、ミルカは体勢を立て直すと笑顔でお礼を言った。
 フルフルと首を振ったケヴィンに、ミルカが笑顔を返す。きっと彼の心のうちを理解してくれたのだろう。
 ケヴィンはゆっくりと立ち上がると、風圧に負けないように足に力を入れた。
 立ち上がった事によって空が近付いたように感じるが、魅力的な青に手を浸すことは出来ない。思わず手を伸ばしそうになるが、伸ばせば強い風圧を受けるだろう。ケヴィンは深く息を吸い込むと、皆が眺めている方角へ視線を滑らせた。
 白亜の城は未だにその威厳を失っておらず、四方に伸びる塔も美しさは少しも損なっていない。事前知識もなく、負の雰囲気に鈍感な者が見たならば、呪われた城などとは夢にも思わないであろう。
「意外と綺麗だな‥‥‥」
「えぇ。でも、城下町を見てください」
 城門を隔てた外、城下町には無数の家々が軒を並べているが、倒壊している物がちらほら見える。東側の地域では大規模な火事でもあったのか、一角全てが黒い炭となり崩れかけている。炭とならずに済んだものも、壁が黒く煤けており、見るからに痛々しい。
 竜樹の鳥が呪われた王国の上を旋回しながら徐々に高度を下げて行く。
「やっぱ、アンデッドがかなりいやがるな‥‥」
 虎王丸が舌打ちをし、腰に下げた刀に手をかける。
 城門の中にも城下町にも、白い骸骨がノロノロと歩いているのが見える。ボロボロの、かつては服であったものを引きずりながら歩く死者達は、数ブロック歩いては戻り、また踵を返しては歩きを繰り返している。
 竜樹の鳥がさらに高度を下げ、塔の先端すれすれの所を旋回する。城下町を歩く死者の手に思い思いの武器が握られているのが見て取れる。それはナイフであったり鍬であったり、おそらくはその人が生きていた頃に使用していた物なのだろう。
「この鳥じゃぁ、城の前に下りることは出来ねぇ。草原に下りて城下町を突っ切るか、もしくは城の上に来たときに飛び降りるか‥‥」
「あたしはどちらでも大丈夫ですが‥‥城下町を突っ切る方が良いと思います」
「そうだな、一歩間違えれば飛び乗り損ねて地上まで一直線になるかも知れねぇし‥‥‥。んじゃぁ、そう言うことで草原に下りてくれ」
 リルドの言葉に答えるように、竜樹の鳥が一声鳴いて城下町の上空を通り過ぎ、王国をグルリと囲む塀の外、広大な草原の上に着地する。
「この鳥が人の言葉分かって助かるよな」
「そうですね。とても知能が高いんでしょうね‥‥」
 メイが虎王丸に賛同し、そっと背中を撫ぜる。
 膝を折り、低姿勢になって降りやすいように配慮してくれる竜樹の鳥だったが、それでもまだ高い。メイが純白の羽根を広げ、ふわりと着地する。
 リルドが飛び降り、虎王丸と凪もそれに続く。ケヴィンは足元を良く確かめた後で、竜樹の背中から飛び降りた。
 ―――そう言えば、ミルカはどうやって下りるんだ‥‥‥?
 ふと心配になって見上げた先、千獣がミルカを抱き上げた。華奢な細い腕はいつの間にか硬い毛で覆われており、青紫のマントからは夜色の蝙蝠のような羽が伸びている。
 トンと軽く跳躍し、バサリと羽を羽ばたかせる。空中浮遊は直ぐに終わり、ミルカが地面に足をつけると千獣に丁寧にお礼を言う。その時には既に羽はなくなり、左手は元の華奢な腕に戻っていた。
「大きな門ですが‥‥これ、開くんでしょうか‥‥」
 メイの言葉を聞きながら、ケヴィンは竜樹の鳥の頭をそっと撫ぜた。
 言葉ではない何かを感じ取った竜樹の鳥が立ち上がり、羽を広げると上下に動かす。風と立ち上る砂埃に目を閉じた時、甲高い鳴き声とともに竜樹の鳥が空へと舞い上がった。
「つーか、帰りはどうするんだ?」
「虎王丸、帰りの心配は封印球を壊してからするんだな」
「んだよ凪。まさか、帰れないかもなんて暗いこと考えてんじゃねぇだろーな」
「‥‥そうならないように力を振り絞るだけ、だな」
 虎王丸と凪のそんな会話を背後に、メイが門に手を触れる。巨大な鉄製の門は彼女の小さな手が触れるか触れないかの内に、微かに軋みながら内側へと開いて行った。
 誘われてる―――ケヴィンはそう感じた。
 ―――この誘いは幸福へと続いているのか、それとも‥‥‥‥
「上空から見た限りでは、大通りを直進するのが最短です。でも‥‥‥」
「死者が沢山いる、ってか。ンなん気にしてたらいつになったって辿り着けやしねぇ。この人数だ、細道の方が危ねぇと思うぜ?」
「リルドの言うとおりだ。突っ切ろうぜ!」
「先陣は俺と虎王丸が斬る」
 虎王丸に視線を向ければ、軽く頷いて刀を構えている。リルドも剣に手をかけ、鞘から一気に引き抜くと構えた。
「あたしと凪様でミルカ様を左右から守りましょう」
「あぁ、分かった」
「千獣様とケヴィン様は、後方をお願い出来ますか?」
「‥‥わかった‥‥‥」
 了解の意味を込めて頷く。
 メイが胸元のペンダントを外し、両手で包み込む。淡い光を放ちながらペンダントが巨大化し、両手持ちの大鎌・イノセントグレイスへと変る。ケヴィンも剣を抜き、心の内に微かな闘志をみなぎらせる。
 千獣の眼光が鋭くなり、凪がミルカに右手を差し出す。右手に持っていたはずの銃は腰元に下げられているのが見える。
「はぐれたら大変だろ?」
「もうっ!一本道なんだからはぐれないわよう」
 ぷぅっと頬を膨らませながらも、ミルカが凪の手を取る。
 ―――凪が一緒なら、安心か‥‥‥
 頼んだぞと、目で合図を出す。凪が硬い表情でコクリと頷き、メイが大きく頷くのが見える。
「‥‥‥行くぞ!」
 虎王丸が静かながらも力強い声で言い、門を潜り抜ける。リルドがそれに続き、凪とメイに両側を守られながらミルカが走る。
 左右に並ぶ建物は、何かのお店屋さんが多いようだが、下がっている木の看板はほとんどが朽ちかけており、文字は判別不能だ。
 壊れた扉から覗く店内は荒れており、床には大穴が開き、陳列棚と思わしき所はボロボロに崩れ落ちている。
 足元はサラサラの砂で、走るたびに細かい砂埃が舞い上がる。
 上を向けば高い空が見えるが、この王国の上空にだけは薄く暗い雲が広がっている。
「来やがったぜ!」
「無理に全員を倒すことはありません!」
 前方からは5体の死者が重なるようにして走って来ている。ボロボロのスカートを穿いた死者は大きな包丁を持っており、その右側にいる少し大きめの死者は硬そうな棒を持っている。他の3体は身体に全く合っていない錆びた鎧を着ており、ガチャガチャと耳障りな音を響かせながら剣を構えている。
「虎王丸、無茶しすぎるなよ」
「わかってるって!」
 虎王丸が地を蹴り、剣を持った死者に斬りかかる。間一髪のところで攻撃は防がれ、後方に押し返される。
「〜♪良いね、この空気。完全にヤりにきてやがる」
 リルドが嬉しそうにそう言い、ニヤリと不敵な笑みを浮かべると一気に間合いを詰める。迫り来る包丁をギリギリで避け、足を払う。後方から伸びてきた刃を剣で弾き飛ばし、よろめいた死者の首をはねる。兜を被った頭がグラリと揺れ、後方に転がって行く。
 ―――流石はリルドに虎王丸、どちらも強い‥‥‥
 リルドが首のない死者を蹴り飛ばすと走り出す。
 地面に這い蹲って棒を握り締める骸骨は虎王丸によって足を斬られ、立とうとしては倒れこむを繰り返している。地に突っ伏したままだった包丁を持った死者の頭をメイの大鎌が砕く。
「どうやら頭に深手を負うと動きが止まるみたいだな」
 凪が冷静に分析し、虎王丸が手を斬った死者の頭を銃のグリップで殴る。グラリと地に突っ伏した死者は、後ろから走って来た千獣の鋭い爪によって頭を砕かれ、更には身体を二つに裂かれた。
 千獣はそれほど悲惨な状況にしようとは思っていなかったのだが、走って来た際のスピードと長い爪により、勢い余ってそうなってしまったのだ。だからと言って、美しく戦おうなどと言う気は毛頭ないため、死者はそのまま捨て置かれた。
 7人は砂埃を上げながら大通りを疾走した。細道にいた死者が顔を上げ、こちらに向かって来るのが見える。
 背後から追って来るのは分かっていたが、いちいち立ち止まって相手をしていてはキリがない。この城下町に巣食う死者全てを相手にしていたら、塔に行き着く前に倒れてしまうだろう。
 大通りの中央、天使の広場を髣髴とさせる噴水が置かれている広間を過ぎる。とっくの昔に水は枯れ、瓶を持った天使の像は所々ひび割れており、風雨にさらされた頬には涙の跡と見紛うばかりの黒い筋がついている。雨と埃が混じって出来たものだろうが、もしかしたら王国の末路を嘆いて天使像が流した本物の涙かもしれない。きっとこの天使像は、栄えていた時代の王国を静かに見守っていたのだろうから‥‥。
 前方から死者の軍団がこちらに向かって来るのが見える。リルドと虎王丸が一気に間合いを詰めようと駆け出し―――ふっと立ち止まると上空を仰ぎ見た。何に反応して立ち止まったのだろうかと足元を見れば、細い木の枝のようなものがリルドの足元に突き刺さっている。
 ―――あれは‥‥‥弓‥‥‥?
 咄嗟に上空を仰ぎ見る。木造2階建てのお洒落な家の窓から、弓で狙いをつけている死者が見える。その矛先はミルカに定められている。
「危ねぇっ!!」
 虎王丸の怒声が響く。後ろを振り返った彼の背に死者が斬りかかろうとするが、何とかそれを避けると刀で弾き飛ばす。
 ミルカが顔を上げ、宙に視線を向けようとした瞬間、千獣が彼女を背後から抱きかかえるとふわりと宙に浮かび上がった。
 風がミルカの淡い桜色のスカートを靡かせる。レースが波のように揺れ、華奢な足に纏わりつく。茶色いブーツの直ぐ下を、何かが凄まじい勢いで空を切り裂きながら地面に突き刺さった。
 ―――危なかった‥‥‥
 あともう少し千獣の判断が遅れたら、ミルカの華奢な脚に矢が突き刺さっていたかも知れない。
 ほっと安堵したのも束の間、死者が虎王丸とリルドに狙いをつけて弦を絞っているのが見える。千獣が弓が放たれる前に倒そうと羽を羽ばたかせるが、間に合わないかもしれないと感じたケヴィンは背に括りつけておいた弓を掴むと矢を射った。
 矢が死者の額に突き刺さり、グラリとその身体が後方に倒れる。
 ケヴィンは倒した事を確認すると、後方から迫ってきた死者を肘鉄で振り払った。鞘に収めていた剣を抜き、大振りで横に払う。一気に数体が地面に倒れこみ、彼らを踏みにじりながら死者が迫って来る。
 前方からも後方からも、死者が道を塞いでいる。虎王丸とリルドが刀と剣で行く手を阻む者を蹴散らし、2人が討ちもらした者をメイと凪が大鎌と銃で止めを刺して行く。後方から迫る死者はケヴィンが倒し―――数の多さに圧倒され、後退る。ケヴィンの劣勢を見て取った凪が援護するが、そちらに気を取られているうちにメイの方が手一杯になる。
 相手の剣を弾き飛ばし、よろめいた身体を大鎌で押し飛ばす。右手方向から振り下ろされた包丁を避け、大鎌を大きく一振りする。次から次へと襲い掛かる死者の攻撃に、1歩後退る。
 虎王丸と凪の背中が合わさる。それほどまでに、間合いが詰められているのだ。ケヴィンが討ち損ねた死者がメイに襲い掛かり、間一髪のところでリルドが剣を延ばし、首をはねる。背後に気を取られたリルドの背を守るべく虎王丸が刀を大振りに払い、隙の大きい振りをカバーするように凪が正確な射撃で敵を倒す。
 ―――このままじゃ‥‥‥‥
 数の多さで圧倒され、劣勢に立たされたケヴィンの額に冷や汗が浮かんだ時、上空から温かく優しい旋律が降り注いできた。
「♪When vous andare a letto a quiet se coucher, Ich sing this chanson」
 心に染み入るような柔らかい音色は、歌姫の歌声を優しく包み込み、戦いの上に甘いヴェールをかける。
 何を言っているのか分からないながらも、ケヴィンは直感的に子守唄だと感じた。お母さんが子供を寝かしつける時に耳元でそっと囁く、そんな温かな光景さえ瞼の裏に描いた。
「♪I pregare so that sind have a bonheur traum」
 高く澄んだ声は王国の上空にかかる雲すらも圧倒するほどの美しさで―――
「♪Please have a bonne sogno」
 ♪貴方が安らかに眠れるよう、私はこの歌を歌います
 ♪貴方が幸せな夢を見られるように、私は祈ります
 ♪楽しい夢を見てください
 ♪貴方が明日も笑顔でいられるよう、私は歌います
「♪Je sing so that lei can lachen demain」
 死者の動きが鈍くなる。ふらふらと視線が宙を彷徨い、何処かへと歩き出す者もいる。ある者は武器を捨て、空へ手を伸ばし、何かを掴もうと必死になって掌を開いたり閉じたりしている。
 ミルカの足が地面につき、待っていた凪が手を引っ張る。千獣が羽をたたみ、ケヴィンと併走するように走り出す。
「これ、持ってどのくらいだ!?」
 幻影に惑わされた死者を掻き分けながら、リルドが鋭い声を飛ばす。
「それほど持たないわ!」
 歌い続けていれば効果は続くが、歌を止めればどれほど続くのかは分からないと急いで付け足される。
 ミルカの歌と言う魔法をかけられた空気は、徐々に徐々に風によって吹き流され、かき消されている。
「この状態で戻られたら洒落になんねーぜ!」
 虎王丸が刀で前方にいた死者2体を弾き飛ばす。幻が消え始めたのか、死者が不思議そうに両手を見つめて首を傾げている。
 あともう少し―――
 死者の海を抜けた先、巨大な木の門がぴったりと閉じられている。威圧感のある門が頑なに口を閉ざしている様を見て、ケヴィンの脳裏に一瞬嫌な予感が走る。もし、この門が開かなかったなら‥‥‥?
 しかしそんな心配は杞憂だった。いち早く門にたどり着いた虎王丸が扉に手をかけた瞬間、ゆっくりと内側に開いた。軋みもなくスムーズに開く扉は、未だに油を差し、使用されているかのようだった。
「走れっ!!」
 扉の内側に虎王丸とリルドが身体を滑り込ませる。既に死者は我に返り、逃げた侵入者を追って来ている。
 凪が手を離し、ミルカだけを中に入れる。それに続いてメイが入り、ケヴィンの服の裾を掴んでいる死者を千獣の爪が切り裂く。
 2丁の銃が火を噴き、千獣に襲い掛かろうとしていた死者を撃ち抜く。千獣が先に中に入り、ケヴィンが剣を大きく振り、迫っていた数体を斬ると凪とともに門の中に身体を滑り込ませた。
 リルドとメイ、虎王丸とミルカが力いっぱい扉を押し、迫り来る死者のパワーに四苦八苦する。千獣と凪も手伝い、あと数センチで閉まるというところで死者の手が突き出した。ケヴィンが腰にささっていた小振りのナイフを取り出し、手を落とす。渾身の力を振り絞って扉を閉め、千獣が足元に落ちていた木の板を掴むと扉の中央に差し込んだ。
 幅の広い板は鍵の役割を果たし、向こう側から死者が叩こうとも揺れるだけで開く気配はない。
「ふー、危ないところだったな」
「あぁ、でも、この門もどれだけ持つか分からない」
 ガクガクと揺れる扉は不気味だった。この向こうには、何十・何百と言う死者が集まり、叩いているのだ。
「とっとと封印球をぶっ壊して帰ろうぜ」
「あぁ、そうだな。帰りはティクルアにでも寄って、美味い飯を食おうぜ」
 リルドと虎王丸が拳をぶつける。
「凪様、千獣様、虎王丸様、どうかお気をつけて‥‥‥」
「‥‥‥メイ、たち、も‥‥‥きを、つけ、て‥‥‥」。
「そうだわ、忘れるところだったわあ‥‥凪君、はいこれ」
 ミルカがポシェットの中からリブセンの葉と増血剤、サンフロウの花と治療薬、そして包帯とテープを幾つか手渡す。
「有難う。‥‥‥広間で会おう」
 手を振って去って行く3人の後姿を暫し見つめ、ケヴィン達は南の塔へと走った。


* * *



 グルグルと回る螺旋階段を上りながら、ケヴィンは前を進むリルドの背中を見つめていた。時折彼が吸血虫の卵を見つけて立ち止まるために、注意していないとぶつかってしまうのだ。
 足元は埃が厚く積もった赤絨毯で、元は綺麗だったであろう壁紙は所々剥がれ落ちている。左右についた木の手すりも艶がなくなり、体重をかければあっけなく崩れてしまいそうなほどに痛んでいる。
「またありやがった‥‥」
 溜息交じりでリルドが剣を階段に突き刺す。黄みを帯びた卵から、緑色の液体が流れ落ちる。ドロリとした液体と一緒に、透明なゼリー状のものが引きずり出される。最初、ケヴィンはそれが何なのか分からなかった。しかし幾つか見ていくうちに、それが吸血虫の幼虫である事に気づき、背筋が凍った。
「まだ孵化した幼虫はいないようですが‥‥」
「だんだん大きくなってきてる気がするな」
 最初の卵からは、小指の爪ほどの幼虫が現れた。次の卵は小指の爪先から第2間接くらいの大きさの幼虫、次は小指くらいの幼虫、次は―――と、徐々に大きくなり、今しがた壊した卵からは、ミルカの掌ほどの大きさの幼虫が出てきた。
「この幼虫、どこまで大きくなるのかしらあ‥‥?」
「考えただけでも鳥肌が立ちますね」
 生々しく想像してしまい、思わず顔を顰める。隣を見れば、メイが腕をさすっていた。
「しっかし、この階段はいつまで続くんだ?」
 剣を振り、刃についた液体を落とすと鞘に収める。
「もう少しで着くんじゃないでしょうか。大分上って来ましたし‥‥」
「こんなんなら、城から上がった方が良かったかもな。こんな狭いところでヤツラに囲まれたら最悪だぜ?」
「今のところ気配は感じられないのでいないとは思いますが‥‥」
「‥‥たとえお城の玄関のところに行っても開かなかったんじゃないかなあって、あたしは思うんだけど‥‥」
「どう言う事だ?」
 こんな所で立ち止まっていてはいつになっても着かないと、耳だけはミルカの方へ集中させ、リルドが歩き出す。
「この王国自体に魔法がかけられているんだと思うのよう。扉だって、少し触れただけで自然とあいたでしょう?」
「それは一理あるかも知れませんね。だとすると、この呪いをかけたのは相当な力の持ち主―――」
 封印球も容易くは壊れないだろうと呟く。
 これほど強大な力を持つ魔術師とは、一体誰なんだ‥‥‥?
 リルドが再び見つけた卵を割る。緑色の液体から流れる透明なゼリー状の幼虫は、リルドの両手ほどの大きさに成長していた。
 まだこの幼虫は成長するのだろうか‥‥‥?背中に寒気が走る。割れた卵の傍を足早に通り過ぎた時、前方に重厚な木の扉が現れた。木の表面には妖精や草花が彫られており、絡まった蜘蛛の巣や積もった埃を払えば綺麗な扉だという事が分かる。
「ここが南の塔の部屋‥‥‥お姫様がいらっしゃる所ですよね」
「まだお姫様でいるんならな」
 メイの呟きにリルドが冷たく返し、金色のドアノブを回す。何の抵抗もなく回ったノブは、まるでリルドの手から逃げるかのようにひとりでに内側に開いた。
 開け放たれた扉から見える中は、今まで見てきた場所とは違い、掃除が行き届いているらしく綺麗だった。
 慎重に中を覗き込めば、ガランとしたそこに人の姿はない。曇った窓には白いレースのカーテンがかかっており、その隣には装丁の美しい本がずらりと並んだ本棚、花柄のカバーのかかったソファーに小振りのテーブルの上には一輪挿し。世話をする人を失ってしまった花は枯れ、テーブルの上に茶色く崩れている。
 警戒しながら部屋に足を踏み入れる。リルドが剣を構えて先に入り、次にメイ、ケヴィンと続く。最後にミルカがゆっくりと入ってくる。
「しかし、どうして誰もいないんだ?」
 リルドがそう呟いた時、ミルカが何かを言いたげに顔を上げた。太陽のような金色の美しい瞳がリルドに向けられた瞬間、ミルカの視線が天井に固定された。
 尋常ではない表情に顔を上げる。色あせた金色の髪をダラリと垂らし、濁った真紅の瞳をこちらに向けているソレは、天井に張り付いたまま右手を垂らすと指先に赤い弾を創り出した。それは見る間に大きくなり、こちらに放たれた。
「危ない!!」
 ミルカが甲高く叫び、リルドを押し飛ばす。両側にいたメイとケヴィンは素早く異変を察知すると、後方に飛び退いた。
 ミルカの足元すれすれに落ちた火の玉は、強烈な爆風と凄まじい爆発音を響かせながら掻き消えた。
「大丈夫ですかミルカ様、リルド様!」
「あぁ、俺は平気だ‥‥」
「あたしも大丈夫よう。それより、上から‥‥」
 煙が消えた先、リルドの上に乗っていたミルカが身体を起こしたところだった。なんだか怪しい体勢だが、今はそんな事を考えている場合ではない。素早く天井を見上げるが、先ほどまでそこにいたはずの姫―― 守人―――の姿はそこにはなく、視線を彷徨わせてみるが動いている人影はない。
「上から来るとはな‥‥。何処に行きやがったんだ‥‥?」
 剣を構えるリルドの全身が、青白い雷に包まれる。深い海のような色をしていた瞳が高く澄んだ空の色に変り、輝きを放つ。瞳孔が長くなり、広がる。“本気モード”になったリルドは、すっと目を細めると全神経を耳に集中させた。
 ミルカが息を呑み、メイもケヴィンも身動き一つしない。ピンと張り詰めた沈黙の中、ケヴィンはガラスケースの中に入った七色の球を見つけた。キラキラと複雑に色を変えながら輝くそれは、ケヴィンの勘が正しければ封印球だ。
 ミルカが何かを言いたげにこちらを振り向く。その意図を汲み取ったメイがコクリと頷き、視線でケヴィンに合図を出す。ケヴィンが剣を構え、リルドが目を開ける。ほんの刹那だけケヴィンと視線を合わせ、全てを察すると、ミルカの腕を引っ張り自分の背後に隠した。
 視界の端に黒い何かが動くのが見える。素早い動きはまともに目で追えないほどで、リルドが左手を翳して雷弾を放つが当たる気配はない。雷弾を避けながら守人が炎の球を幾つも創り、一斉に投げる。
 リルドが素早く水で盾をつくり、炎の球を消して行く。球を全て放ち終わった守人が一気に間合いを詰め、鋭い爪で襲い掛かる。右手に持った剣で何とか攻撃を弾き飛ばしたリルドだったが、守人はすぐに炎の球を創りだすと放った。
 身体を右手方向に向け、水の盾をつくる。守人がトンと軽く跳躍するとミルカの前へ降り立ち―――その隙に部屋の奥へと移動していたケヴィンが矢を放つ。ボロボロのドレスの丁度胸元を貫通した矢は、一瞬だけ守人の動きを止めた。リルドが剣で斬りかかり、寸でのところでかわされる。
 守人が天井へと飛び移り、封印球を壊しにかかっていたメイの真上まで走ると、爪を振り下ろした。間一髪のところでそれをかわしたメイが、大鎌を振り上げる。残像を残しながら消えた守人は、ケヴィンの背後へと迫っていた。
 リルドがコートの裏から透明な容器を取り出すと蓋を開け、中身をその場に撒く。
「こんな所でグズグズしてるわけにはいかねぇ、一気にケリをつけるぞ!」
 全身を包む青白い光が一層強くなり、部屋全体を妖しく染め上げる。
 右手に持っていた剣を床に突き刺し、手を前に伸ばす。すっと目を細め、低く何かを呟くリルド。青白い光りが脈打つように点滅し、それに呼応するかのように床からヒンヤリとした冷気が立ち上ってくる。
 足元に撒かれた清水から白い煙のような物が湧き出し、床を滑って行く。ピキリと微かな音がする。最初は1つ2つの音が、数を増し、床が凍結する。
 四方へと伸びた煙は壁を伝い、天井へ這っていく。不思議と仲間達の足元は避けて広がって行く煙は、天井の真ん中で1つに結ばれると鋭く輝いた。
「――――― 氷の牢に囚われろっ!!」
 リルドの声に反応して、部屋全体に広がっていた冷気が一気に集束する。素早い動きで天井を這っていた守人の周囲に壁を作り、取り込む。
「今のうちだ、とっとと封印球を壊せ!相手は炎を使う、そんなには持たねぇぞ!」
 氷の牢の中で、守人が狂ったように炎の弾を乱射する。そのたびに、牢からは冷たい水が滴り落ちる。
 牢を抜ければ、再びあの速さに翻弄される。メイが封印球に大鎌を叩きつけ、ケヴィンも剣を振り下ろす。
「‥‥‥くっ‥‥‥硬い‥‥‥!」
 ガキィンと鋭い音が鳴る度に跳ね返される大鎌と剣。封印球の表面に微かなヒビがはいるが、それ以上は何もない。
「ミルカ!」
「分かってるわ!」
 リルドの呼び声に頷き、ミルカは竪琴を胸にシッカリ抱くと絃を弾いた。先ほど死者達に幻を見せた時とは違う、力強い音色だった。
「♪強かな心 苦難を打ち砕く 揺るぎなき想い 未来を切り開く」
 即興の歌は、心に浮かんだ言葉をそのまま口に出すため、不慣れな者は必ずどこかで詰まったり、音程が狂ったりするだろうし、帳尻合わせのようにテンポが早くなったり遅くなったりもするだろう。しかしミルカの曲は、そんな不安定な物ではなかった。
 まるで最初から譜面があるかのように、そこに歌うべき歌詞が書かれているかのように、詰まることなく流れるように紡がれる。
 ―――歌姫‥‥‥か‥‥‥
 ケヴィンはそう思うと、目の前に置かれた封印球に渾身の力を篭めて剣を振り下ろした。
「♪輝く世界は 貴方に味方する 優しき心は 貴方を強くする」
 メイの、ケヴィンの力が強くなる。リルドの氷の牢は、守人の攻撃に少しだけ粘りを見せる。
「♪貴方の強さは きっと 幸せを運んでくるから―――」
 ケヴィンの渾身の一振りが、封印球に深く突き刺さった。
 割れた部分から七色の光りが漏れ、部屋を鮮やかに染め上げる。
 守人がリルドの氷の牢を溶かしきり、地面に落ちる。赤・青・黄と変化する眩い光りに照らされ―――耳を塞ぎたくなるような断末魔を上げながら、守人が光りの中に溶け込んで行く。助けを求めるかのように伸ばされた手は、床を引っ掻いただけだった。
 目も開けていられないほどの光りの洪水の中、ケヴィンはそっと目を閉じた。
 そして――――――
 目を瞑った先、明るい闇の中、1人の美しい金髪の女性が佇んでいた。
 穏やかな優しいグリーンの瞳、象牙のような白い肌、足元まですっぽりと覆う長いスカート、胸元には大粒のダイヤのネックレス‥‥。
 ―――これが姫か‥‥‥
 美しい姫は、寂しそうな瞳で微笑むと、祈るように胸元で手を組み合わせた。
 言葉は何も発していない。それでも、ケヴィンには彼女がなんと言いたいのか、何を望んでいるのか、しっかりと分かっていた。
 辛かった事、悲しかった事、それでも、助けてくれた感謝の気持ち‥‥‥。
 他の人も絶対に助けると、瞳で答える。
 そんなケヴィンの思いを受け取ったのか、ふわり、純粋で美しい笑顔を浮かべる姫。その瞳には、喜びだけが映っていた。
 ―――この人も、儚く見えて、意外と強かなんだな‥‥‥
 瞼の向こう側の光りがふっと消え、姫の姿も掻き消えた。
 ケヴィンは暫くそのまま目を閉じ、エスメラルダから聞いたあの話を思い返し、ゆっくりと目を開けた。
「‥‥‥‥‥奥のドアが開いたみたいです。先に、進みましょう」
 低く感情を押し殺したようなメイの声に、顔を上げる。
 浮かない表情をしたメイに、唇を噛み締めて怒っているかのように眉根を寄せているリルド、今にも泣きそうな顔をして俯いているミルカ‥‥‥仲間達も、彼女に会ったのだ‥‥‥。
「早く‥‥‥早く、皆様を解放して差し上げなくてはなりません。‥‥‥行きましょう」
「あぁ」
 キッパリとしたメイの口調に促されるように、開いた扉へ向かう。
 左側がガラス張りになった廊下は塔と塔を繋ぐ役割を果たしており、近付けば遥か下に地面が見える。右側には幾つもの肖像画がかけられており、それは在りし日の王族の幸せな日々を無言で語っていた。
 金色の髪の美しいお姫様、青い瞳の綺麗な王子様、短い赤色の髪をした力強そうな王子様。
 立派な王冠を頭に乗せた王様は、その輝きをも圧倒するような存在感を放っている。王の傍らで静かな笑みを浮かべているお妃様は、深い碧色の瞳をした優しそうな女性だった。
 お城の庭で椅子に座ってすまし顔をしている肖像画、お姫様と青い瞳の王子様が一生懸命机に向かって何かをやっている場面、赤い髪の王子様が剣を片手に誇らしげな顔をしている肖像画、お妃様が薔薇の花に水をあげている姿‥‥‥どの絵を見ても、自然と表情が緩む。
「この人たちが、何をしたって言うのよ‥‥‥」
 グッと奥歯を噛み締め、歯の隙間から絞り出すような声を出すミルカ。
 メイが寂しそうに目を伏せ、リルドもケヴィンも返す言葉が見当たらず、口を閉ざすしかない。
「だって、こんなのおかしいじゃない!ただ幸せに過ごしていただけなのに、どうして―――――!」
 膨れ上がった感情を素直に出すミルカ。金色の瞳が揺れ、ジワリと涙が浮かんできた時、突然何かが壊れる大きな音がした。
「今のはいったいなんだ?」
 顔を見合わせる。誰もが視線を宙に泳がせ、音の正体を考える。
「―――あっ!アレ‥‥‥あれを見てください!」
 メイがガラスに飛びつき、外を指差す。
 駆け寄ってみれば、城下町と城とを結ぶ門が内側に倒れているのが見えた。そして、その上を虚ろな足取りで歩いてくる死者の大群―――
「門が突破されたか‥‥‥こりゃ、尚更のんびりしてられねぇな」
「そうですね」
 コクリと真剣な顔で頷いたメイが、大鎌を持つ手に力を込める。紫銀の瞳が強い意思をたたえ、不安そうにガラスにへばりついているミルカの背中を、ケヴィンがポンと叩くと歩き出す。
 右手に並んだ肖像画は極力見ないようにして、先に進む。廊下の端に現れた茶色い扉にケヴィンが手を翳す。
 ゆっくりと開く扉には必要以上に蜘蛛の巣が絡んでおり、目を凝らしてよく見れば、そこには薔薇の花や蝶々が彫り込まれてあった。
 部屋中に絡んだ蜘蛛の糸が、窓から差し込む光りにキラリと光る。部屋の中を重たい足取りで動いていた死者が開かれた扉に気づき、持っていた剣を振り上げると走ってくる。
 城下町で出会った死者と同じ、ブカブカの鎧が耳障りな音を立て、戦闘態勢に入るメイとリルドを制すると、ケヴィンがすっと背筋を伸ばし、綺麗な姿勢で矢を放った。
 矢は迫り来る死者の額に突き刺さり、グラリと後ろへ倒れこむ。ドシンと、それなりに重みを持った音が響き、成り行きを見守る4人の前で死者はバラバラと崩れ落ちると、鎧と剣だけを残して消え去った。
 先ほどはグズグズしていては死者に囲まれてしまう危険があったため、倒した死者がどうなるのかじっくりと見ている暇はなかったのだが、部屋の中を見たところ妃―――守人―――の姿はない。今後の事も考えて、死者がどれくらいで蘇るのか、どんな風に立ち上がるのかを見ておく必要がある。
 それから暫く、沈黙の時が続いた。さほど長い時間ではなかっただろうが、急く心は時を早める。
 もしかして、死者が蘇るというのはただの噂なのでは?そう思い始めた時、ザワリと空気が揺らいだ。
 冷たい手で身体を撫ぜられているかのような不快な風は、死者が残していった鎧と剣に集まると空間を捻じ曲げ始めた。グニャリと歪んだ景色の中、鎧と剣が宙に浮き、白い何かが形作られて行く。まずは頭、次に胸、腕、脚、あっという間に元の形を取り戻した死者は、剣を振り上げると襲い掛かってきた。
「すぐ蘇るってわけじゃねぇんだな」
「えぇ。でも、このくらいの時間でしたら不安です。倒した後も気をつけていないと背後を取られる危険性があります」
 リルドが剣を一振りし、首をはねる。
 メイが大鎌を握り締めながら部屋に入り、ミルカとケヴィンがそれに続く。最後に死者の鎧と剣を廊下に放り投げたリルドが続き、扉がバタリと音を立てて閉まった。
 ヒンヤリとした空気の中、どこからかポタポタと水が漏れるような音が聞こえてくる。水に濡れた足が板の間を歩くような、ヒタヒタと言う音がするが、守人の姿は何処にもない。
 グルリと部屋の中を見渡したメイが、素早い動きで顔を上げる。ケヴィンも顔を上げ、そこにへばりついた茶色い髪の女性を見つけた。長く伸びた髪の先からは水が滴り落ち、埃と蜘蛛の巣に汚された赤絨毯へと吸い込まれていく。吹き抜けの天井は高く、塔の先端部分に向かって緩やかに傾斜している。
 元は碧かったであろう濁った瞳と目が合った瞬間、守人が何かを投げた。白い塊はこちらに向かって落下し、メイとリルドが咄嗟に飛び退く。彼らほど修羅場慣れしていないミルカが判断を迷い―――塊が解れ、広がる。蜘蛛の糸だと理解した直後、ケヴィンはミルカの上に覆いかぶさった。
 粘り気のある白い糸がケヴィンの背中を包み、強い力で床に押し付けようとする。もしミルカだけが糸に絡まれたならば、力負けして床に押し付けられ、危ないところだっただろう。押し潰されまいと必死に腕に力をこめて耐えるケヴィンを助けようとリルドとメイが走り寄り、上空から放たれた蜘蛛の糸の塊に気づき、回避する。
 糸は誰に当たる事もなく床に砕けると、粘り気のある罠を作り上げた。迂闊に足を踏み入れれば、糸に囚われて動けなくなってしまう。
「くそ‥‥‥このままじゃ近付けねぇ!」
「ミルカ様、聞こえますか!」
「きこえるわ!」
「ケヴィン様はナイフを持っているはずです、それを探して糸を切るんです!」
 糸に包まれているせいで薄暗い視界の中、ミルカが当惑している様子が見て取れる。
 おそらく、勝手に服をまさぐる事に強い抵抗を感じているのだろう‥‥‥。
 強い糸の力に、唇を噛んで耐えるケヴィン。その様子に腹を括ったらしいミルカが、ごめんなさいと小さく謝ってから彼の着ているジャケットを捲り、内ポケットの中を探った。
 やや乱暴な手つきでジャケットの内側を探り、一瞬ミルカの動きが止まる。
 ナイフが入れてある付近で止まった手に、もしかして切ったのではないかと想像する。
 ミルカが無事にナイフを見つけ、引きずり出すと床に伸びた無数の糸を切りにかかった。
「リルド様、守人はあたしに任せてください」
「分かった。俺は封印球を探してぶっ壊す」
 リルドが張られた蜘蛛の巣を気にしながら奥へと進み、本棚の上に置かれていた封印球を見つけると剣を一振りして棚を壊した。落ちてきた封印球に向かって雷弾を放つが、表面には傷一つつかない。連続で氷弾も撃ち、微かにヒビが入ったのを確認すると剣を振り下ろす。
 封印球に危険が迫った事を感じた守人がそちらへ移動しようとするのを、宙に浮かび上がったメイが阻む。一対の純白の羽がメイの軽い体重を支えるように羽ばたき、窓から差し込む日差しを受けて神々しいまでに輝く。
「お妃様だって、あの封印球を壊して欲しいはずなんです―――だから‥‥‥ここから先は、絶対に行かせはしません!」
 放たれた蜘蛛の糸を避ける。壁にベッタリと張り付いた糸の位置を確認すると、大鎌を振り上げて守人に斬りかかる。髪の毛を数本断ち切っただけで避けられはしたが、先ほど戦った守人よりは格段にスピードが遅い。
 ミルカがケヴィンの上半身を覆っていた糸を断ち切り、更に下に伸びる糸を切ろうとするのを止める。グイと力任せに足を引き抜いたケヴィンの背中には、粘り気のある糸が絡み付いている。
「たすけてくれて、ありがとう‥‥‥」
 ふわりと、場にそぐわないながらも柔らかい笑顔を浮かべたミルカに、ケヴィンもほんの少しだけ微笑を返す。
 上空で戦いを繰り広げるメイと守人だったが、見るからにメイの方が優勢だ。攻撃される心配のないリルドが力いっぱい封印球に剣を叩きつけ―――ガシャンと、窓が割れる音に顔を上げる。塔のてっぺん近くに設けられた明り取りの窓から、汚れた茶色の羽を広げた吸血虫が入り込んできた。
 ミルカが両手を広げたくらいの大きさがありそうな吸血虫の茶色く汚れた羽には点々とついた毒々しい模様がついており、それと同じ色をした小さな瞳は凶悪な色を孕んでいる。入って来た吸血虫はその両眼を真っ直ぐにメイに向けると、急降下して彼女の華奢な身体を細い無数の腕で捉えた。口元から伸びる細い管が白い首筋に突き刺さり、血を吸い始める。強い力はメイの抵抗などものともせず、彼女の意識が遠のくギリギリまで血を吸い続けると、突然上空で腕を放した。
 落下してくる彼女を受け止められるのは、近くにいるケヴィンしかいない。しかし、後ろには非戦闘員のミルカがいる‥‥‥
「あたしのことは気にしないで!」
 ドンと背中を押される。ケヴィンが床を蹴り、落ちてくるメイをキャッチする。
 軽い彼女の身体をシッカリと受け止め、ミルカは大丈夫かと振り向く。
 リルドが吸血虫目掛けて雷弾を放ち、ミルカの方へ駆け出す。上を向けば守人が鋭く伸びた爪をギラつかせながら彼女に迫って来ていた。
 ここにいてはダメだと判断したミルカが走り出す。そちらに気を取られていた時、雷弾によってかなりダメージを受けた吸血虫がこちらに向かってきているのに気がついた。
 リルドがどちらに行けば良いのか逡巡しているのが視界の端に映る。ケヴィンはこちらは大丈夫だと言う事を伝えるためにメイの身体を床に横たえ、、剣を抜いて戦闘態勢に入った。
「ミルカっ!!」
 リルドが伸ばした手をミルカが掴む。しかしミルカの直ぐ背後には守人の姿があり、避けきれない―――そう感じたリルドは、ミルカの腕を強く引っ張ると胸に抱き、反転した。
 守人が鋭い爪を上げ、リルドの肩口から脇までを斜めに切り裂く。
「くっ―――――!!」
「リルドさん‥‥‥!!!」
「メイ、に‥‥‥増血剤、を‥‥‥」
 そう呟き、目を瞑るリルド。ミルカが背中に手を回せば、ぬるりとした何かが掌を濡らした。
 グラリと横に倒れこんだリルドの背中から大量の血が流れ出し、色あせた絨毯を赤く染め上げる。
 荒い呼吸、青白い顔―――ミルカがパニックに陥るのが見える。
 サァっと顔から血の気が引き、オロオロと視線が頼りなげに揺れる。大きな瞳から今にも涙が零れ落ちそうになり―――
 ―――ヤバイ‥‥‥!
 リルドは直感的にそう感じた。今ミルカにパニックに陥られ、自分を見失ってしまわれたら―――全員殺られる‥‥‥!
「ミルカ!!」
 吸血虫に最後の一撃を刺し、ケヴィンは大きな声でミルカの名前を呼んだ。
 その声は自分でも驚くほどに感情に富んでおり、一瞬にしてミルカを冷静にさせた。
 金色の目が輝きを取り戻し、スイッチが入ったように動き出すミルカ。血に濡れた手でポシェットの中を漁り、増血剤と治癒薬を引っ張り出す。
 増血剤は直ぐに効果が現れるが、治癒薬は一定の時間を置かないとダメな場合がある。傷が深いと直ぐには治らないのだ。
 ミルカへと意識が向かないよう、守人に矢を射る。守人はケヴィンの挑発に乗ると、こちらに向かってきた。
 ―――せめてミルカが2人の手当てをする間くらい時間を稼げれば‥‥‥
 徐々に弱くなるリルドの呼吸を気にしながら、ミルカはメイの元へ走り、増血剤を薄く開いた桜色の唇の中に押し込んだ。
「メイちゃん、しっかり‥‥‥!」
 メイの頭を持ち上げ、自身の膝の上に乗せる。青銀色の美しい髪が汚れた絨毯の上に広がる様はあまり見ていて気持ちの良いものではなかったが、今はそれどころではない。雪のように白い肌は今や病的なまでに青白くなっており、閉じられた目は嫌な想像を掻き立てる。メイがあとほんの少し目を開けるのが遅れたら、ミルカはその頬を叩いていたところだった。
「あたし‥‥‥」
「吸血虫に血を吸われたのよう、覚えてない?」
 焦点が定まり、頬に赤みがさす。勢いよく起き上がろうとして、まだ血の足りていないメイの身体がフラリと傾く。
「そんなに早く動いたら‥‥‥」
「吸血虫は、守人はどうしました?」
 意外とシッカリとした口調に、ミルカは彼女が気を失っている間にあった事を簡潔に話した。
 落ちてきたメイをケヴィンが抱きとめ、吸血虫を倒した事、リルドがミルカを守って負傷した事―――
「あたしはもう大丈夫です。ミルカ様は、リルド様をお願いします」
 上半身を起こしたメイが、近くに落ちていた大鎌を掴むとケヴィンを一瞥してから封印球に向かう。足元はふらつくことなく、増血剤が効いている事が分かる。
 一瞬の視線だけで彼女の言いたい事を理解したケヴィンは、剣を抜くと守人に斬りかかった。もちろん、その攻撃は大して重みを持っていない。ただ、守人の意識が他のところへは行かないよう、自分だけに向けられるよう、それだけを考えての攻撃だった。
 ミルカが手の中の治癒薬をギュっと握り締めると立ち上がり、うつ伏せに倒れたリルドの身体を起こした。
 スカートが血に濡れるのも構わずに、膝の上にリルドの上半身を横たえる。痛みに耐えるようにキツク閉じられた口をこじ開け、喉の奥へと治癒薬のカプセルを押し込む。床に放り捨てられたままだったポシェットの紐を乱暴に手繰り寄せ、中から水筒を取り出すと口の中に水を流し込む。
 ゴクリと喉が動くのを確認し、ミルカは水筒をポシェットにしまった。
 辛そうに顰められた眉、血の気の薄い白い肌、ミルカはそっとリルドの艶やかな黒髪を撫ぜると、息を吸い込んだ。
「♪忘れていた 幼いあの日の約束」
 優しい歌声は、ヒンヤリと凍った空気を柔らかく溶かしていく。
「♪また会おうねと 絡めた小指 舞い散る桜」
 ミルカの指先に出来ていた切り傷が治り、メイの首筋についていた吸血虫が刺した痕が消える。
「♪月日重ねるうち 淡くなって行った思い出 思い出した今 輝くよ」
 ケヴィンの背中に残っていた鈍い痛みが消える。リルドが薄く目を開き―――
「♪貴方を想って 書いた手紙 届け 貴方の元へ この気持ち乗せて」
「‥‥‥ミル、カ‥‥‥?」
 眩しそうにミルカを見上げるリルドの背中からは、もう血は流れていない。顔色も随分良くなり、ゆっくりと上半身を起こした時、メイの大鎌が封印球を砕き、七色の光りがあふれ出す。
 守人が断末魔を上げながら光りの中に飲み込まれ―――目を閉じる。茶色い髪をした上品な女性が1人、碧色の優しい瞳を細め、丁寧に頭を下げているのが見える。彼女の瞳はただ慈悲深いだけで、何も求めてこない。
 ―――噂どおりのお妃様‥‥‥か‥‥‥
 聖母の2文字が頭の中に浮かぶ。求めるより与える事を望む彼女の瞳は、最後にほんの少しだけ寂しそうに細められると、光りの中へと消えて行った。
「なんて素晴らしい方なんでしょう‥‥‥」
「―――とっとと王の封印も解いて、帰るぞ」
 床に落ちていた剣を拾って立ち上がったリルドのコートの裾をミルカが握る。
 何かを言いたそうに開かれた唇に、先の言葉を察すると、リルドは渋い顔をして先に言葉を紡いだ。
「礼なんかいらねーよ。まして謝ったりしたらぶっ飛ばすからな」
 たとえ謝ったとしてもぶっ飛ばしはしないだろうが‥‥‥それくらい過激な事を言わないと、ミルカは謝ってしまいそうだった。
「でも‥‥‥」
「あんなぁ、ここは戦いの場だぞ?守ったり守られたり、そんなんにいちいち反応してたらキリがねぇ。しかも、庇ったのは俺の判断だ。‥‥‥俺だって助けてもらったしな、おあいこだ」
 奥の扉が軋みながら開き、ケヴィンは剣を鞘に収めるとそちらを振り返った。
「凪様、虎王丸様、千獣様はご無事でしょうか‥‥‥」
「ご無事に決まってるわよう。凪君も虎王丸君も千獣さんも、強いんだから」
 ミルカが力強くそう言いきった時、南の塔とを繋ぐ扉が外側から激しく叩かれた。
「死者がもうここまで‥‥‥」
「ケヴィン、そこにある棚を持って来い、バリケードを作るぞ。直ぐに突破されちまうだろうが、ないよりゃマシだろ」
 リルドの言葉にコクリと頷き、棚にソファーに机、部屋にある動かせそうな家具を全て扉の前に積み上げると、4人はお妃様の部屋を後にし、城へ続く廊下を走り抜けた。



* * *



 死者が溢れる城内を疾走する。上から襲って来る吸血虫には威嚇程度の攻撃をし、広間目指して止まらずに進む。
 先頭を走るのはリルドで、その次にメイがミルカを守りながら続く。背中を守るのはケヴィンだ。
 西の塔から城内へと入った4人は、城下町からなだれ込んできたと思われる死者の多さに唖然とした。細い通路には様々な武器を持った死者が蠢いており、孵化した吸血虫がそこかしこの壁にへばりついていた。
「ここは一気に駆け抜けるしか手はねぇようだな。俺が行く手を阻むヤツラを蹴散らす」
「ミルカ様はあたしが守ります。ケヴィン様は後方をお願いできますか?」
 コクリと頷いたケヴィンが剣を構える。
「ミルカ様は走ることだけに専念してください。‥‥‥王様との戦いでは、ミルカ様の歌が必要になります。ですから‥‥‥」
 ここでやられるわけには行かない。メイの強い意思を宿した瞳に真正面から見つめられ、ミルカは竪琴を胸に抱くと強く頷いた。
「行くぞ!!!」
 雷を纏った剣が死者を切り裂き、後方に押し返す。メイが上空から襲う吸血虫が近づけないように大鎌を降る。死者が退いて出来た道を走り、後ろから追いすがる彼らをケヴィンが倒す。
 廊下は一本道で、分かれ道で頭を悩ませなくて良い分ありがたかったのだが、挟み撃ち状態になっている現状では手放しでは喜べない。4人のうち誰か1人でも倒れたならば、王の広間にたどり着くことは出来ないだろう。
 死に物狂いで通路を進んだ先、金色に輝く両開きの扉が見えた。
「きっとあそこが広間です!」
 この王国に来る前もいち早く死臭に気づいたメイだったが、今回も何かに気づいたらしく声を上げた。
 あともう少しで広間に辿りつけるのだが、まるで扉を守るかのように死者が大群で押し寄せて来ており、なかなか先に進めない。ついには足が止まってしまい、死者の中に取り残されたような状態になってしまった。上空からは吸血虫がこちらを伺っており、少しでも気を抜けば急降下してきそうだ。
 ―――あともう少し‥‥‥!
 近付く敵を大振りで後方に弾き飛ばす。ミルカを横目で確認しながらの戦闘はなかなか大変だった。しかし、ケヴィンが押されるわけには行かない。死者の刃をすれすれのところで避け、その際に数本の髪の毛が断ち切られて宙を舞う。振り下ろされた鉄の棒を剣で受け止め、右手方向から包丁を持って駆け寄ってきた死者を蹴り飛ばす。
 前の様子はどうだろうかと確認しようと振り返った時、前方から何か大きなものが死者の頭上を飛び越えて来た。鋭い爪に、硬そうな毛で覆われた脚。長い黒髪を靡かせた彼女は、死者を切り裂くとリルドの前に着地した。
「千獣‥‥‥!」
「‥‥‥みんな‥‥‥無事、で‥‥‥よかった‥‥‥」
 あまり表情の変っていない千獣だったが、紅の瞳の奥には安堵したような色が宿っている。
「やっぱ無事だったみてぇだな!」
 元気の良い声と共に、虎王丸が長く伸びた爪で死者を切り裂きながらやって来る。その後ろには銃を構えた凪が続き、虎王丸が討ちもらした敵を鮮やかな銃さばきで倒している。
「そっちこそ、無事だったようだな」
「あったりまえだろ!何せこっちには俺がついてたんだからな!」
「‥‥一度死にかけたヤツがよく言う‥‥‥」
「あぁ!?なんか言ったか凪!?だーれのせいで死にかけたんだっつの!」
「何だ虎王丸、お前も死にかけたのか。奇遇だな!」
 軽口をたたきながら、リルドと虎王丸が合流する。千獣が広間の扉に手を触れれば、ゆっくりと内側へ開いていく。
 まずは千獣とメイが中に入り、凪がミルカを守りながら入る。ケヴィンと虎王丸、リルドが迫る死者を後方へと押し飛ばし、扉を閉める。
 内鍵をかけはしたものの、この扉も長くは持たないだろう。
「皆様、来ますよ‥‥‥!!」
 メイの緊張した声が広間に響く。
 今でも掃除する人がいるかのように綺麗な広間は、大理石の床が輝いていた。
 重く落ち着いた足音と共に、紅のマントを羽織り、黄金の冠を頭に乗せた初老の男性の姿が現れる。巨大な広間の奥は漆黒の闇が潜んでおり、グルリと見たところ見つからない封印球は、おそらくそこにあるのだろう。
 ズっと音を立てながら引きずられた大きな対の剣が、大理石の床を傷付ける。
 白く濁った瞳は元がどんな色だったのか分からない―――肖像画で見た時は深く澄んだグリーンの瞳だったが、今やその面影はどこにもない。
 全身から発せられるオーラは圧倒されそうなほどに強い。
「随分強そうだな、おい‥‥‥」
 虎王丸の頬を冷や汗が滑る。彼だけではない、その場にいる誰もが絶対的な力を滲ませる王―――守人―――の雰囲気に緊張していた。
「‥‥俺は封印球を狙う。千獣に虎王丸、守人を足止めできるか?」
「任せろ‥‥と、力強く言いたいところだが、約束は出来ねぇな」
「‥‥‥がん、ばる‥‥‥」
「‥‥俺がリルドさんを援護します」
「あたしとケヴィン様はミルカ様を守りましょう。状況によってはお手伝いします」
「あたしは歌を歌うわ」
 リルドが剣を構え、走り出す。凪がその後を追い、千獣と虎王丸が守人に立ち向かう。
 ミルカがそっと竪琴の側面を彩る人魚を撫ぜ、息を吸い込む。
「♪後ろは振り返らない ただ進むのみ」
 力強い音は、仲間に勇気と力を与える。
 リルドが守人の傍を通り過ぎ、虎王丸が刀を、千獣が爪を振り上げる。どちらも脚は硬く短い毛で覆われており、獣のパワーは2人の身体を高く上空へと跳ね上げた。守人の頭上、右と左の両方向から攻撃を加える。
 守人の足が止まり、ふっと天井を見上げる。先ほどの歩行速度を見る限りでは、間近に迫った2人を避けられるほど素早いとは思えない。カッと濁った両眼が光り、太い腕に握られた大きな剣が振り上げられる。そのスピードは驚くほど早く、空中と言う不安定な場所にいた2人は避けるタイミングを失い、なるべく被害の少ない体勢に身体を捻る事しか出来なかった。
 鈍い音を立てて壁際まで吹っ飛ばされる千獣と虎王丸。虎王丸の背中に本棚が当たり、ガラガラと崩れ落ちる。千獣は高そうな椅子をなぎ倒し、壁に強かに背中を打つとむせ始めた。
「♪下を向いては 足が止まるから 上を向いては 空の青さに 吸いこまれるから」
 こちらへと迫る守人に、メイとケヴィンが戦闘態勢に入る。
 暗がりから鈍い音が聞こえてくる。おそらく、リルドが封印球に攻撃を加えているのだろう。
「♪前を向いて ただひたすら 伸びる道を見つめて」
 純白の羽で守人の頭上に飛び立ったメイが大鎌を振り下ろすが、難なく弾かれる。それを見ていたケヴィンが距離をとりつつ矢を放つ。
 空を切り裂きながら真っ直ぐに飛んだ矢は、守人の振り下ろした剣に跳ね返され、壁に突き刺さった。ケヴィンが矢を番え、キリキリと弦を引く。そちらに気を取られている隙にとメイが再び大鎌を振り下ろし――― 守人の左薬指にはめられた指輪、その紅の石が妖しく光り輝く。
 ―――危ない‥‥‥!
 そう思った時には遅かった。
 守人の指先から5つの炎の弾が上空と左右、真後ろと真正面へと放たれる。
 メイが大鎌を盾にして炎から身を守るが、勢いに力負けして壁に叩きつけられる。一瞬気を失っていた虎王丸と千獣は、炎の弾が当たる前に意識を回復すると、虎王丸は自身の白焔で、千獣は黒い羽で何とか身を焦がさずにすんだ。
 真後ろに放たれた炎の弾は凪の方へと飛んで行ったが、右へと避けて回避した。爆風によって数m床を滑りはしたが、回避時に腰を落としていたため、踏ん張りが強くきき、壁に叩きつけられる事はなかった。
 真正面に飛ばされた炎の弾は、歌い続けるミルカに向かっていた。
「♪信じた道は きっと 未来へと繋がっているから―――」
 ―――ミルカ‥‥‥!
 ケヴィンは咄嗟に走り出した。目を見開いて固まったままのミルカは、完全に逃げるタイミングを逸してしまっている。炎の弾が襲い掛かる前に彼女の前にたどり着いたのは良いのだが、あの攻撃を防ぐ術は思い浮かばなかった。剣を床に突き刺し、防御の体勢を取るが、それだけで防げるとは到底思えなかった。
 ―――どうしたら‥‥‥!!
 パニックで頭が真っ白になりかけた時、守人の後方から凄まじい勢いで何かが飛んできた。
 透明なソレは炎の弾に追いつくと包み込み、ケヴィンとミルカに当たった。強い水圧に押し倒され、床で背中を強かに打つが熱くはない。
 広間の異変に気づいたリルドが封印球への攻撃の手を止め、様子を見に来てくれたから助かった。
 彼は瞬時に状況を理解すると大気中の水を集め、ブーストをかけて放った。圧縮された水の弾は炎の弾よりも加速し、間一髪のところで追いつくと消し去った。
 ほっと安堵したのも束の間、守人の攻撃の矛先がリルドへと変る。剣を構え、走り出す守人のスピードはなかなか速い。
 先ほど飛ばされた際に武神演舞を舞っていた凪が、両手に持った銃の引き金を引く。大して狙いをつけなくても当たるのは、彼の身に宿った神霊が百戦錬磨の銃の達人だったからだ。
 反動をものともせずに引き金を絞り続ける凪だったが、巨大な対の剣はあっさりと弾いてしまう。
 キィン、キィンと弾が剣に当たっては弾かれる音が響き、守人が凪の目の前まで来る。左の剣が上空から振り下ろされ、身体を反転させて避けた先、右の剣が横から襲い掛かる。防御の体勢をとるものの、勢いを殺す事は出来ずに壁に叩きつけられる。
 リルドの元へは行かせないと、虎王丸が地を蹴って一気に間合いを詰める。剣を振り上げ――― 守人の左の剣が唸り、虎王丸を弾き飛ばす。上空から大鎌を持って急降下していたメイが右の剣に飛ばされるが、双方とも上手く防御し、壁に叩きつけられる事は免れた。
「‥‥‥リルド、封印、球‥‥‥!」
 幾ら守人を攻撃しようとも、封印球を壊さない限りはこの状況は好転しない。
 千獣がリルドに声をかけてから守人に飛び掛るが、長い爪は紅のマントを切り裂く前に巨大な剣によって弾かれた。
 リルドが封印球が置かれている奥へととって帰ろうとするのを制するように、守人の左手中指にはめられた水色の石が輝く。
 咄嗟に自身の周囲に水の壁を作り出すリルド。守人の指先から巨大な水の柱が生まれ、リルドを襲う。水柱の力は凄まじく、華奢な壁ともどもリルドは後方へと押し飛ばされた。
 鈍い音と共に壁に叩きつけられたリルドがぐったりと力なく床に横たわる。メイが急降下して守人の前に立ちはだかる。守人の意識がメイに向くのを見て、千獣が黒い羽を羽ばたかせ、リルドの身体を持ち上げると離れた位置で成り行きを見守っていたミルカとケヴィンの元へ運ぶ。
 ミルカがリルドの身体を素早く調べ、気を失っているだけだと判断するとポシェットの中から水筒を取り出して彼の口に含ませる。
「俺とメイで守人の注意を逸らす!凪!」
「分かった!」
 一番封印球の近くにいた凪が奥へと駆け出し―――ガンと、鈍い音が広間に響き渡った。
 ミルカとケヴィン、そして千獣とリルドの後ろにあった巨大な扉が、ついに死者達の攻撃に負け、倒れたのだ‥‥‥!
「‥‥‥ミルカ、リルド、を‥‥‥」
「分かってるわ!」
 まだ意識の回復しないリルドを膝に、ミルカが力強く頷いた。
 千獣とケヴィンがなだれ込んでくる大量の死者を前に、爪と剣を振るう。蠢く死者の上空、茶色い巨大な蛾がミルカとリルドに狙いを定めて飛んでくる。それに気づいた虎王丸が守人との戦闘を一時抜け、吸血虫の前に立ちはだかると身体から白焔を出して茶色い羽を燃やす。
 虎王丸が抜けた事によってメイが途端に劣勢に立たされ、対の剣に翻弄される。凪が封印球壊しを一時諦めて守人に銃を放つ。
「虎王丸!」
 凪が何かを言いたげに虎王丸の名を呼び、守人に銃を撃ち続けながら千獣とケヴィンの方へと走って行く。
「ケヴィン!」
 虎王丸に呼ばれたケヴィンがチラリと凪の動きを見ると全てを察したらしく、頷いた。
「‥‥‥ここは、守る‥‥‥から、行って‥‥‥!」
 一連の出来事を聞いていた千獣が、迫る死者を爪で切り裂くと力強く言い放つ。
「メイ!」
「大丈夫です!」
 メイが虎王丸の呼びかけに強く頷く。
 ‥‥‥戦いに身を置く者同士、口に出さなくても伝わる言葉。それは、一種の絆と言っても過言ではないものだった。
 凪が千獣の隣につき、ケヴィンがミルカとリルドを守るべく飛来する吸血虫に立ち向かう。ミルカとリルドの傍を離れた虎王丸が、1人で守人を相手に頑張るメイの元へ急ぐ。
 一連の出来事はほんの数秒のうちに完了されたが、もし誰か1人でも呼びかけの意味を理解できない者がいたならば、危険な状況だった。
 凪は自身の持つ天恩霊陣が大量の死者に有効であると思い、守人との戦闘を虎王丸に代わってもらうべく彼の名を呼んだ。
 虎王丸は凪が千獣とケヴィンの方へと走っていくのを視界の端に留め、彼の言いたい事を悟ると、ミルカとリルドを吸血虫から守る役目を代わってもらうためにケヴィンの名を呼んだ。
 ケヴィンは凪の行動、そして虎王丸の呼びかけに全てを悟ると、頷いた。
 無表情ながらもケヴィンの横顔に浮かんだ心配の色。ここを離れたら千獣が一人で敵を相手にしなければならない―――その考えを読んだ千獣が、彼の背中を押すべく大丈夫だと強く言い放った。
 最後、虎王丸がメイの名を呼んだのは、凪が千獣の元へつき、守人への射撃をやめた時、虎王丸が駆けつけるまでメイは1人で守人を相手にしなければならない。ほんの数秒だが、彼の力をまざまざと見せ付けられていた虎王丸は、心配になって声をかけた。それに対してのメイの答えは力強いものだった。
 凪が天恩霊陣を舞い、死者に毒を、味方に癒しを与える。虎王丸とメイが守人相手に奮闘し、ケヴィンも襲い来る吸血虫を剣で斬っていく。
「‥‥‥うっ‥‥‥」
「あ!リルドさん!」
 ミルカの膝の上で低く唸ったリルドが目を開け、一瞬顔を顰めると起き上がる。
「だいじょうぶなの‥‥?」
「あぁ。平気だ‥‥‥。それより、とうとう扉が破られちまったか」
 頭を掻き、傍らに置かれた剣を掴むと立ち上がるリルド。パリンと窓が割れる音がし、吸血虫が広間になだれ込んでくる。
「‥‥‥くそっ!厄介なヤツがこんな大量に‥‥‥!」
 苦々しく呟いたリルドが、コートの裏から清水の入った容器を取り出すとばら撒く。
「メイ!」
 リルドの呼びかけに、メイは一瞬だけ守人から視線を外すとばら撒かれた清水を見た。
「虎王丸様!」
「何か分からねぇけど、ヘマはすんなよ!」
 ザワリと場の空気が揺らぎ、リルドの足元に撒かれた清水が玉となって空中を浮遊する。
「一撃でも入れて隙が出来りゃ、風を喚んで一気に距離を詰めてケリを付ける」
 メイと虎王丸が飛び退き、メイは吸血虫を倒すべく空中に飛び上がり、虎王丸は少し考えた後で封印球へと走った。
 守人が虎王丸を追おうと背を向けた瞬間、リルドの右手が宙を切り裂いた。
「水の刃に貫かれろっ!!」
 大きく膨らんだ水の玉が弾け、無数の鋭い矢となって守人に襲い掛かる。守人が足を止め、その瞬間を見逃さずに風を喚ぶ。リルドの身体がふわりと浮き上がり、強い風の力で一気に守人に近付き――― 守人の右薬指にはめられた黒い石が妖しく輝く。
 黒い石から闇が生み出される。闇は急速に広がると、強い衝撃波となって広間を駆け巡った。
 空中で吸血虫と戦っていたメイが吸血虫ともども天井に叩きつけられ、封印球へと向かおうとしていた虎王丸が壁に吹っ飛ぶ。
 死者はあまりの衝撃に扉から押し出され、千獣と凪も廊下へと吹き飛ばされる。ミルカの華奢な身体が宙を舞い、ケヴィンが必死になって彼女の腕を掴むが自分の足も床についていない。
 ケヴィンは渾身の力でミルカの華奢な身体を抱き寄せ、しっかり胸に抱くと、右手に持った剣を床に突き刺した。何とか壁との激突は免れたが、右腕の筋を痛めた。
 衝撃波の一番近くにいたリルドは、後方から風に押されていたために数m飛ばされたに過ぎなかったが、あまりの衝撃に息が詰まった。
「くっそ‥‥‥」
 胸を押さえ、咳き込みながらリルドが喘ぐ。
「メイ‥‥‥!」
 天井にぶつかった衝撃で気を失ったメイが落ちてくる。彼女と一緒に落ちてくる吸血虫を白焔で焼きながら、虎王丸が痛む身体を引きずって彼女の身体をキャッチする。
「‥‥‥凪、なぎ‥‥‥!」
 廊下からは千獣の声が響いてくる。死者の真っ只中に取り残された千獣は、床に叩きつけられた衝撃で気絶した凪を守りながら四方から来る敵と戦わなくてはならなくなっていた。
「いっ‥‥‥」
 右腕が焼けるように痛い。思わず右腕を押さえ、苦しそうに眉根を寄せる。
 右手では剣を持てないことが分かったケヴィンは、左手に持ち帰ると立ち上がった。
「ケヴィンさん‥‥‥!」
 ミルカが心配そうにこちらを見上げている。その瞳は懇願するようで―――けれど、千獣と凪を助けに行けるのはケヴィンしかいない。
「そんな腕で行くなんて、むちゃよう!」
 切羽詰った声でそう言われるが、見殺しには出来ない。。虎王丸は目を覚ましたメイと共に吸血虫と戦っているし、リルドは守人と対峙している真っ最中だ。援護に駆けつけられるのはケヴィンしかいない。
「虎王丸、メイ!虫と守人、ほんの少しで良い‥‥‥任せられるか!?」
「それしか手がねぇんならな!」
「リルド様、何かお考えがあるのですか?」
 迫り来る吸血虫を大鎌で叩き切ったメイが、フワリと守人の前に着地する。虎王丸が刀を横に振り払って吸血虫を威嚇し、守人の背後を取る。
「千獣、聞こえてるか!?お前らの上だけ空間を開けて死者を氷の牢に閉じ込める!」
「‥‥‥上、から、脱出‥‥する‥‥‥わかった‥‥」
「ミルカ、少しで良い、死者の動きを止めろ」
「分かったわ!」
 リルドが最後の清水を床にばら撒く。メイと虎王丸が守人に両方向からの攻撃を加え、彼の意識がリルドやミルカの方へ向かないように気を逸らさせる。竪琴を手に幻想的な曲を紡ぐミルカを吸血虫の攻撃から守るべく、ケヴィンが左手で剣を振るう。
「♪夢を見ていた 優しく 穏やかな夢」
 揺れるようなか細いメロディは美しく、死者の動きが鈍くなる。千獣はすぐ近くにいた数体を爪で切り裂くと、凪の身体を持ち上げた。
「♪白い翼で 空を飛ぶ 柔らかい風を感じた」
 リルドの身体を包む青白い光が点滅する。足元から冷気が立ち上り、撒かれた清水から白い煙のようなものが湧き出して床を滑って行く。
「♪温かい太陽に手を伸ばす 青く澄んだ空は遠くて 手が溶け込みそうで」
 水が凍結する微かな音が広間を包む。白い煙は真っ直ぐに廊下に流れ出すと壁と伝い、天井で1つに結ばれると鋭く輝いた。
 氷の牢が死者を囲い、千獣が凪を抱えて脱出する。黒い羽が窮屈そうに天井に当たり、何とか死者の大群を抜けるとミルカとケヴィンの前に降り立った。
 ミルカが凪を仰向けに寝かせ、ポシェットから水を取り出すと口に含ませる。数度頬を叩き、薄っすらと開いた目に安堵する。
「この、氷の、牢‥‥‥どのくらい、もつ‥‥‥?」
「結構持つと思うぜ。今のうちに封印球をぶっ壊すぞ!」
「あたしと虎王丸様で守人を食い止めます!千獣様とリルド様は封印球を!」
「凪はケヴィンと一緒にミルカを守れ!余裕があったら吸血虫も頼んだぜ!」
 凪が大きく深呼吸をし、軽く頷くと立ち上がる。
 仲間の能力を高めるべくミルカが甘い声で歌い始め――― 守人の右中指にはめられた白い石が輝く。
 また何かの魔法が―――!!
 光りが広間を駆け巡り、防御体勢に入る。しかし、思った衝撃はこなかった。眩んだ目を薄く開け、今のは一体なんだったのかと広間を見渡す。
 まず気づいたのは、リルドを包んでいた青白い雷が消えていたことだった。そして―――死者を閉じ込めていたはずの氷の牢が跡形もなく消えている事に愕然とする。
「これはいったい‥‥‥」
 メイが首を傾げる。何が起きているのか、最初に気づいたのはミルカだった。
 凪の袖を引っ張り、自身の喉を指差して首を振る。何のジェスチャーかと思案顔になった凪が、はっと顔を上げる。
「無効化―――!!」
 コクリ。ミルカは頷いた。
 この場には無効化の魔法がかけられており、ミルカの歌魔法は勿論の事、リルドの魔法も、虎王丸の白焔も発動できない。
「どうして無効化なんて‥‥‥!」
 メイが目を大きく見開き、小さな手で口を覆う。
「今はそんなこと言ってる場合じゃねぇ!」
 驚きからいち早く立ち直ったリルドが剣を構える。行く手を遮るものが無くなった死者たちが、近くにいたケヴィンと凪に襲い掛かり、廊下から飛んできた吸血虫が千獣に襲い掛かる。
 壊れた窓からも吸血虫が侵入し、メイがそちらへ飛び立つ。虎王丸とリルドが守人の動きを止めようと双方から攻撃を加える。
 凪が舞った天恩霊陣も無効化にかき消されており、死者は何の障害もなくおのおのが持った武器を振り回している。勢いに押され、後退し始めるケヴィンと凪。圧倒的に不利な状況に、千獣が近くにいた吸血虫を倒すと加勢に加わる。
 状況を見て取ったメイが降下し、廊下から入ってくる吸血虫と上空から飛んでくる吸血虫の両方を相手に奮闘する。
 大鎌が唸りながら空を切り裂き、集まっていた3匹の吸血虫の羽を切り落とす。次から次へとやってくる吸血虫は、一斉に四方からメイを囲むと一気に襲い掛かった。大鎌を持ったまま回転し、周囲に集まっていた吸血虫を倒す。下から飛んでくる吸血虫は蹴り飛ばしたのだが、上空から飛んで来る吸血虫を避ける事は出来なかった。腕を盾にして何とか顔への攻撃は免れたが、鋭い歯に切り裂かれた腕からは血が滴り落ちている。
「くっ‥‥‥!」
「メイ!!」
 下でその様子を見ていた虎王丸が思わず攻撃の手を緩め、その好機を逃さずに守人が剣を振り下ろす。一瞬判断の遅れた虎王丸の胸に一筋の赤い線が描かれ、そこからユルユルと鮮血が流れる。
「うっ‥‥‥」
「虎王丸!」
 斜めにかなり深く斬られた虎王丸が胸を押さえてうずくまり、リルドが彼を助けるために地を蹴る。守人の攻撃をかわし、虎王丸の前に立ちはだかる。対の巨大な剣が十字に合わせられ、渾身の力をこめて振り下ろされるのを剣で受け止める。あまりにも重い衝撃に押し潰されそうになるが、歯を食いしばって耐える。
 リルドの一大事に千獣が漆黒の羽を羽ばたかせ、守人の顔目掛けて爪を伸ばす。あともう少しで当たると言うところで守人が剣を振り上げて千獣の攻撃を弾く。
 千獣がいなくなったことで劣勢に追い込まれた凪とケヴィンが再び後退を始め―――2人の一瞬の隙をつき、死者がミルカに走りよる。壁際で成り行きを見守っていたミルカが、振り上げられた剣を何とか避ける。
 襲い来る死者から逃れるために走り、磨かれた大理石に横たわる死んだ吸血虫に足を取られて転倒する。
 手に持っていた竪琴が床を滑り、淡い色のスカートが広がる。銀色の細い髪を縛っていた白いリボンがはらりと解け、誰のものかは分からないが、落ちていた血に染まる。
 ―――ミルカ‥‥‥!
 ケヴィンは心の中で叫ぶと、迫り来る死者を乱暴に払いのけ、走り出した。
 ―――間に合ってくれ‥‥‥!!
 必死の思いでミルカと死者の前に立ちはだかり―――――
「ダメっ!!!」
 ドンと、何かに押し飛ばされる。予想外の強い力に尻餅をつき‥‥‥ザンと、剣が濡れた何かを切り裂く音が聞こえる。それは確かに人を斬った時の音だったが、ケヴィンの身体を斬られた様子はない。
「ミルカ!!」
 凪の叫び声が広間を揺るがす。それは、クールな彼からは想像も出来ないほどに上ずった、悲鳴のような声だった。
「虎王丸様!!」
 メイの声が頭上から降り注ぐ。甲高い叫びは絶望を含んでおり、ケヴィンは目の前で起こった惨劇に言葉を失った。
 死者の剣がミルカの華奢な身体を切り裂く。右肩から入った刃は左のわき腹までを切り裂き、手に持っていた純白の竪琴が足元に落ちる。
 立てひざをついた状態だった身体が、グラリと横に傾ぐ。受け止めようと立ち上がり、手を伸ばすが、不安定な体勢で受け止めたために一緒になってひっくり返り、肩を強かに打った。鈍い痛みが肩に走り、ケヴィンは顔を顰めると上体を起こした。
 目の前には左手に剣を持った虎王丸が立っており、その足元には首をはねられた死者が転がっている。
 ケヴィンは自身の腕の中にいるミルカの顔を覗き込んだ。
 硬く閉じられた目、薄く開いた口の端からは赤い糸のようなものが見える。細く頼りなげな首筋、胸元で揺れるリボンは断ち切られており、そこから目に痛いほどに真っ白な肌が見える。
 ―――――ミルカ‥‥‥‥?
 自分でも驚くほど、手が震えていた。
 胸から溢れる血は薄い服を染め上げ、床に滴り落ちている。ぐったりと投げ出された手から落ちた竪琴は床の上で寂しそうに揺れていた。
「どけっ!!」
 呆然と固まるケヴィンを押しのけ、リルドがミルカの首筋に指を当て、耳を顔に近づける。
「‥‥‥大丈夫だ、息はある‥‥‥ただ、そう長くは持たねぇ‥‥‥」
 リルドが苦々しく言い、立ち上がる。彼が抜けた穴を虎王丸が埋め、1人で果敢に守人に向かっている。入り口から入って来る死者の大群に苦戦している凪と、それを援護する千獣の姿が目に入り、空中で1人吸血虫と戦っているメイの姿を見上げる。
「‥‥‥ケヴィン‥‥‥さん‥‥‥」
 苦しそうに開けられた口の端から、細かい血の泡が落ちる。
「喋るな!」
 声が震えている。ケヴィンはどこか遠くでそう思いながら、ミルカの顔を見つめた。
「‥‥‥お願い‥‥‥ふういんきゅう‥‥‥を‥‥‥」
 ふっと意識を失うミルカ。華奢な身体は血に濡れ、荒い呼吸は苦しそうだ。
 ―――俺ががもっと早く気づいていれば‥‥‥
 ミルカをもっときちんと守っていれば、もっと早く駆けつけられれば、もっと、もっと―――
「なにやってんだケヴィン!」
 頭上から降り注いだ叱咤の声に、ビクリと肩を震わせると顔を上げる。
「今、そんなこと考えてる場合か!?‥‥違うだろ、今は自分に出来る事を考えるんだよ!後悔なんて役に立たねぇもんは一切考えるな!」
 強い光を宿した瞳をジっと見つめる。深い海のような色は、ケヴィンの心に重くのしかかった何かを急速に溶かした。
 ―――今、出来ること‥‥‥
 ケヴィンに助けられ、皆に守られながらここまで来たミルカ。非戦闘員だと言いつつ、ミルカは欠かすことの出来ない大切な役割を担っていた。もし彼女がいなければ、ここまでたどり着けなかっただろう‥‥‥。
 王家の人を助けたい。その気持ちの強さだけでココまで来た。
 彼女はいつだって、自分に出来る精一杯の事をやっていた。だからこそ―――
 だからこそ、ケヴィンを突き飛ばした。自分が斬られると分かっていて、それでも自分に今出来る精一杯の事は守られることじゃなく‥‥‥守ることだと、ミルカは自分自身でそう決めた。
 この手が届くのならば―――助けられるだけじゃなく、助けるために―――
 唇を噛み締める。チリリと唇が痛み、血の味がするのも構わずに立ち上がる。
 ―――俺に今、出来る事はなんだ―――?
 守れなかったと、後悔するだけなのか?
 変えられない過去を嘆き、ありもしない未来を想像するだけなのか!?
 ぐっと、拳を握る。落ちていた剣を拾い上げ、立ち上がる。
 ――― 過去が変えられないなら、未来を作り上げるために走るだけ。
 染まっていない未来は、今から作り始めるものだから‥‥‥
 ―――諦めない。絶対に、ミルカを助けてみせる‥‥‥!
 歯を食いしばり、走り出す。痛めた肩と腕が重たいが、そんなことは構わずに走る。
 守人の相手をしているリルドと虎王丸の脇を通り抜け、暗闇の中へ入る。
 応接間のような狭い部屋の中央、どっしりとしたテーブルの上に乗っている七色の封印球を見つけ、ケヴィンは両手に力を篭めると剣を振り上げた。渾身の力を篭めて封印球の上に剣を振り下ろす。すでに細かなヒビが入っていた封印球は、体重の乗った重たい一撃にパキリと割れ――― 七色の光りが漏れ出す。
 広間から聞こえてくる雄たけびのような声を聞きながら、ケヴィンは光に包まれた‥‥‥



 目を開ければ、そこは真っ白な世界だった。上も下も右も左も、純白に染め上げられた世界だった。
「おめでとう、寡黙な勇者さん」
 凛と良く響くテノールの声に振り向けば、サラリとした金髪の、驚くような美少年が立っていた。
 象牙のように白い肌に、長い睫、血のように赤く透き通った瞳はどこまでも深く、華奢な身体は今にも折れそうだ。」
「僕の名前はクロード。クロード・フェイド・ペディキュロージアって言うんだ」
 ふわり。思わず見つめてしまうほどに完璧な笑顔だった。
 ケヴィンよりも少々背の低いクロードは、悪戯っぽく目を細めると背伸びをし、彼の顔を覗き込んだ。
 近付いた顔は近くで見ても繊細で、思わず顔を引いてしまう。
「この魔法を作った張本人だよ」
 ――― 刹那、何を言われたのか分からなかった。
 それは、彼があまりにも無邪気に言ったからかもしれなかった。
 それは、この残酷な魔術を施した相手がこんなに若く、綺麗だとは夢にも思わなかったからかもしれなかった。
 ―――こいつが‥‥‥!
「そうだよ。‥‥あぁ、君は言葉よりも瞳が雄弁に語るんだね」
 ―――どうしてこんなことを‥‥‥!
「どうしてこんな事をしたのかって?さぁ、どうしてだろうね。ただの気まぐれ、かな?」
 かっと、頭に血が上る。
 ただの気まぐれで呪いをかけられた王家、呪縛に苦しんだ王族―――
 ―――ふざけるな!!
 脇に刺さった剣を抜くと、一気に間合いを詰める。
 頭の中でグルグルと映像が回る。守人となった王家の人々、廊下にかけられていた肖像画の幸せそうな顔‥‥‥
 ザンと人を斬る手ごたえを感じて前を見れば、クロードの姿はそこにはなかった。
 必死に視線を彷徨わせ―――背後に感じた殺気に振り返る。
 バシリと鈍い音がして、ケヴィンは数m後方に飛ばされた。壁に背中が当たり、一瞬意識を失う。ズルズルと床を滑り落ち、ガシャンと両手首に何かが巻きつき、中途半端な体勢で身体が固定された。
 足元に落ちた剣を確認した後で、手首に撒きついた金色の光りを放つ紐に視線を向ける。これはいったい何の魔法なのだろうか?考えようとした時、突然息が苦しくなった。
 ギリギリと首を絞められる感覚に、目の前が真っ白になって行く‥‥‥
「少し頭を冷やして欲しいな。いきなり斬りつけるなんて、酷いじゃないか」
 苦しくなっていく呼吸に喘ぐケヴィンを前に、クロードは楽しそうに微笑む、ゆっくりと顎を掴んで上を向かせた。
 徐々に失われていく視界。頭がボンヤリとし始め―――ふっと、呼吸が楽になった。ゲホゲホと咳き込み、肩で息をする。
「君は、苦しんでいる時が一番素敵だね」
 クロードがこの上もなく楽しそうな残酷な笑みを浮かべ、すっとケヴィンの顎から手を離すと後退った。
「‥‥‥また会えたら良いね、ケヴィン君。また君が苦しむ顔を見たいな」
 クスクスと笑い声を上げながら、クロードが手を振る。
 あまりのセリフにケヴィンが唖然とした時、彼の姿が炎に包まれた。
 ゆらゆらと揺らめくそれは瞬く間に白の世界に広がり、全てを赤く染め上げた―――



 遠くで何かが燃える音に、ケヴィンは目を覚ました。
 黄昏に染まり始めた空を背景に、千獣の心配そうな顔が近くで見える。
「ケヴィン‥‥‥起き、た‥‥‥?」
 コクリ、頷く。
「ケヴィン様!良かった‥‥‥」
 身体を起こそうとするケヴィンを千獣が手伝い、メイが駆け寄ってくる。
「‥‥‥ミルカは!?」
「大丈夫です。ミルカのポシェットからリブセンの葉とサンフロウの花を出して応急手当をしておきました。俺の舞の効果もありますし、すぐに傷も癒えると思います」
 凪の言葉にほっと安堵の溜息をつく。身体に傷も残らないと言うメイの言葉に、自然と表情が緩む。
「リルド様が封印球を壊した後、急にここに飛ばされたんです。‥‥‥王国はもう、浄化の炎で焼き尽くされています」
 ―――浄化の炎‥‥‥?
「聖なる力を持った魔術師にしか創り出すことの出来ない、浄化の炎です」
 メイの瞳が鈍く光る。
 ――― 聖なる力を持った魔術師、か ―――
 ケヴィンは心の中で呟くと、先ほど白の空間で出会ったクロードと名乗る男の顔を思い浮かべた。
 あれは一体なんだったのだろうか?ケヴィンの名前を知っていたと言う事は、あれは事前に撮ったものを封印球の中に込めていたわけではない。
 そうなれば、考えられる事は‥‥‥
 ―――封印球を割ると、あの空間に繋がるように出来ていた。そしてアイツは‥‥‥きっとどこかで生きている―――
 首筋に手を当てる。今でも生々しく残っているその感覚に、顔を顰める。
 ―――クロード・フェイド・ペディキュロージア‥‥‥‥‥



END

 
 ◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  3425 / ケヴィン・フォレスト / 23歳 / 賞金稼ぎ


  1063 / メイ / 女性 / 13歳 / 戦天使見習い

  3544 / リルド・ラーケン / 男性 / 19歳 / 冒険者

  3457 / ミルカ / 女性 / 17歳 / 歌姫 / 吟遊詩人


  2303 / 蒼柳・凪 / 男性 / 15歳 / 舞術師

  1070 / 虎王丸 / 男性 / 16歳 / 火炎剣士

  3087 / 千獣 / 女性 / 17歳 / 異界職


 ◆☆◆☆◆☆  ライター通信  ☆◆☆◆☆◆

 かなりの長文&かなりお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。
 お久しぶりですケヴィンさん!
 今回もまた、一言‥‥厳密に言えば二言ですが‥‥(今思えば言ってる内容さほど変らないですね‥‥!)
 今回も重たい一言を言っていただきました!
 とにかくカッコ良いケヴィンさんを!と思い、剣に弓にと奮闘していただきました。
 結構怪我をさせてしまいましたが‥‥すみません‥‥
 ケヴィンさんの独特な雰囲気を損なわずに描けていればなと思います。
 ご参加いただきまして、まことに有難う御座いました!